それって、スローな焚書では?

みなさま、こんばんは。

 

大昔、私がまだ大学生だった頃。

一般教養の講義で「図書館学」を受講したことがあります。

その講義の中で、私は戦後の学校図書館法が昭和28年につくられたものだと知りました。なので、学校図書館法の中に

 

「すべての学校は図書館を設置しなくてはならない。」

 

という趣旨の一文を見たとき、心の底から感動したことを覚えています。

 

だってね?

みなさま、想像してみてください。

 

昭和28年。

 

戦後の混乱期を抜け出すために、人々が必死だった時代。

いわゆる「団塊の世代」が一斉に小学校に通っていた頃。

 

教室が足りなくて講堂を仕切っていくつものクラスが授業をしていたとか、一クラスに60人もの生徒がぎゅうぎゅう詰めになっていたとか、児童が午前と午後とに分かれて登校していたとか、子どもが少なくなった今の時代からは想像もできないほど、「教室が足りない!」エピソードで溢れかえっていた時代です。

 

そんな時に、「学校には必ず図書館を設けること」という義務は、すんなり受け入れられたのでしょうか?

私には、とてもそうは思えません。

きっと、法案成立前から大蔵省なんかが大反対したんじゃないかなあ。

「図書室を作るくらいなら、ひとつでも多くの教室を作るべきだ!」

とかなんとか言って。

 

でも、当時の文部省は折れなかったんだと思うんです。

ありとあらゆるものを失い、昨日までの正義は墨で黒く塗られ、アジアの一等国どころか、世界の最貧国に陥った日本。

国民の多くにとって、未来どころか明日、お腹いっぱいに食べられるかどうかが最大の関心事・・・そんな日常が続く中で、でも、それだからこそ、子どもたちには本が、図書館が必要なのだと、当時の文部省の役人たちは考えたのでしょう。

 

その理念は時代が移り変わっても、それなりに大切に受け継がれてきました。

どれほどの不景気に見舞われても、どれほどコスト管理が厳しくなっても、国は学校図書館に納める本のお金だけは、毎年支給してきたのですから。

 

ところが、ここにきて、どうも来年度の本の購入代が減らされるかもしれない、というウワサが聞こえてきました。

2020年度から変わる地方公務員制度。

官製ワーキングプアの温床になっている非正規公務員にもボーナスが支給されるという話ですが、国がその財源をはっきりさせないために、地方自治体は大混乱。

ボーナスを支給する代わりに月給・基本給を下げる、フルタイム勤務をパートに切り替える、結果、年収は逆に減ってしまうなどの問題が続出する有様です。

matome.naver.jp

で、私のところに聞こえてきた「ウワサ」によると、大阪市でも非正規公務員にかかる人件費の増大分の不足を補うために、学校図書館用の本の費用を削るんですって。

 

考えられます?

それでいいの?

 

納得できない・・・本当に納得しかねます。

 

本来、子どもたちの読書のために配分された本の予算を、人件費に振り分けるって、そんなのアリですか???

未だにそのウワサの真偽がわからないのですけれど、もしも本当だったらどう考えればいいのだろうと、ここ数日ショックを受けています。

 

昭和28年の文部省の役人たちが持っていた気概を、今の役人たちは失ってしまったのでしょうか。

子どもたちの本代に手をつけるなんて・・・そんな親がいたら、私たちは眉を顰めるに違いありません。それを国や自治体が率先してやるだなんて・・・。言葉もありません。

確かに今の文科省を見ていたら、意外でもなんでもないですけどね・・・。

センター試験から共通テストへの移行に関してもグダグダですもの。

受験生のことを一ミリも考えていない改革。

暴論を許してもらえれば、一部の業者に対する利益誘導が目的だったとしか考えられません。

この国はどうなっちゃうのかな。

いくらお金がないからって、昭和28年当時よりも困窮しているわけではないでしょうに。

「タコは食べ物がないと、自分の手を食べる」という俗説がありますが、子どもたちの教育のためのお金に手を付けるって、それに似た匂いを感じます。

 

もうひとつ。

昭和28年の学校図書館法は、学校に図書館を設置することを義務付けた一方、図書館司書の配置については「努力目標」にとどめられています。

そのため、未だに専任の司書が存在しない学校図書館がたくさんあります。

大阪市の公立小学校もそう。

1週間に1度だけ、非常勤の補助員が派遣されてくるだけです。

せっかくの学校図書館も、専任の司書がいないので鍵がかけられたまま、子どもたちは自由に図書室に出入りすることもままなりません。

先ごろ、日本維新の会が、学校司書の配置増を求める国会決議案に反対し、臨時国会への提出が見送られていたことが話題になりました。

 

維新「司書はAIで代替可能」 唯一反対、増員決議できず | 共同通信

 

AIってすごいな・・・。

図書室の鍵を開けて、本の貸し借りを手伝って、蔵書を点検し、書架を整理し、傷んだ本を補修して、新たに購入する本、廃棄する本の選別を行い、その上授業の進み具合を把握しながら指導案に沿った本を選んで教室まで運び、子どもたちにぴったりな本を選んであげつつ、読み聞かせもしてくれるんだ!しかも子どもたちのケンカの仲裁まで!

 

機械に弱いマミーさんのことですから、AIがそこまですごい進化を遂げているとは全然気がつきませんでした!(←イヤミ)

 

学校図書館は、子どもたちの成績向上のためだけにあるのでしょうか?

集団生活がつらい時、お友だちとちょっとケンカしちゃったとき、少しだけ一人になりたい時・・・そんな時に、「いつでも行ける、いつでも開いている」図書室は、子どもたちにとって安心して存在できる最後の砦になりうるはずです。

その図書室の存在をないがしろにする党には、なんら魅力を感じないし、期待もできません。

 

大阪に住んでいますから、維新の会がそれなりに大阪に変革をもたらしたことは否定しません。その業績のすべてが悪いとも思いません。

けれども、この先、私が維新の会に投票することは決してないでしょう。

ここ数日は出会う人、出会う人に「維新に投票するのはできたらやめてね。」と言って歩いています。

 

それにしても、PISAの読解力の結果が8位から15位に落ちて大騒ぎするわりには、本や図書館予算を充実させようとは誰も思わないんですね・・・それって大いなる矛盾に感じる私はどこかおかしいのでしょうか。

子どもたちの未来のための投資。

それをケチって縮小するなんて。

日本人としてこの国に生まれ、これからもこの国で生きていくことを、これほど不安に感じたことはありません。

 

この国は、本当に大丈夫なのでしょうか?