育児には「時代の不安」ってものがあると思う。
先日、夫が「忘れ物大魔神なんです。」って記事を投稿しましたら、
予想をはるかに超える、たくさんの方に読んでいただきました。
驚きました。
訪問してくださった方々、本当にありがとうございました。
で、風邪のためにコメント欄を閉じて、ブクマ欄の方を開けていたら、そこに
「ADHDなのでは?」のお言葉があふれていたので、
夫に、「あなたにADHD疑惑が浮上してるよー。」って言ったのです。
そのときの夫の返答。
「俺?
俺はただ、うすらぼんやりしてるだけやで!」
念のため申し上げますが、
私、話し、盛ってませんからね?
本当のほんとーに、本人が言いましたから。
「うすらぼんやりしている」って。
なので、私も、心の底から、
「そやね。」
って、返しておきました。
確かに夫の動向を見ているとADHDの傾向があるようにも思えますが、
今のところ、私も当人も専門家の受診などは考えていません。
理由はと言えば。
幼少期から彼には、
1.多動性、衝動性および他罰傾向や暴力的傾向がない。
2.不注意ではあるけれども集中力が持続しないわけではない。またLD(学習障害)でない。
3.特定のモノに対する強すぎる執着やこだわりがない。
4.対人関係が良好である。
5.本人がさして困っていない。(←ちょっとは困ってほしい。)
驚くほど社交的とは言えないまでも、適度に他者と友誼を結ぶことができて、家族、兄妹間の関係も非常に良好な夫。
なので、忘れっぽいのは彼の「個性」かな、と今後も結局、私がフォローしていくのだと思います。(←これを読んだら夫が全力で喜ぶと思うので、厳しく!対処していくことをあらかじめ宣言しておきます!)
で、今回、夫のADHD疑惑についてつらつらと考えていたら、唐突なんですが、
育児と「時代の不安」についていろんなことが頭に浮かびました。
ひとつの「時代」にはその時代特有の「不安」ってものがあると思うのです。
たとえば、亡くなった私の祖母は、父を産んだときに、
「早く食べる癖をつけさせなくては。」
と考えたのだとか。
いずれ兵隊さんにとられた時に、軍隊でとろとろごはんを食べていたのでは、殴られたり、お腹いっぱいになるまで食べられない、と不安だったというのです。
幸い父が産まれてほどなくして終戦になりましたが、祖母のその時の不安な思いは、今の時代とは隔世の感があります。
ポリオが流行った時の、世の母親の動揺も、ニュースで見て圧倒されました。
当時、乳幼児を抱えていた母親はどれほど不安だったでしょう。
校内暴力が吹き荒れていた時代に育児をなさったお母さんたちはきっと学校選びに慎重にならざるを得なかっただろうと思います。
そんな風に、いつの時代もきっとその時代特有の「不安」というものが、育児にはつきものなのだと思います。
で、現代では。
きっと、この「ADHD」やアスペルガー症候群などの「発達障害」についての問題が、かなり大きい不安感をお母さんたちにもたらしている気がします。
我が子がこの問題を抱えていたらどうしよう、という不安。
実は私も子どもが生まれた頃、この問題を報道で知って、やたらと不安になったことを覚えています。
アスペルガー症候群の子どもかどうかの判断をするテストみたいなの、あるじゃないですか、あれをまだ子どもがちっこいのにやってみたりして。
数年前には、友人のお子さんが「アスペルガー症候群」と診断されて、その友人から、
「理解してほしい」
と関連書籍をドサドサドサーっと目の前に積まれたり、PTAやボランティア関連で「自閉症スペクトラム」についての講習会に参加を促されたり、と今の母親世代に関しては、この問題に対して全く無関心・無関係でいることは、逆に難しいのではないかと思います。
学校現場でも、ゆっくりとではありますが、対策が進んでいると思われます。
少なくとも、私が子どもの頃には考えられなかった配慮もなされているようです。
もちろん、まだまだ、道半ば、ではありますが・・・。
小学校の図書室に出入りしていても、最近、この「発達障害」「ADHD」「LD」「アスペルガー症候群」「ディスレクシア」などという言葉をやたら目にするようになってきました。
児童向けの書籍からも、この問題に関する理解を深めようとする意識が感じられます。
肝心の子どもたちはちっとも読んでいませんが、中でもちょっと目を引いたものをご紹介したいと思います。
「いっしょがいいな障がいの絵本6 ぼくって、ふしぎくん?」
監: 北村 小夜 文: 嶋田 泰子 絵: 岡本 順
出版社: ポプラ社
ADHDの特性について、非常によく書かれていると思います。
お母さんとの関係、お友だちとのやりとり・・・とてもリアルで「説得力のある」1冊。
小学校図書館向けの絵本セットのうちの1冊ですので、一般的にあまり目に触れることがないのがちょっと残念ではあります。
でも物語のラストの1ページ、主人公の男の子の笑顔には心揺さぶられるものがあります。
「ボクはじっとできない」自分で解決法をみつけたADHDの男の子のはなし
ADHDの特性に気づき、自ら解決方法を考え出していく男の子のお話。
物怖じせずに前向きに、ひたむきに周囲と関わっていく主人公の姿に、読んでいるこちらも励まされるような1冊。
同じ著者の作品には「算数の天才なのに計算ができない男の子のはなし」もあります。こちらもオススメ。
「ありがとう、フォルカーせんせい」
LD(学習障害)で本を読むことができなかった少女が、ある先生に出会って本が読めるようになり、長じて作家になる物語。作者の自伝的絵本でもあります。
これは現在、どこの小学校にもあります。(あると思う・・・。どこででも見かけます。)
似たような本に、ダグラス・ウッド著「よめたよ、リトル先生」という絵本もあります。LDやディスレクシアの子どもたちに対する理解の一助になる絵本だと思います。
「こんなこいるかな」シリーズ
NHK「おかあさんといっしょ」で1986年から登場していた12人。
それが絵本になったらしいのですが、私はこのキャラクターたちが「おかあさんといっしょ」出身だとはまったく知りませんでした。
この絵本セットは正直、ADHD関連書籍とは、言えないかもしれません。
けれども、この12冊の「こんなこいるかな」を”続けて”読んでいると、この絵本にはとても大切なメッセージが内包されていることに気づきます。
アイデアマンの「ぴかっと」やいつも親切な「はっぴ」など、「学校現場で歓迎されそうな」子どもたちと、
ちらかしてばかりの「ぽいっと」や忘れん坊の「ぽっけ」など、どちらかと言えば問題行動の多い子どもたちとを、
あくまでも「並列」に扱うことで、どんな子どもたちも等しく大切にされ、愛されるべき権利を持っているのだと、あらためて感じさせられるのです。
どの子どもたちの特性も、それが集団生活や学校生活になじめるかどうかに関係なく、同じく尊ばれるべき「個性」なのだということを、私たち大人はつい忘れて心配ばかり・・・。
とても微笑ましくかわいい絵本ですが、この絵本シリーズはそんな大切なことを思い起こさせてくれる、なかなか奥深い作品なのではないかと思います。
他にも最近は「発達障害」に関する絵本や物語が増えてきました。小学校の図書館には続々と導入されてきています。(ほとんど読まれてないけど。子どもたちには人気ないけど・・・。)
でも、子どもたちにこの問題が徐々に周知されていって、いつの日か、きっと次の時代には、「発達障害」のあるなしに関わらず、誰もがもっと「生きやすい」社会が到来することを、ひそかに期待する毎日です。
でも夫には厳しくいきますよ・・・。