いつだって大歓迎。

 

今日はまたまた図書のボランティアについてお話ししようと思います。

 

今はどの小学校でもたいてい図書のボランティアグループが存在していると思うのですが、活動内容はグループによって少しずつ違います。

子どもたちに本の読み聞かせをすることが活動の中心であることは、ほとんど同じはずですが、私が所属しているグループは、読み聞かせ以外にもいろんなことをやってます。

 

たとえばパネルシアターの製作とか上演とか。

図書室内のお掃除や、本の修理や書架の整理なんかも。

 

で、いつも思うんです。

 

「本って重いなあ。」って。

 

本の整理なんかは本当に重労働で、書架の整理を数時間でも真剣にやると疲労困憊、ものすごく消耗します。

 

で、そんな時、高学年の子どもたちって、とっても役に立つんです。

ちょっと「お手伝いしてほしいな」って言うと、本当によく働いてくれます。

 

彼らも自分の家ではゴロゴロしててお母さんに怒られてるんだと思うんですよ…。きっとね…。

 

意外なことに、いつも図書室で大騒ぎして叱られてばかり、本なんかちっとも読まないタイプの子どもたちの方が、お手伝いになると大はりきり、骨惜しみせずに手伝ってくれたりするので、子どもって本当に不思議だなあ、って思います。

 

先日も、図書室内のリフォームをしていて力仕事が発生した時に、高学年の女の子たちが大活躍してくれました。

 

暑い盛りに、汗だくで手伝ってくれているのを見て、私も大感激、今日は彼女たちにささやかなお礼を届けてきました。

 

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鳥さんのストラップ。それから

 

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バラのヘアゴム。

 

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どれも一人にひとつずつ。

 

けれでも、ただありがとう、と本人に直接渡すよりも、

こんな時は、担任の先生を経由して渡すといいんですよ。

 

「子どもたちがお手伝いしてくれたので、お礼です。どうか先生からもたくさん褒めてあげてください」って。

 

 

図書のボランティアをしていると、

学校に出入りする機会も増えるのですが、

そうすると、いろんなことを見聞きします。

 

どこか「よそいき」の、かしこまった雰囲気の授業参観の日とは違って、

リラックスモード全開、普段着のままの小学校。

 

そこではおもしろいことや楽しいこともいっぱいですが、

目撃回数が一番多いのは、

「子どもを叱っている先生、怒られている小学生」

です。

 

図書のボランティアを始めたころは、

 

「あの先生、怒ったらあんなにコワいんだ!」

 

の衝撃をしょっちゅう味わったものでした。

 

 でも、本当は先生方も、子どもたちを褒めてあげたくてうずうずしているのです。

なので、ちょっとでも子どもたちが「いいこと」をしたら、すぐに先生に報告するようにしています。

 

教室で誰かが褒めてもらうと、他の子どもたちも、

「自分も褒められたい!」って思うのでしょう、

次から私たちがお掃除なんかをしていると、

子どもたちの方から、

 

「お手伝いすることないですか?」

 

って声をかけてくれるようになります。

 

ラッキー♡

 

あー、いやいや、コホン。

 

でね?

そんな風に子どもたちに聞かれるたびに思うのです。

 

「最近の子どもたちは~」なんてよく聞きますけれど、

でも今の子どもたちだって、ちゃんと、誰かの役に立ったり、誰かのために働いたりすることに喜びを見い出しているんだなって。

日本の未来もそう悪くはないのではないかなあ、と小学校に行くたびに思います。

 

ということで、

小学生のお子さまをお持ちのお母さま。

夏休みも終わって、2学期も始まりました。

これを機に、

授業参観日以外の、「素のまま」の学校生活を垣間見られる貴重な機会、図書のボランティアなんかを始められてはいかがでしょう?

どこのグループも1年365日、毎日新メンバーを募集中です!

 

もちろん、「お母さま」以外でも、熱烈歓迎されること間違いなしです!

 

うちのグループもあと10人くらいほしいです…。

 

楽しいこともありますから!ほんとにほんと!絶対です!

 

 

おまけ。

 

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しつこくがんばってます…。

 

 

思い出の校舎

 

今日は古いお話しをひとつ。

私が通っていた高校のことについてお話ししたいと思います。

 

・・・何回も言いますけど、私にだって、一応、女子高生時代ってのがあったんですからね?

ほんとなんですからっ!

 

ついつい、取り乱してしまい、失礼しました…。

 

で、ですね。

 

旧制中学の流れをくむ私の母校の校風は、自由という名の放任主義(体育の授業以外)で、これといった校則もなく、学校からの干渉も少なかったように思います(体育以外はね…)。

 

それなのに、自由とは程遠い感覚が校内に常に蔓延していたのは、

どんな場所にも、どんな時にも、

 

「伝統」

 

なるものが、そこかしこに色濃く息づいていたからだろうと思います。

 

特徴的だったのは、その校舎。

 

1930年に建設された、レンガ造りの校舎は、廊下にも腰高までレンガが配され、

建設当時は全館スチーム入り、当時はさぞかしモダンで最先端の校舎だったと思われます。

 

が、しかし。

 

戦時中の軍部への鉄製品供出のため、スチーム管はすべて引き剥がされ、

結果、冬はとんでもなく寒く、夏は耐えがたい暑さの建物が残ったのでした。

 

上空から見ると、なぜかP字型の校舎は、方向音痴の生徒の方向感覚を狂わせ(←私のことです)、一段一段がやけに高い階段は、高齢で足元のおぼつかない先生方を教室に来るのを阻み、私たちの方が理科の講義室まで出向かなくてはなりませんでした。

昔は当たり前だったのか、教壇は異様に高く、窓の位置も高かったので、校舎内は昼なお暗く、おまけに戦後の学制改革以前は男子中学でしたから、女子トイレが極端に少ない…。

そして米軍グラマン戦闘機の機銃掃射の弾痕が残る壁。

 

要するに、現代建築になれた私たちには驚きと不便がいっぱいに詰まった校舎なのでした。

ですから私たち生徒は、そんな校舎を愛情半分、揶揄半分で、

 

「監獄、牢獄、収容所」

 

なんて呼んでいたものでした。

 

そして、伝統ある学校にはつきものの、悲しい歴史もありました。

 

第2次世界大戦中、大阪には大規模な空襲が何度も繰り返されたわけですが、

当時の生徒には、空襲から「学び舎を守る」ための「当直当番」の制度があったようで、学校を防衛中の生徒が2名、焼夷弾の直撃を受けて亡くなりました。

 

学校には、その生徒さん2名のための石碑が建てられていて、

石碑の裏には、各々のご遺族、お母さまとお姉さまだったかな、それぞれの言葉が寄せられていました。

 

校庭の隅にひっそりと建てられたその碑の裏側を、私が読んだのは在校中の一度だけです。

特にお母さまから寄せられた言葉があまりにも悲しかったので、私は二度と、その碑に近づくことはしませんでした。

 

なので、ものすごくうろ覚えなのですが、確かこんなことが書いてあったように思います。

 

「学校防衛の当番に出かけていくとき、息子は笑いながら、

「当番の人間にはパンやお米が支給されるから、持って帰ってあげるよ」と言いました。

私は、「お腹が空いていては、いざというときにお役に立たない。だから必ずお食べなさい。」と言って見送りました。それが息子との最期になりました。

亡くなった息子のかばんを後で開けてみたら、手つかずのパンとお米が出てきました。」

 

 

このとき、思わず真っ白になった自分の頭の中の感覚を、私は今でもはっきりと覚えています。

 

どうしよう、どうしよう、なんとかしなければ、と切羽詰まったような気持なのに、

「死」というものが、「どうしようもないこと」として、

厳然と、圧倒的な巌のような存在で目の前に立ちふさがって、息もできないような苦しさでした。

 

あの時、私は「とりかえしのつかないこと」の真の意味を、初めて悟ったような気がします。

 

当時の大阪市内の食糧事情からして、亡くなった生徒さんが、平素、空腹が満たされるほどの食事をしていたとは到底考えられません。

旧制中学の生徒といえば、10代半ば。

 

食べ盛りなのに、いつも空腹なのに、眠ることもままならない深夜、配られたパンを家族のために取っておくなんて!

 

わが身に置き換えて考えてみても、自分にそんなことができるような気はとてもしませんでした。

そんな親孝行な生徒さんが冷たいお墓の中にいるのに、

私たちときたら、そんな彼らが命がけで守ろうとした校舎を「監獄」だの「牢獄」だのと呼んでいたのです。

 

どれだけ、ここで、この校舎で勉強し、無事に卒業したかったことだろう。

 

授業開始のチャイムがなる前に教室に帰ろうとする自分のつま先が、校庭の白い砂の上に微かに影を落としていたことまで、よく覚えています。

 

二度とこの校舎を「監獄」とは呼ぶまいと誓ったことも。

 

しかしながら、今、自分が大人になってみますと、

あの石碑の思い出は、また違った悲しみを私にもたらしてやみません。

 

高校生の私は、そんなにも親孝行で立派な少年が、生を全うできなかったことの悲惨さに気をとられていましたが、今は彼のお母さまの悲しみが、胸に迫ってやまないのです。

 

空襲で子をなくした親はそれこそたくさんいたことでしょう。

当時の大阪市内では、いえ日本全国、どこの大都市でも、空襲の被害者の遺体が珍しくはなかった時代です。

 

神戸の地震の時、あるいは東日本大震災のときのように、

この生徒のお母さまも、自分だけが不幸なのではない、皆、等しくなんらかの被害や喪失に耐えているのだと、自分に何度も言い聞かせたことでしょう。

たまたま我が子の当番の日に空襲があったことは、運が悪かったのだと。

 

けれども、同じく強く思ったことでしょう。

 

せっかく食べられるパンがそこにあったのに!って。

 

せめて、ひとくちでも食べさせてやりたかった。

死ぬ前にひとくちだけでも。

 

死ぬ運命が避けられなかったというのであれば、

せめてもの願いとして、

ひもじいままで死なせたくはなかった。

最期に「おいしいね」と満たされた気持ちにさせてやりたかったと。

 

このお母さまが、人生で何度そう思ったことだろう、

何度それを口惜しく思ったことだろうと思うと、

そのことが、私を繰り返し、叩きのめすように、いたたまれない気持ちにさせるのです。

 

安全で、言論の自由が保障されている現代日本にいる私が、

やれ平和だ反戦だと、口幅ったいことは申しますまい。

私だって、当時の日本に生きていたら、いっぱしの軍国少女だったのかもしれないのですから。

それに、今こうしているこの瞬間にも、シリアでは空爆の煙幕になるようにと、子どもたちが命の危険を冒しつつ、古タイヤを燃やしているのですから。

 

ただ、それでも、私の心に引っかかる点をあげるとしたら、

それは、私の母校が、すでにこの世には存在しないということです。

 

もちろん今でも学校自体は存続しています。

しかし、件の校舎は老朽化と耐震能力に不安があるとのことで取り壊されてしまいました。

 

校舎が建て替えられたのは今から10年前ほど前。

終戦から約60年で、取り壊されたことになります。

 

たった60年!

 

命をかけて学び舎を守れと若い命をふたつも犠牲にしながら、

たった60年で、古くなったからとあっさり取り壊してしまう。

 

耐震補強は技術的に難しかったのでしょう。余計にお金がかかったのかもしれません。

 

でも、そこにお金をかけてこそ、先進国の名に恥じないと思う私の感覚は少しおかしいのでしょうか?

若い、若すぎる命を、建造物と引き換えにしておきながら、その建物をたったの60年でさっさと捨て去ってしまう、それがこの国のかたちでしょうか、この国のこたえでしょうか。

 

・・・けれども、そんな私も特段、取り壊しに反対はしませんでした。

 

わからなかったからです。

あの石碑の裏に名前のあった生徒さんのお母さまのお気持ちが。

 

わが子が命がけで守ろうとした校舎がなくなることに反対なのか、

それとも、内心では、

戦時中のこととはいえ、一時は、わが子の命よりも価値の重かった校舎など、

いっそこの世から消えて無くなれと、思っていらっしゃるのかが。

 

これは本当にわからなかった。

考え続けて、今でもわかりません。わかろうはずもありません。

わかってもいけないのです。

こんな悲しい出来事は、二度とあってはいけないのですから。

 

母校の前を通り過ぎるたび、モダンで瀟洒な新校舎が目に入ります。

 

その度に、これは一体なんだろう?と不思議な気持ちになります。

 

私の母校は、もう、どこにもありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

派手な方がいいことも・・・。

 

先日、古い友人から、

中学生になった娘さんが電車内で痴漢に遭うので

毎日通学に付き添っている、という話しを聞きました。

 

「子どもが大きくなればなるほど、送迎の手間は減っていくと思っていたのに、すっかり当てが外れた」と、明るく話している彼女の、

それでもどうしようもなく心配そうな声に、

私もなんと応えたらいいものかと、すっかり悩んでしまいました。

 

痴漢ってイヤですよね。

普段、あんまり人を嫌いにならないタイプなのですが、

痴漢をする人に関しては、徹頭徹尾、大っ嫌いです。(←当たり前)

 

たまに、「女性は痴漢に遭ううちが華」なんて言う人がいますけれど、

その見解には同意いたしかねます。

女性にとって「歳をとること」は、いささか切ないものですが、

「痴漢に遭わなくなる」という点から見れば、

歳をとるのもそう悪いことばかりではないなあ、と思うくらいです。

 

そもそも、痴漢って基本、後ろから寄ってくるじゃないですか。

顔なんか見てませんもの。

だから、女性にとって、「痴漢に遭う」ことと、「魅力的である」あるいは「モテる」こととは、全くイコールではないし、何ら相関性を持ちません。

 

ついでに言うと、

「スキがあるから痴漢に遭う」

っていうのも、少し違う感じがします。

 

なぜって、短いスカートや、露出の多い服装は、痴漢の好みではないから。

 

痴漢の好みと言えば、

それは「おとなしそう」であるということ。

 

騒がず、間違っても警察沙汰にはせず、

黙って「耐えて」「我慢して」くれそうに「見える」女性がベストなわけなので、

「派手め」「ケバめ」な女性はターゲットになりにくいと思われます。

(気が強そうに見えるからでしょうか?)

 

白いブラウス、紺の膝丈スカート、

黒髪、薄めのお化粧なんかが、

痴漢遭遇率をぐっと上昇させてしまいます。

 

中学生なんて、恥ずかしがって声も上げられないでしょうから、

痴漢にとってはこの上なく、いい「カモ」なのでしょう。

友人の娘さんの使う路線には女性専用車両が導入されていないようなので、

これからも友人の送迎はしばらく続くものと思われます。

 

「彼氏でもできたら、付き添い代わってもらえるのになー。」

という友人の慨嘆には笑ってしまいましたが、

本当に早く、娘さんが安心して電車に乗れる日が来てほしいものです。

 

若いお嬢さま方で、もしも痴漢によく遭う方がいらっしゃるなら、

ぜひ派手めの装いをお試しになってみることをオススメします。

 

髪もいっそ金色とかね。

メイクもネイルもガツンと派手に!

 

それからもしも可能であるなら、急行、特急は避けて普通電車に乗る方が安全です。

もしも痴漢に遭遇したら、次に電車を降りるまで、急行電車だと15分~20分も待たなくてはいけませんから。

 

始発駅が近いなら、始発駅まで行って座って通勤通学するのもいいですね。

 

女性専用車両があるなら、なるべくそちらを利用しましょう。

まず安全ですし、

そうでない車両を一層混雑させては申し訳ないですから。

(もちろんね、声を上げて近くの人に助けてもらうとか、場所を変わってもらうとか、そういうことが一番なんだと思いますよ・・・でも、なかなかできないんですよね・・・) 

 

ちなみに・・・。

先ほど、

「痴漢って、基本、後ろから寄ってくる」

って言いましたけど、もちろん例外もあります。

 

大学卒業後、会社に入社してすぐの頃、新人研修のため、同期と一緒に電車に乗っていた時のこと。

 

数十名の同期のほとんどは男子でしたが、女子社員も5名ほどいました。

電車の車両の中では、自然と女子ばかりが固まって話していたのですが、

酔っ払いなんでしょうね、おじさまに絡まれました。

 

腕を引っ張られたり、隣に座ることを強要されたり、触ろうとされたりで、

みんな頭が真っ白になって、棒立ちになるばかり。

 

そうしたら、同期の中にいた、数名の「お船の学校」出身者が、

鉄砲玉のように飛んできて、私たちと、その酔っ払いの痴漢おじさまの間に立ちはだかってくれました。

 

同期と言っても、お船の学校出身の彼らは、私たちよりふたつほど年下で、

上下関係に厳しい学校なのでしょう、

いつも過剰なほど礼儀正しく、物堅く、

女性に対してはどこまでもやさしく、決して「ノー」とは言わない人たちでした。(言わせなかった、という説もありますが・・・。)

 

そんな彼らが肩のあたりから、殺気と怒りをもうもうと立ちのぼらせているのを見て、随分驚いた記憶があります。

 

他の同期の男の子たちも殺到して、痴漢の前に集合したので、

私は生まれて初めて痴漢という人種に対して、

「だいじょうぶなのかしら」

と心配してあげたのでした。

 

痴漢に遭うなんて、とても腹ただしく情けなく、ムカムカとする経験です。

けれども、こんな風に助けてくれる男性が時に現れてくれるからこそ、

多くの女性が男性不信にならずに済んでいるのではないかとも思います。

 

 

 

・・・なんて懐かしいことを、つらつらと思い出してしまったのも、

このところ、「お船の学校出身」の、あの方のブログが止っているからなんでしょうね。(←自分の更新も滞っていたことは棚に上げる・・・)

 

 

levites.hatenablog.com

 


はてさて。

 

お仕事がお忙しいとのことですが、

今ごろどの海を航海中でいらっしゃるのやら。

 

はてな」の港には、お帰りをお待ちの読者がいっぱいのはず。

もちろん、その中には下がり眉の猫の姿も。

 

そこから、お見えになりますか?

 

どうか早めに、そしてご無事のご帰還を。

 

お待ちしております。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

早いもので・・・。

 

早いもので、あれからもう1年が経ちました。

 

mamichansan.hatenablog.com

 

・・・なんとまあ、1年の早いこと!

 

ということで、恐ろしいことに、今日は私の誕生日です。はあぁぁぁ…。

 

去年の今日は、動揺のあまり大騒ぎして、みなさまから慰めのコメントをかき集めたものでした…みっともないったら!

 

え?今年?

 

あれから1年…少しは私も成長して、

もうすっかりあきらめと悟りの境地、誕生日ごときで動揺なんてするはずがなくー…

 

 

 

…なわけないでしょー!

 

相変わらずじたばたしております…くっすん。

 

 

で、そんな傷心の私に、例のテントウムシつながりの友人から、

なぐさめの お祝いのカードが届きました。

 

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かわいい花かごのカード。

 

このカードを見て、私はすぐに、あるブロガーさんを思い出しました。

誰のことかって?

それはhappy-okさん。

 


毎日、かわいい鳥さんたちに、たくさんの愛情を注いでいらっしゃるhappyさん。

そんなhappyさんのブログには、毎日「お誕生日のお祝いカード」が添えられているのを、みなさまもお気づきのことと思います。

 

でもご存知でした?

 

あの毎日のバースデーカード、きっかけになったのは、私の誕生日なんですよ!(←超!自慢)

 


ほらね。ね?

 

あれから1年。

ずっと毎日、新しいバースデーカードを作り続けるなんて、どれほど大変だったことでしょう。

 

再びめぐってきた自分の誕生日に、happyさんのカード作りの1年が重なって、

今年の誕生日は、ひときわ感慨深いものになりました。

 

自作のカードでもないのに、図々しいのですが、

友人からもらったこのカードを、

できることなら、happyさんと分かち合いたいなあ、と思います。

 

だってね、さっきのカードって、

ちょっとだけ角度を変えると…。

 

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ほら。

 

かわいい鳥さんが現れるんです。

 

happyさんにぴったりだって、みなさま、そうお思いになりませんか?

 

happyさんのカードのおかげで、誕生日に笑顔になった人が、きっとたくさんいらっしゃると思うのです。

 

happyさん、1年間、毎日本当にありがとうございました。

感謝を込めて。

 

 

おまけ。

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ちょっとずつ、進んでおります。

 

 

 

 

 

テントウムシの顛末

 

先日、ひたすら編んでいたテントウムシ

 

無事に友人の元に届いたようで、写真が送られてきました。

 

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こうしてあらためて見直すと、テントウムシ、多すぎ…。

我ながら、どうしてこんなに狂ったように編んだものやら。

 

なので、彼女には、

 

「お友だちにでも分けてあげたらいいよ。」

 

って言ったのです。

 

そうしたら、彼女の返事は、

 

「ぜーったい、イヤ!」

 

 ・・・思いました。かわいいなあって。

 

それは、私が編んだものを、誰かに簡単にあげたりしませんよ、と、

私を喜ばせようと言ってくれた言葉で、

それが彼女なりの気づかいだとよくわかっているのですが、

 

ひとつちがいの弟の姉として、物心ついたころからずっと、

「譲ってあげなさい」

「わけてあげなさい」

「お姉ちゃんなんだから、ガマンしなさい」 

というのが子守歌がわりだった私には、

 

「誰かと分けてね、シェアしてね」

 

の言葉の後に、「イヤ!」が続くと、いつだって、はっ!とするのです。

 

そして、ああ、「NO」って選択肢もあるんだなあ、

私はきっと、ずっと言えないだろうけれど、

「イヤ」ってはっきり言える人の、なんて素直でかわいらしく、まっすぐなことだろうと、

いつも眩しく、うらやましく感じてしまうのです。

 

で、そんな彼女にテントウムシのお礼は何がいいかと聞かれて、私は

「写真でいいよー」って答えたんです。

いつも使っている無料通話アプリで写真を送ってくれたら、それが一番安上がりだと思って。

 

そしたら、私の英語が悪かったのでしょうか…。

 

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届いたのは彼女の手作りのアルバム。

南仏の街並み、彼女の自宅、ビーチ、家族の写真。

そしてところどころ、自筆の手紙。

  

かえって手間をかけさせてしまったなあ、と反省しきりなのですが、

彼女の心づかいがしみじみとうれしくて、時々手にとっては眺めています。

 

特にうれしかったのがこの写真。

 

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以前彼女に贈ったこたつ猫「ZEN」くんと彼女の愛猫FLIPくんのツーショット。

見るたびに「ふふ」ってなります。

なんだかふたりで(2匹で?)内緒のお話しをしているみたい。

 

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アルバムに添えられていたカードもテントウムシ

 

幸運の象徴であるテントウムシとクローバーが、やさしすぎて、時に生きづらさを感じている彼女に笑顔を運んできてくれることを願ってやみません。

 

でももし仮に、次になにかを編んで、と彼女に頼まれたら、

おんなじものばかりじゃなくて、少しは違うものを編んでみようと思います。

 

 

おまけ。

 

苦手なレース編みに挑戦中です。

 

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ただいま、こんな感じ。

 

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早くも挫折しそう…。めんどっちいの…。37枚も同じモチーフが延々と…。まだまだ続く…。

 

でもいつか、遠い先、

こんなレース編みが似合うおうちに住みたいなあ、と思いつつ、

挫折しないように、最後までがんばります。

 

と、思っているのですが、やっぱり私のすることですから、投げ出さないとも限りません。

今さら中途半端に放り出したりしないように、みなさまからの温かい叱咤激励をお待ちしております♪

 

 

 

 

 

 

 

 

「よそいき」って古い?

 

かなり以前のことになりますが、テレビで、ある有名デザイナーがこんなことを言っているのを聞いたことがあります。

 

「いまどき”よそいき”のお洋服なんてものはない。」

って。

 

びっくりしました。

 

要するに、いつなんどきでも、お洋服には「気合い」を入れておかねばならない!ってことなのでしょうけれど…。

 

でも、個人的には

「よそいき」のお洋服なんてない。と言われると、

ちょっぴり寂しい気がします。

 

お正月に真新しいお洋服を誂えてもらって、それに袖を通すときの、清々しいような、浮き立つような気持ち。

 

お出かけのための、とっておきの一着を、帰宅してから脱いでしまうのが、ちょっと惜しいような寂しいような気持ち。

 

大事なよそいきのお洋服に限ってカレーやケチャップをこぼしてしまって、

とってもみじめだった時の思い出。

 

そんなお洋服に関するあれやこれやの思い出も

「よそいき」のお洋服があってこそ、だと思うのです。

 

よそいきのお洋服がなくなってしまったら、そんな思い出も感慨もなくなってしまうのだなあ、と寂しく感じていましたら、

友人から、小学校高学年の娘さんの「よそいき」のお洋服を作りたい、

と協力要請が入りました。

 

「よそいき」って言葉に反応して前のめりに話しを聞いていたら、

彼女の話しのメインは

 

「ハンドメイドで♡」だったので、

 

思わず3歩くらい引きました。

なにしろ、彼女の作った雑巾は、雑巾ですら、とーっても「前衛的」…。

遠まわしに、いや、かなりはっきりと

 

「買ったら?買えばいいやん。買おうよ!」

 

って3回言ってみましたが、説得に失敗、

で、結局、最初の危惧通り、もしくは友人の目論見通り(?)私が作る羽目になりました…。

 

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なんか写真がブレブレですが…。

黒のワンピースです。コンセプトは「賢そうに見える!」こと。(いや、彼女の娘さんはまちがいなく本当に賢いお子さんですけども。)

あまり派手なお洋服はNG…な集まりに着ていく予定とのことで、おとなしめのデザイン。

でも襟とカフス部分とをシルクにして、特別な日のための一着って感じを出しました。

出したつもり。出てたらいいな…。

 

で、この娘さんには小さい妹さんが。

お姉ちゃんにだけ新しいお洋服が届いたらちょっとショックなのでは、と思って、

作ってみました。

 

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まだ未完成…。

水色のワンピースです。

襟の部分がつけ襟になってます。

取り換えると、

 

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 こんな感じ。

ミモザのお花の刺繍をがんばってみました。

 

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めんどくさかったです!(←正直)

 

でも小さい女の子にはこんな可憐な刺繍が似合いそうです。

 

で、

 

思ったんです。

 

ここまでがんばったのだから、

裾上げと仕上げのアイロンがけくらい、友人がやればいいのでは!?って。

 

なのでここらへんで送ってしまおうと思います…。

正直言うと、スイッチが切れちゃいました。えへ。

 

たぶん、裾上げくらいは彼女にもできるだろうと思います。たぶん。いや、きっと…。

神さま、お願い、彼女にもできますように…。

 

たとえ「よそいき」という言葉が死語になる日がやってきたとしても、

特別な日の、とっておきのお洋服や、その思い出は、

女の子の人生に必要不可欠な気がします。

 

できることなら、

私の作ったお洋服が、小さな姉妹の心の中で、大切な思い出になってくれますように。

 

 

 

おまけ。

 

先日、セネシオさんの記事で、ベルギーにある日本庭園の写真を見ました。

 

cenecio.hatenablog.com

 

このベルギーにある日本庭園、とってもクオリティが高いなあってびっくりしました。

 

以前、友人から送られてきた、南仏の日本庭園の写真がちょっと「アレ」な感じだったので…。

 

たとえば。

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こんなのとか。

鹿威し風なのかな???

鹿どころか鳥でさえ追い払えそうにありませんけれども。

 

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失笑。

石の上じゃなく竹の上で修行なのね。

まあこれはこれで、ちょっと大変そうではあります。

 

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日本風じゃないよね?

もっと南国風よね?ね?

 

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もはやどこから突っ込めばいいのかわかりません…。

友人は「日本庭園」って言ってましたが、正確には、

「ヨーロッパで想像しうる、ありとあらゆるアジアンテイストをミックスした庭園」

って名前に変更した方がいいんじゃないかな、って思います。長いけど。

 

そういえば、この写真を送ってきた友人は、私が京都に遊びに行くと言うと、

それが紅葉狩りやお花見目的であると言っても、必ず、

 

「竹ある?竹!竹林!」

 

って騒ぎます。

 

なんで竹なんだろうと思っていたのですが、この庭園にはやたらと竹が。

 

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こんな竹林が日本のイメージなのかなあ。

 

日本の竹…私にしても、かぐや姫エジソンくらいしか思い浮かびませんでしたが、

それにしても、この竹林はちょっと「大味」過ぎる気がします。

「ぐさぐさすぎる…」って思いました。

 

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ということで、友人にはこの嵯峨野の写真をネットからお借りして送っておきました。

 

全く同じものではないものを、全体として調和させ、美しく見せること。

そのために払う多大な手間を抜きにして、日本の庭園の美しさは成り立たないのかもしれません。

 

最後に島根県足立美術館を訪れたときの写真を。

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日本庭園と言えば、この美術館!ってイメージなのですが、

そもそも、私の写真の腕がまずくて話しになりません…。あーあ。

 

 

 

 

 

 

 

マミー姫(!?)届きました。

 

先日、あちこちのブログを見ていて、

とってもうれしい記事を見つけました。

 


 「花舗ぽれぽれ」さんのブログ。

なんと、新しいサボテンに私の名前をつけてくださいました。

 

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「マミラリア・グラシリス 明日香姫」(ぽれぽれさん、画像お借りしました。)

 

・・・こんな立派な名前があるのに、わざわざ別名をつける必要があるかどうかはさておき・・・

 

この記事を見てね、これは「チャンス!」って思ったんです。

 

だってね。

 

ぽれぽれさんのお店には、あれこれ欲しいものがいっぱい・・・。

 

naniwa-hanamaru-chukichi.hatenablog.com

 

見た見た?

どれもすっごくかわいいでしょう?

お店の中は、どこを見ても、かわいいものと綺麗なお花でいっぱいなんですよ。

特に雑貨がね・・・南の島のリゾート感がたっぷり!とっても素敵なんです。

 

でね、思ったんです。

 

「私の名前のサボテンが売れ残ったりしたら、かわいそうじゃない?

だから、あのサボテンは私が引き取らないと!

あ、ちょうどいいから、

 

ついでに

 

ずっと欲しかったあの雑貨も、送ってもらっちゃおう!」

 

という謎の理論を自らに展開して(無駄遣いへのいいわけとも言う・・・)

ぽれぽれさんのお店にお電話して、

「送って~」とお願いしました。

(お店に直接行きなさいよって?いや、今、夏だし、ほら暑いし・・・ごにょごにょ・・・ただのわがままです・・・すみません。)

 

そんな私のわがままにも、ぽれぽれさんは快く応じてくださいました。

で、昨日ね、届いたんですよ。早い早い♪

 

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ああ、「バリ島のお受験ネコ」がかわいい・・・。

お勉強しないといけないのに、釣り竿持ってるところとか・・・かわいすぎます。

それとも、”ねこ界”では受験に「釣り」が必須なんでしょうか・・・。

見る度に「がんばれっ!」って言いたくなります。

 

で、「マミラリア・グラシリス 明日香姫」・・・

こんなにかわいいのに、「マミー姫」なんて名前をつけられてしまったかわいそうなサボテン・・・。

でも、「まるっちい」ところになんともシンパシーを感じます。

 

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「つんつん」してみました。

 

・・・痛くない!

 

ますますかわいく思えてきました。

元気に育ってくれたらいいなあ・・・。

 

で、もうひとつ・・・。 

 

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ずっとずーっと欲しかったミニチェスト。

手に取ってみたら、適度な重み、それに前方に傾けても引き出し部分が飛び出さない、うれしい工夫つき。

 

何を入れるか、悩みましたが、

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チープだけど、お気に入りの指輪を赤いハートと一緒に。

 

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早速「新入り」いじりが始まってます・・・。

「勉強しなさい」と言われているのか、それとも「勉強なんてほっといて一緒に遊ぼう」と誘われているのか・・・。

 

視線の先にかわいいものが。

ずーっと欲しかったものが。

 

それだけで、思わず笑顔になったり、うれしくなったりします。

いつも元気づけられているような。

もう少し、がんばって、と言われているような。

 

ブログもきっとそうですね。

あちこちに、そっと置かれた誰かのやさしさに、

いつも励まされています。

 

そんなご縁に恵まれた自分の身の幸運に感謝せずにはいられません。

 

花舗ぽれぽれさん、本当にありがとうございました。

できたらまた、雑貨特集を企画してくださいね。

 

 

それから、

最近、読者登録をしていただいたみなさま。

 

ご挨拶もままならず、本当に申し訳ありません。

いつも駄文ばかり、なんのためにもならないブログですが、

ネットの広大な海の中で、めぐり会えたご縁を、できるだけ大切にしていきたいと思います。

 

これからもどうぞよろしくお願いいたします。