ワンオペ育児なんてやっぱり不可能だと思う。

みなさま、こんばんは。

 

育児の話が続きました。

育児に関する情報は日進月歩、日々改定・更新されていくものですから、すでに娘が大きくなった今、私が抱えている育児に関する情報なんて、もう、「化石かシーラカンスかよ!」っていうくらい、かび臭いものになってしまいました。

今さら私が何か有用なことを言えるはずもないので、このあたりで私の育児話はいったん打ち切ろうと思います。

 

でも、その前にひとつだけ、どうしても言いたいことがあるんです。

 

それはね、

「ワンオペ育児なんてやっぱり無理があるんじゃない?」

ってこと。

 

そんなことを言うと、すぐに「母性本能」の話になったり、「赤ちゃんには母親が一番!」なんて意見がいっぱい湧いてきたりしますが、私ねえ、そういうのには懐疑的なんですよ。

だいたい、「母性本能」って何なんでしょうね?

 

「本能」って。・・・けっ。

 

まったく食事をとらずに生きていける人はいないし、ずっと眠らずにいられる人もいないでしょう?

同じく母性も「本能」と言うならば、我が子をコインロッカーに捨てた後に生きていられる女性が存在することは大いなる矛盾です。

私たちが普段、「本能」と感じるほどの、母親から我が子への強い愛情とか愛着というものは、本能などではなく、教育や躾、生育環境、経験から学び取った社会化のひとつなのだろうと思うのです。

「社会化」・・・であるならば、「母親ひとりに強く依存しがちな育児」の形態を、社会全体で少しずつ変更していくこともまた、可能なんじゃないかなあ。

 

なにもね、

「育児がイヤ」でこんなことを言うのではありません。

 

むしろ、育児って、

「子どもが大切すぎるからこそ、しんどい」

ってこともあるんですよ。

 

大切で大事で、どうしようもなく愛していて、何があっても失くしたくないもの。

もしも失ってしまったら、もう生きてはいけない、とまで思ってしまうもの。

 

想像してみてください。

仮に、3キロの爆発物をひょい、と手渡されて、

「これ預かって!取り扱いに失敗したら、周囲10キロが灰燼に帰すけどね!

身体から離したらダメだけど、落っことしたらもっとダメだからっ!あ、それとどんなに大事に扱っても勝手に故障することもあるけど、気をつけてね!」

と言われたとしたらどうでしょう?

それってひどいプレッシャーだと思いませんか?

 

特に初めての育児で赤ちゃんとふたりきりになった時、私が一番つらかったのはこのプレッシャーでした。

だってフニャフニャなんだもの、赤ちゃんって。

ほんのちょっとした異変にも敏感になって、いつもいつも心配ばかりしていたものでした。

もちろん、子どものことが心配なのは今でもちっとも変わりませんけれど、自ら「痛い」とさえ言えない赤ちゃんと過ごすのは、ずっと緊張を強いられるものでした。

 

なので、夫が帰宅すると、全身で「ほう・・・」っと安堵のため息をついたものです。

ああこれで、翌朝夫が出勤するまでは、わたしひとりで赤ちゃんの心配をしなくていいんだ、なにかあれば相談できる相手がいるんだ、って。

 

我が家の場合、夫はよく私の不安をくみ取ってくれたと思います。

今から思えば、細かいだけの、どうでもいいような些細なことで心配していた私に、

「それくらい大丈夫。」

「問題ないって。」

「心配なら病院に行く?車出すから。」

そんな風に相手をしてくれた夫がいなければ、育児期間を乗り越えられたかどうか、私には自信がありません。

 

「一緒に考えてくれる」「共に悩んでくれる」

 

人間にはそういう相手が絶対に必要で、使い古された言い回しですが、「人はひとりでは生きていけない」とは、つくづく名言だと感じたものでした。

 

しかしながら、夫は日中のほとんどを会社で過ごします。

 

意識のあるほとんどの時間を、意味のある会話もなく、たったひとりで、

「ものすごく重大かつ貴重な、それでいて壊れやすい、自分の命ではない、むしろそれ以上の、生きている預かりもの」

を抱え込み続けるのって、本当に大変。

やれ虐待とか育児放棄とか、悲しい事件が一向に無くならないのもむべなるかな、という気がしました。

 

孤独というのは恐ろしいもので、人をいとも簡単に追いつめ、破壊する威力があります。

自分ひとりで生きているのならば、その孤独も自由と等価に引き換えることができる場合もありますが、育児をしている期間に限って言えば、その孤独は破滅的な結果を産むことがままあります。

なので、時々思うのです。

 

足りない保育園をどんどん増やすことは喫緊の課題だけれど、たとえば、「お母さんも一緒にいていい保育園」なんかがあればいいのになあって。

 

産休、育児休暇中のお母さんたちが、赤ちゃんと一緒に過ごせる場所。

保母さんや保健師さんなんかがいて、不安なことをすぐに聞けて、他のお母さんたちと情報交換ができて、短時間なら交代で赤ちゃんを見てあげられて、仮眠なんかもとれる場所。毎日行ってもいいし、全然行かなくてもいい場所。

つらいことも不安なことも、ひとりだけで抱え込まずに、誰かと共感し合って、助け合って。

もしもそんなことができる育児環境があれば、赤ちゃんとの生活をより楽しめる人が増えるんじゃないかと思うのです。

 

別に保育園でなくってもいいんです・・・出産後の女性が孤立して、追いつめられてしまうようなことを防いでくれる手立てが他にあれば。

世の中には、星の数ほど頭のいい人がいて、私なんかはいつもまぶしく見上げるような気持ちなんですが、そういう人が真面目に考えてくれれば、もっといい案がたくさん出てくるような気がするんですけど・・・頭のいい人、ちょっと考えてくれないもんでしょうかね・・・?

 

時々、高校時代の優秀な同級生なんかを思い出して、

 

「そういえば、あの子ら、どないしてるんやろ・・・ほんまに頭よかったよなー。

あの子らが本気出したら、世の中めっちゃよくなりそうな気ぃするけど、なかなかそうはならへんところを見ると、あの子ら、自分の幸せのためだけに自分の能力を使い倒してるんやわー。絶対。」

 

という他力本願、かつ逆ギレの言いがかり的妄想に取りつかれたりしています。

 

 

育児は確かに大変です。

眠れないし、自分の時間はガンガン削られるし、なにひとつ思い通りにならないし、おまけに世間の目も厳しい。

大正生まれだった亡き祖母も、「子どもの数が減ったとはいえ、今の育児は子どもにすごい手をかけることを要求するから、大変さは変わらない。」とよく言っていました。

 

けれども、本当は育児って、どれほど言葉を尽くしても語りきれないほどの喜びに満ちているものです。

私なんかは、街中で小さなお子さんを連れているお母さんや、風を受けてひらひらと踊っている小さな洗濯物でいっぱいのベランダなんかを見るたびに、「ああ、いいなあ、うらやましいなあ」と思わず声に出してしまうほどです。

 

それは、私の育児期間が終始幸せであったからこそ、なのでしょうけれど、それを単に私個人の経験とするよりも、できれば他の誰にとってもそうであるように拡張していくことが大切ではないかと思います。

なので、選挙があれば、子どもたちのことや育児をしている人の気持ちに寄り添ってくれる政治家を選びたいと思うのですが、なかなかね・・・。

まして政治家でもない、市井の人々にとって、できることは限られているのかもしれませんが、どうぞ、もう一歩だけ、育児中の若いお母さんたちにやさしい気持ちを。

ただ、すれ違いざまに、「やあ、赤ちゃんやわ。かわいいねえ。」と言うだけでもいいのです。

それがきっと、今奮闘中のお母さんたちの心に、ちいさな灯りをそっと送ることになるでしょう。

 

 

おまけ。

今日、外出中にびっくりするものを発見してしまいました。

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4日の台風21号の仕業でしょうか。

あきらかに鉄製品に見えます。こんなにも重いものが飛ぶなんて、風というのはなんとすごい力を持っているのでしょう。

 

あれから3日。

本来ならば、次の日には片付けられているはずですが、未だ停電中の地域もありますから、手が回らないのだと思われます。

 

第2室戸台風の記憶がある母が台風のたびに大騒ぎするのを、いつもちょっと面倒に、鬱陶しく思ってきましたが、今回初めて「台風ってほんとに怖いんだな」という感想を持ちました。

 

それでも北海道の地震の被害を思うと、この程度で騒いでは申し訳ない気がします。

どうか北海道の被害が最小でありますように。

一日も早く、元の生活が戻ってきますように。

心からお祈りしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

子どもの泣き声がうるさいと聞いて思うこと。(子育ての思い出・5)

みなさま、こんばんは。

 

我が家の娘も高校生になって、毎日電車通学をしています。

「ひとりで電車に乗って学校へ行く。」

それは至極当たり前のことなんですが、朝、子どもを見送るたびに「大きくなったなあ」としみじみします。

逆に、私がひとりで電車に乗る時には、戸惑いというか、何か忘れ物をしているような気持ちになります。

そして、「ああ、もう娘の手を引く必要はないんだ。」と自分に言い聞かせます。

 

と言っても、娘が小さかった頃の私は、電車に乗るということがほとんどありませんでした。

「もしもぐずってしまったら。」

「走行中に泣きだしてしまったら。」

そう思うと、お出かけ自体が恐ろしくて、万やむを得ず電車に乗らなくてはならない時には、

通勤ラッシュ時を避け、

すぐに降車できるよう、急行電車を避けて各駅停車の普通電車を使い、

車内に他の乗客がいなくて、ガラガラの状態であってもバギーをたたみ、

娘を膝の上に抱っこして、一番端っこの席で小さくなっていたものでした。

 

今思うと、私は一体何と闘っていたんだろうと不思議でたまりません・・・というのも、娘はかなり大人しいタイプの子どもで、電車内で騒いだり泣いたり、なんてことは全くしなかったからです。

それでも、「小さい子どもの泣き声は迷惑」「バギーが邪魔」「子どもをあやさない親も迷惑」という世間の声に敏感になっていた私は、どれだけ気を使っても度が過ぎるということはないと思っていたのでしょう。

 

なので娘が幼稚園に通い出し、「言い聞かせたことが十分にわかる年齢」になった頃には、電車に乗る際の気持ちが一気に楽になりました。

 

「静かにね。」

「座席がない時に「座りたい」と言ってはいけません。」

「じっとしていなさい。うろちょろしてはいけません。」

 

そう「言うだけでいい」のです、娘はその言いつけをきちんと守ることができる、おまけにバギーももう必要ない。

なんて楽になったんだろう!

感動さえしました。

 

で、ある週末の午後、私は娘と二人、電車に乗っていたのです。

立っている人はいないけれども、座席はほぼ埋まっているくらいの混み具合。

私たち親子の隣には、赤ちゃんを連れた若いお母さんが座っていて、しばらくすると赤ちゃんが泣き始めました。

 

お母さんは赤ちゃんをあやしていましたがなかなか泣き止まなくて、大変だなあと思っていたら、娘が私にぴたっとひっつき、小さい声で言ったのです。

 

「赤ちゃん、泣いてるね。」

 

って。

 

瞬間。

私は恐怖で震え上がりました。

大げさでもなんでもなく、本当に、心の中で「ひぃぃぃぃぃっ!」って悲鳴を上げました。

 

だってだって、私、娘にひとことも言ってなかったんですよ、

 

「泣いている赤ちゃんがいても、うるさいって言ってはいけません。」

 

って。

私が娘に与えた「電車内での注意事項」は、「静かに」「おとなしく」そして「周囲に迷惑をかけてはいけない」ということばかり。

逆に、「周囲から迷惑をかけられた時はどうするべきか」ということは、すっぽりと抜け落ちていたのです。想定の範囲外だったのです。

だって、赤ちゃんや小さな子どもというのは、「迷惑をかける側」だと言われていたから。そんな世間の声に、1年365日、ずーっとびくびくし通しだったから。

 

私の頭の中は真っ白な状態になってしまい、

「う、うん?そうやね。」

と返すので精一杯、娘の声は隣の席のお母さんの耳にも届いていたのでしょう、ぴくりと、こちらに耳をそばだてているのが感じられました。

 

そうしたら、次の瞬間、娘が言いました。

 

「赤ちゃん、かわいいね!」

 

って。

 

私も隣のお母さんも心の中で「ふうぅ・・・」と安堵のため息をついたことは言うまでもありません。

 

よ、よかった、「かわいい」で・・・「うるさい」とか言い出さなくて、ほんとによかったー!

 

と、ただただほっとしている私に、娘が続けて言った言葉がすごかった。

 

「私が小さい時も泣いてた?」

 

私はびっくりして娘の顔を見下ろしました。

我が子ながら、なんて時宜を得たことを言える子なんだろう!って。

まだあまりにも小さい娘。

もちろん「空気を読んで」言ったことではないでしょうけれど、今この瞬間、この場所に、これほど必要かつふさわしい質問が他にあるでしょうか?

 

なので、私も大人として、正しく空気を読まねば!と思って、少し大きめの声で応えました。

 

「泣いてたよ!赤ちゃんはね、みーんな泣くもんなんよ。」

 

って。

もちろん、これにはちょっとだけウソが含まれています。

だって娘は電車の中では一度たりとも泣いたことがないのですから。

でも、隣に座っている若いお母さんの気持ちを軽くするための、こんなささやかなウソなら、この世に存在してもいいではありませんか。

 

 

「泣いてたよ。」

と私に言われた娘は、ちょっと照れて恥ずかしそうに「えへへ~」と笑っていましたが、

「ほぎゃあ、ほぎゃあ、って泣いてる、かわいいなあ。」

と言いながら、するするっと隣の親子に身を寄せたかと思うと、

「こんにちはー。」

と赤ちゃんに声をかけました。

 

私ねえ。

 

「声かけたでっ?!」

 

って仰天しました。

だって、電車の中で知らない人に声をかけるなんて、大阪のおばちゃんにとってすら結構ハードル高めの行為なんですよ・・・。

まさかいきなり自分の子どもが知らない赤ちゃんに声をかけるなんて思いもしなかったので、呆然としました。

 

突然の闖入者に驚いたのは赤ちゃんも同じだったようで、わんわん泣いていた赤ちゃんが、一瞬「ひくっ」っと泣き止みました。

 

「どうしたん?悲しいのん?」

 

と話しかける娘・・・いや、どうだろう、それ、通じるかなあ?と私が思っていると、赤ちゃんの方もちょっと悩んじゃったのでしょうね、「うぅ」って泣くのを再開しようとして、でもやっぱり娘のことが気になるし・・・と、泣こうか笑おうかを迷ってしばらく百面相の様相でしたが、結局好奇心の方が勝ったのでしょう、娘の顔をじっと見て、笑ってくれました。

 

娘と赤ちゃんの様子を見て、私と隣のお母さんも世間話を始めるくらいの余裕ができました。

「かわいいですね」

「何か月ですか?」

「女の子?まあ、男の子ですか!」

そんな他愛のない、でも「意味の通じる」会話が、子育て中のお母さんにとってはストレス解消になることを私も十分に経験していたので、この会話もそのお母さんにとって、いつかの幸せな記憶になることを願いつつ、話し続けました。

 

途中、赤ちゃんが娘のおさげ髪をむんず、と掴んでぎゅーっと引っ張った時には、ふたりで「あわわわわ」と大慌てしましたが、娘が「だいじょうぶです」「痛くないです」と言って、代わりに自分の指を赤ちゃんに差し出し、それを赤ちゃんが握った時なんかも、しみじみとあたたかな気持ちになりました。

 

私たちよりも先に電車から降りたその赤ちゃんとお母さんを見送った後、私がどれほど幸福だったか、どんなに娘を誇らしく思ったか、みなさまにわかっていただけるでしょうか。

 

「見た?見た見た見た?うちの子、めっちゃやさしい!こんないい子っている?見たことある?」

 

って世界中に言って歩きたい気持ち。

いや、もちろん、子どもの自慢話ほどつまらないものはありませんから、誰にも言ってませんよ?今、初めて言うんですからね?

 

でも、「ちっともやさしくない」私に、こんなにもやさしい子どもが授かったことがうれしくて、本当に本当にうれしくて、私は娘の肩を抱き寄せて、一生、今日のことは忘れないだろうと思いました。

 

最近も、子どもの泣き声がうるさいとか迷惑だとかいう話題をよく見かけます。

少子化でどんどん子どもの数が減っていますから、どうしても子どもの所業には注目が集まってしまうのかもしれません。私と同じくらいの年齢の人ならば、「昔はどこへ行っても子どもだらけで、今よりもっともっとうるさかったよ・・・」と言うと思うのですが、そういう記憶も薄れて来つつあるのでしょう。

 

私にしても、娘がもう大きいですから、SNSなどで「うるさい」「迷惑」なんて言葉が並んでいるのを見ても、正直、

「いろんな人がいるな」

という感想しか持ちません。

だって、そういう主張をしている人は私の子じゃないですからね・・・他人なんだもの、誰が何を言っていたとしても、「ふーん」としか思いません。

 

でも。

仮に、もしも、もしもですよ?

そんな主張をしているのが、私の娘だったとしたら。

 

それはイヤです。

ショックです。

到底受け入れられません。

 

きっと私は膝から崩れ落ちるほどの悲しみの中で思うでしょう。

 

「小さい頃はあんなにやさしくていい子だったのに、一体いつからこんなに冷たく、思いやりのない子になってしまったんだろう。私の育児の何がいけなかったのか。今から躾のやり直しが可能だろうか、間に合うだろうか。」

 

そして、それでも、我が子のこととなれば、愚かにも、なんらかの言い訳を考えてしまうのでしょう。

 

「すれ違っただけの親子連れに、そんなに冷たい目を向けてしまうほど、ストレスの多い生活をしているのだろうか、何かつらい悩みを抱えているのではないだろうか、今現在、娘はとても不幸なのではないだろうか、だから気持ちに余裕がないのではないだろうか。」

 

そこまで考えて、私はまた、「娘がここまで大きくなってしまっては、親としては娘にしてやれることがほとんど残っていない」ことに気づいて、一層悲しみを深くするのでしょう。

 

「小さい頃なら、全力で守ってあげられたのに、もう、娘の人生に親が介入できる隙なんてほとんどない。娘の好物を食卓に並べる以外に、一体なにができるというんだろう。」

 

そう考えて、お布団の中で、しくしくめそめそさめざめと泣くのでしょう。

きっとそれくらいショックを受けるだろうと思います。

 

それでも、やっぱり黙ってはいられなくて、

「何かつらいことがあって、誰かに当たり散らしたくなったとしたら、ママに当たりなさい。どれほど不平不満があったとしても、世間様に当たり散らすんじゃありません。」

くらいのことは言うかもしれません。

 

親というものは、いつの時代も切ないものです。

できることはどんどん少なくなっていくのに、子どもを思って心配する心だけは、決して小さくなっていかないのですから。

 

今ふりかえってみても、育児をしている間の私は、あまりにも戦々恐々として、びくびくと気を使ってばかりいました。

だからと言って、私は今の若いお母さんたちに対して、同じように気を使い、縮こまって、小さくなっていなさい、なんて露ほども思いません。小指の爪の先ほども思いません。

むしろ、できることならば、もっとリラックスして、育児生活を楽しんでほしいと思っています。

 

けれども、もしも聞いてくださる気があれば、ひとつだけお願いしたいことがあるのです。

 

それは、「どうぞ、お子さんを、自分よりも弱い立場の人にやさしくできる人に育ててください」ってこと。

 

それは「泣かせるな」ということよりも、きっとずっと難しいことです。

でも、人に対して寛容な社会が到来すれば、子どもたちももっと生きやすく、幸せになれる確率が高くなりそうな気がするではありませんか。

 

私も再度、娘に言い聞かせたいと思います。

 

小さい人にはやさしく。困っている人がいれば、できれば手を差し伸べて。

もしも気持ちに余裕がなくてどうしようもなく迷惑に感じてしまう時も、決して顔に出してはいけません。って。

 

きっと娘は「わかってる」と言うことでしょう。

ちょっと生意気に。ぶっきらぼうに。

 

でも、私は娘がそれをきちんと守ることを知っています。

自分よりも弱い立場の人にやさしくできる、娘がそんな得難い美質を持っていてくれることが私の自慢で、だから娘はとても親孝行な子だと思っています。

(ちょっとはお勉強もしてほしいけど。あ、それと女子力も磨いてほしい。お部屋のお掃除ももっとマメにやってほしいし、彼氏のひとりでも連れてきてほしい・・・とほほ。)

(おまけ。今、この記事の下書きを読んだ娘が叫んでいます。「彼氏おらんくて何が悪いんよー!(大音量)」・・・うるさい。) 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

子どもにかけるのと同じ手間を夫にはかけていられない。って話。

みなさま、こんばんは。

 

先日、「好き嫌いなく何でも食べる子になってほしくてがんばったこと」っていう趣旨の記事を書いていたら、ふと

 

mamichansan.hatenablog.com

 

結婚当初、あれだけひどかった夫の偏食もずいぶんとマシになったなあ、と思いました。

新婚の頃には天ぷらに茄子を使うかどうかで揉めに揉めて、「実家に帰らせていただきます」を発動しようかと思うくらい大変だったものですが。

 

毎日の献立を考えるのも一苦労でしたが、彼の好き嫌いの何がイヤって、

 

「外出先でもよその人が一緒でも「それはキライ」ってハッキリ言ってしまうところ」でした。

 

みっともないというか、恥ずかしいというか、申し訳ないというか・・・

なんとも情けない思いをいっぱいしました。

 

で、夫の好き嫌いをなおすように、ちょっとはがんばったのです。

例えば。

 

1.圧力鍋でカレー作戦。

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時短料理に至高の道具、圧力鍋。

これだと「煮崩れさせる」ことが簡単。超簡単。

キライな食材も見た目がわからなくなります。

その上カレーにすればもう「なにが入っているんだか誰にもわからなくなる」こと請け合い。

食べ終わった後で、

「じつはそれ、茄子が入ってたよ。」

「えー、わかんなかった!」

って会話を何度したかわかりません。

食べることに抵抗のある食材を「騙してでも」食べさせるのに、これ以上のツールはないと思います。

 

2.好きなものと抱き合わせ作戦。

薄切り肉やベーコンで嫌いな野菜を巻くとかね。

それでも嫌がるときは、さらにそれにフライの衣をつけて揚げるとか。

見た目でわからなくなるので食べる時の心理的障壁は下がるようです。

でも、

「これ、なんのフライ?」

っていちいち聞くようになるのでちょっとうるさい。

実はそのフライの中身、茄子なんだよー、って種明かしをして、「茄子を食べる」経験値を上げたら、次は夫の好きなペペロンチーノ味の茄子を出したりしました。

 

3.理詰めと説得。

赤ちゃんが相手だと不可能でも、対象が大人だと言葉が通じるので助かります。

とにかくもう、必死で説得しました。

「日本では、好き嫌いが多いと「母親の料理が下手だったんじゃないか」っていう人が一定数いる、絶対にいる。あなたが好き嫌いをすることで、お義母さんが批判がましいことを言われたりしては、親不孝の極み。」

「だいたい、皇族の人でも、お皿の上に供されたものはなんでも食べるように躾けられるんだから、それがこの国のマナー。うちは庶民だから家の中では多少好き嫌いを言ってもいいけど、よそでは言わないで。誰が見てるかわかんないんだから。」

 

「親不孝」とまで言われてはぐうの音も出なかったのでしょう、以来、さすがの夫も外で食事をする際は、キライなものも黙って食べているようです。

 

3.気迫あるのみ。

ある日、夫がお皿の中の嫌いな食材を箸でつまんで、私のお皿の上にぽいぽいと入れ始めました。いかにも「イヤそうに」、まるで「ゴミを捨てる」みたいに。

私ね、キレました。マジギレのガチギレです。

で、言いました。

 

「私、なにがあってもあなたのお皿に「ゴミ」と「毒」は入れません。それからこの先、一生涯、二度と私の作るものに「おいしい」って言ってくれなくって結構です。だからもう、とにかく、なんでもいいから、出されたものは黙って食べてください!」(←真剣に怒ると敬語になる仕様)

 

コワかったんだと思いますよ・・・それからは素直に食べてくれることが多くなりました。

私も夫が「絶対にムリ」っていうものは出しませんが、その数と種類は激減しました。

 

正直言って、子どもの好き嫌いをなくそうとする努力に比べたら、ほんとに手抜きなんですが、それでもよくがんばったよ、私・・・と今でも思います。

 

実はここだけの話、夫の母はあんまりお料理が得意ではないみたい。

そんな義母が最近、いろんなものを食べられるようになった夫を見て驚いているので、「うっかり口をすべらせる」ことが多い夫が何かを言う前に、大急ぎで、

 

「年をとると味覚が変わるって言いますものねっ?!」

 

と言っています。

妻のおかげで好き嫌いが減った、あるいは妻がコワいから好き嫌いができないなんて、息子の母親にしてみれば切ない話なんじゃないかなーって思って。

 

主婦もこれで、色々と気を使うんですよ。ほんとにほんと。

 

おまけ。

先日、「アジの南蛮漬け」についてのお話をしましたが、やっぱりめんどくさいですよね、アジの南蛮漬け。

で、同じくアジと酢を使うお料理でも、簡単・手間いらずなおかずをオススメします。

 

1.細切り生姜、いり胡麻適宜を入れた水・醤油・酢(3:3:5)の漬け汁を用意する。

2.アジの開きを焼く。

3.焼きあがったアジを1に入れる。

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4.粗熱がとれたら冷蔵庫で冷やす。

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できあがり。

青ネギを散らしていますが、お好みで茗荷などの薬味をプラスしてもいいかもしれません。

南蛮漬けが嫌いな夫もこのアジは食べます。(何が違うのかはさっぱりわかりません。)

酢を使っているのでさっぱりしていて、暑い日にもいい感じ。

焼いただけのアジだと、ちょっと手抜きの感じがしますが、これなら夕食の1品として出しても大丈夫。(だと思う。ダメ?)

超!簡単!でもおいしい。

オススメです。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

苦手なお料理ってなんですか。

みなさま、こんばんは。

 

私の「主婦歴」もそれなりの年数になるのですが、「はてな」を始めてからというもの、

「主婦です。」

と言うのが苦痛になりました。

 

だってねえ。

はてな」の中にはお料理もお掃除もインテリアセンスも、まるでプロ並みの主婦がいっぱいじゃないですか?

みなさまって、一体、いつどうやって、そんなにすごい主婦になられたのかしらん。

結婚してからず~っとぼんやりし続けていた自分をちょっと反省する毎日です。

 

私の場合、やりたくない家事というのがいーっぱいあるんですが、

特に苦手なのが「大量の魚を料理すること」。

 

イワシとか、小アジとか。

 

主婦ですからね、一応。これでも。

イワシなんかを手で背開きにするくらいのことはするんですよ。

でもイワシとか小アジなどは数が要りますよね?

で、たくさんの小魚がまな板の上にずらっと並んでる状態が苦手なんですよ~。

 

「みんなこっち見てるー!」

 

って気分になって、ちょっとコワい。

 そんなことを言うと、

 

「なんだ、いい年をして!」

 

って言われるかもしれませんけれど、苦手なものは苦手なんですっ!

 

でも、食べるのは好きなんですよね・・・小魚。

で、先日、marcoさんのブログを見てたら、あまりにもおいしそうなアジの南蛮漬けを見つけて、

 

garadanikki.hatenablog.com

 

おいしそうだなあ、と思っていたら、そういう日に限って見つけてしまうんですよね、

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安売りのアジ。

これで100円。安っ!

 

これはもう「がんばって南蛮漬けを作りなさい!」という天からの啓示に違いない!と思って、久しぶりに作ってみることにしました。

 

まずはー。

新聞紙を用意します。

 

新聞紙?・・・うん、新聞紙。

 

小魚を料理する時って新聞紙が必須なんです。

頭や内蔵を処理したものを処分するのに最適なのが新聞紙。

2枚重ねにした新聞紙を折ってゴミ箱にするといい感じです。

多少の水分や匂いも気になりませんよ。

 

折りました。

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実はこのゴミ箱の折り方もmarcoさんに教えてもらったんですよー。

料理中に出たゴミをポイポイ入れられてめーっちゃ便利。オススメです。

 

ではでは料理していきます。

まずは冷蔵庫に常備してある野菜を適当に出して切っていきます。

人参からいきましょう。

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南蛮漬けですから、千切りですね。

実はこういう作業はキライではありません。

頭の中を空っぽにして、どんどん切っていきます。

人参、白ネギ、ピーマン、玉ねぎなどなど。唐辛子の輪切りも必須。

それを水、お酢、しょうゆ、砂糖のつけ汁に漬けます。

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すでにここで軽く失敗・・・

野菜と漬け汁だけでタッパーがいっぱいいっぱい・・・この上、アジが入る予定なのに・・・見積もりが甘い!

 

気を取り直してアジを捌きます。

ぜいごをそぎ落とし、エラと内臓を取ってお腹をさっと洗います。

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これ。

これが苦手。

なんかみんなこっち見てるー!

目が合ったー!

いやー!(←うるさい)

 

ここで気にし出すとキリがなくって、限りなく憂鬱になるので、なるべく心を無にして、作業を急ぎます。

アジに小麦粉をつけて、低めの温度で5分くらい、じっくりと揚げます。

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揚がったところ。

ここまで来ると、アジの目が見えなくなるので、ちょっと気が楽になります。(←どうでもいい)

漬け汁の入ったタッパーは小さすぎたので、大きめの容器にアジを入れてー、

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上から野菜と漬け汁をどばーっとかけて、作業はおしまい。

粗熱が取れたら冷蔵庫で冷やして、

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出来上がり。やれやれ。

 

魚が好きで、酢の物も好き、な母は大喜びでたくさん食べてくれたのですが、

夫と言えば、

 

「南蛮漬け?・・・給食メニューの中の一番の敵!」

 

と言って、ほとんど食べてくれませんでした。

なので夫には焼きそばをあてがっておきました。(←手抜き)

なんでも食べてくれる人なら作り甲斐もあるんだけどなー。

 

 

実はmarcoさんのブログから影響を受けたのは南蛮漬けだけではありません。

この本がおもしろいと聞けばさっそく読んでみたり、

この歌手がすごいと聞けばyoutubeで聞いてみたり。

コールスローサラダには砂糖、と聞けばその日の夕食にはコールスローサラダ。

 

毎日のように「marcoさんが言ってた!」「marcoさんのブログで見た!」と連発している私に、夫も、

 

「「先達はあらまほしきことなり」やな。」

 

と言っておいしくなったコールスローサラダを喜んでいます。

南蛮漬けも食べてほしいけど。

 

ふたり姉弟の姉として育った私はどちらといえばお節介で、子育ても過保護気味。

でも実は、小さい頃からお姉ちゃんとかお兄ちゃんがほしくてたまりませんでした。

もしも近所にmarcoさんがいたら、なんでもマネしたがって、鬱陶しがられたことでしょう。

だけどやっぱり、一度でいいのでmarcoさんのお料理してるところが見たいなあ、と思ってしまいます。

見たところで私のお料理が上手になるわけではないんですけどね・・・。あーあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

30周年・なにわ淀川花火大会

先日、8月4日のことになりますが、大阪では30回目の淀川花火大会が催されました。

なにわ淀川花火大会

もう30回目なのかあ、という感慨があります。

 

初回大会は平成元年。

私はまだ大学生で、母とふたりで自宅近くの河川敷から花火を見たのでした。

 

初回ですからね、「淀川花火大会」なんてまだだ~れも知らなくて、河川敷はひっそりガラガラ、一軒の夜店もなく、打ち上げられる花火もほんのちょっぴりで、PLの花火大会や天神祭に比べると、

「しょぼっ!」

っていう感想しか出ませんでした。

おまけに、いつの時代も若い人というのはついつい羽目をはずしてしまいがちなもののようで、「花火大会に合わせて花火をしよう!」と思い立った若者グループが(←今なら「リア充」なんて言われるんでしょうね)河川敷で手持ちタイプの花火をしまくってボヤを出し、消防車が出動する騒ぎになりました。

河川敷にサイレンを鳴らしながら突入してくる消防車を見て、母とふたり、

「どっから入ったんかなー」

「川の水で消火するんかなー」

などと話したのを覚えています。

 

今では想像もつきません。

 

淀川花火大会に近年、来場したことがある方なら、きっと不思議でたまらないことでしょう。

一体全体、どこで手持ち花火をするスペースが?って。

花火大会の日の河川敷に消防車が入る余地があるのか?って。

確かに今の淀川花火大会ではそんな余裕はありません。

 

ほら。

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人でびっしり・・・

なにしろ50万人を超える人出なんだとか。

あまりにもすごい混雑なので、最近はごくごく近所なのに、あまり出かける気になれませんでした。

でも今年は河川敷近くに住んでいる友人が「うちのベランダから見よう」と誘ってくれたので、大喜びで出かけてきました。

 

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午後6時。対岸に梅田の街とスカイビルが見えます。

花火の開始にはまだ1時間半以上。外で場所取りをしている人たちが熱中症にならないか気になるところ。

 

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完全に陽が落ちました。

東京に行ったときも思いましたが、都会は夜にこそ美しくなるなあと感じます。

こうして見ると大阪の夜もそれほど悪くはありません。私の写真はボケボケですが。


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7時40分。始まりました。

 

初回からずっと、市民のボランティアによる「手作り」で運営されてきたこの「なにわ淀川花火大会」。

これまで度々、ゴミや騒音、警備や渋滞などの問題をめぐって、「中止」や「廃止」の議論が巻き起こってきました。

正直、よくぞ30年も続いたなあ、という感慨があります。

 

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写真が下手。

たくさん撮ったのに爆発写真ばっかり。

そういえば、横チンさん、お元気かな・・・(←なぜそこで思い出す・・・?)

 

 

対岸のビル群のガラスが鏡の役目を果たし、打ち上がる花火が開くたびに、目の高さにもきらめきを感じました。

 

真上に打ち上げられた花火は空中で次々と消えていくのに、低い位置で開いた花火は盛んに燃えたまま、水の中に消えていきます。

 

思えば花火大会って春の桜に似ています。

毎年、同じ時期にあって、去年の今ごろは、と考えるところ。

いつも同じように見えて、少しずつ違っているところ。

来年は、と考えて、一年の無事を祈るところ。

 

一度だけ、対岸で見上げた花火。

あれは済生会病院の駐車場で、父の背中の後ろで見たのでした。

父の人生で、最後の花火になると、誰もがわかっていました。

父自身も。

あの年の桜も、自分にとっては最後だと、父はわかっていたことでしょう。

 

 

10時まで友人の家に待機させてもらったのに、帰路、十三駅までの道は人であふれかえり、まっすぐ歩けない状態でした。

私の前には若いお父さんに連れられた小さな女の子が歩いていました。

たくさんおはしょりをした浴衣に、金魚の尾びれのような赤い兵児帯

彼女が歩くたびにその兵児帯が揺れました。

私は父に連れられてこんな風に歩いた記憶はありませんし、そういえば、父と花火を見たのも、あれが最初で最後だったのだと気づいて、その縁の薄さにあらためて驚きつつ、父に向かって心の中で、

「おおむね自業自得だけど、それでも損したねえ。」

とつぶやきました。

強がりで、素直でない人だったので、私がそんなことを言ったら、反射的に「そんなことないっ!」と強弁しただろうと思いますが。

 

毎年めぐってくる季節ごとの行事には、生きている人も死んでいる人も参加している気がします。

「平成の」淀川花火大会も今年でおしまい。

来年の花火大会に、私は誰を思い、何を感じ、どんなことを考えるのでしょう。

 

今はまだ想像もできませんが、忘れるとうるさそうなので、父のこともちゃんと思い出してあげようと思います。

どうせあちらの世界でも酔っぱらって騒いでいるんだろうと思うのですが。

死んだ人にはかないませんね。

 

 

 

 

 

 

 

せっかくお金持ちだったのにね…モテなかった後輩のこと(子育ての思い出・4)

またまた昔の話になりますが。

 

大学を卒業後、ある企業で働いていたころ、隣の課に「もんのすごい」お金持ちの男の子が入社してきたことがあります。なんでも大阪の一等地にいくつも自社ビルを抱える会社の御曹司とかなんとか。

 

私が勤めていたのはどことなく昭和の香りが残る旧弊な会社で、短大卒の女子社員は男性社員の結婚相手要因としての色合いが濃厚でしたので、隣の課の若い女性たちは、その男の子の噂に接してからどことなく色めき立っていました。

 

で、最初の1か月ほどは、終業後にみんなでごはんを食べに行ったり、飲みに行ったり、それなりに楽しくやっているようだったのですが、ふと気がつくとあれほど盛り上がっていた女子社員のテンションがだだ下がり。

どうしたのかなあと思って、隣の課の同期入社の男の子に、残業ついでに食事に行った時に聞いてみました。

「盛り上がってたのに、最近静かやねえ。どないしたん?」って。

 

そうしたら。

 

「あの新入社員さ、好き嫌い多いねん。食べ物の。」

 

は?好き嫌い?そんなん誰にでもあることやん?

 

「いや、あれはちょっとひどい。てか、かなりひどい。食べられるものが少なすぎるし、あれがイヤ、これもムリ、それもキライって言いすぎ。」

 

ふーん。それで女の子たちから総スカンくらってるの?

 

「そもそもな、一般職の女の子たちって、ほとんどが縁故採用やん?もともと家がお金持ち、って子が多いからさ、そこまでしてお金持ちと結婚したいわけでもないんやろなあ。一緒に楽しくごはんも食べられへんようなのは論外みたいやで。」

 

なるほど、なるほど。

で、そのころから、隣の課の雰囲気はまたちょっと変わっていきました。

 

もとから女性の多かったその課では、帰りにお茶をしたりごはんを食べに行く習慣の多いところで、終業時刻が近づくと、

「帰り、どこ寄る~?」

なんて和気藹々とみんなで盛り上がっていたものなのですが、それがすっかりなくなって、ロッカールームや給湯室で女の子たちがコソコソと相談する姿を見かけるようになりました。

理由はと言えば、その新入社員を誘うのがイヤだから。一緒について来られるのもイヤだから。

 

私ねえ、「中学生かよ・・・」って閉口しましたけれど、

 

「だって、ナスビ食べてたら、「うわ、ナスビ食うんすか!」とかいちいちうるさいし、逆に好きなものが大皿に乗ってたら、ひとりで全部食べちゃうし、とにかくもう無理。絶対にムリ。あの子に合わせてたら行けるお店なんかほとんどないんやもん!」

 

と言われて、うーん、と唸ってしまいました。

その新入社員が嫌われてしまうのは、好き嫌いが多いから、というよりも、「食事中のマナーの悪さ」や「気づかいのなさ」のせいのような気がしましたけれど、でもあまりにも「好き嫌い」が多いと、だれからも誘ってもらえなくなって「さびしくなってしまうんだな」としみじみ思いました。

 

にも関わらず、うっかり偏食家の夫と結婚してしまった私。

 

mamichansan.hatenablog.com

 

せっかくお金持ちなのに、ちっともモテずにあっという間に転勤していった例の新入社員や、自分の夫のことを考えると、「食べ物の好き嫌いは人生をハードモードにする、絶対!」という感を強くした私は、子育ての第一目標を「好き嫌いをなるべくなくす!」ことにしようと決めました。

 

今日は子どもが「好き嫌いなくなんでも食べる」ようになるために私がやったことのあれこれについてお話ししたいと思います。

意外と効きます。

もしも子育て中のお母さまがいらしたら、ぜひぜひチャレンジしてみてください。

 

1.「ワンワン」に頼る。

小さいお子さんなら誰もが知ってる、NHKの「いないいないばあっ!」。

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それに登場するこの「ワンワン」。当時は番組内で、しょっちゅういろんな野菜と踊っていました。

ある時、「ピーマン」と踊っていたワンワンを見た私は娘に「これなあに?」と聞きました。娘はすかさず「ピーマン!」と答えたので、私は娘をバギーに乗せてスーパーに行き、袋に入った売り物のピーマンを見せてまた「これなあに?」と聞きました。

娘はまた「ピーマン!」と答えたので、そのピーマンを買って帰宅、今度は娘の目の前でピーマンをみじん切りにして、小さくなったピーマンをつまんで娘に聞きました。「これなあに?」って。

で、料理をしている間、ずっと娘と「これなあに?」「ピーマン!」を繰り返し、

できあがった料理を娘の口に入れた後で聞きました。

「ピーマン、どこ行ったの?」って。

そしたら娘はモグモグしている自分の口を指さしました。

ごっくん、と飲みこんだ後にも聞きました。

「ピーマン、どこ行ったの?」って。

娘はちょっとだけ頭をかしげて考えているようでしたが、お腹を指差しましたので、こんなに小さいのに、食べたものがお腹に入るってわかるんだ!ととても驚いたことを覚えています。離乳食後期のころだったと思います。

自分で育てた野菜ならよく食べるって言いますけれど、都会ではそれはなかなか。

でも、料理の過程を見せるだけでも意外と食べてくれる気がします。

 

2.味見作戦。

料理の間にちょっとだけ「味見する?」って聞くと、うれしそうになんでもよく食べてくれました。

これはほんとによくやったなあ。

ちょこっとだけ、特別に食べさせてもらえるものって、大人でもうれしいですものね。

にんじんや豆腐、ホウレン草などの青菜も、この味見作戦のおかげか、抵抗なく食べてくれるようになりました。

 

3.つまみ食い作戦。

夫の出勤日の夕食はなかなか一緒にとはいかなくて、夫の夕食は帰宅後、別に用意していたのですが、夫が夕食をとっていると、娘がちょっと欲しがるのです。

自分の夕食から2時間は経っているので小腹が空くタイミングだったのでしょう。

私は娘が欲しがれば、ちょっとだけあげるようにと夫に頼みました。

自分の食事の時には食べようとしなかった大根も、夫にひとくちもらうと喜んで食べました。

大根はほんとに手ごわかったのですが、「つまみ食い作戦」のおかげで食べられるようになりました。今ではおでんの大根も大好物です。

 

4.根気。

あとはもう根気。ほんとにそれだけ。

なだめてすかしておだてて機嫌をとって。

ほんとに疲れることですが、空を飛んで虫を捕まえるツバメさんよりは楽チンなはず!と自分に言い聞かせ、子どもを根負けさせるつもりで臨むしかありません。

 

「いらち」で基本的に短気な私は、実のところ、子どもの食事につきあう度に「苦行かな?」って思っていました。お料理が得意ってわけでもありませんし。

でも、好き嫌いなくなんでも食べてくれるようになった娘の食事作りは本当に楽チンで、今になって、あの頃の努力は無駄ではなかったと痛感しています。

実はひとつだけ、克服できなかった食べ物があって、それが「餡子」なのですが、それも「あれだけやってダメだったのだから、もういいや。」と肯定的に納得できています。

子育てって、あとからあとからいくらでも後悔が押し寄せてくるものですが、ひとつくらい「やれるだけのことはやった!」と思えることがあると、少しだけ気持ちが楽になるものです。

 

子どものため、というよりも後々、自分にできる言い訳をひとつ用意するのだと思って、がんばってみるといいかもしれません。

 

おまけ。

この記事の下書きを読んでいた夫が言いました。

 

「お金持ちの話って言うから、今回は俺、関係ない!って思ったけど、「好き嫌い」かあ・・・やっぱり俺への文句やん!」

 

って。

そんなこと言うならコンニャクもイカも黙って食べてくれればいいのに。(←文句)

最近は娘に「パパ、好き嫌いしちゃいけません。」と叱られている夫。

やっぱり好き嫌いって少ない方がいいですよー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

赤ちゃん連れの通院は無理ゲーでした。(子育ての思い出・3)

みなさま、こんばんは。

 

子どもが小さいうちって、いろんな苦労や制約があるものですけれど、

その中でも「大変だったなー」ってしみじみ思うことってなんでしょう。

 

私の場合、「通院」でした。

 

もちろん、子どもの具合が悪い時には、どんな状況であっても大急ぎで病院へ駆けつけるわけですけれど、問題は「母親である私自身が不調の時」。

子どもを出産するまでは、かかりつけのお医者さまや病院に対し、不満を感じることなんてなかったのに、「身ひとつ」であった時と、出産後とでは、事情がまったく違ってしまう、という単純なことを、私は自分が身をもって体験するまで、気づきもしませんでした。

 

あらかじめ予約を入れて病院に行く場合などには預け先を確保したり、実家の母に来てもらったり、打てる手はあるのです。

でも、「体調」というのは、いつなんどき悪くなるかわからないもので、必ず先手を打てるとは限りません。

今日は、今でも覚えている「ママの通院で困った状態ベスト3」を振り返ってみたいと思います。

1.熱中症治療。

夕方、コップを洗っているわずかの間に、一気に40度の発熱、割れるような頭痛に「いくらなんでもこれはおかしい」と思い、当時2歳の娘を抱っこしてタクシーで病院に向かいました。

で、まあ熱中症だということで、点滴を受けたんですが、それが3時間くらいかかりました。

病院のベッドに横になった状態で3時間、2歳児の相手をするのって結構キツイです。

 

2.術前検査。

まさか手術になるとは思っていなかったのに、「手術するから、術前検査を受けて帰ってね」と言われて、病院内の検査室を5か所回るように指示されたことがあります。

で、娘をバギーに乗せて、病院の中をあっち行ったりこっち行ったり。

おまけにありとあらゆる検査場所が、当たり前ですが「おひとりさま限定仕様」。

検尿をするためのトイレには赤ちゃん用のスペースがなく、心電図を撮るためのベッドは狭くて娘はバギーに乗せたまま待機、レントゲンやCTの撮影ではそもそも一緒に入室できませんから、

「技師室に置いといてください」と娘をバギーごとお願いしたら、検査技師の若い男性に

「えっ?」

って言われました。

その気持ち、めーっちゃわかるわあ、財布預けられてもちょっと迷惑って思うもんね、だって大事なものだから、万一のことがあったらどうしよう、責任取れないって思っちゃうのも当たり前。そもそも大事さ加減から言えば、財布どころじゃないもん、生きてるもんね、ナマモノだもん。わかる、わかる、その「え?」って気持ち、すんごいわかるよ?でも私も必死やねん、廊下に置いとくわけにいかへんやん?

「大丈夫、泣かないと思うのでっ!(知らんけど)」

と半ば強引に技師室に入れてもらいました。

でもなんだろう・・・すんごいわがままを言ってる気がして、顔から火を噴きそうでした。

 

3.中耳炎治療。

子どもみたいなんですが、中耳炎によくなります。痛いんですよね、これが。

居ても立っても居られない、まさに七転八倒、あまりの痛さに病院に薬をもらいにいくのですが、診察の後でたいてい耳に薬を入れられます。

横向きに仰臥したまま約20分。動かずにじっとしていてください、と言われるのですが、これが赤ちゃん連れだと難易度が跳ね上がります。だって、耳鼻科診察室のベッドってたいていがこんな感じ。

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よくありますよね、こんなベッド。

横たわるのがひとりである場合には十分なベッドなんですよ。

いくら私が太ってるからって、このベッドに乗れません、ってわけではありません。(←ほんとうですってば!)

ただ、赤ちゃんが一緒の人間には、このベッドはあまりにも狭い、狭すぎるのです。

耳鼻科医院の診察室ってバギーも入れられないし、だからずっと抱っこしているわけですが、この診察台の上に横たわったら、抱っこは当然できません。せめて仰向けに寝るのだったら、お腹の上に乗せておけるのですが、残念ながら耳の治療では横向き仰臥。

仕方なく、横向きになっている20分の間、娘を腰の上に乗っけていました。

もうね、落っことさないように必死!

娘がおとなしいタイプだったのでなんとかなりましたが、じっとしていられないタイプの子どもであれば、床の上で好きにさせるしかなかったのかもしれません。それはそれできっとストレスだったろうなあ、と思います。

 

たとえば産婦人科や小児科では、授乳室や、赤ちゃんをちょっとの間寝かせておけるスペースがありました。

でも、他の診療科ではそういったスペースは皆無で、私は病院に行くたびに、

「ああ、小さい子がいるお母さんは病気なんかしないというのが前提なんだ」

と思いました。

 

病院だけではありません。

 

出産後、たびたび不調になる私(←ぎっくり腰もやった!)のために、夫が夕方、

「妻が具合悪いようなのでそろそろ帰ります」

って言ってたらしいのですが。

そうしたら、言われたのですって、上司に。

 

「身体の弱い嫁さんやなあ。そんな嫁さん、実家に帰してしまえ。」

 

って。

 

それを聞いたときの私の気持ちはとてもひとことでは言い表せません。

 

まず最初に心に浮かんだのは「申し訳ない」という気持ち。

これはかなり強い感情でした。焦燥感にも似たような。

私も企業で働いたことがありますから、「仕事ができない」とか「戦力にならない」とか思われることの惨めさや切なさはよくわかります。

私のせいで夫が、会社でそんな風に扱われていたとしたらどうしたらいいのか・・・たまらなく申し訳なくて、自分が情けなくなりました。

で、次に感じたのが「悲しさ」。

いくら申し訳ないと思ったとしても、突如完璧な健康体になれるわけではありません。

自ら望んで病気になったわけでもないし、痛かったりしんどかったりするのは私で、誰よりもすっきり健康になりたいのも私自身なのです。

おまけに、これは子どもが産まれる前、私ひとりの身であれば起こりもしない問題で(←ひとりで寝てればいいだけの話)、なぜ夫に終業後、早めに帰宅してほしいのかと言えば、娘がいるからなのです。

娘のお世話に手が回らない状態だから、父親である夫になるべく早く帰ってきてほしいというだけのことなのに、

「なんでそんな冷たい、情のないことを言われなくてはならないのか」と思うと、悲しくってたまりませんでした。やはり母親というものは体調を崩すことさえ許されないのだろうかと。

で、ふと思ったのが、「どうして夫はそんなことを私に告げるのだろうか」ってこと。

夫の上司にしても、いくらなんでも私に向かって直接、そんなひどいことを言うとは思えず、それは、

「奥さんの耳に入らない場所での、男同士の軽口」

程度の発言だったのではないだろうかと思うのです。

「まさかそんなこと、実際に奥さんの耳に入れる男がいるとは思わなかった!」

というのが本音なんじゃないかな・・・。

 

私は夫の上司の発言と、それをそのまま伝えてしまう夫に、

申し訳なく思い→悲しくなり→夫の浅薄さにイライラとし、

あまりにも考えること、感じることが多すぎて、泣くべきなのか怒るべきなのか、どんな顔をしていいのかすらわかりませんでした。

今は怒ってます。夫にね。ほんとにデリカシーないったら、もー。

 

けれども、私自身、赤ちゃんと一緒に病院に行くことの大変さを、自分で経験するまでは全くわかっていませんでした。

であるとすれば、出産・育児に対し、主体的に関わらずに済んできた男性はもっとわかっていなくて当然なのかもしれません。

 

自分の身に起こったこと、起こるかもしれないこと。

 

それ以外の物事に関して想像力が欠如しがちであることは、 私たちの多くが経験していることです。

病院とは、他のどんな場所よりも、弱い立場の人が集まるところですから、できることなら、困っている人、弱っている人の利便性を日々追求してもらいたいと思います。

 

急に病院に行く必要に迫られた時、もしもそばに乳幼児がいたら。

それはあまりにもハードモードでした。

今では一人ですいすいと病院にも行けてしまうので、若いお母さんたちを見るとついつい心配でちらちらと様子をうかがってしまいます。

もしも、赤ちゃんをつれての検査などが無理ゲーだったら、いつでも見ててあげるよー!という気分で見ているのですが、今のところ、そんなシチュエーションに出会ったことはありません。そもそも親子連れを見ることが少なくなりました。少子化って想像以上に進んでるんですね、きっと。

でも、困っている人はいると思うのです。確実に。

ここをご覧になっているみなさまも、もしもそんな現場に出くわしたら、ぜひ手を貸してあげてくださいね。