夫に腹立つ・・・。
大学を出て、就職をしてすぐに、上司や先輩に言われたことがあります。
「同じことを2度聞いてはいけない。」
「同じことを2回言わせてはならない。」
「考えず、調べず、勉強せずに質問してはならない。」
って。
誰だってうっかりしたり、忘れてしまうことはあると思うのに・・・仕事ってやっぱり厳しいんだなあ、バイトとは違うなあ。
なんて、やたらと緊張したものでした。
でも、いざ自分が後輩の指導に当たるようになって、何度も同じことを聞かれたり、同じことを何回も説明させられたりすると、
「前にも言ったのにな。」
と、つい考えてしまいましたし、業務が忙しくなってくると、「マニュアルを読んで」とか、「先月分の台帳を見て」なんて言ってしまうこともありましたので、上司や先輩からの最初の厳しい注文は、至極もっともで、ありがたい指南だと後々考えるようになりました。
で、そんな経験から、私は自分自身の性格に対し、
「いらちな私は、同じ説明を何度もするのがキライです。」
という自己分析を追加させたわけなのですが、それが通じない相手というのが存在するわけでして。
夫です。
なにしろ、「忘れ物大魔神」の夫。
財布や新幹線のチケットでさえ忘れ去ってしまうのですから、私の言葉なんて覚えているはずがありません。
で、1年365日、毎日毎日同じ繰り言のくりかえし・・・。
正直もう、「一生このままかな・・・」ってあきらめている部分も大きいのですが、
どうしても、
どうしても、
どうしても、
「いらっ!」
っとしてしまうこともあるのです。
それがね。新聞。
これ。
夫が新聞を読むと、高確率で「このまま」なんです。
なぜ「読み終わったら折りたたむ」ということができないんだろう・・・?
もしも我が家が、後楽園くらい広かったら、私もなにも言いますまい。
新聞くらい思いっきり広げて読めばいいし、広げっぱなしで放置されても一切文句は言いません。
でも、うちは狭いのです!
食卓の上に、こんな風に新聞を広げっぱなしにされたら、後で何かの作業をする時に邪魔になってしようがありません。
新聞くらい。って思うでしょう?
私もね、そうは思うのです・・・。
でも、これが毎回続くと、意外なほどイライラがたまっていくし、精神的に消耗していくものなのです。
たとえば、夫が最初から、
「家の中の些末なことはすべて妻がするべき。夫というものは、家では縦の物を横にもしないものだ。そんなことは女の仕事。」
っていう人なら、話しは早かったのです。(たとえば亡くなった私の父のように。父は靴下すら、自分で履かない人でした。)
だって、夫がそういう人だったら、そもそも結婚なんてしないじゃないですか。
私と夫はメダカとペンギンなみに、なんの接点もなく人生を送り、摩擦もストレスもなかったはずです。
でも、夫は、私が「新聞をたたんでね」と言えば、「はいはい」とたたんでくれるので、
「俺は夫だ、新聞はたたまない!」
という強固な意志や主張があるわけではなく、ただひたすらうっかりしているのだと思われます。
その、
「悪気は無いんだろうなあ。」
とこちらに思わせるのが難点と言いましょうか、
ただ単に忘れているんだけなんだから、と私も毎回「たたんでね」と言ってきたのですが・・・結婚しておよそ20年、最近、本当にそういうのが、つくづくとイヤになってきました。(今さらって感じですが・・・。)
同じことを何回も、それこそ何千回も言っても治らないのだから、もうどうしようもないのかな、と私が新聞をたたむ。
それって、こちらが「折れた」ように見えて、確実に、その都度愛情はすり減ってるんですよ!と夫には言いたい・・・。面倒だから言わないけども。
「同じことを何回も言わせてはいけない。」
大昔の上司の言葉が、最近やけにしみじみと胸に去来してやみません。
ちなみに、夫に新聞をたたんで、と頼むとたいていはこうなります。
これ、”たたんだ”ってことになるのかなあ。
新聞ってまとめて資源ゴミに出すので、こんなたたみ方では、みっともないことこの上なし・・・。
結局再度たたみ直すことになるので、その時のストレスも半端ではありません。
夫は、
「うちの奥さん、新聞のたたみ方にまで”いちゃもん”つける~。コワ~い。」
なんて会社で吹聴しているようなのですが、毎回新聞をたたみ直して、会社でも悪口言われて・・・業腹なので、もう新聞を購読するのをやめようかなーとか思っちゃう今日この頃です。
会社で悪口言ってるみたいだから、ブログで復讐してやった!
と溜飲を下げてますが、私自身の評判も下げている気がしないでもない・・・。
「夫婦とは一蓮托生」ってそういう意味・・・じゃないですよねえ・・・ほほ。
生まれて初めての
みなさま、こんばんは。
唐突ですが、この歳になりますと、「初めて」とか「初体験」とかいうものと、徐々に無縁になって参ります。(切ない・・・でもみんなそうなるんですからねっ!)
でも!私の場合、比較的簡単に「初めて!」が体験できる分野があるのです。
それは、「お料理」!(ごめんね、色っぽい話しじゃなくて。)
好き嫌いが多く、食わず嫌いが高じて、見慣れないものは総じて
「なんか気持ち悪い」
と、決して口にしない母に育てられたからでしょうか、これまでの日々、ほとんど代わり映えのしない食生活を続けてきました。
それでも昔から、
「ちょっと食べてみたいな」
とか
「どんな味なんだろう」
なんて、興味のあるお料理はあるわけでして。
私の場合、その筆頭が、
「きりたんぽ」。
なんと言っても、東北ってとにかく遠い!
「きりたんぽ」にしても、大阪のスーパーでは手に入りませんし、食べたことのないものをお料理するって、私にはなかなかハードルの高いお話し。
いつか、本場で食べてみたいねえ、とよく家族で話していましたら、先日、うれしいいただきものが・・・。
こんなの。
切ってお鍋に投入すればいいだけのきりたんぽと、お鍋用の濃縮スープが入ってました!
わーい、これで念願のきりたんぽが♡とはりきって材料をチェックしましたら・・・。
「鶏肉」・・・ふむふむ。
「ネギ」・・・うんうん。
「舞茸」・・・なるほどなるほど。
「ごぼう」・・・へええええ。鍋にごぼう!斬新!
「せり」・・・はい?
せり。芹ね。
知ってますよ、あれでしょ、春の七草の筆頭。七草がゆに入れるやつね。
さすがに私もそれくらいは知ってた!
でも。
大阪のスーパーでは「せり」を単体で売ってることってほぼないのです。
七草がゆの時期になると、七草まとめて1パックになって売っているのをよく見かけるのですが、どれが芹なのかわからないくらいの存在感・・・。
こんなの。
我が家の徒歩圏内には、10軒程度のスーパーマーケットがありますが、未だかつて「せり」が販売されているのを見たことがありません。
うーん、どうしましょう。
細長くて鍋に入れられる野菜ねえ・・・
ま、「水菜」でいっか!(←この時点で「まともな」きりたんぽが作成される可能性はなくなりました。)
ついでに鶏肉が食べられない母のために鱈を投入、鍋なのに白菜がないと文句を言うだろうなあ、とそれも追加で・・・ってやっているうちに、
「これって、きりたんぽ鍋というよりも、きりたんぽ入りの寄せ鍋では・・・?」
という疑惑が脳裏をかすめましたが、いや、鍋料理なんて「あるもので適当」でいいやん!と開き直り、そのまま押し切りました!
で、できあがったのがこちら。
うーん。
っていうか、きりたんぽ多すぎ?いっぺんに入れすぎ?
きりたんぽって、秋田名物よねえ、秋田にも「鍋奉行」とかいるのかなあ?
これって秋田の鍋奉行さんが見たら激怒レベルなんじゃない?
と大騒ぎしながらいただきました。
言い訳が許されるなら、おいしかったんですよ?見た目はアレですけど・・・。
きりたんぽはモチモチしていて、もっと「さっくり」した食べものだと考えていたので意外な感じ。でもとってもおいしかったです。
もっと早くに煮崩れてしまうのかと想像していたのですが、思ったよりも長い間形を留めていて、それにもびっくりしました。
いくつになっても「初めて」食べるものにはわくわくしますよね。
きりたんぽはもちろん、そんなわくわくを運んでくれた友人に感謝の気持ちでいっぱいになった夕べでした。
ところで、あらかじめお断りしておきますが、
「で、結局いくつなの?」
なんていう質問は受け付けておりません。あしからず!
うさぎさん、どこいったん?
みなさま、こんばんは。
先日は私の悪声に、過分なお褒めのお言葉をいただきまして、本当にありがとうございました。
おかげさまで絶賛有頂天中、調子に乗りまくりの毎日、昨日はいつもよりもルンルンで(←古い)2年生のクラスで絵本を読むことができました。
ところで、みなさまからのコメントには、
「うさぎさん、どこいったん?」
のご質問が多数。
確かに気になりますよねえ。
ということで、原作本の最終ページをご用意しました。
どうしても知りたい方は、どうぞ下記の写真をご覧ください。
思いっきり「eat」って言うてますやん・・・。
ということで、あのうさぎさんは、
「怒ったくまさんに食べられちゃった!」
というのがオチなのですが、日本語翻訳バージョンではそのあたり、微妙にぼかされていて、その絶妙のぼかし具合がまた、私がこの絵本を大好きな理由のひとつでもあるのです。
なんでもかんでも「クリア」がいいってわけでもないと思うんですよね・・・。
子どもたちにもよく、「うさぎさん、どこいったん?」って聞かれるのですが、
「食べられました。」
と言うと、大騒ぎになってしまうので(←経験済み)、最近では
「さあ、どこいったんかなあ?」
とあえて何も言わずに教室を出ることにしています。
で、悲しいうさぎさんの顛末と言えばもうひとつ・・・。
去年の5月のこの記事。
この中で、私、「ノンフィクションのうさぎ」さんのブログがおもしろい!って紹介させていただいているのですが・・・
消えちゃったの。うさぎさん・・・。
ど、どこいったんだろう・・・。
更新をいつもすごく、
すごーく、
ものすごーく!
楽しみにしてたのに・・・ある日、ふっつりと、なんの予告もなく、ブログごと消えていました。
気づいた時には大ショック!
読み返す度に大爆笑だったので、貴重な私の笑いの源が!としばらく立ち直れませんでした。
今でもなにがあったんだろう、なにがいけなかったんだろうと、よく考えます。
就活でお忙しいようでしたので、そちらに集中なさっているのだろうか?とか、
毎回コメントを書き込んだりしたのが負担だったんだろうか?とか、
・・・漢字の間違いを指摘したのがいけなかったんだろうか?とか、
考えすぎて夜も眠れないことも・・・(←ちょっとウソ。毎晩くうくう寝てます。)
お若い方ですから、興味のあることもたくさんおありでしょう。
今は別の楽しみを見つけられて、そちらで活躍なさってるのかな・・・。
だったらいいな・・・。
でも、マミーはちょっと傷心です。
大ファンのまろさんの更新も激減したし、
もとから更新頻度の低いゆとりさんなんて、なんと「彼氏」さんができたらしく!ますます更新されなくなってしまいました。
こうして私が大好きなブログはどんどん少なくなってしまうのでしょうか。
さ、さみしい・・・。(ま、ゆとりさんはしょうがないよね~って思います。だって、彼氏ができたんだもの。楽しい時期なんだもの。
でも、まろさんはねえ・・・なんでもっと更新してくれないのよっ!ケチっ!と言いたい。強く。)
と、思っていたら!
見つけたの!また!爆笑ブログ!
最近はもう、この「テイテイ」さんの魅力に「ドはまり」中のマミー。
読んですぐもおもしろいのですが、しばらく経ってから「じわじわ~」っとさらにおかしくなること請け合いです!
正直、私がブログを紹介すると、たいていの場合その後で、徐々に更新頻度が下がっていくので(←縁起悪いったら!)、このままこっそりと一人で楽しんでいようかなあ、とも思っていたのですが、やっぱりこのおもしろさをどうしても誰かと、
「ねー、おもしろかったよねー」
と共有したくて、こうしてまたご紹介しています。
(テイテイさんご本人は、クールな方で、あんまり絡んでくださらないので、だったらいっそ、外野だけでも楽しもう!という魂胆もあり。)
ぜーったい、笑えますから!
日々の生活に、もうちょっと「笑い」がほしいな、とお考えの方はぜひ。
オススメです!
実は、もう一つ、まったくテイストは違いますけれどもオススメのブログが。
こちらは伊豆の海で「釣り船」の船長さんをなさってる「面白い船長」さんのブログ。
正直に言って、私、これほどまでに「活きのいい」お魚って見たことがありません。
釣れたばかりのお魚って、こんなにもキレイなものなんですね。
さらに驚いたのが、この海の美しさ!
四方を海に囲まれるって、一体どんな感じなのでしょう。
フェリーに何回か乗ったことがある程度の私には想像もつかない感動があるのではないかと、船長さんのブログを見ているとワクワクします。
「海に出ると、家に帰りたくなくなる」
お仕事なのに、お家に帰りたくなくなるなんて。
海の魅力とはどれほど深いのでしょう!
一度でいいから、こんなお船に乗って海に出て、空と海を同時に染め上げる夕焼けや朝焼けを、自分の目で見てみたいものだと思うのですが・・・
伊豆って遠い!
おまけに乗り物酔いをしやすい体質なので、実際に海に出たら、景色を楽しむどころではないかも・・・。
つくづく、私って「待ってる」側の人間だなあ、と思います。
どなたか伊豆にお出かけの際には、船長さんのお船に乗って、釣りと景色、それから釣れたてのお魚についてのレポートを記事にして読ませてくださいね!
おまけ。
うさぎさんのお話しがいつの間にか、「私が好きなブログ」の話しになってしまいました。
「私が好きなブログ」の話しであれば、やっぱり「あのブログ」についてもお話ししなくてはなりません。
そう、言わずと知れたisakuさんのブログね。
実は私、今まで、isakuさんのブログについて、何かを言おうと思ったことはありません。
だって、何かを言う必要もないくらい、みなさまよくご存知なんだもの。
でも、今回の、
「アーレン症候群」のためのブルーノート
いいお話しでしたよね。
とっても感動してしまいました。
私の弟は大学を出てまもなく、視神経の病気にかかり、片目の視野が一部欠落しているので、運転などは絶対にしませんし、眼鏡も欠かせなくなりました。
お仕事も家庭生活も、順調にこなしているようなので、安心はしていますが、時々、
「どうしてこんな厄介なことに」
と、弟を不憫に思うこともあります。
でも、昨夜isakuさんの記事を読んで、しみじみと、私たちは幸運なのかもしれない、と思うようになりました。
たとえ、多少不便なことがあったとしても、今の時代、その不便さをカバーできる技術がある。
それを叶えてくれるお仕事をしてくれる人もどこかにいる。
そして、「理解しよう」としてくれる人も。
どんな状況にあっても、私たちはそこに希望を持てる、感じることができるのだと、小さな灯りを手渡された気がしました。
私は今回初めて「アーレン症候群」という症状を知ったのですが、弟と同じく、見た目でわからない症状だからこそ、ご苦労も多いことだと思います。
でも、やっぱり「希望」はあると思うのです。
小さな声にも耳を傾けてくれる印刷屋さん。
そんなお仕事をしてくれる人が、この世にちゃんと存在しているのですから。
珍しい疾患に苦しむ人たちが、「無理解」によってますます苦しめられることのないように、できればisakuさんの今回の記事が、たくさんの方に読まれるといいな、と願いつつ、今、この「おまけ」の欄を書いています。
どうかたくさんの人がisakuさんの記事を読んでくださいますように。
そして「アーレン症候群」をはじめ、多くの希少疾患についての理解が広がりますように。
それと、おまけのおまけですが、
isakuさん。
私が紹介したからと言って、更新頻度をさらに減らしたりしないで、
必ずまた素晴らしい記事を投稿してくださいますように。(←でないと私がみなさまにすんごい恨まれる・・・。)
私の無知のページに、新たな知識と希望を書き込んでくださったisakuさんに。
感謝をこめて。
絵本「どこいったん」を読みました。
3学期が始まりました。
お子さんがいらっしゃるご家庭では「ほっ」としたり、お弁当作りが再開したり・・・楽になることも、かえって面倒が増えることも多々あることと思います。
新学期のスタートとともに、私の日常においても「読み聞かせ」のボランティアが再開しました。
ところで、読み聞かせをするボランティアには、たいていの場合、「好きな絵本」というのがあるわけでして。
例えば私の場合。
「どこいったん」
が特にお気に入り。
帽子を失くした「くまさん」が、自分の帽子を探し続けるお話しなのですが、
子どもたちのウケがよくて、毎回ノリノリ、でも、最後の「オチ」になると、必ず教室中が
「しーーーーーん。」
と静かになる、魔法のような1冊です。
でもこの絵本。
なので、他府県出身のボランティアメンバーからはとっても不評。
「読めない。」
「読んでると子どもたちが、話の筋じゃないところでクスクス笑う。」
「絶対、イントネーションの違いで笑ってる!」
と、散々な言われよう。
確かに関西出身者でなければ、
「見てへんで」
「登ろ、思てね」
「もうええわ」
なんて、なかなか言う機会がないかもしれません。(←てか、絶対ないよね?)
先日はとうとう、
「マミーさん、読んでるところ録音させてよ!練習するからっ!」
って言われてしまいました。
大阪弁じゃない本を読めばいいのに・・・
そこまでして練習する必要はないんじゃないかな・・・
そもそも、なんで私が・・・
と必死で文句を言いましたが、いつものことながら押しに弱くて「ノー」と言いにくい性格。いつの間にやら、読んで録音することになっていました。
せっかくなので、今回はその読み聞かせを大公開。
大阪弁のやりとりが楽しい「どこいったん」、よければ聞いてみてください。
(この動画は「はてな」からのみ視聴可能です)
(念のため、お断りしておきますが、
今や「おおきに」という言葉、大阪でもほとんど死語に近いものがあります。
私も生まれてこの方、ありがとうの意で「おおきに」を使ったことは一度もありません。
今やお商売でのシーンや「吉本新喜劇」の中でのみ聞ける言葉だと思われます。)
聞いていただいておわかりかと思いますが、子どもたちを相手にした読み聞かせの場合、「上手に読む」必要はまったくありません。
声色を使ったり、登場人物で声を変えたりする工夫も、さして求められてはいません。
あまり上手に、真に迫った読み聞かせをすると、子どもたちは、
「この人、上手だなあ」
と読み手の方に注目してしまい、肝心の本については気持ちが入らなくなってしまいます。
なので、あまり力を入れすぎず、淡々と読む方がいいのではないかと思います(←自分の読み方が下手っぴなことへの言い訳もちょっと含む)。
主役はあくまでも「絵本」。
ちょっとくらい、読むのが下手でもなんの問題もないのです。
もしもご近所の小学校で読み聞かせのボランティアを募集していたら、ぜひ一度ご検討くださいね。
ところで、この「どこいったん」の絵本。
もちろん、学校だけでなく、ご家庭でも楽しめます。
この本を読んだ後、
「ママのアイス、どこいったん?」
「し、しらんよ?
なんでぼくに聞くん?
アイスなんかどこにもないで。
アイスなんかさわったこともないで。
ぼくに聞くのん、やめてえな。」
なーんて会話を楽しむまでが、この本の楽しみ方。
ぜひぜひオススメ。
お子さんと一緒に、あるいはご家族と楽しんでみてくださいね。
で、ふと思ったのですが。
考えてみたら、生まれ故郷以外で生活していて、
「あら、どちらのご出身ですか?」
と聞かれたら、たいていの人って、
「え、なまってますか?おかしいですか?」
って動揺なさるのに、大阪人だけは、どこに行っても堂々と大阪弁を押し通しますよねえ。
そんなところが全国でちょっぴり嫌われるんじゃないかしら。
なんてことを、「どこいったん」を読みながら、しみじみと思ってしまうマミーなのでした。
最後まで読んでくださったみなさま、
「おおきに」。
真田丸散歩最終回。
真田丸散歩、続きます。
今度こそ最終回です。たぶんね・・・。
前回は愛染堂(勝鬘院)の多宝塔についてお話ししたところで終りましたが、やはり天王寺まで来て、「四天王寺」に立ち寄らないわけにはいかないのでは・・・。ということで、天王寺で最も有名な寺院、「四天王寺」へと向いました。
途中、
現存する世界最古の企業、(株)金剛組の社屋を発見。
聖徳太子によって百済から召喚された宮大工がこの会社を興し、以来、戦乱や災害によって何度も焼失や倒壊を繰り返す四天王寺を、その度にこの金剛組が再建してきました。
現在は高松建設の子会社となっています。
そして、四天王寺。
日本仏法最初の官寺。
かの聖徳太子が、
「もしも物部氏との戦に勝てたなら、必ず四天王を祀るお寺を建てる」
と誓願し、見事勝利した後に建てたと言われているお寺です。
最近は聖徳太子の業績を見直す動きもあるので、いずれ説明が変わることもあるかもしれませんが、それにしても日本で最も古い由来を持つ寺院のひとつであることは確かでしょう。
この日もたくさんの参拝者が見られました。
なんども建て直されてはいますが、美しく印象的なお堂。
近くで見ると圧巻の存在感です。
また一般的に、この四天王寺には、西門(石の鳥居とも)から入るのですが、
その西門は特別な意味を持っています。
四天王寺西門。
ここは西方の極楽浄土に通じると言われ、真西を向いているために、彼岸にはここからまっすぐ夕陽が差します。
今でこそ、この界隈は内陸になりますが、昔はすぐそこまで海が迫っていたので、この門から眺める、西の海に沈む夕陽の美しさは、当時の人々にはさぞ神々しく見えたに違いありません。
なので、上町台地西側には「夕陽ヶ丘」の名前が冠せられています。
この「夕陽ヶ丘」という美しい地名。
私と同じ世代の人には、「ゆうひが丘の総理大臣」なんてドラマを想起させるのではないかと思います。
懐かしいですねえ・・・子どもの頃、一生懸命見ていました。
中村雅俊さんがかっこよくてね・・・。
「夕陽ヶ丘」という美しい名前を持つ土地が、大阪以外にもあるのだろうかと思いながら見ていた子ども時代を思い出します。
耳にするたびに、ふと立ち止まるように胸に響く地名「夕陽ヶ丘」。
その名前を噛みしめるために、最後にもう一つだけ、ある神社を訪ねることにいたしましょう。
「大江神社」
愛染堂(勝鬘院)のすぐ隣に位置する神社ですが、由来は古く、聖徳太子が四天王寺を鎮守するため建てた7つの宮のうちのひとつとして有名です。
境内には、
「夕陽岡」の碑も。
この碑のすぐそばには、芭蕉の句碑も建っています。
”上町台地の西端に沿う一帯は「夕陽ヶ丘」と呼ばれており、その昔、この台地のすぐそばまで海がせまり、西の海に夕日が沈み行き、茜色に染まる空の美しさにいつしか「夕陽ヶ丘」と呼ばれるようになったといいます。境内には俳句碑があり、芭蕉の句としても有名です。
あかあかと 日はつれなくも 秋の風 翁
よる夜中 見ても桜は 起きて居る 三津人
網の子の 名にやあるらん 杜宇 千季
春風の 夜は嵐に 敷れ鳧 暁臺”
(大江神社HPより)
平素、忘れがちですが、実は、大阪の歴史は京都よりもずっと古いのです。
その古い歴史の中でも、遠い、気が遠くなるほど遙か遠い昔には、この句碑のすぐそばまでが海でした。
その海に沈む夕陽を、遠い過去の日本人もやはり美しいと思ったからこそ、この地の名前が「夕陽ヶ丘」なのでしょう。
日本全国に「夕陽」の名を持つ土地がどれほどあるのか知りませんが、この土地につけられた「夕陽」の名ほど古く、そして由緒正しいものはありません。
時代も人も移り変わり、ひとつとして永遠に続くものはないけれど、西の空に沈んでいく夕陽の、空を赤く染める様を「美しい」ものとして、かけがえなく愛しむ気持ちに、時代の差があるでしょうか。
西方に極楽浄土が実在するとは言えないことを知っている現代人の私もまた、古の人々と同じく、この地の夕陽をこよなく「美しい」と感じながら、今回のお散歩を終りたいと思います。
おまけ。
大江神社にいた猫さん。
人なつっこい様子。
おまけ2
前回のコメント欄でセネシオさまとちょっぴりお話しさせていただいた真田山・
旧第四騎兵連隊の騎兵営址忠魂碑。
おまけ3
最近、知人から「マミーのブログには食べ物要素が少ない!」と指摘されました。
人一倍食べてるんですが・・・でも、食べる前に写真を撮る習慣がどうしてもつかないの・・・気づいたら食べちゃってるんだもの。
でも今回は食べる前に思い出した!写真のこと!
阿倍野ハルカス13階「中国料理桃谷樓」で食べた何か・・・。
なんだったかな?・・・とにかくおいしかったです!
おしまい。
長々と冗漫なお散歩におつきあいくださって、ありがとうございました。
まだまだ真田丸散歩
「真田丸」ゆかりの地のお散歩、続きます。
ごく最近のことなのですが、新しい資料が発見されたとかで(←松平文庫だったかな・・・詳しいことは知らない・・・)、幸村終焉の地が、安居神社ではなく、
だったという説が浮上してきています。
「どこか」って悩ましいですよねえ・・・。
「安居神社」の関係者も心穏やかではいられないんじゃないかしら。
あれだけ「幸村終焉の地」って宣伝してるのに。
「愛染堂」か「生國魂神社」か、はっきりしてたらまだいいと思うんですよ?
でも・・・。
「どこかはっきりせえへん」のやったら、もうウチでいいやん!長いことそれを売りにしてるんやから!
とか思ったりしないのかしら。ねえ?
・・・なーんてことを母とわあわあ言いながら、それでもせっかくここまで来たのだから、と「愛染堂(勝鬘院)」と「生國魂神社」にもお参りしていくことにしました。
まずは「生國魂神社」から。
「生國魂」と書いて「いくたま」と読みます。
大阪人にとってはとても馴染みの深い神社で、大阪を代表する古い神社のうちのひとつです。
この日はお正月の4日でしたが、まだまだ参拝者がたくさんいて、そのお顔が写り込むのを避けようと思ったら、上のような写真になってしまいました。
鳥居の中では、こんな具合に参拝者の長い列ができていて、地元の人からとても愛されている神社なのだと実感できます。
また、この生國魂神社は「天王寺」のど真ん中にあり、大阪の文化や歴史と密接な繋がりがあるだけに、境内には、
「好色一代男」でお馴染み「井原西鶴」像なんかもあったりします。
ま、織田作之助はわかります。写真、残ってますものね。
でも「井原西鶴」のお顔がこんな風だったかどうかなんて、誰にも検証できないはずなのになあ、ってちょっぴり複雑。なにこの落語家みたいな銅像・・・。
そんなことを言い出したら幸村像だってどんな顔だったかわからないし!って言われるかもしれないけど・・・文学者と銅像って、あんまり相性がよくない気がします。(←あくまで「マミーの頭の中」のお話し。)
この生國魂神社はもともとは、今の大阪城の辺りにあったのを、大阪城築城のため、秀吉の命で現在地に遷座させられて今に至ります。
自らのお城の築城のために、神さまにお引っ越しさせるなんて、当時の秀吉の権勢の凄まじさがしのばれます。
ではでは次は愛染堂(勝鬘院)へ。
「愛染まつり」「愛染かつら」でとっても有名、こちらも大阪人には馴染みの深い神社です。こちらでは「愛染さん」と親しみをこめて呼ばれることが多く、「縁結び」「夫婦和合」の神さまとして有名です。
毎年夏の「愛染まつり」にはかわいらしいお嬢さんたちが「宝恵駕籠」に乗って街を練り歩くパレードがあって、大阪の夏の始まりを告げます。
こんなの。
(写真はネットからお借りしました。)
でも今は冬なので・・・。
境内はこんな感じ。
また、愛染さんの境内には、重要文化財、聖徳太子ゆかりの「多宝塔」もあります。
残念ながらもともとの多宝塔は、信長の石山寺攻めの際に消失しましたが、その後秀吉によって再建され現在に至ります。
四天王寺ですら第二次世界大戦の空襲で焼失してしまったので、この多宝塔は大阪市内最古の木造建築になります。
母とベンチに座ってこの多宝塔を見上げながら、人がいとも簡単に、命を落とした時代について語り合いました。
あまりにもあっけない「死」がそこかしこに溢れていた時代には、こんな仏教建築は、きっとただの「建物」以上の意味を持っていたのでしょう。
現代人には理解できないほどの真摯さでこんな大きな塔を建て、見上げ、拝んだ人々の切実な祈りが、今も周囲に漂っているような気がしました。
す、すみません、長くなりました、あと一回、続きます。
新しい大河ドラマも始まったのに、タイミングが遅すぎ!かもしれませんが、どうぞもう少しだけおつき合いくださいませ。
(ちなみに今日の大河ドラマを見て思ったのですが、最近の子役の演技力ってスゴイですよねえ・・・。子どもをあんなに泣かすなんて!って思いながら、私が泣いてました。ほほ。)
真田丸散歩三回目
昨年末、「真田丸」最終回記念として、真田幸村関連の史跡を訪ねたことを、2回に分けてお話ししました。
実はこの後、私が「安居神社」に行ってきたことを知った母が、
「私も行きたい!」
と大騒ぎを始めました。
「えー、今行ってきたのばかりなのに・・・。」
と思わないでもなかったのですが・・・。
でも、昨年は体調を崩し、一時は枕から頭も上げられないほどだった母が、あちこち出歩きたいと言えるようになるなんて!と、それがとってもうれしくて、つい、
「お正月休みに、一緒に行こう。」
と約束をしてしまいました。
で、お正月休み最終日。
行って参りました、「真田丸」に関する史跡めぐり、再びです!
・・・え?
もう飽き飽き?
わ、わかります・・・わかりますけどっ!
前回とは違うところにも行ってまいりましたので!
どうかしばらくおつきあいください!お願い!
まずは前回と同じく安居神社から。
撮り損なっていた、天満宮としての象徴、牛さんをパチリ。
ね?
やっぱりここは天神さんでしょう?
ちなみに左端にちょこっとだけ写り込んでるのは幸村銅像の足です。
私は幸村に、
「また来たん?ヒマなん?」
って言われるような気がして、遠巻きからの見物にとどめましたが、母は幸村像に大感激、近くでまじまじとご尊顔を拝していました。
そういえば、ここ安居神社では、
芸能人の絵馬も発見。
片岡愛之助さんはつい最近、取材で見えたようですね。
個人的には加藤雅也さんの絵馬に大興奮。
昔っからのファンなのです。かっこいいですよね!
と、真田丸には関係のないことで盛り上がるのはこの程度にして、次の史跡ポイントに参ります。
次に訪れたのは「三光神社」
「真田の抜け穴」(大坂城から脱出するため作った抜け道という伝説あり)がある神社として有名な神社です。
その「真田の抜け穴」というのがこちら。
普段は施錠されているのですが、毎年、秋の11月第一日曜日は開放されます。
写真を撮っていると、どこの誰ともわからないおじさまに、
「この抜け穴通って、大阪城まで行ってきたらええで~。」
なんて声をかけられたのですが(大阪ではそういうことがしょっちゅう起ります)、残念ながら、この「抜け穴」は出口から10メートルほどの空間しかありません。
なので、豊臣方あるいは真田勢が作った抜け穴というよりは、徳川方が攻勢のために掘った穴ではないかという説もあり、はっきりしたことはわかっていません。
でも、九度山を脱して大坂に駆けつけた幸村のこと、こんな抜け穴だってどこかに作ったのではないかしら、なんてつい想像してしまうのが大阪人というものなのでして・・・すぐ隣には、こーんな
凛々しい「真田幸村公ノ像」も建っていますので、テンションもますます上がってしまうのです。
で、三光神社境内。
天照大神、月読尊、素戔嗚尊をお祭りしている神社なのですが、社殿に近づくと・・・
そこには真田幸村。
どどーん!と幸村。
幸村イチ推し!
(むしろ幸村頼み・・・)
幸村、愛されてるなあ、と感心しながら三光神社を後にしました。
ここからは、真田丸跡を目指して歩きます。
もっとも、どこが真田丸だったのかについては、はっきりとした確証があるわけではないのですが、それでも有力候補地はあるわけでして。
とくに天王寺のこの界隈は、地名もずばり「真田山」。
近隣には「真田山幼稚園」があったり、マンションやアパートの名前など、至るところで「真田」の名称を目にします。
途中、坂道にさしかかりました。
写真、ボケボケですが・・・大阪市内には珍しく、結構な傾斜です。
大坂の陣では手前が大坂方、この坂道の下側から徳川方が攻め上ってきたのでしょう。
坂の上には「真田丸顕彰碑」。
大阪明星学園テニスコート横に昨年2月に建立されました。できたてほやほや・・・。
でも、昨今の「真田丸」人気のせいか、
顕彰碑の下の「六文銭」の上にはたくさんの五円玉が。
写真を撮る観光客もたくさんいらっしゃいました。
また、明星学園の校舎壁面には生徒さんたちによる壁画も。
去年は学校中で真田勢を応援してたんだろうなあ・・・。結局負けたけどさ・・・。
この大阪明星学園テニスコートのすぐ目の前には、真田幸村、大助父子を弔うために建てられた「心眼寺」というお寺があります。
「日本一の兵」幸村。
その武勲にあやかりたいと願った武将たちは、幸村の遺髪をこぞって奪いあったと言われていますが、江戸時代には、さすがに敵方であった幸村父子の墓を、堂々と建てることはできなかったようです。
それが最近になってやっと、墓碑が建立されたのですって。(2014年)
楠木正成もそうですが、時代によって毀誉褒貶が移り変わるのが人の世の習いなのかもしれません。毀誉褒貶とまではいかなくても、むやみに持ち上げられたり、かと思えばすっかり忘れられたり、再評価されたり。
現代を生きる人間が、そんな風にあれこれと騒がしいのを泉下の人々はどんな風に眺めているのでしょう。
幸村の真新しい墓碑の前に立つと、きっとあちらの世界でもかしましい人というのはいて、
「ねえねえ、真田丸ってほんとはどの辺にあったの?どれくらい勝てると思ってた?」
なんて、何度も聞かれて、幸村も閉口しているのではないかしら、などと考えたりしました。
時とともに風化し、忘れられていく人間が多数派なのに、こうして忘れられずに名を残し、いつまでも忘れられないための工夫をされる幸村。
それはやはり武士の本懐と言えるのかもしれません。
このお散歩、もう少し続きます。