国際化とかグローバル化とかって?しつこく自己申告書のはなし。

みなさま、こんばんは。

先日お話したように、行ってきましたよ、「自己申告書講座」。

 

mamichansan.hatenablog.com

 

今年もやっぱり大変でした。いや、これが。本当に。

まず開始早々、

「こんなん、やってられんへんわー、帰りたい~!」

と叫び出す男子。

時々います。こういう子。100パーセント、男の子です。

こちらもまったくのボランティアですから、さすがに「むむっ」とします。

誰が帰りたいって、私の方が帰りたいに決まってますもん。

猫なで声で「そんなこと言わんとがんばりぃー」とか言ってもらえると思ってるんでしょうか?だとしたら大間違いのコンコンチキ、勘違いも甚だしいって話です。べろべろべ~だ。

 

「今、帰りたいって声が聞こえたけど?

今日は希望者のみが参加してるはずやで?

引き留めないから帰んなさい。遠慮せんと。誰も止めへんから。

帰り、帰りぃ。」

 

いかにも「やべー」と言いたげに首をすくめている男の子が目の端に入ってきますが、意外とマミーさんは「いけず」なのです(←バレてる?)。畳みかけます。

 

「みんな勘違いしてるかもしれへんけど、高校は義務教育ではありません。

行きたくなかったら行かなくてもいいねん。誰も行ってくれとは頼んでへん。

そもそも「志望校を選ぶ」って言うけどな、「選ばれる」のはあんたらの方やねん。

向こうから「いらん」って言われたら、来年の春から行くとこ無いんやで。

みんなが合格を喜んでるのに、自分だけその輪に入られへんとこ想像してみ。結構キツイと思うで。

わかったら、四の五の言わんと真面目にやり。」

 

そこまで言うと子どもたちもさすがに観念するのか、机の上に目を落として必死に考え始めます。中3のこの時期にそこまで言わないとお尻に火がつかないってところがすでに絶望的ではありますが。

初回なので子どもたちは志望校のアドミッションポリシーを読んだり、自らの中学校生活を振り返ったり。

3時間近くを費やして、まだまだ形にならない自己申告書を持って帰っていきました。

今年の自己申告書講座はあと2回。

あと2回もある・・・とげんなりする気持ちと、あと2回でなんとかまとめてあげないと、と焦る気持ちがせめぎ合って、その日の夜はなかなか眠れませんでした。

 

で、今回、あちこちの学校のアドミッションポリシー(求める生徒像)を読んでいて感じたことがあります。

それは今の学校って、「グローバル」とか「国際社会」って言葉が好きなんだなってこと。

各校のアドミッションポリシーには軒並み「国際社会のリーダー」「グローバル・リーダー」「国際社会に貢献できる人材」という言葉が並びます。

でも、それって本当に難しい課題だろうなって感じます。

例えば、娘が高校2年生の冬。

研修旅行という名の修学旅行に、オーストラリアに出発することになったのですが(←公立高校なのに海外だなんて贅沢!)、事前準備のレポートにこんな注意事項がありました。

 

「ホストファミリーに何を食べたい?と聞かれたら、「なんでもいい」と答えてはいけません。食べたいものをはっきりと主張しましょう。」

 

って。

それを読んで、私、笑ってしまいました。

確かに「何食べたい?」と聞かれたら、「なんでもいい」って言ってしまいますよね、日本人って。

それを「自分でものを考えない」とか、「責任回避」とか言う人もいるのかもしれませんが、私はそうは思いません。

「何を食べたい?」と聞かれて、「なんでもいい」と答えるのは、この国のマナーだと思うんですよ。

つまりね、

「こんなにも広い、こんなにもたくさんの人がいる世界で、他でもない、あなたと出会えたことの偶然を思うと、それはとんでもない幸運に思えます。ましてや一緒に食事ができるほど親しくなれるなんて、これ以上の喜びがあるでしょうか。

でも、人の世は儚く、短いものです。一緒に食事ができるのはこれが最初で最後かもしれません。

だから、あなたと一緒にごはんが食べられるなら、それがたとえおにぎりひとつでも、パンのひとかけらでも、この世で最上のご馳走に感じられることでしょう。

だから、何を食べるかなんてどうでもいいことです、メニューになんかこだわりません。

なんでもいいですよ。」

の前半部分がまるっと抜け落ちて、「なんでもいい」と言っているだけなんじゃないかなって。

だって、重篤なアレルギーのある友人でさえ、最初は必ず「なんでもいい」って言いますもの、「なんでもいいけど、ごめん、○○だけはアレルギーで無理なの」って。

 

で、真にグローバル化に対応した人材とは、そういう、「他国と自国の文化の違いやマナーの違いによる軋轢」を自覚した時に、真摯に真剣に「なぜ、どうして」と考えられる人間のことをいうのだと思うのです。

ただやみくもに外国のマナーを学び、それを真似るだけで、彼我の違いについて考えることをしなければ、それはグローバル化でも国際化でもなんでもなく、ただ単に「郷に入っては郷に従え」を体現しているにすぎないんじゃないかな。

 

で。

ある時。

外国人の友人とチャットで話していた時。

私がやはり日本人らしく「謙遜」してしまったら、友人が言いました。

「なんでそんなこと言うの?自己評価が低すぎるよ!」

あんまりしつこいので、たまらず私は言いました。

 

「日本では、ありとあらゆる褒め言葉は他人のためにこそ在る。自分のためには使わない。」

 

って。

そうしたら、パソコンが壊れたのかな?というくらい長い沈黙の後で友人が言いました。

 

「・・・そういう考え方っていいな。

日本では他人に対するリスペクトがあるってことだもん。

こっちではみんな、俺が俺が、私が私が、でうんざりよ。」

 

私は日本人のこの「謙遜文化」が他国に比べて優れていると言いたいわけではありません。

ただ、他所の国では自己アピールが重要だからと言って、日本でも付け焼き刃的拙速さで子どもたちに受験の時だけアピール上手になりなさいというのは、あまりにも酷ではありませんかと、言いたいのです。

もしも、これからの日本人はもっと自己アピールがうまくならなければならないというのなら、もっと小さいうちからそのように躾、教育するべきだし、それは私たちが育んできた「謙遜」と「謙虚」という精神文化を失うことも覚悟の上でなければならないと思います。

私たちはそれでいいのか。本当に?

 

グローバル化とか、国際化とか、とても前向きでカッコいい言葉は、けれど、私たちに多くの覚悟を求めているのだろうと思います。

 

今回、自己申告書講座のお手伝いをするにあたり、千葉の県立高校で教鞭をとっている友人からアドバイスをもらいました。

 

「自分で自分の長所ってなかなか書けない子が多いから、「友人」に手伝わせてその子のいいところを答えてもらうといい。「あんたってこうだよ!」って他者紹介してもらって、それを自分のものにしてもらうの。」

 

ほーら、やっぱり。

自分以外の人間の「長所」や「いいところ」はみんな上手に見つけられるんじゃない。

それって、私たち日本人が最も世界に誇れる美点だと思いませんか?

オードリー・ヘプバーンだって言ってるじゃないですか。

「美しい瞳であるためには、他人の美点を探しなさい。」

って。

 

生意気で、勉強嫌いで、作文が苦手な子どもたち。

でも、彼らもきっと「友人の長所」はスラスラと答えられるはずです。

次回の自己申告書講座では、そのあたりを念入りに聞いてみたいと思います。

 

最後に、私が言いたいことを全部言ってくれている感動的な絵本を紹介。

自分の「いいところ」をなかなか見つけられなくて困ってしまう男の子が、先生にすごーく素敵な「いいところ」を発見してもらって喜ぶおはなし。とってもいい絵本なので、どこかで見かけられましたら、ぜひ。

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自己申告書講座、残り2回。

今年の参加者はなかなか手強いですが、あと少しがんばります!