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「エリカ 奇跡のいのち」

 

今日はある絵本の紹介を。

 

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「エリカ 奇跡のいのち」

ルース・バンダー・ジー:文

ロベルト・インノチェンティ:絵

柳田邦男:訳

講談社

 

―お母さまは、じぶんは「死」にむかいながら、わたしを「生」にむかってなげたのです。
第2次世界大戦中のドイツで奇跡的に生きのびた、ひとりの女性の物語―

 

第二次世界大戦中、

 

ユダヤ人強制収容所に向かう列車の中から

 

投げ出されたひとりの赤ちゃんの、奇跡の生の物語。

 

 

もちろん、この絵本は、

 

ナチスによるユダヤ人迫害の歴史とその悲劇を描いたものです。

 

 

 

ですが、この本を読んで、私の心に響いたのは、

 

ナチスのことでもユダヤ人の歴史でもなく、

 

 

「人間には、こんなにも物語が必要なのだ」

 

 

ということでした。

 

 

 

「エリカ」が語る彼女の物語についた挿絵は、

 

すべて、モノクロで表現されています。

 

唯一、カラーになっているのは

 

本の冒頭と終末を除けば、

 

列車から放り出された赤ちゃんの姿のみです。

 

 

これは、

 

このワンシーンだけが、

 

「事実確かにあったこと」として

 

確認可能なことを暗示しているのでしょう。

 

 

エリカは自分の両親が、彼女を「生かす」ために

 

彼女を列車から放り出したと語っていますが、

 

当の列車に乗っていた人々のほとんどが生還できなかったことを考えると、

 

その瞬間の出来事については、

 

もはや、検証のしようがありません。

 

 

強制収容所行きの列車の中では、

 

立ったまま絶命した人も珍しくなかったのですし、

 

そもそも、彼女を抱いて列車に乗ったのが、

 

彼女の両親であったのかどうかも、

 

今となっては確認する術がありません。

 

 

 

成長すると共に、

 

エリカは知りたいと思ったことでしょう。

 

 

 

その時、なにがあったのか。

 

 どうして、自分は列車から放り出されたのか。

 

 

 

そして何度も想像してみたに違いありません。

 

様々なシチュエーションを。

 

 

・・・彼女の両親は、収容所行きの列車に乗る前、

 

すでにゲットーの中で故人となっていて、

 

 彼女を連れて列車に乗ったのは、

 

両親ではなく、親戚や近所の人だったのかもしれない。

 

自分の子ではなかったから、

 

列車から放り出せたのかもしれない。

 

いや、

 

・・・彼女の両親はやはり、彼女と一緒にいて、

 

収容所への過酷な旅の途中で絶命し、

 

泣く赤ん坊を周囲の人が持て余して

 

列車から投げ出したのかもしれない。

 

 

 

そして、彼女にとって、

 

最も過酷で、残酷な「物語」は、

 

 

・・・絶望した両親が、もはや、自分の赤ちゃんにすら構いきれなくなって、

 

赤ちゃんを自ら「捨てた」

 

 

というものでしょう。

 

 

 

私は、エリカが、

 

この最も悲しく、辛く、残酷な物語を

 

考えてもみなかった、とは思いません。

 

 

眠れない夜、

 

ひとりで過ごす夕暮れのひととき、

 

家族との団欒の最中でさえ、

 

その想像と推察は、

 

何度も繰り返し、彼女を打ちのめしたろうと思うのです。

 

 

 

けれども、

 

彼女はその、無数にある悲惨な物語から、

 

最も美しく、最も清らかなひとつを

 

選びとり、信じることに成功したのです。

 

 

 

「お母さまはわたしをあたたかい毛布でくるみながら、わたしの名まえをささやいてくださったことでしょう。そして、わたしの顔じゅうになんどもなんどもキスをして、「愛してるわ」といってくださった思うの。きっと、涙をながして、神さまにおいのりをしたにちがいないわ」(本文より)

 

 

 

くり返しになりますが、

 

その時、その場で何があったのか、

 

もはや、誰にも、

 

その事実を知ることはできないことでしょう。

 

たぶん、永遠に。

 

 

とすれば、この物語は、

 

エリカが、自らの「知りようのない」人生の出発点について、

 

「こうあれかし」と祈ってできた架空の物語ということになります。

 

 

「事実」ではないかもしれないけれど、

 

彼女が生き続けるために、どうしても必要だった「真実」の物語。

 

彼女の人生を、支えることができた、ただひとつの物語。

 

 

 

「物語の力」を実感できる感動の一冊です。

 

 

 

蛇足になりますが・・・。

 

できることならば、これは、

 

イスラエルの為政者の人たちにこそ、読んでもらいたい絵本だと思いました。

 

 

現在のイスラエル西岸地区のあの分離壁から、

 

もしも、ゲットーの壁を想像できないとしたら、

 

それは、ナチスによって虐殺された多くのユダヤ人への、

 

最大の冒涜であると、

 

そう感じずにはいられません。

 

 

 

ほんの少しの想像力と、物語を編む力。

 

生きていくための、大切な要素に、

 

衣食住とともに、加えておきたいと思います。