中高生にめーっちゃオススメ、YA文学3選。

みなさま、こんばんは。

 

しつこいようですけれど、小学校で読み聞かせのボランティアをしております。

「めんどくさ~い」と「おもしろ~い」が半々・・・(いや、ウソです、ほんとは「めんどくさい」が7割くらい・・・)

でも、メリットがないわけではありません。

なにしろ絵本・児童書は読み放題。

稀に大人向けの本なんかも紛れ込んでいますから、それらを借りることも可能です。

 

また、近隣の中学校からお手伝いの要請があった場合はなるべくそれに応じますから、中学校図書室にも出入り自由。

中学校の図書室の蔵書はずっと大人向けですし、話題書なんかも充実しているので、地域の公立図書館よりもかなり早く人気の本を借りて読むことができます。

 

もちろん、「中学生のための」図書室ですから、あまり図々しいことはできませんが、

 

「これ、今、めっちゃ話題になってる本やん。ほんまに借りてもいいのん?」

 

と聞くと、

 

「いいですよー!誰も読まへんし!!」(←あかんと思う。)

 

という返事が返ってくるので、毎回ありがたく借りることにしています。

で、最近借りて帰った「YA(ヤングアダルト)文学」と呼ばれる中高生向けの本があまりにも大当たり!(←おもしろかったの意)だったので、ぜひご紹介させてください。

 

1.「3つ数えて走りだせ」

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エリック・ペッサン著 平岡敦訳 あすなろ書房

 

こちらはフランスの現代小説。家出少年の逃亡と冒険譚の顛末。 

父親から虐待を受けているアントワーヌと、強制送還に怯える移民の子トニー。

ふたりはある日突然走り出します。なんの目的もなく、一銭のお金も持たずに。

 

13歳の少年がただひたすら走り続ける小説なのですが、今まさに羽化しようとするサナギを見守っているような、危うくも健やかな印象の残る本です。

彼らは13歳という年齢の子どもが持つにはいささか大きすぎる問題を抱えていますから、彼らの「走り続けること」には、もちろん「逃亡」という要素もあるのでしょう。

抱えきれない問題を背負った子どもに対し、「逃げてもいいんだよ」というメッセージが送られることは日本でもよくありますから、どこの世界でもおんなじようなことはあるんだな、という感想を持ちました。

ただ、もちろん13歳の未成年の子どもたちがいつまでも家出状態のままでいられるはずもなく、彼らの逃亡劇にも終わりの瞬間が訪れます。

アントワーヌは思います。

 

そうか、ぼくたちはゴールに近づいたんだ。

でも、レースがこんなふうにぶざまに終わるのは嫌だった。敗北は認めたくない。勝って終わりにしたかった。

どうしても勝たなくては。

 

誰と争うわけでもない、たったふたりで始めた逃亡劇。

でもアントワーヌとトニーのふたりは「勝ち」にこだわります。そしてある方法を使って、彼らは本当に鮮やかな逆転ゴールを決めるのです。

 

ラストの展開を読んで、私はしみじみと日本人との感覚の違いを感じずにはいられませんでした。

 

彼らは「逃げる」ことを否定はしない。

でも、言うのです、「戦え」そして「勝て」と。

自由とは人権とは、タダでは手に入らない、戦って勝ち取るものだと。

 

さすがはフランス、世界に先駆けて人権宣言を打ち出した国だなあ、とつくづく感心する思いのラストでした。

 

「逃げてもいいんだよ」という子どもたちへのメッセージ。

でも逃げた後のこと、逃げた先のこと。

そのイメージが想像できなければ、「逃げる」ことをためらう子どもがいても不思議ではありません。

今まさに袋小路に迷い込んで、にっちもさっちも行かなくなっている子どもたちがいるとすれば、ぜひこの本を読んでみてほしいと思います。

フランスの街を疾走するアントワーヌとトニーのふたりが、きっと背中を押してくれることでしょう。

 

2.「スピリットベアにふれた島」

ベン・マイケルセン著 原田勝訳 鈴木出版

 

主人公は15歳のアメリカ人少年、コール。

金銭的に何不自由のない生活を送っているけれど、両親との関係がうまくいかないコールは問題行動を繰り返し、ある日とうとう同級生のピーターに後遺症が残るほどの怪我を負わせてしまいます。

本来なら刑務所に送られるはずのコールですが、「サークル・ジャスティス」という制度の手続きを経て、アラスカ州南東部の無人島に1年間追放されることになります。

その無人島での経験がコールの考え方を変え、彼は徐々に自らの行動を見つめ直していき、そして最後には被害者であるピーターの心の救済にも関わるようになっていくのです。

 

正直に言いますと、刑務所送りの代わりに無人島に送られるなんて、あまりにも荒唐無稽な設定だと思いました。

でも、作者の筆力の高さはそんな雑感を吹き飛ばすに十分で、読んでいる私は物語にすっかり引き込まれてしまいました。

 

特に、無人島で重傷を負い、生死の狭間をさまようコールの描写は必読に値します。

小さく非力な鳥のヒナにさえ怒りの感情を爆発させていたコールが、嵐の後でそのヒナを心配して、

「おまえら、だいじょうぶか?」

と声をかけるシーン。

コール少年の心情の変化が高い説得力で表現された名場面だと思います。

 

また、この本の本筋からは外れますが、白人を中心とする西洋社会が、それ以外の文明に対してようやくにしてリスペクトをし始めたような気がして、感慨深いものがありました。

 

コールが受けた「サークル・ジャスティス」という制度は北アメリカ先住民の間で受け継がれてきた犯罪関係者の処遇を決定する風習で、私たちが想像する現行の裁判制度とは少し趣を異にしますが、アメリカでは実際に少しずつ導入され始めているのだとか。

「北アメリカ先住民」

要するにインディアンやエスキモーを指すのだと思うのですが、そういった人々がこれまでどのように遇されてきたのかを思うと、その風習をアメリカ社会が取り入れていくことの意義を深く感じずにはいられません。

 

これまで啓蒙的というか、ある種押し付け主義の一面もあった西洋文明とその社会が、それ以外の社会の在り様を受け入れつつあることが、この本からも読み取れるような気がします。

 

余談ですが、この本は過去に課題図書に選定されたことがあるので、どこの図書館でも蔵書をたくさん抱えているはずです。

今調べたら大阪市立図書館の場合、その蔵書は25冊。予約は1冊も入ってません!

ということで、最寄りの図書館でもすぐに手に入ると思います。ぜひぜひ図書館へGO!

 

 

3.「ヒトラーと暮らした少年」

ジョン・ボイン著 原田勝訳 あすなろ書房

 

両親を相次いで亡くした少年ピエロは、叔母が住み込みで働くヒトラー総統の別荘・ベルクホークに引き取られます。

権力者と間近に生活するうちに、無垢な少年は徐々に変質していき・・・

 

ユダヤ人の少年と兄弟のように仲良くパリで育ち、列車の中でユダヤ人が席を追われるのを見て、「この席は空いていますよ」と止めようとするほど純粋で無垢であった少年が、権力者のそばで生活するうちにだんだんと変わっていってしまう様を、淡々とした筆致で描き出してします。

読んでいて、なまじなホラー小説よりも恐ろしく感じられました。

 

ピエロ少年はヒトラーのそばで成長するうちに、ユダヤ人への偏見に染まり、ユダヤ人の友人からの手紙を隠すようになり、ヒトラーの歓心を得るため、あるいは自分の立場を守るために、恩人である叔母を売り、その仲間を売り、そしていつか、自分の恋心を受け入れてくれない女性をその一家ごと売るようになります。

 

幼く非力で、でも素直でやさしい少年が権力者の影響を受けて、だんだんと「虎の威を借りる狐」になっていくのを見るのは心かき乱されることでした。

また、権力者のお気に入りとなった少年の言葉を無批判に「忖度」し続ける周囲の大人たちの態度も身につまされるものがありました。

 

純粋だからこそ、周囲のものをたやすく吸収してしまう子どもたち。

ナチスの時代だけが特殊だったとどうして言えるでしょうか。

 

中国の紅衛兵を連想せずにはいられませんでした。

統帥権干犯」という言葉が乱用されたわが国の歴史も。

 

権力者に阿り、変質していく心、その醜さと弱さから、どれだけの人が無縁でいられるのでしょうか。

同じ状況に陥った時、それを跳ね返すだけの強さが自分に備わっているのだろうかと、何度でも自問せずにはいられなくなる1冊でした。

 

 

以上3冊。

どれもほんとにおもしろくって、最後まで一気に読めます。

このブログに中高生の読者さんはいないと思いますが、その保護者の方はいらっしゃるのではないかしら。

息子さん、お嬢さまにぴったりですが、大人が読んでも十分おもしろい本ばかり。マミーさん超絶オススメ。

もしもお時間があったらぜひ読んでみてくださいね!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

運動会と発達障害児と涙の思い出。

みなさま、こんばんは。

 

街中に金木犀の香りが漂う季節となりました。

近隣の学校からは太鼓や音楽、子どもたちの歓声が聞こえてきます。

運動会の季節でもありますね。

 

娘が通う学校の運動会は6月に終わってしまいましたが、小・中学校では今がシーズン。小さい子どもたちの大きな歓声が聞こえると、ふと立ち止まって校庭を覗き込んでしまいます。

運動会って大好きなんですよー。

いや、自分が子どものころはあんまり好きじゃなかったけど。(←運動音痴)

でも、1・2年生の子どもたちが一生懸命に走ったり踊ったりしているのって、ただただもうかわいくって、いつまでも見ていられます。

特に好きなのが、「運動会の歌」。


【運動会の歌】ゴーゴーゴー!

プログラムの最初の方、全校生徒みんなで歌うのですが、それがかわいくってかわいくって。

娘が小学生のころは毎年、この歌が始まると感極まって泣いてしまい、友人たちに、

「早っ!」

とか

「早い、早い早い!運動会、これからやん!」

ってツッコまれたものでした。

 

中でも思い出深いのは「組体操」。

娘が小学6年生の運動会の日のことです。

 

深刻な怪我が発生しがちなこともあって、最近ではあまり見なくなりましたが、娘が小学6年生のころにはまだ、組体操は運動会の花形プログラムでした。

毎年難易度の上がっていく演技、どんどん高くなるピラミッド、暑い盛りに連日の猛練習。

正直言いますと、個人的には「なくなってもいいのに。」とずっと思っていました。

娘が1年生のときには、練習初日で腕を骨折した6年生がいて、

「小学校最後の運動会を見学で過ごさないといけないなんて・・・」

と本当にかわいそうに思ったりしましたから。

 

でも、運動会当日。

実際の演技を見ていると、感動するんですよね、これが・・・。

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写真はネットからお借りしましたが、娘が運動会で披露したピラミッドもだいたいこんな感じでした。

保護者にしてみれば、

「あんなに小さかった我が子が、いつの間にやらこんなに大きくなって、あんなに複雑なことができるようになるなんて。」

という点が特大の感動ポイント。

また、「みんなで」「力を合わせて」「一生懸命」な姿が、日本人の心の琴線に触れまくるわけです。

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1段目後方でピラミッドを支える子どもたちなんて、どこからどう見てもその顔は見えなくなります。

 

「目立たない場所でも、みんなのために一生懸命、力いっぱい支えなければ、巨大ピラミッドは成功しない・・・。」

 

本の学校現場では「一致団結」という言葉がやたらと尊重され、大事にされるものですから、親の世代も同じく「一致団結」の場面を見ると感動するように刷り込まれているものと思われます。

下の段の、最も重い思いをしているだろう子どもたちが、顔を真っ赤にして、必死で耐えている姿をみるだけで、大人たちの胸はどうしようもなく熱くなってしまい、保護者席には号泣する親御さんたちの姿がたくさん見受けられました。

もちろん、私もそのひとり。

最後に、一番上によじ登った生徒さんがポーズを決めた瞬間には、運動場が揺らめくほどの拍手と歓声が響き渡りました。

私も号泣しながら、手が痛くなるほど大きい拍手を送りました。

本当に、本当に感動しました。

運動場で担任の先生とすれ違った時、

「ピラミッドの前に、まる子ちゃん(←仮名です)がボクの目を見て、しっかり頷いてくれたんですよー。成功を確信しました!」

なんて言ってくれて、それはきっとリップサービスであったのでしょうけれど、私は先生のご指導に心から感謝して、お礼を言ったものでした。

 

で。

感動の余韻に浸りまくって、組体操も悪くないなあ、なんて思って運動場をうろうろしていたら、娘の同級生、Nちゃんのお母さまとぱったり出会いました。

 

Nちゃんはいわゆる「アスペルガー症候群」のお子さんで、学業にはあまり問題がないのだけれど、体育は全般的に苦手、団体行動も苦手、また自閉症スペクトラムのお子さんにはよく見受けられるように、「身体的接触」を嫌がる傾向が顕著だということで、早くから組体操をパスして見学することを決定していたのでした。

 

Nちゃんのお母さまは、「組体操、すごかったねえ。」とニコニコと話しかけてこられました。

私もまだ興奮状態だったので、「ほんまにね!涙で前が見えへんくらいやったわー」と返しました。

私、満面の笑顔だったと思います。

 

そうしたら、Nちゃんのお母さまが言いました。

 

「Nがね、組体操の間、すごくさびしそうにしてたから、毎日練習するのは無理でも、本番だけ、はじっこの方ででも、参加させてもらえばよかったのに、って言うたんよ。

そしたら、

「そんなんあかん。みんな毎日、あんなけ必死で練習してきたから、これだけ拍手をもらえるねん。私はそういう努力をできひんねんから、そんな資格はないねん。最後の最後でおいしいとこだけ乗っかるなんて、そんなずるいことをしたらあかん。」

って言うねん。 

ちょっとね・・・なんていうか、泣けたなあ。」

 

って。

 

私ねえ・・・その瞬間、頭から冷たい水をかぶったような気持ちになりました。

顔にはりついた笑顔をどう引っ込めたらいいかもわからないくらいで・・・いわゆる「フリーズ状態」だったと思います。壊れた機械のようにね。

 

運動会の練習が始まったころ、Nちゃんは組体操に参加しないと聞きました。それがNちゃんの希望だとも。

アスペルガー症候群という特性を持ったNちゃんとそのご家族がそれを最適解とし、学校側もそれを受け入れるとするならば、私はそれを「結構なことだ」と思っていました。

私が子どもの頃にはアスペルガー症候群なんて誰も知らなくて、運動会には身体的障害でもない限りは誰もが、

「なにがなんでも」、

「強制的に」、

「無理やりにでも」

参加する・させられるのが当たり前だと思っていたので、学校側も児童の事情に対して少しは斟酌してくれるようになったんだなと、それは「進歩」であるとすら思っていたのです。

 

思い通りにならなかったら、パニックを起こしたり、学校のルールよりもマイルールを押し通してしまうNちゃんでしたから、組体操をさせるなんてことは無理と言うよりも虐待に近いと私は思っていました。思い込んでいました。

事故につながらないよう、先生方の指導はとても厳しいし(体罰とまではいかなくても怒鳴ったり、厳しい言葉の叱責はあり)、記憶のとどめ方も定型発達のお子さんたちとはちょっと違うのがアスペルガー症候群のお子さんの常ですから、先生方の叱り方がトラウマになりかねないとも思っていました。

 

でも。

運動場でかけ声を合わせてポーズを決め、拍手喝采を浴びている同級生たちを見て、Nちゃんがどんな思いをするのかということまでは、正直思いが至らなかったと言えます。

その日、その時、Nちゃんがどれだけ寂しい思いをするかということにも。

車椅子に乗った子でも、応援旗を振る役などで参加しているというのに。

 

もちろん、担任でもなんでもなく、同級生の母親であるだけの私が、Nちゃんのために何ができたわけではありません。

そして、今から考えても、Nちゃんがあの組体操に参加することは、やはり厳しかったろうな、と思います。参加するかどうかを自分で決めさせてあげられたことは英断だっただろうと。

 

でも、やっぱり、考えずにはいられないのです。

 

「一致団結」と言います。

美しい言葉です。

 

その「一致」ってなんだろうって。

「団結」ってなんだろうって。

 

誰かが寂しい思いをしている横で歓声を上げて、そこにどんな一致団結があるのでしょう。

誰かに疎外感を与えてまで、それは達成されるべきものなのでしょうか。

 

みなが等しく扱われるべき学校現場で。

 

100人の発達障害児がいれば、100通りの個性があると言われますから、そのひとりひとりに手厚く配慮をすることは、実際問題としてむずかしいことはわかります。

 

だからこそ、忘れないでいたいと思うのです。

「一致団結」することの「喜び」「気持ちよさ」「恍惚感」に乗り切れない人がいるかもしれないことを。

そういう人もまた、この社会の構成員のひとりなのだということを。

 

今でも、あの組体操を思い出すと、どよめく感動の歓声と拍手、娘の高揚した頬の赤さと見学席のNちゃんの姿が目に浮かびます。

私の涙と、Nちゃんのお母さまの涙の違いもまた。

 

何が正解だったのか、あるいは間違いだったのか、

いや、正誤なんてないのかもしれない、ただ他にもっといい選択肢はなかったのか、

これからも考え続けたいと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

理想の男性が恩人になった、そして夫への嫌がらせ。

みなさま、こんばんは。

 

唐突ですが、みなさまには「理想の異性」っていらっしゃるでしょうか。

その質問に「マリリン・モンロー!」と即答したのは高校時代の先生で、「時代」を感じたものでした。

今なら誰になるのかしら。

 

ちなみに私の理想の男性はというと、この方。

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そ。

山中伸弥京都大学ips細胞研究所所長・教授。

 

関西に縁のある方ですから、ノーベル賞の受賞前からテレビで紹介されたりして有名でした。

なのでテレビで拝見するたびに、カッコいい人だなあ、と思っていたのです。

とにかくもう、個人的な好みにドンピシャなんですよ。

 

スレンダーな眼鏡男子。

ぱっと見、酷薄そうに見えて、でも笑うと目尻にシワがよるところ。

 

臨床経験がおありになるからか、自然に口をついて出る「患者様」という言葉、その謙虚な姿勢。

世界でトップクラスの科学者でありながら「科学万能主義」に陥らない強い自制心。

寄付を募るために自らマラソンもして、おまけにテレビ出演も・・・その際には自らの「薄毛」をネタにしてまで笑いをとろうとする・・・その懸命の努力もすごい。

 

とにかくもう、なにからなにまで大好きで、勢い余って(貧乏なのに)ips細胞研究所に寄付しちゃうくらい、大ファンなのです。

 

で、ある日のこと。

やっぱりテレビで山中教授を見ていたら。

 

「山中教授の一日に密着」みたいな番組だったのですが、昼食後に山中教授がお弁当箱を洗い始めたのです。

「自分で洗うんですか?」と質問された山中教授は笑いながら、

 

「だって、洗わないとお弁当作ってもらえないもん。」

 

私、その瞬間にびっくりして飛び上がりました。

 

ノーベル賞をとった教授が自分でお弁当箱を洗ってる!

 

 もちろん叫びました。夫に。

 

「見た?見た?!今のっ!

聞いた?聞いてた?

山中教授、自分でお弁当箱洗ってるー!

ノーベル賞とった人やのにっ!自分でっ!お弁当箱を!!!」(←絶叫)

 

その後、10回くらい「すごい、すごい!」を連発。

 

「山中教授すごーい!こんなすごい人なのに、自分でお弁当箱洗うなんて~。

やっぱり山中教授、素敵~!!!」

 

そらもう、めーっちゃ繰り返しました。何回も。しつこいくらい。

 

そうしたら、その次の日から。

お仕事から帰宅した夫が、

 

自分でお弁当箱を洗うようになりました。

 

やったね!!!

 

ありがとう、山中教授!!!(←感激)

 

思えば、これまでお弁当箱を、夫に自分で洗ってもらうなんて、考えたこともありませんでした。

時間が経った汚れ物を洗うのって、やっぱりあまり楽しいことではありませんから、自分で洗ってもらうと、それだけでちょっと気持ちが楽になります。

で、夫が洗い終わったお弁当箱を見るたびに、毎回、

「山中教授って私の恩人やわ~。」

って思うのです。

・・・夫にはちょっとイヤミに聞こえるかもね。知らんけど。

 

でもまあ、反省をこめて告白するのですが、

こういう形で夫に家事を手伝ってもらうのって、本当は「悪手」だなとも思います。

夫にしてみれば、誰かと比べられること自体がおもしろくないでしょうし。

お弁当箱を洗ってほしければ、素直にそう頼めばきっと応じてくれたんじゃないかと思うのです。

夫は「察して」動いてくれることはあまりありませんが、きちんと言葉に出して頼めば、たいていのことはやってくれるし、

 

「悪いんだけど、ちょっとお願いしていい?」

 

って最初に言えば、「何?」と言いながら、もう腰が浮いているような人ですから。

 

 ということで、これからはもっと素直に夫にあれこれ頼みたいと思います。

 

結局、夫が嫌がることに変わりはないかな・・・ほほ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夫と性格が合わない。

みなさま、こんばんは。

 

先日のこと。

仕事から帰ってきた夫が突然、こんなことを聞いてきました。

 

「ねー、ねー、夫としての俺って、何点くらい?」

 

なんやのん、唐突に。と思いつつ、「うーんとねえ。」としばらく考えて言いました。

 

「90点くらいかな。」

 

そうしたら、夫は、

 

「マジ?90点?!すごいやん俺!90点やって~!」

 

と大喜び。ガッツポーズの上、満面の笑みで、まさに飛び上がらんばかり。

その反応を「ああ、はいはい、」と軽くいなしてから(←冷たい)どうして急にそんなことを聞くのかと尋ねてみると、

 

「今日、会社で後輩がな、奥さんに自分の点数を聞いたら「30点」って言われた!ってショック受けててん。で、俺は何点かなあ、と気になってさー。」

 

なるほどね。

普段から言ってるもんね、

 

「なにひとつ共通点のない後輩や同僚とでも、「妻がコワい」という話題でだけは盛り上がれる!」

 

って。(むか。)

同僚との会話が続かなくて困ったときは、きっと妻の悪口を持ち出して盛り上がっているのでしょう。

業腹なので、90点から30点に格下げしてやろうかしら、と思っていると夫が言いました。

 

「明日、会社で自慢しよ~。俺、90点やって~!」

 

・・・やめなさいよ・・・嫌がられるか、陰で笑われるか、どっちかでしかないと思うから・・・。

 

くれぐれも他言しないように、自慢もしないように、と繰り返す私に適当な相づちを打ちながら、夫は翌朝、すこぶるご機嫌なまま、「俺、90点~」と変な節回しの歌を歌いながら出かけて行きました。(←妻のアドバイスは痛い目にあうまで全力で無視していくスタイル)

 

思いました。

 

「簡単な人・・・。」

 

そして幸せな人だなあ、とも思いました。いや、別に馬鹿にしているつもりはないんですけどね。(←ほんとはちょっとだけアホな人やなあ、と思ってるけど。)

 

仮にもしもこれが「逆」だったとしたら。

つまり、夫が私に「90点」をつけたとしたら。

 

それはもう、確実に大変なことになります。

 

「どうして満点でないのか」、「残り10点はどうして引かれたのか」という疑問が、

「私の何がそんなに不満なのよっ!」という怒りにあっさりと飛躍するだろうな、という確信があります。

かと言って、仮に夫が「100点」だと言っても、それはそれで、

「なんか簡単すぎるテストを受けたみたい。」

と不満を持つことでしょう。

つくづく、めんどくさい人間です。

 

考えてみれば、私が満点なんて取れるはずもないんですけどねえ。

主婦としてはお料理もお掃除もイマイチだし。

なのに、夫に対してだけはどこまでも強気でいられるのは、やっぱり甘えがあるんだろうと思います。

いや、別に反省して改めようとかいうんじゃないですよ?

そんな気は全然ない。(←きっぱり)

 

ただ、ものの見方や捉え方、なにもかもがまるっきり違っていて、徹頭徹尾、性格が合わないというのに、一緒にいて「楽チン」に感じられるだなんて、夫婦ってとってもおもしろいなあとしみじみ思うのです。

 

で、この際なので、私も聞いてみました。

 

「じゃあ、私は何点なん?」

 

夫「満点以上をつけられないのが残念やね!」

 

む。

さすが、私という人間と何十年も夫婦をやっているだけあって、そつのない返事。

 

でも。

マミーさんは見逃しませんでした。

夫の目が泳いでるのを。

 

な~んか腹立つ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

料理下手だけど料亭の味に挑戦してみた。

みなさま、こんばんは。

 

先日、Jさまのブログを読んでいたら、とってもおいしそうなお料理が。

 

psp-pagf.hatenablog.jp

山芋の素麺なんですって。(Jさま、お写真拝借いたしました。問題があるようでしたら、すぐに削除いたします。事後報告ですみません。)

めっちゃおいしそう。

「山芋を素麺風」にするって、すごいアイデアだなあ、と大いに感心してしまいました。

山芋といえば、すりおろしてお好み焼きに入れたり、出汁でのばして温かいごはんにかけたり、というくらいのメニューしか思い浮かばなくて、これは一体どんな感じなんだろうと思って作ってみることにしました。

でもお料理下手な私。

Jさまも記事中で、

「山芋を素麺に見立てた一品(逸品)であるが、どうやったらあんなヌルヌルするものを、こんなに細く、同じ太さに揃える事が出来るのだろう」

とおっしゃっていますが、私も山芋を素麺のように切る自信がありません。

 

でも大丈夫。

私には文明の利器がある!

じゃーん。

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そ。スライサー。めっちゃ便利!(←機械が苦手でも使える!)

 

まずはこのスライサーで、長芋(山芋は手に入りにくいので)を薄くスライスしていきます。

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きれい。とっても。

長芋の断面ってこんなにキレイだったんだなー。とキッチンでしみじみと見入る私。

まるで薄いオーガンジーのようではありませんか。

こんな模様の入った真っ白なオーガンジーレースのカーテンがほしいなあ。うっとり。

 

なんてことをお料理中にあれこれ考えて脱線ばかりしているから、私はお料理が苦手なんですよ、きっと。

自分に向かって「集中、集中」と言い聞かせて、この薄切りの長芋を千切りしていきます。

どうしてもぬるぬる滑ってしまう食材なので、押さえる左手は少し軽めに。包丁を持つ右手はなるべく動かさずに、左手親指でそっと長芋を押し出しながら切っていきます。

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ちょっと細すぎたかな・・・。

ま、いいや。素麺っていうくらいだから、細いに越したことはないでしょう、たぶん。

 

Jさまの記事では、山芋素麺がお豆腐の上に乗っていましたので、私もお豆腐を調達してきました。

でも、長芋って卵と相性がいい気がするので、卵豆腐にしてみました。

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写真がボケボケだぞ・・・いいけど。粗が目立たないから。(←あかん)

 

でも、これだとなんだかちょっと寂しい気がする・・・ので、上に温泉卵をオン。(←こうして元ネタのお料理からはどんどんかけ離れたものになっていく)

卵豆腐についているだし醬油もイン。

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なんか白っぽい。「寂しい」のも解消されていない。

 

ので、上に花かつおをトッピング。ついでに海苔も。

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いいんじゃないでしょうか。おいしそうになりました。(元ネタのお料理とは全く別物になったことについてはスルーすることにする。←「あかん」人の典型)

 

素麺状の長芋の食感が楽しくて(シャリシャリしてます)、家族にも好評の一品になりました。

食べながら、「豆腐がなくてもおいしいのではないだろうか」と思ったので、後日、長芋だけでもやってみました。

 

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こちらは長芋を細く切った後、卵黄と和えて、そこに白だし醬油を少し加えたもの。

個人的にはこちらの方が好きかも。

メインのおかずにはなりませんが、箸休めにいい感じです。

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お箸で持ち上げると、確かに素麺のように見えなくも、ない・・・

スライサーさえあれば、家庭でも長芋の細切りができますよ~。

 

ところで、料亭といえば、いつも気になるのが、

大根おろし」。

よく天ぷらの横とかについてくるじゃないですか。

きちんと水切りして、こんもりと盛り付けてあるやつね。

あれを見ると、いつも「丁寧な仕事だなあ」と思います。

大根おろしの水分が多すぎると天つゆの味も変わってしまいますものね。

でも、ある物を使えば、ご家庭でも一発で簡単に大根おろしの水切りができるんですよ。

じゃーん。(本日2回目)

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 そそそ。巻き簾。

これに大根おろしを乗っけて、

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軽ーく絞れば、

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出来上がり。簡単!

この大根おろしだと、

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野菜の揚げびたしなんかも、最後まで天つゆの味が薄くならずに楽しめます。

 

でも最近、自分の作るごはんにちょっと飽きてきました。

私も料亭に行きたーいっ!

 

 

 

 

 

 

 

 

香水より柔軟剤が臭いと思う私は異常でしょうか。

みなさま、こんばんは。

 

先日、「はてな匿名ダイアリー」で、「香水をつけている人は自己中」だとかなんとかいう記事が話題になっていましたね。

匿名で自由に人が意見を言える時代・・・本当に「いろんな人がいるなあ」という感想を持ちました。

 

香水をつけている人が「自己中」かどうか。

それは私には判然としません。その意見に興味もありません。

そもそも、どんな香りがいい匂いなのか、どれくらいの香りだと強すぎるのか、それは個々人の好みによって大きく変動するものでしょうから。

 

ただ世間で、香水のつけすぎによる匂いが「香害」なんて呼ばれていることを知ってからは、私も香水をつけて外出することをしなくなりました。

自分にとっていい香りであっても、それが誰かにとって不快であるならば、つけない方がいいのかな、と。

 

また、中学時代からの友人が「化学物質過敏症」にかかり、体調を崩したことも香水を遠ざけるきっかけになりました。

活発でいつも明るく、あらゆるスポーツを楽しんでいた友人が、枕から頭も上げられないほどの体調悪化に見舞われたことは、とても衝撃的な出来事でした。まだ20代で、同級の誰もかれもが青春の名残りを楽しんでいる時期でしたのに。

 

で、今の私にとって香水とは、「予定のない休日、誰にも会わない日に、自分の気分を上げるためだけのもの」になりました。

 

世間でも、「香りつき」が当たり前だった洗剤や整髪料に「無香料」パターンが多く登場し、いわゆる「無臭」タイプが世の中のトレンドなのかな、と当時は思っていました。

 

ところが、いつの頃からでしょう。

再びやたらと「香り」が強くなってきたものがあります。

 

そう。

「柔軟剤」。

 

柔軟剤の売り場で、香りを「試しにチェックできるように」置かれたコットンなんかの近くに行くと、香りがムンムン・・・そのあまりの強烈さにびっくりしたことを覚えています。

私自身はそれを使ってみようとは思えませんでしたが、でも、自分が使わないからと言って、全く無縁でもいられないわけで・・・なぜかと言うと、子どもが学校から持って帰ってくるから。

 

「給食エプロン」を。

 

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こういうやつね。

 

各学級で用意されていて、給食当番の週が終わると持ち帰ってきて、洗濯・アイロンがけをして、翌週の頭にまた学校に持って行くやつ。

 

娘の給食当番の前に当番をしているお子さんの家庭で柔軟剤を使うからでしょうか、この給食エプロンが匂う。すごく匂う。凄まじい匂いなわけです。

洗濯をして、アイロンをかける時なんて、空気が黄色く染まるんじゃないかと思うくらい。

毎回窓を全開にして、扇風機を後ろからひゅんひゅん回しながらでないと、とてもアイロンがけなんてできませんでした。

 

想像してみてください。

窓が大きく、気密性も低い小学校の教室で1週間、ずっと壁に掛けられて、一日に一度、週に5回、必ず広げられて着用した後、柔軟剤なしで洗濯をして、お日さまにあてて乾かした給食エプロンから、まだまだ香る強い匂い。

おかしくないですか?

通常の香水でも、洗濯後にはほとんど匂わなくなるというのに、じゃああの柔軟剤というやつは、一体全体、何製なんですか?

 

アイロンをかけると、鼻の奥までつんとするような、強烈な匂いでした。

とてもきつくて、不自然で、ケミカルな匂い。

 

今は娘も小学校を卒業して、あの苦行のような「給食エプロンのアイロンがけ」をする必要もなくなりました。

ほっとしていますが、ボランティア先で出会う小学生の中には、柔軟剤のボトルから抜け出て来たのかと思うくらいに強い匂いをまとっている子もいます。

呼吸をするたびに、あの匂いとその元になっている化学物質を吸引しているのかと思うと、大丈夫なのだろうかとつい心配になってしまいます。

 

学生時代、長期休暇のたびに、世界中を旅していた友人がよく、

「エジプトの満員バスに乗った時の匂いはヤバかった・・・日本人はほんと、匂いが少ないよ。」

と言っていたことを思い出します。

私もこれまで生きてきて、びっくりするほど体臭のある人には一人しか出会ったことがありません。

加齢臭だのなんだの言われてますけど、職場で私よりも年上の方と接して「臭い」と思ったことも、夫を臭いと思ったこともありません。既婚の友人はたくさんいますけれど、やはり「だんなが臭い」なんていう人にお目にかかったことはありません。(息子が臭いというお母さんはいっぱいいますが・・・部活でスポーツをしているとどうしてもね・・・)

 

みんな、ちょっと「気にしすぎ」なんじゃないかなあ?

必要もないのに、香りつきの柔軟剤をバシャバシャ使うのはどうなんだろう・・・。

仮に洗濯物をやわらかくしたいのであれば、クエン酸とかお酢を使うといいそうですよ。

 

・・・とかいう私の意見もどうぞ話半分にお聞きください。

なんといっても、私には「柔軟剤への恨み」がございます。

下記参照

 ↓ 

mamichansan.hatenablog.com

 

と、ここまでの下書きを読んだ夫が叫びました。

 

「まだ忘れてへんの?!もういい加減、許してぇや!」

 

ええ、もちろん忘れてなどいませんよ。そして、

 

ぜ~ったい、許しません。

 

ぺっぺっ。

 

 

 

 

 

 

宮沢賢治がわからないって言ったらアホの子扱いされた。

みなさま、こんばんは。

 

先日、ボランティア先の図書室で、他のメンバーとごそごそ作業をしていたら、めずらしく宮沢賢治の本が大量に貸し出されていることに気づきました。

 

「めずらしいねえ。」

「本棚から動いてるの、初めて見たかもしれへん。」

「もうすぐ国語の授業で「注文の多い料理店」をやるから、教室に持って行ってるのかなー。」

 

なんてみんなで話しました。

 

で、私が言ったのです。

 

宮沢賢治って、必ず国語の教科書に取り上げられるけどさー、私、宮沢賢治ってわからんわー。「注文の多い料理店」はともかく、他の作品はさっぱり!」

 

って。

 そうしたら、たまたま図書室内にいらした若い先生が「宮沢賢治って、」と声をかけてこられました。

 

宮沢賢治って、頭のいい、成績のいい子どもはわかるんですよ!

私はアホの子だったんで、全然わかってないんですけどね!」

 

って。

 

へ~。

 

私もさっき、「宮沢賢治がわからない」って言いましたけど・・・ってことは、

 

私も「アホの子」ってことですよね・・・?

 

と言おうかと思いましたけど、「アホの子」であることは既に疑いようもなく、明らかに、厳然と確定済みなので、これ以上墓穴を掘るのはやめようと思って黙っていました。

 

先生によると、教科書にとりあげられているのが「注文の多い料理店」の時はいいのだけれど、それが「やまなし」の時には本当に頭を抱えてしまうのだそうで、授業をしていても、実はさっぱりわかっていないんだとか。

でも、「頭のいい子」は赤刷りの指導書そのままのことを答えたりするそうで、

 

先生「びっくりしますよー!だって私、その指導書読んでも、なんのことか全然わかんないんでー!あははー。」

 

先生・・・いいんですか、そんなんで・・・

 

で、でもまあ、学校の先生でもわからないんだから、私なんかがわからなくってもしょうがないよねー、とすっかり気を大きくしました。(←あかん。)

 

帰宅してから、我が家で唯一、宮沢賢治が大好きな娘とその話をしていたら、娘から

「そもそもどうしてそんなに宮沢賢治がキライなん?」

と聞かれました。

 

うーん・・・宮沢賢治がキライってわけでもないんですよね。

よだかの星」のあの引き裂かれるような悲しさ、「銀河鉄道の夜」のあの美しい情景、「やまなし」や「月夜のでんしんばしら」のあの独特のオノマトペ・・・どれをとってもそれまでの作家とは一線を画す、まさに画期的な存在だと思います。

 

でもなー。

 

「ほら、「雨ニモマケズ」ってあるやん?あれ読んでるとさー、なんていうか、めっちゃ日本人の心の琴線に触れるというか・・・どハマりするっていうか・・・だからこそ、教科書では読みたくないような・・・要するに文科省には推されたくないねん。

「一日に玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ」て、

「北ニケンクヮヤソショウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイ」うんやで?

あれを教科書で読んでたらさー、なんか、

「一日玄米4合で文句を言わず働いて、何があっても訴訟や裁判に訴えたりせずに、ひたすら黙って耐え忍べ。」

って役人に言われてるような気ぃがして、瞬発的に反感を持ってしまうねん。

そんなこと、国にいちいち指図されたないわっ!って。

「羊のようにおとなしく、従順な国民」を育てるために、文科省宮沢賢治を利用してるんちゃう?という疑惑を感じるなー。妄想やろうけど。」

 

と返しましたら、娘がまじまじと私を見て言いました。

 

「ママ・・・。心が穢れてるで。」

 

む。

 

悪かったわねっ!!!

 

宮沢賢治がわからないと言ったら「アホの子」扱いされて、とうとう「心が穢れてる」とまで言われてしまいました。とほほ。

 

 

子どものころ、家にたまたま存在していた絵本。

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セロ弾きのゴーシュ

この絵本を最初に読んだときの戸惑いは今でもとても鮮明で、子ども心に、

 

「未完の大作ってやつかな?」

 

と思い、そうでないことがわかると、途中で重大なページを読み飛ばしたのかと最初のページから読み直したり、落丁があるのかと絵本をあれこれ調べたことを思い出します。

思うような「こたえ」が見つからなかった私は、絵本を片手にしばらく「うーん」と悩んだものでした。

 

実を言うと今でも「セロ弾きのゴーシュ」を見ると、どうしても素通りできずに、必ずページを繰ってしまいます。

そして当時と全然「変わらない」ことを確認しては、「そりゃそうだよね。」ってひとり得心するのです。

思えば、膨大な本の海の中では、 タイトルも内容もあやふやになってしまう本もあるというのに、これほどまでに「わからないのに忘れられない」ということ自体が、宮沢賢治の偉大さを証明しているのでしょう。

でも。

できることならば、私も「セロ弾きのゴーシュ」を読んで、心の底から納得したい気持ちもあります。

 

なので、宮沢賢治の魅力について、「アホの子」向けにご教授くださるととてもうれしい。

宮沢賢治ファンのみなさま、どうぞよろしくお願いいたします。

そうでない方は・・・そうだなあ、最近、心が穢れてるなーと思った瞬間のことなんかをお教えください。ほほ。