「戦国時代展」を見て感じたこと。

ちょっとそこまで、京都まで、の続きです。

 

「戦国時代展」。

ほんとのことを言うと、「戦国時代展」なんて、まったく期待していなかったのです。

だって、日本各地で戦禍が入り乱れていた時代。

どこの地方にもそれぞれの悲劇や事情があったのですもの、それをただ、ひとつの時代でちょん、と輪切りにして見せられても、なんだか薄っぺらい内容になるんじゃないかな、と思って。

 

でも、結果から言うと、展示内容には大満足でした。楽しめましたよ。

京都での開催だけれど、京都由来のものばかりではなく、日本各地から集められた膨大な資料の数々。

戦国時代、地方の各大名がそれぞれに権勢を競い合ったことで、それまで京都や畿内に偏っていた文化や富が、列島のあちこちに広がったことが実感できました。

 

各資料の貸し出し元の美術館や博物館の名前を見るのも楽しかったです。

京都だけでなく、静岡、山口、山形、群馬・・・あまりにもたくさんの施設の名前があって、この「戦国時代展」に関わった人の多さに驚きました。

展示物の写真は撮影できませんでしたが、1枚だけ。

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美術館内部ではなく、中庭のようなところに小さな石仏群が。

織田信長がお城などを建築する際、建築資材として使用されたものが発掘調査で発見されたものだそうです。

 

山から掘り出され、仏さまとなって人から拝まれ、ある日を境に今度はお城の階段なんかに利用されて、人から踏まれ、また時代が下ると今度は博物館の資料として大事にされる・・石として、なんとも波乱万丈な「一生」ではありませんか。

 

石仏をお城の階段や石垣などに利用したのは信長だけではなかったと思いますが、それでも信長の、神仏をも畏れない性格を現すエピソードとして、こういった展示物は説得力があるのでしょう。

 

信長のそんな性格、個人的には嫌いではありません。

 

「石材が足りひん?そこにあるやん。使えるやん。

は?仏さまの格好してる?元はただの石やで?今も単なる石やで!

今すぐ俺に首刎ねられるのと、ただの石ころとどっちがコワい?

俺を拝んどった方がご利益あるで!」

 

なんて言ったかどうかは知りませんけど、些細なことで人が簡単に命を落とした時代に、迷信や俗信をあっさりと捨て去るのは、今よりずっと難しいことだったでしょう。

つくづく、信長という人の合理的精神は見上げたものだなと思います。

また、満足な顕微鏡もない時代に、ここまで合理的精神を保てる人間がいたというのに、現代に至ってもまだ、迷信に振り回される人がいるということは、なかなか興味深いことのように思います。

時代や科学の進歩と、人間の精神の円熟度とは、単純には比例しないものなのかもしれません。

 

同時に、石仏を建築資材に流用した信長の判断について、

「有りかな。めっちゃ合理的。」

と好意的に捉えられるのに対して、例えばタリバンによるバーミヤン石仏の破壊や、ISISによるシリア遺跡群の破壊については、どうにも嫌悪感しか感じられず、「野蛮」としか思えないのは、自分でも説明がしにくい問題です。

 

建設のための「利用」なら理解できても、「破壊のための破壊」には嫌悪感があるのかな。

それとも「異教を認めない」その不寛容さに辟易する部分があるのでしょうか。

 

博物館の中庭で、寡黙にただそこにあるだけのこの石仏を見ていると、なんだかとても不思議な気がしました。

 

ちなみに、この、「日本の」戦国時代展なのに、余計なことをたくさん考えさせられる展覧会、京都での開催はすでに終了しています。

次は山形・米沢で4月29日から開催予定なんですって。

刀剣、旗、甲冑、肖像画、それから夥しい数の書類や手紙。

とっても楽しめますので、お近くの方はぜひ。

 

 

おまけ。

先日、山菜さまのブログを読んでいて・・・

 

 

「これ、桜なの?」のお花の写真に目が釘付けになりました。

私も、おそらくおんなじお花を見て「これって桜?なんていう花?」ってずっと気になっていたから。

 

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このお花ね。

山菜さま、このお花ですよね?おんなじでしょう?

ご近所で、ソメイヨシノから少し遅れて咲いていたのですが、まだ小さい灌木で(これから大きくなるのかも・・・わかんないけど)、でも真っ白な八重の花びらがとても目を引くお花でした。

なんていう名前なのか、ご存知の方がいらっしゃいましたら、教えていただけるとうれしいです。

 

おまけのおまけ。

今、この記事の下書きを読んだ娘から、「石仏を見て、ISISのことを考えるなんて、発想が飛躍しすぎ。唐突すぎ。」ってダメ出しをくらいました。むか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちょっとそこまで」に京都がある幸せ。

ひと月ほど前になりますが・・・母と一緒に京都に遊びに行きました。

 

「時間があるから、ちょっと京都まで遊びに行こうか。」

 

大阪に住んでて得したな、って思える瞬間のひとつがこれ。

今や日本国内どころか、世界中のツーリストの垂涎の的、「あの」京都まで、電車でたったの1時間。

これってなかなかポイント高くないですか?

でも それが大阪人にとってはごく当たり前の日常、普通のことなんですよー。(←自慢)

デートにしても女子会にしても、あの京都が使い放題、行き放題!

 

ところが。

いざ実際に大阪に住んでいると、「京都に行こう!」とはなかなかならないものなんですよね。

近すぎて「いつでも行ける」と思うからでしょうか。

手近に遊べるところが大阪市内にたくさんあるからでしょうか。

 

小学生のころから、遠足と言えば京都・奈良。

「嵐山の渡月橋」付近なんて、幼いころから

「遠足でお弁当を食べるところ!」

としてインプットされているものですから、世間で騒がれているほど京都に夢とか幻想とかを抱けないのが大阪人というものなのです。

 

でも、最近の京都ブームは凄まじいものがありますよね。

せっかく関西に住んでいるのだもの、たまにはそのブームに乗ってみるのも悪くないかも!とお出かけすることにしました。

 

大阪梅田駅から阪急電車で約40分。

下車したのは京都・烏丸。

「烏丸」って地名も、いかにも京都らしい、と思いませんか?

どう考えても「からすまる」と読むはずなのに、そこは「からすま」。

いつ、どうして「る」が抜けちゃったのかしら。

 

以前、大阪天王寺界隈をうろうろした時にも思いましたが、古い土地の名前というのは、不思議と興味をそそられるもの、京都にはそんな地名がいっぱいです。

 

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麩屋町通

 

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御幸町通

標識では「ごこまち」になっていますが、よく耳にするのは「ごこうまち」。どちらが正しいのやら。大阪人にはわかりません…。

 

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三条通。いかにも京都っぽい!(←謎のミーハー的喜び)

 

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蛸薬師通

たこやくしどおり」ですよ?!たこやくしどおり!

どうしてそうなった?!って思わず考え込んでしまう地名のトップテンに余裕で入りそうな勢い。

こんな名前に出会えるところが京都の醍醐味!

と、ひとりで地名標識にテンションが上がりまくり、写真もいっぱい撮ったのですが、誰にも共感してもらえそうにないので、ここらへんでやめときます。

 

この烏丸あたりの街では、河原町先斗町とは違い、京都らしい古い町並みはあまり見かけません。

代わりに、モダンな建築様式のビルがたくさん。

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1階はカフェのもよう。

 

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こちらはブティック。赤いレンガがとってもおしゃれ。

 

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なんか重厚な建物・・・と思ったら、

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文化財でした。だけどちゃんと現役。

 

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こちらはなんだかドラマの撮影に出てきそうな雰囲気。中から出てくるのはオダギリジョーであってほしい。浅野忠信でも可。

 

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ここも1階はカフェ。というより喫茶店。ちょっと懐かしい感じがします。

 

歩いていると、目の前を学生さんが通り過ぎていきました。

 

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まあ、珍しい、今時「角帽」だなんて!…思わず凝視しましたら、なんと足元は素足に下駄!

どこの学生さんかしら。

京都は大学だらけなので、どこの学生さんなのかは想像もつきません。

彼の出現のおかげで、ますますこの界隈が大正ロマン風の街角に思えてきました。

 

目的地まで歩くこと約10分。

たった10分の間に、こんなにたくさんの味わいのある建物、街並みを見ることができるなんて。

観光地としての京都の威力のようなものをしみじみ実感しておりますと、

 

「いいなあ、京都。こんなところなら住んでもいいなー」

 

と母がのんきなことを言いだして、ちょっと笑ってしまいました。

どう考えても我が家の経済状況では、こんな街にお家は買えません。

なのにどうしてそんなに「上から目線」なのか…。ポジティブにもほどがあります。

 

「京都の中でも一等地、頼んでも住まわせてもらわれへんよー。」

 

と私が夢のない返事をしていると、目的地が見えてきました。

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この日の目的地。

京都文化博物館

こちらはもともと日本銀行京都支店だった建物ですが、現在は博物館の別館として使用されています。

中が素晴らしいんですよ。

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入口を入ってすぐ、上を見上げるとこんな感じ。

高い天井、その凝ったデザインや木目の美しさ。思わずため息が漏れます。

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こんな天井、今ではなかなか見られないだろうなあ…ちょっと感動。

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ずらりと並んだ小さな窓口。いかにも「元・銀行です!」って感じがして、とっても楽しかったです。古い映画に出てきそう。

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現代の無機質な銀行とはかけ離れたデザイン。

こんな銀行があったら絶対口座を作るなあ、としみじみ。ちょっとしか預けられないけど・・・

窓口の中は、今ではコンサートなんかに使われているようです。

 

でもこの日の目的はこの古い建物見学ではなくて。

こちら。

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そう、「戦国時代展」。

戦国時代の資料や美術・工芸品が一挙に公開されるということで、やってきました。

 

内部は撮影禁止でしたので、写真はないのですが、期待以上に楽しめました。

 

国が乱れ、戦乱に次ぐ戦乱というイメージしかなかった戦国時代。

でも、その中にあっても、人の営みというものは、現代とそう変わらないものがあったのだなあという印象を強くしました。

特に、驚いたのは陽明文庫所蔵の「近衛文書」。

黒々とした墨が、今も和紙の上にくっきりと鮮明で、数百年もの昔に書かれたものとは到底思えませんでした。

和紙と墨の組み合わせのなんと優秀なことか。

明治時代に西洋から入ってきた紙がすでにボロボロになっていることを思えば、和紙の強さは驚嘆すべきものがあります。

また、全く色あせない墨の威力も驚きでした。

以前、テレビの取材で、

「うっかりついた墨ってどうやって落とせばいいんですか?」

と聞かれた墨の製造会社の人が、

 

「落ちないのが墨なんですよっ!!」

 

とマジ切れしていたのを見たことがあるのですが、黒々と艶やかな墨の色を見て、その言葉の意味がようやくちゃんと理解できた気がしました。

 

 

すみません、思ったよりも長くなりました。

続きは次回。

 

実は、ひと月近く前のことで、あんまり記憶が明瞭でなく(←さっさと書いとけよ、って自分でも思う…)、おまけにいつものことながら、まともな写真がありません。

グダグダになりそうだなー、この記事書くの、やめようかなーとつぶやくと、夫が

 

「そんなん、いつものことやん?」

 

と言うので、まあ、それもそうだよね。と納得して(←あかん)公開することにしました。

次回もこの調子でグダグダが続きますが、お付き合いいただけるとうれしいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編み物の理由。

先日、倉敷を訪れたとき、お土産屋さんの店頭で、娘がかわいいヘアゴムを見つけました。

こんなの。

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金平糖みたいなビーズがついたヘアゴム。

 

平素、「おしゃれ」には全く無縁の娘ですが、めずらしくこのヘアゴムを「ほしいなあ」と言い出しました。

どういう風の吹き回しやら。

なので、

 

「こんなヘアゴム、倉敷とは何の関係もないやん、どこででも売ってるでしょ。」

 

と言いたい気持ちをぐっとこらえ、めったにないことだもの、とひとつを買って帰りました。

 

そうしたら、そのヘアゴム、帰阪後いきなり「ぶち!」と切れました・・・。

せっかく娘がめずらしく、かわいいヘアゴムをつける気になったのに。

 

でもめげない。

がんばりました。

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淡い緑のレース糸でシュシュを作って、ビーズをそちらに移しかえました。

下の黒いミミズみたいなのが切れちゃったゴムね。

 

ほっとくと、娘はこればかりつけて学校に行くので、ついでに他のも。

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ひたすらフリルを寄せて編んでいくだけなので簡単なのですが、単調過ぎて、眠い作業です。

よく見ると、

 

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ちょっと脳みそみたいな、

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あるいは、「鯛の子のうま煮」みたいな・・・。

でも、二重にして髪につけると豪華で華やかなんですよ。ほんとほんと。

 

 

私がこういう単純な作業を延々とくり返し始めてしまうのは、

たいてい、なんらかの「不安」がある時と決まっていて・・・

今回はやはり、あまりにも急激に「きな臭く」なっている世界情勢が原因なのかもしれません。

 

シリアで小さな子どもたちが、サリンと思われる毒ガスの攻撃を受けているニュースは、あまりにも衝撃的でした。

アフガニスタンに投下された大規模爆風爆弾(MOAB)の映像にも気が塞ぎます。

もちろん最近の北朝鮮の動向にも。

 

人間なんて、ほんとに脆いものなのにな、と思います。

地震津波の後にもそう思いました。

あまりにもあっけなく、唐突に奪われてしまう命なのに。

余計なことをする必要なんてひとつもない。

放っておけば、どのみち誰もかれもみんな、例外なく死んでしまうものなのに。

 

私たちにあらかじめ与えられた腕は2本しかありません。

 

そのたった2本の腕を、誰かを苦しめるためよりは、誰かをいたわり、支え、助けるために使えたら、と願うのは、今の世の中では、あまりにもきれい事過ぎるのでしょう。

 

せめて、誰の邪魔にもならないよう、編み物でもして、腕をふさいでいたいと思う毎日です。

 


鈴木重子 Shigeko Suzuki - Fragile (Sting Cover Song)

 

 

 

 

 

 

夫に「うまい!」って叫んだ日。

古い話しになりますが。

 

娘が産まれたころのある日。

 

「最高級子ども服」のお店をテレビで見たのです。

某ホテルに店舗を構えるそのお店、お洋服の価格帯は、なんと1着、

6万から15万円!

 

バブル景気が吹っ飛んでからかなりの月日が経っていたので、私はびっくりして、

「まだまだ景気のいい人っているんだなあ。」の感慨を深くしました。

 

でも。

子ども服って、そんなに高いの?最低でも1着6万円って・・・。

 

娘はまだ0歳。

お洋服はお祝いのいただきものとか、おさがりばかりの、「タダ♡」状態、おかげで当時の私は子ども服の値段に疎くなってしまっていて、

「我が家では、お洋服のためにそんなお金は捻出できない・・・どうしよう。」

と、暗澹たる気持ちにもなりました。

 

その時、テレビのレポーターさんが聞いたのです。

「どうしてこのお店のお洋服はこんなに高いのですか?」

って。

お店の方の答えはこうでした。

 

「1点ものだからです。世界に、ただひとつのお洋服だからです。」

 

「ふーん。」

思いました。なるほどね。

高価なブランド物より、なおお高いのには、「他人とかぶらない」という理由が。

 

で、思ったのです。

 

「じゃあ、自分で作れば、それは世界にひとつだけの、1点ものになるんじゃない?」

 

って。

 

でも。

平素から女子力ゼロ、学生時代は体育の次に家庭科がキライだった私が、お洋服なんて作れるようになるものでしょうか?

 

そこで、洋裁学校を出ていて、私たち姉弟が小さい頃はいつもお洋服を縫ってくれていた母に相談しました。

 

「私もミシン、買ってみよーかなー。」

 

母「やめとき。手ぇ縫うだけやで。」(←きっぱり)

 

ぐぬぬ

さすが、長年私の母をしていただけあって、分析が冷静です。

 

だけど、どうしてもあきらめられず、ぐずぐず悩んでおりますと、ご近所のお友だちママさんが、

 

「ミシン、しばらく貸してあげるよ!向いてなかったら、買うのやめたらいいやん!」

 

と言ってくれて、だから、私の手作りは、友人から借り受けたミシンで始まったのでした。

その後、自分のミシンを購入、何着か縫っていくうちに、なんとなく、お洋服づくりの工程というか進め方のようなものがわかってきて、それからは、お裁縫も少しずつ楽しく感じられるようになりました。

 

だけど。

そのころ、つくづくと、そしてしみじみと感じることがありました。

それは、

「型紙通りに、指定通りに縫っているのに、なぜだか、雑誌のモデルの女の子のようにはかわいくならない。」

ってこと。

 

娘に出来上がったお洋服を着せて、矯めつ眇つ眺めて見ても、

「なーんか、違う。ちょっと違う。」

って気持ちが拭えないのです。

 

で、夫に聞いてみました。

 

「ねえねえ、どうしてこのモデルの女の子と、おんなじようにならないのかしら。似たようなお洋服を着せてるのにね。

 

なにが違うのかなー?」

 

って。

そしたら夫が言いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

「親。」

 

 

・・・。

 

 

えー。

 

いつもの私だったら、ここで、「きぃっ!」って怒るところだと思うんですが、

告白いたしますと、この時の私、夫に対して、

 

 

「うまいっ!」

 

って思ってしまいまして。

 

あまりにもおかしくて大爆笑、笑いのツボにドはまりしてしまい、怒ろうと思っても、うまくいきませんでした。

 

 

「なんだとぉ!?・・・あはははははははは

「けんか売ってんのー?!・・・ぬははははははは

「親のせいだって言うんなら、あなたにだって責任の半分はあるんですからねっ!・・・だははははははははは

 

って感じ。

 

ちっともコワくならなくて大失敗。

実はいまだに、あの時の夫の言葉がおかしくて、ひとりで吹き出してしまう時があります。そしてひとしきり笑った後で、失礼なっ!と思い至って、

 

むむっ。 

 

としています。(←遅い。)

 

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バンザイしたせいで、ウエストのリボンがはね上がってますが・・・。

当時、がんばって作ったワンピース。

スカートにせっせとギャザーを寄せたことを思い出します。

 

しかし!

苦手なお裁縫をあんなにがんばったのに!

肝心の娘が、

 

「一番好きなお洋服はパジャマ。楽だから。その次は体操服。楽だから。」

 

なんていう、身も蓋もない女子高生に育ってしまったのは、一体どういうことでしょうかっ?!

 

休日になると、中学時代のゼッケンがついたままの体操服でダラダラ~としている娘を見るたびに、

 

「なにかが違う、どこから間違えたんだろう」

 

って気になるのですが、夫に聞けば、また

 

「遺伝。」

 

なんてひとことで、ばっさり切り捨てられそうなので、

なにも聞くまい・・・。

と思っています。

 

 

ということで、久々の手作りは、妊娠中の友人のためのベビードレス。

のんびり編んでいたら、意外と時間がかかりました。

 

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帽子とセットなんです。かわいいの!

小さいんですよ・・・肩幅なんて5センチくらい!

母とふたりで「ちっちゃ!」「かわいい~♡」と大騒ぎしました。

 

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子どもが小さくてかわいいのは本当にわずかの間。

 

このベビードレスを着る予定の赤ちゃんもきっと、すぐに大きくなってしまうのでしょう。(そして体操服で家の中をゴロゴロするようになるのでしょう。は?それはうちだけだって?うむむー。)

でも、育児の思い出が、なるべくたくさんの笑顔と共にあるといいなあと思います。

 

秋の風が吹くころ、このベビードレスを送るつもりです。

包みをあける友人の顔に、笑顔が広がりますように。

 

 

 

えーっと、最近少々バタバタしておりまして…。

これから1週間ほど、時間が足りなくて、みなさまのブログにお邪魔をしても、コメントなどが普段通りにいかないこともあろうかと思います。

どうかご寛恕くださいますよう、伏してお願い申し上げます。

 

 

 

 

 

 

富士山を見て感じること。

私が「富士山」を最初に見たのは、中学生の時。

修学旅行でのことでした。

 

テレビや写真でしか見たことのない富士山を、同級生と一緒に見るのがとても楽しみだったことを覚えています。

 

当時の日本は今よりも子どもの数がずっと多く、しかも、中学校はどこも大荒れの時代でしたから、修学旅行なんてカオスの象徴、今のお子さんがするような事前学習なんてのも皆無、ただ「富士山辺りに集団で移動!」っていうだけの修学旅行でしたが、子どもですもの、なんでも楽しかった記憶があります。

 

でも。

初めて富士山を見たとき。

私が感じたのは、何とも言えない「失望感」でした。

 

富士山と言えば、あの有名な北斎の絵、

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こういうの。

これが私の「頭の中の富士山」になっていたのだと思われます。

鋭角じゃないですか、この富士山って。

 

でも、私が現地で見たのは、こんな富士山。

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(写真はネットからお借りしました。) 

全然鋭角じゃない・・・。

富士山って、なんとなく「愚鈍な感じ」なんだなあ、というのが第一印象でした。

 

でも、最初の失望感が去った後、どこに行っても、なにをしてても目に入る富士山を見るたびに、私の胸中に去来したのは、

 

「恥ずかしい!」

 

って感覚でした。

 

なんだろう、「恥ずかしい」って???

 

今でもとても不思議です。富士山を見て恥ずかしいと思うなんて。

でも、顔を上げたときに、ふと富士山が目に入ると、とっさに、

 

「ああ、恥ずかしいっ!」

 

って思わずにはいられなかったのです。自分でも意味が分かりません。

 

なので、後日、太宰治を読んでいて、こんな記述と出くわしたときは、ひとり欣喜雀躍したものでした。

 

「どうにも注文どほりの景色で、私は、恥ずかしくてならなかった。」太宰治著「富嶽百景」より)

 

富士山を見て、恥ずかしいと思う人がここにも!

私だけじゃなーい!

 

大喜びした私は、以来、出会う人、誰彼となくかたっぱしから、

 

「ねえねえ、富士山見たことある?富士山見ると恥ずかしくない?」

 

って聞いたものでした。

でも、この感覚、とってもレアみたいで、共感してくれる人は一人もいませんでした。

 

ところが、数年前、何気なくテレビを見ていたら、いたのです。

富士山を見て「恥ずかしい!」を連発する人が。

 

この人。

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そう、絵本作家の「長谷川義史」さん。

「おじいちゃんのごくらくごくらく」とか「いいからいいから」でおなじみ、今や大人気絵本作家の長谷川義史さん。

その長谷川義史さんが、富士山を見ながら「恥ずかしい!」って言ってるのをテレビで見たときは、

 

「わかる~!めっちゃわかる~!!!」

 

とひとりで大騒ぎしました。

 

だけど、テレビや写真の富士山を見ても、「恥ずかしい」って気持ちにはならないんですよね。

本当に不思議です。

 

ところが。

先日。

ある写真に目が釘付けになりました。

やっと出会ったのです。

あの「恥ずかしい」という感覚を呼び起こしてくれる富士山の写真に。

 

これ。

 

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ねえねえ、みなさま。

この写真を見て、「恥ずかしい!」って気持ちになりません?・・・ならない?

 

なった人、手を挙げて~!!

 

ど、どうしよう、ひとりもいなかったら・・・。びくびく。

誰も共感してくれなかったら寂しいので、みなさま、よ~くご覧になってくださいね!

 

ちなみに上の写真は、MAKOTOさんのブログからお借りしました。

MAKOTOさん、掲載を許可してくださってありがとうございました。

 

mfotos.hatenadiary.com

 

南米パラグアイに在住、いつも「すっごい」写真を見せてくださるMAKOTOさん。

残念ながら、富士山を見て「恥ずかしい」とは思わないとのことでしたが、MAKOTOさんの写真は、私に、初めて富士山を見たときの感情を呼び覚ましてくれました。

それって、MAKOTOさんの写真が、実物の富士山が持つ「何か」を、確かに、十二分に写し取っているということだと思うのです。

MAKOTOさんのブログを見ていると、写真の持つ「威力」というものを、しみじみと感じずにはいられません。

 

ところで。

 

「富士山を見ると恥ずかしい。」

 

これって、一体どういう心境なのか…。

 

もしも解説していただける方がいたら、めっちゃ喜びます!

 

 

と、ここでこのエントリーを終わったとしたら。

 

みなさまきっと思うと思うのです。

 

「マミーさん、いつもコメント欲しがるくせに、こんなわけのわからない記事出して・・・なんてコメントしたらいいかわかんないだろー、迷惑なんだよっ!」

 

って。

 

なので、久しぶりにマミー姫に登場してもらうことにしました。

 

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じゃん。

 

大きくなってるでしょー?

元気でしょ?(←かなりうれしい。)

 

最近、ちょっと鉢植えからはみ出しつつあるマミー姫。

植え替えてあげる時期なのでは・・・?と思いつつ、もしも余計なことをして、万一枯れてしまったらどうしよう、と悩む毎日。

 

サボテンの植え替えって、なにかコツがあるんでしょうか?

詳しい方、どうか教えてくださいね!

 

 

 

 

 

大阪からの小旅行に最適で最高の街

みなさま、こんばんは。

 

大阪から1泊の小旅行、今回で最終回です。

長々とお付き合いいただいてありがとうございました。

 

後楽園・岡山城、そして大原美術館と続いて、散策の続きは「倉敷美観地区」。

江戸の風情と異国情緒が入り混じった、とても美しい街でした。

 

ところが、ですね。

 

またまた写真がないのです・・・。

 

いや、ちゃんとね、前日の夜に古い写真を消去して、ストレージに空きを作っておいたんですよ?

でも、美観地区をお散歩中に、電話が入りまして…。

で、確認のメールやら電話やらをしていたので、スマホで写真を撮ることがほとんどできませんでした・・・。

今になって、美観地区の写真がほとんどないことに気づいて愕然。そして悄然としております。がっくり。

それでも、電話の隙をついて、ちょっとは写真を残そうとチャレンジしていたみたい。

 

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はたして私はなにを撮りたかったのだろうか・・・???

自分でも不明な感じ・・・。

あ!

意外と観光客が少ない!

これが京都だったら、まっすぐ歩けないほどの混みっぷりですから、これくらいの賑わいって、逆にポイント高いと思うんですよね。

 

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ちょっとした路地にも風情がありました。

その風情が感じられないとしたら、私の写真の腕が・・・以下略。

 

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この日、あちこちで、このタイプの鬼さんを見ました。

電話の合間を縫って、やっと撮れた奇跡の一枚。

 

外国人観光客にも鬼さんたちは大人気。一緒に写真を撮ろうとする人たちから引っ張りだこになっていました。

大阪でも観光客が多い地域では、和風コスプレを取り入れたらいいのになあ。

ゴミ収集車とかのスタッフが忍者のコスプレとか。

ウケると思うんだけどな…。

 

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この界隈は本当に美しくて、夕闇が迫るころにお散歩したら、きっとロマンティックだろうなあとうっとりしました。

デートなんかに最適なのではないかと思います。

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小さな舟で水路めぐり。

この日はとても暖かでしたから、櫂がたてる水の音も心地よかったことでしょう。

高校時代の修学旅行で柳川の水郷めぐりを経験したのですが、その日のことをちょっと思い出しました。(←12月だったので、めっちゃ寒かった!)

 

昼食もこの近くのお店でいただきました。

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この旅行で唯一、写真が撮れたお食事…。

すんごくおいしかったのですが、ホテルで食べた和朝食もおいしくていっぱい食べた結果、この時はまだお腹が減っていなくて半分くらいしか食べられなかった苦い思い出・・・今食べたい・・・とほほ。

残りは現在底なしの食欲を持つ娘がぺろりと平らげました。若いって素敵。

 

美観地区から少し外れると、広々とした空間があちこちに点在する岡山。

で、ちょっと考えたことがあるのです。

 

日本の首都、岡山に移転すればいいのに!って。(←唐突)

 

もともと、日本は東京一極集中が過ぎると思うんですよね…。

 

保育園の待機児童問題なんかも、みんなが東京に集中して住んでるから発生する問題で、だったら少しは人口を分散させる努力を政治家はするべきなんじゃないかしら。

人口1億を超す国で、その1割が東京圏に集中しているなんて、どう考えても異常です。

仮に東京圏内が日本で最も安全な地域ならともかく、残念ながら東京もまた、地震を始めとする自然災害から無縁ではいられない土地柄だし、雪にも弱い。

たとえば富士山。あれが噴いちゃったらどうなるんだろう…?

日本の大動脈、東海道は絶対不通になりますよね。

西からの物流が半減した東京の物資不足はどの程度の規模になるのでしょう?

 

将来的に、首都は移転が望ましいと思うのですが、この国で地震と無縁な土地を探すのは難しい・・・でも、津波から比較的安全な土地というのは存在すると思います。

岡山は瀬戸内海に面していますから、たとえ南海トラフが動いても、太平洋側に比べたら、その被害は小さいでしょう。

巨大な津波が襲うリスクは低いですし、なにより地震発生から津波の到達まで、時間に余裕があります。

 

東京が経済活動の中心地であり続けるにしても、政治中枢を他の土地を移すのは、今の時代、たいして問題ではないと思います。

だって、SNSもスカイプもありますものね。

直接会って、現金や商品券を授受するのが面倒になるだけでも、移転のメリットはあると思います。(←別に今話題の問題をディスってるわけではないのよ?!ほんとほんと。そもそも、首相が100万円を寄付したくなるような器でもないと思うんですよね、あの話題の人。知らんけど。←適当。)

 

どうしても首都の移転が難しいのであれば、せめて首都圏の大学は地方都市に分散させてほしいと強く思います。

ひとたび、東京を大災害が襲えば、有為の若い人材が多数失われます。

次世代を担う若者たちが、この国唯一の資源なのですから、それが一か所に集められているなんてリスクが高すぎます。

(厳しい受験戦争をやっと切り抜けたのだから、せめて大学の4年間くらいはきらびやかな東京で、遊びほうけたいって気持ちもすごーくわかりますけれどね…。でも倉敷なんてデートに最適だし!意外と若い人にも喜んでもらえるかも!?)

 

とにかく東京への一極集中は早急に改められるべきです。

もしも首都移転を公約に掲げる政治家が出てきたら、私は必ずそこに票を入れると思います。(注:まともな人だったらね・・・。)

 

瀬戸内の穏やかな気候に似て、岡山の人も文化も、どこかのんびりとやわらかく、人を魅了するものがありました。

政治家なんかこっちに押し付けるなよ・・・と言われてしまいそうですが、次世代の首都にぴったりの街であるような気がしました。

 

私の写真ではまったくその魅力が伝わりませんので、倉敷のご出身ryoさんのブログを再度ご紹介させてください(ryoさん、何度も勝手にごめんなさい)。

 


先日、ryoさんのこのエントリーを見て、「違う倉敷やん!」と思わず叫んでしまった私。

強調したいのは、ryoさんの写真の倉敷こそがほんとの倉敷だってこと。

 

そして私の頭の中の倉敷も、これくらい美しいのも本当なのです。(なぜか写真にするとおかしいだけで・・・。)

 

大阪からの小旅行に最適の街は、何度でも訪れたくなる魅力に満ちた、最高の街でした。

そして大阪からだけでなく、日本全国どこからでも、お出かけする価値のある街でもありました。

 

倉敷を薦めてくださった、高校時代の漢文の先生。

とても厳しい方でしたが、その先生から出された課題を、今ようやくやり遂げたような気持ちでいます。

 

 

 

 

 

 

大阪からの1泊小旅行 その2

岡山への小旅行。

 

後楽園、岡山城そして竹久夢二郷土博物館を後にして、普通のブログならここで、

「宿泊先のホテルの様子」とか、

「夕食のメニュー」なんかを紹介するんだと思うんです。

 

でも、それはできないの・・・。

なぜかと言うと、

 

スマホのストレージがいっぱいになったから」

 

写真撮れないじゃない!ストレージいっぱいだって!

と騒いでいると、

 

「だからPCに移しとけばよかったのに。」

 

と娘に言われ、

 

「どうやって?」

 

と旅先で聞く私・・・。相変わらず機械に弱いマミーです。とほほ。

仕方なく、夕食の後に、古い写真をスマホからせっせと消去するという、チマチマ単調な作業をする羽目になりました。

 

めんどくさかったです!(←どうでもいい報告)

 

ちなみにお食事、おいしかったです。写真はないけど。

ホテルに到着したのが少し遅かったせいでしょうか、大浴場も私たちで独占状態で、温泉も露天風呂もたっぷり楽しめました。写真はないけど。(←当たり前)

 

(でも岡山って、大阪以上に乾燥しているのですね・・・。

加湿器もお部屋に用意されていましたが、翌朝は喉がカラカラになって目が覚めました。

瀬戸内の気候は関西とはちょっと違う…夜は濡れタオルなどをお部屋に大量に!干しておくことを強くオススメします。)

 

 

で、岡山の2日目。

お出かけ先は、倉敷市大原美術館」。

先日のエントリーのコメント欄で、isakuさんに「次は大原美術館かなあ」と言われた時はびっくりしましたが、よくよく考えたら倉敷を訪ねて大原美術館を外す人はいないのかもしれませんね。

脱線しますが、isakuさんってほんとになんでもよくご存知ですよねえ…そしてどの街にも必ず思い出がある…神出鬼没にもほどがあります。

これってあれかな、「海の男には港、港に恋人がいる♡」ってやつでしょうか??

そこのところ、どうなんでしょう?isakuさーん?(←どさくさに紛れて野次馬根性を発揮)

 

ま、isakuさんにはそのうち、そのあたりをゆっくり記事にしていただくことにして、

大原美術館のお話しに戻ります。

 

天領だった江戸時代の風情を色濃く残した倉敷美観地区ですが、そこに唐突に現れるこの西洋風建築。

 

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でも不思議と街の景観としっくり馴染んでいて違和感がありません。

好きだなあ、この建物。

isakuさんが「中に入らず道端に腰かけてるのも好き」とおっしゃる気持ちがよくわかります。

 

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建物正面の窓枠の柵もこんなに凝ったデザイン。

錆の色にも味わいがあります。ryoさんのブログを思い出す感じ。ryoさんのような素敵な写真は撮れないけれども。

 

建物内部は撮影できないので、せめて正面の銅像だけでも。

 

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ロダン「洗礼者ヨハネ」・・・よかった、お盆の上の首じゃなくて・・・。

 

もうひとつロダン

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カレーの市民

中学生のころ、この銅像を美術の教科書で見ました。

以来、この英雄的なカレーの市民6人のことがずっと頭の中にありました。

市民を守るために、処刑覚悟で出頭した6人の市民。一体どんな気持ちで英国王エドワードの元へ引き出されていったのでしょう。

幸い、処刑は免れたようですが、彼らがその後どんな人生を送ったのか、興味は尽きません。

最近、移民や難民が殺到する街として有名になりましたが、私の中では「カレー」と言えば、真っ先にこの銅像のことが頭に浮かびます。

 

大原美術館には、エル・グレコの「受胎告知」など、有名な作品がたくさん収蔵されていて、どの作品も楽しめました。

東京でもない、一地方都市の美術館でこれほどの作品が集められているのは耳目に値すると思います。

また、モネ、クールベ、モジリアニ、ゴーギャンなど、日本人好みの作品があるのも人気の理由ではないかと思います。

 

けれども私が今回一番驚いたのは、

フレデリック・レオン「万有は死に帰す、されど神の愛は万有を蘇らしめん」

という作品。

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本館2階入口の頭上の壁に展示されているこの作品。(写真はネットからお借りしました。実物はもっと色が鮮やかな感じ。)

「すごい」としか言いようがない、圧巻の存在感です。

本館の横幅は、この作品に合わせて決定されたというくらいですから、大原美術館を代表する作品のひとつと言っても過言ではないと思います。

なにしろ25年もかけて描かれた本作品…25年ですよ!25年!

収集のためにフレデリック・レオンのアトリエ(ベルギー)を直接訪ねて行った児島虎次郎の熱意にほだされたのでしょうが、フレデリック・レオンはよくぞ手放したものだと思います。

私だったら絶対イヤだな…。同じヨーロッパにならともかく、極東の島国なんかに買われて行ったら、生涯二度と見られなくなっちゃうもの・・・。(児島虎次郎がこの作品を購入したのは大正12年。世界は今よりもっと広かったと思うのです。)

  

私にはキリスト教の素養がありませんから、作品のモチーフについてはなんとも言えませんが、神によって復活する人々の姿よりは、神の怒りによって業火に焼かれ、岩に打ち付けられる人々の累々たる死体、またその惨状を見ていられないと言わんばかりに、顔を手で覆われる神の姿が印象的でした。

 

大原美術館にお出での際は、ぜひぜひこの作品に注目してみてください。

・・・とわざわざ言わなくても、誰もがこの作品にくぎ付けになることでしょう。

すごい作品を見ました。

 

税金を投入して建てられたわけではなく、一個人が情熱と私財を投じてこれだけの美術館を建てたなんて。

今とはもちろん時代が違うのでしょうけれども、やっぱり当時でも大変なことであったに違いありません。

創始者大原孫三郎氏には、心からの敬意を感じます。

 

長くなりました。もう少し続きます。

退屈だと思いますが、次回もお付き合いいただけるとうれしいです。

 

 

おまけ。

 

大原美術館の窓柵の錆を見てryoさんを思い出していたら、そのryoさんが倉敷のご出身と知りました。びっくり。

 


 

◇港どころか、すべての街に恋人がいるんじゃないかとちょっと勘ぐってしまうisakuさんの倉敷の思い出はどんなのかなー。

 


 

大原美術館の収蔵品の多くを買い付けた画家・児島虎次郎が、ベルギーの美術学校で学んでいたと知って、思わず連想したのはもちろんセネシオさまのこと。

 


旅先でなにを見てもなにを聞いても、お気に入りのブロガーさんのことを思い出すのに、スマホのカメラの管理もできず、しかもちゃんとしたカメラも持たずに旅行に行く私・・・。

自分もブログを書いてるという自覚が希薄すぎて反省中です。