「母の日」に夫が株を上げた話。
みなさま、こんばんは。
「母の日」でしたね。
「母の日」と言えば、小学生のころ、お小遣いを貯めて、母に小さなブローチをプレゼントしたことがあります。
応対してくれた店員さんが、小学生の私にいたく感心して、
「将来、子どもを持つなら、絶対に女の子がいいなあ。」
と言ったのを鮮明に覚えています。
もちろん、その言葉には幾分かの「お客さんへのリップサービス」が含まれていたのでしょうけれど、それでも小さな女の子が母の日のギフトを選びに来ているという光景は、店員さんから見ても、微笑ましく、好ましいものであったのでしょう。
以来、一度も欠かさず、母の日のギフトを送り続けて〇十年・・・
結婚してからは、夫の母に対してもなんらかの贈り物をしなくてはなりませんから(放っておくと夫はなんにもしない)、この季節はいつもなんとなく気忙しく感じられます。
そんな私にも忘れられない「母の日」があります。
それは、娘を出産して初めて迎える「母の日」。
まだ赤ちゃんの娘を抱えて、毎日がバタバタ、母と義母へのギフトを送付した後は、もう「母の日」のことなんてすっかり失念して過ごしていたのですが、
外出していた夫が、カーネーションの花束を抱えて帰宅しました。
その夫を見て、私は開口一番、言いました。
「どないしたん?私、今日、怒ってへんよ?」
(注:お付き合いの長いみなさまはご存知だと思いますが、我が家の夫はケンカの後にお花を買って帰るのです。)
そうしたら夫が言いました。
「これはまる子(←娘のこと。もちろん仮名です)からだよ。買い物してたら、
「今日は「母の日」やからママにお花買ってきて。」
ってまる子から電話があってん。だから買ってきた。
はい、ママ。いつもありがとう。まる子より。」
って。
どんな時も、いついかなる状況にあっても、とにかく「ちゃかす」ことに最大限の努力を惜しまない大阪人である私も、この時ばかりは「まああああ!」って素直に感動しました。
まさか、まさか、自分が「母の日」のギフトを受け取る側になっているなんて!
そりゃもちろん、自分がすでに「お母さん」であることはわかっていましたけれど、「母の日」という行事の対象に自分が含まれているなんて、その時その瞬間まで、まったく気づいていなかったのです。
娘を出産したすぐ後、病院の看護師さんに、「まる子ちゃんのお母さん」と呼ばれた時の、あの照れくさいような、面映ゆいような、そして誇らしいような、なんとも言えない感情が、再び鮮明に湧き上がってきて、私は娘を抱き上げ、
「ああ、そうだ、この子のおかげで私はお母さんになって、「母の日」に祝ってもらえる対象になったんだ、なんてありがたいことだろう。」
としみじみ娘に感謝したのでした。
は?
もちろん、夫にもありがとう、って言いましたよ。
確かに言った!
言った気がする・・・。
言ったかな・・・?
きっと言った!!
言ったと思う・・・。た、たぶん・・・。
ま、そこはどうでもいいとして(←よくない)、
この時、私、本当にうれしかったんでしょうねえ・・・。
喜びのあまり、「こんなことがあった!」と友人たちにメールを送りまくってしまいました。
今なら絶対にやりませんけれど・・・出産後って、どうもおかしなテンションになってしまうんですよ・・・感情の振れ幅が大きくなるというか、振り切ってしまうというか・・・
そうしたら、友人たちの間では、夫の株が急上昇。
「なんてやさしいだんなさん!」
「マミーはいいなあ!」
「うらやましい!」
の大合唱になりました。
でも。
もちろん、それだけで済むはずはないのでありまして。
その後には、
「それに引き換え、うちの夫ときたら。」
「母の日の「は」の字も出なかった!」
「マミーからのメールを印籠のように夫に見せたら「やべー」って顔してたわ!」
なんてメールがわんさか届き、
夫「俺さあ、あなたの友だちのだんなさんたちに、これから永遠に恨まれるよな。」
と夫がしょんぼりする結果になりました。
でも、以来、私の友人たちの間では、夫の評判は頗る良いものになりました。
もちろん、私の中でも同じく。
よく女の人は昔のことをいつまでも覚えてるって言いますけれど、
それって悪いことばかりを覚えているわけではなくて、いいことでも同じなのです。
心揺さぶられるほどにうれしかったことは、いつまでもいつまでも忘れられないもので、
だから、それ以来、夫に対してなにか、
む。としたり、
むか。としたり、
むっかー!としたりすることがあったとしても、
「まあ、最初の母の日に、ああやってカーネーションを買ってきてくれた人だもの、私には過ぎた人よね。あの日はうれしかったんだもんね。」
と思えるようになりました。
あの日のカーネーションは、母になれた自分の幸福を再認識させてくれた、大切な記憶です。
おまけ。
先日の編みぐるみのしいたけ。
わっとさんの期間限定アイコンとして使っていただけました!
もうねえ、ほんっとにうれしくって、スクショを撮りまくり!
ひとりできゃあきゃあ言いました。ほほ。
で、その編みぐるみしいたけ。
針山として、最高なんですよ、これが。
ね?
抜群の安定感。
でも、わっとさんのアイコンになった「しいたけ」を見てから、このしいたけに針を刺すことにすんごい罪悪感を感じるようになりました。
いや、本物のしいたけは真っ二つに切ったり、みじん切りにしたりしてるんですけどね!
でもでも、これはわっとさんに使っていただけた、特別なしいたけですから!
これはいつまでも針山にしとくわけにはいかない!
で、
無事、ストラップとして生まれ変わりました!
これをつけていたら、なんかいいことがありそうな気がする!
わっとさんみたいに、「はてな」界隈で愛される存在になれたらいいなあ。(←身の程知らず。)
ついでに、
キノコもストラップに。
これは娘の所持品になりました。
あ、それと「しいたけ」と言えばねえ。
講談社のこの絵本、おもしろいですよ・・・。
途中、あまりの「しょうもなさ」に「ははっ。」って笑ってしまうのですが、こういう笑い、キライじゃないです。
最近、すごい人気のようで、書店でも平積みになってますので、お見かけになられたらぜひ。
おまけ2。
今日の「母の日」。
娘がケーキを焼いてくれました。
色々あっても、私はきっと幸せです。
いつもと違う
先日、かわいい本を見つけました。あみぐるみの。
かわいいんですよ~。表紙のバンビにひとめぼれ。
んで、さっそく編んでみようと思ったら、
この作家さんのあみぐるみって、ちょっと変わってるのです。
あみぐるみを編むときは通常、毛糸をぐるぐると丸く編んでいくのですが、
この本のあみぐるみは、型紙に合わせて裁断した布地のように、編み地を平坦に編んでいくイメージ。
最初はちょっと戸惑いましたが、かかる時間は普通のあみぐるみとそう変わらずにできました。
バンビ。
かわいい。
で、おなじ作家さんの、違う本の表紙もかわいい。
表紙がアルパカ・・・めずらしい!
編みました。
かわいいっ!
これ、なにが大変だったかって、お花の冠!(←そこ?)
だって、アルパカのお耳が小さすぎて・・・仕方なく、刺繍糸を3本どりにして編みました。(刺繍糸は普通6本どりなので、それをより分けて。めんどくさいったら!)
アルパカといえば、isakuさんですよねえ。
最近、記事の更新が止まっているのはお忙しいからなのでしょうけれど、お元気なのかしら。
ご多忙なのはわかってますから、無理は言いませんし言えませんけれど、
またこんな記事が読みたいなあ。最近、おもしろい広告ないんだもん。
さっきの花の冠つきのアルパカをアイコンにして新しい記事をお書きになったら、またまた女性読者さんが増えるかもしれないですよっ!(←いつもの軽口です。どうやって断ろうかとお悩みにならなくていいんですからね?)
で、で、まだまだ編みます。
うさぎ。イチゴ狩りのイメージ。
イチゴがすっごくかわいくて、キノコもおんなじように編めます、とのことだったので、キノコもついでに編みました。
うんうん、かわいい。ちょっとサイズ的におかしいけれども。
でも、ちょっと目を離したすきに、
うさぎ、倒れる。
この状態を見た家族は、
「キノコの毒にやられたんやねえ。」
「イチゴ狩りに来たのに、欲を出してキノコなんかに手をだすから。」
「なまじ、しいたけに似てたから騙されたんやねえ。」
うさぎ、けちょんけちょん。
かわいそうだったので、安心して食べられるしいたけを編みました。
うんうん、しいたけ。
これなら安心。
わりと「しいたけ」感が出てると思う・・・我ながら。
しいたけと言えばわっとさん、このしいたけ、期間限定アイコンにどうですかー?(←ずうずうしいというか、コワいもの知らずというか・・・失礼なおばさんですみません。)
内心、これをストラップとかにして「読者倍増!ラッキーアイテム」!とかって売り出したら「はてな」界隈では売れるんじゃないかと思った・・・や、やりませんよ?
そろそろ暑い季節がやってくるので、しばらくは毛糸を見るのもイヤな毎日が続くでしょう。
また毛糸が恋しくなる季節まで、しばらく編み物はお休みです。
次に編み針を引っ張り出すときには、一体何を編みたくなっているのやら。
今からちょっと楽しみです。
まるまるまる+まる
みなさま、こんばんは。
すっかりご無沙汰してしまいました。
ちゃんと生きてましたよ~。今も生きてます!
さてさて、先日。
またもや近所の小学校に読み聞かせに行ってきました。
担当は3年生のクラス。
新学年が始まってなにもかもが新しい時期に合わせて、私も初めて読む絵本に挑戦。
選んだのはフランス人作家エルヴェ・テュレの「まるまるまるのほん」。
とってもシンプルな表紙。
でも、あらかじめ読んでみると、この絵本は本当に楽しい。
「読む」ということだけでなく、「参加して楽しむ」ための要素がたくさん入っていて、目から鱗というか、シンプルな絵だけで、こんな楽しみ方ができるんだなあ、とその仕掛けにびっくりしました。
ただ、今回の担当クラスは3年生ですから、ちょっと物足りない気もする(3歳児くらいにぴったりな感じ)・・・、それに私の読む技量が拙くて、この楽しさが伝わらなかったらどうしよう、と、ちょっぴり不安になりながら出かけました。
でも。
めーっちゃ、盛り上がりました!
(やったね!)
最初のページに、ちいさな黄色い「まる」がひとつ。
「おしてみて」
の言葉に、その小さな「まる」を押すと、次のページでは「まる」がふたつに。
ひとつの「まる」がふたつになっただけなのに、子どもたちは「あっ!」と声を上げて「ピコーン!」と反応、次のページから
「さすってみて」
「クリックしてみて」
「本をゆすってみて」
次々とくり出される指示に従うたび、どんどん変わっていく「まる」の変化に大喜びしていました。
普段、学校で私が読み聞かせをする場合、教卓の前からなるべく動かないようにしています。
家で自分の子どもに読み聞かせをするのとは違って、学校での読み聞かせは、そのすぐ後に授業が控えていますから、できることなら子どもたちの意識を、授業と学業にスムーズに移行させたいと思うからです。
でも、この絵本は参加した方が絶対に楽しい!
なので、今回は机の間を歩き回りながら、
「次は誰?」
と子どもたちに絵本を差し出し、「まる」を押したりさすったりしてもらいながら読みました。
子どもたちは「我こそは!」と大はりきりで手を挙げ、あててもらうために猛アピール、その一生懸命な顔と言ったら!(かわいくっておかしい。)
私も不慣れなもので、どうしても前の方に座っている児童を指名してしまい、
子どもたちから「Aくん、3回もやってずるい!」との声も。
「数えてたんかい!」
とそれも笑いのツボに入ってしまって、今思い出してもクスクス笑ってしまいます。
ちょっとだけ中身を・・・
この場面は、ページにかかった「黒」を
「息でふうっと吹き飛ばして!」
の指示の部分なのですが、子どもたちは真剣にやるんですよ、「ふうぅぅぅぅ」って。
「もっともっと手をたたいて」
のページでは、「たたきすぎて手が痛い~」と言い出す子まで。
正直、これほどまでにビビットな、そして強い反応が子どもたちから返って来るとは想像もしていなくて、読み終わった後、私はつい、
「おもしろかったね!」
と言ってしまいました。これもいつもの読み聞かせからすると異例のことです。
だって、読んだ本が「おもしろかった」かどうかの感想は、本来、子どもたちひとりひとりのもの。
読んだ私の方から、子どもたちに対して、「おもしろかったね!」などと、感想の押しつけになるようなことは決してするまいと、常々考えているからです。
なので、最後の「おもしろかったね!」のひとことは、余計だったなあ、とその点は猛烈に反省しています。
読み聞かせの後、ボランティアのメンバーが集まった中で、
「あんなに盛り上がるとは思わなかった」
と言いますと、私の読み聞かせを廊下で見ていた他のメンバーから、
「自分からあれだけ盛り上げといて、その言い草?!」
と盛大にツッコまれました。ほほ。
「まるまるまるのほん」
すーっごく盛り上がります。超絶オススメです。
んで。
「まる」と言えば。
marcoさん。(←無理矢理)
先日、ブログ上でやり取りをしているうちに、私が持っているフラミンゴのフェーヴをmarcoさんに差し上げることになりました。
その辺のやり取りについてはmarcoさんのブログに詳しく書かれてますので、そちらでどうぞ~。(注:marcoさんはめっちゃ褒めてくださってますけど、実際の私はもっとくたびれてます。ええ、ズタ袋なみに。とほほ。)
marcoさんは奥ゆかしい方なので、なんにもおっしゃいませんけれど、
でも、私から「差し上げますよ~」と言いだしたくせに、marcoさんのお返しの方が早く届くという、なんともお粗末な顛末になりました。
で、marcoさんからのお返しがすごかった!
これ。
じゃじゃーん。
こ、これは・・・LOVIのニョロニョロオーナメント!
marcoさんのブログで見て、めっちゃ欲しかったやつ!!!
コメント欄で「いいなあ、ほしいなあ」と言ったのを覚えててくださったんだなあ。じーん。
だけどお高いんですよね・・・これって。
明らかにフェーブよりも高いんですが・・・またまた「海老で鯛を釣る」ってやつをやってしまった・・・。
やばいなあ、marcoさん、怒ってないかしらん。
と反省しつつも、うれしくってすぐに作り出す私。(←反省が長続きしないタイプ)
パーチ材に切り込みが入っていて、それをくり抜いたらいいわけですが、これがなかなか緊張します。
ニョロニョロの手とか細い・・・ぱきん、と折れてしまいそうでびくびく。
なにしろ根っからのぶきっちょ、そして「いらち」。
「コワいコワいコワい~折れそう~!」
とわあわあ言いながらパーツをくり抜きました。
くり抜いたところ。
ここでもう、「一仕事やり終えた!」感が満載。
でもこれで完成ではない。(←当たり前)
ここから「組み立て」ていくわけですけれど、む、むずかしかった・・・。
パズルとか立体工作とか苦手・・・
ああでもない、こうでもないと四苦八苦。
たぶん、marcoさんの10倍の時間をかけてできました!やっと!
かわいい~!!!
色合い、風合い、佇まい、なにもかもがかわいい!
もとは一枚の板だったなんて想像もできない!
こんなこと考え出せる人ってすごいなあ!
矯めつ眇めつ、うっとり眺めている時間の幸せなこと。
小さいものってどうしてこんなに人の気持ちを惹きつけるのでしょうか。
フェーヴも小さいからこそ、あんなに魅力的なんだろうなあ。
うちのニョロニョロも呼んでみました。
うーん・・・
やっぱり小さい方がかわいい。そしてニョロニョロは集団になってこそかわいい気がしてきた・・・量産するべき???(←誰に聞いているのやら)
久々のムーミン一家。
marcoさんからのオーナメントニョロニョロのおかげで、ぐっとかわいさが増したような・・・
marcoさん、ほんとにありがとうございました。
ずーっとずーっと大切にします!
ちなみに、marcoさんのブログを拝見するたびに感じるのは、marcoさんって「引き出しの多い人だなあ」ってこと。
本・猫さん・お料理・趣味のいい食器群・ぴーちゃん(marcoさんの愛鳥さん。かわいいのです。)、古地図に建物探訪、お酒に雰囲気のあるお店、etc、etc・・・
「更新のお知らせ」が届くたびに「今日はなんのお話かな?」ってわくわくします。
(最近はダイエットのお話も多くて、そのたびにビクーっとします。)
文章から立ちのぼるmarcoさんの明るくさっぱりとした為人や豊かな知性、感性にも憧れずにはいられません。
時々ちらりと見えるおうちの中の雰囲気もとっても素敵。
あんなおうちに住みたい♡(←掃除キライのくせに厚かましい望み)
marcoさんのお料理つきで♡(←ずうずうしさの極み)
もしもご近所に住んでいたら、しょっちゅうお伺いして、marcoさんのお料理を食べ散らかし、marcoさんが読んでる本を横からのぞいて、なんでもかんでもまねっこしたがってmarcoさんから鬱陶しがられることでしょう。
ぴーちゃんからも「いいかげん帰りなよ。」って突っつかれるかもしれません。
それでも、やっぱりご近所だったらな~、としみじみ思います。
いつか絶対、東京に遊びに行くぞ~!おー!!
スマホが死んだ。
みなさま、こんばんは。
そしてお久しぶりです。
久しぶりの記事でいきなりですが、
スマホが死にました。ええ、私の。
2014年の秋から使い続けて約3年半。
そろそろ買い替えようかなー、ちょっと調子悪いなー、と思っていた昨夜。
突如、本当に唐突に、疑いようもなく、決定的に動かなくなってしまいました。
これまで携帯電話の類は、まだ動く状態での機種変更をしてきましたので、こんな風に「うんともすんとも言わなくなった」スマホを見ることは想定外。あまりのショックに愕然としています。
今日はこれからもスマホとつき合っていくために、
「スマホが突然死んで困ったなあと思うこと」
を上位から書き留めて、今後の戒めとしたいと思います。
1.電話がつながらない。
当たり前ですけれど、電話ができません。
もちろん自宅の固定電話は生きていますが、お仕事先にはスマホの電話番号をお知らせしています。
週末ですから連絡が入ることはないと思いますが、今は年度末。年度始めも控えています。要するに、めーっちゃややこしくて忙しい時期。
万一、仕事がらみの連絡があったらどうしようと、心配はつきません。
2.スケジュール表が見られない。
お正月前には確かに購入した「紙の手帳」。
でも、結局のところ、スケジュールも友人との約束もみーんなスマホに入れてしまうんですよね。
「明日、なにか予定があったっけ?」
を確認できないもどかしさ。
誰かを駅で待たせることになったらどうしよう、と今、軽い恐慌状態です。
3.写真が見られない。
いつか、「はてな」で記事にしようかな、と思ってパシャパシャ撮りまくっていた日常の写真。
それから娘の写真や旅行先での写真。
私の写真はいつもブレブレですから、なーんの値打ちもありませんが、それでもやっぱり少しショック。
「お仕事の役に立つかな」とメモ代わりに撮っていた写真も、もう2度と見られない・・・記憶に残っている間に少しでもお仕事にフィードバックしなくては、と焦っています。
4.「森」に行けない。
どうでもいいことかもしれませんが、こっそりコツコツ楽しんでいた「どうぶつの森ポケットキャンプ」。
毎日必ず手を入れていたのに、アクセスすらできません。
ただいま、第1回目の「釣り大会」中なのにっ!
「レベル90」目前だったのにぃぃぃぃぃぃぃっ!
キャンプ場の模様替えをするたびに撮りためていたスクショも全部「ぱあ」だな・・・とほほ。
5.知人との連絡が不可能に。
PCで閲覧可能なメール、Twitter、FACEBOOK、「はてな」などはいいのですが、LINE、カカオトークはスマホでのみ使用していたので、まったく閲覧できなくなりました。
特にLINEは深刻。
PTAの連絡はすべてLINEだったので、今ごろ、既読すらつかない私のことを、「不真面目な!」と怒っているPTAの方がいるのではないかと思うと冷や汗ものです。でも連絡できないんだもんね。しょうがないじゃんね。
次に会ったら平謝りの予定。できることなら、もう会わずに逃げ切りたい。可能かな・・・?
それから、ごく親しい友人にも既読がつかなくて不審に思われてる可能性があります。
特に「大阪府堺市在住のY子さん」!ここ見てる~?!今、スマホ使えないのー!何かあったらメールしてねー!(←おまえがしろよ。というツッコミはいりません。今、大ショック中なので。)
6.家族に馬鹿にされる。
スマホを買い替えたとしても、これまで通りにTwitterやFACEBOOKを使うことってできますよね?
でも、私、ありとあらゆるパスワードを忘却・失念していることが家族に発覚。
それで娘からさんざん馬鹿にされました。
買い替えにあたって、必要なことを娘が教示してくれるのはいいのですが、何を聞いても、「に、日本語でお願い・・・」って感じで、娘には、
「これ以上簡単に説明できない。理解してよっ!」
と匙を投げられました。
誰にだって苦手な分野ってあるじゃないですか。もうちょっとやさしく教えてくれる子に育ってくれてたらなー、とちょっと切なくなりました。(←自業自得)
こんなに機械に弱い私でも、日々の生活にスマホが欠かせなくなっていることを、今回とても強く感じました。
そしてスマホという機械が、本当にいきなり動かなくなるってことも。
これからは2年くらいをめどに買い替えた方がいいのかなー?よく知らんけど。
それにしても、なにもこんな年度末の、気ぜわしい時期に壊れなくってもいいんじゃないかと思うんですよね。
電話番号の引き継ぎやらなにやらで、すぐには新しいスマホを手に入れられるものでもないみたい。
新しいスマホが来るまで、落ち着かない生活が続きそうです。あーあ。
恐怖のバレンタインデー
今週のお題「バレンタインデー」
みなさま、こんばんは。
今年もバレンタインデーが近づいてきましたね。
私くらいの年になると、もうバレンタインデーなんて、心の底からどうでもいいと思える話になるんですが、去年のバレンタインデーには「ほんま、えらい目」に遭いました。
忘れもしません。
去年の2月13日。
学校から帰宅した娘の顔が暗ーいのです。
娘は感情がそのまま顔に出てしまうタイプで、彼女が何かイヤなことを抱えて帰って来ると、私はすぐに気がついてしまいます。
で、夕食の席で、さりげなく学校での様子を聞きました。
そうしたら・・・
娘「明日のバレンタインデー、うちのクラスでは女子が男子にチョコをあげることになってん。だからキットカットの大入り袋を買ってきた。」
ふーん。
最近はそういうこともクラスみんなで盛り上がるのねえ。
私が高校生だったころとはずいぶん趣が違うなあ・・・
好きな男の子を校舎の裏に呼び出してこっそり手作りチョコを手渡したり、手紙つきのチョコレートを机やロッカーに入れたりする文化はなくなっちゃったのねえ。
なーんてしみじみしていますと、娘が
「私はそんなことしたくないねん。」
となんだか暗い顔。
何が気に入らないのか知りませんが、どうもふてくされているように見えたので、
クラスで決まったことなら、参加した方がいいのでは。
とか、
イヤなんだったら、その場で言えばいいのに、決まった後でグズグズ言っても今さら遅いんじゃないか。
とか、色々説得してみたのですが、娘の態度はますます硬化していくばかり。
これは何か変だな~、おかしいなあと思って、ちょっときつめに、「はっきり言いなさい」と言ってみましたら・・・
娘「だって、みんなシフォンケーキとか、カップケーキとか、手作りのチョコを持ってくるって言うねん。でも私は自分では作れないから、キットカットにしてんけど・・・」
まあね。
娘が台所で何かしてるのを見たことないし(←娘は料理に興味なし)、私もお料理を教えたりしないし(←めんどうだから)、そりゃチョコもケーキも作れますまい。
でも、いいやん。キットカット。
おいしいやん?
娘「でも、でもさ。み~んなが手作りのチョコとかケーキとか持ってきてるのに、私だけキットカットじゃ、見劣りすると思わない?」
と、ここで娘は「ほろほろほろ~」と泣き出しました。
えー?!
泣く?
そんなことで。
もう高校生なんですけど・・・。
そういえば中学生のころには、この子、病院へ行く途中で転んでしまい、
「ママー。こけたー。痛い~。えへへへ・・・ええ~ん」
って電話かけて来たことあったなあ、と、これまたどうでもいいことを思い出しつつ時計を見た私は絶望的な気持ちになりました。
だって、その時点で時間は午後7時35分。
同級生と同じように手作りのチョコレートなりケーキなりを持って行きたいと、娘が泣くほど望んでいたにしても、2月13日の夜7時35分から一体どうしたらいいと思います???
ひとつやふたつならなんとかなるにしても、クラスで交換(女子も含む)となれば、同じものが40~45個は必要になります。
そんな数のチョコレートも卵も小麦粉もない・・・
いや、24時間営業のスーパーなんていくらでもある、問題は近所の100円ショップ!
要するに、「手作り」だけではダメなんでしょう。
それなりにかわいく「ラッピング」してあることが重要なんだろうから、この場合、その包装材が必要なわけです。
↑
こういうやつね。
でも近所の100円ショップの閉店時間は午後8時!(うちからショップまでは急いで10分くらい)
しかも私はその時点ですでに入浴を済ませていて頭はボサボサ、もちろんノーメイク。
娘に買いに行かせようかとも思いましたが、我が家では夜遅くに娘をひとりで外出させることはしないし(←過保護)どのみち私が付き添わなくては、どんなものを選べばいいのか、本人もわからないまま、すぐに閉店時間になってしまいそうです。
「あきらめなさい。時間がないから。」
って言うか、それとも私がなんとかするか・・・
2秒ほど悩みました。
泣いてる娘を見ながら。
で、その1秒後、ボサボサの頭に帽子をかぶって、ノーメイクのまま自転車の鍵をつかんで、家を飛び出しました。
私ねえ、必死で自転車を漕ぎながら、
「ありえへんわー」
って思ってました。
だって、すっぴんですよ!?この年で!(←そこ?)
ツッコミどころは満載で、
どうしてもっと早くに言ってくれないのか、とか、
どうして私がフォローしなくてはならないのか、とか、
言いたいことはいっぱいありましたけれど、
やはり娘に泣かれると弱いんですよね。
ほんっと過保護です(反省)。
で、閉店間際の100円ショップに飛び込んで超特急でラッピング材を買い込み、その足で24時間営業のスーパーに立ち寄って、卵やバター、小麦粉などを仕入れてまたまた猛ダッシュで帰宅。
真冬なのに大汗をかきました。
でももちろん、そこからが本番。
なにしろ約40人に行きわたるだけの手作りお菓子を作らなくてはなりません。
時間もないし、家庭用のオーブンで一気に焼くことができるといえば、パウンドケーキくらいでしょうか。
簡単なケーキですが、卵を室温に戻す時間もないくらいで、しかもそんなにも大量に一気に作った経験もないので、ちゃんと膨らんでくれるのか不安でオーブンに張り付く私。
そんな私に、ちょっと申し訳なさそうな顔で張り付いている娘。
で、オーブンの中のケーキが膨らんできたのをみて、
「ああ、ふくらんだ!よかった~」
と隣にいた娘に言いますと・・・
娘「よかった~。じゃあ、私明日早いから寝るね!おやすみ~」
と自室に戻って行きました。
・・・いいけどね・・・別に。(←すでに説教をする元気もなし)
どのみち、役に立ちそうにないし・・・(←この態度が娘がなんにもできない理由)
焼き上がり。
単なるパウンドケーキじゃさびしいかなと思って、マーブルケーキにしてみました。
急いだわりにはちゃんと膨らんでくれて一安心。
でも。
でもでも。
ここで終わりではないのです。
ここから悪夢のラッピング開始。
まずケーキを45等分にして・・・ひとつずつ袋に入れて・・・娘が買ってきたキットカットも同封して・・・
ひとり分ができあがり。
この作業がめんどくさい!!
ひとり、ちまちまとラッピングしていましたらいつの間にやら時計は深夜0時を回っていました。
これではいつになったら終わるのやら・・・仕方なくPCをいじっている夫にも頼みました。「手伝って」って。
夫はちょっと「むっすー」としつつも手伝ってくれました。
夜中にこんなことを頼んだから気に入らないのかな?と思いながらも、とにかく「早く終わらせないと!」と私も必死、黙々と作業をしていたら、夫が言いました。
夫「・・・これ、まる子(←仮名です)のクラスの男どもは、まる子が包んだと思うんやろうなあ。」
は?そうやろうねえ。
夫「まさか、こんな40過ぎのおっさんが包装したとは思わへんやろなあ。」
なんでそんなわかりきったことをわざわざ言うのだろうと思ったので、ただうんうん、と聞いていましたら、叫びました。夫が。
「ザマーミロー!」
って。
なので言いました。
「もう。
見苦しいな、こじらせた男子高出身者は。
黙って包んで!」(←鬼)
そうして夜中の1時を過ぎるころ、やっと大量のラッピングを済ませて、
私たちも休むことができたのでした。やれやれ。
翌日。
お友だちが作ったという大量のお菓子を持って娘が帰ってきました。
「ママのケーキ、好評だったよ~。」
と言う娘の顔には翳りがなくて、私もがんばってよかったとちらっと思いました。
すっぴんでお外に出たのは痛恨事だったけど(←問題はそこじゃない)。
ところで。
持ち帰ったお菓子の山を前に、その夜、娘が言いました。
「今回のイベントの言い出しっぺで、一番盛り上がってわあわあきゃあきゃあ言ってた子がさー。
キットカットの大入り袋持ってきてた。」
娘よ・・・。
そんなオチ、いらんわ。
浪華三大橋・難波橋それから中之島を歩く
みなさま、こんばんは。
前回までの記事で「浪華三大橋」のうち、天満橋と天神橋とをご紹介しましたが、今日は浪華三大橋3本目、「難波橋」をみなさまと一緒に渡って最終回としたいと思います。
でもお出かけしてからもうずいぶん経つんですよね・・・
既にかなり忘れちゃってるな~。(←記事にするのがめんどくさくなったと遠回しに言ってます。)
お出かけを記事にするならグズグズせずにさっさとするのがコツなんだあ、と今、しみじみしています。
てことで、まずは天神橋を降りた後、中之島公園を歩きます。
うーん。
誰もいない。
やっぱり寒いからね、うん。
でもこの中之島公園は初夏になると人であふれかえるのです。
なぜなら有名な薔薇園があるから。
今はこーんなにさびしく見えるでしょ?
でも、去年の5月ころには
ほら。
満開の薔薇が迎えてくれます。
薔薇の香りが川からの風にほのかに乗って、それはそれは気持ちのいいお散歩が可能になるのです。
お花がないと、しょぼしょぼした感じの薔薇園。
さびしいので去年の写真を貼っときますね。
ほら!
ほらほら!
人がいっぱい!(私は写ってません。)
お花が好きな方のために、薔薇の写真も貼っとこう。
・・・実は去年もブログに載せようと思って中之島公園に行ったんですよね。
記事にするのがめんどくさくなって、放置しちゃってましたけど。(←怠け者)
半年ぶりにやっと記事に載せることができました。
ああ、満足。
で、現在に戻ると。
薔薇なし。ほぼ無人の公園に川風が冷たい・・・
やっと難波橋が見えてきました。
難波橋。
中之島公園は難波橋よりも下にあるので、こんな風に見上げる形になります。
大阪市の市章・「澪標」があしらわれているのが確認できます。
登ってみましょう。
難波橋のシンボル、ライオンさん。
左が「阿」で右が「吽」。狛犬形式ですね。
難波橋はこのライオンの像にちなんで「ライオン橋」とも呼ばれます。
橋の上には
こんな塔みたいなのも建ってるんですが、一体なんの目的があるんだろう?
よくわかりません。
ご存知の方がいらしたらぜひ教えてください!(←他力本願)
中之島公会堂は国の重要文化財。「大阪市中央公会堂」というのが正式名称なんですが、大阪市民のほとんどは「中之島公会堂」もしくは「中之島中央公会堂」と呼びます。
なんとこの建物、個人が寄付したものらしいですよ・・・すごい。
今でも一般利用が可能で結婚式なんかにも利用できます。
こんなにも重厚でレトロな建物で結婚式。
ちょっと憧れます。
現在は再開発されて、周囲に広々とした空間が広がっていますが、私が子どものころは、この一帯には木々が鬱蒼と茂っていました。
小学生のころには先生に引率されて、写生に来たことも。
大きな木の下に座って、木陰からこの公会堂の絵を描いた思い出があります。
大阪で育った人間なら、誰もがこの公会堂になんらかの記憶を持っていることでしょう。
そういえば、朝ドラ「あさが来た」で一躍有名になった五代友厚氏の像がある大阪取引所もこのすぐ近く。
今日も取引所には颯爽とした五代氏の姿が。
大阪の今の凋落ぶりをどんなお気持ちでご覧になっているのやら。
ところで、この界隈には最近すご~く評判になってるカフェがあるというのです。
建物からして素敵なんですよ。
大きいビルの間に挟まれた、小さくてかわいい建物。
あの中にお目当てのカフェがあるのですって。
正面にまわって見ると・・・
レンガ造りの建物が好きな人にはたまらない感じ。
今、大阪で一番人気のカフェ「北浜レトロ」です。
看板がわりのポットにもテンションが上がります。
「入ってみよ~っと♪」と勇んでドアを開けたら・・・
・・・なにこれ。
あまりの人気に1時間待ちは当然だそうで・・・「いらち」な私は即座にあきらめてドアを閉めました。楽しみにしてたんだけどな・・・あーあ。
もしも興味のある方は、
「いつまでしゃべっててもちっとも苦にならない!」どなたかとご一緒に、待ち時間覚悟でお出かけください。
私は・・・もういいです。はい。
帰り道。
せっかくなので大阪市役所のお隣、大阪府立中之島図書館に立ち寄りました。
中之島公会堂に負けず劣らず美しい建物。
大阪大空襲からも奇跡的に生き残り、こちらも重要文化財に指定されています。
訪れるたびに、よくぞ焼けずに済んでくれた、としみじみ思います。
現在は東大阪市に「大阪府立中央図書館」が存在するので、蔵書のほとんどはそちらに移設されています。
私は大阪市民なので、府立図書館であるこちらの図書館を使うことはありません。
府と市の図書館ももっと連携すればいろんなことができるかもしれないのに・・・と時々ちらっと思います。
図書館入口ホール。
このホールまでは写真の撮影が許可されています。
天井にはステンドグラス。
私の写真の腕ではすばらしさがちっとも伝わりませんけれども、この場に立ってみると独特の雰囲気に包まれます。
ほの暗い照明。
ふんわりとホールに響く音。
流れの止まった空気。
機能重視の建物も悪くはないですが、こんな建物が図書館ってちょっとうれしくないですか?少なくとも私はうれしいです。(←どうでもいい)
ということで、私の浪華三大橋、中之島散歩もこのあたりでおしまい。
帰りは御堂筋、淀屋橋駅から帰宅の途につきます。
豪商・淀屋にちなんだ「淀屋橋」。
大阪市民にもっとも馴染み深いこの地は、現在でも大阪の中心地です。
冬の日暮れはいつも駆け足で、あっという間に夜の侵攻を許してしまいます。
行き交う人々の表情もどこか先を急ぐ雰囲気で、私もそれにならって家路につきました。
春になればまた桜も薔薇も咲くでしょう。
去年とは違う花でありながら、去年と同じに見える風景がまた見られるはずです。
私たち人もまた、そんな花と同じような存在なのかもしれませんね。
結局今回も、グダグダのヨレヨレな記事になりました。
私よりも読んでくださったみなさまの方が「はあぁ~、やれやれ。」って気分におなりでしょう。心よりお見舞い申し上げます。(←どの口が言う)
最後までおつきあいくださって、本当にありがとうございました。
「みをつくし料理帖」舞台・浪華三大橋を歩く
みなさま、こんばんは。
今日は前回に続き、大阪・天満橋界隈をみなさまと一緒にお散歩したいと思います。
いつもの通り、グダグダな記事になりそうですが、どうぞおつきあいくださいませ。
さてさて、大阪の現在の中心地は、なんといってもキタやミナミの街なわけですが、昔は天満のあたりが中心だったのではないかと思います。
だってほら、見て。
天満橋の駅を降りてすぐの交差点からは、こんなものが見えるのです。
相変わらず、写真が下手。
でも通りの向こうに大阪城が見えているのをわかっていただけるでしょうか。
写真だとかなり遠くに見えますが、実際にこの地に立って見ると、ほんとに近くに感じられます。
横チンさんやmarcoさんのような健脚の持ち主ならあっという間にたどり着けることでしょう。
・・・は?
私ですか?
歩きませんよ。
この日の目的地は大阪城じゃないし。
そもそも今の大阪城は太閤秀吉の時代のものじゃなくて、徳川幕府時代のものですからね。ぺっぺっ。
それに大阪城に行くなら地下鉄「谷町四丁目駅」か、環状線の「大阪城公園駅」の方が便利です。
で、ちらっと見えている大阪城はスルーして、今日の目的地は「天満橋(”てんまばし”)」。
marcoさんも私も大好きな「みをつくし料理帖」。
高田郁さんの時代小説。
全10巻で300万部超の大人気シリーズで、去年、NHKでドラマになりましたから、ご存知の方も多いと思います。
その主人公「澪」が大阪で料理の修行を重ねたお店の名前が「天満一兆庵」といいますから、きっとこの界隈が小説の舞台のひとつなのでしょう。
天満橋。
裏側はというと・・・
天神さまのシンボル・梅の意匠があしらわれています。
天満橋から上流を望んだところ。
大阪は「八百八橋の水の都」と言われますが、天下の台所であった江戸時代においても、幕府が架けた橋というのはそう多くはありません。
大阪に数多く架けられた橋の多くは、商人や町民が自腹を切って架けたものが多く、幕府からの援助はほとんどありませんでした。(なので通行人からお金をとることが多かったんだとか。)
今でも大阪では、「お上」というものに対する考え方が他の地方とは少し違っている感じがします。
「お上」=信用できない、頼りにならない、あてにならない、という見方がうっすらと残っているような、「お上」のすることには興味を持つことすらできないような。
「みをつくし料理帖」の中でも、江戸の人々が「公方様」に対して持っている根源的な畏敬・遠慮の気持ちを、大坂出身の主人公がいまひとつ理解できずにポカンとする場面が出てきますが、そんなシーンに出くわすたびに、
「めーっちゃわかるわ~。」
とひとり頷いたものでした。
ところで現代の天満橋は「かさね橋」といって、二階建て構造になっています。
橋の建立記念に銅像を作ったんでしょうけれど、かさね橋の下の方に銅像を建てたのはあんまり納得できない・・・日当りが悪そうで、ちょっとかわいそう。
相変わらず意味不明なほど下手な写真ですが、向こうに見えているのが天神橋です。
せっかくですから、行ってみましょう。
天満橋を渡ってから、川沿いの道に出てみました。
川面に差す陽の光がまぶしいほどで、気持ちのいい散策ができそう・・・と言いたいところですが、この日はすんごく寒くて、お散歩日和とは言えない感じ。
だーれもいないの・・・。
普段なら、歩いてる人が結構いるんだけどな・・・
なんかこんな石碑を見つけて・・・
説明もついてたけど、寒くて立ち止まれない・・・
興味のある人は自分で調べてね!(←不親切)
大川沿い遊歩道。
大阪市民憩いの場所・・・だけど誰もいない。
寒いんだもんね。
こんな寒い日にこんなところを歩く人の気がしれません。
公共交通機関がうじゃうじゃ張り巡らされた市内のこんなど真ん中を、わざわざ歩く必要はないんだもんね、普通なら・・・ただ、桜の季節はここも超満員になるのです(ほんと)。
人混みが嫌いな方はぜひこの時期にご来阪ください。寒いけど。
で、「天神橋」。
「みをつくし料理帖」のラストシーン。
主人公の澪は幼馴染の野江ちゃんとふたり、この天神橋を渡ります。
水害のどさくさの中で人買いにかどわかされ、江戸の遊郭・吉原に売られてしまった幼馴染を、女の身で身請けしようとする主人公。
これでもか、と次々降り注ぐ艱難辛苦を耐えに耐え、主人公がようやく幼馴染を落籍かせることができそうになったとき、でも私はふと心配になりました。
女の身で遊女を身請けするなんて、それはやはりすごい噂になってしまうにちがいない。
身請けされた方の「野江ちゃん」は人々の好奇の目にさられて、その後の人生、肩身が狭くならないかしら。って。
なので、彼女たちが「大坂に帰る」ことを選択したときには、つと胸をつかれて思いました。
「そうやん!帰ってきたらいいんやん!
帰っとぉいで。帰っとぉいで。
大坂に帰っといで。」
ラストの数ページは、私の方がまるで「帰心矢の如し」、でも感動のあまり涙で字が読めなくなるほど泣きました。
天神橋から天満橋を望む。
昔の天神橋からは、きっと大阪城もはっきりと見えたことでしょう。
今の天神橋からは往時の趣を知ることはかないませんが、物語の主人公がこの橋の上で見た空の色を、同じ場所で想像した瞬間は、私にとってとても幸せな時間でした。
「みをつくし料理帖」全10巻。
全て文庫本での刊行ですから全冊そろえても大した金額にはなりませんので、未読の方はぜひ。
江戸時代に女の身で一流の料理人を目指す主人公。
荒唐無稽に思えますが、それを感じさせない展開で最後まで感動の連続です。
「なんかおもしろい本ないかなー」
とお考えの方にもぴったり。ぜ~ったい「泣けます」から。
マミーさんの保証付き。
全巻読み終わったら、最終巻の巻末に添えられた「料理番付」もお見逃しなく。
そこも号泣ポイントですからね!
さてさて。
タイトルにある「浪華三大橋」とは、今回たどってきた「天満橋」「天神橋」と「難波橋」の3つの橋を指します。
長くなりましたので(←余計なことしゃべってるから)、最後の「難波橋」のお話はまた次回に。
ますますグダグダのヨレヨレになる予定ですが、次回もどうかお立ち寄りくださいませ。
あ、それと。
「みをつくし料理帖」についてもっと詳しく知りたい方はぜひぜひmarcoさんのブログへGO!なんと作中のお料理の再現まで見られます。
ほんとにおいしそうなので空腹時に見るのはちょっと危険・・・。
よだれを拭うハンカチ必須です!
東京がもうちょっと近かったらな・・・
見るだけで食べられないなんて、ほんっとに残酷!
あーあ。(←自分で作れよ、って?・・・とほほー。)