大阪府立高校受験に必須、「自己申告書」というやつ。
みなさま、こんばんは。
今年も早11月、残りわずかとなりました。
毎年、この時期になると私にはちょっと気の重い行事がやってきます。
それはご近所の中学校で開かれる「自己申告書講座」のお手伝い。
中学3年の生徒たちが、志望する公立高校へ提出する「自己申告書」を書くお手伝いです。
自己申告書とは。
受験する公立高校に願書と一緒に提出する書類のことで、生徒自身が自分について書く自己PR書のようなものです。
入学試験・内申書の結果と合わせ、主にボーダーライン上の生徒を選別することに使われ、各校が発表しているアドミッションポリシー(求める生徒像)に合致する生徒が有利と言われています。
中学時代に経験したエピソードを引き合いに、自分がどんな人間かをアピールし、将来の夢を実現させるべく、高校生活で何をどのようにがんばろうと決意しているのか・・・
くらいのことを1300字程度の文章にまとめればいいのですが、毎年、この自己申告書を書くことに苦労する生徒たちが多くいるらしく、中学校から私のようなオヒトヨシの暇人に向けてお手伝いの要望がやってくるのです。
生徒の参加数は希望者だけなので、毎年20~30人くらい。
大変なんですよね、これが。毎回毎回。
なにしろ子どもたちって作文が大嫌い。(←私もキライだけど)
どの子も例外なく、真っ白な原稿用紙を前にして、 悲痛な顔をして座っています。
「あの、書き出しはなんて書けばいいんですか?」
なんて聞かれて、
「そうやなあ、「私(僕)が中学3年間で一番がんばったことは~」とかでいいんじゃない?」
と答えると、みんな一斉にそのまんまを書いてしまいます。
内心、
「ちょっとは文言を変えたらどうだろう・・・。
「この3年間で学んだことは~」
とか、
「中学校生活で経験したことのうち忘れられないことは~」
とかさ。」
などと考えたりしますが、正直そんな細かいことにこだわってはいられません。
なにしろそこからが長いから。
「で、キミが一番アピールしたいことを書こう。
この3年間で何をどんな風にがんばってきた?」
って聞くと、みんな「しーん。」としてしまいます。
そこからはもう作文のお手伝いではありません。
ほとんどが「聞き取り調査」。
「3年間吹奏楽部?部長さんなの?いいねー、それを書こうよ。」
「え?3年間皆勤?それはすごい、そこはぜったいにアピールするべき!」
「ガールスカウト所属?いいやん、いいやん、ポイント高いよ!」
「生徒会で表彰された?それを書かずに何を書くん?!」
子どもたちひとりひとりのアピールポイントを聞きだして、それを作文に盛り込むように伝えるのですが、みんななかなか書き出そうとはしてくれません。
むしろ、ちょっと戸惑っている感じ。
「部長って言っても、みんなに押しつけられただけやし・・・」
「皆勤ってそんなにすごいことですか?ただ毎日学校に来てただけやし・・・」
「ガールスカウト・・・半分遊びみたいなもんで・・・」
「あいさつ運動で表彰って、そんなんアピールになるんすか?」
もうね、正直ね、心の底から、
いらいら~っ!
ってします。
なんでみんなそんなに自己評価低いのん?
謙遜が行き過ぎて自虐になってるでっ?!
と言いたい気持ち。
でもここでキレちゃうとそこから一歩も進まなくなるので、ぐぐっと我慢!
「みんなから部長を頼まれたということは、人望があるってことやんか!」
「真面目にコツコツ、が一番ポイント高いねん、この場合!」
「あなたの志望校のアドミッションポリシーに「グローバルな人材」って書いてあるやん、ガールスカウトで外国の子とも交流あるんでしょ?それ、最高のアピールポイントやんか!」
「あいさつ運動で表彰なんて、めっちゃいいことやん、みんなで掲げた目標をちゃんと守れるってことやんか、そこをアピールせずにどこをアピールすんのよ!」
自信を喪失しがちな15歳の面々を必死に持ち上げて(←気分は松岡修造)自己申告書を書かせようとしても、彼らは自分自身のことをちっとも正当に評価しようとはしません。
むしろ、そんな風に自己アピールをする自分のことを、「恥ずかしい」と思っている様子です。
作文のお手伝いだったはずなので、もちろん「てにをは」がおかしければ直さなくてはならないし、漢字の間違いも正さなくてはなりません。
でも、そこまで到達するのにかかる時間が長い、長い!
業を煮やして、 うっかり
「こう書けば?こんな風に書けば?」
などと言ってしまうと、子どもたちはそのまま、その通りに書いてしまいます。
それを見ると、あんまり口出しするのもなー、とためらいを感じずにはいられません。
なにしろ、あれこれ手を回して採点側の高校の先生たちの意見を聞いてみると、
「いかにも大人が手を入れた、って丸わかりの自己申告書は、読む気も失せる。」
だそうだから。
なので、なるべく子どもたち自身の言葉で、作文を仕上げてほしいと思うわけですが、それがほんとに難しいのです。
おそらく、他のテーマなら、彼らももう少し容易に書けるんじゃないかと感じるのですが、この「自己PR」っていうやつが、彼らにとって、ものすごーくハードルが高いように思われます。
うんうん唸っている彼らを見ながら、彼らも小学1年生のころには、
「ぼく、こんなことできるねんで!」とか、
「わたし、こんなの持ってるねん!」とか、
そんな風に自慢気に話してくれていたことを思い出します。(←私が小学校で読み聞かせをしてあげてた子たちなので)
それが小学5年生くらいになると、ほとんどの子がもう、自慢気なことは一切言わなくなります。それどころか褒められても「いえいえいえ・・・」と謙遜を始めるようになります。
おそらく、小学生4~5年生くらいで、多くの子どもたちが、「実るほど頭が下がる稲穂かな」に代表される「日本的美徳」を獲得していくのでしょう。
それが、「当たり前に獲得していくもの」だとは私には思えません。
有形無形の躾、教育、社会化の中で、我々日本人のほとんどは、自らを強くアピールするよりも、控えめに謙遜しつつ生きていくことを良しとするよう仕向けられていくのでしょう。
たとえどんな表彰状をもらったとしても、たとえ3年間皆勤、無遅刻無欠席だとしても、それを誇らず、ひたすら謙遜することだけを学んできた子どもたちに、15歳になったとたん、急に「自分をアピールして!」と言ったとしても、それはひどく難しいのだろうなあとしみじみ思わずにはいられません。
(現実的な話、私にしても、自慢話ばっかりの人が目の前にいたとしたら、限りなく「引き潮」になっちゃいますもんね・・・お友だちになれるかどうか考えちゃう・・・ほほ。)
つくづく思うのですが、私たち大人は、一体彼らに何を期待しているのでしょうね?
内心では、そつなく上手に自己PRできる、「俺が俺が!」「私が私が!」タイプよりも、謙遜と謙虚さを持つ人間に育つよう、彼らに日々さまざまな圧力をかけているというのに、受験や就職活動の時だけ、やたらと自己主張をしろと言う。
そんな小手先の、場面ごとの使い分けだけを器用にこなせる人間を、社会は求めているのでしょうか。
もしも。
もしも彼らに、お友だちでも家族でも、好きな芸能人でも、誰でもいいから、「自分以外の誰か」のことをPRしてください、というテーマで作文を書かせたら、きっと彼らはスラスラと、原稿用紙に何枚もの作文を書くことができるんじゃないだろうかという気がします。
苦労して自己申告書を書いている彼らの背中を見ながら、私の中学時代にはこんな制度がなくて本当によかった・・・と思っていることは、もちろん内緒です。
で。
私がそんな感慨に浸りつつ、彼らに限りない同情を寄せているというのに、作文が完成したとたんにいきなり、
「ウェーイ!イエーイ!ヤッホー!」
になってしまう中学3年生・・・。ついさっきまで原稿用紙の前で「しょぼぼぼぼーん」としていたのがウソのようです。なので、もちろん私も叫びます。
「うるっさいねん!
まだ書いてる子ォがおるやろー!
書き終わった子は遊んでんと、はよ帰りぃ!
考えたら(←考えなくても)あんたら受験生やんかー!
帰って勉強しぃや!!!」
ああ、今年も大変なんだろうなー。やれやれ。