無いなら作るしか。マスク作りに挑戦。
みなさま、こんばんは。
世間ではコロナウィルスのニュースばかりで、憂鬱ですね。
店頭からマスクが消えて、おまけにトイレットペーパーまで品薄になっているとのウワサが。
ウワサを聞きつけた母が大騒ぎするので、スーパーに見に行きましたら、本当にトイレットペーパーがお店から消えていてびっくり!
けれども次の日には普通にトイレットペーパーが売られていて、ちょっと安心しました。
でも、マスクはない・・・全然ない。
これから花粉症の季節を迎えるというのに、ほんとに困ります。
ということで、遅ればせながらマスクを自作することにしました。
まずは行きつけの手芸店でダブルガーゼを買ってきて、カットします。
表地、裏地、ともにダブルガーゼにしましたが、表地はコットンであれば大丈夫そうです。
型紙は適当に・・・私は市販の立体マスクを紙に写し取って型紙にしました。
表地はゴムを通すところの分、大きめにカット。
カーブ部分を縫ったら縫い目ギリギリまで細かく切れ目を入れてから縫い代を割ります。ここだけちょっとめんどくさい。
表地、裏地を中表に合わせたら上下を縫い合わせます。ちょっとくらいずれてもいいのです、売り物じゃないんだから。
表地と裏地を縫い合わせたら、生地をひっくり返してアイロンで形を整えます。
ゴムを通すところを作るために両端を三つ折りにしてミシンをかけます。
マスク用のゴムを通したら、
出来上がり。
簡単!
簡単なのでどんどん作ります。
作るたびにちょっとずつ大きさが違う・・・でもいいの、いいの。ちょっとくらい!
売り物じゃないんだから。(←開き直り)
世の中には同じことを考える人が多いのでしょう、手芸店にはダブルガーゼを買い求めるお客さんが殺到していました。
ダブルガーゼは潤沢にありましたよ。白地も、柄物も。
大量のお客さんの大量の注文にも困らないくらい、たくさん。
でも、ここでも「品薄」の罠が。
マスク用のゴムがない!
こういうの。
私はこの1パックだけ買えました。
普段はロールに巻いて販売しているのだと思うのですが、今の時期、そういう販売方法だと、ロールごと、全部買っていく人がいるのだと思います。
測ってみたら、上の写真の量だと、マスク8個分くらいでした。
たくさん作って、職場でお世話になってる人に配ろうと思ったんだけどなー。
マスク用以外の、幅が狭いゴムも軒並み売り切れでした。
仕方なく、100円ショップで髪の毛をまとめるためのゴムを買ってきました。
黒いけど・・・仕方ないですよね、白いゴムは売ってないんだもの。
マスク用のゴムよりも「硬い」ので、2~3センチほど長めにカットして使うのがよさそうです。
「マスクではウィルスを予防できない」ことはわかっていますけれど、のどの乾燥を防いだり、顔を直に触る機会を減らせるだけでも、マスクのメリットってあると思います。
マスクの転売が禁止されるという情報も入ってきていますから、もうじき店頭にもマスクが並ぶことでしょう。
それまでは、自作のマスクで乗り切りたいと思います。
おまけ。
以前、「エコたわし」のお話をしました。
アクリル毛糸を使って編む「エコたわし」。
洗剤要らずで節水にもなる優れもので、私もせっせと編んでは使っていたのですが、
「アクリル毛糸」がいわゆる「マイクロプラスチック」の原因になると聞いてびっくり、びっくり。
全然「エコ」じゃなかった・・・。
じゃあ、天然素材で編んだタワシなら、大丈夫なんじゃないだろうかと、コットン100%の糸で編んでみました。
糸が細いせいか、ちょっと「頼りない」感じはありましたけれど、使ってみたところ、アクリルたわしと大差ない使い心地です。
もっと太い糸なら、より「たわし」として使いやすかも、と思っていたら、こんなのを発見。
100円ショップ「セリア」さんで見つけたジュートの糸。
これなら天然素材100%、どれだけガシガシ使ってもマイクロプラスチックにはならないはずです。
編んでみました。
毛糸やコットンの糸に比べるとチクチクしてちょっと編みにくいですが、すぐに慣れます。
キッチンで洗い物に使ってみたら、これがなかなかいい感じ!ゴワゴワしている分、汚れもよく落ちる気がしました。
これからエコたわしを編むときは、ジュートにします!
ヘドバとダビデ・・・?
みなさま、こんばんは。
先日は大阪梅田からすぐ、中崎町でのお散歩を楽しんだお話をしましたが、今日も梅田のすぐお隣、阪急「中津駅」周辺のお話。
「中津駅」というのは阪急電車・大阪メトロ、その双方にある駅なのですが、駅の間に少し距離があるので乗り換えには適しません。
乗り換えるには大阪梅田駅か、「西中島南方駅」(大阪メトロ)・「南方駅」(阪急電車京都線)が最適なのですが、そのあたり、初めて大阪を訪れる人にはわかりにくいだろうなあといつも思います。
私も長らく大阪に住んでいますが、「中津駅」の周辺をウロウロしたことはあまりありません。すぐ近くに梅田がありますものね、わざわざ中津を訪れることはないんですよ、大阪人でも。
そもそも梅田に近いということは、お買い物の際はみんな梅田まで出てしまうということですから、よほどのことがない限り、中津駅周辺で商いをするのは難しいのではないかと思われます。
中津駅に一番近い商店街の廃れっぷりと言ったら!
なんというか・・・「レトロ」なんていうもんじゃないですね・・・なんといえば悪口に聞こえないんだろう、とちょっと考えちゃいます。
誰もいないし!
アーケードの天井は破れてお空が見えています。
これほど「年季の入った」シャッター街も珍しい。営業中のお店は2~3軒くらいだったかな。
このままこの商店街は消滅してしまうのかなーと思いながら奥に進むと、営業中のカフェを発見!
バル・定食屋・カフェ「ンケリコ」さん。周囲の雰囲気からは想像もできないけれどおしゃれな感じ!
猫の看板がかわいい。
これは入ってみなくちゃ!(←っていうか、他に入れそうなお店がない・・・)
印象的な青い壁。
頭上の本棚、いいなあ。憧れます。地震がコワいけど。
看板と同じ猫さんがカップの中でお出迎え。ケーキもおいしい!
すりガラスを通してくる灯りがやわらかくて落ち着く空間でした。
なにより驚いたのは、このお店、BGMがずーっと「昭和歌謡」なんですよ。
「昭和歌謡」って「おしゃれな感じ」からはずいぶんと遠い気がしませんか?
昭和歌謡=古くてダサいものの代名詞だと思ってました。
もしかして、その感覚がもうすでに古いの?・・・と、取り残されてる?
この日は夫と一緒だったのですが、BGMの曲が変わるたびにふたりで大騒ぎ。
「これ、沢田研二じゃない?」
「なんか聞いたことある!」
「フィンガーファイブ・・・かな・・・?」
「フィンガーファイブなんて、「ヘーイヘイヘイヘーイ」と、”席替えに命かけてる”歌しか知らんわー。」
「・・・それ、たぶんおんなじ曲やで。」
と、うるさいうるさい。
お店にはおそらく梅田あたりにお勤めなのでしょう、若くておしゃれで、「意識高そう」な女性のひとり客がひっきりなしにやってくるというのに、いかにも「場違い」な私たち夫婦。
人生で最初に覚えた歌謡曲は何だったとか、家にどんなレコードがあったとか、同級生がみんな「ピンクレディー」を踊ってた(←年がバレる!)とか、おしゃべりが止まらなくなりました。
帰宅してから、
「私たち、迷惑な客だったかもねー」
と言うと、夫が「なんで?」と聞くので、
「おしゃれにするためのエキスとしての昭和レトロであって、
ほんまもんの昭和は要らんねん!
「巣鴨チック」になったら困るやん!
みたいな。」
と言いましたら、夫がお腹を抱えて笑っていました。
全然知らない曲だったけれど、この日一番「ハマった」曲。
ナオミの夢/ ヘドバとダビデ Ani Holem Al Naomi - HEDVA & DAVID— 日本語盤(1971年)
1971年・・・さすがに記憶にない・・・ほんとにヒットしたのでしょうか。
どなたかご存知の方、いらっしゃいますかー?(←誰に聞いているのやら)
知ってる人、手ェ挙げて~!
おまけ1。
中津から梅田方面に歩いて行くと、どんどん街が様変わりしていきます。
再開発でそびえたつビルが、まるで青空に直接描いた書き割りのよう。圧迫感の塊です。
そうかと思うと、駅のすぐそばには、
こんな長屋がまだ現役。近づくとテレビの音が聞こえるんです・・・。
この上、線路なんですよ・・・ひっきりなしに行き来する阪急電車。その音と振動の下で暮らすってどんな感じなのでしょう。
「格差」という言葉をこれほどまでにまざまざと感じさせられる街も珍しいんじゃないかな。
もちろん、「貧富」というのは、住んでいる場所だけでは推し量れませんけどね・・・わかってますけども。
おまけ2。
最近、スコーン作りにハマっています。
いい加減に作っているのに、焼き上がりに味見をしてみたら、これがすごーくおいしいの!
「私、天才ちゃう?!」(←誰もほめてくれないので、自分で自分を褒めるの図)
ひとり悦に入っております。
昭和ノスタルジー
みなさま、こんばんは。
相変わらず「淀川を渡る」ことにはまっています。
今日は「新淀川大橋」を渡ったその先の様子をご案内。
でもまずは新淀川大橋の上で。
「西中島南方」方面を振り返ったところです。
大阪メトロがすぐ隣を走っています。
「マルーン色(海老茶色)」が特徴的な阪急電車と違って、シルバーの車両が大阪メトロのシンボル。中津駅から西中島南方駅の間で地上に上がって(←地下鉄なのに)、江坂駅から北大阪急行に乗り入れ、千里中央駅まで走ります。
写真右奥には日清食品大阪本社ビルが見えています。
ずっと大阪に本社のある会社だったのが、安藤百福社長が亡くなったとたん、あっという間に東京に本社を移してしまった日清。まあ、その気持ちはわかるかな・・・。日清の社員さんたちにしてみれば、むしろ、社長が亡くなるまでよく我慢した!って感じじゃないでしょうか、知らんけど。
JRの線路がすぐそこで、キティちゃんのパッケージ電車が通っていたので慌ててシャッターを押したのですが、何が何やらさっぱりわからない写真になりました。
おそらくこの電車が走っていたのだと思います。特急「ハローキティはるか」。
キティちゃんの新幹線はしょっちゅう見かけますが、「ハローキティはるか」は初めて見ました。私の写真はひどいけど、実物はかわいいんですよ、本当です。
ところで豊崎といえば、梅田のすぐお隣。
ここまでくれば梅田駅まで徒歩10分の距離。
写真中央にうっすら見えているのが(たぶん)梅田センタービル。
写真だと遠くに見えますが、ほんとに、歩いてすぐなんですよ。
これほど梅田に近いというのに、このあたりはごくごく「ふつー」の住宅街。
「本庄西商店街」って看板があるけれど、一体どこが商店街なんだろう?
昔は商店街だったのかな・・・今は民家が連なっているだけに見えます。
梅田駅からの近さを考えると、この住宅街があの狂騒的なバブル期を、昔ながらの雰囲気を抱えたまま生き残れたことが、不思議でさえあります。
「奇跡の路地だなー」と感動しつつ歩きました。
こちらも梅田まですぐそこ、の距離ですが、やはり民家の立ち並ぶ古い街です。
なにしろこんなお店が現役!
うーん・・・何屋さんなんだろ?
私がまだ小さかったころ、ご近所にはお菓子やパンを売っているこじんまりとした個人商店があったものでしたが、もし、ああいうお店が今も生き残っていたとしたら、こんな風情になったのでしょうか。
大型スーパーやコンビニに淘汰されなかった、これも奇跡の生き残り。昭和の名残りかもしれません。
で、中崎町といえば、梅田のような繁華街とは少し違う方向性を打ち出して、観光客の注目を集めつつある街です。
ごくごく普通の民家の間にいろんなお店がちりばめられて、昭和レトロな街を作っています。
個性的なヘア・サロン多め。
民家を改造したおしゃれなカフェやレストランはもっと多め。
洋服屋さんも雑貨屋さんもいっぱい。
フクロウやハリネズミもいる猫カフェ。
あっという間に満員になって、入店できませんでした。残念。
猫カフェもう一軒。
窓からお外をのぞく看板猫さんを発見。
横顔が凛々しい♡
そして天使の羽根の首輪が愛くるしい。
写真がへたっぴなのが、返す返すも残念です。
狭い路地には地域猫さんの姿も。
写真がへたっぴなのが・・・以下略。
蔦に覆われた民家発見!
廃屋か?!と思って近づいてみると、
なんとまあ、営業中のカフェでした。びっくり、びっくり。
ああ、なつかしい。
毎朝、届けられる牛乳。空き瓶をここに返しておくんですよね。
見てこれ!井戸?井戸ですよね!?
今も現役なのかしら・・・「つるべ」がないところを見ると、もう使われていないのでしょうか。でもすぐそばには水で満タンのバケツがふたつも・・・井戸から汲んだのかしら、ああ、気になる・・・。
ここ、梅田から徒歩10分ですよ・・・
これが羽曳野や河内長野なら驚きませんが(←失礼!)、大阪市北区で井戸!信じられません!
コロナウィルスのせいで観光客が激減しているせいでしょうか、大阪の観光地もホテルもこのところ閑散としています。
でも、中崎町は、地図を片手に散策をする若い人でそこそこの賑わい。
街の規模から考えると、ちょうどいい観光客の数に思えました。
こんな看板を見つけて、ふとその「せま~い路地」を振り返ると、
ほんとに狭い!
地図を片手に散策する人々は、お店の看板や表示を見つけるたびに、
「ああ!あった!・・・え?あれ・・・あれ・・・?」
とか
「あ、あそこ・・・え???えぇ・・・?」
なんて声を上げ続けています。
それでも楽しそうに、狭い路地を行ったり来たり。
まるで突然のタイムスリップに巻き込まれたような、知らない街に迷い込んだ異邦人になったような、そんな気持ちになれる仕掛けがたくさんある街でした。
歩き疲れて入ったお店は古民家を改修した「うてな喫茶店」
なつかしい柄入りすりガラスがいっぱい。引き戸というのも、いいなあ。雰囲気があります。
カウンターの上にはちいさな食器がたくさん並んでいて、おばあちゃんの家を思い出しました。
灯油ストーブ、まあるい照明、裏庭を覗ける窓にすすけた壁、傷だらけの柱。
すっかり時代遅れになって、新築家屋のモデルとしては人気の上位から滑り落ちた感のある昭和の家。
でも、柱時計が「ボーン」と鳴った瞬間、おばあちゃんの家で過ごした少女時代のひとときが一気によみがえってきて、そのノスタルジーは私の胸を苦しくしめつけました。
縁側、広めの和室、砂壁、欄間、こたつの上のみかんに、編みかけの毛糸の山。
店内には丁寧に挽いたコーヒーの香りが立ち込めているのに、私の脳裏によみがえってきたのは、「おばあちゃんの家」の食卓に並んだ食事の数々や、従姉妹たちとおやつに食べたスイカやカルピスの匂いなのでした。
もう一度、あの頃に戻りたいという、強い願いがあるわけではありません。
けれども、なつかしいおばあちゃんの家の縁側で、なにをするわけでもなくただ庭を眺めていたあの頃の、その空気を味わうことはもう二度とないのだと思うと、ほんのりとした寂しさを感じずにはいられませんでした。
すれ違った若い女性が、
「ああ、この街で一人暮らししたい!」
と呟いたのが印象的でした。
狭い路地を通り抜けながら、私もちょっとこの街で暮らしたくなりました。
それが無理なら、せめてあの柱時計だけでも、どこかで入手できないだろうかと、ちらと思いました。
手漉きガラスを通してみる風景は、ほんの少し揺らめいて見えました。
もう戻れない過去の残像は、いつだってそんな揺らぎを伴って、本当の姿よりもずっと美しく甦るのかもしれません。
おまけ。
我が家で大活躍中のホームベーカリー。
「胡桃と黒すり胡麻の食パンが一番おいしい」とブナさんが教えてくださったので、焼いてみました。
ほんっとにおいしい!!!
胡桃の食感が香ばしいし、胡麻の香りも最高です。
こんなパンが自宅で食べられるなんて・・・我が家のホームベーカリーはますます活躍しそうです。
ブナさん、ありがとうございました。
最近、ハマってること。
みなさま、こんばんは。
今日は最近、私がちまちまとハマってることについてご報告します。
1.ホームベーカリーで食パン。
10年ほど前にホームベーカリーを購入しました。
購入した当時はそのホームベーカリーでしょっちゅう食パンを焼いたものでしたが、だんだん使わなくなりました。
だって、そもそも食パンってお安いじゃないですか。
スーパーで150円も出せば、ちゃんとした食パンが手に入るのに、製パン用の強力粉って、キロ当たり300円くらいするんですよ?
私の手作りへのモチベーションって、お菓子にしてもお洋服にしても、
「お店で買うより、ずっとお得!」
に支えられていますから、食パンに関しては、どんどんその動機付けが下がっていきました。
ところが、このところ、話題になってますよねー。なんだかやたらと高級な食パン!
1.5斤で千円近くするようなやつ。
お正月に夫が試しに買って帰ってきたのですが、それを食べつつ思ったのです。
「家で焼いたやつの方がおいしくない?」
って。
で、そこから我が家のホームベーカリーは、一躍「おうちの中でよく働く家電のTOP10」くらいの地位に躍り出てきました。
炊飯器のように「ほったらかし」というわけにはいかないし、焼き上がりに3時間以上かかるけれど、サクサク、ふんわり、とてもおいしいです。
夫が「あのパンを食べられると思ったら、朝起きるのが楽しみ。」と言うくらいには。
千円くらいするたっかい食パンと同じくらいにおいしい食パンを数百円で・・・と思えば、自宅で作る面倒さを我慢できそうな気がする・・・と言う私のことを、夫は、
「主婦としてはいいかもしれないけれど、財務大臣になったら国の財政を傾けること間違いなし。」
と言ってバカにします。
む。
節約志向の何が悪いのよー!
2.淀川を渡る。
相変わらずダイエットの毎日を送っています。
で、なんとか「身長-110」をキープするべくがんばっているわけですが、生来の「太る体質」がそう簡単に変化するはずもなく、ちょっと食べるとすぐに体重が増えてしまいます。
なので、少しでも時間に余裕のある時は、なるべく歩くようにしているのですが、ご近所でのお散歩もだんだんと飽きてきまして、最近は「淀川を渡る」ことにハマっています。
なにしろ淀川を渡れば、関西最大の繁華街、大阪・梅田がすぐそこ、そこに「歩いていける」ってなかなか楽しいではありませんか。
ということで、はりきって十三大橋を渡り始めたところ。
写真中央奥にグランフロント大阪が見えます。
すぐ隣の橋を阪急電車がひっきりなしに行き来します。
十三大橋を渡りきると、梅田スカイビルがすぐそこに見えてきます。
まだ日本が元気だったころの象徴のような建物。
今ではこんなビル、誰も建てようとは思わないんだろうなー。
グランフロント大阪近くの再開発予定地。
何年かしたら、このあたりもすっかり様変わりするのでしょう。
ところで淀川を渡るための橋は十三大橋だけではありません。
たとえば新淀川大橋。
この橋を渡ると大阪メトロ・中津駅がすぐ。梅田にも十分歩ける距離です。
それから、「長柄の人柱」で有名な長柄橋。
もちろん、古代の長柄橋はこんな立派なものではなかったことでしょう。なんといっても、人柱を必要とするほど、当時の淀川は暴れ川だったのでしょうし。
橋がかけられていた場所も、今とは違うと言われています。
正確なことはわかっていませんが、古代の長柄橋は現在の大阪市淀川区、東三国付近から吹田市付近を結んでいたのだとか。
東三国には、大願寺というお寺があって、そこには長柄橋の人柱になったと伝わる巌氏の碑が建てられています。
せっかくなので訪れてみたら・・・工事中でした。残念。
「もの言わじ父は長柄の橋柱 鳴かずば雉子も射られざらまし」
長柄橋を渡ると、この和歌と、人柱になった人のことが必ず思い出されます。
科学がまだ現代のような力を持っていなかった時代。
我々現代人の価値観で大昔の人々の心を推し量ることはできないけれど、犠牲になった人のことを思うと、やはり悲しい気持ちが湧き上がってきます。
「長柄の人柱」については、よく似たお話をアニメ「日本昔ばなし」で見ることができます。Youtubeでも見られますので、よろしければご覧ください。
【超悲し・名作】まんが日本昔ばなし「キジも鳴かずば」(高画質)
でね。
よく思うんですけど、この「雉も鳴かずば撃たれまい」って言い伝え、要するに、
「口は禍の元」
ってことだと思うんですよ。
こんなに古くから、「口は禍の元、災いの門」って言い伝えられてきているのに、大阪人って、どうしてこんなにおしゃべりなんでしょう。
不思議なんですよねー。どうでもいいことだけど。ほほ。
ところでこの長柄橋を渡ると、天神橋筋六丁目がすぐそこ。
ってことは、「天神橋筋商店街」が近いってことです。
日本一長いアーケードを持つ天神橋筋商店街。
最近は「元気がない」と言われることが多い商店街ですが、この天神橋筋商店街はまだまだ元気いっぱい。
お客さんも多いし、お店もバラエティーに富んでいて、いつ来てもとても楽しい。
ブティック、カフェ、飲食店に古書店・・・。
なんでもとってもお安いですよ!
先日見つけたコートなんて、なんと990円!
さすがに「・・・正気だろうか?」とびっくりしました。
だって990円ですよ、990円!
ちゃんと裏地もついてるし、古着でもないんですよー。
娘のコートにぴったり、と思って迷わず買って帰りました。
もしも来阪されることがありましたら、ぜひ天神橋筋商店街にもお運びください。
大阪にあるどの商店街よりも、楽しめること間違いなしです。
おまけ。
天神橋筋商店街近くの「松屋」さんで最近話題のジョージア料理、シュクメルリを食べてきました。
セネシオさまのブログで知ってから、ずっと食べてみたかったのです。
ダイエット中だけど、自宅から天神橋筋商店街までかなり歩いたんだし、自分へのご褒美♡と思って注文してみましたが、味云々の前に、とにかく量が多かった・・・。
(とても全部は食べきれなくて仕方なく残したというのに、この日は一日お腹が重かったです。)
で、食べながら、これって鶏肉の入ったちょっとゆるめのホワイトシチューなんだなーと思いました。
これなら自分でも作れるかもしれないーと自宅でも作ってみました。
もちろん、私はぐーたら・ダメ主婦ですから、セネシオさまのように丸鶏なんて使いませんよ!(←買ったこともない。)
一口大に切った鶏もも肉とニンニクを炒めます。(←ニンニクは多めで!この日は鶏もも肉2枚にニンニク5片くらい入れました)
鶏もも肉に火が通ったら、余分な油を捨てて、バターを溶かし、小麦粉を入れて炒めます。
その中に牛乳をドバドバー、塩・胡椒・チキンコンソメを投入します。
手抜きグラタンを作るイメージですね。
で、薄切りにしてレンジでチンしたじゃがいもと、とろけるチーズをどっさり入れたら出来上がり。簡単!
松屋さんではサツマイモが入ってましたけど、個人的にはじゃがいもの方が合ってる気がします。
見た目、ぼやーっと白っぽいのが難点ですね・・・彩り的に。
次に作る時にはブロッコリーとかニンジンとかを入れてみようと思います。(←そうしてどんどん違う料理になっていく…)
は?
分量ですか?
目分量です!
”だいたい”でいいんですよ、大体で。家庭で作るお料理なんて。
ちなみに夫によると、
「松屋さんで食べたのよりウマい」
だそうですから、適当に作ってもなんとかなるお料理ってことなんじゃないでしょうか、シュクメルリって。
気軽に作れる家庭料理として、日本でももっとメジャーになっていくような気がしました。おいしいですよ、お試しあれ!目分量でね!
2020年の意味。
みなさま、あけましておめでとうございます。
旧年中はひとかたならぬご高配を賜り、厚く御礼申し上げます。
どうぞ今年も倍旧のお引き立てのほど、よろしくお願い申し上げます。
さてさて、今年は我が家にとりまして、特別な一年になる予定です。
なぜなら今夏、娘が二十歳の誕生日を迎えるからです。
「親の欲目」という言葉がありますが、親というものは愚かなもので、どうしても自分の子どもには甘くなってしまうようで、私もついつい娘の欠点や至らぬところに目をつぶってしまう傾向があります。
そのように片目をつぶって、見たくないものを見ないようにしていてもなお、娘は少々「どんくさい」というか、「まぬけ」というか、まあ要するに、
「アホなんやな。」
と思わせられることの多い子どもでした。
たとえばね。
小さい子どもって、靴を左右取り違えて履いてしまうことがあるじゃないですか。
けれども私自身に限って言えば、人生で一度もその手の間違いをしたことがありません。
幼稚園児のころ、同じクラスの子が靴の左右を履き間違えているのを見るたびに、
「どうしてそんな間違いをしでかすのか。靴の左右など一目瞭然、その上、履いてみればすぐにおかしいと気づくじゃないか。」
と思ってしまう子どもだったわけです。
なので、我が子が左右反対の靴を履いて幼稚園から帰宅した日には、ずいぶんと驚いたものです。
一体全体、どういう思考経路であれば、靴の左右を間違えるなんてことが起こるのか、さっぱりわからなかったからです。
親子と雖も、違う人間なんだなあ、と娘の顔を見ながらしみじみ実感したのはあの日が最初だったかもしれません。
鷹揚でおっとりしている、と言えば聞こえはいいかもしれませんが、どうも「ぼーっとしている」もしくは「ぼんやりしている」という言葉の方がしっくりくる子でして、毎日が「イライラ」することの連続、今思い出しても苦笑と失笑ばかり浮かびます。
ランドセルを忘れて登校しようとする、空っぽのランドセルを持ち帰る、プリントは失くす、あるいは出さない、月曜の朝に「ゼッケンをつけて」と体操服を出してくる、お友だちと帰り道で話し込んだら、近くの植え込みに手提げかばんを置き忘れる・・・高校生になっても、
「ママ!今日提出のレポート忘れた!持ってきて~!7時間目までに!!!」
を、2回やられました。
娘の高校へ向かう坂道を、「どうして私が、なんで私が」と心の中でぶうぶう文句を言いながら登り、顔を見たらいっぱい文句を言ってやろうと考えつつ教室にようようたどりついたら、そういう時に限って娘は移動教室でお部屋は空っぽ、憤懣のあまり、娘のレポートの表紙に、
「ばーか、ばーか。」
と書いてやりました。(←2回ともやった。)
ボールペンじゃなく、鉛筆で書いた私を、誰か「やさしい」と褒めてください。
忘れがたいのは娘が小学4年生のころ。
懇談会で担任の先生に言われました。
「私は100点満点の答案用紙を返す時は、必ず100点って言うようにしています。
「○○君、100点!」とか「○○ちゃん、100点!」とかって。
やっぱり100点って特別な点ですから。他の点数とは違います。
で、最近、テストを返すたびに
「まる子ちゃん(←娘のことです。もちろん仮名です。)100点!」
ってやってましたら、Y君が、
「まる子って頭よかったんや!!」
ってすっごくびっくりしてましたよ!
よかったですね!お母さん!」
私ねえ、
「は?ああ、はい・・・ありがとうございます・・・」
って言いながら、心の中で思ってました。
「びみょ~・・・」
って。
だって、それって、クラスのみんながうちの子のことをずっと「アホの子」だと思ってたってことですよね?
まあそうなんだけどさ・・・そうなんだけどもっ!
これって褒められたことになるのかなあ??と首を傾げながら帰宅したことを覚えています。
娘のあまりにもぼんやりな言動に、いちいち凹んだり落ち込んだりする私を、私よりも先にママになった友人の言葉が救ってくれましたっけ。
「天才も二十過ぎればただの人、って言うじゃない。逆もまた然り。二十歳になるころにはどの子もみんな凸凹がなくなって、大体同じようになるのよ、大丈夫大丈夫。」
本当だろうか?と当時はその言葉をずいぶん怪しんだものでしたけれど、確かに娘も最近になって少しはしっかりしてきたように感じられます。
ちょっとだけですけどね。
並んで歩くと目線が同じになりました。
今になって考えると、「心配させられた」というよりも、私が勝手に心配していただけだったという気がしてきます。
それでも私はこれからもきっと、娘のことばかり心配しながら生きていくのでしょう。
生まれたばかりの娘が、いつか成人を迎える日を想像して、そのあまりにも遠い道のりに呆然とした2000年の夏。
とうとうその2020年がやってきました。
令和2年のすべての一日は、私にとって特別な時間を刻みつつ過ぎていくような気がしています。
それって、スローな焚書では?
みなさま、こんばんは。
大昔、私がまだ大学生だった頃。
一般教養の講義で「図書館学」を受講したことがあります。
その講義の中で、私は戦後の学校図書館法が昭和28年につくられたものだと知りました。なので、学校図書館法の中に
「すべての学校は図書館を設置しなくてはならない。」
という趣旨の一文を見たとき、心の底から感動したことを覚えています。
だってね?
みなさま、想像してみてください。
昭和28年。
戦後の混乱期を抜け出すために、人々が必死だった時代。
いわゆる「団塊の世代」が一斉に小学校に通っていた頃。
教室が足りなくて講堂を仕切っていくつものクラスが授業をしていたとか、一クラスに60人もの生徒がぎゅうぎゅう詰めになっていたとか、児童が午前と午後とに分かれて登校していたとか、子どもが少なくなった今の時代からは想像もできないほど、「教室が足りない!」エピソードで溢れかえっていた時代です。
そんな時に、「学校には必ず図書館を設けること」という義務は、すんなり受け入れられたのでしょうか?
私には、とてもそうは思えません。
きっと、法案成立前から大蔵省なんかが大反対したんじゃないかなあ。
「図書室を作るくらいなら、ひとつでも多くの教室を作るべきだ!」
とかなんとか言って。
でも、当時の文部省は折れなかったんだと思うんです。
ありとあらゆるものを失い、昨日までの正義は墨で黒く塗られ、アジアの一等国どころか、世界の最貧国に陥った日本。
国民の多くにとって、未来どころか明日、お腹いっぱいに食べられるかどうかが最大の関心事・・・そんな日常が続く中で、でも、それだからこそ、子どもたちには本が、図書館が必要なのだと、当時の文部省の役人たちは考えたのでしょう。
その理念は時代が移り変わっても、それなりに大切に受け継がれてきました。
どれほどの不景気に見舞われても、どれほどコスト管理が厳しくなっても、国は学校図書館に納める本のお金だけは、毎年支給してきたのですから。
ところが、ここにきて、どうも来年度の本の購入代が減らされるかもしれない、というウワサが聞こえてきました。
2020年度から変わる地方公務員制度。
官製ワーキングプアの温床になっている非正規公務員にもボーナスが支給されるという話ですが、国がその財源をはっきりさせないために、地方自治体は大混乱。
ボーナスを支給する代わりに月給・基本給を下げる、フルタイム勤務をパートに切り替える、結果、年収は逆に減ってしまうなどの問題が続出する有様です。
で、私のところに聞こえてきた「ウワサ」によると、大阪市でも非正規公務員にかかる人件費の増大分の不足を補うために、学校図書館用の本の費用を削るんですって。
考えられます?
それでいいの?
納得できない・・・本当に納得しかねます。
本来、子どもたちの読書のために配分された本の予算を、人件費に振り分けるって、そんなのアリですか???
未だにそのウワサの真偽がわからないのですけれど、もしも本当だったらどう考えればいいのだろうと、ここ数日ショックを受けています。
昭和28年の文部省の役人たちが持っていた気概を、今の役人たちは失ってしまったのでしょうか。
子どもたちの本代に手をつけるなんて・・・そんな親がいたら、私たちは眉を顰めるに違いありません。それを国や自治体が率先してやるだなんて・・・。言葉もありません。
確かに今の文科省を見ていたら、意外でもなんでもないですけどね・・・。
センター試験から共通テストへの移行に関してもグダグダですもの。
受験生のことを一ミリも考えていない改革。
暴論を許してもらえれば、一部の業者に対する利益誘導が目的だったとしか考えられません。
この国はどうなっちゃうのかな。
いくらお金がないからって、昭和28年当時よりも困窮しているわけではないでしょうに。
「タコは食べ物がないと、自分の手を食べる」という俗説がありますが、子どもたちの教育のためのお金に手を付けるって、それに似た匂いを感じます。
もうひとつ。
昭和28年の学校図書館法は、学校に図書館を設置することを義務付けた一方、図書館司書の配置については「努力目標」にとどめられています。
そのため、未だに専任の司書が存在しない学校図書館がたくさんあります。
大阪市の公立小学校もそう。
1週間に1度だけ、非常勤の補助員が派遣されてくるだけです。
せっかくの学校図書館も、専任の司書がいないので鍵がかけられたまま、子どもたちは自由に図書室に出入りすることもままなりません。
先ごろ、日本維新の会が、学校司書の配置増を求める国会決議案に反対し、臨時国会への提出が見送られていたことが話題になりました。
維新「司書はAIで代替可能」 唯一反対、増員決議できず | 共同通信
AIってすごいな・・・。
図書室の鍵を開けて、本の貸し借りを手伝って、蔵書を点検し、書架を整理し、傷んだ本を補修して、新たに購入する本、廃棄する本の選別を行い、その上授業の進み具合を把握しながら指導案に沿った本を選んで教室まで運び、子どもたちにぴったりな本を選んであげつつ、読み聞かせもしてくれるんだ!しかも子どもたちのケンカの仲裁まで!
機械に弱いマミーさんのことですから、AIがそこまですごい進化を遂げているとは全然気がつきませんでした!(←イヤミ)
学校図書館は、子どもたちの成績向上のためだけにあるのでしょうか?
集団生活がつらい時、お友だちとちょっとケンカしちゃったとき、少しだけ一人になりたい時・・・そんな時に、「いつでも行ける、いつでも開いている」図書室は、子どもたちにとって安心して存在できる最後の砦になりうるはずです。
その図書室の存在をないがしろにする党には、なんら魅力を感じないし、期待もできません。
大阪に住んでいますから、維新の会がそれなりに大阪に変革をもたらしたことは否定しません。その業績のすべてが悪いとも思いません。
けれども、この先、私が維新の会に投票することは決してないでしょう。
ここ数日は出会う人、出会う人に「維新に投票するのはできたらやめてね。」と言って歩いています。
それにしても、PISAの読解力の結果が8位から15位に落ちて大騒ぎするわりには、本や図書館予算を充実させようとは誰も思わないんですね・・・それって大いなる矛盾に感じる私はどこかおかしいのでしょうか。
子どもたちの未来のための投資。
それをケチって縮小するなんて。
日本人としてこの国に生まれ、これからもこの国で生きていくことを、これほど不安に感じたことはありません。
この国は、本当に大丈夫なのでしょうか?
予期せず聖地に踏み込みました。
みなさま、こんばんは。
金沢旅行の続きです。相変わらず退屈な記事になると思いますが、どうぞお付き合いください。
金沢の奥座敷と言われるだけあって、近づくにつれてどことなく秘境めいた雰囲気が漂ってきます。
山がぐんと近づいて、これ以上どこにも行けなくなりそうな・・・閉塞感と非日常感をたっぷりと味わえます。
鄙びた田舎町。
行き止まりの町。
家族旅行というより、不倫旅行にぴったり!みたいな。知らんけど。
ところがどっこい、この日は不倫旅行どころではなかった!
なぜかというと、「アニメ」に関するお祭りの日だったから。
見てこれ・・・
どっから湧いて出てきたの~?と言いたくなるくらいに、どこもかしこも若い男性でびっしり・・・。
どうもこの湯涌温泉、あるアニメの舞台となったらしくて、近年、そのアニメを使って町おこしをしているらしいのです。
そのアニメとは・・・2011年に放送された「花咲くいろは」。
ぜんぜん知らにゃい・・・。娘もまったく知りませんでした。
で、このアニメの中に登場する「ぼんぼり祭り」っていうお祭りをリアルでも開催するようになったのですって。
びっくりびっくり、アニメの方が元ネタとは。
なかなかの再現率!
出店なんかはちょっとチープな感じというか、正直まだまだ「大学生の学祭レベル」って感が否めませんでしたけど、「痛車」って言うんですか?アニメのキャラクターがいっぱい描かれてる車みたいなのもたくさん停まってて、なるほどアニメのためのお祭りなんだなあという感想を持ちました。
それにしても、10年近く前に放送されたアニメーションのために、今でもこんなにたくさんの人が集まるだなんて・・・ファンとはなんとありがたいものであることでしょう。
考えてみたら、アニメの登場人物は年を取ったり、結婚したり離婚したり、ましてや薬物で逮捕されたりしませんもんねえ・・・イメージダウンによる打撃なんかを心配しなくていい分、コスパ的にも最高なのかも・・・これからは町おこしを最初から織り込んだアニメが出てきたりして・・・もう有るのかな?
私だって 「ベルばら」のラッピング電車を見るとうれしくなっちゃいますもの、
ファンの人たちが聖地巡礼する気持ちもわかるなー。(私はいくらベルばらファンだと言ってもフランスには行きませんよ?飛行機コワい。)
あちこちで
こんな立て看板やアニメのグッズを売るお土産物屋さんを見ました。
旅館にもファンのオフ会と思われる団体客が。
で、ちらっと思ったんですけど、世の中ではほら、「オタク」って特別な目で見られたりするじゃないですか、「キモオタ」なんて呼称もあるくらいだし。
でも、この日、私が見たアニメファンの人たちは、みんなとっても「普通」の人たちでした。
ネット上でいかにも「キワモノ的な」男性の写真を典型的な「オタク」だと紹介したりするのって、あんまり賛成できません。
なんでもわかりやすく一般化したりアイコン化したりすることによって、人を揶揄の対象にするなんて、感心しないなー。いじめの温床になりかねませんもの。
「大阪のおばちゃん」だって、みんなヒョウ柄とかトラ柄のお洋服を着てるわけじゃないですからねっ?私も着たことないし、これからだって着る予定はありません。飴ちゃんも持ち歩いてません!(←でも確かに飴を「飴ちゃん」とは言う。)
で、旅行の話と言えば。
やっぱりメインは「おいしいもの」の話だと思うんです。
その土地ならではの、その土地でしか食べられないもの。
それをキレイに撮った写真と一緒に紹介する・・・のが旅ブログの基本かなーと思うんですけど、私の場合、写真がない・・・。
おいしいものが出てきたらすぐ、
「わーい!」
とばかりにパクパク・・・で、気がつけばお皿は空っぽ。
UPしたくてもそもそも写真がありません。
金沢では何を食べてもおいしかったのに・・・
特に魚介類と、それからお米!
以前、岡山を訪れたときには、「岡山を首都に!」と思いましたけれど、金沢は私の中の「次の首都候補」からすぐに外しました。
うっかり次の首都になってしまって、能登の田圃がちょっとでも削られることになったら日本の大損害!
それくらい白米がおいしく感じられました。
金沢に住んでたら、マミーさんはきっと風船のように肥えてしまうことでしょう・・・怖い怖い。
探してみたら、この旅のお食事で唯一の写真がありました。
なんだこれ・・・ボケボケです。
おそらく、「海が見える~!」とうれしくって撮った写真なんだと思います。
こちらはランチのために訪れたカフェ「海とオルゴール」さん。
「お肉が食べられない者がいるので、お肉を使っていないメニューはありますか?」
と尋ねたら、ベジタリアンかビーガンだと勘違いされて、
「なんか都会からややこしいのが来た!」
と盛大に誤解されました・・・。
違う違う、そうじゃない、そういう「意識高い系」じゃなくってただの好き嫌いなんです~!
とわかってもらうまでにずいぶん苦労しました・・・。それもおもしろかったけど。
それにしても海にも山にも近くて、金沢って本当に素敵なところだなあと心から思いました。
湯涌温泉だけでなく、和倉温泉とか茶屋街とか美術館とか博物館とか、あちこち見て回ったんですけれど、もう書くのがめんどくさい・・・(←あかん)
でも、どこもすごーく素敵だったので、みなさまもぜひぜひ金沢にお出かけくださいね。
私もいつかまた行きたいです!