みなさま、こんばんは。
新型コロナウィルス対策のための自粛期間が続いて、落ち着かない毎日ですね。
私も必要最低限のお出かけ以外は控えて、極力お家でおとなしくするようにしています。
今日はそんな引きこもり生活の中で感じたことや考えたことを小ネタ集にしてお届けしたいと思います。
お時間があればどうぞ最後までお付き合いください。
1.久しぶりの「女の子」。
先日、自宅近くの道をスーパーに行こうと歩いていたら、頭上から、
「女の子がいるよ!」
というかわいらしい声が降ってきました。
周囲を見回しても、そこにいるのは私ひとり。
辺りをキョロキョロと見回してみると、通りに面するマンションのベランダから、まだ幼い女の子が道路を見下ろしているのに気がつきました。
見たところ、2歳になったばかりのような・・・お母さんに抱っこされて、ベランダからお外を眺めているようでした。
察するに、きっと家の中での自粛生活に倦んで、せめて外の空気を吸おうとベランダから街を見下ろしていたのでしょう。
うっかりその女の子と目を合わせてしまった私は、反射的に手を振ろうとして、でもちょっぴり怯む気持ちになりました。
「「女の子」と言われて手を振るなんて、ずいぶん厚かましいおばさんだなあ」とあの子のママに思われたりしないかしら・・・と心配になったので。
それでもお下げ髪がかわいらしい、正真正銘の女の子の真っ直ぐな瞳に向かって結局私は手を振りました。
思えば、若い時には「女の子」というだけで、ずいぶん悔しい思いや情けない思い、切ない思いをしたものでしたが、世の中にはこんなにも愛くるしい「女の子」呼ばわりもあるんだなあと、しみじみとうれしかったので。
おばさんだから、うれしかったわけじゃないんですよ~、とあの女の子のママに言い訳したいような、いや、やっぱりおばさんだからうれしかったのかなーとか、今も時々思い出しては、「ふふ」と微笑んでしまいます。
それだけ。
2.我が家のマスク騒動記。
コロナウィルスの流行に伴って、入手が困難になったマスク。
仕方なく手作りしたお話を記事にしました。
mamichansan.hatenablog.com
手作りしておいて、こんなことを言うのもなんですが、実は我が家にはマスクの在庫がたくさんありました。
なにしろ4人家族のうち3人が重度の花粉症。しかも私と娘は春だけでなく秋にも症状が出ます。
なので、普段からお買い得なマスクを見ると、つい買いだめしてしまう習慣があって、市場からマスクが一斉に消えてしまった時も、2~3か月は余裕で大丈夫、と考えていました。
マスクを手作りしたのも、職場でお世話になっている人へのギフトにちょうどいいと考えたからです。
でも、出来上がったものを職場に持って行く前に、横から欲しがった人間がいます。
母です。私の。
花粉がひどい時には目が腫れあがって人相も変わるほどの重症の母。
いつも大量にマスクを買い込んでいるのを知っている私はびっくりして言いました。
「マスク足りひんの?うちのを使えば?まだあるよ。」
って。
そうしたら、母は、
「ううん、ある。い~っぱい買ってある。でも不安やん。これからしばらく買えなくなると思うと。」
と言うではありませんか。
私は娘とふたり、そんな母をせせら笑いました。
やあねえ、おばあちゃんは心配性で。年を取るとどうしてモノをいっぱいため込むのかなー、どうせ使いきれないのにー。
って。
けれども母があまりにもうるさくせっつくので、仕方なく私は追加のマスクを5枚ほど縫って、母に渡しました。万が一、本当に足りなくなったら、その時に使えばいいと思って。
そうしたら、母は次の日からもう、私の作った布マスクをして出かけようとするではありませんか。
私はますます驚いて母に聞きました。
「マスク、あるんでしょ?なんで布のマスクから使うんよ?」と。
母の返事はこうでした。
「出かけるって言っても、お母さんは足腰弱らないようにご近所をちょっと歩くくらいやもん。でも、あんたらはそうはいかへんでしょ。仕事行かなあかんし、学校も行かなあかん。あんたらのマスクなくなったら、大変やん。だから、お母さんのマスクはとっておこうと思って。」
一瞬、いいえ、今でも私は、返す言葉を失ったままです。
いくつになっても、親というのはありがたいものですね。
たとえ、時にその愛情を、重く感じることがあったとしても。
3.で、マスク。
最近、朝から晩まで入り浸っている、「どうぶつの森」。
実は「森」の中にも「マスク」というアイテムがあります。
こんなの。

で、このマスクを「森」で見た外国人の反応が一様に「批判的」であったことを、よく覚えています。
「君もマスクするの?へー、ふーん。」
「意味があるようには思えないけどなー。」
「俺はつけないよ、なんでテロリストでもないのに、俺が顔を隠さなきゃならないんだよ。」
だいたい、こんな感じ。
「テロリストでも犯罪者でもないのに!」というのは本当によく聞きました。
「いや、でもあんたら、サングラスするやん?」って言い返したかったけど、まあ文化の違いなんだから、どうでもいいやと思ってスルーしてきました。
なので、正直なところ、いくらコロナウィルスが流行ろうとも、彼らが素直にマスクを着けるようになるとは、思っていませんでした。
それがちょっと「潮目が変わったな」と感じたのが1か月か2か月くらい前。
欧州の(おそらく英国の)ニュースの中で、中国人医師がインタビューを受けているのを見たのです。(←同時通訳でね!)
「ヨーロッパで感染拡大を防げなかったのは、マスクをする習慣がないからやで!
感染者の増加を抑え込めなかったのは、みんながマスクをつけへんからやで!
コロナウィルスって、飛沫感染するねんで!?
マスクは有効に決まってるやろー!
なんでつけへんの?どうしてつけへんの?なんでやねーん!」
ってすんごい剣幕で強調していました。(←そのあまりに必死の訴えに、彼を秘かに「現代のゼンメルワイス」と呼ぶことにした。本当の名前は覚えていない。←ひどい)
その後、ヨーロッパのニュースでは、マスクを着用しないとスーパーに入店できないとか、マスクが入手できなければスカーフやマフラーで代用してもいいとか、せっかく確保したマスクを土壇場で「あの超大国にとられたー!」とかいう報が続々と見られるようになりました。
そうなって、ようやく私にも、「マスク、足りなくなるかもな・・・」という危機感が芽生えてきました。
EUと米国の人口はそれぞれ約5億人と3億人・・・今まで着用の習慣がなかったそれだけの人間が一斉にマスクを買うようになったとしたら・・・
母にならって、私も自分の作ったマスクをつけるようになりました。
マスクのストックをなるべく減らさないように、と思ったのですが、幸運なことに最近、少しずつ店頭にマスクが戻ってきたように思います。きっと、工場も物流もひどい忙しさの中、必死で生産しているのでしょう。
イギリスのニュースで力説していた中国人医師の言葉が正しければ、マスクはコロナウィルスとの戦いの必需品です。
生産者、物流関係者の方々に心からの感謝を捧げると共に、今後の供給の安定を願っています。
4.初めて思った。
ところで我が家には大学生の娘がおりまして、今春2回生になります。
娘が「学校」というものにお世話になるようになってから、毎春必ずやらなくてはならないことができました。
それは「学費」のお支払い。
実は私はこの「学費」の支払いを一度も疑問に思ったことがありません。
ありがたいことに小学校からこれまでずっと公教育のお世話になっていることもあって、それほど高額ではなかったからかもしれませんが、給食費も含め、滞納したこともありません。
むしろ、親として保護者として、子どもの教育費ほど「払いで・払い甲斐」のあるものがあるだろうかと思ってきました。
もちろん、我が家は貧乏ですから、出費は痛いに決まっていますが、それでも学費の支払いは親になれたからこそ、当然払って然るべきもの、と考えていたのです。
ところが。
先日、今年度分の学費を納めに金融機関に行ったとき、初めて思ったんですよね。
「これ、払う意味ある?」
って。
だってね、娘、ずーーーーーーーーーっと家にいるんですよ?ほんとにずーっと。
昨年度の後期試験が終わってからこっち、全然大学に行ってないの・・・
4月の下旬から在宅でのオンライン授業みたいなのが始まって、毎日レポートなんかを書いている様子ではあるんですけれど、これって本来の授業に比べて、ほんとに遜色がないって言えるのでしょうか?
年間の学費は50万円強。
振り込みながら、初めてちょっと「高っ!」と思ってしまって、その気持ちにびっくりしました。
いや、払いましたよ?!ちゃんと振り込みましたっ!
でもなー、ちょっとなー、釈然としない・・・。
娘によると、学生さんたちの間では、
「夏休みはなくなるだろう」
「下手すると土曜日も授業かもなー」
というウワサが飛び交っているんだとか・・・
なんでもいいから、やるべき学問はキチンと修めてほしい、せめて50万円分だけはキッチリ・・・と思う私は本当にけちん坊だなーと思います。えへ。
5.私たちは脆い。それでも。
娘の学費を大慌てで振り込みに行って、その道すがら考えました。
今、日本中で子どもたちが「ほったらかし」にされていることについて。
確かに新型の、非常に厄介なウイルスを前にして、私たちはあまりにも無力です。
集団感染を防ぐために学校を休校にしたことは、いずれ英断と讃えられる日が来るのかもしれない。実際のところ、日本は現在、感染をよく抑え込んでいると思うし、それは学校の休校という、重い選択が私たちのその後の自制心を喚起したと言えるのかもしれない。
けれども、学校が休校だからといって、子どもたちの教育を疎かにしていいとは、私には絶対に思えません。
むしろ、休校になった時点で、政府をはじめ我々大人は子どもたちの教育をどうすればいいのか、全力で考えるべきでした。
それがオンライン授業なのか、9月入学なのか、いろんな意見はあるでしょう。
けれども、どんな方法をとるにせよ、必要な学問はなにがなんでも絶対に、きっちりやってもらうよ!という態度を、大人は子どもたちに見せるべきだと思うのです。
キリスト教が無知と蒙昧を煽った中世ヨーロッパではローマ時代の遺物の製造法がわからなくなったと言います。
使われなくなった言語は失われます。
私たちの集合知はきっと意外に脆くて弱い。
必要な教育を疎かにしては、人間はこれまでに営々と積み上げてきた知識をあっという間に失ってしまうことになるのです。
そしてそれは、次の災害や災厄に立ち向かう際の武器を失うということなのです。
すでにこの自粛期間中にも、突拍子もないデマやフェイクニュースが飛び交いました。
極端な無知や無教養はあまりにも容易く人を非科学的な思想や考えに駆り立ててしまいます。
そのひとつひとつに打ちのめされるような気持ちになりつつも、それでも私は人間の叡智に期待したいのです。
だって、我々人間はずいぶん賢くなったではありませんか。
たかが数百年の昔には、新しい病気が流行るたび、
「みなで教会で祈りましょう」→狭い空間に人が集まる→集団感染
「みんなでお神輿かついで厄払いだー!」→人が大量に集まる→集団感染
なんてことを繰り返していたのですよ?
それに比べたら、現代の私たちはずいぶんと強くなった、賢くなったと言えるではありませんか。
それはやはり教育の力のおかげなのだと思います。
先人たちがこれまでに積み上げてきた知恵と知識をどこかの時点で途絶えさせてはいけない。
それが「今」であってはなおさらいけないと思う。
子どもたちに、これまで通り、ちゃんと学ぶ機会がありますよ、と言える社会で、大人でありたいなあとつくづく思うのです。
6.で、「森」
相変わらず「森」三昧の毎日です。
自粛期間中にこれほど最適なゲームがあるでしょうか?!
「森」さえあれば退屈しらず、いやむしろ、「森」のせいで時間は飛ぶように過ぎていきます。
「森」仲間とも毎日ボイスチャットでワイワイ大騒ぎ、でもどれほどおしゃべりしても飛沫感染のリスクゼロ!ほんとによくできたゲームだなーと思います。
リアルでのお友だち、前作「とび森」からのお友だち、そして「はてな」で知り合ったお友だち・・・私の「森」はいつもとても賑やかです。
で、今日も3人でボイスチャットしながらプレイをしていて、私、冷蔵庫から棒アイスを取り出して食べようとしたんですよ。
アイスの包装をピリピリ~と破いたら、ボイチャ中の友人が叫びました。
「あー!マミーさん、今なんか食べようとしてるでしょー?!」
・・・おかしくない?
3人いるのに、「食べようとしているのが」マミーさんだって、すぐに名指しされるのっておかしくない?
ま、確かに私なんだけどさ・・・
それにしても今のボイスチャットって、すごく明瞭に音を拾うんですねえ・・・
技術の進歩ってすごいなーとしみじみ思いました。
アイスキャンディーもおいしかったですよ~。ほほほ。
おしまい。