30周年・なにわ淀川花火大会

先日、8月4日のことになりますが、大阪では30回目の淀川花火大会が催されました。

なにわ淀川花火大会

もう30回目なのかあ、という感慨があります。

 

初回大会は平成元年。

私はまだ大学生で、母とふたりで自宅近くの河川敷から花火を見たのでした。

 

初回ですからね、「淀川花火大会」なんてまだだ~れも知らなくて、河川敷はひっそりガラガラ、一軒の夜店もなく、打ち上げられる花火もほんのちょっぴりで、PLの花火大会や天神祭に比べると、

「しょぼっ!」

っていう感想しか出ませんでした。

おまけに、いつの時代も若い人というのはついつい羽目をはずしてしまいがちなもののようで、「花火大会に合わせて花火をしよう!」と思い立った若者グループが(←今なら「リア充」なんて言われるんでしょうね)河川敷で手持ちタイプの花火をしまくってボヤを出し、消防車が出動する騒ぎになりました。

河川敷にサイレンを鳴らしながら突入してくる消防車を見て、母とふたり、

「どっから入ったんかなー」

「川の水で消火するんかなー」

などと話したのを覚えています。

 

今では想像もつきません。

 

淀川花火大会に近年、来場したことがある方なら、きっと不思議でたまらないことでしょう。

一体全体、どこで手持ち花火をするスペースが?って。

花火大会の日の河川敷に消防車が入る余地があるのか?って。

確かに今の淀川花火大会ではそんな余裕はありません。

 

ほら。

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人でびっしり・・・

なにしろ50万人を超える人出なんだとか。

あまりにもすごい混雑なので、最近はごくごく近所なのに、あまり出かける気になれませんでした。

でも今年は河川敷近くに住んでいる友人が「うちのベランダから見よう」と誘ってくれたので、大喜びで出かけてきました。

 

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午後6時。対岸に梅田の街とスカイビルが見えます。

花火の開始にはまだ1時間半以上。外で場所取りをしている人たちが熱中症にならないか気になるところ。

 

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完全に陽が落ちました。

東京に行ったときも思いましたが、都会は夜にこそ美しくなるなあと感じます。

こうして見ると大阪の夜もそれほど悪くはありません。私の写真はボケボケですが。


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7時40分。始まりました。

 

初回からずっと、市民のボランティアによる「手作り」で運営されてきたこの「なにわ淀川花火大会」。

これまで度々、ゴミや騒音、警備や渋滞などの問題をめぐって、「中止」や「廃止」の議論が巻き起こってきました。

正直、よくぞ30年も続いたなあ、という感慨があります。

 

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写真が下手。

たくさん撮ったのに爆発写真ばっかり。

そういえば、横チンさん、お元気かな・・・(←なぜそこで思い出す・・・?)

 

 

対岸のビル群のガラスが鏡の役目を果たし、打ち上がる花火が開くたびに、目の高さにもきらめきを感じました。

 

真上に打ち上げられた花火は空中で次々と消えていくのに、低い位置で開いた花火は盛んに燃えたまま、水の中に消えていきます。

 

思えば花火大会って春の桜に似ています。

毎年、同じ時期にあって、去年の今ごろは、と考えるところ。

いつも同じように見えて、少しずつ違っているところ。

来年は、と考えて、一年の無事を祈るところ。

 

一度だけ、対岸で見上げた花火。

あれは済生会病院の駐車場で、父の背中の後ろで見たのでした。

父の人生で、最後の花火になると、誰もがわかっていました。

父自身も。

あの年の桜も、自分にとっては最後だと、父はわかっていたことでしょう。

 

 

10時まで友人の家に待機させてもらったのに、帰路、十三駅までの道は人であふれかえり、まっすぐ歩けない状態でした。

私の前には若いお父さんに連れられた小さな女の子が歩いていました。

たくさんおはしょりをした浴衣に、金魚の尾びれのような赤い兵児帯

彼女が歩くたびにその兵児帯が揺れました。

私は父に連れられてこんな風に歩いた記憶はありませんし、そういえば、父と花火を見たのも、あれが最初で最後だったのだと気づいて、その縁の薄さにあらためて驚きつつ、父に向かって心の中で、

「おおむね自業自得だけど、それでも損したねえ。」

とつぶやきました。

強がりで、素直でない人だったので、私がそんなことを言ったら、反射的に「そんなことないっ!」と強弁しただろうと思いますが。

 

毎年めぐってくる季節ごとの行事には、生きている人も死んでいる人も参加している気がします。

「平成の」淀川花火大会も今年でおしまい。

来年の花火大会に、私は誰を思い、何を感じ、どんなことを考えるのでしょう。

 

今はまだ想像もできませんが、忘れるとうるさそうなので、父のこともちゃんと思い出してあげようと思います。

どうせあちらの世界でも酔っぱらって騒いでいるんだろうと思うのですが。

死んだ人にはかないませんね。

 

 

 

 

 

 

 

せっかくお金持ちだったのにね…モテなかった後輩のこと(子育ての思い出・4)

またまた昔の話になりますが。

 

大学を卒業後、ある企業で働いていたころ、隣の課に「もんのすごい」お金持ちの男の子が入社してきたことがあります。なんでも大阪の一等地にいくつも自社ビルを抱える会社の御曹司とかなんとか。

 

私が勤めていたのはどことなく昭和の香りが残る旧弊な会社で、短大卒の女子社員は男性社員の結婚相手要因としての色合いが濃厚でしたので、隣の課の若い女性たちは、その男の子の噂に接してからどことなく色めき立っていました。

 

で、最初の1か月ほどは、終業後にみんなでごはんを食べに行ったり、飲みに行ったり、それなりに楽しくやっているようだったのですが、ふと気がつくとあれほど盛り上がっていた女子社員のテンションがだだ下がり。

どうしたのかなあと思って、隣の課の同期入社の男の子に、残業ついでに食事に行った時に聞いてみました。

「盛り上がってたのに、最近静かやねえ。どないしたん?」って。

 

そうしたら。

 

「あの新入社員さ、好き嫌い多いねん。食べ物の。」

 

は?好き嫌い?そんなん誰にでもあることやん?

 

「いや、あれはちょっとひどい。てか、かなりひどい。食べられるものが少なすぎるし、あれがイヤ、これもムリ、それもキライって言いすぎ。」

 

ふーん。それで女の子たちから総スカンくらってるの?

 

「そもそもな、一般職の女の子たちって、ほとんどが縁故採用やん?もともと家がお金持ち、って子が多いからさ、そこまでしてお金持ちと結婚したいわけでもないんやろなあ。一緒に楽しくごはんも食べられへんようなのは論外みたいやで。」

 

なるほど、なるほど。

で、そのころから、隣の課の雰囲気はまたちょっと変わっていきました。

 

もとから女性の多かったその課では、帰りにお茶をしたりごはんを食べに行く習慣の多いところで、終業時刻が近づくと、

「帰り、どこ寄る~?」

なんて和気藹々とみんなで盛り上がっていたものなのですが、それがすっかりなくなって、ロッカールームや給湯室で女の子たちがコソコソと相談する姿を見かけるようになりました。

理由はと言えば、その新入社員を誘うのがイヤだから。一緒について来られるのもイヤだから。

 

私ねえ、「中学生かよ・・・」って閉口しましたけれど、

 

「だって、ナスビ食べてたら、「うわ、ナスビ食うんすか!」とかいちいちうるさいし、逆に好きなものが大皿に乗ってたら、ひとりで全部食べちゃうし、とにかくもう無理。絶対にムリ。あの子に合わせてたら行けるお店なんかほとんどないんやもん!」

 

と言われて、うーん、と唸ってしまいました。

その新入社員が嫌われてしまうのは、好き嫌いが多いから、というよりも、「食事中のマナーの悪さ」や「気づかいのなさ」のせいのような気がしましたけれど、でもあまりにも「好き嫌い」が多いと、だれからも誘ってもらえなくなって「さびしくなってしまうんだな」としみじみ思いました。

 

にも関わらず、うっかり偏食家の夫と結婚してしまった私。

 

mamichansan.hatenablog.com

 

せっかくお金持ちなのに、ちっともモテずにあっという間に転勤していった例の新入社員や、自分の夫のことを考えると、「食べ物の好き嫌いは人生をハードモードにする、絶対!」という感を強くした私は、子育ての第一目標を「好き嫌いをなるべくなくす!」ことにしようと決めました。

 

今日は子どもが「好き嫌いなくなんでも食べる」ようになるために私がやったことのあれこれについてお話ししたいと思います。

意外と効きます。

もしも子育て中のお母さまがいらしたら、ぜひぜひチャレンジしてみてください。

 

1.「ワンワン」に頼る。

小さいお子さんなら誰もが知ってる、NHKの「いないいないばあっ!」。

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それに登場するこの「ワンワン」。当時は番組内で、しょっちゅういろんな野菜と踊っていました。

ある時、「ピーマン」と踊っていたワンワンを見た私は娘に「これなあに?」と聞きました。娘はすかさず「ピーマン!」と答えたので、私は娘をバギーに乗せてスーパーに行き、袋に入った売り物のピーマンを見せてまた「これなあに?」と聞きました。

娘はまた「ピーマン!」と答えたので、そのピーマンを買って帰宅、今度は娘の目の前でピーマンをみじん切りにして、小さくなったピーマンをつまんで娘に聞きました。「これなあに?」って。

で、料理をしている間、ずっと娘と「これなあに?」「ピーマン!」を繰り返し、

できあがった料理を娘の口に入れた後で聞きました。

「ピーマン、どこ行ったの?」って。

そしたら娘はモグモグしている自分の口を指さしました。

ごっくん、と飲みこんだ後にも聞きました。

「ピーマン、どこ行ったの?」って。

娘はちょっとだけ頭をかしげて考えているようでしたが、お腹を指差しましたので、こんなに小さいのに、食べたものがお腹に入るってわかるんだ!ととても驚いたことを覚えています。離乳食後期のころだったと思います。

自分で育てた野菜ならよく食べるって言いますけれど、都会ではそれはなかなか。

でも、料理の過程を見せるだけでも意外と食べてくれる気がします。

 

2.味見作戦。

料理の間にちょっとだけ「味見する?」って聞くと、うれしそうになんでもよく食べてくれました。

これはほんとによくやったなあ。

ちょこっとだけ、特別に食べさせてもらえるものって、大人でもうれしいですものね。

にんじんや豆腐、ホウレン草などの青菜も、この味見作戦のおかげか、抵抗なく食べてくれるようになりました。

 

3.つまみ食い作戦。

夫の出勤日の夕食はなかなか一緒にとはいかなくて、夫の夕食は帰宅後、別に用意していたのですが、夫が夕食をとっていると、娘がちょっと欲しがるのです。

自分の夕食から2時間は経っているので小腹が空くタイミングだったのでしょう。

私は娘が欲しがれば、ちょっとだけあげるようにと夫に頼みました。

自分の食事の時には食べようとしなかった大根も、夫にひとくちもらうと喜んで食べました。

大根はほんとに手ごわかったのですが、「つまみ食い作戦」のおかげで食べられるようになりました。今ではおでんの大根も大好物です。

 

4.根気。

あとはもう根気。ほんとにそれだけ。

なだめてすかしておだてて機嫌をとって。

ほんとに疲れることですが、空を飛んで虫を捕まえるツバメさんよりは楽チンなはず!と自分に言い聞かせ、子どもを根負けさせるつもりで臨むしかありません。

 

「いらち」で基本的に短気な私は、実のところ、子どもの食事につきあう度に「苦行かな?」って思っていました。お料理が得意ってわけでもありませんし。

でも、好き嫌いなくなんでも食べてくれるようになった娘の食事作りは本当に楽チンで、今になって、あの頃の努力は無駄ではなかったと痛感しています。

実はひとつだけ、克服できなかった食べ物があって、それが「餡子」なのですが、それも「あれだけやってダメだったのだから、もういいや。」と肯定的に納得できています。

子育てって、あとからあとからいくらでも後悔が押し寄せてくるものですが、ひとつくらい「やれるだけのことはやった!」と思えることがあると、少しだけ気持ちが楽になるものです。

 

子どものため、というよりも後々、自分にできる言い訳をひとつ用意するのだと思って、がんばってみるといいかもしれません。

 

おまけ。

この記事の下書きを読んでいた夫が言いました。

 

「お金持ちの話って言うから、今回は俺、関係ない!って思ったけど、「好き嫌い」かあ・・・やっぱり俺への文句やん!」

 

って。

そんなこと言うならコンニャクもイカも黙って食べてくれればいいのに。(←文句)

最近は娘に「パパ、好き嫌いしちゃいけません。」と叱られている夫。

やっぱり好き嫌いって少ない方がいいですよー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

赤ちゃん連れの通院は無理ゲーでした。(子育ての思い出・3)

みなさま、こんばんは。

 

子どもが小さいうちって、いろんな苦労や制約があるものですけれど、

その中でも「大変だったなー」ってしみじみ思うことってなんでしょう。

 

私の場合、「通院」でした。

 

もちろん、子どもの具合が悪い時には、どんな状況であっても大急ぎで病院へ駆けつけるわけですけれど、問題は「母親である私自身が不調の時」。

子どもを出産するまでは、かかりつけのお医者さまや病院に対し、不満を感じることなんてなかったのに、「身ひとつ」であった時と、出産後とでは、事情がまったく違ってしまう、という単純なことを、私は自分が身をもって体験するまで、気づきもしませんでした。

 

あらかじめ予約を入れて病院に行く場合などには預け先を確保したり、実家の母に来てもらったり、打てる手はあるのです。

でも、「体調」というのは、いつなんどき悪くなるかわからないもので、必ず先手を打てるとは限りません。

今日は、今でも覚えている「ママの通院で困った状態ベスト3」を振り返ってみたいと思います。

1.熱中症治療。

夕方、コップを洗っているわずかの間に、一気に40度の発熱、割れるような頭痛に「いくらなんでもこれはおかしい」と思い、当時2歳の娘を抱っこしてタクシーで病院に向かいました。

で、まあ熱中症だということで、点滴を受けたんですが、それが3時間くらいかかりました。

病院のベッドに横になった状態で3時間、2歳児の相手をするのって結構キツイです。

 

2.術前検査。

まさか手術になるとは思っていなかったのに、「手術するから、術前検査を受けて帰ってね」と言われて、病院内の検査室を5か所回るように指示されたことがあります。

で、娘をバギーに乗せて、病院の中をあっち行ったりこっち行ったり。

おまけにありとあらゆる検査場所が、当たり前ですが「おひとりさま限定仕様」。

検尿をするためのトイレには赤ちゃん用のスペースがなく、心電図を撮るためのベッドは狭くて娘はバギーに乗せたまま待機、レントゲンやCTの撮影ではそもそも一緒に入室できませんから、

「技師室に置いといてください」と娘をバギーごとお願いしたら、検査技師の若い男性に

「えっ?」

って言われました。

その気持ち、めーっちゃわかるわあ、財布預けられてもちょっと迷惑って思うもんね、だって大事なものだから、万一のことがあったらどうしよう、責任取れないって思っちゃうのも当たり前。そもそも大事さ加減から言えば、財布どころじゃないもん、生きてるもんね、ナマモノだもん。わかる、わかる、その「え?」って気持ち、すんごいわかるよ?でも私も必死やねん、廊下に置いとくわけにいかへんやん?

「大丈夫、泣かないと思うのでっ!(知らんけど)」

と半ば強引に技師室に入れてもらいました。

でもなんだろう・・・すんごいわがままを言ってる気がして、顔から火を噴きそうでした。

 

3.中耳炎治療。

子どもみたいなんですが、中耳炎によくなります。痛いんですよね、これが。

居ても立っても居られない、まさに七転八倒、あまりの痛さに病院に薬をもらいにいくのですが、診察の後でたいてい耳に薬を入れられます。

横向きに仰臥したまま約20分。動かずにじっとしていてください、と言われるのですが、これが赤ちゃん連れだと難易度が跳ね上がります。だって、耳鼻科診察室のベッドってたいていがこんな感じ。

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よくありますよね、こんなベッド。

横たわるのがひとりである場合には十分なベッドなんですよ。

いくら私が太ってるからって、このベッドに乗れません、ってわけではありません。(←ほんとうですってば!)

ただ、赤ちゃんが一緒の人間には、このベッドはあまりにも狭い、狭すぎるのです。

耳鼻科医院の診察室ってバギーも入れられないし、だからずっと抱っこしているわけですが、この診察台の上に横たわったら、抱っこは当然できません。せめて仰向けに寝るのだったら、お腹の上に乗せておけるのですが、残念ながら耳の治療では横向き仰臥。

仕方なく、横向きになっている20分の間、娘を腰の上に乗っけていました。

もうね、落っことさないように必死!

娘がおとなしいタイプだったのでなんとかなりましたが、じっとしていられないタイプの子どもであれば、床の上で好きにさせるしかなかったのかもしれません。それはそれできっとストレスだったろうなあ、と思います。

 

たとえば産婦人科や小児科では、授乳室や、赤ちゃんをちょっとの間寝かせておけるスペースがありました。

でも、他の診療科ではそういったスペースは皆無で、私は病院に行くたびに、

「ああ、小さい子がいるお母さんは病気なんかしないというのが前提なんだ」

と思いました。

 

病院だけではありません。

 

出産後、たびたび不調になる私(←ぎっくり腰もやった!)のために、夫が夕方、

「妻が具合悪いようなのでそろそろ帰ります」

って言ってたらしいのですが。

そうしたら、言われたのですって、上司に。

 

「身体の弱い嫁さんやなあ。そんな嫁さん、実家に帰してしまえ。」

 

って。

 

それを聞いたときの私の気持ちはとてもひとことでは言い表せません。

 

まず最初に心に浮かんだのは「申し訳ない」という気持ち。

これはかなり強い感情でした。焦燥感にも似たような。

私も企業で働いたことがありますから、「仕事ができない」とか「戦力にならない」とか思われることの惨めさや切なさはよくわかります。

私のせいで夫が、会社でそんな風に扱われていたとしたらどうしたらいいのか・・・たまらなく申し訳なくて、自分が情けなくなりました。

で、次に感じたのが「悲しさ」。

いくら申し訳ないと思ったとしても、突如完璧な健康体になれるわけではありません。

自ら望んで病気になったわけでもないし、痛かったりしんどかったりするのは私で、誰よりもすっきり健康になりたいのも私自身なのです。

おまけに、これは子どもが産まれる前、私ひとりの身であれば起こりもしない問題で(←ひとりで寝てればいいだけの話)、なぜ夫に終業後、早めに帰宅してほしいのかと言えば、娘がいるからなのです。

娘のお世話に手が回らない状態だから、父親である夫になるべく早く帰ってきてほしいというだけのことなのに、

「なんでそんな冷たい、情のないことを言われなくてはならないのか」と思うと、悲しくってたまりませんでした。やはり母親というものは体調を崩すことさえ許されないのだろうかと。

で、ふと思ったのが、「どうして夫はそんなことを私に告げるのだろうか」ってこと。

夫の上司にしても、いくらなんでも私に向かって直接、そんなひどいことを言うとは思えず、それは、

「奥さんの耳に入らない場所での、男同士の軽口」

程度の発言だったのではないだろうかと思うのです。

「まさかそんなこと、実際に奥さんの耳に入れる男がいるとは思わなかった!」

というのが本音なんじゃないかな・・・。

 

私は夫の上司の発言と、それをそのまま伝えてしまう夫に、

申し訳なく思い→悲しくなり→夫の浅薄さにイライラとし、

あまりにも考えること、感じることが多すぎて、泣くべきなのか怒るべきなのか、どんな顔をしていいのかすらわかりませんでした。

今は怒ってます。夫にね。ほんとにデリカシーないったら、もー。

 

けれども、私自身、赤ちゃんと一緒に病院に行くことの大変さを、自分で経験するまでは全くわかっていませんでした。

であるとすれば、出産・育児に対し、主体的に関わらずに済んできた男性はもっとわかっていなくて当然なのかもしれません。

 

自分の身に起こったこと、起こるかもしれないこと。

 

それ以外の物事に関して想像力が欠如しがちであることは、 私たちの多くが経験していることです。

病院とは、他のどんな場所よりも、弱い立場の人が集まるところですから、できることなら、困っている人、弱っている人の利便性を日々追求してもらいたいと思います。

 

急に病院に行く必要に迫られた時、もしもそばに乳幼児がいたら。

それはあまりにもハードモードでした。

今では一人ですいすいと病院にも行けてしまうので、若いお母さんたちを見るとついつい心配でちらちらと様子をうかがってしまいます。

もしも、赤ちゃんをつれての検査などが無理ゲーだったら、いつでも見ててあげるよー!という気分で見ているのですが、今のところ、そんなシチュエーションに出会ったことはありません。そもそも親子連れを見ることが少なくなりました。少子化って想像以上に進んでるんですね、きっと。

でも、困っている人はいると思うのです。確実に。

ここをご覧になっているみなさまも、もしもそんな現場に出くわしたら、ぜひ手を貸してあげてくださいね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

怒らない夫が泣くほど怒った日。(子育ての思い出・2)

みまさま、こんばんは。

 

今日は育児中だったころの、我が家の夫についてお話ししようと思います。

 

当ブログにたびたび登場する我が家の夫。

時々「むか」っとすることもありますが、根はやさしくて善良な人です。(力持ちではありません。)

また、超がつくほどの合理主義者で、神秘主義精神主義が大キライ、

娘の名前を決める際も、

 

「あなたがこんなに痛い思いをしたのだから、あなたが好きな名前をつけていいよ。だけど、画数占いとかはやめて。絶対。」

 

と言い放った人です。

 

「大体な、漢字や占いなんて太古の昔からあるけど、今と昔の漢字は全然違うし、画数も基本的に減ってるやん。一体全体、どの時代の漢字で占うねん。くっだらない。ぺっぺっ。」

 

なんてことを、出産翌日の妻に言ってしまうような人ですから、誤解を受けやすいタイプではあります。愛想も少々足りません。

ただ、常に理性的で、感情的にならない彼の性格には、妻としてはとても助けられています。

およそ「激昂する」ということがない人で、結婚してずいぶん長くなりますが、夫が怒っているところを見たことがほとんどありません。怒鳴られたことも声を荒げられたこともありません。

今日はそんな夫が泣くほど怒ったある日のことを思い出しながらこの記事を書いています。後にも先にも、彼があそこまで怒ったのを見たことはありません。

 

当時、私は娘の離乳にてんてこ舞いの日々。

とにかく母乳なしではいられない子で(←哺乳瓶がキライだったもよう)、

お腹がすいてもおっぱい、

喉が渇いてもおっぱい、

眠くなってもおっぱい、

機嫌が悪いときもおっぱい、

って感じでしたから、離乳食なんてもってのほか、なにを作っても口から出してしまい、ほとほと困り果てていました。

あれこれ食材を試したり、調理方法を変えてみたり、食べている途中で眠くなったりぐずったりしたら歌を歌って、機嫌をとって・・・

平日はもちろん夫は仕事ですから、普段の私は今で言うところの「ワンオペ育児」。(母との同居が始まったのは娘が小学校に上がってからのことでした。)

けれども休日、私が自分の食事をそっちのけで娘の離乳食に奮闘しているのを見た夫は「これは大変」と思ったようで、たまには私がゆっくりと食事をとれるようにしてあげたいと思っていたようです。

 

ここまでが前提。

で、ある日。

 

仕事から帰宅した夫の機嫌がひどく悪くて、ぷんぷん怒っていたので、どうしたのか聞いてみました。

 

夫「会社の先輩とお店で昼食をとっていたら、家族連れがいて。パパ・ママ、3歳くらいの子と赤ちゃん。

でさ、そのパパがなーんにもせえへんねん。ずーっと漫画読んでて。

ママの方はさ、子どもに食べさせて、お茶飲ませて、上の子が「トイレ!」って言ったら、赤ちゃんも連れてその子をトイレに連れて行ってさ。

でもパパの方は知らんふり。ぴくりとも動かへん。ずーっとやで?

上の子をトイレに連れていく間くらい、下の子を見とけばいいやん?

ママの方はさ、自分のごはんを食べるどころじゃなかったと思うで。

せっかく外でごはん食べてるんやん。普段は子どもの世話に追われてるんやろし、せめて外食してる時くらい、ちょっとは手伝ってあげればいいのに。

よっぽど漫画取り上げて、「おまえ、アホちゃうか、おんなじ顔して、自分の子やろー、ちゃんと面倒みたれや!」って言おうかと思ったわ。」

 

私は夫がそんな軽挙に出なかったことにほっとしつつも、飛び上がるほどびっくりしました。よそのお宅の食事風景なんて放っておけばいいことではありませんか。

だいたい、件のパパが平素から子どものお世話をしていないなんて、よそから判断できることではありません。もしかしたら、普段はパパの方が育児をしていて、その日はたまたまママがお世話をする番だったのかもしれないし。

私がそう言いますと、夫は、

 

「いーや!あれは絶対、普段からなんにもやってないね!」

と断言しました。

 

「そんなん、子ども見てたらわかるやん。その子さ、ひたすらママ、ママ言うとったで。なんでもママ。とにかくママ。パパのことなんか、見向きもしない。全然あてにされてなかったわ。普段からなんにもせえへんからやん。」

 

よほどイライラしたのでしょう、夫はめずらしくキツイ声音で言いました。

 

「俺はあんな父親にはなりたくない。てか、ならない。絶対。」

 

言い切った夫を見上げますと、夫の目にはじわじわと涙が浮かんでいました。

 

「ええー、泣く?よそのお宅のことで?」

 

ってちらっと思いましたけれど、普段から「夫が不機嫌なときは決して逆らわない」ことを信条にしていますので、うんうん、そうだねそうだね、と言ってその話を切り上げました。

 

そうしたら、次の日。

夫が知人の経営するレストランの予約を入れて帰宅しました。

「あんな父親にはならない」と言った自分の言葉をちゃんと実行しようと思ったのでしょう。

妻にゆっくり食事をとらせたい、生後8か月の子どもがいるけどかまわないか、と問い合わせ、「スタッフ全員で万全のサポートをしてあげる、どんどんおいで!」という答えをもらったから大丈夫というのです。

 

私はちょっと面くらいましたが、うれしいことだと思いました。

それは確かに夫の思いやりですものね。

育児のすべてを妻にまかせっきりにして、それが当然と思う人もいるのに、私はとても恵まれているなあと。

 

で、娘の離乳食を用意し、ぐずった時のためにおもちゃや絵本を大量に用意して、週末、夫の知人のレストランへとお出かけしました。

 

でもねえ。

今だから言いますけれど、結果として私、あんまり楽しめませんでした。

 

スタッフの人たちはとても親切でやさしくて、お料理はおいしいし、お店はきれいで快適。おまけに娘はちっともぐずらずに、ずっとお利口にしていてくれました。

しかも夫は一生懸命、「理想のパパ」に近づけるように、「俺が抱っこしてるから、あなた食べなよ。」と言ってくれました。

 

それなのに、私ときたら、どうにもそれが居心地悪くて。

 

だってね?

夫にずっと子どもを抱っこさせて、私ががんがん食べてたら、まわりの人は一体どう思うんでしょうね?

「まあ、最近のお母さんはずいぶんいいご身分だこと。」

とか

「どっちがママかわからへんねえ。」

なんて思われるんじゃないかしら。

 

などと想像して、ちーっとも落ち着かないのです。

わかってますよ、それが気にしすぎだということは。

ちゃんとわかってるんですが、それでも周囲の目が気になって仕方ない私は、

「俺が抱っこしてるよ。」と言う夫に、

「いやいや私が。」と返してしまい、だんだんと娘の取り合いみたいになってしまいました。

 

食事が終わるころには私は気を使いすぎてぐったり、ちっともリラックスにはなりませんでした。

 

帰り道。

「あかんわ、私はほんとにあかん。せっかくパパが気をまわしてくれたのに。

こんなときはしっかり甘えた方がいいのに。かわいげがないにもほどがある。」

と反省した私ですが、以来、「疲れてない?外食でもする?」という夫には

「いや、家で食べる方がいいです!」

と即答するようになりました。

 

さすがに最近では、娘と外食する際に、周囲の目を気にする必要はなくなってきましたが、あの日のことを思い出すと、どうしてあんなに気負っていたのだろうとおかしくなります。

夫にしても、初めての子育てで、私と同じようにいろいろと考えることも気負いもあったのだと思います。

 

「あんな父親にはなりたくない」

 

そう言った夫はその後、とてもいい父親であり続けてくれました。

 

たまーに、

「もうっ!パパったら!どうしてママが時々パパに怒り出すのか、よーくわかるわっ!」

って娘に怒られていますが、それでも娘はいつの間にかパパのそばにべったりひっついています。

夫もよく、

「娘も高校生になったら、「パパ、くさ~い」なんて言い出すんだろうなってずっと思ってたけど、全然その気配がない。」

と不思議そうにしています。

 

それはいつだって、自分のことより娘を優先させてきた夫の子育てのおかげなのでしょう。

 

ちなみに。

先日のこと。

娘がこんなことを言いだしました。

 

「甘えたくなったとき、ママが相手だと、機嫌によっては「もう大きいのに!」って、デコぴんされるから、キケンやねん。でもパパだといつでもヨシヨシ~って甘えさせてくれる。だからね、私が猫だとすると、ママは猫の親って感じで、パパは猫の飼い主って感じ!」

 

 

それを聞いていた夫は「はは。うまいこと言う。」って笑ってましたが、私は内心、

 

「猫の飼い主って・・・それって要するに「下僕」ってことやけど。」

 

と思いましたが、本人が幸せそうなので、放っておいてあげました。

幸せの形なんて、人それぞれですものね。ね。

 

おまけ。

前回のエントリーで、夫のケガについてお話ししましたら、たくさんの方からお見舞いのメッセージをいただきました。夫共々、心から感謝申し上げます。

 

夫は元気にしております・・・ギプスをはめた左腕を振り回して、「シャキーン!」とかやってるのを見たときには、

 

「なんかイラっとする。」

 

と言ったのですが、

 

「ええっ?!なんで?」

 

と心底不思議そうにきょとんとされたので、さらに「いらいらっ!」としました。

 

全国の男の子のお母さまひとりひとりの手を取って、

「男の子を育てるのって大変ですね、いつもお疲れさまです!」

と言って回りたい気持ち。

 

頼むからおとなしくして、さっさと治して~。としみじみ思う毎日です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天使に会った夜。(子育ての思い出)

みなさま、こんばんは。

 

実は3年前、ブログを始めるにあたって、夫に言われたことがあります。

それは「娘のことはなるべく書かないように。」ということ。

当時、娘はまだ中学生。

夫にしてみれば、彼女の個人情報については、どれほど慎重であっても十分とは思えなかったのでしょう。

けれども、1年経ち、2年経ちしていくうちに、夫の態度も徐々に変化していき、ある時、

「あなたのブログの読者さんたちを見てたら、大丈夫かもしれんね。いい人ばっかりやもんね。」

と言い出しました。

 

うれしかったです。とても。

自分をほめられるよりも、お付き合いのあるブロガーさんたちをほめられるとうれしい気持ち。

「でしょ、でしょ?!そうでしょう?!」

となぜか私が鼻高々でした。

 

最近では娘自身も、「私のことも書いて~」と言うようになりました。

 

 

どう振り返ってみても、私の育児は失敗ばかり、ブログに書くほどのことはなにひとつありませんが、彼女のリクエストに応えるため、また、もうすぐやってくる娘のお誕生日の記念にと思って、いくつか育児中の思い出話をしたいと思います。

 

実は私は、ママ友以外とは子どもの話をすることはほとんどありません。

年賀状に子どもの写真を載せたことも一度もありません。

だって、他人の子どもの話ほど退屈なものってありませんものね。

みなさまにも、「興味ない」って思われてしまうかもしれませんが、もしもお時間がおありでしたら、お付き合いくださるとうれしいです。

 

 

娘を出産した病院の産科では「母子同室」のスタイルが導入されていたので、私のベッドにも出産の翌日には、看護婦さんに抱かれた娘がやってきました。

「はい、どうぞ~。」

と、若い看護婦さんに娘を手渡されたのをよく覚えています。

まだ名前も決まっていない、ふにゃふにゃの、プクプクの赤ちゃん。

ベビー用の小さなベッドに、どれほどそおっと寝かせても、娘はすぐに泣き出して、

「このベッドにはきっとなにかしらのスイッチか、それとも根源的な欠陥がある。」

と思ったのを記憶しています。

 

日中はまだいいのです。

なんだかんだとお見舞い客がいるし、その中の育児経験者にあれこれ教えてもらえて安心感もありましたから。

でも、夕方になって、三々五々お見舞い客が帰っていき、夫も帰宅し、そうしたら、私は、

「いつ、どのタイミングで、どうして泣き出すのかさっぱりわからない」

赤ちゃんとふたりきり。

 

新生児なんて扱ったことのない私は腕の中の娘を見下ろし、

「これ(←娘のこと)、どないするん?」

とつい考えて、我ながら母親の資格も自覚もないなあと途方に暮れたものでした。

 

世界中で一番大切で、自分の命よりも重いもの。優先せねばならないもの。

それが自分の腕の中にあって、明日の朝までなにがなんでも守り抜かなくてはならない。

そうと頭でわかっていながら、なにが信じられないって、自分が一番信じられないんですよ。だって、母親の経験値ゼロなんですから。

「私、なんにもわかってないんですけど!大丈夫なんですか、こんなのに任せてっ!」

って叫び出したい気持ちね。

あの心もとなく、不安でたまらない感覚、今でもよく思い出します。

 

おまけに夜になってどんどん静かになっていく病棟では、別の不安もありました。

出産のため入院していたのは大学病院で、産科と婦人科は同じ階。

廊下を挟んで向かい側のお部屋は、婦人科の病室だったのです。

ドアは常時開放されていて、だから赤ちゃんの泣き声も筒抜けの構造でした。

これってかなり気を使います。

だって、

明日が手術でなかなか眠れない人がいるかもしれない。

あるいは不妊治療中の人がいるかもしれない。

あるいは悲しいことに、流産や死産直後の人もいるかもしれない。

そんな人たちにしてみれば、夜中に聞こえてくる赤ちゃんの泣き声は、心底つらいものに違いありません。

 

夜が更ければ更けるほど、「迷惑だから娘を泣かせてはならない」と気を使ってしまい、入院中はまったく眠れない日が続きました。

 

でもねえ。

この「眠れない」ってこと。

本当につらいのです。

出産予定日をかなり過ぎても陣痛が来なかった私は、陣痛促進剤を使って娘を出産したのですが、入院前日から緊張のために眠れず、出産当日も興奮のために眠れず、娘と同室になってからは、娘が「ベッドに置かれると泣く」状態の繰り返し、で、一睡もできなかったので、極度の睡眠不足の状態にありました。

産後には発熱があったり、子宮収縮や会陰切開の痛み、おまけに運の悪いことに両腋下には副乳があり、それが岩のようにかちかちに腫れ上がって、お箸を持つだけでも激痛が走るというのに、4キロ近い娘をひたすら抱いていなくてはならない。

深夜の廊下を、

「泣かんといて、泣かんといて」

と娘を抱っこしつつ延々と歩き続けていた私は、かなり限界に近い状態だったのだと思います。

退院前日の夜、あまりの睡魔に耳鳴りと眩暈と視界のゆがみが同時に襲ってきたときには、

「これ、いつまで続くんだろう。退院してもずっとこのままかな。ずっと眠れないのかな。私、ちゃんと育てられるのかな、この子を抱えてマンションのベランダから飛び降りちゃったらどうしよう。」

と真剣に考えました。それは恐怖以外のなにものでもない想像でしたが、その想像がありありと目の前に迫ってくるのです。まさに追いつめられていたのだと思います。

 

どうしよう、そんなことになったら、と真っ暗な気持ちで深夜の病棟を歩いていたら、廊下の向こうに、ふと人影が見えました。

 

ほっそりと背の高い女性で、でもお腹のふくらみから、妊婦さんだと知れました。

 

「こんばんは。」

 

私たちはすれ違いつつ挨拶を交わして、彼女が私の娘の顔をのぞき込んだのをきっかけに、ひそひそと会話を始めました。

そうしてわかったのは、彼女のお腹にいるのは双子ちゃんだということ、切迫早産の可能性があるので、大事をとって入院していること、妊娠してからずっとトラブル続きでなかなか退院できないということでした。

 

「隣のベッドにね、」

廊下の壁に身体を預けて彼女が言いました。

「三つ子ちゃんママがいるんよ。7か月の。経過観察で入院してるみたいなんやけど、元気なんよー、その子。ごはんもちゃんと食べられるし、看護婦さんに呼ばれたら、ターって走って行ってるし。」

お腹に三つ子ちゃんがいるだけでもすごいけれど、それで走れるってすごい、と私が感心していると、彼女は「ククク」と静かに笑って言いました。

「その子ね、下から産みたい、って言うんよ。自然分娩希望。元気いっぱいやから。先生はまず無理って言うてはるみたいやけど。」

ますますすごい。三つ子を自然分娩しようだなんて。

「でも私はダメ。全然ダメ。双子だからとか関係なく、妊娠に向いてないみたい。妊娠してから、とにかく体調が悪くて悪くて。

悪阻も重いし、ありとあらゆる不調に見舞われて、流産しそうになったり早産しそうになったり。だからね、出産については帝王切開でもなんでもいいねん、無事に産まれてくれさえしたら。産み方なんか、どうでもいいねん。」

私は自分も流産の兆候があると言われて一時は絶対安静だったことや、とにかく早く無事に産まれてほしいとずっと祈っていたことなどを思い出し、彼女もきっと、当時の私とおんなじ気持ちなんだろうとしみじみしました。

そうして、しばらく他愛のない話を続けた私たちは、お互いのこれからの日々の健闘を祈りつつ、それぞれの病室に帰りました。

 

病室に戻って、私はすぐに自分の気持ちが先ほどまでとは打って変わって、すっかり落ち着いておだやかになっているのを感じました。

相変わらずひどい睡魔だし、全身の倦怠感や痛みはちっとも薄らいではいなかったけれど、心は前向きに、明るくなっていました。

暗く陰鬱な病棟の廊下で悲惨な想像に負けそうになっていた私を、ほんの束の間のひそひそ話が救ってくれたのです。

 

今でも時々思い出します。

緑色の常夜灯が彼女のシルエットを浮かび上がらせた瞬間のことを。

私にはあの夜の、あの双子ちゃんママとの邂逅が、どうしても偶然とは思えないのです。

ギリギリまで追い詰められていた私の心を、彼女と交わした会話が救ってくれました。

危うい崖の上で、今にも足を踏み外しそうになっているところを、すんでのところで引き留めてくれた彼女は、人の形をした天使だったのだと、今でも本気で信じています。あるいは神さまが、そのように取り計らってくれたのだと。

 

本物の天使には、羽がありませんでした。

ほっそりとして色の白い、とても美しい人でした。

今ごろどこかで、元気な双子の高校生のお母さんをしているのだと思います。

もしもどこかで、そんなお母さんを見かけられたら、昔どこかで人助けをしませんでしたか、と聞いてみてください。

きっと知らん顔で、でもこっそりと「ククク」と笑われることでしょう。

 

 

 

 

おまけ。

全然関係ない話なんですが。

 

先日、夫が会社でちょっとした高所から転落、左半身を強打しました。

で、今は左腕ギプス、顔の左側は「ジャイアンに殴られたのび太くん」状態(←娘談)になっています。

見ていると、背中がぞわぞわするので、直視できない毎日です。かわいそうというか、痛々しいというか。

私も少々体調が悪く、皆さまのブログを読んでもなかなか集中できません。

しばらく不義理が続きますこと、どうぞお許しください。

毎日、考えられないほどの酷暑が続いております。みなさまにおかれましてはどうぞ体調にお気をつけて、くれぐれもご自愛くださいませ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

政治家ってそんなに偉いん?

みなさま、おはようございます。

 

今朝のことなんですけど。

私ねえ、いつもよりすっごく丁寧にお化粧してたんですよ。

 

ファンデーションも念入りに~。

パウダーもせっせ、せっせと。

 

んでね。

 

「なんで今日に限ってこんなに一生懸命お化粧してるんだろうなあ。」

 

って自分でも不思議で。

 

そこで、はっ!と気がついたんですけど、

 

 

夢でした。

 

 

絶望。

 

起き上がって、しばらく呆然としてたんですけど、なにが腹立つって、

 

「またイチからお化粧せなアカンやん!」

 

ってこと。

 

そりゃね、私だって、絶世の美女として生まれてたら、きっとお化粧も楽しかっただろうと思うんですよ。鏡を見てても気分いいだろうし。

でも悲しいかな、鏡を見てウキウキしたことなんて一度もないし、

そもそも私にとってのお化粧なんて「社会人としての、一応の礼儀」以上でも以下でもないし、

だから普段のお化粧なんて「ま~る描いてちょん。」で終わりなんだけど、

でもでもやっぱりめんどくさくて、

「今日もまたあの作業をイチからかあ」と思うと朝からテンションがだだ下がりなのでした。とほほ。

 

 

テンションが上がらないと言えば。

昔からずっと不思議だったことをお話ししてみたいと思います。

みなさまはどんな風にお考えかなって、聞いてみたいと思うので。

 

それは「政治家って、そんな偉いん?」ってこと。

 

というのも、阪神大震災の時、ある政治家がこんなことを言ったから。

 

「昔はみんなで炊き出ししたもんだけどな。」

 

家や職場を失い、暖房もない避難所で酷寒に震える被災者に向かって、いかにも「自分たちでなんとかすれば?」と言わんばかりの発言を政治家がしたことについて、私は思わず「うーん」と唸ってしまいました。

 

例えばこれが、三ノ宮や西北の居酒屋で一杯ひっかけてる昭和なおじさまの発言だったとしたら、私もなんにも言いません。ただ「へえ」「ほほー」「なるほどー」って聞いてたと思います。

 

でも、あろうことか政治家がこんなことを言うのって、どうなんだろう、自分でも「変だな」って思わないのかしらん、と混乱したものでした。

 

で、最近。

 

少子化問題について講演会で

 

「この頃、子供を産まない方が幸せじゃないかと勝手なことを考える人がいる」

 

って言った政治家がいると聞いて、またまた「うーん。」と思ってしまいました。

 

「子どもを産むか産まないか」って、誰かにとやかく言われたくない問題の筆頭だと思うんですが、まあ政治家ですから、世の中の諸問題についてあれこれ語らざるを得ないことはあるでしょう、それは仕方ないとして。

 

でもなー、と思うんですよ。

少子化」が問題だという認識があるのにも関わらず、それで出てくる言葉が

「勝手なことを考える」って。

それだけなん?って。

まるで子どもを持たない選択が、個人の「得手勝手」あるいは「わがまま」と言わんばかりの言い草。

 

これもね、仮に難波や心斎橋の居酒屋での、昭和なおじさまの酔った勢いのご高説なら、私はやっぱりなんにも言わずに「へー、へー」「ほほー」って聞いてると思いますよ。反論するのもめんどくさいし。

でも、やっぱり政治家がこんなことを言うのって、どっかおかしい、ずれてるって気がして仕方がないのです。

 

だってね。

政治家の人って、選挙の度に言ってるじゃないですか。

 

「世のため、人のため、社会のために尽くしたい、働きたい」

 

って。

だったら、ひとたび災害があったとしたら、

「すわ、一大事、世のため人のために働くチャーンス!」とばかりに、不謹慎なほどはり切って、ちょっとくらいの腰痛もなんのその(←高齢の方が多いですもんね。)布団をはねのけ、がばっ!と起き上がり、被災地のために飛び出していく…くらいのことは期待してもいいんじゃないかと思うんですよ。

だってそうでしょう、自分でそう言ったんだから。選挙の時に。

 

少子化の問題についても、それが日本社会や国家の未来にとって問題があると思うのだったら、なんらかの改善策を考えたり子どもが増える施策を打ったりするのが政治家のお仕事なんじゃないんですかね。

 

「人や社会、国家のために働きたい、働かせてください」

 

と言っておきながら、いざ、政治家になったら、なんにもしないどころか、国民に向かって「自分でやれば?できないとかやろうとしないのは、わがままだから」という態度でいるのは納得できません。そんなの公約違反というより、単なる「ウソつき」じゃないですか。

なんでそんな「ウソつき」に上から目線で、「昔の人は自助努力で炊き出ししたもんなんだけどなー。」とか「子どもを産まないなんて自分勝手な考え」なんて言われなきゃいけないんでしょうね??さっぱりわかりません。

 

この、「政治家になった人が、国民に向かって、どこかお説教めいた話をする」のって、なんとかならないのかな、っていつも思います。

 

私たちが政治家に期待するのは、より公平で公正な税の使い方と分配です。

税を納める側と分配する側とに、あたかも上下の隔たりがあるみたいにふんぞりかえった言動をとる政治家がいることには違和感を感じずにはいられないし、政治家になったとたんに、国民に対してまるでお説教をするかのような態度を見せる人に対しては、選ぶ職業を間違えたのでは、と言いたくなります。

 

特に少子化に関しては、政治の無為無策が拍車をかけた側面もあるはずなのに、それを若い人たちの考え方や生き方のせいにするとは、なんということだろうと愕然とします。

 

どんなにがんばっても、あんまりお仕事できないんですぅ・・・という政治家もいるでしょうから、それはまあ仕方ないとして(あんまりよくないけど)、でもせめて一般の国民に対して、お説教じみたことを言ったりすることだけは勘弁してもらえないものでしょうか。

 

少子化で子どもがどんどん減っているから、大問題。でも解決策がなかなか見つけられない、対策が間に合わない・・・だったらせめて「産んでください」とお願いするのが筋ではないですか。

なんで一足飛びに「自分勝手」なんて言葉が出てくるのかな。

もちろん、お願いされたからって子どもを産む人が続出するわけではないだろうけど。

 

 なんかもう、とにかくね、

「できひんのやったら、それはもう仕方ないけど(←情けないけど)、せめてエラそうにモノ言うのん、やめてぇや!」

って言いたいんですっ!

あー、すっきり。

 

 ・・・久々にコメント欄を開けてみたいと思います。

私のグダグダな記事の中身よりも、みなさまのコメントの方をこそ読みたいとお考えの方もたくさんいらっしゃると思います。

なので、非常に申し上げにくいことですが、当記事に関係のない、個人的なお話は別途、ご自身のブログの方でお願いいたします。ほんっとにすみません。伏してお願い申し上げます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

初めてのブラジャーの思い出。

みなさま、こんばんは。

 

今日は「ブラジャー」についてお話ししてみたいと思うんです。

自分で言い出しといてなんですけど、ちょっと照れちゃいます、いい年なのに。

 

女性のみなさま、初めてつけたブラジャーのこと、覚えていらっしゃいますか?

男性のみなさまは・・・まあ、こっそり聞いていてください。ふふ。

 

私はねえ、はっきり覚えてるんですよ、最初のブラジャーのこと。

 

むかーし、むかし、私がまだ小学校の高学年だったころね、

一日の授業の終わりに「終わりの会」ってあるじゃないですか、いわゆるホームルームのような。

そこで担任の先生が、クラスの女子の名前を5人、順番に挙げていったのです。

 

「Hさん、Yさん、Tさん、Kさん、Nさん」って具合に。

で、先生は続けてこうおっしゃいました。

 

「今、名前を呼ばれた人たちは、明日からブラジャーをつけてくるように。

あなたたちのは、先生のよりも立派です。」

 

・・・もうね。

今でも、私、その瞬間のことを思い出すと卒倒しそうになります。

上記の女の子のうち、Tさんが私。

赤面どころではありませんでした。

自分の喉の奥の方から「ひゅっ!」って変な音がしましたもの。

「ひぃぃぃぃぃ・・・」

って思っていたら、斜め前に座っていたYさんが私の方をそおっと振り返りました。うっすら上気した彼女の頬に、不自然にひきつった笑顔が浮かんでいたのを、今でもはっきりと思い出せます。

 

「ど、どうなん、これ、どうするんよ・・・」

 

とでも言いたげな表情、きっとそれは私の顔に張り付いていたのと全く同じものであったに違いありません。

 

先生の言葉を聞いた教室の空気は、一瞬、なんていうのかな、「ぱあああっ!」と盛り上がったようにも思えました。

公立小学校の高学年の児童たち。

男子生徒なんて、まだまだ子どもというか、中には人間になる一歩手前、おサルさんみたいな子も多いじゃないですか?

そういう「ちょっとアレ」な男の子たちが、「ブラジャー」と聞いて、思わず椅子から腰を浮かすしぐさをしたことまでありありと思い出せます。

 

でも、先生の睨みが効いたのか、その後、教室にはすぐに落ち着きが戻って、私たちは三々五々帰宅の途につきました。

私は家に帰って、すぐに母に報告しました。

 

「先生に、明日からブラジャーをつけて来なさいって言われた。」

 

って。

私の母は旧弊な人で、今も昔も「先生のおっしゃることは絶対。」という考え方の持ち主なので、「そ、それは大変!」とばかりに飛び上がって私を近くのお店に連れて行き、初めてのブラジャーを買ってくれました。

ブラジャーって言っても、なんていうか、あんまり色気のあるものではありませんよ?何と言っても、まだ小学生がつけるようなものですから、頭から被って着脱するタイプの、今でいうスポーツブラみたいなやつね。背中がクロスになってるような。

 

こんな感じだったかな、色は白しかなかったような。(←どうでもいい)

 

家に帰って、母に促されるまま、つけ方の練習なんかをした覚えがあります。

つけ方、って言っても単に被るだけでしたけれども。丈の短いタンクトップみたいなものですから。

 

でもたとえつけ方が簡単だったとしても、ブラジャーをつけるということ自体がイヤだったな。

自分の意思とは関係なく、自分の身体が大人になっていくのだということ、

教室の中にいる同級生とは、なにもかも「平等」だと思っていたのに、自分にだけ、なにか違う、別の「記号」を付与されてしまったような違和感、なによりも、他人から「バストが大きい」と思われることがイヤでした。

 

それはやはり、その時代の「空気」の影響だったのでしょう。

今の若い人には想像もつかないことかもしれませんが、1980年代始めの頃の日本人の「民度」なんて、そう高いものではなかったのですよ。

テレビの素人参加番組に、バストの大きい女性が登場したりしたら、それが日曜日の真昼間であったとしても、

「はあ・・・なるほど、脳みそに行くべき栄養素が全部、胸に行っちゃったんだね!」

なんて、平気で言う司会者がうじゃうじゃいたものなのです。

 

そのセリフは、バストの大きい女性に対して、あまりにも頻繫に与えられる、平凡で使い古された表現だったので、まだ小さい私は、「胸が大きくなると頭が悪くなる」と半ば信じていた気がします。

私と同世代の女性なら、こういう雰囲気、なつかしく思い出してもらえるんじゃないかなあ。

下手にバストが大きいと、恥ずかしい気がしたり、隠そうとするあまり、姿勢が悪くなったり。イヤなものでしたよね。

 

おまけにやっぱり「教室でからかわれるかもしれない」という想像が私の胸を暗くしました。

学校で、おサルさん系男子にしつこく笑いものにされることほど、憂鬱なことはありませんもの。私だってまだまだ子どもで、いろんなことが「繊細」でしたから(そんな時代もあったのですっ)。

 

でも、結果として、そんな心配は杞憂に終わりました。

次の日から、先生に名指しされた女子児童はみんなブラジャーをつけて登校しましたが、誰からもからかわれることも、笑われることもありませんでした。

半年経つ頃には、女子児童の間で、

「どうしよう、ブラジャーつけてくるの、忘れた!体育あるのに!」

「えー、最悪。腕組みして走れば?」

なんて会話が平気で交わされるほど、私たちにとって、ブラジャーとはなくてはならない存在になりました。(←だったらつけ忘れるなよ、って話なんですが、そこはやっぱりまだまだ子どもだったんですねえ。ちなみにつけ忘れて登校したのは私~。ほほ。)

 

ブラジャーをつけ始めたことが、クラスメイトからの揶揄やからかいの対象にならなかったことに心底ほっとしながら、一方で私はずっと先生の、「ブラジャーをつけてきなさい」という指導が、どうしてあんな形でなければならなかったのか、考え続けていました。

 

確かに先生の目から見て、私たちがブラジャーをつけるべき時期に差し掛かっていたことは明らかなことだったのでしょう。

こういうことは時として、母親よりも他人の目の方が的確だったりしますから。

(母親って自分の子を見る時はどうしても「幼く見える」補正がかかってしまって、自分の娘の体型が激変していることに気がつかなかったりします。)

でも、だとすれば、保護者会や連絡ノートなどを使って、保護者に直接ブラジャーの着用を勧めることもできたでしょうし、該当する子どもたちだけを別室に呼んで指導することもできたはずです。

それをなぜわざわざ、クラス全員の前で、あんなにもはっきりと「つけてきなさい」と言わなければならなかったのか。それはあまりにもデリカシーを欠いたふるまいに感じましたし、実際名前を挙げられた私たちは、確実に「恥ずかしい思い」をしたのです。それは、何度考えても、やはり心外なことでした。

私たちは普段、担任の先生をとてもいい先生と慕っていただけに、先生のあの「指導」に、一体どんな目的や意図があったのだろうと、不思議でしようがなかったのです。

 

考え続けて、私は一定の答えを自分の中に見出しました。

先生に確認したわけではありませんが、あながち、間違えてもいないと思っています。

 

先生が、みんなの前で、5人の女子児童に「ブラジャーをつけてきなさい」と言ったのは、名前を挙げられた女子児童の性格、クラス内の立ち位置、それから「5人」というある程度まとまった人数、そういったものをすべて考え抜いた上での行動だったのだろうと。

その日、先生に名前を挙げられた女子児童は、クラスの中でも最も目立つ、中心的なメンバーでした。

 

明るく社交的でみんなに好かれる者、

責任感が強く、児童会やクラスの仕事でいつも活躍している者、

抜きんでて成績がよく、しっかりしている者、

やさしく親切な性格で誰からも頼りにされる者、

 

また、全員、身体的な成長が早く、体格もよかった。

ついでに言うと、口も達者だった。

おまけに気も強かった。

男子になにか言われて、めそめそしてしまう子がいなかった。

そして「5人」という人数。

いくらやんちゃな男子児童でも、クラスの中のそんなしっかりものの女子ばかりまとめて5人、同時に敵に回すなんてことができるでしょうか?

 

担任の先生はきっと、そこをよく見ていらっしゃったのだと思います。

仮にそれでも女子のデリケートな問題に、ふざけてちょっかいを出す児童がいたとしても、クラスの全員が彼女たちの味方について、瞬時に粉砕していたことでしょう。

 

ブラジャーをつける、というデリケートな問題は、その後も子どもたちの成長に伴って、いつまでもついて回る問題で、だからこそ先生は、クラス内の最も「強い個体」に、最初の壁を突破させようとしたのだろうと思います。

次にブラジャーをつけ始める女子児童はずいぶんと気持ちが楽だったはずですから。

 

子どもの世界であっても、「数の威力」というものは存在します。

名前を出された子たちは、ひとりではなく、共通の立場の者がいることで、一種の安心感を持つことができた。誰かひとりが攻撃されることにはならなかった。また、いざとなれば、「先生に言われたからブラジャーをつけているのだ、あなたたちも聞いていたはず。」と主張することができた。

 

そして子どもの世界であっても、やはり「力関係」というものがあるんだろうと思います。

誰が人気者で、誰がクラスのまとめ役なのか。

それらのすべてを把握した上で、女子児童の身体の変化というものに、真正面から切り込んで、なおかつクラス内の平穏を保つことに成功したのですから、先生の作戦勝ち、ということなのでしょう。

 

「先生って、本当によく見ている。」

 そう感じた私は、学校の先生ってほんとにすごい、と思うようになりました。

 

大人になってから、先生にお目にかかったことはありません。

もしもう一度、先生とおめもじ叶うことがあったとしたら、

「先生、私はただ口が達者だっただけなのに!」

って言ってみたいと思います。

 

きっと、もうお忘れだろうなあ。

 

けれども私の方は先生の、あの強烈な指導のせいで、最初のブラジャーのことを、一生忘れられないと思うのです。

 

おまけ。

最近のお子さんは、自らのバストが大きくなることについて、どんな感想を持つのでしょう。

私たちのころよりは、もっとずっと肯定的に受け止められているような気がして、それはとても素晴らしいことだと思います。

成長し、大人になるということは、本来、喜ばしく、おめでたいことです。

できたら、すべての女の子たちが、大人になること、大人の身体を手に入れることを、素直に寿げる世の中になってほしい、女性性の獲得を恥ずかしいことと思わずにすむような社会であってほしいと願わずにはいられません。

 

ま、それにしても。

堂々とブラジャーのことを話題にできるようになるなんて、我ながらびっくり。

年をとるって、なかなか得難い経験ではありますね。