めでたさもかわいさも「中くらい」がちょうどいいです。

 

先日のトトロ。

 

あんなにみなさまから褒めていただけるとは、正直まったく思っていませんでした。

たとえお世辞100%だったとしても、本当にうれしくって、最近ちょっとテンションが上がり気味です。

あらためてみなさま、ありがとうございました。

 

それにしてもトトロ人気のすごいこと!

トトロには、日本人の心に響く何かが内包されているのでしょうね。

 

で、

 

「中トトロと小トトロも!」

 

のお声をいただきましたので、調子に乗ってがんばってみました。

 

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じゃん。

 

中トトロです。

大きいトトロに比べると、大きさもいい感じです。

 

カメさん、大きさ比較に来てくださ~い。

 

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うんうん、これくらいなら許容範囲。

かわいいなって思える上限ぎりぎりに留まっています。

せっかくなので大きいトトロとも並べてみましょう。

 

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でん!

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でででん。

 

うーん・・・やっぱり「小さきものは、みなうつくし」の法則は枕草子の時代から変わらない気がします・・・。 

 

トトロがお好きなブナさん。

中トトロは合格点をいただけますでしょうか。

 

で、話しは変わるのですが。

 

以前、花舗ぽれぽれさまから我が家にやって来たマミー姫。

 


サボテンには「声をかけてあげるといい」と聞いて、毎日真面目に声かけをしています。

「大きくおなりー」って。

マミー姫に関しては中くらいなんて言わずに、ぐんぐんと!ジャックと豆の木のように!大きくなってほしいですから。

その効果でしょうか。

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じゃじゃーん。

ほら!ほらほら!

大きくなってるー!(←超うれしい!)

黄色いつんつんお花もかわいいのですが、白いとげとげもかわいいです。

 

でも。

 

でも、ですね・・・。

 

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この右端の子。

この子だけ、あんまり大きくならないのです・・・。

 

毎日おんなじように声をかけてるのですが・・・。

なんで?なんでなんで???

 

どうして均等に大きくならないのか、もしご存知の方がいらっしゃいましたら、

マミーにぜひご教示くださいね。

 

よろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

めずらしく。

普段忘れがちだし、できたら忘れていたい、だからあえて考えないようにしているのに、「はてな」をやっていると逃げられなくなってしまうものってありませんか?

 

私にはあります。

 

それは・・・

 

 

お掃除。(←大っ嫌い)

 

 

いつの間にか今年ももう10月中旬なんですって…。

今年が始まったのって、つい最近のような気がするんですけれども。

ついこの間まで暑い暑いって言ってませんでした?

今年、秋ってありましたっけ?

金木犀の香りもまだあんまり嗅いでないんですけども。

 

でも、カレンダーは確かに10月半ば…。

 

で、

 

はてな」の中の凄腕主婦のみなさまったら、もう大掃除はじめていらっしゃるんですってよ…。

流行に敏感とか、季節感先取りとか、さすがです…(←ちょっと逆切れ)

 

毎日そんなの読んでたら、やらなきゃなあって感じがしてイヤなんですよね・・・。(←ダイエットと同じ仕組み)

 

は?読まなくてもやれよって?

・・・わかってますけどねっ!(←完全に逆切れ)

 

仕方ないなあ、もう。

ということで今日は重い腰を上げて、換気扇の掃除をいたしました。

 

換気扇のお掃除って、家の中のお掃除の中で一番厄介なイメージがあります。

ホコリと油のダブル攻撃。

時間もかかりますし、細かいパーツ、高い位置、女性にはほんと重労働です。

 

なので、自他ともに認めるぐーたら主婦の私も、トイレとコンロ・換気扇周りだけは、毎日必ず掃除するようにしています。

汚れを溜めると後で「えらい目」に遭うことになるので、この場合、「こまめ」が最も楽ちんへの近道なのです。

 

でも、今年の私はちょっと違う!

なんといっても毎日「はてな」を読んでますから!

 

特に日々私を導いてくださってるのは、まみさん。

 

mamisinpuruseikatu.hatenablog.com

 

私のニックネームとちょっと似てますが、

ちょっとの違いが大きな違い。

同じ主婦と言ってもまみさんの場合、お掃除お料理、家計管理、なにもかもが完璧♡

そのまみさんのブログで日々お勉強しているので、私の換気扇掃除だって進化しているのです!ちょっとだけ・・・。

 

去年までは「重曹」を使って換気扇、コンロまわりのお掃除をしていたのですが、今年はまみさんオススメ、「セスキ炭酸ソーダ」を使って、お掃除してみました。

で、これがすごいのなんのって!

 

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大きなお鍋にセスキ炭酸ソーダを水と一緒にドバドバ入れて、ぐらぐら煮てみたのです。15分くらい。

そしたらもうそれだけでピカピカなのです!感動です!

一緒のお鍋に五徳のパーツも入れたら、そちらもピカピカです!

 

いつもなら、古い歯ブラシとかを使って、ファンの一枚一枚をせっせと磨かなければないのに、今年はそんなストレスもなし!

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換気扇フードの周りも、セスキ炭酸ソーダを水で薄めたものを吹きつけてティシューでパック。これは重曹でも同じくらいの効果があります。

 

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終了後。どこを触ってもツルツルしてます。

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コンロまわりもすっきりしました。

正直ね、コンロ、換気扇周りをすべて一緒にぜーんぶひとまとめにして大鍋で煮たい!って思うほどの威力でした。

セスキ炭酸ソーダ」を教えてくれたまみさんには深く感謝です!

 

これで年末の大掃除もかなり楽になるはずです。やれやれ。

 

あ、

 

「やれやれ」で思い出しましたけど。

 

今年も村上春樹ノーベル賞を受賞できませんでしたね。

ご本人もいいかげん、この時期のこの話題が鬱陶しいだろうなあって、ちょっと気の毒になってしまいます。

だって、他の賞の受賞者なんて、発表されるまで誰も知らないじゃないですか。

発表されて新聞にでかでか載った後でも、

 

「...ど、どちら様?」

 

って感じなのに、文学賞だけは一般人にもわかりやすくて、だからつい注目が集まってしまうのですよね。

 

そもそもほんとに受賞候補にあがってるかどうかすら誰にもわからないのに、毎年受賞前に大騒ぎして、勝手に落胆されての繰り返し。

もう少し静かに待ってあげたらいいのに、と思うのですが…まあそれも大きなお世話かもしれませんけれども。

(昔、ノーベル賞財団の図書館のような施設をテレビで見たことがあります。普段は非公開らしいですが。そこに日本人作家のコーナーもありましたが、収蔵されている本はほんのちょっぴりでした。ほんとにほんのちょっぴり。故遠藤周作氏の作品があったのを鮮明に覚えています。やはりキリスト者であったからかもしれませんし、偶然かもしれません。

やっぱり日本文学がアルファベット圏から外れていることは、不利だろうと思いました。)

 

でも今年の受賞者がボブ・ディランだったのにはびっくりしました。(歌手とは別に、ボブ・ディランって名前の作家がいるのかと思った…)

そこまで対象を広げたら、なんでもあり、になっちゃわないかしら。

まあ、それはそれで楽しいのかもしれませんが…。

 

出版社にしてみれば、新たな受賞者が誰であれ、過去の作品は注目を浴びて売れ筋になるでしょうから、多作な作家さんだとうれしいのかな。

ボブ・ディランが受賞者と聞いて、一番驚いたのは出版社だったのかも。

 

でも、ボブ・ディラン作の本がないわけでもありません。

今回の受賞で思い出した絵本が1冊。

 

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「はじまりの日」

 ボブ・ディラン作 ポール・ロジャース絵 アーサー・ビナード

 岩崎書店

 

これで読み聞かせをすると、子どもたちは「ぽかーん」としてますが、

なかなかいい絵本です。

ピースフルで明日への希望に満ちた1冊。

 

 どこかで見かけられましたらぜひ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小学校の図書室で思うこと

先日、うっかり読み終えた本の上にトトロを乗っけて写真を撮りましたら、

トトロよりも本の方に注目が集まってしまいました。(人のことは言えませんが、みなさま本がお好きですよねえ。)

 

実は「小学校の図書室で思うこと」をいくつか記事にしようかなと思っていたのですが、この本はそのラストに登場するはずでした。

でもさっそくみなさまの目に留まってしまったので、トップバッターはこの本に。

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アウシュビッツ図書係」

アントニオ・G・イトゥルベ著 小原京子訳 集英社

アウシュヴィッツ強制収容所に、囚人たちによってひっそりと作られた“学校”。ここには8冊だけの秘密の“図書館”がある。その図書係に指名されたのは14歳の少女ディタ。本の所持が禁じられているなか、少女は命の危険も顧みず、服の下に本を隠し持つ。収容所という地獄にあって、ディタは屈することなく、生きる意欲、読書する意欲を失わない。その懸命な姿を通じて、本が与えてくれる“生きる力”をもう一度信じたくなる、感涙必至の大作(「BOOK」データベースより)

 

本書はフィクションの形をとっていますが、実在の人物をモデルに書かれた、限りなくノンフィクションに近い小説です。

 

アウシュビッツに学校、図書館とは意外な感じがしますが、

国際監視団の目をごまかすために、子どもの一部を生かしておき、家族と一緒に収容しておく必要がナチスの側にあったのでしょう。

アウシュビッツ31号棟もそのひとつ。

(ちなみにユダヤ人虐殺の「噂」の真偽を検証するため、赤十字は実際に国際査察団を派遣しています。ただし派遣先はアウシュビッツでなくテレジン収容所。その模様は後述「テレジンの小さな画家たち」に詳しいです。)

 

しかし、そこはアウシュビッツ

常に大量の死と隣り合わせ、なにをするにも命の危険がつきまといます。

また、子どもたちに教育を施すことも許されてはいませんでした。 

それでも、ユダヤ人たちは、ナチスに知られないよう、ひっそりと学校を開きます。

見つかれば無事ではいられないでしょう。

中でも、厳しく禁止されていたのは「本」の所持。

 

誰かがささやく。「〈司祭〉だ!」

すると、悲痛なざわめきが広がる。いつも聖職者のように軍服の袖に両手を入れて歩くシュタイン親衛隊曹長はそう呼ばれている。ただし、彼が信じているのは残酷という名の神だけだ。

教師が二人、追い詰められた表情で顔を上げる。彼らはその手に、アウシュビッツで固く禁じられているものを持っていて、見つかれば処刑されてもおかしくない。

それは銃でも、剣でも、刃物でも、鈍器でもない。第三帝国の冷酷な看守たちがそこまで恐れているもの、それはただの本だ。表紙がなくなってバラバラになり、ところどころページが欠けている読み古された本。

人類の歴史において、貴族の特権や神の戒律や軍隊規則をふりかざす独裁者、暴君、抑圧者たちには、アーリア人であれ、黒人や東洋人、アラブ人やスラブ人、あるいはどんな肌の色の、どんなイデオロギーの者であれ、みな共通点がある。誰もが本を徹底して迫害するのだ。

本はとても危険だ。ものを考えることを促すからだ。

 

本という本ははすべて没収され、

運よくナチスの目から逃れた本も、暖をとるため焼かれたり、トイレの紙として消耗されてしまい、31号棟の学校に残された本はたったの8冊。

そのたった8冊も、ナチスに存在を知られれば、所有者ごと無事ではいられません。

最後の貴重な本を守るための図書係に選ばれたのはエディタ、わずか14歳の少女なのでした。

 

「死の天使」の異名を取るメンゲレ大尉に目をつけられながら、驚くべき忍耐力と我慢強さとで、頑固に、かたくなに本を守り抜いていくエディタ。読者として彼女の毎日を追体験するのは、時に息が詰まるほど恐ろしく、苦しいものでした。

けれどエディタにはわかっていたに違いありません。

地獄のような環境にあるとき、人には本が必要であることに。

 

父さんは正しかった。あの本は、どんな靴よりも遠くまでディタを連れていってくれた。

その本、トーマス・マンの「魔の山」の表紙を開いた瞬間を思い出すと、アウシュビッツの粗末なベッドの中でも、ディタには笑みが浮かぶ。

本を開けることは汽車に乗ってバケーションに出かけるようなもの。

 

この一文を読んで、私は心の底からエディタに共感せずにはいられませんでした。

「本を開けることは汽車に乗ってバケーションに出かけるようなもの」

本が好きな人なら、誰だってこの言葉に深くうなずくことでしょう。

 

でも、だからこそ、真剣に考えこんでしまいました。

この環境にあって、自分だったらこんなにも本を守ることができるだろうか、

そしてまた、

この環境で、私は本なしで、生きられるだろうかと。

 

物語の中盤、8冊の本のうち、フランス語で書かれていたためエディタには読めなかった本が「モンテ・クリスト伯」という本であることを教えられた彼女は思います。

 

こんなに多くの無実の人々を苦しめている彼らに同じ痛みを与えられたらどんなにいいか。でも、物語の初めに出てくる明るく人を信じやすいエドモン・ダンテスの方が、後半の計算高く憎しみに満ちた男よりも好きだと思ってしまう自分に、ちょっと落ち込む。本当に自分は復讐なんてできるのだろうか。斧の一撃がみずみずしい木を乾いた薪に変えてしまうように、運命に痛めつけられると、望むと望まないとにかかわらず人は変わってしまうのだろうか。

中略

「私たちが憎しみを抱けば、彼らの思うつぼです。」

ディタはうなずく。

 

これほどの過酷な運命の中にあって、彼女の感性の、なんとまっすぐで健やかなことでしょう。彼女の心にいくら恐怖と憎しみを植えつけたとしても、ナチスはついに彼女の精神を貧しくさせることはできなかったのです。

そのことに、本が、物語が貢献したに違いないと私が思うのは、強ち間違いでもないと思います。

 

本書の魅力はエディタの活躍だけにあるのではありません。

 

多くのユダヤ人や実在のSS親衛隊員が登場し、ある者は裏切り者となり、ある者は恋をし、ある者は脱獄の道を選ぶ…様々な人間模様が入り乱れ、また最後まで、複数の謎が交錯します。

読者は第二次世界大戦の終結と収容所の解放という史実を知っていますが、作品の中に提示された「どうなるのだろう」「なぜだろう」という問いが最後まで生きているので、ラストまできちんと「おもしろい小説」になっています。

ホロコーストに関する小説はもうたくさん、と思う方にもオススメの1冊です。

 

また、最後に「驚き」もありました。

 

小学6年生の教科書に採用され、また数年前の課題図書でもあった「テレジンの小さな画家たち」。

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テレジンの小さな画家たち」野村路子著 偕成社

 

この本の中に、生き残ったエディタの現在の姿と、彼女がテレジン収容所で描いた絵が掲載されているというのです。

私も数年前にこの本を読んでいましたので(子どもが小学生だったころ、この本で読書感想文を書きました。手伝わされました。むむう。)、慌ててボランティア先の学校図書館で確認してみました。

 

149ページ。

現在のエディタの写真と彼女がテレジン収容所で描いた絵が掲載されていました。

 

私の唇からは、思わず声が漏れました。

「ああ、ディタ。」

あとの言葉は涙にしかなりませんでした。

 

凶悪な運命から8冊の本を守り抜いた小さな図書係さん。

齢を重ねても、そのまなざしの強さは、彼女が頑固で勇敢な少女であったことを彷彿とさせました。

 

私がボランティアをしている図書室は取り立てて特徴のあるものではありません。

でも、子どもたちがいつもたくさんの本を読んでいます。それを誰かに見とがめられることはなく、逆に子どもたちは「賢いねー」と褒めてもらえます。

それが当たり前だと思っていたけれど、149ページの写真の女性は本のために、文字通りその命をかけなければならなかったのです。

 

古くてボロボロの、破れてページもバラバラになった本のために。

 

私は子どもたちが本を投げるたびに、粗雑な扱いをするたびに、いちいち注意をせずにはいられません。

そのたびに子どもたちは「きょとん」とした顔で私を見上げます。

仕方がないと思います。

「ありがたみ」とは、失って初めて立ち現れる感覚ですから、まだ幼い彼らにそれを実感しろと言っても無理な話です。

だから、破れたり、背表紙が剥がれたりしている本を見る度に、何度でも補修すればいいこと、読まれずに本棚に飾ってあるだけの本よりは幸せなはず、と自分に言い聞かせて、できることなら、こんな風に潤沢に子どもたちに本を与えられる時代がずっと続きますようにと祈るのです。

そしていつの日か、彼ら自身が「アウシュビッツ図書係」のような本に出会って、自由に本を読めることがどれほど幸せなことかを知り、本を大切にしようと「自ら」考えてくれるようになることを願うのです。

 

「本はとても危険だ。ものを考えることを促すからだ。」

 

こんなことを、二度と誰かに言わせてはなりません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鬼が笑う…。

 

ええと、もうバレバレだと思いますが、

わたくし、ひどくうっかり者で、あわてん坊です。

それで毎日失敗続き、ミスばっかりしています。

 

試験を受けなくてはならなかった学生の頃は、テストの度にケアレスミスばかり。

横に並んだ回答欄に、縦に答えを埋めていって、最初と最後の設問だけに正答、なんて日常茶飯事でした。

 

大人になればちょっとは落ち着くかな、と思いきや、いい年をして今も元気いっぱい、絶好調で失敗を量産しています。

 

先日。

売り切れたアクリルたわしに気をよくしまして、

来年用にまた編んでおこうと思って買ってきたのです。

グレーの毛糸を。

編み始めて気づきました。

 

「アクリルじゃない!」って。

 

アクリルたわしって、アクリル100パーセントの毛糸じゃないとだめなんです。(←当たり前)

 

しかし、私ももう自分自身に慣れていますから、今さら自分のミスに驚かない!(←だからダメって説もありますが)

気を取り直して別の物を編むことにしました。

 

グレーといえば、あれでしょ、あれ。

 

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そう。トトロ!

 

で、でかい…。

思ってたよりずっと大きくなってしまいました。

(失敗続きの上に予測も詰めも甘い…)

 

比較にカメさんに登場してもらいます。

 

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ね?大きいでしょ…?

どうしたもんでしょうね、こんなに大きいの。

自分で作っといてなんだけど、大きすぎでは…。邪魔…。(←ひどい)

 

さらに今さらなんですが、

トトロ、名作だと思いますが、さして好きでもなかった…。(←ほんとに今さら。)

 

でもでも!

編んでみて思ったのですが、このトトロ、なかなかいい編み図をしています。

シンプルで編みやすく、それでいて、最終的に「ちゃんと」トトロになる!

実はこれ、ネットで公開されてる編み図なんです。

最近はこんなものまで公開されてて、インターネットって、なんて便利なんだ!と感心しています。

(こんな編み図がネットでタダで手に入るなんて。そら本も売れなくなるなあ、としみじみ。)

 

自分でも編んでみたい!という方はこちらから。

 

Ravelry: Grey Totoro Amigurumi pattern by Lucy Collin

 

ところで、うちのトトロ、来年のバザー行きかな…。

売れ残ったらどうしよう…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

折り紙と願い事。

先日、smartstlyeさまのブログで折り紙を見つけました。

 

www.smartstyle-blog.net


子どもさんと一緒に楽しむ折り紙、いいですね。

きっとお子さんにとって、いつまでも忘れられない思い出になるにちがいありません。

いいお父さまなんだなあ、としみじみ思いました。

 

そういえば、カメキチさんも以前はよく折り紙をなさっていたような。

たった一枚の紙から、いろんなものを作り出せるなんて、折り紙ってすごいなとよく思います。

 

私もよく折ります。

主にボランティア先に持っていきます。子どもたちが喜ぶので。

 

例えば、

 

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恐竜とか。

 

それから、ドラゴン。

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他にも、

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虫シリーズ。これは100円ショップで見つけたもの。

ガイドに従って折れば勝手にこの形になるので楽ちんです。

それから、 

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バッタを食べるクモ…ちょっとブラック。

 

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蝶々とか、

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鳥さんシリーズなんかもあり。

 

学校に持っていくだけでなく、海外の友人にギフトを送る際なんかに、緩衝材代わりに折り紙を入れたりもします。

友人たちも日本らしいと喜んでくれます。

 

あと、友人からのギフトの包装紙がキレイだったら、折り鶴にしたり。

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これはボランティア先の学校にしばらく飾っていました。

 

先日、友人のレティにお誕生日のギフトを送った時も、緩衝材代わりに折り紙をたくさん入れておきました。(なにしろ海外の郵便事情は適当、乱暴、いいかげんの3拍子ですから…)

 

彼女は小学校の先生をしているので、

「子どもたちにあげるといいよー。」

とメッセージを添えたら、とても喜んでもらえました。

 

子どもたちに配ってもまだ余ったようで、残りは彼女の教室に飾ってくれました。

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もっと大きいの、送ってあげたらよかった…。

(関係ないけど、蛍光灯の設置の仕方がいかにも地震のない国っぽくてうらやましくなりました。)

 

パリから少し離れた町で教員をしてる彼女によれば、

去年からのテロの影響か、最近では

 

イスラム教徒のお友だちとはもう遊ばない」

イスラム教徒の同級生とは友だちであることをやめる」

 

なんていう子どもたちも出てきているようで、

教員である友人の心労と心痛はどれほどだろうと、ちょっと心配になります。

 

レティによれば、折り紙を渡したときの子どもたちの喜びようはそれは大変なものだったとか。

 

フランス人の自国を愛する気持ち、

フランスこそ世界の中心!って言わんばかりの自尊心、別に嫌いでも何でもありませんが、

フランスではない、どこか遠い国にも、なにかしら、目を見張る文化や伝統があるのだと、せめて友人の教室にいる小さな子どもたちにはわかってほしいなあと思います。

 

そして、政治や世界情勢がどうであれ、同じ場所で学ぶお友だちとまずは仲良くすることが、彼らの人生にとってどれほど有意義なことかも。

 

クリスマスには、またたくさんの折り紙を彼女に送ろうと思います。

 

おまけ。

尊敬してやまない折り紙作家さんの動画を。

複雑すぎて、何回見てもわからない折り紙もありますが、見ているとなぜか心が落ち着きます。


Origami Dragon (Jo Nakashima) -Dragon #6

 

 

 

 

 

 

 

 

 

岩崎書店「怪談えほん」、おすすめです。

先日、こんな本を読みました。

 

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「失われた夜の歴史」

ロジャー・イーカーチ (著), 樋口幸子 (翻訳), 片柳佐智子 (翻訳), 三宅真砂子 (翻訳)

私たちが忘れてしまった、夜の魅惑と恐怖を初めて描き尽くした傑作!夜を暗闇が支配していた時代、悪魔などが跋扈する一方で、自由を求める人々は夜に解き放たれた。文学・社会・生活・心理・思想・魔術―「失われた夜」の全貌がよみがえる。数々の賞、年間ベストブックに輝く世界中で絶賛の名著「BOOK」データベースより

 

おもしろかったです。

有史以来、夜とは本来、暗闇が支配するもの。

人類が夜を楽しむことができるようになってから、本当は刹那のようにわずかな時間しか経っていないのですね。

スイッチひとつで昼間のような明るさを手に入れるまで、

人がどれほど暗闇を、夜を怖れたか、

漆黒と暗闇に対してどれほど無力だったか、

そして無知や蒙昧さがどれほど多くの迷信と物語を生んだかを思うと、

現代を生きる私たちが手に入れたものと失ったものについて、つい考え込んでしまいます。

 

「見えないこと」の恐怖。

「見えないけれどもそこに息づいているもの」への畏怖。

 

灯りをけして、少しの時間、私たちが失った感覚について考えたくなる一冊でした。

 

で、この本を読んでいて、思い出した絵本のシリーズがあります。

 

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怪談えほんシリーズ 一期5巻、二期4巻 岩崎書店

 

これね・・・ほんとーーに!おすすめです。

 

子ども向け絵本と侮るなかれ、本気でコワい!

また、作家陣がとてつもなく豪華!

 

第一期

宮部みゆき皆川博子京極夏彦恒川光太郎加門七海

 

第二期

恩田陸岩井志麻子綾辻行人小野不由美

 

今をときめく人気作家が勢揃いの感があります。

絵を担当された画家さんたちも綺羅星のようなラインナップ。

 

どの絵本も力作揃いです。

岩井志麻子氏の「おんなのしろいあし」、どれだけコワいか・・・。

京極夏彦氏の「いるのいないの」なんて、ラストで思わず「ひぃ・・・」って声が出ます。

綾辻行人氏の「くうきにんげん」、加門七海氏の「ちょうつがいきぃきぃ」に至ってはトラウマ級・・・。

皆川博子氏の「マイマイとナイナイ」は、一生忘れられなくなること必至です。

 

なにも絵本でコワい思いなんてしなくていいというご意見もあるとは思うのですが、

でも私は、人間が暗闇や、「何か得体のしれないもの」に対して畏れを抱くことは、とても大切なことであるような気がするのです。

 

はっきりとは見えないもの、原因がわからないもの。

 

そういったものに出会うたび、人は戸惑い、迷い、途方に暮れて、

そしてその時々の感情を昇華させ、自らを納得させるために、物語とそれを生み出す想像力を必要としてきたのでしょう。

 

それはある意味、弱さの発露かもしれませんが、

そんな弱さをまるっきり失ってしまった地平に、人の心の美しさなどあるでしょうか。

 

ということで、私は個人的にこの絵本シリーズを子どもたちにも積極的に勧めたいところなのですが、

 

「怪談?やめてよ、うちの子が怖がって心臓発作で死んじゃったらどうしてくれるのよっ!」

 

って本気で怒る親御さんもいらっしゃるので(驚くなかれ、実在します)、

なかなか実生活では大声で推薦できません・・・。残念。

 

なので、ここで大大的に宣伝しますが(←岩崎書店と私とは縁もゆかりもありません。念のため。)、この絵本シリーズ、ほんとにほんとにオススメです。

 

どの絵本もオススメですが、できましたら九冊全部をお読みになってみてください。

作家さんたちの熱の入れようというか、力の入れ具合が本気です。

 

作家さんたちだって人間ですから、こうして一組のシリーズの中に組み込まれたら、

 

「あ、あいつ、こんなコワいお話書いてる・・・負けてられるかっ!」

 

って気分にもなると思うのです。

張り合った結果、どんどん怖くなっていく・・・まるで子ども相手の肝だめしで、「脅し役」の幽霊をやっていたら、悪のりをして、つい本気を出してしまった大人のようです。

 

人気作家の大人げなさが垣間見られます!

 

本を読むのが嫌いなお子さんも大喜びで読んでいますので(こっそり勧めています)、お子さまをお持ちの方には強くオススメします。

買ってまでは・・・という方も、立ち読みでもいいので!騙されたと思ってぜひ!

 

 

第三期、出ないかなあ・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マミーさん、困っちゃう。

先日、ボランティア先の小学校で、図書室開放のお手伝いをしてきました。

 

私が所属している図書ボランティアのグループは、読み聞かせをするだけでなく、放課後や休日に図書室を開けて、子どもたちに居場所を提供することも活動のひとつにしています。

 

図書室開放の日は、子どもたちは宿題をしていてもかまわないし、お友だちと遊んでいてもかまいません。度を超えて騒がなければ、私たちも注意したりはしません。

 

なので子どもたちはお友だちと一緒に連れだって、

図書室にほぼ「遊びに」やってきます。

本当に本が好きでやってくる子は、むしろ稀だと言っていいでしょう。

 

でも、小学2年生のAくんは違います。

純粋に、心から、ある一冊の本が大好きで、図書室にやってくるのです。

 

その本がこちら。

 

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「男の子の心とからだ」(見たい聞きたい恥ずかしくない!性の本)

WILLこども知育研究所 (著), 北村 邦夫 (監修) 金の星社

 

そう、彼が大好きなのは「性教育」の本。

図書室に入ってくると、脇目も振らず、一目散にこの本のところに飛んでいきます。

 

中身をチェックしてみると、

まあ、アレです・・・アレだけど、いたって大真面目な内容で、

きちんと読めば、ためになることもあるのでしょうが、

高学年児童が対象のようですから、2年生のAくんには、いささか難しいのではないかと思います。

なので彼はこの本を「読んでいるわけではない」のですね。

ただながめているわけです。

挿絵に描かれている、バストやヒップを強調した女性のイラストなんかを。

 

で、ひとりでその本をながめながら、

「にやにやにまにまにらにらによによ」している分には問題ないのですが、

まだ低学年ですから、お友だちの男子児童を集めて、

 

「ほらほら~!」

 

ってやったりします。

すると、当然のことながら、図書室内は騒然となります。2年生男子の騒ぎですから、ゴジラなみ、災害なみの大騒動です。

もちろんいちいち注意しなくてはなりません。

それでもまだ、そのくらいなら許容範囲。

 

先日は、件の本を持って、別の本を読んでいる同級生の女の子のところに寄って行ったと思ったら、彼女の袖をひきながら、

 

「なあなあ、これ見てぇや。なあ、ちょっとでええから、これ、見てぇや。」

 

ってやりだしました。

 

セリフだけ聞いてたら、どこの露出狂だ、と思わないではありませんが、

そこは小学2年生。持っている本がアレでなければ、そこそこかわいい風景なんです。

でも、「見てぇな」と迫られている彼女は不穏な空気を感じたのでしょう。

すっくと立ちあがって、まっすぐ私のところに走ってきて言いました。

 

 

「マミーさんっ!Aくんが変態ですっ!」

 

 

 

・・・少女よ。

 

 

それを私にどうしろと?

 

 

うーん…。

私もちょっと困ってしまって、

でも内心ちょっとだけ、

ここで明石家さんまさんのマネをして、

 

「へんたーい、とまれ!」 

 

ってやったらウケるんだろうなあと、ちらっと思ったのですが(←根っからの大阪人)、でもそんなことをしたら、ただAくんを無駄に喜ばせてしまうだけです。

 

なので、せいぜい重々しく、

 

「Aくん、お友だちがイヤがることをしたらあかんのんよ。」

 

とだけ言っておきました。(←つまんない。)

 

 

こんなことがあったので、

子どもたちが帰ったあとのボランティアメンバーの話題は 、自然とAくんのことになってしまいます。

 

誰かの、「どうしたもんかなー」の問いに、

 

1.勝手に貸し出し処理をして、お母さんの目に留まるようにAくんのランドセルに入れておく(←鬼。そういえば彼は絶対にこの本を借りて帰りません。やっぱりママに見つかるのはイヤなんでしょうね。)

 

2.背表紙に、「Aくん専用!」ってラベルを貼る(←いぢめ?)

 

3.「この本はひとりで静かに読まないと将来かわいい恋人も結婚もできなくなる」と書いた紙をしおり代わりに挟んでおく(←呪い?)

 

4.女性の裸のイラスト部分を黒く塗りつぶす(←ひどい)

 

など、いろんなアイデアが出ましたが、

学校図書館の本に関していえば、児童はいつだって、自分の好きな本を好きなだけ読んでいい自由があるはずです。

保護者でもない我々が、Aくんの読書の嗜好にまで口をはさんでいいはずがありません。

 

なのでもちろん、上記のアイデアは単なる冗談で、私たちは特段、なんの対策もせずに、ただ興奮したAくんが粗雑に扱うために破れてしまったその本を補修して帰ったのでした。

 

でも。

 

時に「地元」って、残酷な面があると思いませんか?

 

いずれ転勤してしまう先生方とは違って、

図書のボランティアなんて、基本、ご近所のおばさんたちで構成されているのです。(メンバーには男性もいますが。)

 

今から脳裏に浮かびます。

 

将来、Aくんがどんなに大きく立派に成長したとしても、

私たちの間では、

 

「Aくん?ああ、あの変態の。」

 

が定着してしまっているであろうことが。

 

ちなみに私自身、生まれも育ちもずっと同じ街の地元民。

 

この年になってもまだ、

 

「今はマミーちゃんがごはん作ってるの?

まあ、えらいわねえ!」

 

「お掃除もしてるの?毎日?まあ、ほんと!えらい、えらい!」

 

なーんて言われ続けておりますので、

つい未来のAくんの苦労を想像してしまいます。

 

と言いつつ、私も将来、Aくんがかわいい彼女とご近所を歩いてたりしたら、

 

「あら、Aくん、変態は治ったの?」

 

って声をかけてしまうかもしれませんけどね?(←いじわる)

 

 

おまけ。

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上記の性教育の本はシリーズ化されています。

性教育」といえば、女の子だけ別室に集められて生理のしくみと手当の仕方なんてのをちょこっと教えられただけの私たちの子ども時代とは違って、今は「えらいことになってるんだ…」の感慨が得られます。

たいていの小学校にはこの手の本が図書室に置いてあります(たまに保健室の場合もあり)。

興味のある方はぜひ。