大きいとか小さいとか、誰が決めてるんでしょう?

先日、朝のニュースを見ていて、すっごく気になったことがあるのです。

 

ニュースとは

「モロッコで販売を禁止されている魚(禁漁だったかも)を売っていた老人が、警官に魚をごみ収集車に廃棄され、それを取り返そうとした老人が、収集車の機械に粉砕されて亡くなったという事件を受けて、大規模な抗議デモが広がっている。アラブの春の再来か。」

というもの。

 

で、私が気になったのは、NHKがこのニュースを、

 

「小さなできごとが大規模なデモにつながっている。アラブの春を連想させる。」

 

と伝えたことです。

 

「小さなできごと」ってどういうことなんでしょうね?

 

ニュースでは、「魚を取り返そうとした魚売りの老人がごみ収集車に突っ込んでいったのを知ったうえで、警察官が収集車のスイッチを押すように促したのを見た目撃者がいる」というようなことも報じられていて、それは残酷だなあと思いながらニュースを聞いていたので、アナウンサーが「小さな事件」と言ったのが、どうにも聞き逃せない気持ちがしました。

 

例えばこれが日本国内で発生したとしたらどうでしょう。

 

警察官が、証拠物件を勝手にごみ収集車に遺棄、取り返そうとした容疑者を「殺害」した案件として大々的なニュースになりませんか?

万一、これがモロッコというイスラム教圏の国家で起こったことだから「ありがち」なこととして、「小さい」と表現したのなら、それはいささか差別的だと言わざるを得ませんし、人権とは国境、民族、性別の如何にかかわらず普遍的、という平素の主張とは隔たりがありすぎます。

 

また、仮に、イスラム教圏の国家であるなしとは関係ないというのなら、それはそれで問題です。

警察がもしも「行き過ぎた」警察権を行使したなら、それに誰よりも否定的で批判的であるべきなのは、報道する者として当然なはずです。

 

「どこかの路地で、警察によって不必要に殺害された一般人」

という疑惑を報道する場合、たとえ国が違ったとしても、そこは報道機関、口が裂けても「小さい事件」と表現してはいけないと思うのです。

 

私はとにかく「警察」と聞けば目の敵にするような主張とも一線を画したいと思います。

 

警察に就職した友人もいますし(正確には入庁?っていうんですかね?)、それに日本の警察はとても優秀で、人権意識も高いと考えています。

毎日、暑い日も寒い日も、雨が降っても雪が吹いても、街中で警戒中の警察官を見かけます。すれ違うたびに頭が下がります。

私たちが毎日安心して暮らせるのも、この国の治安がいいのも、日々、お金のためだけでなく働いていらっしゃる警察官の方々の尽力が大きいと思います。

 

けれども、警察という組織も人が作っているものです。

人が神でもない、「人が作ったもの」を無批判に信奉することは危険きわまりないことです。

 

まして警察は必要とあれば武装し、他者の人権を一時停止できる権力を有しています。

人も社会も、そんな警察が行き過ぎないか、まちがいがないかどうかを「正しく」疑い、「節度を持って」監視していくべきなのです。

そして、その最も先頭に立っているべきと人々が普段から期待しているのが、報道を託されるメディアなのではないでしょうか。

報道を使命とするメディアが、警察と同じ目線で物事を見たり、感じたりしているなど、本来あってはなりません。

 

最近、世の中の動きがきな臭いとか、変な方向に向かっているみたいで怖いとかいう人たちがいます。

その意見については私は、日本で普通選挙がある限り、世間一般の常識や見識というものを信じているとしか申し上げようもありません。

ただ、今回のモロッコでの事件を「小さい事件」と何回も(少なくとも2回は絶対)言い放ったNHKの姿勢に関しては、心の底から、空恐ろしいと感じずにはいられませんでした。

国家権力も、警察権力も市井の人々の人生をひねりつぶすには十分強大な力を持っています。

同じく第4の権力、メディアもそうです。

日本のメディアの考え方や、あり方が、どこかおかしな方向に走り出しているのではないかと、時々とってもコワくなります。

 

 

と、普段では考えられないような記事を書いてしまいました。

それくらいNHKのアナウンサーがこの事件を何度も「小さい事件」と言ったことが衝撃的でした。

私個人のちょっとした雑感です。どうかご放念ください。

 

ところでみなさま、今日、「真田丸」 をご覧になりました?(←毎回唐突ですみません。)

かっこよかったですよねえ…。

 

今年こそ!「大坂の陣」、勝てるんじゃないっ?

 

ってちょっと思ってしまいました。

その昔、田辺聖子氏が「大阪人には徳川家康は人気がない」って何かに書いていましたけれども、その遺伝子、確実に私にも受け継がれています。

基本的に、というか、内心ではこっそりと、

 

「あの狸おやじ、くたばっちまえ!」

 

と思っています。えへ。

 

ちなみに今年の大河、「真田丸」ではオープニングテーマが、超!かっこよくってお気に入りなんです。

こんなに大河のオープニングテーマで盛り上がったのは中井喜一主演、「武田信玄」(←なつかしい!毎週必死で見てました!どなたか見てた人、いらっしゃいます?)以来かも!

 

こんなの。


大河ドラマ 武田信玄 オープニング

 

これ、おもしろかったですよねえ…。

 

そういえば、大阪の陣での真田の赤備えは武田由来。

感動もひとしおです。

今年の大阪の陣こそは!(←しつこい)

 

 

ということで、やたらと忙しかった週末も意味不明に更けていきます。

みなさまの新しい1週間がすばらしいものになりますように。

おやすみなさい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

育児には「時代の不安」ってものがあると思う。

先日、夫が「忘れ物大魔神なんです。」って記事を投稿しましたら、

予想をはるかに超える、たくさんの方に読んでいただきました。

驚きました。

訪問してくださった方々、本当にありがとうございました。

 

で、風邪のためにコメント欄を閉じて、ブクマ欄の方を開けていたら、そこに

ADHDなのでは?」のお言葉があふれていたので、

夫に、「あなたにADHD疑惑が浮上してるよー。」って言ったのです。

 

そのときの夫の返答。

 

 

「俺?

 

俺はただ、うすらぼんやりしてるだけやで!

 

 

 

念のため申し上げますが、 

私、話し、盛ってませんからね?

本当のほんとーに、本人が言いましたから。

 

「うすらぼんやりしている」って。

 

なので、私も、心の底から、

 

 

「そやね。」

 

って、返しておきました。

 

確かに夫の動向を見ているとADHDの傾向があるようにも思えますが、

今のところ、私も当人も専門家の受診などは考えていません。

理由はと言えば。

 

幼少期から彼には、

 

1.多動性、衝動性および他罰傾向や暴力的傾向がない。

2.不注意ではあるけれども集中力が持続しないわけではない。またLD(学習障害)でない。

3.特定のモノに対する強すぎる執着やこだわりがない。

4.対人関係が良好である。

5.本人がさして困っていない。(←ちょっとは困ってほしい。)

 

驚くほど社交的とは言えないまでも、適度に他者と友誼を結ぶことができて、家族、兄妹間の関係も非常に良好な夫。

なので、忘れっぽいのは彼の「個性」かな、と今後も結局、私がフォローしていくのだと思います。(←これを読んだら夫が全力で喜ぶと思うので、厳しく!対処していくことをあらかじめ宣言しておきます!)

 

で、今回、夫のADHD疑惑についてつらつらと考えていたら、唐突なんですが、

育児と「時代の不安」についていろんなことが頭に浮かびました。

 

ひとつの「時代」にはその時代特有の「不安」ってものがあると思うのです。

 

たとえば、亡くなった私の祖母は、父を産んだときに、

 

「早く食べる癖をつけさせなくては。」

 

と考えたのだとか。

 

いずれ兵隊さんにとられた時に、軍隊でとろとろごはんを食べていたのでは、殴られたり、お腹いっぱいになるまで食べられない、と不安だったというのです。

幸い父が産まれてほどなくして終戦になりましたが、祖母のその時の不安な思いは、今の時代とは隔世の感があります。

 

ポリオが流行った時の、世の母親の動揺も、ニュースで見て圧倒されました。

当時、乳幼児を抱えていた母親はどれほど不安だったでしょう。

 

校内暴力が吹き荒れていた時代に育児をなさったお母さんたちはきっと学校選びに慎重にならざるを得なかっただろうと思います。

 

そんな風に、いつの時代もきっとその時代特有の「不安」というものが、育児にはつきものなのだと思います。

 

で、現代では。

 

きっと、この「ADHD」やアスペルガー症候群などの「発達障害」についての問題が、かなり大きい不安感をお母さんたちにもたらしている気がします。

 

我が子がこの問題を抱えていたらどうしよう、という不安。

 

実は私も子どもが生まれた頃、この問題を報道で知って、やたらと不安になったことを覚えています。

アスペルガー症候群の子どもかどうかの判断をするテストみたいなの、あるじゃないですか、あれをまだ子どもがちっこいのにやってみたりして。

 

数年前には、友人のお子さんが「アスペルガー症候群」と診断されて、その友人から、

「理解してほしい」

と関連書籍をドサドサドサーっと目の前に積まれたり、PTAやボランティア関連で「自閉症スペクトラム」についての講習会に参加を促されたり、と今の母親世代に関しては、この問題に対して全く無関心・無関係でいることは、逆に難しいのではないかと思います。

 

学校現場でも、ゆっくりとではありますが、対策が進んでいると思われます。

少なくとも、私が子どもの頃には考えられなかった配慮もなされているようです。

もちろん、まだまだ、道半ば、ではありますが・・・。

 

小学校の図書室に出入りしていても、最近、この「発達障害」「ADHD」「LD」「アスペルガー症候群」「ディスレクシア」などという言葉をやたら目にするようになってきました。

児童向けの書籍からも、この問題に関する理解を深めようとする意識が感じられます。

 

肝心の子どもたちはちっとも読んでいませんが、中でもちょっと目を引いたものをご紹介したいと思います。

 

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「いっしょがいいな障がいの絵本6 ぼくって、ふしぎくん?」

監: 北村 小夜 文: 嶋田 泰子 絵: 岡本 順
出版社: ポプラ社

 

ADHDの特性について、非常によく書かれていると思います。

お母さんとの関係、お友だちとのやりとり・・・とてもリアルで「説得力のある」1冊。

学校図書館向けの絵本セットのうちの1冊ですので、一般的にあまり目に触れることがないのがちょっと残念ではあります。

でも物語のラストの1ページ、主人公の男の子の笑顔には心揺さぶられるものがあります。

 

 

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 「ボクはじっとできない」自分で解決法をみつけたADHDの男の子のはなし

バーバラ エシャム (著), マイク&カール・ゴードン (イラスト), 品川 裕香 (翻訳) 岩崎書店

 

ADHDの特性に気づき、自ら解決方法を考え出していく男の子のお話。

物怖じせずに前向きに、ひたむきに周囲と関わっていく主人公の姿に、読んでいるこちらも励まされるような1冊。

同じ著者の作品には「算数の天才なのに計算ができない男の子のはなし」もあります。こちらもオススメ。

 

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「ありがとう、フォルカーせんせい」

パトリシア ポラッコ (著, イラスト), 香咲 弥須子 (翻訳) 岩崎書店

 

LD(学習障害)で本を読むことができなかった少女が、ある先生に出会って本が読めるようになり、長じて作家になる物語。作者の自伝的絵本でもあります。

これは現在、どこの小学校にもあります。(あると思う・・・。どこででも見かけます。)

似たような本に、ダグラス・ウッド著「よめたよ、リトル先生」という絵本もあります。LDやディスレクシアの子どもたちに対する理解の一助になる絵本だと思います。

 

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こんなこいるかな」シリーズ 

有賀忍 (著) 日本図書センター

 

NHK「おかあさんといっしょ」で1986年から登場していた12人。

それが絵本になったらしいのですが、私はこのキャラクターたちが「おかあさんといっしょ」出身だとはまったく知りませんでした。

この絵本セットは正直、ADHD関連書籍とは、言えないかもしれません。

けれども、この12冊の「こんなこいるかな」を”続けて”読んでいると、この絵本にはとても大切なメッセージが内包されていることに気づきます。

イデアマンの「ぴかっと」やいつも親切な「はっぴ」など、「学校現場で歓迎されそうな」子どもたちと、

ちらかしてばかりの「ぽいっと」や忘れん坊の「ぽっけ」など、どちらかと言えば問題行動の多い子どもたちとを、

あくまでも「並列」に扱うことで、どんな子どもたちも等しく大切にされ、愛されるべき権利を持っているのだと、あらためて感じさせられるのです。

どの子どもたちの特性も、それが集団生活や学校生活になじめるかどうかに関係なく、同じく尊ばれるべき「個性」なのだということを、私たち大人はつい忘れて心配ばかり・・・。

とても微笑ましくかわいい絵本ですが、この絵本シリーズはそんな大切なことを思い起こさせてくれる、なかなか奥深い作品なのではないかと思います。

 

他にも最近は「発達障害」に関する絵本や物語が増えてきました。小学校の図書館には続々と導入されてきています。(ほとんど読まれてないけど。子どもたちには人気ないけど・・・。)

でも、子どもたちにこの問題が徐々に周知されていって、いつの日か、きっと次の時代には、「発達障害」のあるなしに関わらず、誰もがもっと「生きやすい」社会が到来することを、ひそかに期待する毎日です。

 

 

 

でも夫には厳しくいきますよ・・・。

 

 

 

 

 

 

夫は忘れ物大魔神

私の夫は「忘れん坊」です。

「坊」なんてかわいいものではなく、その世界ではもはや「大魔神」と言ってもいいくらい。

結婚生活も20年近くになりましたが、いまだに夫の忘れ物癖には慣れることができません。

慣れるところか、日々あらたに燃料を投下し続ける夫のおかげで、呆れるのを通り越して、今や、

「なるだけこちらに火の粉がかかりませんように」と願う状態です。

 

どれだけ彼が忘れ物大魔神かと言いますと。

例えば、ある日。 

 

お仕事で打ち合わせが終わった後、

システム手帳を車のボンネットの上に置いて、

「うーん!」

と背伸びをしたら、瞬時に手帳のことを忘れてしまい、

ボンネットの上に手帳を置いたまま車を発進、そのまま行方不明に。

 

出張に出れば、高速道路の上に乗ってから、

「新幹線のチケット持ったっけ?」

と思い出し、案の定チケットは自宅に置きっぱなし、

 

コンビニでトイレを借りようものなら、

トイレの棚に財布を置きっぱにして、そのまま紛失、

 

会社に行くのにネクタイをし忘れることなんて日常茶飯事、だから彼のオフィスには無難な柄のネクタイを常備させています。

 

鍵、定期、財布、携帯は、出社に必ず必要ではないですか?

なので、いつも「同じ」場所に収納して、そこを空っぽにすれば忘れ物なし!にしているのに、鍵だけ持ってあとは忘れたり、携帯だけ取り忘れて出かけたりします。

 

そんな夫が会社に持っていくカバンはとんでもなく「重い」のですが、

ある日、彼がそのカバンを丸ごと忘れて出かけていきました。

 

びっしり詰まっている書類やら文具やら、見てもわからないものがたくさん…。

こんなにたくさんのお仕事のための「モノ」がなかったら、どれほど困るだろうと思い、届けようかとも思ったのですが、あいにくその日は「外回り」と聞いていたので、捕まるわけもないかあ、と思ってあきらめ、心配しつつ夫の帰宅を待ちました。

 

ですから夫が帰宅した時には息せき切って、尋ねたのです。

 

「カバン忘れてって、困ったでしょ?」

って。

 

そしたら夫、

 

 

「ぜんぜん?」

 

 

 

 

・・・・・・・・・。

 

 

 

 

「じゃあ、この重ったいカバンには、一体なにが入ってんのよっ!」

 

 

今も相変わらず重いカバンを持って会社に行く夫ですが、中に大したものは入ってないはずです。絶対!!

(そんなものに気を取られているから、大事なものを忘れるんじゃないの、と傍で意地悪く見ているのはちょっと内緒。)

 

で、今朝もやらかしてくれました。

 

夫が出社してからキッチンのカウンターの上に、私が発見したもの。

 

それは夫のために作った「お弁当」

 

この忘れ物も非常に多いです・・・。

だいたい、夫の会社では、仕出し弁当を昼食用に供与してくれるのです(有料ですが、安い)。それを食べておいてくれれば、私も手間いらずだし、なによりこんな風に「持っていくのを忘れる」なんてことはないはずなのに、夫は

 

「会社のお弁当、まずい」

 

とか言って、頑として食べません。

 

だったら絶対に忘れないように持っていけばいいのに、時々こうして忘れていくのはなぜでしょう?

地下鉄に乗ったあたりで、

 

「お弁当忘れた~。えーん。」

 

ってメールが来ることもありますが、いつも「知らん」と一蹴しています。返事もしません。怒ってるんだもの。

 

とくに今日みたいに、まだカゼが治りきってなくて、でもお弁当がいいだろうな、と思って必死に起きてきてわざわざ作ったのに、持って行ってもくれなかったりしたら、

 

「もう。」を通り越して「もー!」になります。

 

え?

「もう。」と「もー!」の違いがわかりにくい?

じゃあその辺の妻帯者に聞いてみてください。

結婚、やめよっかな…っていうくらい、微に入り細を穿って教えてくださると思います。

 

で、今日のお弁当ですが。

 

子どもが登校前、

「あー、パパ、お弁当忘れてる!」

と騒ぐので、子どものお弁当箱をもう一度開けて、夫の分のおかずを、

 

ぎゅうっと、

ぎゅぎゅぎゅーっと!

 

詰めておきました。

 

「豪華になった!」と子どもは喜んでいましたので、無駄にはならずに済むでしょう。

 

帰宅したら、

「パパにごちそうさま♡って言いなさい。」

と言おうと思います。(←イヤミ)

 

きっと悔しがって、少しは反省してくれることでしょう。

 

でも反省が生きたためしがない…また忘れるんだろうなあ。はぁ…。

 

 

ところでみなさま、昨日はカゼ対策の秘儀をたくさん、ありがとうございました。

ひとつひとつ目を通して、もうカゼをひかないように参考にいたします。

まだ完全とはいきませんが、もう少ししたら元気になると思います。

みなさまもどうか体調にはお気をつけてくださいね。

ほんとにありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カゼに関する3種の神器

 

みなさま、こんばんは。

 

カゼをひいてなかなか本調子に戻れないマミーです。

 

カゼってイヤですよね。好きな人なんていないと思いますけども、

もともと鼻に持病のある私は、カゼをひくとどうしてもこじらせてしまうので、カゼをひくというのは嫌いなことトップ3に絶対に入ります。

 

とくにお仕事で。

 

いつもなら、もうひと手間かけるなあ、と思う場面で、

「ここまででいいか。」

とか、思っちゃうのがすごくキライ。

 

帰り際、面倒な作業をしている人がいて、普段なら絶対

「手伝いますよー。」

って言うのに、一瞬、その言葉が出てこないんですよ、しんどくって。

で、ぼけっと立ちすくんでたら、

「カゼでしょ?早よ帰りぃな!」

と言われ、ありがたいやら申し訳ないやら、帰り道では「気を使わせてしまって」、と涙がぼわっと出てしまうありさまです。

 

自宅でも、

ごはんですよー!」

の声が出ない。

 

大声出したらそのまま咳き込んで苦しくなるのがわかっているので、

できあがったごはんを前に、どうしようかなあ、とか考えるわけです。

 

「匂いでできあがりを予測してキッチンに来てくれたらいいのになー」

「壁ドンしてみる?」

 

とか、無駄なことばかり考えています。

狭い家なんですから、そんなに大声出さなくてもいいのですが、

カゼの時にはそれさえつらい。

さっさと治したいものです。

 

で、カゼをひいたら、ちょっとでも症状を楽にしようといろいろと試してみます。

今のところ、私にとって有益なカゼ対策、ベスト3をご紹介。

 

1.ホッカイロ

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熱が上がりそうなとき、ぞくぞくする悪寒。

あれ、本当にイヤです。

ああ、これから熱が高くなるんだなあという予感がして。気持ちからカゼに負けてしまいそうになります。

そういうときはいち早くホッカイロを背中の高めの位置に貼りましょう。

悪寒が少しマシになります。 

 

2.加湿器

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我が家の加湿器はこのタイプ。

はっきり言ってただのポットです。

でもあたたかい湯気が出るのがお気に入り。これがあるとお部屋の温度が1~2℃高く感じられます。

お手入れも楽々ですが、中の水の温度は高くなりますから、小さいお子さまのいらっしゃるお宅では取扱いに注意が必要かもしれません。

 

3.家庭用吸入器

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普段は見向きもされないのに、カゼをひいた時にはひっぱりだこになる家電…それがこの吸入器。

喉が痛いときには本当に助かります。

ほんとはお仕事にも持っていきたいくらい…引かれると思うので持ってかないけど…。

でも日本の冬は乾燥しがちでインフルエンザも毎年流行するのですから、

病院や学校など、人の集まるところでは、加湿器とか吸入器、もっと導入すればいいのになって思います。

 

 

薬のせいか、頭がぐらぐらして、思考はまとまらず、夢か現実かよくわからないところをさまよっております。

「やったはず」の持ち帰りのお仕事が真っ白で、あれは夢だったのかーと今、心が折れそうです。(←かなりやばい)

 

みなさまのブログも、読んでもなかなかコメントができなくて、しばらく不義理が続きますことをお許しください。

 

また、カゼのとき、こんないい対処法がありますよ!ってのがありましたら、ぜひぜひお知らせくださいね。

(まだ調子が戻らなくてお返事できないかも、とコメント欄を閉じています。

カゼと闘ういい方法がありましたら、ぜひブックマーク欄で教えてください!

よろしくお願いしますm(__)m)

 

 

 

こだわり?

 

 

先日の「小トトロ」。

 

夫が言うのです。

 

”これじゃない感”がすごい」って。

 

 

んもー。

 

仕方ないので編み直しました。

 

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手前右の白いトトロ。

夫にとっての小トトロはこんなイメージだったようです。

 

これを小さくしたら、完璧なのかな。

 

編んでみようという気持ちは満々なのですが、

風邪ひいちゃいました!えへ。

 

 

ちょっとの間、休養します。

 

・・・家族の目が冷たい・・・。とほほ。

 

しばらくおとなしくしておきます。

 

新しい週の始まりがみなさまにとってすばらしいものでありますように。

 

 

おやすみなさい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ありがとう」って生き物だと思う。

早いもので、 あれから1年が経ちました。

 

 

そう、今のお仕事を始めてから。

 

去年の今ごろはなんだか大変だった記憶があります。

毎日がバタバタ、あたふた。

 

え?

今も変わらない?

 

・・・そうなんですけどっ!

 

でも、1年前に比べると、ずいぶんと、私の「気持ち」が変わりました。

 

1年前。

働き出した頃。

職場の「アウェー感」は相当なものでした。

 

あいさつをしてもろくに返してもらえないし、期待もされていない感じ。

おまけにあちこちから立ちのぼる「声かけないで、忙しいから!」のオーラが強烈、

そらもう朝からずっと「へこみまくり」な毎日でした。

 

「このお仕事、続けられるだろうか。」と不安な気持ちでいっぱいでしたが、

へこんでいても仕方ない、と自分を鼓舞し、

苦手な人や、きちんと挨拶をしてくれない人にこそ、一番にあいさつをして、いつも笑顔で接するようにしました。

 

ついでに心がけたことがあります。それは、

 

「自分ひとりのためだけには立たない。」

 

ってこと。

 

なんか往年の革命家みたいですけども、そうじゃなくて、ですね、

これはもっと言葉通りの意味でして・・・。

 

つまり、なにかの用事で自分が席を立つときには、誰かの用事も済ませてあげる姿勢でいるってことね。

なにしろ職場って、誰の仕事でもない、誰がやってもかまわない、つまらない用事や仕事が散乱してるじゃないですか。

 

「コピー行ってきますけど、それ、ついでにしてきましょう。」

「これ、片付けときますね。」

「一緒に持って行っときますよ。」

「ついでに補充しときましたよ。」

 

誰だってちょっと面倒だな、って放置しがちな細々したことを、嫌がらずに引き受けること、それで笑って「かまいませんよ」って言い続けること。

 

当たり前ですが、ずっとそうしているとまわりの人は私に言いますよね?

「ありがとう。」

って。

それが一番の目的なんです。

 

「ありがとう」って実は、常に「バランスしたい」生き物なのです。

 

ずっとだれかに「ありがとう」を言い続けてると、その人から「ありがとう」を返してもらわないと、どうにも「おさまりの悪い」気持ちになるものなのです。心理的な負荷が生じるものなのです。

 

だから、私が上記のような態度でずっと働いていますと、

「骨惜しみしない」とか「よく気が利く」なんてうれしい評判(←勘違いな評判ともいう)がついてくるだけでなく、

逆に私の方が「困ったな」「こうしてほしいな」と思ったとたんに、

誰もかれもが、一生懸命に助けてくれたり、手伝ってくれるようになるのです。

ほんとです。

 

あんなに冷たい雰囲気だった1年前。

でも数ヶ月経つころには、遠くからでも

 

「マミーさーん!おっはよー!」

 

って声をかけられるようになりました。

 

それから、

「マミーさん、移動ないよね?移動の希望、出したらあかんよ?」

「マミーさん、俺、A区に転勤なん。ね、ね、移動の希望調査あったら、A区に出してな!なっ!?」

「マミーさんいるから、担当、このままにして、って言いました。これからもよろしくです。」

なんて、とてもうれしい言葉もたくさん。

 

それから、

「マミーさんが興味あるかもと思って」

と、わざわざ新聞の切り抜きや雑誌を持ってきてくれたり、

お菓子だアイスだケーキだといろいろもらうようにもなりました。

・・・正直、お仕事に行ってるのか、餌付けされに行ってるのか、わからないレベルです・・・お仕事始めたらちょっとは痩せるんじゃないかと期待してたのにな・・・くっすん。は?食べなきゃいいだろって?・・・斬新なアイデアですね・・・。それはムリ。

 

もちろん、私の仕事は正規の職員ではなく、パートのようなものです。

身分も不安定だし、お給料もよくありません。有休だってほんのちょっぴり。

プレッシャーだけはたくさんあって、ボランティア的精神がなければとても続かないでしょう。

 

でも、最近はお仕事をするのがとても楽しいと感じます。

 

最初はあいさつも無視された人に、満面の笑顔で「おはよう」と言われる度に、

「ああ、この人はこんな顔で笑うんだな。」

って、毎回感動してしまうのです。

 

そうして、本当に悪い人なんて、きっとこの世にはいないに違いない、少なくとも私のまわりにはちっともいない。

私って、なんて幸せなんだろうって、痛感するのです。

 

幸運なことに、なんかよく知らない上層部の人が仕事ぶりを聞いて見学にやってきたり(「誰?」って感じだった!あは。)、地元のタウン誌なんかにも載せてもらえたりするようになりました。

それもこれも、私はなんにもしていません。まわりの人の声のおかげでしょう。

 

「ありがとう」ってほんとにいつも「バランスしていたい」生き物なのです。

いつも誰かから、「ありがとう」って言ってもらえるようにお仕事すること。

それが結局、自分を助けることになるのだと思います。

 

 

おまけ。

お願いがあるのです・・・。

 

「木目込み人形」って知ってます?

私はあんまりよく知らないのですけども。

 

こんなの。

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お顔アップ。

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・・・写真が下手・・・。

 

実はこの木目込み人形、伯母が作ったのですが、飾る場所がなくて処分しようかと思っていたのです。

他にもたくさんあるので、この子の定位置が押し入れの中になってまして・・・。

 

でもこの前、デパートに行ったら、木目込み人形って、すんごい高いんですよ!びっくり!

で、もったいないなあ、と思ってしまう私は貧乏性です。(ウソです、貧乏「性」ではなくて、本物の「貧乏」です。ええーん。)

 

もちろん引き取ってくださるだけでかまいません。

どなたかのお宅で飾っていただけたら、この子もとても幸せだと思うのです。

ガラスケースをつけて、送料もこちらで負担しますので、よろしかったらご検討ください。

よろしくお願いいたします。

 

 

 

 

やれやれ、完成。

 

完成しました。小トトロ!

 

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小さい♡

ちゃんと「かわいい」の要件を満たしています。

 

カメさん、お仕事ですよー!比較にいらっしゃ~い。

 

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うんうん。カメさんもがんばってるね!

ちゃんとトトロを支えています。

 

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大トトロと一緒だと、小ささが際立ちます。

 

これでファミリーが勢ぞろい。

 

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「中トトロ、小トトロも一緒に編むといいよ!」

とデザイナーさんが編み図に書き込んでいるのを、

 

「まあ、お気楽な!」

 

なんて思ったものでしたが、やっぱり大・中・小がそろってるのはいいですね。

 

ネットで見つけた編み図で、デザインされたのも日本人ではなく、(←トトロ人気ってすごい!)だから小トトロの耳や尻尾の編み方は、ちょっと意外な感じ。

それがまた、

「へえ!」

と思ったり、できあがりに感心したり。

とても楽しめました。

 

デザインされた 「Lucy Collin」さんには感謝と敬意を捧げたいと思います。

 

「目に入ると思わず笑ってしまう」

と、トトロシリーズが気に入っている母の検査も、今日やっと終わりました。

 

色々ありましたがひとまず安心しています。

まだ本調子とはいきませんが、気長に寄り添っていけたら、と思います。

 

トトロの「まあるいフォルム」は気持ちを落ち着かせるのに最適なのかもしれません。

トトロが長く愛されるキャラクターである理由が少しわかった気がしました。

 

・・・じゃあ、私だって、愛される体型であるはずなのに、おっかしいなあ、なんでかなあ、と納得できない気持ちでいるのは内緒です。

 

世の中も人生も、理不尽・不可解・不条理だらけ。

でも、明日も負けずにがんばりますっ!