今度こそ、幸村自刃の地。「真田丸」最終回記念散歩
前回から続きます。
一心寺を出まして通りを一本渡ると、すぐに安居神社が見えて参ります。
こちらの神社が幸村自刃の地。
ちゃんと碑も建ってます。
さっそく参拝へ。
本殿。
思っていたよりこじんまりしていて、ドラマ「真田丸」で見た幸村のラストシーンが、それなりに説得力のあるものだったんだとわかります。
狛犬も・・・
「阿」と・・・
「吽」。
ちょっぴりのんびりした風情。戦国の荒々しさはあまり感じられません。
それもそのはず、実はこの安居神社、元はと言えば、天満宮でもあるのです。
なので、境内には牛の像もあり、(写真はないの・・・撮り忘れちゃって、てか、この辺りですでにスマホの電池がやばいことに。←ぐだぐだ)安居神社ではなく、安居天神、安居天満宮などとも呼ばれています。
また、この神社は、大阪の中央、上町台地の端っこに位置しているので、鳥居をくぐると、こーんな、
急勾配の階段が現れます。
つまりこの神社は「上町台地の上」に建っていて、この階段の下は昔、海だったことになります。
仮に大津波が大阪を襲った場合、この上町台地の上だけが無事であろうと言われていまして、ですから大阪では、上町台地の上は高級住宅街になるのです。
ただ、この上町台地の下には大阪最大の断層「上町断層」が通っていて、仮にその断層が動いたら、上町台地の上も下も関係なく、大阪は「えらいこと」になるでしょう・・・桑原くわばら(天神さんだけに・・・雷以外にも効くかしら?)・・・。
そもそも大阪は本来、この上町台地周辺こそが中心地で、その境界には昔から豊かに水が湧き出していたのですが、その水が湧き出る箇所に片っ端から神社を建てまくったので、この辺り一帯はものすごい数の神社仏閣があるわけです。
歩いていると、ここにもそこにも神社やお寺。で、お正月には初詣客がそこらじゅうに溢れることになります。
話しを戻しましょう。
幸村です。
もとは天満宮だったとはいえ、今や真田幸村終焉の地として知られている安居神社。
境内には幸村ゆかりのものがたくさん。
石碑に、
こちらは「さなだ松」。
この松の下で幸村が切腹したと伝えられています(切腹だったかどうかは諸説あり)。
そして幸村の銅像。
お顔のアップもいっときましょうか。
ででん。(←意味不明)
ハンサムかどうかは・・・ちょっとわかりません。似てるかどうかも知りません。お目にかかったことないのでね・・・ね?
生粋の豊臣恩顧の家臣というわけでもなかったはずなのに、最後まで豊臣家に忠義と忠誠を尽くした幸村。
「その「徳」にあやかるために、どうぞこの銅像に触れてください。」
と説明書きにあったので、刀やお顔、左手なんかをやたらとペタペタ触らせてもらっちゃいました。
この銅像に触ったり、一緒に写真を撮ったりするための順番待ちの列までできていて、幸村の人気はすごいなあと感心しきり。
志半ばでこの世を去ったとはいえ、ここまで愛される武将もまた稀であることを思えば、幸村は幸せな武士であったのかもしれません。
「さなだ松」の下に立ってみました。
幸村もきっと、自刃の前には見上げたと思うのです。
上を。空を。
この松の向こうに見える空は、幸村の胸にどんな思いをもたらしたのでしょう。
言葉に出来ないほどの無念さ、口惜しさ、そして残される者への愛惜。
400年の時を経てもなお、私たちの胸を打ってやまない真の武士の心情をたどって、やっと私の「真田丸」も本当の最終回を迎えたような気がします。
あ。
でも、この「さなだ松」、一回立ち枯れちゃって、今の松は昭和26年に植え直したものなんですって。
ちょっと残念!