やっと。
相変わらず図書館を使い倒しています。
でも、人気のある本って、なかなか手元に来ないんですよ・・・。
先日、やっと待ちわびていた本が。
こんな感じ。
この中の、
「地球の中心までトンネルを掘る」、「フランドルの四季暦」
は、「はてな」で知って、予約した本です。
やっと、
本当にやっと!
読むことができました。(←買えよ!って話し。)
「地球の中心までトンネルを掘る」
ケヴィン・ウィルソン著
buunanomeさんのブログで知ったこの本。
11篇からなる短編集です。
どの篇も、不透明で心ざわつく余韻を残す、興味深い作品ばかりでしたが、
私もbuunanomeさんと同じく、
「あれやこれや博物館」を推したいと思います。強く。
「あれやこれや博物館」
誰かが集めた、ごくごくありふれた日用品のコレクションを展示する、ある意味で頓狂な博物館が舞台。一般的には「がらくた」の管理をしているようにしか映らない、いたって地味な生活を送る学芸員の主人公に、思いがけず淡いロマンスの匂いが立ちのぼる。
一見「がらくた」にしか見えないような物にひたすらこだわり、集め続ける・・・。
「小川洋子」を思わせるストーリーですが、
やはりちょっと趣が違います。
博物館の中で、
他人が集めた「がらくた」を管理しつつ、
徹底して自分の「もの」を排除し続ける主人公。
それは、buunanomeさんのご指摘通り、
「ミニマリスト」の姿を連想させます。
たとえば、こう。
「これまで生きてきてどんな場合もそうだったけれど、
身のまわりにものが溜まってくると、
所有者としてわたしの名前を冠したものが増えはじめると、
おなかがぱんぱんに膨れているような気がする。
(中略)だから処分する。ものがなくなれば、
また落ち着いた気持ちになれる。」
私はミニマリストにはなれませんが、
でも、心の片隅で、こんな考え方に共感するところがないわけではありません。
きっかけは「阪神淡路大震災」。
大した被害はありませんでしたが、
激烈な揺れに死を覚悟した後で、
ありとあらゆる「壊れてしまったもの」であふれた部屋の中に立ち尽くしてからしばらくの間、
「所有する」ということが、とてつもなく怖ろしく感じられました。
「どうせ、壊れてしまうのに。」
「どうせ、無くなってしまうのだから。」
大切にしていたものが無くなる、傷つく、破壊される・・・。
その時に感じる心の痛みを考えると、
「所有する」「ものを持つ」ということは、
なかなか業の深いことなのだと痛感したものでした。
なので、この作品の主人公の生き方にも、
シンパシーを感じるところがあるのでしょう。
一方で、大切な人とのつながりさえ、
あっさり捨て去ったり、あるいは
つなぎ止めようともしない主人公に違和感もありました。
物語の終わり、
家族とすら心すれ違っていた主人公が、
新たな恋を受け入れつつ、思います。
「ものを所有し、ものと共に暮らし、ものについてあれこれ考えたり思ったりするうちに、そうすることの非生産的で無目的で愚にもつかないところも含めて、それがものを所有する人自身の一部となっていくのだ。
それは悪いことじゃない、と今はわたしにもわかる。
ものを持つことで、それが傍目にはたとえちっぽけでつまらないものであっても、それを所有することで人生を豊かにしようとすることは、決して悪いことじゃない。
ふと立ち止まり、自分の居場所を見まわして、「そうそう、こういうふうにしたかったの」と言えるのは、そう、ちっとも悪いことじゃない。」
たとえ、いつかは無くなってしまうとしても、
たとえ、いつかは壊れてしまうとしても、
そして、たとえ、いつかは終ってしまう恋だとしても、
生きている限り、人はまた何度でも、幾度でも、
大切な「もの」に、「人」に、出会ってしまう。
無くすことを怖れて、
最初から持つことを放棄したり、あきらめてしまうことへの反論として、
このラストシーンは、とても感動的でした。
本当に。とても。
一篇の短編の中で、
揺れ動くミニマリストの心情が丁寧に描かれた、秀逸な作品です。
オススメ。
ちなみに、本作品中には、ありとあらゆる「変な職業」が登場します。
で、それは、私に、
また別の本を思い出させてくれました。
ナンシー・リカ・リフ、伴田良輔 著
「実在している」ちょっと奇妙な職業のレポート兼写真集。
奇妙奇天烈、でも全編を通して、
「へー!」とか「ほほー。」
とかが溢れています。
こんな珍しい職業に従事している人が、
どこかで、ごくごく普通の生活をしているのかと思うと、
街角でふと、周囲を見まわしたくなります。
で、次。
フランドルの四季暦
マリ・ケヴェルス(著)河出書房新社
園芸家のバイブルといわれる幻の名著。植物を中心に、四季の移ろいと人々の営みを美しく描く詩的散文集。描き下ろし植物画多数掲載。
こちらはleyーlineさんのブログで出会った一冊。
実は、この本、読むのにものすごく時間がかかりました。
なぜかというと、
「どの言葉も、ものすごく美しいから。」
一言ひとこと、すべての文章、フレーズが、
まさに「珠玉」と言っていいくらい。
主に草木や景色の、四季の移ろいについて書かれた本で、
ほとんど人間のドラマは含まれていませんが、
四季それぞれの美しさを知る人であれば(ってことは日本人なら大抵)、
どのページも疎かにはできず、
目を滑らすことなどできないでしょう。
たとえば、9月について。
「・・・それと同じ虹の色は私たちの唇にも、私たちの手にも、髪の毛の一本一本にも降り積もり、やがて私たちの心にも入り込んで、感じやすい魂をとらえます。
そのときこそ魂は、九月の朝を美しく染める光に照らされて、自身も虹色の光沢を帯びるのです。」
難しいことは何ひとつ書かれていなくても、
それでもなお、読むのが難しい本というのはあります。
作者の研ぎ澄まされた感性と、
美しい風景とが入り交じり、
宝石のような言葉の数々が、心を捉えて放さない。
いちいち立ち止まって何度も咀嚼せずにはいられない。
そんな一冊でした。
ちなみに春について。
「それでも唇を湿らせれば、草から立ち昇る命の匂いが触れてくるのを感じることはできるでしょう。春は公平です。相手が空の雲だろうと、空気だろうと、樹液でいっぱいになった木立だろうと、あるいは緑の植物に満たされた池や溝の水だろうと、恋の予感でふくらんだ人間の唇だろうと、分け隔てなく命の匂いを届けてくれるのです。」
どうやったら、こんな風に春を切り取ることができるのか、
作者の為人を知りたくなる本でした。
また、
修辞法も形容詞の有り様も違う他言語から、
こんなにも繊細な文章を、日本語に翻訳する苦労は察して余りあります。
その点、この本は翻訳本にありがちな、
不自然さや、とってつけたような感じが少なく、違和感がありません。
翻訳者の宮林寛氏に敬意を表したいと思います。
「地球の中心までトンネルを掘る」
「フランドルの四季暦」
「はてな」を知らなかったら、きっと、永久に出会わなかった本でしょう。
「はてな」には、本当に感謝しています。