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真田丸散歩三回目

お散歩

昨年末、「真田丸」最終回記念として、真田幸村関連の史跡を訪ねたことを、2回に分けてお話ししました。

 

 

実はこの後、私が「安居神社」に行ってきたことを知った母が、

 

「私も行きたい!」

 

と大騒ぎを始めました。

 

 

「えー、今行ってきたのばかりなのに・・・。」

と思わないでもなかったのですが・・・。

でも、昨年は体調を崩し、一時は枕から頭も上げられないほどだった母が、あちこち出歩きたいと言えるようになるなんて!と、それがとってもうれしくて、つい、

「お正月休みに、一緒に行こう。」

と約束をしてしまいました。

 

で、お正月休み最終日。

行って参りました、「真田丸」に関する史跡めぐり、再びです!

 

 

・・・え?

 

もう飽き飽き?

 

わ、わかります・・・わかりますけどっ!

 

前回とは違うところにも行ってまいりましたので!

どうかしばらくおつきあいください!お願い!

 

まずは前回と同じく安居神社から。

撮り損なっていた、天満宮としての象徴、牛さんをパチリ。

 

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ね?

 

やっぱりここは天神さんでしょう?

 

ちなみに左端にちょこっとだけ写り込んでるのは幸村銅像の足です。

私は幸村に、

「また来たん?ヒマなん?」

って言われるような気がして、遠巻きからの見物にとどめましたが、母は幸村像に大感激、近くでまじまじとご尊顔を拝していました。

 

そういえば、ここ安居神社では、

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芸能人の絵馬も発見。

 

片岡愛之助さんはつい最近、取材で見えたようですね。

個人的には加藤雅也さんの絵馬に大興奮。

昔っからのファンなのです。かっこいいですよね!

 

と、真田丸には関係のないことで盛り上がるのはこの程度にして、次の史跡ポイントに参ります。

 

次に訪れたのは「三光神社

「真田の抜け穴」(大坂城から脱出するため作った抜け道という伝説あり)がある神社として有名な神社です。

 

その「真田の抜け穴」というのがこちら。

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普段は施錠されているのですが、毎年、秋の11月第一日曜日は開放されます。

 

写真を撮っていると、どこの誰ともわからないおじさまに、

「この抜け穴通って、大阪城まで行ってきたらええで~。」

なんて声をかけられたのですが(大阪ではそういうことがしょっちゅう起ります)、残念ながら、この「抜け穴」は出口から10メートルほどの空間しかありません。

なので、豊臣方あるいは真田勢が作った抜け穴というよりは、徳川方が攻勢のために掘った穴ではないかという説もあり、はっきりしたことはわかっていません。

 

でも、九度山を脱して大坂に駆けつけた幸村のこと、こんな抜け穴だってどこかに作ったのではないかしら、なんてつい想像してしまうのが大阪人というものなのでして・・・すぐ隣には、こーんな

 

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凛々しい「真田幸村公ノ像」も建っていますので、テンションもますます上がってしまうのです。

で、三光神社境内。

 

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天照大神、月読尊、素戔嗚尊をお祭りしている神社なのですが、社殿に近づくと・・・

 

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そこには真田幸村

 

どどーん!と幸村。

 

幸村イチ推し!

(むしろ幸村頼み・・・)

 

幸村、愛されてるなあ、と感心しながら三光神社を後にしました。

 

ここからは、真田丸跡を目指して歩きます。

もっとも、どこが真田丸だったのかについては、はっきりとした確証があるわけではないのですが、それでも有力候補地はあるわけでして。

 

とくに天王寺のこの界隈は、地名もずばり「真田山」。

近隣には「真田山幼稚園」があったり、マンションやアパートの名前など、至るところで「真田」の名称を目にします。

 

途中、坂道にさしかかりました。

 

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写真、ボケボケですが・・・大阪市内には珍しく、結構な傾斜です。

大坂の陣では手前が大坂方、この坂道の下側から徳川方が攻め上ってきたのでしょう。

 

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坂の上には「真田丸顕彰碑」。

大阪明星学園テニスコート横に昨年2月に建立されました。できたてほやほや・・・。

でも、昨今の「真田丸」人気のせいか、

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顕彰碑の下の「六文銭」の上にはたくさんの五円玉が。

写真を撮る観光客もたくさんいらっしゃいました。

また、明星学園の校舎壁面には生徒さんたちによる壁画も。

 

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去年は学校中で真田勢を応援してたんだろうなあ・・・。結局負けたけどさ・・・。

 

この大阪明星学園テニスコートのすぐ目の前には、真田幸村、大助父子を弔うために建てられた「心眼寺」というお寺があります。

 

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「日本一の兵」幸村。

その武勲にあやかりたいと願った武将たちは、幸村の遺髪をこぞって奪いあったと言われていますが、江戸時代には、さすがに敵方であった幸村父子の墓を、堂々と建てることはできなかったようです。

それが最近になってやっと、墓碑が建立されたのですって。(2014年)

 

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楠木正成もそうですが、時代によって毀誉褒貶が移り変わるのが人の世の習いなのかもしれません。毀誉褒貶とまではいかなくても、むやみに持ち上げられたり、かと思えばすっかり忘れられたり、再評価されたり。

 

現代を生きる人間が、そんな風にあれこれと騒がしいのを泉下の人々はどんな風に眺めているのでしょう。

 

幸村の真新しい墓碑の前に立つと、きっとあちらの世界でもかしましい人というのはいて、

「ねえねえ、真田丸ってほんとはどの辺にあったの?どれくらい勝てると思ってた?」

なんて、何度も聞かれて、幸村も閉口しているのではないかしら、などと考えたりしました。

 

時とともに風化し、忘れられていく人間が多数派なのに、こうして忘れられずに名を残し、いつまでも忘れられないための工夫をされる幸村。

それはやはり武士の本懐と言えるのかもしれません。

 

このお散歩、もう少し続きます。