いまさら アンパンマン 考

 

先日、ぷちこんぶさんのところへ、

 

ブタさんとハリネズミくんが嫁いでいきました。

 

視界に入るたび、

 

「ブタさんです。」

 

と存在感を放っていた彼ら。

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ブタさん's「やあ。友よ。」

 

 

 

 

 

手放したとき思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私の体重も持って行って。」

 

相変わらず無駄なことばかり考えているマミーです。こんばんは。

 

 

 

 

ぷちこんぶさんのブログを拝見していると

 

アンパンマン好きなお嬢さまがいらっしゃるとのことでしたので、

 

アンパンマンも追加しておきました。

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こたつ猫’s「これ、食べていい?」

 

・・・・・・・・・うち、ジャムおじさんがいないから、だめ。

 

 

 

どうか、ぷちこんぶさんのお嬢さまが

 

このアンパンマンを気に入ってくださいますように。

 

 

 

 

ところで、

 

私とアンパンマンとの出会いがいつだったか、

 

実はあまりはっきりしません。

 

まだアニメーションのアンパンマンはありませんでしたので

(年寄りでごめんね)

 

絵本か、紙芝居で見たような気がします。

 

記憶の中のアンパンマン

 

 

 

「さあ、お食べなさい」

 

と 自分を 食べさせる自己犠牲の人でした。

 

子ども心に

 

「なんて悲しい物語なんだろう。」

 

と思ったことを覚えています。

 

 

大人になって、アニメーションのアンパンマンを見て、

 

その世界観があまりにも変わっていることに

 

衝撃を受けましたが、

 

そのうち、

 

アンパンマンの底辺にある思想は、

 

実は、全く変わっていないのではないかと

 

思うようになりました。

 

 

たとえばそれが、

 

インスタントラーメンでもあっても、

 

チューインガムでもあっても、

 

どんなに手抜きなジャンクフードであったとしても、

 

「食べられるものはみんなすばらしい」。

 

 

そして、

 

自分が飢えて死にそうなときに、

 

もし、

 

このひときれのパンを差し出せば、

 

自分が死んでしまうかもしれないときに、

 

 

 

それでもなお、

 

 

 

誰かに食べ物を差し出すことのできる人こそが、

 

ヒーローの中のヒーロー。

 

 

 

語り尽くされたことではありますが、

 

要するに、

 

作者やなせたかし氏の

 

戦中戦後の飢餓と空腹の体験こそが

 

アンパンマンの産みの親といえるのだと思います。

 

 

 

たしか「方丈記」の中の飢饉の記述の中に、

 

「親と子なら親が先に、

 

夫婦なら愛情の勝っているものが先に死ぬ。

 

わずかに手に入った食べ物を相手に食べさせるから。」

 

というような事があったと思うのですが、

 

アンパンマンを見ていると

 

いつもそのフレーズが頭に浮かんで、

 

どことなく悲しい気分になるのです。 

 

 

 

 

 

そして、

 

物語の終わり。

 

みんなで楽しい食事のシーン。

 

しょくぱんまんカレーパンマンジャムおじさん

 

みんなおいしそうになにかを食べているのに

 

 

自分は絶対食べないアンパンマン

 

 

いつも、ラストシーンでは、

 

とてもとても

 

切ない気持ちになってきて、

 

アンパンマンになにか、

 

なんでもいいから、なにかを

 

食べさせてあげたくなるのです。

 

 

 

もし、アニメーションのアンパンマンしか知らない人がいたら、

 

ぜひぜひ

 

ごくごく初期の、

 

絵本のアンパンマンを読んでほしいと思います。

 

特にその「あとがき」を。

 

アンパンマンの主題は、その「あとがき」に凝縮されています。

 

 

 

 

今日一日、飢えることがなかった。

 

ごはんをちゃんと食べられた。

 

ほんとはとっても幸せなことなんですね。

 

 

「食べられることに感謝して生きよう。

 

食べ物のすききらいなんて、ほんとはとっても贅沢なんですよ。」

 

やなせたかし氏の思いは

 

変わらずずっと、そこに結実している気がします。

 

 

 

 

って、

 

 

 

 

聞いているかな?私の母よ。