嫁もいろいろ、姑もいろいろ。
みなさま、こんばんは。
日本全国台風の季節、お天気が気になる毎日ですが、みなさまにおかれましては益々ご活躍のことと拝察しております。
今日はいつの時代もホットで古くならないお話し、嫁と姑のお話しなんかをしてみたいと思います。
姑。
もちろん私にも存在しています。一応結婚してますものね。
でも、新幹線で3時間の距離の夫の実家では、私たち夫婦の結婚前から、夫の妹一家が同居しておりますので、私は実に「気楽な嫁」をさせていただいております。
近所に住んでいるわけではないので、頻繁に会うわけではありませんが、
この姑がちょっとおかしい・・・
というか「かなり」おかしい。
普通ならツッコミまくり、こんなおかしい人はほっとけない!と思うところなのですが、そこは嫁と姑の関係、どうにも遠慮が先に立って、言いたいことも言えない状態になってしまい、ストレスがどんどん溜まっていくのです。
例えば、我が家の夫は忘れ物大魔神なわけですが、
義母もまた夫に負けないほどの忘れ物大魔神なのでして。
ですから、たまに我が家に義母が滞在したときなんかは、帰り際に聞くじゃないですか、
「忘れ物、ありませんか?」
って。
そしたら義母、
「マミーさん。忘れ物はね、気づいた時に初めて「忘れ物になる」のよ。
私は今、なんか忘れてたとしても気づいてないし。
だから、今の段階の私に忘れ物はない!」
・・・どんな理屈だーっ!?
と驚愕しつつ、夫の忘れ物癖を思い出し、
「原因はここかー!!!」
と叫びたいのをぐっとこらえ、
「これが赤の他人だったら、絶対ツッコミまくって大笑いするのに!」(←実は笑ってる場合ではない)と思いつつ、それができないことに一人悶絶する思いで義母を見送るのです。
で、夫には、私たちよりもずっと早くに結婚した妹がいるのですが、
その結婚式での姑のエピソードがすごい。
披露宴で始まったカラオケ。
普通は新郎新婦のお友だちが歌ったりするものだと思うのですが、カラオケ大好きな義母がそこで大人しくしているわけは、もちろんないのでありまして。
歌ったのですって。
新婦の母が。
一番に。
曲は島倉千代子、「人生いろいろ」。
人生、いろいろ~♪
う、うん、まあね・・・
男も~いろいろ~♪
え?そ、そう・・・かな・・・?
女だ~って、い~ろいろ、
咲きみだれ~るの~♪
・・・・・・。
ぜーったいあかんと思うよ?!
夫の親族側はほとんどが大阪人なので、こんな時でもやんやの喝采だったようですが(←あかん)、他府県民ばかりの新郎側の反応は実に「ビミョー」なもので、
夫「みんなぽっか~ん、としてはった。だってたとえ大阪であっても、そんなんありえへんやん?(←確かに前代未聞。)
なんとも表現のしようがない空気やった!」
まだ夫との交際も始まっていなかったので、私はもちろんこの披露宴には参加していないのですが、その場にいたら、確実に他人のフリをしたと思います。(そして無責任に笑っていたと思います。←大阪人のひとり)
「どうしてそんな曲をチョイスしたの?」
と聞く私に夫が言いました。
「十八番やったんちゃう?」
・・・あ、そう。
そんな曲に送り出された義妹はでも、その後かわいい娘にも恵まれて、幸せな人生を歩んで来たと思います。
その義妹夫婦のひとり娘が、このほど結婚すると報告がありました。
現代っ子らしく、結婚式は挙げないんだとか。
道を歩けば誰もがふり返るほどの美人に成長した姪っ子のウエディングドレス姿を見られないのは残念な気もしましたが、披露宴で姑が今度は何を歌うのか?!と想像すると、姪の選択も、
「ま、賢明な判断かもね。」
とこっそり思ったことは、私だけの秘密です。ほほほ。
女子高生に言いたい・・・
みなさま、こんばんは。
9月に入ってずいぶんと爽やかに過ごしやすくなりましたね。
とか言って、日中はまだ冷房を入れていますが、朝夕の風には秋の気配が濃厚に感じられるようになりました。
世間では夏休みも終わって子どもたちが学校に戻る季節。
娘が通う高校では夏休みはとっくの昔に終了していましたが、9月に入って2学期が本格始動、行事が多い学期ですから、落ち着かない毎日を送っています。
特に大変なのが「体育大会」。
娘が幼稚園児のころは、お弁当作りや席取りなんかでバタバタした記憶がありますが、高校に入るころには楽になっているだろうなと想像していました。
まさか、高校の体育大会がこんなに大変なものだとはね・・・。
なにが大変って、
「衣装」
ダンスの。
もちろん、進学する高校によって事情は違うのでしょうけれど、
まあ見てください、次の写真。
上記写真はネットからお借りしました。
でも娘の学校の体育大会で必要な衣装もだいたいこんな感じ。
こういう衣装を生徒たちは「自作」して、「全員で」ダンスを踊るんですって。
すごいですよね、最近の高校生って。
こんな衣装を自分でちゃちゃっと作れるなんて。
私が高校生のころにはぜーったい無理でした。
は?うちの娘ですか?
無理に決まってるじゃないですかー。
もちろん、毎年私が作ってるんですよー。(←キレ気味)
ほんとにみんな自分で作ってるのかしら、だとしたら、自分でドレスも縫えない娘はちょっと問題があるんじゃ・・・と常々考えていたのですが、今年はPTAもやってることですし、他のお母さんたちに会う機会に聞いてみることにしました。
体育大会の衣装、みなさんのお子さんは自分で縫ってるんですか?って。
そしたら、
お母さんA「んなわけないやん!毎年私が縫ってるよっ!」
お母さんB「布地を持って帰ったら、そのまま義母のところに行かせてるよー、お菓子持たせて、「お願いします」って言うねんで!って送り出してるわー。」
お母さんC「もちろん私がやってるよー。ミシンないから大変でさー、布用ボンド使ってる。無理なところは手で縫ってる(←驚愕)」
お母さんD「外注出した。縫うなんて無理。縫い賃は1万円くらいかなー。今年も外注に出す。」
ですよね、ですよねー、高校生で縫うなんて無理ですよね。
ほんとに「自作」してる子なんているのかなあ・・・?
お母さんたち「いるんちゃう?学年にひとりかふたりくらいは。」
ですよねー!
ということで、我が家の娘だけが特別無能というわけでもなく、結局みんなお母さんたちにおんぶに抱っこの行事であるということはわかりました。
娘の学校だけがこんなことやってるのかな、だとしたら、進学する学校を決める際の情報収集が甘かったなーと思えて、別の高校を卒業した大学生にも話を聞いてみました。
「あ~、ありましたね!やっぱりそういう衣装を着て踊ってましたよ!ちなみに姉貴の高校もそうでした。姉貴はめっちゃ横暴で、自分は母に作らせたくせに、僕には自分で作れって言うんですよー。無茶ぶりですよねー!」
・・・お母さんに作れって言うのも無茶ぶりなんやで・・・?
と言いたい気持ちは脇に置くとして、やっぱり他の高校でもおんなじようなもんなんだな、別の高校に進学していたとしても、衣装づくりはあったのかもしれない・・・と自分を慰め・・・ごまかし、今年も衣装づくりをしなくては、と覚悟をしています。
でもね、この衣装づくりがほんとに大変。
なにしろやることが高校生ですから、走り出すまでがグダグダ。
衣装のデザインが決まらない。
だから型紙がなかなか決まらない。(→型紙がないと縫えない。)
型紙の製図が間違いだらけ、作り方図もめっちゃ適当。
しかもね、それだけすったもんだして、体育大会の一週間前にやっとできた型紙の製図は、写メに撮って、一斉配信。
LINEで。
み、見えない・・・小さくて。(←ショック)
い、い、一応ね、し、新聞とかはまだ眼鏡なしで読めるんですよ!(←震え声)
文句たらたら、ぶつくさ言いながら縫う羽目になるのですが、娘によると、男子生徒はこのダンスに興味がないことが多いらしく、チアとかダンスとかの部活をしている女子高生が中心になって盛り上げていくんだとか。
去年よりももっとかわいくしたい、先輩たちよりももっとすごいことがしたい、という気持ちはすごーくよくわかります。
放課後や休み時間、ダンスの衣装をどんなのにしようかと考えるだけでも、きっと楽しいことでしょう。教室で盛り上がる女子高生の姿、目に浮かびます。
でも、やっぱりちょっと、ちょっとだけ、考えてしまうのです。
なんといっても、もう高校生。
お母さんたちに作ってもらったお仕着せの衣装を着て踊るなんて、そんなの、
幼稚園のお遊戯会で卒業しといてよっ!って。
(・・・うちの娘はお遊戯会でおさるさんとか栗とかやってたけど…。)
自分たちで作れもしないドレスを考えて、誰かに作ってもらうくらいなら、
もっと身の丈に合った衣装を考案するという手はないのかな。
一体感ならおそろいのTシャツで十分演出できるし、いっそ私服で踊ったら、フラッシュモブみたいでかっこいいかもよ?
私はたまたま自宅にミシンがあって、簡単なお洋服くらいなら縫えるからいいけれど、ミシンなんて使ったこともない、洋服を縫うなんてとても無理、というお母さんたちが困り果てているところをつい想像してしまいます。
あるいはお母さんもお祖母さまもいらっしゃらないご家庭とかね。
もちろん、どうしても無理な人には、お友だちやそのお母さまが手を貸しているのでしょう。でも、誰かを助けるよりも、助けられる方が精神的な負担になる場合があるということも、もう高校生なんだから、知っておいた方がいいように思います。
実は学校にも「こんな行事はちょっと」という苦情が寄せられているのだとか。
今のところ、学校側は「生徒の自主性に任せています」の一点張りでその苦情をさばいているとのことですが、学校をそこで踏みとどまらせている一点が、ある日突然崩れてしまうことだって予想されます。
例えば、
「徹夜で仕上げようと思ったけれど、衣装が間に合いませんでした。ひとりだけ違う衣装で踊らせるのもかわいそうだし、クラスの和を乱したくもないので、うちの子は体育大会を欠席させます。よよよー。」
なんて電話が体育大会の当日に入るとかね。
体育大会もれっきとしたカリキュラムのひとつですから、ダンスの衣装が、「誰かの出席を阻害するような要因」になってしまったら、学校側は一気に体育大会での衣装制作を禁止する方向に動くかもしれません。
「ここまではなんとかなった。」
「この程度まではなんとかなるかな?」
その見極めは大人でも難しいものですが、かわいい衣装を、と考える際に、学校行事の意義とか、自分以外の誰かの家庭の事情とかも、一緒に考えられるようになってほしいなって思います。
あと、やっぱりもうちょっと早めに型紙を配布してくれるといいな・・・
それからあんまり難しいデザインはやめてほしい・・・
あ!それと製図はなるべく大きく!わかりやすく!できたら出来上がり後の参考写真とかも一緒につけてくれるといいかも!
・・・はあ・・・・
早く体育大会が終わってくれないかな…とほほ。
高野山からの帰り道
みなさま、おはようございます。
先日は「塗香」によって娘の食欲が大爆発、のところまでお話しいたしました。
今日はその続き、大阪に帰るまでのお話しを。
大阪府内唯一の「村」、大阪で最も人口の少ない、南河内の村です。
その村にある「千早川マス釣り場」。
この日はそこでマスを釣ってランチにしました。
高野山ほどではありませんが、千早赤阪村も大阪市内に比べればぐっと涼しい感じがします。
おまけに千早川のすぐそばで、周囲は森林。
市内では絶対に味わえない「夏のさわやかさ」を堪能しつつマス釣りを楽しめます。
娘もマス釣りに挑戦。
そのへっぴり腰の写真をUPしたらおもしろいだろうなあと思ったのですが、
「ぜーったい、やめて!」
と断固拒否されちゃったので、代わりに娘が釣ったマスの写真を。
釣りあげたマスはその場で塩焼きか、から揚げにしてもらえます。
個人的にはから揚げがオススメ。
娘はどちらもぺろりとたいらげました。
若いってステキ。
ところでこの「千早赤阪村」、「太平記」の舞台として有名です。
太平記と言えばもちろんこの人。
そう、「楠木正成」!
か~っこいい~♡
大ファンなんですよー!
小学生のころ、少年少女文学全集に入ってた「太平記」を読んからの大ファンなので、かなり年季の入ったファンです。(←南北朝時代に詳しいとは言っていない。)
娘の小学校の図書室にも同じ本が置いてあるのを発見して、「絶対おもしろいから!」としつこくすすめた結果、娘もやっぱり楠木正成の大ファンに。
めずらしく親子ではまった1冊になりました。
好きが高じて、神戸・湊川神社の楠公祭・楠公武者行列に参加したこともあります。
こんなの。(写真はネットからお借りしました)
楽しかったですよ。暑かったけど。
湊川神社は「湊川の戦い」で殉節した楠木正成の終焉の地ですが、ここ千早赤阪村は楠木正成がもっとも活躍した地と言えるのではないでしょうか。
今はこーんな感じの田舎ですけど。
でも、やっぱりこの地に来ると、子どものころ、夢中になって太平記を読んでいたころの気持ちがよみがえってきます。
少数で果敢に戦う楠木勢、地形を活かし、すぐれた戦術で敵を打ち負かす高揚感、戦のことを何も知らないのに(←私も知らんけど)横槍ばかり入れてくる貴族たち。
正成が劣勢になるにつれて、ギリギリと歯ぎしりするような気持ちで読んでいたことを思い出します。
来年の大河ドラマはもう「西郷隆盛」に決まっているようですが、いつか「太平記」ももう一回やってくれないかなー。
ずいぶん昔になりますが、一度この時代の大河ドラマがありましたよね。
1991年。「太平記」
主人公が足利尊氏(真田広之)でしたから、どうしても北朝方の目線が多く、思っていたような太平記ではなかったような。
おもしろかったですけど。
このドラマで楠木正成を演じていたのがこの人。
そう、武田鉄矢さん。
・・・悪くないですよ。うん、絶対に悪くない。
熱演でした。
でも。
でもね。
やっぱり・・・
もっとイケメンがいいんだー!(←心の叫び)
すっきり。
敵となった足利尊氏もその清廉さに一目置いていた楠木正成は大河ドラマの主人公として、十分楽しめると思うのです。
っていうか、もう戦国時代と幕末ばかりの大河ドラマに食傷気味というのがほんとのところ。
そろそろ趣向を変えてほしいなって思います。
あ、でもこの前の大河ドラマはよかったですよね!
まさかあんな展開になるとはね・・・
見逃した方は今日のお昼に再放送がありますよ!
絶対にオススメですからぜひぜひ!
えーっと、なんの話しだったっけな・・・?
やっぱり私はお出かけ記事が苦手なようです。とほほ。
暑さに耐えかねたら、南に下ろう。(ただし大阪人に限る)
みなさま、こんばんは。
毎日毎日、暑いですね・・・。
今年の関東は雨続きで気温も上がらなかったと聞いていますが、
大阪は例年通り、連日連夜酷暑日に熱帯夜、「暦の上ではもう秋」なんて言われると、思わず「いらっ!」とするほどの猛暑が続いております。
関西在住のみなさまには心から残暑お見舞い申し上げます。
先日は大阪のあまりの暑さに、
「どっか涼しいところに行きたいっ!(近場で!)」
大阪から南に下ること約2時間から2時間半。
京都や神戸、奈良に比べると少々時間がかかりますが、十分日帰りできるコースです。
今や世界遺産にも登録されて、世界中から観光客が訪れている高野山ですが、
ある一定の年齢層の大阪人には、
「林間学校」
の定番地として刷り込まれている土地でもあります。
数多くある寺院の多くが宿坊を兼ねているため、そこで一泊するだけの行事ですが、
宿坊での一泊には、修行中の若いお坊さんたちによる「おばけ役」つきの「肝試し」が含まれていて、今でも忘れがたい思い出です。
当時の私は小学5年生。
宿坊の一番大きなお部屋で「怪談」を聞いて、きゃあきゃあ盛り上がった後で、坂道の下から山門まで歩くのですが、子どもたちはお坊さんたちが「おばけ」をやってるなんて聞かされていないわけです。
真っ暗な参道をびくびくしながら歩いていると、鬱蒼と茂った木々の木立ちから突然真っ白なシーツを被ったおばけが!
言葉にならない悲鳴を上げながら、反対方向に逃げ出したら、そこにはまた別のおばけが待ち受けているんですよね。
これがほんと、腰を抜かすほどのコワさなんですが、
だいたいね、そもそもお寺のお坊さんって、本職じゃないですか(←なんの?おばけの。)、なのに子ども相手にあんなに本気出さなくてもいいと思うんですよね、今でも。大人げないったら。
だけど、現代日本の仏教界に対する、「葬式仏教だ」、「拝金主義だ」なんて批判を聞いていると、
「小学生を死ぬほどビビらせるに一生の思い出を残す」
なんて、お坊さんたちの日常の中でもすごく夢にあふれた、ロマンティックでステキなお仕事だったんじゃないかしら、って思うのです。
どうしてなくなっちゃったのかしら。
林間学校での2日目は、「奥の院」の散策から始まりました。
ガイドさんに引率されて、明智光秀のお墓なんかを見た記憶があります。
「(光秀は)主家を裏切ったので、何度修理してもそのお墓にはひびが入るんですよ~」
なんて説明を受けた記憶も。
肝試しの余韻がまだ残っている私たちはそこでもわあわあ言ったものです。
で、今回もひびの入った光秀のお墓が見られるかなーと思ったのですが・・・
お墓、多すぎ・・・(←当たり前)
とても自力では見つけられそうにありませんでした。とほほ。
でもとにかく涼しいのです!
高野山のこの日の気温は26度くらい。大阪市内とは10度ほども差があります。
大阪でこの時期外を歩くのは、苦行以外のなにものでもありませんが、奥の院では散策に最適な気温に湿度。
お金持ちだったらこのあたりに別荘でも建てたいなー、と思うほどの快適さ。
もちろん、夏が涼しい分、冬の厳しさは大阪の比ではありませんが。
「電話」に「電報」
今もここから電報打つ人なんているのかなあ…。
ところで奥の院御廟橋の向こうは聖域で、写真撮影も厳禁です。
真言宗においては、弘法大師・空海は今でも生きていらっしゃるとのことですから、大師さまの静かな生活を乱してはいけないのだそう。
お食事もちゃんと運んでいるのですって。
伊勢神宮みたい。
「結局誰が食べてるのかなあ?」
なんてつい考えてしまうのは、私が罰当たりな人間だということでしょう。(←食いしん坊とも言う。)
ところで、その御廟前には「塗香」が置いてあって、参拝者はその塗香でお清めをします。
こんなの。(写真はネットからお借りしました)
ほんの一つまみを手に取って、両手のひらをすり合わせて使うのですが、
試してみた娘が、その匂いをかいで言ったのが、
「焼きそばの匂いがする!」
・・・や、焼きそば?
私も試してみましたら、確かにちょっと焼きそばの匂いが。
たぶん、塗香にはクローブ(丁子)の香りが含まれているんだと思うのですが、
焼きそばのソース
こんなやつね。
きっとこういう調味料の中にも、クローブが使われているのでしょう。
でも弘法大師御廟の前で、わざわざ大声で
「焼きそば!」
なんて言う必要あります?
「ああ、あのお母さん、マルちゃんの焼きそばとか使ってるんだな」
ってバレバレじゃないですかー。(←そこ?)
いや、おいしいですけどね、この焼きそば。ね。
塗香の威力は侮れなくて、なかなか匂いが消えないので、その後ずっと娘が手のひらをくんくん嗅いでは「焼きそばの匂い!」を連発するので、
「お腹がすいてるんだな・・・」
と察して次の目的地に移動することにしました。
・・・今ふと思ったのですが、
私ってつくづくお出かけ記事が下手くそですよねえ。
いや、他の記事だって下手に変わりはありませんけど、でも高野山奥の院に出かけて、焼きそばの話しになるってどういうことなんだろうか・・・?
高野山って、宗教・歴史・文化のどの一面から見てもほんとは第一級の場所なんですよ。興味のある方はご自分で調べてみてねー!(←不親切)
おまけ。
ブロ友のトーコさんがついに「円」を編むことをマスターされたので、円が編めたら次にきっと編みたくなるお花のサンプルを色々と編んでみました。
お花のブレード。このまま吊るして飾ってもいいし、お気に入りの香水をふってサシェ代わりにクローゼットに吊るしておいても。
ちょっとずつ違うお花なので飽きずに編めます。
ヒナギク。 黄色に白のお花はいつも元気をくれます。
小さな薔薇。実物はピンクに少し濃淡があります。
気に入ったので赤でも編んでみました。
ポピー。
ほっそりした茎の先に鮮やかなお花が揺れているのを見ると健気なお花だなあといつも思います。
あっという間に「円の編み方」をマスターしたトーコさんのブログはこちら。
ブログを通じて趣味のお話しができることを、しみじみ幸せだなあと思う今日この頃です。
終戦記念日に読みたい、戦争を考えるためのオススメ絵本。
みなさま、こんばんは。
今年も8月15日が巡ってきました。
私が子どものころは、8月になるとテレビや新聞で、先の大戦の話しが盛んに取り上げられたものでしたが、最近ではめっぽう少なくなってきましたね。
かくいう私も戦争についてなにを知っているわけでもありませんが、
それでも、忘れない努力や知ろうとする努力をし続けようという決意を新たにするのに、8月ほど最適な月はないのかもしれません。
ということで今日は、戦争を考えるためのオススメの絵本を1冊、ご紹介したいと思います。
もしも機会があれば、お子さまやご家族と一緒に手に取ってみてください。
「ななしのごんべさん」田島征彦:吉村敬子著 童心社
戦場に駆り出された父が「ななしのごんべさん」として死んでしまったと悲しむもも子。
でも、彼女もその家族も、空襲によって、誰にも探されず、身元もわからない「ななしのごんべさん」として亡くなってしまうのでした。
この絵本の題材は1945年7月9日から10日未明にかけて、大阪府堺市を襲った空襲です。一家が全滅してしまい、誰ともわからない死体となってしまった市井の人々。その悲劇について描かれた絵本ですが、私はこの絵本の主人公「もも子」の境遇が気になって仕方がありません。
不自由な身体でありながらも、もうすぐ小学校に入学するのを楽しみに過ごすもも子。
その彼女の元に、ある日「就学猶予」の通知が来ます。
「小学校には通わなくてよろしい」
その知らせはもも子と、もも子の母親双方を強く打ちのめします。
もも子は思います。
「(学校に行けないのは)私が戦争の役に立たへんからやろか。」
障がいがあるから、戦争の役に立たないから、だから学校には行けないのだろうかと落ち込むもも子。
もちろん私にも、行政側が「就学猶予」に至ったその「理屈」はわかります。
絶え間なく続く空襲により、学校内の安全も確保されない状態では、ひとりで逃げることもできない児童の受け入れは困難だろうということは容易に想像ができます。
けれども、「修学猶予」という言葉が、私をつくづくイヤな気持ちにさせるのです。
それは実のところ、
「受け入れるのは困難です」
「受け入れ態勢が整っていません」ということであり、
だから、次に続く言葉は本来なら、
「(受け入れられなくて)ごめんなさい」
であるはずなのです。
それを「修学猶予」とは一体どういうことでしょう。
学校に来させないようにしているくせに、それがまるで「温情」であるかのような言い草。
これを「おためごかし」と言わずして、何をそう呼べばいいのでしょう。
「私も学校に行きたいのに。」
もも子のそんなセリフは、前が見えなくなるほどの涙なしには読めません。
障がいがあるからと、本来受けられるはずの教育の機会を奪われたもも子。
けれども、そんなもも子から、戦争はさらに父を、そして彼女の命さえも容赦なく奪っていくのです。
タイトルからも明白なように、この絵本の主題は「空襲の恐ろしさ」「戦争によって奪われた命」についてです。
けれども、この絵本は戦時下に障がいを抱えて生きることがどういうことであったのか、
また、戦争によってどうしようもなく変質していく人の悲しみについても鋭い考察が加えられています。
そのせいか、物語としてこの絵本を見たとき、どうしても主題となるべきテーマが弱くなり、話しのまとまりに欠けるきらいがあります。
なので正直なところ、この絵本は、「ちいちゃんのかげおくり」「かわいそうなぞう」「おこりじぞう」のような、戦争をテーマにした名作絵本群の一翼を担うことはできそうにないかも、という気がしないでもありません。
しかしながら、仮にもも子が生きて目の前に存在していたとしたら、話しの筋立てや主題の軽重なんてことを念頭に置いて語るでしょうか?
「戦争中はね、あんなことがあってん、こんなこともあったわ、そういえばあんなことも言われたわ。」
と、話があっちに行ったりこっちに行ったりするに違いありません。
この絵本は、そんな戦争体験者の「生の声」や臨場感を強く感じさせてくれる1冊です。
また、「じごくのそうべえ」でおなじみ、田島征彦氏の絵の迫力が鬼気迫る1冊でもあります。
特にラストシーンは空襲のすさまじさ、母を呼びながら命を落とす子どもたちの悲哀が眼前に広がり、冷静ではいられなくなります。
戦争の愚かさ、
余裕がなくなった人々の残酷さ、
「勝つため」と言いつつ、弱いものを排除しようとするお役所根性のさもしさ、それをおためごかしな言葉でごまかすいやらしさ、
そんな中でも誰かを守ろう、寄り添おうとする人間の心の動き、その美しさ。
読んだ後、しばらく頭の中がしーんとするような絵本です。
たった70余年前に、こんなことが日本中で起こっていたことに悄然とします。
読んで楽しい絵本ではありません。
けれども一度は読んでおきたい絵本。オススメです。
ひとめぼれ
ある日のこと。
本屋さんでひとめぼれしたのです。
この本の表紙のバッグに。
でも、「いいなあ、すてき!」と思った本を片っ端から買い込んでいては、我が家の床は早晩傾き始めることになってしまうので、購入はあきらめて、図書館に予約を入れました。
そこから数か月。
やっと順番が巡ってきました。(←人気の本だったみたい)
正直、もう予約を入れてたことすら忘れてましたけど、
でも見直してみればやっぱり素敵。
空き時間にちょこちょことお裁縫をして、やっと完成しました。
なにが自慢って、余り布を使ったので、材料費がゼロ♡
小さめのバッグに見えますが、底部分が正方形、マチ部分も広めなので、収納力も意外と高め。
ね?
横から見ると、結構たくさんモノが入りそうです。
ファスナーの開口部はめずらしく縦に走ってます。作っていてちょっと混乱しました。
お裁縫や編み物に関する本って、購入するときにいつも悩みます。
だって作ってみたいのは、掲載作品のうちのひとつかふたつだけなんですもの。
ケチくさい、貧乏くさいと思いつつ、そういう時はやっぱり図書館が便利です。
作り終わったら返却すればいいので、本が増えずに済みますしね…。
ずっとばたばたしていたので、何かを手作りする余裕もありませんでしたが、
久しぶりにミシンを踏んでいたら、少し心が落ち着きました。
ついでにSさまのブログで素敵なブックマークを見かけたので、それも。
刺繍糸で編んだブックマーク。
白糸を切らしていたので、花びら部分はレース糸です。
使用したところ。
・・・ほんとを言うと、私は栞もブックマークも使いません。
キレイな栞なんかを見ると、ついつい買ってしまうのですが、まともに使いこなせず、いつも失くしてしまいます。
このお花のブックマークも、近いうちにどこかに行ってしまうんだろうなあと思います。ほほ。
まだまだ落ち着かない毎日が続いております。
なかなか更新もできませんし、思うように「はてな」に時間を割くこともできません。
いつもスターやコメントをいただくみなさま、新たに読者登録してくださったみなさま、ほんとうにありがとうございます。
今後とも、どうぞよろしくお願い申し上げます。
明日は早朝から出かける予定なので、今日はお返事できないかもしれません。
明日の帰宅後に、必ず。
今年もお盆休みが始まりましたね。
みなさまとって楽しい休暇になりますように。
「特別な配慮」という美しい言葉の裏側
昔むかしのお話しになりますが、私が子どもの頃のこと。
小学校高学年のある日のことでした。
授業中、同級生のS君が、前の席の女の子の髪を
ハサミでちょきん!
と切ってしまったことがありました。
突然のできごとに、髪を切られた女の子は茫然自失、担任の先生は沸騰したお湯のごとく怒り狂い、教室内は騒然としました。
今でも、その日の風景が鮮明に思い出されます。
先生に叱られているS君が、どうにも困ったような淡い笑顔をうっすらと顔にはりつけて立っている姿。
笑っていたのは、きっと叱られて泣き出しそうなのを気取られまいとする、精一杯の虚勢だったのだと思います。
ふてくされているようには見えませんでした。
むしろ、自分でもどうしてそんなことをしてしまったのかさっぱりわけがわからない、とでも言いたげな、困惑しきった表情でした。
学業のふるわない、落ち着きのない子でした。
想像ですが、きっと授業についていけず、退屈のあまり机の上でハサミをもて遊んでいたのでしょう。目に入ったものがたまたま前の席の女子児童の髪の毛だっただけで、切るものはなんでもよかったのではないかと思います。
今の時代なら、きっといろんな名前がつくのでしょう。
でも、当時はそんな名前は誰も知らなかったし、意識の端に登ることもありませんでした。
S君は、髪を切られた女の子の許しを得ましたが、まわりから同情されるほどの厳しい叱責を受けました。
けれども今になって思えば、先生が同級生の前でS君をギチギチに叱りつけたことは、彼を守る意味合いもあったのかもしれません。
先生があまりにも簡単に彼を許してしまっては、髪を切られた子に同情する女の子たちの非難は、その後もずっと彼について回ったことでしょう。
誰にも否定できない正義をふりかざして誰かを追い詰めるのは、「集団になった」幼い女の子たちの常套手段ですものね。だから、
「あれだけ叱られたんだしね・・・」
というクラス内の共通の認識は、そんな集団的非難の発生を予防し、結果としてS君のそれからの学校生活を穏当なものにしたのではないかと思います。
で、翻って、現在の学校の中を見てみますと。
S君のような児童がいっぱい。
気に入らないことがあると、教室内でも廊下でも大の字に寝そべって、絶対に動かない、くらいならかわいいもので。
教室から出て行ってしまう
学校からもいつの間にか消えてしまう
徒歩7分の登校中にいなくなる
授業にまったく、全然、さっぱりついていけない
授業を妨害する
同級生・先生に「かなりな」暴力をふるう
暴力をとがめられると、他の児童の持ち物を破壊する・窓から放り投げる
家庭科室から刃物を持ち出し、同級生を刺す(←幸い軽症だったもよう)
というようなことが、散発的に発生しております。
念のため申し上げておきますが、上記の例はひとりのお子さんのことではありません。過去、約10年の間に見聞きした例であって、全部違うお子さんです。ひとつの学校の同じ学年にこんな問題行動を起こすお子さんが、同時にかたまって存在するわけでもありません。
ただ、どの学校、どの学年にも「決定的に学業に向かないお子さん」は必ず複数いる印象は受けます。
こういった問題行動が、発達障害によるものなのか、それとも養育・家庭環境によるものなのか、それは誰にもわかりません。わかっていたとしても公表もカミングアウトもされません。
なので、そのようなお子さんたちは、たいていの場合、十把一絡げに「特別な配慮を必要とする児童」という名称でカテゴライズされて、学校生活の中で
「ちょっと”しんどい”」
と言われていたりするのを見聞きします。
「ああ、あのちょっとしんどい子ね」
とか
「あの子はちょっとしんどいからね」
なんて感じ。(注:”しんどい”という言葉を使うのは大阪だけかも)
指導をする教師にとって「しんどい」一面と、学校生活についていくのが生徒にとって「しんどい」一面と、その両方を包括する・表現する言葉として「しんどい」というのは、いいか悪いかを抜きにして、非常に的を射た、わかりやすい言葉だろうという感じはします。
仮に、誰が見ても明確な知的障害などがある場合なら、校内の特別支援学級などで勉強をすることになるのですが、知的な遅れが見当たらない場合、普通学級で一日を過ごすことになるので、担任の先生の負担は重いものとなります。
また、「特別な配慮」というものが何を指しているのかが曖昧であるために、
「きつく叱れない」
「そもそも忙しくてかまいきれない」
ことが常態化し、
「あの子はしょうがない」
「最悪、他に迷惑をかけるのでなければ、みんなと同じようにできなくても仕方がない」
という状態が続いた結果、連日遅刻の上、教室にも入らず授業も受けず、校内をただウロウロと歩き回っているのを見とがめられても、
「俺はええねん。」
と堂々と言ってのける児童が出現したりします。
読み聞かせのボランティアのあと、校内をうろつきまわっている児童に、
「授業始まってるよ?教室に行かなあかんやん」
と声をかけると、返ってくる返事は決まって、この
「俺はええねん」
です。
なにがいいんだろう?と不思議でしようがないのですが、この問題で学校側を責めたとしても、返ってくるのは「特別な配慮をしています」という言葉だけだろうと察しはつきます。
「特別な配慮」と聞けば、問題の多いお子さんに対して、格別な指導を行っているように感じるのですが、現状では、「特別な配慮」というのは、悪い意味での「特別扱い」に他ならず、それは指導するのが厄介な子どもたちを「ごまめ扱い」し「放置」しているに過ぎないといっても過言ではありません。(注:「ごまめ」とは、関西弁で「大目に見てもらえる子」の意。年下だったりハンディキャップがあったりして同じ遊びに交じるのが困難であっても特別に参加させてもらっている子のこと。)
ちなみにもちろん例外もあります。熱心な指導をしている学校もあります。滅多にないけど。
少子化で子どもの数も少なくなっているのだから、一クラスの児童数を大幅に少なくするとか、全学級に副担任を置くなどの工夫があればいいのになーとずっと思っていたら、先日、近隣の小学校から、こんな話が舞い込みました。
「学習支援のサポーターとして学校で勤務してもらえませんか?」って。
仕事があるので、お引き受けするのは難しいと思って詳しい話しは聞きませんでしたが、仕事の中身は要するに、前述のような「しんどい」お子さんのそばで一日を過ごし、勉強のお手伝いをしたり、事故などを未然に防ぐように見守る、ということのようでした。
そのお話しを聞いて、私の胸には、いろんなことが去来しました。
まずひとつ目。
「これは前進であり、進歩であることにまちがいはない。」
これまで、教室で発生するありとあらゆることは担任の先生ひとりで処理しなくてはならず、結果として学級崩壊などの問題が発生してきたことを思えば、大人の手や目が増えることは、大いに歓迎すべきこと。
学習障害や発達障害など、個人の努力ではどうしようもない問題があるとわかってきたのだから、そこに予算と人を配するようになったのは本当に喜ばしいことで、これでもっと落ち着いて学校生活を送れるようになる子どもたちも増えるだろうし、保護者の安心材料も増える、一方で先生方の負担は減る、まずは進歩だと思って歓迎したい。
でもふたつ目。
「あまりにも付け焼き刃すぎる。」
このサポーターになろうとする人の選考基準が甘すぎるのが気になる。
教員免許などの資格や免許は不要、採用面接も簡易なものって、それは要するに「誰でもいい」ってことなのでは。
そもそも時給が最低賃金とほぼ同額で、これでは優秀な人材を集めるなんてまず不可能。
要するに、「特別な配慮」を必要とする児童を、まじめに指導してもらおうというよりは、せめて「学校から出ていかないように」とか「怪我がないように」見張っててくれたらそれで十分、それ以上はなんにも期待していないと思われる。
「今のお仕事との両立はむずかしそうなので・・・」
とお断りをしながら、これだけ学校での問題が顕在化しているにもかかわらず、まだまだこの国では子どもの問題に税金と手間をかけることをしないんだなという思いと、それでも少しずつ動きだしているじゃないか、明日は、来年は、10年後は、きっともっと、ずっと、事態は好転しているはずだという思いとが交錯しました。
そもそも日本には「飛び級」制度がありません。
それは、10年にひとりの逸材が社会にもたらす恩恵を期待するより、ひとりひとりが最低限の貢献を社会に為すことを期待し、そのための教育システムを構築してきたということでもあります。
これまで、できのいい子、成績のいい子を放っておいても、極力「落ちこぼれ」を少なくすることに腐心する先生の方が多かったことからも、日本の教育の方向性がわかります。
であるならば、ここで、「特別な配慮を要する」とされる子どもたちを、指導が難しいからと言って実質放置しておくなんて、あっていいはずがありません。
直ちに効果が見込めるわけではありませんが、学校と教育にもっと予算を。そして人の手を。
次世代を担う子どもたちの教育の問題に「自己責任」という言葉ほど似合わないものはありません。