富士山を見て感じること。
私が「富士山」を最初に見たのは、中学生の時。
修学旅行でのことでした。
テレビや写真でしか見たことのない富士山を、同級生と一緒に見るのがとても楽しみだったことを覚えています。
当時の日本は今よりも子どもの数がずっと多く、しかも、中学校はどこも大荒れの時代でしたから、修学旅行なんてカオスの象徴、今のお子さんがするような事前学習なんてのも皆無、ただ「富士山辺りに集団で移動!」っていうだけの修学旅行でしたが、子どもですもの、なんでも楽しかった記憶があります。
でも。
初めて富士山を見たとき。
私が感じたのは、何とも言えない「失望感」でした。
富士山と言えば、あの有名な北斎の絵、
こういうの。
これが私の「頭の中の富士山」になっていたのだと思われます。
鋭角じゃないですか、この富士山って。
でも、私が現地で見たのは、こんな富士山。
(写真はネットからお借りしました。)
全然鋭角じゃない・・・。
富士山って、なんとなく「愚鈍な感じ」なんだなあ、というのが第一印象でした。
でも、最初の失望感が去った後、どこに行っても、なにをしてても目に入る富士山を見るたびに、私の胸中に去来したのは、
「恥ずかしい!」
って感覚でした。
なんだろう、「恥ずかしい」って???
今でもとても不思議です。富士山を見て恥ずかしいと思うなんて。
でも、顔を上げたときに、ふと富士山が目に入ると、とっさに、
「ああ、恥ずかしいっ!」
って思わずにはいられなかったのです。自分でも意味が分かりません。
なので、後日、太宰治を読んでいて、こんな記述と出くわしたときは、ひとり欣喜雀躍したものでした。
「どうにも注文どほりの景色で、私は、恥ずかしくてならなかった。」(太宰治著「富嶽百景」より)
富士山を見て、恥ずかしいと思う人がここにも!
私だけじゃなーい!
大喜びした私は、以来、出会う人、誰彼となくかたっぱしから、
「ねえねえ、富士山見たことある?富士山見ると恥ずかしくない?」
って聞いたものでした。
でも、この感覚、とってもレアみたいで、共感してくれる人は一人もいませんでした。
ところが、数年前、何気なくテレビを見ていたら、いたのです。
富士山を見て「恥ずかしい!」を連発する人が。
この人。
そう、絵本作家の「長谷川義史」さん。
「おじいちゃんのごくらくごくらく」とか「いいからいいから」でおなじみ、今や大人気絵本作家の長谷川義史さん。
その長谷川義史さんが、富士山を見ながら「恥ずかしい!」って言ってるのをテレビで見たときは、
「わかる~!めっちゃわかる~!!!」
とひとりで大騒ぎしました。
だけど、テレビや写真の富士山を見ても、「恥ずかしい」って気持ちにはならないんですよね。
本当に不思議です。
ところが。
先日。
ある写真に目が釘付けになりました。
やっと出会ったのです。
あの「恥ずかしい」という感覚を呼び起こしてくれる富士山の写真に。
これ。
ねえねえ、みなさま。
この写真を見て、「恥ずかしい!」って気持ちになりません?・・・ならない?
なった人、手を挙げて~!!
ど、どうしよう、ひとりもいなかったら・・・。びくびく。
誰も共感してくれなかったら寂しいので、みなさま、よ~くご覧になってくださいね!
ちなみに上の写真は、MAKOTOさんのブログからお借りしました。
MAKOTOさん、掲載を許可してくださってありがとうございました。
南米パラグアイに在住、いつも「すっごい」写真を見せてくださるMAKOTOさん。
残念ながら、富士山を見て「恥ずかしい」とは思わないとのことでしたが、MAKOTOさんの写真は、私に、初めて富士山を見たときの感情を呼び覚ましてくれました。
それって、MAKOTOさんの写真が、実物の富士山が持つ「何か」を、確かに、十二分に写し取っているということだと思うのです。
MAKOTOさんのブログを見ていると、写真の持つ「威力」というものを、しみじみと感じずにはいられません。
ところで。
「富士山を見ると恥ずかしい。」
これって、一体どういう心境なのか…。
もしも解説していただける方がいたら、めっちゃ喜びます!
と、ここでこのエントリーを終わったとしたら。
みなさまきっと思うと思うのです。
「マミーさん、いつもコメント欲しがるくせに、こんなわけのわからない記事出して・・・なんてコメントしたらいいかわかんないだろー、迷惑なんだよっ!」
って。
なので、久しぶりにマミー姫に登場してもらうことにしました。
じゃん。
大きくなってるでしょー?
元気でしょ?(←かなりうれしい。)
最近、ちょっと鉢植えからはみ出しつつあるマミー姫。
植え替えてあげる時期なのでは・・・?と思いつつ、もしも余計なことをして、万一枯れてしまったらどうしよう、と悩む毎日。
サボテンの植え替えって、なにかコツがあるんでしょうか?
詳しい方、どうか教えてくださいね!