カゼに関する3種の神器

 

みなさま、こんばんは。

 

カゼをひいてなかなか本調子に戻れないマミーです。

 

カゼってイヤですよね。好きな人なんていないと思いますけども、

もともと鼻に持病のある私は、カゼをひくとどうしてもこじらせてしまうので、カゼをひくというのは嫌いなことトップ3に絶対に入ります。

 

とくにお仕事で。

 

いつもなら、もうひと手間かけるなあ、と思う場面で、

「ここまででいいか。」

とか、思っちゃうのがすごくキライ。

 

帰り際、面倒な作業をしている人がいて、普段なら絶対

「手伝いますよー。」

って言うのに、一瞬、その言葉が出てこないんですよ、しんどくって。

で、ぼけっと立ちすくんでたら、

「カゼでしょ?早よ帰りぃな!」

と言われ、ありがたいやら申し訳ないやら、帰り道では「気を使わせてしまって」、と涙がぼわっと出てしまうありさまです。

 

自宅でも、

ごはんですよー!」

の声が出ない。

 

大声出したらそのまま咳き込んで苦しくなるのがわかっているので、

できあがったごはんを前に、どうしようかなあ、とか考えるわけです。

 

「匂いでできあがりを予測してキッチンに来てくれたらいいのになー」

「壁ドンしてみる?」

 

とか、無駄なことばかり考えています。

狭い家なんですから、そんなに大声出さなくてもいいのですが、

カゼの時にはそれさえつらい。

さっさと治したいものです。

 

で、カゼをひいたら、ちょっとでも症状を楽にしようといろいろと試してみます。

今のところ、私にとって有益なカゼ対策、ベスト3をご紹介。

 

1.ホッカイロ

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熱が上がりそうなとき、ぞくぞくする悪寒。

あれ、本当にイヤです。

ああ、これから熱が高くなるんだなあという予感がして。気持ちからカゼに負けてしまいそうになります。

そういうときはいち早くホッカイロを背中の高めの位置に貼りましょう。

悪寒が少しマシになります。 

 

2.加湿器

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我が家の加湿器はこのタイプ。

はっきり言ってただのポットです。

でもあたたかい湯気が出るのがお気に入り。これがあるとお部屋の温度が1~2℃高く感じられます。

お手入れも楽々ですが、中の水の温度は高くなりますから、小さいお子さまのいらっしゃるお宅では取扱いに注意が必要かもしれません。

 

3.家庭用吸入器

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普段は見向きもされないのに、カゼをひいた時にはひっぱりだこになる家電…それがこの吸入器。

喉が痛いときには本当に助かります。

ほんとはお仕事にも持っていきたいくらい…引かれると思うので持ってかないけど…。

でも日本の冬は乾燥しがちでインフルエンザも毎年流行するのですから、

病院や学校など、人の集まるところでは、加湿器とか吸入器、もっと導入すればいいのになって思います。

 

 

薬のせいか、頭がぐらぐらして、思考はまとまらず、夢か現実かよくわからないところをさまよっております。

「やったはず」の持ち帰りのお仕事が真っ白で、あれは夢だったのかーと今、心が折れそうです。(←かなりやばい)

 

みなさまのブログも、読んでもなかなかコメントができなくて、しばらく不義理が続きますことをお許しください。

 

また、カゼのとき、こんないい対処法がありますよ!ってのがありましたら、ぜひぜひお知らせくださいね。

(まだ調子が戻らなくてお返事できないかも、とコメント欄を閉じています。

カゼと闘ういい方法がありましたら、ぜひブックマーク欄で教えてください!

よろしくお願いしますm(__)m)

 

 

 

こだわり?

 

 

先日の「小トトロ」。

 

夫が言うのです。

 

”これじゃない感”がすごい」って。

 

 

んもー。

 

仕方ないので編み直しました。

 

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手前右の白いトトロ。

夫にとっての小トトロはこんなイメージだったようです。

 

これを小さくしたら、完璧なのかな。

 

編んでみようという気持ちは満々なのですが、

風邪ひいちゃいました!えへ。

 

 

ちょっとの間、休養します。

 

・・・家族の目が冷たい・・・。とほほ。

 

しばらくおとなしくしておきます。

 

新しい週の始まりがみなさまにとってすばらしいものでありますように。

 

 

おやすみなさい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ありがとう」って生き物だと思う。

早いもので、 あれから1年が経ちました。

 

 

そう、今のお仕事を始めてから。

 

去年の今ごろはなんだか大変だった記憶があります。

毎日がバタバタ、あたふた。

 

え?

今も変わらない?

 

・・・そうなんですけどっ!

 

でも、1年前に比べると、ずいぶんと、私の「気持ち」が変わりました。

 

1年前。

働き出した頃。

職場の「アウェー感」は相当なものでした。

 

あいさつをしてもろくに返してもらえないし、期待もされていない感じ。

おまけにあちこちから立ちのぼる「声かけないで、忙しいから!」のオーラが強烈、

そらもう朝からずっと「へこみまくり」な毎日でした。

 

「このお仕事、続けられるだろうか。」と不安な気持ちでいっぱいでしたが、

へこんでいても仕方ない、と自分を鼓舞し、

苦手な人や、きちんと挨拶をしてくれない人にこそ、一番にあいさつをして、いつも笑顔で接するようにしました。

 

ついでに心がけたことがあります。それは、

 

「自分ひとりのためだけには立たない。」

 

ってこと。

 

なんか往年の革命家みたいですけども、そうじゃなくて、ですね、

これはもっと言葉通りの意味でして・・・。

 

つまり、なにかの用事で自分が席を立つときには、誰かの用事も済ませてあげる姿勢でいるってことね。

なにしろ職場って、誰の仕事でもない、誰がやってもかまわない、つまらない用事や仕事が散乱してるじゃないですか。

 

「コピー行ってきますけど、それ、ついでにしてきましょう。」

「これ、片付けときますね。」

「一緒に持って行っときますよ。」

「ついでに補充しときましたよ。」

 

誰だってちょっと面倒だな、って放置しがちな細々したことを、嫌がらずに引き受けること、それで笑って「かまいませんよ」って言い続けること。

 

当たり前ですが、ずっとそうしているとまわりの人は私に言いますよね?

「ありがとう。」

って。

それが一番の目的なんです。

 

「ありがとう」って実は、常に「バランスしたい」生き物なのです。

 

ずっとだれかに「ありがとう」を言い続けてると、その人から「ありがとう」を返してもらわないと、どうにも「おさまりの悪い」気持ちになるものなのです。心理的な負荷が生じるものなのです。

 

だから、私が上記のような態度でずっと働いていますと、

「骨惜しみしない」とか「よく気が利く」なんてうれしい評判(←勘違いな評判ともいう)がついてくるだけでなく、

逆に私の方が「困ったな」「こうしてほしいな」と思ったとたんに、

誰もかれもが、一生懸命に助けてくれたり、手伝ってくれるようになるのです。

ほんとです。

 

あんなに冷たい雰囲気だった1年前。

でも数ヶ月経つころには、遠くからでも

 

「マミーさーん!おっはよー!」

 

って声をかけられるようになりました。

 

それから、

「マミーさん、移動ないよね?移動の希望、出したらあかんよ?」

「マミーさん、俺、A区に転勤なん。ね、ね、移動の希望調査あったら、A区に出してな!なっ!?」

「マミーさんいるから、担当、このままにして、って言いました。これからもよろしくです。」

なんて、とてもうれしい言葉もたくさん。

 

それから、

「マミーさんが興味あるかもと思って」

と、わざわざ新聞の切り抜きや雑誌を持ってきてくれたり、

お菓子だアイスだケーキだといろいろもらうようにもなりました。

・・・正直、お仕事に行ってるのか、餌付けされに行ってるのか、わからないレベルです・・・お仕事始めたらちょっとは痩せるんじゃないかと期待してたのにな・・・くっすん。は?食べなきゃいいだろって?・・・斬新なアイデアですね・・・。それはムリ。

 

もちろん、私の仕事は正規の職員ではなく、パートのようなものです。

身分も不安定だし、お給料もよくありません。有休だってほんのちょっぴり。

プレッシャーだけはたくさんあって、ボランティア的精神がなければとても続かないでしょう。

 

でも、最近はお仕事をするのがとても楽しいと感じます。

 

最初はあいさつも無視された人に、満面の笑顔で「おはよう」と言われる度に、

「ああ、この人はこんな顔で笑うんだな。」

って、毎回感動してしまうのです。

 

そうして、本当に悪い人なんて、きっとこの世にはいないに違いない、少なくとも私のまわりにはちっともいない。

私って、なんて幸せなんだろうって、痛感するのです。

 

幸運なことに、なんかよく知らない上層部の人が仕事ぶりを聞いて見学にやってきたり(「誰?」って感じだった!あは。)、地元のタウン誌なんかにも載せてもらえたりするようになりました。

それもこれも、私はなんにもしていません。まわりの人の声のおかげでしょう。

 

「ありがとう」ってほんとにいつも「バランスしていたい」生き物なのです。

いつも誰かから、「ありがとう」って言ってもらえるようにお仕事すること。

それが結局、自分を助けることになるのだと思います。

 

 

おまけ。

お願いがあるのです・・・。

 

「木目込み人形」って知ってます?

私はあんまりよく知らないのですけども。

 

こんなの。

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お顔アップ。

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・・・写真が下手・・・。

 

実はこの木目込み人形、伯母が作ったのですが、飾る場所がなくて処分しようかと思っていたのです。

他にもたくさんあるので、この子の定位置が押し入れの中になってまして・・・。

 

でもこの前、デパートに行ったら、木目込み人形って、すんごい高いんですよ!びっくり!

で、もったいないなあ、と思ってしまう私は貧乏性です。(ウソです、貧乏「性」ではなくて、本物の「貧乏」です。ええーん。)

 

もちろん引き取ってくださるだけでかまいません。

どなたかのお宅で飾っていただけたら、この子もとても幸せだと思うのです。

ガラスケースをつけて、送料もこちらで負担しますので、よろしかったらご検討ください。

よろしくお願いいたします。

 

 

 

 

やれやれ、完成。

 

完成しました。小トトロ!

 

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小さい♡

ちゃんと「かわいい」の要件を満たしています。

 

カメさん、お仕事ですよー!比較にいらっしゃ~い。

 

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うんうん。カメさんもがんばってるね!

ちゃんとトトロを支えています。

 

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大トトロと一緒だと、小ささが際立ちます。

 

これでファミリーが勢ぞろい。

 

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「中トトロ、小トトロも一緒に編むといいよ!」

とデザイナーさんが編み図に書き込んでいるのを、

 

「まあ、お気楽な!」

 

なんて思ったものでしたが、やっぱり大・中・小がそろってるのはいいですね。

 

ネットで見つけた編み図で、デザインされたのも日本人ではなく、(←トトロ人気ってすごい!)だから小トトロの耳や尻尾の編み方は、ちょっと意外な感じ。

それがまた、

「へえ!」

と思ったり、できあがりに感心したり。

とても楽しめました。

 

デザインされた 「Lucy Collin」さんには感謝と敬意を捧げたいと思います。

 

「目に入ると思わず笑ってしまう」

と、トトロシリーズが気に入っている母の検査も、今日やっと終わりました。

 

色々ありましたがひとまず安心しています。

まだ本調子とはいきませんが、気長に寄り添っていけたら、と思います。

 

トトロの「まあるいフォルム」は気持ちを落ち着かせるのに最適なのかもしれません。

トトロが長く愛されるキャラクターである理由が少しわかった気がしました。

 

・・・じゃあ、私だって、愛される体型であるはずなのに、おっかしいなあ、なんでかなあ、と納得できない気持ちでいるのは内緒です。

 

世の中も人生も、理不尽・不可解・不条理だらけ。

でも、明日も負けずにがんばりますっ!

 

 

 

 

 

 

 

 

めでたさもかわいさも「中くらい」がちょうどいいです。

 

先日のトトロ。

 

あんなにみなさまから褒めていただけるとは、正直まったく思っていませんでした。

たとえお世辞100%だったとしても、本当にうれしくって、最近ちょっとテンションが上がり気味です。

あらためてみなさま、ありがとうございました。

 

それにしてもトトロ人気のすごいこと!

トトロには、日本人の心に響く何かが内包されているのでしょうね。

 

で、

 

「中トトロと小トトロも!」

 

のお声をいただきましたので、調子に乗ってがんばってみました。

 

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じゃん。

 

中トトロです。

大きいトトロに比べると、大きさもいい感じです。

 

カメさん、大きさ比較に来てくださ~い。

 

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うんうん、これくらいなら許容範囲。

かわいいなって思える上限ぎりぎりに留まっています。

せっかくなので大きいトトロとも並べてみましょう。

 

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でん!

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でででん。

 

うーん・・・やっぱり「小さきものは、みなうつくし」の法則は枕草子の時代から変わらない気がします・・・。 

 

トトロがお好きなブナさん。

中トトロは合格点をいただけますでしょうか。

 

で、話しは変わるのですが。

 

以前、花舗ぽれぽれさまから我が家にやって来たマミー姫。

 


サボテンには「声をかけてあげるといい」と聞いて、毎日真面目に声かけをしています。

「大きくおなりー」って。

マミー姫に関しては中くらいなんて言わずに、ぐんぐんと!ジャックと豆の木のように!大きくなってほしいですから。

その効果でしょうか。

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じゃじゃーん。

ほら!ほらほら!

大きくなってるー!(←超うれしい!)

黄色いつんつんお花もかわいいのですが、白いとげとげもかわいいです。

 

でも。

 

でも、ですね・・・。

 

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この右端の子。

この子だけ、あんまり大きくならないのです・・・。

 

毎日おんなじように声をかけてるのですが・・・。

なんで?なんでなんで???

 

どうして均等に大きくならないのか、もしご存知の方がいらっしゃいましたら、

マミーにぜひご教示くださいね。

 

よろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

めずらしく。

普段忘れがちだし、できたら忘れていたい、だからあえて考えないようにしているのに、「はてな」をやっていると逃げられなくなってしまうものってありませんか?

 

私にはあります。

 

それは・・・

 

 

お掃除。(←大っ嫌い)

 

 

いつの間にか今年ももう10月中旬なんですって…。

今年が始まったのって、つい最近のような気がするんですけれども。

ついこの間まで暑い暑いって言ってませんでした?

今年、秋ってありましたっけ?

金木犀の香りもまだあんまり嗅いでないんですけども。

 

でも、カレンダーは確かに10月半ば…。

 

で、

 

はてな」の中の凄腕主婦のみなさまったら、もう大掃除はじめていらっしゃるんですってよ…。

流行に敏感とか、季節感先取りとか、さすがです…(←ちょっと逆切れ)

 

毎日そんなの読んでたら、やらなきゃなあって感じがしてイヤなんですよね・・・。(←ダイエットと同じ仕組み)

 

は?読まなくてもやれよって?

・・・わかってますけどねっ!(←完全に逆切れ)

 

仕方ないなあ、もう。

ということで今日は重い腰を上げて、換気扇の掃除をいたしました。

 

換気扇のお掃除って、家の中のお掃除の中で一番厄介なイメージがあります。

ホコリと油のダブル攻撃。

時間もかかりますし、細かいパーツ、高い位置、女性にはほんと重労働です。

 

なので、自他ともに認めるぐーたら主婦の私も、トイレとコンロ・換気扇周りだけは、毎日必ず掃除するようにしています。

汚れを溜めると後で「えらい目」に遭うことになるので、この場合、「こまめ」が最も楽ちんへの近道なのです。

 

でも、今年の私はちょっと違う!

なんといっても毎日「はてな」を読んでますから!

 

特に日々私を導いてくださってるのは、まみさん。

 

mamisinpuruseikatu.hatenablog.com

 

私のニックネームとちょっと似てますが、

ちょっとの違いが大きな違い。

同じ主婦と言ってもまみさんの場合、お掃除お料理、家計管理、なにもかもが完璧♡

そのまみさんのブログで日々お勉強しているので、私の換気扇掃除だって進化しているのです!ちょっとだけ・・・。

 

去年までは「重曹」を使って換気扇、コンロまわりのお掃除をしていたのですが、今年はまみさんオススメ、「セスキ炭酸ソーダ」を使って、お掃除してみました。

で、これがすごいのなんのって!

 

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大きなお鍋にセスキ炭酸ソーダを水と一緒にドバドバ入れて、ぐらぐら煮てみたのです。15分くらい。

そしたらもうそれだけでピカピカなのです!感動です!

一緒のお鍋に五徳のパーツも入れたら、そちらもピカピカです!

 

いつもなら、古い歯ブラシとかを使って、ファンの一枚一枚をせっせと磨かなければないのに、今年はそんなストレスもなし!

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換気扇フードの周りも、セスキ炭酸ソーダを水で薄めたものを吹きつけてティシューでパック。これは重曹でも同じくらいの効果があります。

 

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終了後。どこを触ってもツルツルしてます。

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コンロまわりもすっきりしました。

正直ね、コンロ、換気扇周りをすべて一緒にぜーんぶひとまとめにして大鍋で煮たい!って思うほどの威力でした。

セスキ炭酸ソーダ」を教えてくれたまみさんには深く感謝です!

 

これで年末の大掃除もかなり楽になるはずです。やれやれ。

 

あ、

 

「やれやれ」で思い出しましたけど。

 

今年も村上春樹ノーベル賞を受賞できませんでしたね。

ご本人もいいかげん、この時期のこの話題が鬱陶しいだろうなあって、ちょっと気の毒になってしまいます。

だって、他の賞の受賞者なんて、発表されるまで誰も知らないじゃないですか。

発表されて新聞にでかでか載った後でも、

 

「...ど、どちら様?」

 

って感じなのに、文学賞だけは一般人にもわかりやすくて、だからつい注目が集まってしまうのですよね。

 

そもそもほんとに受賞候補にあがってるかどうかすら誰にもわからないのに、毎年受賞前に大騒ぎして、勝手に落胆されての繰り返し。

もう少し静かに待ってあげたらいいのに、と思うのですが…まあそれも大きなお世話かもしれませんけれども。

(昔、ノーベル賞財団の図書館のような施設をテレビで見たことがあります。普段は非公開らしいですが。そこに日本人作家のコーナーもありましたが、収蔵されている本はほんのちょっぴりでした。ほんとにほんのちょっぴり。故遠藤周作氏の作品があったのを鮮明に覚えています。やはりキリスト者であったからかもしれませんし、偶然かもしれません。

やっぱり日本文学がアルファベット圏から外れていることは、不利だろうと思いました。)

 

でも今年の受賞者がボブ・ディランだったのにはびっくりしました。(歌手とは別に、ボブ・ディランって名前の作家がいるのかと思った…)

そこまで対象を広げたら、なんでもあり、になっちゃわないかしら。

まあ、それはそれで楽しいのかもしれませんが…。

 

出版社にしてみれば、新たな受賞者が誰であれ、過去の作品は注目を浴びて売れ筋になるでしょうから、多作な作家さんだとうれしいのかな。

ボブ・ディランが受賞者と聞いて、一番驚いたのは出版社だったのかも。

 

でも、ボブ・ディラン作の本がないわけでもありません。

今回の受賞で思い出した絵本が1冊。

 

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「はじまりの日」

 ボブ・ディラン作 ポール・ロジャース絵 アーサー・ビナード

 岩崎書店

 

これで読み聞かせをすると、子どもたちは「ぽかーん」としてますが、

なかなかいい絵本です。

ピースフルで明日への希望に満ちた1冊。

 

 どこかで見かけられましたらぜひ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小学校の図書室で思うこと

先日、うっかり読み終えた本の上にトトロを乗っけて写真を撮りましたら、

トトロよりも本の方に注目が集まってしまいました。(人のことは言えませんが、みなさま本がお好きですよねえ。)

 

実は「小学校の図書室で思うこと」をいくつか記事にしようかなと思っていたのですが、この本はそのラストに登場するはずでした。

でもさっそくみなさまの目に留まってしまったので、トップバッターはこの本に。

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アウシュビッツ図書係」

アントニオ・G・イトゥルベ著 小原京子訳 集英社

アウシュヴィッツ強制収容所に、囚人たちによってひっそりと作られた“学校”。ここには8冊だけの秘密の“図書館”がある。その図書係に指名されたのは14歳の少女ディタ。本の所持が禁じられているなか、少女は命の危険も顧みず、服の下に本を隠し持つ。収容所という地獄にあって、ディタは屈することなく、生きる意欲、読書する意欲を失わない。その懸命な姿を通じて、本が与えてくれる“生きる力”をもう一度信じたくなる、感涙必至の大作(「BOOK」データベースより)

 

本書はフィクションの形をとっていますが、実在の人物をモデルに書かれた、限りなくノンフィクションに近い小説です。

 

アウシュビッツに学校、図書館とは意外な感じがしますが、

国際監視団の目をごまかすために、子どもの一部を生かしておき、家族と一緒に収容しておく必要がナチスの側にあったのでしょう。

アウシュビッツ31号棟もそのひとつ。

(ちなみにユダヤ人虐殺の「噂」の真偽を検証するため、赤十字は実際に国際査察団を派遣しています。ただし派遣先はアウシュビッツでなくテレジン収容所。その模様は後述「テレジンの小さな画家たち」に詳しいです。)

 

しかし、そこはアウシュビッツ

常に大量の死と隣り合わせ、なにをするにも命の危険がつきまといます。

また、子どもたちに教育を施すことも許されてはいませんでした。 

それでも、ユダヤ人たちは、ナチスに知られないよう、ひっそりと学校を開きます。

見つかれば無事ではいられないでしょう。

中でも、厳しく禁止されていたのは「本」の所持。

 

誰かがささやく。「〈司祭〉だ!」

すると、悲痛なざわめきが広がる。いつも聖職者のように軍服の袖に両手を入れて歩くシュタイン親衛隊曹長はそう呼ばれている。ただし、彼が信じているのは残酷という名の神だけだ。

教師が二人、追い詰められた表情で顔を上げる。彼らはその手に、アウシュビッツで固く禁じられているものを持っていて、見つかれば処刑されてもおかしくない。

それは銃でも、剣でも、刃物でも、鈍器でもない。第三帝国の冷酷な看守たちがそこまで恐れているもの、それはただの本だ。表紙がなくなってバラバラになり、ところどころページが欠けている読み古された本。

人類の歴史において、貴族の特権や神の戒律や軍隊規則をふりかざす独裁者、暴君、抑圧者たちには、アーリア人であれ、黒人や東洋人、アラブ人やスラブ人、あるいはどんな肌の色の、どんなイデオロギーの者であれ、みな共通点がある。誰もが本を徹底して迫害するのだ。

本はとても危険だ。ものを考えることを促すからだ。

 

本という本ははすべて没収され、

運よくナチスの目から逃れた本も、暖をとるため焼かれたり、トイレの紙として消耗されてしまい、31号棟の学校に残された本はたったの8冊。

そのたった8冊も、ナチスに存在を知られれば、所有者ごと無事ではいられません。

最後の貴重な本を守るための図書係に選ばれたのはエディタ、わずか14歳の少女なのでした。

 

「死の天使」の異名を取るメンゲレ大尉に目をつけられながら、驚くべき忍耐力と我慢強さとで、頑固に、かたくなに本を守り抜いていくエディタ。読者として彼女の毎日を追体験するのは、時に息が詰まるほど恐ろしく、苦しいものでした。

けれどエディタにはわかっていたに違いありません。

地獄のような環境にあるとき、人には本が必要であることに。

 

父さんは正しかった。あの本は、どんな靴よりも遠くまでディタを連れていってくれた。

その本、トーマス・マンの「魔の山」の表紙を開いた瞬間を思い出すと、アウシュビッツの粗末なベッドの中でも、ディタには笑みが浮かぶ。

本を開けることは汽車に乗ってバケーションに出かけるようなもの。

 

この一文を読んで、私は心の底からエディタに共感せずにはいられませんでした。

「本を開けることは汽車に乗ってバケーションに出かけるようなもの」

本が好きな人なら、誰だってこの言葉に深くうなずくことでしょう。

 

でも、だからこそ、真剣に考えこんでしまいました。

この環境にあって、自分だったらこんなにも本を守ることができるだろうか、

そしてまた、

この環境で、私は本なしで、生きられるだろうかと。

 

物語の中盤、8冊の本のうち、フランス語で書かれていたためエディタには読めなかった本が「モンテ・クリスト伯」という本であることを教えられた彼女は思います。

 

こんなに多くの無実の人々を苦しめている彼らに同じ痛みを与えられたらどんなにいいか。でも、物語の初めに出てくる明るく人を信じやすいエドモン・ダンテスの方が、後半の計算高く憎しみに満ちた男よりも好きだと思ってしまう自分に、ちょっと落ち込む。本当に自分は復讐なんてできるのだろうか。斧の一撃がみずみずしい木を乾いた薪に変えてしまうように、運命に痛めつけられると、望むと望まないとにかかわらず人は変わってしまうのだろうか。

中略

「私たちが憎しみを抱けば、彼らの思うつぼです。」

ディタはうなずく。

 

これほどの過酷な運命の中にあって、彼女の感性の、なんとまっすぐで健やかなことでしょう。彼女の心にいくら恐怖と憎しみを植えつけたとしても、ナチスはついに彼女の精神を貧しくさせることはできなかったのです。

そのことに、本が、物語が貢献したに違いないと私が思うのは、強ち間違いでもないと思います。

 

本書の魅力はエディタの活躍だけにあるのではありません。

 

多くのユダヤ人や実在のSS親衛隊員が登場し、ある者は裏切り者となり、ある者は恋をし、ある者は脱獄の道を選ぶ…様々な人間模様が入り乱れ、また最後まで、複数の謎が交錯します。

読者は第二次世界大戦の終結と収容所の解放という史実を知っていますが、作品の中に提示された「どうなるのだろう」「なぜだろう」という問いが最後まで生きているので、ラストまできちんと「おもしろい小説」になっています。

ホロコーストに関する小説はもうたくさん、と思う方にもオススメの1冊です。

 

また、最後に「驚き」もありました。

 

小学6年生の教科書に採用され、また数年前の課題図書でもあった「テレジンの小さな画家たち」。

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テレジンの小さな画家たち」野村路子著 偕成社

 

この本の中に、生き残ったエディタの現在の姿と、彼女がテレジン収容所で描いた絵が掲載されているというのです。

私も数年前にこの本を読んでいましたので(子どもが小学生だったころ、この本で読書感想文を書きました。手伝わされました。むむう。)、慌ててボランティア先の学校図書館で確認してみました。

 

149ページ。

現在のエディタの写真と彼女がテレジン収容所で描いた絵が掲載されていました。

 

私の唇からは、思わず声が漏れました。

「ああ、ディタ。」

あとの言葉は涙にしかなりませんでした。

 

凶悪な運命から8冊の本を守り抜いた小さな図書係さん。

齢を重ねても、そのまなざしの強さは、彼女が頑固で勇敢な少女であったことを彷彿とさせました。

 

私がボランティアをしている図書室は取り立てて特徴のあるものではありません。

でも、子どもたちがいつもたくさんの本を読んでいます。それを誰かに見とがめられることはなく、逆に子どもたちは「賢いねー」と褒めてもらえます。

それが当たり前だと思っていたけれど、149ページの写真の女性は本のために、文字通りその命をかけなければならなかったのです。

 

古くてボロボロの、破れてページもバラバラになった本のために。

 

私は子どもたちが本を投げるたびに、粗雑な扱いをするたびに、いちいち注意をせずにはいられません。

そのたびに子どもたちは「きょとん」とした顔で私を見上げます。

仕方がないと思います。

「ありがたみ」とは、失って初めて立ち現れる感覚ですから、まだ幼い彼らにそれを実感しろと言っても無理な話です。

だから、破れたり、背表紙が剥がれたりしている本を見る度に、何度でも補修すればいいこと、読まれずに本棚に飾ってあるだけの本よりは幸せなはず、と自分に言い聞かせて、できることなら、こんな風に潤沢に子どもたちに本を与えられる時代がずっと続きますようにと祈るのです。

そしていつの日か、彼ら自身が「アウシュビッツ図書係」のような本に出会って、自由に本を読めることがどれほど幸せなことかを知り、本を大切にしようと「自ら」考えてくれるようになることを願うのです。

 

「本はとても危険だ。ものを考えることを促すからだ。」

 

こんなことを、二度と誰かに言わせてはなりません。