「奥さまは内弁慶」で夫が激おこぷんぷん丸(←古い。)
みなさま、こんばんは。
最近、当ブログでは「夫の悪口」三昧、
やれ忘れ物が多いだの、話しが長いだの、言いたい放題でしたので、
夫がちょっとふくれ気味。
「あなたのブログの中の俺ってさあ・・・。
ちょっとアレやん?
ウソってわけじゃないけどさー。」(←自覚はある様子。)
なので、ここはちょっと夫の機嫌をとるためにも、今日は私自身の恥もさらさねば!と思いつつ、この記事を書いています。
(たぶん、ここで、夫から盛大なツッコミが入ると思います。
夫「いやいや、待て、ちょっと待って。
なぜ夫婦そろって「恥かき大会」にする必要が???
そこは普通に夫を褒めるとかでいいやん?
こんな夫でも、ちょっとはいいところがあるんですよ~って言っといてくれたらいいことやん??」
って感じ?
マジで聞こえてくるようやわー。今そばにおらんけど。
でもそんなの、おもしろくないやん!?誰も聞きたくないやん?
しかも年季の入った夫婦が褒め合うなんてちょっと気持ち悪いやん?
ねー?
きっと夫は言うと思います。
夫「その、なんでもかんでも「おもしろいか、おもしろくないか」、だけで物事を図ろうとするのは大阪人だけやからなっ!
ついでに言うと、誰かを”失敗談”で笑わせたのを「やった!」とか「勝った!」とか思うのも大阪だけやからなっ!」
・・・・・・そうなん?
ちょっとみなさまにも聞いてみたい・・・このメンタリティー、大阪だけのものでしょうか???
まあ、今日は大阪人の特性についてお話ししたいわけではないのです。
ちょっとおかしい夫には、ちょっとおかしい妻がいたってお話。
先日のこと。
スーパーにお買い物に行ったのです。
で、お砂糖を買おうと思って、粉類の並ぶ棚のところに行きましたら、お店のスタッフさんが、お砂糖を並べてらしたのです。
よくよく考えると、あれって本当に大変なお仕事ですよね。一袋確実に1キロある砂糖を延々と中腰で並べていかなくてはなりません。
若いころから腰痛に悩んでいる私には、見ているだけで辛そうに感じられて、
それに作業の邪魔をするのも申し訳なくて、
「お砂糖ひとつください。」
と声をかけることができませんでした。
で、パン売り場とか乳製品 の売り場とかを回って、再度お砂糖の売り場に戻りましたら、まだ作業が終わっていなかったので、
「今日はお砂糖買われへんかってん。」(標準語訳:今日はお砂糖を買えなかった。)
と言いましたら、夫が驚愕して言いました。
夫「は?なんで?言えばいいやん!お店の人も買ってくれた方が売り上げも上がってええやろ???」
えー・・・そりゃもっと高いモノならともかくとして、お砂糖なんて200円くらいのものじゃないですか。
それで仕事の手をとめられたら、相手がお客さんでも内心「いらっ」とするんじゃないかしら。
と思ったので、娘にも聞いてみました。
そのシチュエーションで、お店の人に「お砂糖ください」って言える?
娘「言えない。後ろで作業が終わるまで待っとくかな。」
ねー、そうだよねー、言えないよねー、と私と娘で盛り上がっていたら、沸騰しました。夫が。
夫「なんでやねん!なんでうちの女どもは俺にだけ強気なん?!おかしいやろー!
だいたい、店員さんと余計なことまでしゃべるのが大阪のおばちゃんやろー!
大阪のおばちゃん失格やでっ!」
「大阪のおばちゃん」を失格になってしまった・・・。なってよかったけど!
夫「店員さんには遠慮するのに、あなた、俺には取らせるやん?こたつから出たくない時とか。
しかも「取って」とすら言わへんことあるやん?
なんか手を伸ばして「ううーん」って言ってることあるよね?
リモコン取ってほしい時とか!」
私「違うでっ!
あれは、いつの日か「念力」が使えるようになろうと思って日々研鑽を積んでるんやで!
いつか使えるようになったら、こたつに入ってても自分でチャンネル変えられるやん?!あなたにもみかんとか取ってあげられるようになるんよ?!」
↑
「念力」を使えるようにイメトレ中のマミーさんの様子。
「夫にリモコン取って~とアピール中」とも言う。
そして「いらすとや」さんにはなんでもある、を実感するの図。
もちろん夫はさらに沸騰。ぷんぷんです。
夫「念力も超能力もどうでもいいけど、スーパーで「ひとつください」くらいスルッと言えるように練習すれば?
ああ、もう、スーパーの店員さんみんなに俺のマスクを被ってもらえよ!
俺は店員さんのマスクが欲しいわっ!」
夫が沸騰中、私は爆笑、娘は知らんぷり。
夫の家庭内苦行はまだまだ続きます。
ああ、内弁慶な妻を持った夫ってかわいそう。でもちょっとうるさい。(←あかん)
さてさて。
今年もあと残りわずかになりましたね。
あまりにも時間の経つのが早くて、この1年は巨大な手によって折り畳まれたかのように錯覚してしまいそうです。
このところ、ますます雑事に追われて、一日が50時間くらいあればいいのに、と切実に願う毎日です。
なかなかみなさまのブログに伺う時間も確保できなくて不義理が続いておりますこと、どうかお許しくださいますよう。
年末に向けて、みなさまのますますのご活躍をお祈りしております。
夫の話が長い。
みなさま、こんばんは。
忙しさに取り紛れて、最近はブログネタに困る毎日が続いております。
だったら別に書かなくてもよさそうなものなんですが、
このままだとみなさまに忘れられてしまうかも~と心配になるのでありまして。
で、困った時の夫頼み、今日は我が家の夫のお話。
世間ではよく、
「妻の話しは長くてつまらない」
なんて言われているようですけれど、我が家の場合、ちょっと事情が違います。
夫の話しが長いのです。
いや、夫はどちらかと言えば無口で愛想がなく、自分から何かを話すことはあまりないというか、たぶん、「おしゃべり」が苦手なんだと思うのです。
なので、平素はたいてい、私がひとりでしゃべってます。
夫はほとんど聞いていないと思いますが、別に私も返事を期待しているわけではないので、さして痛痒を感じません。
問題は、私が何かを質問した時。
その返事が長い長い!
普段から、あまり「しゃべりなれていない」ためか、「会話」というものは本来「行ったり来たり」するものなんだという認識に欠けるきらいがあります。
なので、私の質問への夫の答えは、いつも
「授業」
「講義」
「国会答弁」
のような雰囲気。
その眠いことと言ったら!
たとえば。
まだ新婚のころ、うっかりと聞いてしまったことがありました。
「福岡の地名の由来って何?」
って。
そしたらまあ、その説明の長いこと、長いこと・・・。
5分経っても、10分経っても、ちっとも結論に至りません。
そもそも九州が出てこない。
まだ新婚でしたしね、私も我慢してたんですけど。
10分オーバーのあたりで、とうとう辛抱できなくなってしまい、
言いました。
「もうええわ・・・興味なくなったから。」(←ひどい)
夫は
「もうあなたには話さないっ!」
って怒ってましたけど、その怒り具合がおかしくて、大笑いしました。
あとね、娘が産まれてすぐのころ。
夜の間ずっとぐずり続けた娘の世話で、一睡もできずに起きだした私の前で、夫が朝刊のとある記事に感動して、その記事について説明を始めました。
それが長い!
めーっちゃ長い!
私も、今ならもしかしたら我慢できるかもしれないけれど、そのころは恒常的・慢性的な寝不足で、朝は特に機嫌が悪くて、もうほんとに「プチッ」って音を立ててキレました。
「もういいっ!あとで自分で読むっ!」
コワかったんでしょうねえ・・・夫はしょぼーんとして会社に出かけていきました。
ちょっと悪いことしたなあ、と反省しつつ、あとで新聞をチェックしてみますと、
夫が感動していた記事は3センチ四方くらいの、すごーく短い記事で(←見つけるのに苦労した)、
「この短い記事を、どうやってあんなに長くのばすことができたのか!?」
と、違う意味で衝撃を受けました。
夫に言わせると、
「知らないことがあるかもしれない。だから1から10まで説明してあげないと!」
という気持ちになるんだそうで、夫から見れば、私はずいぶんと「もの知らず」に見えるということなのでしょう。
で、そんな夫がある日、会社から帰宅して言いました。
「最近、朝礼の時に、あいさつと申し送りだけでは寂しいから、ちょっとした「小ばなし」をしている」
って。
それを聞いた私は飛び上がりました。文字通り。30センチくらい。
あのまとまりのない、オチもなんにもない、おもしろくもない話を、会社の人にも聞かせているというのか!?しかも朝から?!毎日?!
「なんでそんなことするん?!
やめときぃや!迷惑やから!
あいさつは短い方がいいんよ!
朝はみんな気が急いてるんやから!!!」
と息せき切って、必死で夫を説得しました。
すると、翌日。
「私の話しは長くてつまらないから、みなさんに迷惑かけてるのがわかんないの?!って奥さんに怒られたので、朝の小ばなしはもうやめときます~。」
と朝礼で言ったらしいです・・・。(素直というか、ダダ漏れというか・・・。)
そうしたら、
「君の話しで初めて笑ったわ~。」
と上司に言われたらしく、意外にも機嫌よく帰ってきました。(←いいのだろうか?それで…。)
ま、会社のみなさまにこれ以上、ご迷惑をかけることもないと思えば、
それは安心材料なんですけれども、ひとつだけ、どうしても納得しかねることがあるとしたら、
夫の、長いだけの退屈な話を聞かずに済むようにして差し上げたのに、
以来、
「あそこの奥さん、コワいらしいよ~」
とウワサになっているようで・・・
みなさまに貢献したはずなのに、その言われよう、
「解せぬ・・・」
とつい愚痴っぽくなり、なにもかも、
「あなたの話が長すぎるせいよっ!」
ますますコワい奥さんになっている気がします。(←もちろん気のせいではない。)
最近は「結婚しない」若い方が増えているそうですけれど、
我が身を振り返ると、
「最近の若い人って賢明よねえ。」
って思ってしまうあたり、私の悪妻っぷりもかなりなものです。
夫が哲学者になるのはいつかな~♪
ほほ。
うすーいお粥でお腹いっぱいにしろって言われても。
みなさま、こんばんは。
先日は「無人島ネタ」にお付き合いくださってありがとうございました。
コメント欄等にいただいたみなさまのお答えは、どれもほんとにおもしろくって!
たとえば。
「スマホ一択!」
なるほど、なるほど、無人島でもブログを更新、ブロガーの鑑!
「ノートとペン」
こちらもブログネタを確保する気満々ですね、やっぱりブロガーとして模範的!
「ナタ・ナイフ・包丁」
お料理?お料理ですよね!?一緒について行きたい!
「テント」
これは盲点!無人島でも快適居住空間は必須ですよね!
「花の種」
ああ、なんてロマンティックなんでしょう!
一生に一度でいいから、こんな素敵な答えを誰かに返してみたい!
「船・飛行機・ヘリコプター」
叫びました。
・・・頭ええーーー!!!
「私も!私もお船がよかったかも!運転できひんけどっ!」
と大騒ぎ、娘から
「船は「運転」ちゃうけどね、「漕ぐ」か「操縦」・「操船」とちゃう?」
冷たいツッコミを受けました。
むか。
それから、
「ドラえもん」
無人島でなくても欲しいです!
「彼女♡」
・・・勝手に幸せになってください。無人島から帰んなくていいよ・・・。
みなさまからのお返事は、どれもがそのお人柄を映していて、みなさまと一緒におしゃべりをしているような気分になりました。
ほんとにほんとに楽しくて、「はてな」をやっててよかったー!としみじみ感じるエントリーになりました。あらためて、ありがとうございました。
で、今回も、唐突ですが、
私が数年前からずっとモヤモヤしていることについて、みなさまのご意見をお伺いしたいと思うのです。
できましたら、お付き合いくださいませ。
「私が数年前からモヤモヤしていること。」
それは、「最近の小学校、ちょっと変じゃないですか?」ってこと。
学校や教育というものは、いつだって問題を抱えているものだし、完璧になることなんてないのかもしれませんけれど、でもやっぱり最近の小学校、ちょっと変だと思うんです。
何が変、って、
「決まったカリキュラム、ちゃんとこなせてないんじゃない?」
ってこと。
たとえばね。
娘が小学生だったころ。
授業が終わっても、なかなか下校してこないことがよくありました。
家でヤキモキしながら待っていた私に、娘は
「図工の絵が描き終わらなかったから、放課後居残りしてた。」
というのです。
娘が特別要領が悪いのかと思って聞いてみると、クラスのお友だちの大半が居残りしていたんだとか。
そういうことがしょっちゅうありますと、図工の課題に求められているレベルと、時間割に占める図工の時間の割合とが、釣り合っていないのではないだろうかと思わずにはいられませんでした。
娘を小学校に通わせている間に感じた違和感はそれだけではありません。
「絵を描く」だけでもなかなか図工の課題が終了しないのに、次々と上がっていくハードル。
やれ「竹ペンで絵を描く」とか「彫刻刀で版画をつくる」とか。
私が小学生のころも同じようなことはやっていましたが、その課題にかける時間は、よりタイトになっているような気がしました。
それからお習字。
お道具類はひとりワンセット必須。でも昔に比べて使う頻度は激減したような。
卒業までに何回使ったかな・・・本当に必要だったのか、いまだに謎です。
あと、「図書の時間」。
読み終わった本を借り換えるために本を持って登校したのに、一体何度、同じ本を持ち帰ってきたことか。
図書の時間はしょっちゅう体育や算数の時間に変わってしまい、高学年になってからは、図書室で本を読むなんてほとんどできていないようでした。
でも、そういうことも、仕方ないのかもなあという気はするのです。
だって、昔と比べて、今の小学生は本当にやることが多い!
英語の授業もプラスされました。
クラブ活動とか委員会活動とかも時間割に入るようになりました。
「昔ながらの伝統的な遊び」を継承するとかで、地域のお年寄りと遊ぶ時間も取り入れられました。
「敬老の日」の前には、地域の介護施設にお手紙を書かなくてはならないし、2分の1成人式もしなくてはいけません。
パソコンの授業ももちろんありますし、おまけにプログラミング教育ももうすぐ始まる予定です。
でも、昔からある学校行事やカリキュラムが削減されたとはあまり聞きません。
運動会や合唱コンクール、林間学校・修学旅行に観劇・映画鑑賞・・・今でもちゃんと行っています。
授業のコマ数はなかなか増やせないのに、やるべきことはどんどん追加されていく。
だから、図書の時間や図工・習字の時間が実質的に圧縮されても仕方ないということなのかなあ、と、娘の学校生活を見ていて時々考えたりしたものでした。
確かに英語教育も必要だと思います。
私も英語が話せたらいいなあと今でも思いますもの。
プログラミング教育だって、いいと思いますよ?
私みたいな機械音痴が社会にいっぱいあふれても、いい迷惑じゃないですか。ねえ。
でも。
「いいと思うものをかたっぱしから」詰め込んだせいで、
カリキュラム上では勉強するはずだった授業を、現場の判断ですっ飛ばすしかなくなって、
結果として、どの科目も中途半端な習熟度になり、「うすーくのばしたお粥」を子どもに与えるようなことになっている現状を、文部科学省の役人とかは把握しているのかなあ・・・?
もちろん、文科省の役人でもないし、国のエライ人でもない私が、ここでいくら疑義を呈しても、何が変わるというわけではありませんけれど。
でも、ちょっとみなさまに聞いてみたいのです。
仮に、これからの時代、英語教育もプログラミング教育も早期から充実させるべき、という昨今の潮流を是とするならば、みなさまなら、一体、どの科目・どのカリキュラムを削りますか?
私なら・・・
うーん、なんだろうな。
体育が超!苦手だったから、体育の時間はなくなってほしかったけれど、でも運動は心身の健康のために不可欠だろうし・・・。
やっぱり図書の時間かなあ。
図書室さえあれば、休み時間にでも本の借り換えはできますものね。
今だって、図書の時間なんて、カットされまくりみたいですから。
なくなったとしても、たいして差はないのかもしれません。
ただ、「読まない子」は確実に1冊の本も読まなくなってしまうでしょうね…。
家庭科もいらんかな…興味ゼロでしたわー。
だから今もダメダメ主婦なんですけどね!(←あかん)
数日前から、体調を崩しております。
みなさまのブログに伺うペースが、しばらく落ちるかもしれません。
どうかご容赦くださいませ。
無人島ネタって結構使えます。
みなさま、こんばんは。
大昔のある日のことなんですが。
何気なく読んでいた雑誌の記事が気になりました。
内容は、「お化粧品」について。
「無人島にひとつだけ持っていける化粧品があるとしたら、日本人は口紅を選ぶ。フランス人はマスカラを選ぶ。」
のですって。
・・・ほんとかな?って思いました。
無人島にたったひとつ持っていけるお化粧品があるとしたら。
口紅・・・かなあ・・・?
確かにマスカラを持っていく気にはならないけど。
私ならアイラインかな。アイブローとしても使えそうだし。(←どうでもいい。)
ま、私が持っていきたいお化粧品の情報についてはどうでもいいのですが、
その記事があまりにも印象的だったので、以来、
「無人島にひとつだけ持っていくとしたら」
のお題は、私の大のお気に入りになりました。
たとえば。
「無人島に1冊だけ持っていけるとしたら、その本は?」
とか、
「ライターとナイフ、無人島に持っていけるとしたらどっち?」
とかね。
特に夫とその話しをすると、意外と盛り上がります。
マンネリ化した夫婦の会話に落とす、ささやかな刺激物としていい感じなのです。
よく覚えているのは本の話し。
無人島に1冊だけ持っていける本、何がいい?
夫「うーん。「聖書」かな。」
せ、聖書?!
それは意外。なんで?
夫「今までの人生で一番縁のない世界だから。知らないことばっかりで、退屈しなさそう。しかも、冒頭の、「○○の子どもは××で~」のくだりで毎回寝そうだから、読むの時間かかりそうやん?長いこと楽しめるんちゃう?」
そ、その発想はなかった・・・。
私なら、やはり今一番好きな作家さんの、一番のお気に入りの本を選ぶと思うのですが、夫との考え方があまりにも違うことに、びっくりしました。
そしてその違いこそが「おもしろいなあ!」って感じたのです。
毎回、こんな風に意外な発見をもたらしてくれるので、親しい人との「無人島ネタ」は暇つぶしとしても、なかなか優秀ではないかと思います。
で、娘相手にもやってみたのです。
まだ娘が小学校低学年のころ。
無人島にひとつだけ持っていけるとしたら何を選ぶ?
娘「んーっとね。
鍋とかフライパンとか、生活用品をいーっぱい持ったママ。」
一瞬。
リビングがシーンとしました。
場の空気が凍り付くってやつです。
で、次の瞬間。
騒然としました。夫と私とで。
夫「待て待て、待て。まる子!(←仮名です。)
いっつもパパ好き、パパ大好き、パパが一番好き!って言ってるのに、いざとなったら選ぶのはママなん?結局ママなん?!どういうこと?」
私「待って待って、待って、まる子ちゃん!(←しつこいようですが仮名です。)
まるちゃんにとってのママって、フライパンとかお鍋とかの生活便利グッズとおんなじ扱いなん?!どういうこと?」
夫婦ふたりで息せき切ってわあわあ言っておりますと、娘は静かにお箸を置いて(←食事中だった)「ふっ。」と失笑しつつ言いました。
娘「まあまあまあ。落ち着いて。わかったから。
だったらねえ・・・。
フライパンとかお鍋とか、生活用品をいーっぱい持った、パパとママ。」
・・・。
再びの沈黙。
そして叫びました。夫とふたり同時に。
私&夫「ひとつだけって言うてるやろー!!」(注:問題はそこじゃない)
他力本願にもほどがある!自力でなんとかしようと思わないんだろうか!?
どこまでも親に甘えたらいいと思って!
と、その後、夫とふたりで、娘の行く末を激しく心配したものでした。
それから約10年。
久しぶりに娘にその話題をふってみました。
無人島にひとつだけ持っていけるものがあるとしたら、なんにする?
娘「なーんかその話題、胸にささるものがあるわー。なんやったっけ?思い出されへんけど。
ま、いいわ。
無人島?うーん、なにかなー。
そや!
生活用品をいーっぱい積んだキャンピングカー!」
・・・変わってない。
10年経っても、うちの娘はなーんにも変わってない!
人間、10年くらいではさほど成長しないものなんだろうか、そして娘にとっての私とは、しょせんキャンピングカー程度の存在だったんだろうかと複雑な心境になっておりますと、
夫「まあ、親抜きでひとりで行こうとしてる分、成長したってことちゃう?」
・・・夫よ、いつものことながら、前向きやね、無謀なまでに。
と、まあこんな具合に、家庭の中での「無人島ネタ」って案外使えます。
笑いをもたらしてくれるし、「へえええ、そんなこと考えてたんだ!」と話しが盛り上がること間違いなし。
ぜひ一度お試しあれ。
ちなみに、みなさまにも聞いてみたい。
「無人島にひとつだけ持っていけるものがあるとしたら、何を選びますか?」
キャンピングカー以外でお願いします。ほほ。
(今、後ろで娘が「いいやん!キャンピングカー!めっちゃ効率的やん!なにがおかしいんよっ!」って叫んでおります。自分も散々笑ってたくせに。)
キツネさんが好きです。でもオオカミさんはもっと好きです。
以前、仲良しのブロガーさんたちと1冊の絵本について語り合いました。
おぼえていらっしゃる方も多いでしょう。
マーガレット・ワイルドとロン・ブルックスの「キツネ」。
セネシオさまがご自身のブログ上で詳しく考察してくださったので、多くのブロガーさんたちがそこに集って、感想などを語り合いました。
楽しかったですねえ・・・。
尊敬するセネシオさまの、「キツネ」についての解説と登場人物への洞察、
そこに集うみなさまの思いがけない感想、「そんな読み方もあるんだ!」という驚き。
私みたいなボケボケな人間には、セネシオさまやみなさまの教養がただただ眩しいばかりでしたが、本来なら入り込めないような魅力的なサロンにこっそり紛れ込んだような心持ちがして、胸がドキドキしたものでした。
あれから、「キツネ」が登場する絵本を見かけるたびに、当時のことを思い出して、楽しかったなあ、と思う日々なのですが、考えてみれば絵本界では「キツネ」の活躍が目立ちますよね。主に悪役で。
やはり家畜を襲うことが多いからでしょうか…。
ただ生きているだけなのにね。それだけ人の生活に近いということでしょうか。
「ヒール」と言えば、キツネに並んでもう1種類、絵本の中で圧倒的な存在感を放つ動物がいます。
そう、「オオカミ」さん。
「キツネ」と「オオカミ」。
絵本界の悪役2大巨頭ですね。
でも、私、「オオカミ」が出てくる絵本って大好きなんですよー。
以前、読み聞かせボランティアの予算で絵本を買うことになって、その選書を引き受けたら、「オオカミ」が登場する絵本がいっぱいになってしまって、
「マミーさん・・・オオカミ好きなんやねえ。」
って言われてしまったくらい。
だって、すごくいい絵本が多いんですよ!「オオカミ」の本って。
なので、今日は「オオカミ」が登場する絵本についてちょっとご紹介。
1.「オオカミと石のスープ」(アナイス・ヴォージュラード著 徳間書店)
ヨーロッパに伝わる民話「石のスープ」を原案に、「石でスープを作ってあげる」と家に乗り込んできたオオカミが、逆にメンドリやそのお友だちの動物たちに「してやられてしまう」までのいきさつを淡々と描いた1冊。
本来「石のスープ」の民話は、誰かと協力し合うことの大切さや、智慧の尊さを説くお話しですが、この絵本では少しばかり趣を異にします。
甘い言葉で近づいて、あわよくばメンドリを食べてしまおうと思っていたのに、自分を招き入れてくれたメンドリとその仲間たちの「善意」に触れてしまったオオカミ。
おかげでどんどん予定が狂ってしまうオオカミの「視線」が、何とも言えないおかしみを誘います。
純粋であること。
無垢であること。
まっすぐな信頼を寄せられること。
そういったものが、最初は悪意の塊であった誰かの心を変えていく物語には、例えば
あまんきみこ作「きつねのおきゃくさま」(←名作ですね!)や
宮西達也作「キツネのおとうさんがニッコリわらっていいました」
などがありますが(そういえばこちらの2作の主人公はキツネだー!)、これらが感動的で道徳的な作品であるのに対し、「オオカミと石のスープ」では、そういった要素はあまり盛り込まれていません。
あてが外れて、早々と歓談の席を抜け出すオオカミ。
悪者になりきれなかったオオカミの背中には、うっかり同情を感じるほどの悲哀があふれていて、絶妙なおかしさが後から湧き上がってきます。
「オオカミは二度とこの村には帰ってこないでしょう」
の結びには、思わず「たはっ!」って笑ってしまいます。
これぞフランスのエスプリ!
シャルリ・エブドの風刺画を見て、
「なにがおもしろいのかさっぱりわからんね。」
と思った日本人(←私を含む)にも、
「エスプリ」というものの本来の意味を忘れたフランス人にも読んでほしい1冊です。
2.「オオカミがキケンってほんとうですか?」(せきゆうこ著 PHP研究所)
この絵本にはいろんな意味で衝撃を受けました。
読者はまずこの表紙の絵の「かわいらしさ」に騙されます。
こんなにかわいい絵ですもの。
たとえ「オオカミ」が出てくるにしても、ほんわか楽しい寓話なんだろうと想像してしまうじゃないですか。
でもその想像は思いっきり裏切られます。
主人公の「ぼく」はお母さんから、
「ウワサや人の言葉を鵜呑みにしてはいけない、ちゃんと自分で調べなさい」
と言われて「オオカミは本当に危険なのか」を自ら調べ始めるのですが、そこで「読みなれている読者」であればあるほど、先走って思い込んでしまいます。
「風評に惑わされず、自分の頭で考えることが大切」
ということが主題なんだろうなって。
でも。
さにあらず、さにあらず。
一番の主題は後半になって現れるのですが、その衝撃と言ったら!
「はっ?!」
ってなって、
「がーん・・・」
ときて、
「うーん・・・」
となります。
え?なんのことかわからないって?
でしょうね・・・でもこの絵本についてだけはネタバレできない!
どうか一度、書店ででも手に取ってみてください。
そして物語の最後で、主人公の「ぼく」が涙ながらに、
「こんど、ぼくもてつだうからね。」
と言ったその心情と決意に寄り添ってみてください。
びっくり仰天すること請け合い。
オススメです。
3.「えほんからとびだしたオオカミ」(ティエリー・ロブレヒト著 岩崎書店)
こちらは本当に楽しい1冊。
本棚から落ちた本のページからこぼれ落ちてしまったオオカミが、物語に戻ろうと悪戦苦闘する一夜のお話し。
手当たり次第に本の中に飛び込んでは、
「登場が早すぎる!」
とか
「君の世界じゃない!」
と邪険にされて、しかもこちらの世界ではふとっちょ猫に追いかけられて大ピンチ。
最後に紛れ込んだ絵本で「赤ずきんちゃん」に遭遇したオオカミ。
その必死の売り込みには思わず笑みを誘われます。
子どものころ、眠る前になるといつも考えることがありました。
私が完全に眠りにおちた後、おもちゃはおもちゃ箱から、絵本の登場人物は本棚から飛び出してきて、お部屋の中で楽しく遊んでいるのではないだろうかと。
考えれば考えるほど、その想像は現実味を帯びてきて、なんとかそんなシーンを見てみたいものだと、毎日「たぬき寝入り」をくりかえしたものでした。
この絵本を読んでいると、幼かったころのそんな思い出が、ページの間からオオカミの姿を借りて現れてくるような気がします。
ユーモアあふれるベルギー生まれのこの1冊を、敬愛するセネシオさまに。
おまけ1。
「石のスープ」を本来のテイストで読んでみたい方には、
「せかいいちおいしいスープ」とか、
「しあわせの石のスープ」なんかがオススメ。
おまけ2。
もちろん魅力的な「キツネ」は他にもいっぱい。
「こぎつねコンとこだぬきポン」
相手のことを知らないからこそ生まれる偏見と差別感情。
でも、子どもたちの「友だちになりたい」というまっすぐな思いが、大人たちの凝りかたまった悪感情を取り払っていきます。
「橋を架ける」ことの意義をあらためて感じさせてくれる1冊。
同じく無知による偏見と差別を乗り越えようとする、
マルタ・カラスコ著「むこう岸には」
なんかと一緒に読むと、味わいもひとしおです。(キツネは出てきません)
あと、「ごんぎつね」「手ぶくろを買いに」でおなじみ新美南吉のもうひとつの「きつね」もいいな。
子を思う母親の心情が痛いほど伝わってくる1冊。
日本人の理想の母親像がここにあります。
それから安房直子「きつねの窓」も捨てがたい。
ささやかな失敗によって、とんでもなく大切なものを失くしてしまう。
そんな経験を一度もしたことがない人なんているでしょうか。
大切なものを一瞬にして失ってしまった時のあの焦燥感、呆然とする気持ち。
慕わしいものをもう一度、と願う思い。
二度と戻ってこないものを、人を、いつまでもあきらめられずに記憶をまさぐる夜の切なさ。
そんな思いを抒情的に紡いだ絵本。教科書に掲載されたこともあるお話しですので、記憶に残っている人も多いのでは。
うっかり手を洗ってしまった主人公の気持ちが、いつまでも心に残る1冊です。
おまけ3。
もちろんオオカミさんだって負けていません。
宮西達也氏の描くオオカミはいつだってとっても魅力的。
この「おおかみペコペコ」のユーモラスなことと言ったら!
読み聞かせでこの本を読むと、子どもたちはいつも特上の反応をしてくれます。
「あらしのよるに」で一世を風靡したきむらゆういち氏の生み出す「オオカミ」シリーズも好きだなあ。
強がりでひとりよがりなところもあるのに、どこか憎めないオオカミ。
オオカミなんだけど、ちょっとかわいいって思ってしまう、得難い個性のオオカミに、ちょっぴり元気がもらえます。
それから、もちろん「3びきのかわいいオオカミ」。
「3びきのこぶた」のパロディ絵本ですが、これほどのクオリティを持つパロディは珍しい。
「3びきのこぶた」の主題が「怠けずに、手を抜かずに努力することが大事」であるならば、この「3びきのかわいいオオカミ」の方のそれは、
「人とつきあうとき、心に壁や垣根を作るな」
でしょうか。
同じようなお話しなのに、これほど鮮やかに主題の転換がなされている本に出会うと、あっ!と驚くと同時に、たまらなくうれしくなってしまいます。
今やとっても有名になってしまった絵本ですが、未読の方がいらしたらぜひ。
子どもにはちょっともったいない、装丁がとっても素敵な「オオカミ」も。
エミリー・グラヴェット著 「オオカミ」
この絵本はとにかく開けてみて楽しい絵本です。
見て、この奥付。
ポストカードの形になってるんですよ。
なんておしゃれ。
それにこんな貸し出しカードつき。
今では小学校図書館でも本はバーコード管理が当たり前。
本の後ろについている貸し出しカードなんて、もうすぐ絶滅してしまうのでしょう。
この本にはそんな絶滅危惧種のカードが最初から装填済み。
手に取ると思わずにっこりしてしまいます。
最後に。
内田麟太郎著「ともだちや」
絵本界の2大ヒール、キツネとオオカミが友だちになるお話しですから、嫌いになんてなれるはずもありません。
友だちになるのに、つまらない小細工なんかいらない、ただひたむきに、相手と一緒にいたいと願う素直な気持ちを持てばいいんだという単純なことを、いつも思い出させてくれる絵本です。
実は先日、読み聞かせをしに学校に出かけてみたら、新しいメンバーが見学にいらしていました。
お仲間が増えることを、みんなで一緒に喜びました。
時間がなくて、ゆっくりお話しできませんでしたが、「仲良くなりたい」光線をいっぱい出してきましたので、すぐに打ち解けられると思います。
この年になっても、新しいお友だちができるのはうれしいことですね。
ちなみに、その新しいメンバーが見学する前で読んだ絵本はこちら。
ジョン・クラッセン著「みつけてん」
ジョン・クラッセンの「どこいったん」「ちがうねん」に続く帽子シリーズの最終巻。
この絵本、めーっちゃ好き!!
は?
オオカミじゃなくてカメじゃないかって?
・・・いいでしょー、別に・・・
カメさんも好きなんですっ!
おしまい。
赤ちゃんを連れて歯医者さんに行こう
雨の日曜日になりました。
大阪でもやっと風が秋めいて、肌寒さを感じるようになりましたが、東北ではすでに紅葉が見られると聞いて、日本も広いなあとしみじみしているマミーです。こんばんは。
先日、友人のところに赤ちゃんが生まれて、私のPCには彼らの赤ちゃんの写真や動画が大量に送られてくるようになりました。
それらを見ると自然と、娘がちいさかった頃のことが思い出されます。
無我夢中で大変だった毎日。
でもその分、楽しく幸せな日々でした。
出産直後の友人にも、今赤ちゃんを育てているご家族にも、後から振り返った時に、
「ああ、幸せだったな」
と思えるような子育て期間を過ごしてほしいなあと心から思います。
ところで私の育児は、とても成功とは言い難く、自慢できることも語るべきことも持ち合わせてはいませんが、ふりかえってみて唯一「よかったなあ」と思えるのは、
「小さいうちから歯医者さんに連れて行ったこと」
です。
娘が5か月のころでした。
近所に娘よりも半年早く生まれた男の子がいて、そのお母さまと時々お話しすることがあったのですが、乳幼児検診でその男の子に虫歯が見つかったというのです。
「赤ちゃんに虫歯」って正直、想像しにくかったので驚きました。
でも、よくよく考えてみたら、授乳のたびに歯磨きなんてできないし(←完全母乳だったので、子どもは一日中おっぱいをくわえてる感じ、とてもいちいち歯磨きなんてしていられません)、夜中の授乳の時なんて、いつの間にやら母子そろって寝こけてるし、うちの子にも虫歯ができていてもおかしくない・・・と不安になって、歯医者さんに検査の予約を入れて、娘を連れていきました。
で、歯医者さんで。
私の膝の上に寝かせたまま、歯医者さんに口腔内をチェックしてもらったのですが・・・
泣きますよね。当然。
「うわあああああん!」(誰よ、あんた???)
「ぎょえええええん!」(触らんとってよ!!!)
「ぶええええええん!」(た~す~け~て~!!!)
まだ歯はちょっとしか生えてないので、チェックはすぐに終わりましたが、まあすごい泣き声で。
歯医者さんの壁にひびが入るかと思いました。
申し訳なさのあまり、
「(うるさくって)すみません、すみません。」
と繰り返す私に、歯医者さんは言いました。
「は?泣いてくれて助かりましたよ?」
それを聞いた私は、泣いてくれて助かるとはどういうことかしら、と不審に思いましたが、とにかく娘の泣きっぷりに動揺して、逃げるように退散しました。
で、後日。
歯医者をやっている友人に、
「”泣いた方が助かる”ってどういうこと?」
と聞きましたら、
友人「口を開けてくれるから。歯を食いしばられたら、開けてくれるように説得するだけで時間がかかって、他の患者さんを待たせることになる。だから思いっきり泣いてくれたら、内心ラッキー!と思う。」
のだそうで、ものすごく得心しました。
友人「赤ちゃんはまあ泣いてくれるからいい。たいした抵抗もできないし。
でも、もうちょい大きくなって、初受診でいきなり治療が始まると、歯医者=コワいもんだと思うから、次回からは大暴れ。力も強くなってるから、治療中の事故につながりかねないし、時間もすごくかかる。
中には子どもに「網」をかぶせる先生もいるけど、私はそれはしたくないし、笑気ガスもできたら使いたくない。仕方ないから、「お家で言い聞かせてください」と言って、いったん帰ってもらう。」
なるほど、なるほど。
友人「だから、泣くのが迷惑なんて考えずに、どんどんつれて行ったらいいよ!もっと迷惑な患者はいっぱいいるから!主に成人男性で!」
この友人のアドバイスのおかげで、それから子どもを歯医者さんに連れていく際の気持ちがとても楽になったのは言うまでもありません。
で、半年ごとに歯科検診の予約を入れて、子どもを歯医者に連れていくようになったのですが、泣いたのは2回目くらいまでで、その後はまったく泣かなくなりました。
歯医者さんとは口腔内をただ「見るだけ」で、痛いこともコワいこともないんだと学習したからでしょう。
2回目は歯医者さんの建物に入ろうとしただけで泣きましたのに、3回目からは全く泣かなくなった子どもを見て、
「赤ちゃんの記憶力ってすごい。」
とびっくりしました。(←その記憶力を現在、テストで発揮できないのはナゼなんだろう???)
もちろん、赤ちゃんが100人いたら、100通りの性格があるし、どの子もおんなじように泣かなくなるわけではありません。
でも、同じように早くから歯医者さんの検診を受けた赤ちゃんの多くが、歯医者さんに対する抵抗感を持たなくなることは、経験上強く感じています。
虫歯も早く見つけたら、さほどの治療を要しませんし、またほとんどの自治体で子どもの医療費は無料か、非常に安く抑えられているので、歯医者さんでの定期的な検診はいいことづくめです。
外出先で子どもに泣かれることほど、親にとって気欝なことはありません。
早めに受診の習慣をつけておいて、大泣きされる機会を減らせるのなら、それに越したことはないと思います。
歯医者さんに慣れて、診察台に先生が来ると、「あーん」と自ら大きく口を開けるようになった娘を見て、
「早くから連れてくるようにしてよかった!」
と強く思った記憶が非常に鮮明に残っています。
歯の生え始めた赤ちゃんをお持ちのご家族には、ぜひぜひ早めに歯科検診の習慣を持たれますよう、強くオススメいたします。
おまけ。
子どもって小さいうちはよく泣きますが、病院ではさらに泣きますよね。男の子は特に。
統計をとったわけではありませんが、病院ではやっぱり男の子の方が「泣き虫」の感じがします。
「注射」となるとなおさらね・・・。
女の子より激しく泣いている男の子をよく見かけますが、どうやっても泣き止まない男の子が、ぴたりと泣き止んだことがあります。
それは、
「幼稚園で同じクラスの女の子に会ったとき。」
予防接種を待つ待合室で、ものすごい泣きっぷりだった男の子が、
「あ、○○くんだー!」
と娘が言ったとたんに、泣き止みました。
こんなに小さいのに、「男の子」なんだなあ、とすっごく感心しました。
突発的な病気のときはどうしようもありませんが、各種予防接種の時は、同じクラスのお子さん同士、一緒にお出かけになると、やはり大泣きを防げるかもしれません。
でも。
ちょっとくらい泣いてもいいんですよ。本当は。
だれだって、泣いて大きくなったんですから。
それに、だれだって、永遠に若いまま、健康なままでいられるわけもありません。
元気な人だって、急に具合が悪くなって、新幹線の中で嘔吐したり、だれかに助けてもらうことになるのかもしれない。
いつか、認知症になって、まわりに手間や面倒をかけるようになるのかもしれない。
赤ちゃんの泣き声をうるさいと言う人もいるかもしれませんが、その一方で、泣いている赤ちゃんとそのママに「がんばって」と思う人、一緒にあやそうとしてくれる人、そんな人もきっといます。必ずいます。
私の育児中にも、そうしたやさしい人々が周囲にたくさんいました。心ない人よりもずっと多くのやさしい人が。
本当ですよ?
ほんとにほんと。
私の娘は、そんなやさしい人たちの、たくさんの思いやりからでき上っていると感じます。
これから赤ちゃんをお迎えする方には特に、そのことを忘れないでいてほしいなって思います。
迷惑をかけないように、と汲々としすぎて、育児を楽しめないなんてことにならないように、大丈夫、きっとだいじょうぶですよ、どうか心を軽くしていてくださいと言いたいのです。
かく言う私の育児もまだ道半ば・・・。(娘はもう高校生ですが、おバカさんでまだまだ甘えん坊です。)
一緒にがんばりましょうね。
理想の姑像について、つらつらと考える。
急に暑さがぶり返した3連休となりました。
連休と言いいましても我が家では普段と変わらない毎日でした。
今日は自転車の前カゴに積んでいた、買ってきたばかりの玉ねぎを落とし、
前から歩いてきたおばさまに
「ええっ?玉ねぎ?そんなん落ちるん?」
と驚かれ、直後に風に帽子を飛ばされて慌てて追いかけ、小学生男子に思いっきり笑われたマミーです。こんばんは。
先日は「我が家の義母がちょっとおかしいんです!」
というお話しをさせていただきましたが、
今日もそんな義母のお話しをまた少し。
義母は今でこそ大阪から新幹線で3時間の距離に住んでおりますが、生まれも育ちも大阪市内、義母の親戚もほとんどが大阪市内に居住しておりますので、時おり帰阪して我が家に滞在することがあります。
そんなある日のこと。
夫が出勤し、私と義母とで、その帰りを待っていたのですが、
私が朝食の後で、夫のカッターシャツにアイロンをかけておりましたら・・・
義母「ああ、私もお父さん(←夫の父のことね)のシャツに毎日アイロンかけてたなあ。」
と懐かしそうに言うのです。
で、手で胸元を示しながら、
義母「ここだけ。ここだけあてるんよ、アイロン。」
と。
最初は義母が何を言ってるんだろう?とさっぱりわからなかったのですが、よくよく聞いてみましたら、義母は襟と前身頃の部分にだけアイロンをかけていたのだそうで、
義母「だって、他の部分は背広を着たら見えなくなるやん?」
だそうでして、要するに、義母のアイロンがけとは、
上のイラストの「白い部分」だけが対象だったということですね。(画像はいらすとやさんからお借りしました。)
私はこの時ほど、義母の顔をまじまじと見たことはありません。
その時の私の気持ち。
それをひとことで言いますと・・・
「誰に向かって言うてんの?」
に尽きます。(注:「極道の妻たち」風の味付けは不要です。)
だってね、だってね!
人間、誰だって、人と話をするときは、自分と相手との「関係性」や「立場の違い」を考えながら話すものではないですか?
この時、義母はいかにも「主婦どうし♡」なノリで、
「どれだけ自分の夫に対してぞんざいにふるまえるか、手を抜けるか」
なーんてつもりで話していたのかもしれませんけれど、
でも私、
「嫁ですよ!あなたの息子の!覚えてる?!」
と心の中で叫びました。
仮に私が、
「あー!それいいアイデア~!電気代も安くすみますしね~!私もこれからそうしようっと!」
って言ったとしたら、あなたの息子は明日から、袖も後ろ身頃もよれよれのくちゃくちゃなシャツを着ていく羽目になるねんで!?
と思って、しばらく馬鹿みたいにぼーっと義母の顔を見ていました。
で、その後。
手元のアイロンと夫のシャツを見下ろして、私、
「どうしよう。」
と思いました。
この場合、義母の言うことを聞いてその指南通りに襟と前身頃だけにアイロンをかけるべきなのか、それとも、やはり全体的にアイロンをかけた方がいいのか、しばらく悩んでしまいまして。
義母にとって、夫はかわいい息子のはず。その息子のシャツのアイロンがけを中途半端にしては、義母は絶対おもしろくないでしょう、けれども、義母の指南をまるっきり無視するのも、あんまり可愛げがない気がする・・・。
この場合の最適解はなに?
どうする、私、どうするの~?!
ぐるぐるぐるー・・・
ぐったり。
そもそもですよ?
姑というものは、たとえ自分がどんなに手抜き主婦であったとしても、自分の夫をどれだけいいかげんに扱った経験があったとしても、それを自分の息子に対してやられたら、腹ただしいものなんじゃないですか?
自分の夫にゴミ出しを頼んでいても、夜ごはんのおかずを手抜きしたとしても、それを息子の嫁にだけは気取られたくないものなんじゃないですか?
たとえ、自分はカッターシャツの前身頃にしかアイロンをあてなかったにしても、嫁に対しては「完璧にアイロンがけしてました!」って言うものなんじゃないんですか??
私もそういう「嫁姑間のお約束」的常識を汲んで、
「ああ言われたらこう言おう」
「こういうシチュエーションになったらこうしよう」
と想定しつつ、気を使って話しをしているというのに、
いきなりその想定から斜め上の、別次元に飛んでいくような会話が始まったら、
こちらとしては、
「は?」
という反応しかできないわけです。
で、「え?ええ・・・?ま、まあ・・・ええと、ごにょごにょ」としか返せないんですよ!
ゴルフ仲間だと思ってた人からゴルフ場に誘われてゴルフ場に行ったら、野球の試合をするよー!って言われるみたいなもんですよ?!(←たとえが下手)
でもね。
つらつらと考えたのです。
どれほど出来のいい嫁であったとしても、夫(義母にとっては息子)への「愛情」の多寡や深さを姑と競えば、必ず敗北するに決まっています。
母親の愛情に敵うものなど、滅多にないのですから。
おまけに主婦としての経験値も低く、家事能力もすぐに身につくはずもありません。
義母の、時にびっくりするような言動は、私をいつも挙動不審にしてしまいますが、
それでも、自分を飾らずに、どんな時も大らかで「ちょっとおかしい人」でいてくれるおかげで、私は必要以上に委縮せずにすんでいます。
また、完璧な主婦というものからは、少し遠い存在でいてくれるからこそ、私も少し肩の力が抜ける面もあります。
あの日から、夫のアイロンがけをしようと思って、アイロン台を出しますと、
私は必ず義母との会話を思い出して、
「ふふっ」
と笑うようになりました。
で、心の中で義母に
「大丈夫、あなたの息子はちゃんとアイロンのかかったシャツを着ていますよ。」
と話しかけます。
夫のための世話が、義母に敵うはずがないにしても、
どこかひとつくらいは「勝てる要素」を残しておいてくれる、そんな義母が、もしかしたら理想の姑なのではないだろうかと思ったりするのです。
ということで、完璧な家事能力がいつだって最善というわけではない!と宣言し、私もちょこっと手抜き家事を続けていこうと思います!
ええ、もちろん、「物は言いよう、手抜きも言いよう」ってことですね。ほほほ。