ワンオペ育児なんてやっぱり不可能だと思う。

みなさま、こんばんは。

 

育児の話が続きました。

育児に関する情報は日進月歩、日々改定・更新されていくものですから、すでに娘が大きくなった今、私が抱えている育児に関する情報なんて、もう、「化石かシーラカンスかよ!」っていうくらい、かび臭いものになってしまいました。

今さら私が何か有用なことを言えるはずもないので、このあたりで私の育児話はいったん打ち切ろうと思います。

 

でも、その前にひとつだけ、どうしても言いたいことがあるんです。

 

それはね、

「ワンオペ育児なんてやっぱり無理があるんじゃない?」

ってこと。

 

そんなことを言うと、すぐに「母性本能」の話になったり、「赤ちゃんには母親が一番!」なんて意見がいっぱい湧いてきたりしますが、私ねえ、そういうのには懐疑的なんですよ。

だいたい、「母性本能」って何なんでしょうね?

 

「本能」って。・・・けっ。

 

まったく食事をとらずに生きていける人はいないし、ずっと眠らずにいられる人もいないでしょう?

同じく母性も「本能」と言うならば、我が子をコインロッカーに捨てた後に生きていられる女性が存在することは大いなる矛盾です。

私たちが普段、「本能」と感じるほどの、母親から我が子への強い愛情とか愛着というものは、本能などではなく、教育や躾、生育環境、経験から学び取った社会化のひとつなのだろうと思うのです。

「社会化」・・・であるならば、「母親ひとりに強く依存しがちな育児」の形態を、社会全体で少しずつ変更していくこともまた、可能なんじゃないかなあ。

 

なにもね、

「育児がイヤ」でこんなことを言うのではありません。

 

むしろ、育児って、

「子どもが大切すぎるからこそ、しんどい」

ってこともあるんですよ。

 

大切で大事で、どうしようもなく愛していて、何があっても失くしたくないもの。

もしも失ってしまったら、もう生きてはいけない、とまで思ってしまうもの。

 

想像してみてください。

仮に、3キロの爆発物をひょい、と手渡されて、

「これ預かって!取り扱いに失敗したら、周囲10キロが灰燼に帰すけどね!

身体から離したらダメだけど、落っことしたらもっとダメだからっ!あ、それとどんなに大事に扱っても勝手に故障することもあるけど、気をつけてね!」

と言われたとしたらどうでしょう?

それってひどいプレッシャーだと思いませんか?

 

特に初めての育児で赤ちゃんとふたりきりになった時、私が一番つらかったのはこのプレッシャーでした。

だってフニャフニャなんだもの、赤ちゃんって。

ほんのちょっとした異変にも敏感になって、いつもいつも心配ばかりしていたものでした。

もちろん、子どものことが心配なのは今でもちっとも変わりませんけれど、自ら「痛い」とさえ言えない赤ちゃんと過ごすのは、ずっと緊張を強いられるものでした。

 

なので、夫が帰宅すると、全身で「ほう・・・」っと安堵のため息をついたものです。

ああこれで、翌朝夫が出勤するまでは、わたしひとりで赤ちゃんの心配をしなくていいんだ、なにかあれば相談できる相手がいるんだ、って。

 

我が家の場合、夫はよく私の不安をくみ取ってくれたと思います。

今から思えば、細かいだけの、どうでもいいような些細なことで心配していた私に、

「それくらい大丈夫。」

「問題ないって。」

「心配なら病院に行く?車出すから。」

そんな風に相手をしてくれた夫がいなければ、育児期間を乗り越えられたかどうか、私には自信がありません。

 

「一緒に考えてくれる」「共に悩んでくれる」

 

人間にはそういう相手が絶対に必要で、使い古された言い回しですが、「人はひとりでは生きていけない」とは、つくづく名言だと感じたものでした。

 

しかしながら、夫は日中のほとんどを会社で過ごします。

 

意識のあるほとんどの時間を、意味のある会話もなく、たったひとりで、

「ものすごく重大かつ貴重な、それでいて壊れやすい、自分の命ではない、むしろそれ以上の、生きている預かりもの」

を抱え込み続けるのって、本当に大変。

やれ虐待とか育児放棄とか、悲しい事件が一向に無くならないのもむべなるかな、という気がしました。

 

孤独というのは恐ろしいもので、人をいとも簡単に追いつめ、破壊する威力があります。

自分ひとりで生きているのならば、その孤独も自由と等価に引き換えることができる場合もありますが、育児をしている期間に限って言えば、その孤独は破滅的な結果を産むことがままあります。

なので、時々思うのです。

 

足りない保育園をどんどん増やすことは喫緊の課題だけれど、たとえば、「お母さんも一緒にいていい保育園」なんかがあればいいのになあって。

 

産休、育児休暇中のお母さんたちが、赤ちゃんと一緒に過ごせる場所。

保母さんや保健師さんなんかがいて、不安なことをすぐに聞けて、他のお母さんたちと情報交換ができて、短時間なら交代で赤ちゃんを見てあげられて、仮眠なんかもとれる場所。毎日行ってもいいし、全然行かなくてもいい場所。

つらいことも不安なことも、ひとりだけで抱え込まずに、誰かと共感し合って、助け合って。

もしもそんなことができる育児環境があれば、赤ちゃんとの生活をより楽しめる人が増えるんじゃないかと思うのです。

 

別に保育園でなくってもいいんです・・・出産後の女性が孤立して、追いつめられてしまうようなことを防いでくれる手立てが他にあれば。

世の中には、星の数ほど頭のいい人がいて、私なんかはいつもまぶしく見上げるような気持ちなんですが、そういう人が真面目に考えてくれれば、もっといい案がたくさん出てくるような気がするんですけど・・・頭のいい人、ちょっと考えてくれないもんでしょうかね・・・?

 

時々、高校時代の優秀な同級生なんかを思い出して、

 

「そういえば、あの子ら、どないしてるんやろ・・・ほんまに頭よかったよなー。

あの子らが本気出したら、世の中めっちゃよくなりそうな気ぃするけど、なかなかそうはならへんところを見ると、あの子ら、自分の幸せのためだけに自分の能力を使い倒してるんやわー。絶対。」

 

という他力本願、かつ逆ギレの言いがかり的妄想に取りつかれたりしています。

 

 

育児は確かに大変です。

眠れないし、自分の時間はガンガン削られるし、なにひとつ思い通りにならないし、おまけに世間の目も厳しい。

大正生まれだった亡き祖母も、「子どもの数が減ったとはいえ、今の育児は子どもにすごい手をかけることを要求するから、大変さは変わらない。」とよく言っていました。

 

けれども、本当は育児って、どれほど言葉を尽くしても語りきれないほどの喜びに満ちているものです。

私なんかは、街中で小さなお子さんを連れているお母さんや、風を受けてひらひらと踊っている小さな洗濯物でいっぱいのベランダなんかを見るたびに、「ああ、いいなあ、うらやましいなあ」と思わず声に出してしまうほどです。

 

それは、私の育児期間が終始幸せであったからこそ、なのでしょうけれど、それを単に私個人の経験とするよりも、できれば他の誰にとってもそうであるように拡張していくことが大切ではないかと思います。

なので、選挙があれば、子どもたちのことや育児をしている人の気持ちに寄り添ってくれる政治家を選びたいと思うのですが、なかなかね・・・。

まして政治家でもない、市井の人々にとって、できることは限られているのかもしれませんが、どうぞ、もう一歩だけ、育児中の若いお母さんたちにやさしい気持ちを。

ただ、すれ違いざまに、「やあ、赤ちゃんやわ。かわいいねえ。」と言うだけでもいいのです。

それがきっと、今奮闘中のお母さんたちの心に、ちいさな灯りをそっと送ることになるでしょう。

 

 

おまけ。

今日、外出中にびっくりするものを発見してしまいました。

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4日の台風21号の仕業でしょうか。

あきらかに鉄製品に見えます。こんなにも重いものが飛ぶなんて、風というのはなんとすごい力を持っているのでしょう。

 

あれから3日。

本来ならば、次の日には片付けられているはずですが、未だ停電中の地域もありますから、手が回らないのだと思われます。

 

第2室戸台風の記憶がある母が台風のたびに大騒ぎするのを、いつもちょっと面倒に、鬱陶しく思ってきましたが、今回初めて「台風ってほんとに怖いんだな」という感想を持ちました。

 

それでも北海道の地震の被害を思うと、この程度で騒いでは申し訳ない気がします。

どうか北海道の被害が最小でありますように。

一日も早く、元の生活が戻ってきますように。

心からお祈りしています。