初恋の人。

 

本当に、いまさら、なんですが、

ツイッターってなんなんですかね?(←何年遅れ?)

 

もともと、あんまり興味を持てなかったのですが、

はてな」をやっていると、ツイッターを同時進行で運営なさってる方、多いですよね?

 

なので、ずいぶん前になりますが、

ツイッターのアカウントを取ろうとチャレンジしたことがあります。

 

で、失敗。

あえなく失敗。

 

失敗ってどういうこと?なんのこと?って思うでしょ?

 

実は私にもね、わからないんですよ…。

それがわかって、ちゃんと説明できるんだったら、私も失敗しないと思うのです。(←ちょっとキレ気味。)

 

機械をいじってると、こういうことがよくあります。

自分で何をしたのかわからなくなる、「何がわからないか」がわからなくなるっていうね…。

 

ところが、ツイッターを読むことはなんとかできるんです。

いいね!を押したり、こちらから何かをつぶやいたりはできませんけれども。

なんでできないかはわからないんですけれども。(←しつこい)

 

でも、「はてな」では投稿が止まってる方でも、ツイッターでは何かを発信なさってたりするので、

ああ、お元気なんだな、とちょっと安心したり、

おもしろい情報をゲットできたりするので、時間があるときはちょこちょこと、あちこちのぞきにいってます。

 

で、今朝ね、isakuさんのツイッター見てて、発見してしまったのです…。

 

 

 

見た?見ました?

 

初恋の人

スナフキンさんが歌ってる!

 

大興奮!です!

 

最近はちょっと疲れ気味でしたが、この動画で元気百倍、今日はとっても気分よく一日を始めることができました。

 

ほんとは「いいね!」を百回くらい押したい気分なんですが、

ツイッターの設定で挫折している身には不可能な話し…。

しかもフルバージョンで聞いてみたいのに、それも無理…。

 

ああ、機械に弱い人って、なんてかわいそうなんでしょう!(←自業自得)

 

今、イラ!としてる人が多数いらっしゃると思いますが、

もしも万が一、ちょっとでも「かわいそうだなあ、機械に弱いなんて気の毒に…」と思ってくださる方がいらっしゃいましたら、

どうかマミーにこのスナフキンさん動画のフルバージョンを見る方法を教えてくださいね!

 

それにしてもスナフキンさん、歌もこんなに上手だなんて♡

またムーミンのアニメが見たくなりました。

 

・・・それよりツイッターのアカウントを取り直しかな…。はああぁ…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

心に響く名言

 

忘れもしません、あれは中学生のころ…。

 

しつこく言いますけど、私にだって中学生のころが!って、もういい?

ですよね…。

 

で、中学校のカリキュラムって、あれがあるじゃないですか、あれ。

 

そう、家庭科。

 

これが私、大の苦手でして。

 

今でこそ、洋裁や編み物なんかをしておりますけれども、

当時は家庭科の授業を死ぬほど忌み嫌っておりました。

…体育の次くらいに。

 

刺繍なんかやらされた日には、内心大ブーイング、

なんでこんな面倒なことを!ってイライラもマックスでした。

家庭科の課題はほとんど母に押し付けておりましたから、課題のパジャマもスカートも完璧に仕上がるわけですが、担当の先生の目には、自分でやっていないことがバレバレだっただろうなと推察されます。

 ・・・子どもって、どうしてバレないと思うのでしょうね??

 

でも、どうしても、持ち帰れない課題もあるわけでして。

 

「調理実習」

 

これが難題。

まあ私ひとりでやるわけではありませんから、

女子力の高い友人の後ろに隠れてお茶を濁すのが常でした。

 

でもある日、とうとうやらかしてしまいました。

なんと・・・49倍の塩を投入!(←ひどい)

 

 

お題(メニューともいう)はミートソース。

失敗なんてしようのない課題だと思うのですが、

それでも嫌いな人というのは、なにがしかの失敗をするものでして。

 

黒板に書かれた作業工程(レシピともいう)を見て、

 

「塩小さじ7杯を入れる」

 

と書いてあったので、入れたのです。・・・入れるでしょ?だって書いてあるんだもの、黒板に。

でも、できあがったミートソースをみんなで試食してみたら、

 

「からい辛い!」の大合唱。

 

私もどうしてこんなにからいのだろう、指示通りにやったのにおかしいなあと、そおっと黒板を見直しましたら、ありました。

 

「塩小さじ1/7杯を入れる」

 

って。

 

 

・・・・・・・・。

 

いや!待って!

 

言い訳させてくださいっ!

黒板のメニューもね、こちらのミスを誘発しそうな感じだったんです!

こんな感じ。

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ね?ねね?

なんとなく「7」が強調された感じでしょう?

たぶん、後から「1/」を付け足したんだと思うのです!

 

でもまあ、これに気づいた時は慌てふためきました。

 

塩、49倍?

 

・・・そら辛いわー。(←妙に納得)

てか、小さじ1/7って、量りにくない?(←人はそれを逆切れと呼ぶ。)

そこは小さじ少々でいいんとちゃうん?(←誰に聞くまでもなく、世間ではそれを責任転嫁と言います。)

 

中学生の調理実習なんて、ワイワイガヤガヤ、落ち着きがないのが定番ですから、塩を投入したのが誰だったかなんて、誰の記憶にも一切なく、結果、私は糾弾されることも、責任を追及されることもありませんでした。(ラッキー!)

 

今でも内心、悪いことをしたなあ、申し訳なかったなあ、という罪悪感はありますので(ごめんね、みんな!)、あの日、同じお鍋のミートソースを食べたみんなには、減塩生活を送っていつまでも元気でいてほしいなって、つくづく思います。

 

で、以来、ずーっとお料理にはどことなく苦手意識を持ち続けているのですが、

そんな私の心のよりどころになっている「名言」があります。

 

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 佐々木倫子氏「ペパミント・スパイ」より

 

「塩を入れすぎたからといって、塩の辛さ以上には辛くならないし、味つけなどは少々間違ってもそれで死ぬということはない」

 

「料理などおそれるな!」

 

・・・なんてすばらしい!言い得て妙な格言でしょう!(←絶賛!)

正直、結婚式の祝辞なんかにぴったりだと思います!(私は言いません。)

 

・・・ちなみに我が家の味つけは薄味です。大阪ですしね。念のため。 

 

 

おまけ。

 

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完成しました。

これが想定外に大きくて、

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 比較にティシューの箱を置いてみました。その上にカメさんも。

(カメキチさん、カメさんは売ってません♪)

 

編みあがった後に、これが似合いそうな場所が我が家のどこにもないことに気づく…。

いつか、使えればいいなーと、どこかにしまっておくことにしました。

 

おまけのおまけ。

 

非常に個人的な話で申し訳ないのですが、

 昨夕、母が入院いたしました。

心配はないと思います。あくまで念のためのものですから、必ず元気になってくれるはずですし、入院期間もそう長くはならないと思います。

 

ただ、しばらくの間、勤め先と自宅、それから病院への往復で、私の一日の時間がどんな風に過ぎていくのかが、自分でもまだイメージできません。

 

みなさまのブログを読むことを優先して、でもこれまでと同じようなおつきあいは、しばらく不可能になるやもしれません。

 

ですので、こちらのブログのコメント欄は一時閉めさせてください。

 

時間がなくて、なかなかコメントができない場合でも、必ずみなさまのところには顔を出すつもりでおりますので、できましたら忘れないでくださいねー。

 

季節の変わり目ですから、皆さまもどうかご自愛なさってくださいませ。

 

 

(前回の記事にコメントをくださった方の中で、まだお返事をご覧になっていない方がいらっしゃると思います。コメント欄を閉じてしまいますと、読めなくなってしまいますので、こちらに再掲させていただきます。こんな形になってしまい、申し訳ありません。)

 

ねこさまへ。

ねこさん、おはようございます。

ワンピースにですか?
それはなんて光栄な…。それならもうちょっといい毛糸で編まないと、ですねえ。

来年はシュシュとかにも挑戦してみようかなあ。あ、ねこさんが作ってたカチューシャなんかもきっと売れ筋になる予感♡
「かわいい」はまず、ねこさんのブログで勉強しないと、ですね!

コメントありがとうございました。

 

思遠さまへ。

思遠さん、こんばんは。

ありがとうございます。世間にはびっくりするほどかわいいアクリルたわしがあるので、それに比べたら私の編んだのは随分と手抜きです。
でも、どうせ洗い物で汚れるんだしー…という気持ちがあるから私はダメなんでしょうねえ…。

はてなにはおいしいものがたくさんですから、いつかみなさまで持ち寄りパーティなんかができるといいですね!夢です♡

コメントありがとうございました。

 

isakuさんへ。

isakuさん、こんばんは。

isakuさんもバナナ&チョコレートのコンビがお好きなんですね!わかります、わかります、最強コンビですよねー。

たち吉のお皿も昔から大好きで、でも私はすぐにダメにしてしまうので…私にはちょっともったいない気がします。

コメントありがとうございました。
レース、思ったよりも大きくて。
いつかどこかで使える日まで、大切に持っておこうと思ってます。

 

セネシオさまへ。

セネシオさん、おはようございます。

セネシオさんのおっしゃるように、今、どこかのお宅で、私の作ったタワシがお役に立っているのかなあと思うととてもうれしいです。
がんばってしっかり汚れを落とすのよー!と伝えたいです!

バナナケーキは・・・私にはあれで限界、ということで・・・えへ。

コメントありがとうございました。
はてなはお料理が上手な方が多くていつもとてもまぶしいです!

 

 

 

 

 

 

 

事の顛末記

先日、バザーのお話しをしました。

 

 

で、行ってきたんです、今日。バザーに。

 

気が小さいと言われるかもしれませんが、

正直ちょっとハラハラドキドキ。

 

売れ残ってたらどうしよう。

ものすごいレベルの手作り作品が並んでて、ずいぶんと見劣りしてたらどうしよう。

 

ほんとは昨夜、ちょっと眠れなかったくらい。

 

作ったアクリルたわしは無記名で提出しましたから、

私が作ったとは、誰にもバレないはずなんですが、

でも展示台の上で大量に売れ残ってる私の作ったタワシを想像しては、ビクビクそわそわ、

合格発表に行く受験生のような気持ちで会場に向かいました。(←大げさ)

もちろん、売れ残ってたら、責任とって買い取るつもりで。

 

そしたらね、

 

完売してました♡

 

わーい、わーい。

よかったー!

ほっとしました…。(←小心者)

 

気をよくして、後はゆっくり会場をまわることができました。

 

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で、今日の戦利品♡

たち吉のお皿2種類。

粗忽者でよくお皿を欠けさせてしまうので、安く入手できて助かります。

 

ちゃんと売れてたー!と気分もハイテンションなので、

来年のために、ちょっとずつまた編んでおこうと思います。

 

で、話しは変わりますが…。

 

先日、リチャードギヤさまのブログを拝読していて、あまりにもおいしそうなバナナケーキを発見!

これこれ♡

すっごくおいしそうなケーキ♡

図々しくレシピをおねだりしたら、快く教えてくださいましたので、さっそく作ってみよう!とバナナを調達し、黒い斑点が出てくるのを待ち…いざ、作ろうとしましたら…。

 

 

ラム酒がない。

 

 

どよーん。

 

もう分量も量ったのに。

もう夜なのに。

もうお風呂も入ったのに。

 

 

・・・・・・。

 

 

ま、いっか!もう!ラム酒はなしで!(←てきとー)

 

ついでにこの前マイクか誰かにもらった固いチョコレートがあったから、それも入れちゃえ!

 

ということで、途中からテキトーになってしまったバナナケーキができました。

 

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・・・うーん。

 

なんか違う。

だいぶ違う。

全然違う。

 

まずバナナの並べ方に規則性がない…(←そこ?)

チョコレートも適当すぎて、なんかぐちゃぐちゃ…。

 

でもでも!味はよかったですよ!

お腹に入っちゃえば一緒一緒!(←性格が出る…。)

 

次に作るときは、もう少し見た目も重視することにします!

 

 

 

覚えてたらね…。

 

さ、またタワシ編もう♪

リチャード・ギヤさま、おいしいケーキのレシピをありがとうございました。

 

 

おまけ。

 

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あともうちょっとです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

たまにはお散歩。

 

国立国際美術館に行ってきました。

 

こんなの。

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大阪市北区中之島にある、主に現代美術に力を入れた美術館です。

すぐ隣には大阪市立科学館もあり、大阪の小中学生の遠足御用達のエリアです。

 

また、この周辺は、先ごろ人気を博した連続テレビ小説「あさが来た」の舞台地でもあります。(見てないけど)

 

でも今回この美術館を訪れた目的は現代美術でも連続テレビ小説でもなく、

 

これ。

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兵馬俑展」をやってたから。

 

死ぬまでに一度は見たいと思ってたけど、

根っからの旅行嫌い、飛行機嫌い、一生見ることはできないだろうと思っていた兵馬俑が向こうからやってきてくれるなんて!

こんなに幸運なことはあるまいと、残暑の中お出かけしてきました。

 

「永遠」を守るための軍団、参上。

 

ってキャッチコピーもカッコいい!

考えたの誰かしら…。ファンレターを送りたい気持ちです。

 

前情報なく出かけたので、兵馬俑の展示が意外と少ないのが残念でしたが、他の発掘品などの展示物も十分見応えがありました。

やはり古代中国文明の偉大さは目を見張るものがあります。

 

「玉」と称される宝飾品の細工の細かさ、

水道管や取水口などの、当時のインフラ設備の充実ぶり、

とても2千年以上前のものとは信じられないものばかり。

 

中でも感動したのが、「漢字」「金」「瓦」の3つ。

 

1.漢字

 

展示されている青銅器なんかには、漢字の刻印がされているものが多く、もちろんほとんど読めないわけですが、「子」とか「大」とか、想像できる文字もちらほら。

「皇帝」という字ははっきりと読み取れました。

数千年も前の文字。それが全く違う国にも受け継がれて、現代の私たちにも読めるということ。

それは本当に感動的で、言葉にならないくらいでした。

 

2.金

 

展示されている青銅器や銅の遺物は、どれも太古の昔には光り輝いていたのでしょう。

けれども今では腐食が進み、どれも鈍く黒ずんでいます。

その中で、「金」はやはり異質なほど黄金に輝いているのです。

金の出土品の前を通り過ぎる人みんなが、

「やっぱり金ってすごいな…。」

って一様につぶやいてしまうほど、その輝きは圧倒的でした。

人がいとも簡単に、あっけなく命を落としてしまったであろう太古の時代、「変質せずにいつまでも輝いている」という金の特質は、どれほど人々を魅了したことだろうと、しみじみせずにいられませんでした。

 

3.瓦

 

展示ケースの中に瓦を見たとき、

「現代の瓦とそう変わらない!」ということに驚きました。

何事にも「最初」ってあると思うのですが、

瓦を最初に発明した人って偉大だなあ!と改めて思わずにいられませんでした。

湾曲させた瓦を組み合わせることで、雨漏りを防ぐ。一見簡単なようでいて、でも最初に思いついた人って偉大です。

 

最初に考えた人には、それなりの栄誉が与えられたのかしら、

特許料なんてなかっただろうし、

「おまえ、頭いいな!」

のひとことで終わりにされちゃったりしたのかな。

今からでもタイムマシンに乗って、その人に会って、

両手を握ってぶんぶん振り回し、

「あなたの考えた瓦はこのあと何千年も使われるんですよ!他の国でもね!」

って言いたいっ!(←迷惑。)

 

と、展示ケースの前でいささか興奮気味に思いました。

地震のせいで瓦の人気は低迷しているようですが、遠くから屋根瓦が光っている風景はやはり日本家屋の美しさを増幅させていると思います。

軽い瓦がもっと普及するといいのにな、とそんなことも考えました。

 

で、本日のメイン。兵馬俑

 

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(こちらは写真撮影が許可されたレプリカ。) 

 

本物を見た感想は「大きい!」のひとことにつきます。

 

こんなにも大きいものをこんなにも大量に、「お墓に埋葬するため」に作るなんて!

 

「埋め」ちゃうんですよ?!

その情熱は一体どこから?!

 

と驚愕するほど、俑の一体は大きいのです。

 

しかもお顔が一人ずつ、全部違う…。モデルがいたということですよね。

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こんなお顔の人、実際にいそうじゃないですか。その辺に。

 

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ねね?どっかで見たことあるような、見覚えのあるような人がちらほら…。

 

リアリティありすぎ…。

 

お墓の副葬品と言えば、

 

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こんなのとか、

 

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こんなので十分じゃないですか?!・・・だめ?

 

それにしても、「権力者」というものが考えることの凄まじさには圧倒されます。

自分が死ぬにあたって、こんなにも「ものすごい」こと、「大変な」ことを、「やれ!」と命じるメンタリティーって、

その情熱って、

一体どこから来るのでしょう。

 

「いや、もういいです…。迷惑だし、お金もかかるし…。おかまいなく…。生きてる人を大切にしてね。ね?」

 

なーんて考えたりしないのかしら?

 

もちろん、死後の世界が現世と同じく存在していると信じられていた時代のことですから、あの世でも皇帝として君臨したいと思ったのかもしれませんけれども、

また、当時は皇帝陵の建築そのものが、ある種公共事業の様相を呈していたのかもしれませんが、

そうだとしても、その情熱と業の深さには驚愕の他ありません…。

 

ものすごく精巧に、写実的に作られた兵馬俑は一体ずつ、表情も違います。

 

幼さの残る若き立射俑は弓矢が飛んでいくであろう遠くを見つめ、

美丈夫の将軍俑は口元に柔和なほほえみを浮かべ、

歩兵俑は今、戦いに臨むかのように厳しい表情をしています。

 

この俑の、ひとつずつにモデルがいて、数千年前にはこの世に実際に存在していたのだと思うと気が遠くなるような思いがしました。

 

史上初めて中国全土を統一した始皇帝ならば、彼らのすべてを文字通り殉死させることも可能だったかもしれないことを思うと、

 

「人形でいいよ…。」

 

と言った始皇帝は、案外やさしい人であったのかもしれません。

 

また、こうして俑となって時を超え、海を越えてきた若者たちは、

始皇帝陵を未完のまま、ついに完成させることができなかった始皇帝よりも、

ある意味幸福なのかもしれないなあと思ったのでした。

 

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陵墓の中では、すべての兵馬俑が東を向いているのだとか。

彼らの目に、東の国の我々はどう見えているのでしょうね。

 

おまけ。

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若き立射俑。

一番のお気に入りです♡

 

 

 

 

 

 

 

 

 

初めてのバザー。

 

 先日、生まれて初めて、

 

「バザーへの出品協力のお願い」

 

っていうのを経験しました。

 

友人に頼まれて、バザー用品の製作を手伝ったりしたことはありましたが、私自身が所属している組織や団体は、バザーとはまったく無縁でしたので、

 

「バザーをするので、ご家庭の不用品や手作りの品物を寄付してください」

 

の依頼を受けたことは、これまで皆無だったのです。

 

なので、正直なところ、内心では、

 

「いまどきバザーなんて死語でしょー。誰がやってるんだろう?」

 

なんて思っておりました。

 

だって、景気は長らく低迷、無駄使いも浪費も過去の遺物、世の中ミニマリストが大流行り、

家庭内に「他の人が欲しくなるような不用品」なんて、さほど量があるようには思えませんでしたから。

 

で、我が家を見回してみましても・・・。

 

「バザーに出せるようなものはない。」のです。

 

どうでもいいガラクタばっかり!

 

仕方がないので、何かを作って出そうと思い、最近はヒマを見つけては、せっせとバザー用品を作っていました。

 

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こんなの。

 

「洗剤がいらない」っていうエコたわしです。

 

アクリル100パーセントの毛糸で編むのですが、これが意外に優れものです。

油でギトギトのフライパンなどは、さすがに紙などで拭いたり、洗剤を必要としますが、一般的な和食の食事のあとの食器くらいなら、このタワシだと本当に洗剤を必要としません。

 

気分が乗ってきたので…

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ドイリー型とか、

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薔薇バージョンなども作ってみました。

 

食器洗いばかりでなく、網戸の掃除なんかにも使えます。洗面所やお風呂のお掃除にも。

ホコリ取りとしても優れているので、パソコン周りや車内でも使えます。

 

もっと気分が乗ってきたので、

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猫の手タワシなんかも。

 

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中に手を入れて食器を洗えます。

ちょっとだけ食器洗いが楽しくなるかも。

いえ、ウソです、何をやっても食器洗いは楽しくなりません…少なくとも私は。とほほ。

 

エコたわしって、使って「捨てる」物ですから、後に残らないのがいいですね。

石鹸やタオルと同じく、バザーに出品するには最適な気がします。

 

・・・売れ残りませんように。

 

 

おまけ。

 

ずっとエコたわしばかり編んでいたら、ちょっと飽きがきてしまいまして。

私の悪いところですが、違うことに手を出したくなります。

 

で、今回は、「かめさん」。

 

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知り合いに見せたら、「テントウムシみたいなカメ」と言われました。

 

・・・カメですっ!

 

でもちょっと甲羅がさみしいような気がしたので、

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クローバーを乗っけてみたり…

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お花を乗っけたり…

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リボンを乗せたり…。

だんだん、どれがいいかわからなくなってきたので…。

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全乗せとか・・・♡

 

 

 

わかってるんですっ!

こうやって遊んでばっかりいるから、持ち帰りのお仕事がさっぱり進まないんだって!

 

バザー用のエコたわしも紙袋いっぱいになったので、

週末はお仕事にも真面目に取り組みたいと思います…イヤだけど。

 

ちなみに・・・

真っ赤なカメさんから連想されるやさしいカメキチさんのブログはこちら。

 

kame710.hatenablog.com

 

生きることの「味わい」とか「醍醐味」、

あるいは正しく「怒る」こととか真の「礼儀正しさ」とか、

 

そういう大切なことをたくさん教えてもらえる、素敵な場所です。

 

いつかカメキチさんのように、私もやさしい人間になりたいなあ、と

机の上の赤いカメさんを見るたびに思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いつだって大歓迎。

 

今日はまたまた図書のボランティアについてお話ししようと思います。

 

今はどの小学校でもたいてい図書のボランティアグループが存在していると思うのですが、活動内容はグループによって少しずつ違います。

子どもたちに本の読み聞かせをすることが活動の中心であることは、ほとんど同じはずですが、私が所属しているグループは、読み聞かせ以外にもいろんなことをやってます。

 

たとえばパネルシアターの製作とか上演とか。

図書室内のお掃除や、本の修理や書架の整理なんかも。

 

で、いつも思うんです。

 

「本って重いなあ。」って。

 

本の整理なんかは本当に重労働で、書架の整理を数時間でも真剣にやると疲労困憊、ものすごく消耗します。

 

で、そんな時、高学年の子どもたちって、とっても役に立つんです。

ちょっと「お手伝いしてほしいな」って言うと、本当によく働いてくれます。

 

彼らも自分の家ではゴロゴロしててお母さんに怒られてるんだと思うんですよ…。きっとね…。

 

意外なことに、いつも図書室で大騒ぎして叱られてばかり、本なんかちっとも読まないタイプの子どもたちの方が、お手伝いになると大はりきり、骨惜しみせずに手伝ってくれたりするので、子どもって本当に不思議だなあ、って思います。

 

先日も、図書室内のリフォームをしていて力仕事が発生した時に、高学年の女の子たちが大活躍してくれました。

 

暑い盛りに、汗だくで手伝ってくれているのを見て、私も大感激、今日は彼女たちにささやかなお礼を届けてきました。

 

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鳥さんのストラップ。それから

 

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バラのヘアゴム。

 

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どれも一人にひとつずつ。

 

けれでも、ただありがとう、と本人に直接渡すよりも、

こんな時は、担任の先生を経由して渡すといいんですよ。

 

「子どもたちがお手伝いしてくれたので、お礼です。どうか先生からもたくさん褒めてあげてください」って。

 

 

図書のボランティアをしていると、

学校に出入りする機会も増えるのですが、

そうすると、いろんなことを見聞きします。

 

どこか「よそいき」の、かしこまった雰囲気の授業参観の日とは違って、

リラックスモード全開、普段着のままの小学校。

 

そこではおもしろいことや楽しいこともいっぱいですが、

目撃回数が一番多いのは、

「子どもを叱っている先生、怒られている小学生」

です。

 

図書のボランティアを始めたころは、

 

「あの先生、怒ったらあんなにコワいんだ!」

 

の衝撃をしょっちゅう味わったものでした。

 

 でも、本当は先生方も、子どもたちを褒めてあげたくてうずうずしているのです。

なので、ちょっとでも子どもたちが「いいこと」をしたら、すぐに先生に報告するようにしています。

 

教室で誰かが褒めてもらうと、他の子どもたちも、

「自分も褒められたい!」って思うのでしょう、

次から私たちがお掃除なんかをしていると、

子どもたちの方から、

 

「お手伝いすることないですか?」

 

って声をかけてくれるようになります。

 

ラッキー♡

 

あー、いやいや、コホン。

 

でね?

そんな風に子どもたちに聞かれるたびに思うのです。

 

「最近の子どもたちは~」なんてよく聞きますけれど、

でも今の子どもたちだって、ちゃんと、誰かの役に立ったり、誰かのために働いたりすることに喜びを見い出しているんだなって。

日本の未来もそう悪くはないのではないかなあ、と小学校に行くたびに思います。

 

ということで、

小学生のお子さまをお持ちのお母さま。

夏休みも終わって、2学期も始まりました。

これを機に、

授業参観日以外の、「素のまま」の学校生活を垣間見られる貴重な機会、図書のボランティアなんかを始められてはいかがでしょう?

どこのグループも1年365日、毎日新メンバーを募集中です!

 

もちろん、「お母さま」以外でも、熱烈歓迎されること間違いなしです!

 

うちのグループもあと10人くらいほしいです…。

 

楽しいこともありますから!ほんとにほんと!絶対です!

 

 

おまけ。

 

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しつこくがんばってます…。

 

 

思い出の校舎

 

今日は古いお話しをひとつ。

私が通っていた高校のことについてお話ししたいと思います。

 

・・・何回も言いますけど、私にだって、一応、女子高生時代ってのがあったんですからね?

ほんとなんですからっ!

 

ついつい、取り乱してしまい、失礼しました…。

 

で、ですね。

 

旧制中学の流れをくむ私の母校の校風は、自由という名の放任主義(体育の授業以外)で、これといった校則もなく、学校からの干渉も少なかったように思います(体育以外はね…)。

 

それなのに、自由とは程遠い感覚が校内に常に蔓延していたのは、

どんな場所にも、どんな時にも、

 

「伝統」

 

なるものが、そこかしこに色濃く息づいていたからだろうと思います。

 

特徴的だったのは、その校舎。

 

1930年に建設された、レンガ造りの校舎は、廊下にも腰高までレンガが配され、

建設当時は全館スチーム入り、当時はさぞかしモダンで最先端の校舎だったと思われます。

 

が、しかし。

 

戦時中の軍部への鉄製品供出のため、スチーム管はすべて引き剥がされ、

結果、冬はとんでもなく寒く、夏は耐えがたい暑さの建物が残ったのでした。

 

上空から見ると、なぜかP字型の校舎は、方向音痴の生徒の方向感覚を狂わせ(←私のことです)、一段一段がやけに高い階段は、高齢で足元のおぼつかない先生方を教室に来るのを阻み、私たちの方が理科の講義室まで出向かなくてはなりませんでした。

昔は当たり前だったのか、教壇は異様に高く、窓の位置も高かったので、校舎内は昼なお暗く、おまけに戦後の学制改革以前は男子中学でしたから、女子トイレが極端に少ない…。

そして米軍グラマン戦闘機の機銃掃射の弾痕が残る壁。

 

要するに、現代建築になれた私たちには驚きと不便がいっぱいに詰まった校舎なのでした。

ですから私たち生徒は、そんな校舎を愛情半分、揶揄半分で、

 

「監獄、牢獄、収容所」

 

なんて呼んでいたものでした。

 

そして、伝統ある学校にはつきものの、悲しい歴史もありました。

 

第2次世界大戦中、大阪には大規模な空襲が何度も繰り返されたわけですが、

当時の生徒には、空襲から「学び舎を守る」ための「当直当番」の制度があったようで、学校を防衛中の生徒が2名、焼夷弾の直撃を受けて亡くなりました。

 

学校には、その生徒さん2名のための石碑が建てられていて、

石碑の裏には、各々のご遺族、お母さまとお姉さまだったかな、それぞれの言葉が寄せられていました。

 

校庭の隅にひっそりと建てられたその碑の裏側を、私が読んだのは在校中の一度だけです。

特にお母さまから寄せられた言葉があまりにも悲しかったので、私は二度と、その碑に近づくことはしませんでした。

 

なので、ものすごくうろ覚えなのですが、確かこんなことが書いてあったように思います。

 

「学校防衛の当番に出かけていくとき、息子は笑いながら、

「当番の人間にはパンやお米が支給されるから、持って帰ってあげるよ」と言いました。

私は、「お腹が空いていては、いざというときにお役に立たない。だから必ずお食べなさい。」と言って見送りました。それが息子との最期になりました。

亡くなった息子のかばんを後で開けてみたら、手つかずのパンとお米が出てきました。」

 

 

このとき、思わず真っ白になった自分の頭の中の感覚を、私は今でもはっきりと覚えています。

 

どうしよう、どうしよう、なんとかしなければ、と切羽詰まったような気持なのに、

「死」というものが、「どうしようもないこと」として、

厳然と、圧倒的な巌のような存在で目の前に立ちふさがって、息もできないような苦しさでした。

 

あの時、私は「とりかえしのつかないこと」の真の意味を、初めて悟ったような気がします。

 

当時の大阪市内の食糧事情からして、亡くなった生徒さんが、平素、空腹が満たされるほどの食事をしていたとは到底考えられません。

旧制中学の生徒といえば、10代半ば。

 

食べ盛りなのに、いつも空腹なのに、眠ることもままならない深夜、配られたパンを家族のために取っておくなんて!

 

わが身に置き換えて考えてみても、自分にそんなことができるような気はとてもしませんでした。

そんな親孝行な生徒さんが冷たいお墓の中にいるのに、

私たちときたら、そんな彼らが命がけで守ろうとした校舎を「監獄」だの「牢獄」だのと呼んでいたのです。

 

どれだけ、ここで、この校舎で勉強し、無事に卒業したかったことだろう。

 

授業開始のチャイムがなる前に教室に帰ろうとする自分のつま先が、校庭の白い砂の上に微かに影を落としていたことまで、よく覚えています。

 

二度とこの校舎を「監獄」とは呼ぶまいと誓ったことも。

 

しかしながら、今、自分が大人になってみますと、

あの石碑の思い出は、また違った悲しみを私にもたらしてやみません。

 

高校生の私は、そんなにも親孝行で立派な少年が、生を全うできなかったことの悲惨さに気をとられていましたが、今は彼のお母さまの悲しみが、胸に迫ってやまないのです。

 

空襲で子をなくした親はそれこそたくさんいたことでしょう。

当時の大阪市内では、いえ日本全国、どこの大都市でも、空襲の被害者の遺体が珍しくはなかった時代です。

 

神戸の地震の時、あるいは東日本大震災のときのように、

この生徒のお母さまも、自分だけが不幸なのではない、皆、等しくなんらかの被害や喪失に耐えているのだと、自分に何度も言い聞かせたことでしょう。

たまたま我が子の当番の日に空襲があったことは、運が悪かったのだと。

 

けれども、同じく強く思ったことでしょう。

 

せっかく食べられるパンがそこにあったのに!って。

 

せめて、ひとくちでも食べさせてやりたかった。

死ぬ前にひとくちだけでも。

 

死ぬ運命が避けられなかったというのであれば、

せめてもの願いとして、

ひもじいままで死なせたくはなかった。

最期に「おいしいね」と満たされた気持ちにさせてやりたかったと。

 

このお母さまが、人生で何度そう思ったことだろう、

何度それを口惜しく思ったことだろうと思うと、

そのことが、私を繰り返し、叩きのめすように、いたたまれない気持ちにさせるのです。

 

安全で、言論の自由が保障されている現代日本にいる私が、

やれ平和だ反戦だと、口幅ったいことは申しますまい。

私だって、当時の日本に生きていたら、いっぱしの軍国少女だったのかもしれないのですから。

それに、今こうしているこの瞬間にも、シリアでは空爆の煙幕になるようにと、子どもたちが命の危険を冒しつつ、古タイヤを燃やしているのですから。

 

ただ、それでも、私の心に引っかかる点をあげるとしたら、

それは、私の母校が、すでにこの世には存在しないということです。

 

もちろん今でも学校自体は存続しています。

しかし、件の校舎は老朽化と耐震能力に不安があるとのことで取り壊されてしまいました。

 

校舎が建て替えられたのは今から10年前ほど前。

終戦から約60年で、取り壊されたことになります。

 

たった60年!

 

命をかけて学び舎を守れと若い命をふたつも犠牲にしながら、

たった60年で、古くなったからとあっさり取り壊してしまう。

 

耐震補強は技術的に難しかったのでしょう。余計にお金がかかったのかもしれません。

 

でも、そこにお金をかけてこそ、先進国の名に恥じないと思う私の感覚は少しおかしいのでしょうか?

若い、若すぎる命を、建造物と引き換えにしておきながら、その建物をたったの60年でさっさと捨て去ってしまう、それがこの国のかたちでしょうか、この国のこたえでしょうか。

 

・・・けれども、そんな私も特段、取り壊しに反対はしませんでした。

 

わからなかったからです。

あの石碑の裏に名前のあった生徒さんのお母さまのお気持ちが。

 

わが子が命がけで守ろうとした校舎がなくなることに反対なのか、

それとも、内心では、

戦時中のこととはいえ、一時は、わが子の命よりも価値の重かった校舎など、

いっそこの世から消えて無くなれと、思っていらっしゃるのかが。

 

これは本当にわからなかった。

考え続けて、今でもわかりません。わかろうはずもありません。

わかってもいけないのです。

こんな悲しい出来事は、二度とあってはいけないのですから。

 

母校の前を通り過ぎるたび、モダンで瀟洒な新校舎が目に入ります。

 

その度に、これは一体なんだろう?と不思議な気持ちになります。

 

私の母校は、もう、どこにもありません。