「不機嫌の椅子」夫婦円満への私の秘訣
みなさま、あけましておめでとうございます。
ちょっと遅ればせながら、みなさまに新年のご挨拶を申し上げるとともに、
今年も旧年中に変わらぬご厚情を賜りますよう、お願い申し上げます。
さてさて、先日は我が家の夫の「夫婦円満の秘訣」についてお話ししたつもりが、図らずも夫の「自己紹介」になってしまいましたが、今日は「夫婦円満」のために私が心がけていることについてお話ししたいと思います。
しかしながら私の、と言うには少し語弊があるかもしれません。
というのも、私の「夫婦円満の秘訣」とは、作家田辺聖子氏の作品中の言葉に基づくものだからです。
高校生くらいだったかなあ。
田辺聖子の小説だったか、エッセイだったかを読んでいて、こんな一節に出会ったのです。
「夫婦の間には「不機嫌の椅子」はひとつしかない。どちらかがそこに座ったら、もう片方は座れない。」
まだ結婚なんて想像もできないくらい幼い私でしたけれど、この言葉はどういうわけか胸の奥深くにするりと落ちてきて、忘れられないひとことになりました。
夫との結婚生活が始まってからも、私の頭の中には、いつもこの「不機嫌の椅子」という言葉が居座っていて、時に私を上手に自重させてくれたものでした。
夫婦の間で、どちらかが不機嫌になった場合、それにつられてもう片方も不機嫌になってしまったら、後は夫婦喧嘩が待つばかり。
それがイヤなら、不機嫌の椅子に座りそこねた一方は、相手の気持ちに寄り添って機嫌がよくなるように支え続けるしかありません。
我が家の場合、夫は基本的にいつも機嫌のいい人なので、夫が「不機嫌の椅子」を要することはあまりありません。
でも、お仕事から帰宅してしばらくは、やはり疲れのためでしょうか、いつもちょっと「不機嫌」です。
そんなとき、私は夫に決して逆らいません。
また、空腹が不機嫌を助長する要素になるので、帰宅してすぐに食事がとれるように気をつけています。
「お疲れさま」のねぎらいと、空腹がすぐに解消されるおかげで、帰宅直後はちょっと疲れて不機嫌な様子の夫も、食事が終わるころにはすんなりと「不機嫌の椅子」から離れてくれます。(←つくづく簡単な人です。)
家庭生活を円満に営むのは、本当に大変なことですが、この、
「不機嫌の椅子」とは、ひとつの家庭にひとつしかない。
ということを理解できない人や、「不機嫌の椅子」に座っている相手に対しても攻撃性を緩められない人にとっては、さらに困難さが増すことでしょう。
「不機嫌の椅子」に座っている夫あるいは妻には、逆らわずに軽くいなすことが肝要ですが、留意すべき点は、
「「不機嫌の椅子」を独占・占有しないようにする」ということです。
目に見えない「不機嫌の椅子」に座るのは、基本的には「早い者勝ち」。
でも、1年365日、ずっと夫ないしは妻が、それを連続で独り占めしては、もう片方はたまったものではありません。
どちらかが「不機嫌の椅子」を使ったら、その次は相手に気持ちよくそれを譲る。
できることなら、よほどのことがない限り、夫婦どちらもその椅子を使わずにすむように努力する。
常にこれだけのことを気にとめるようにするだけで、夫婦間の軋轢はかなり軽減されることでしょう。
ただし。
いくら独占がダメだからと言って、「悪しき平等主義」を夫婦の間に持ち込んでも不毛であると悟ることはさらに重要です。
「昨日、あなたが座ってたんだから、今日は私に使う権利がある!」
とか、
「収入は俺の方が多いんだから、俺の方がたくさん使う権利がある!」
とか。
杓子定規かつ行き過ぎた原理原則主義ほど結婚生活に似つかわしくないものはありません。
どちらかの寿命が尽きるその日までの、気が遠くなるほどの長いスパンで見たときに、お互いが納得できる程度の公平性を確保できればそれでよし、という曖昧さをお互いに受け入れることが大切なのではないかと思います。
かくいう私も、出産後は「不機嫌の椅子」を夫よりもずっとたくさん使用した自覚があります。
いつまで続くのかわからない睡眠不足、たった15分の間もひとつの作業に集中できず、絶えず手を止めざるを得ないストレス、世界で最も大切なものをひとりで抱え込む重圧感。おまけに産前産後のホルモンバランスの激変で、とにかくやたら気分の浮き沈みが激しくなって、ロデオのように乱れる自分の感情を抑え込むだけで、疲労困憊していたものでした。
あの頃、夫が私の感情の波を全身で受け止めながら(←要するに当たり散らされてました。今考えてもかわいそう!)、それでも私を支え続けてくれなかったら、どうしてその後、夫に対して感謝の気持ちや敬意を保つことができたでしょうか。
結婚生活には1年ごとの決算はありません。
互いの関係性に近視眼的な貸借関係を持ち込まず、長い目で見て、「お互いさま」と言える関係を緩やかに目指す。
頭のどこかに「不機嫌の椅子」という概念を持ち込んだら、そんな関係性を維持しやすくなりますよ。ほんとにほんと。オススメです。
小学生のころから、田辺聖子氏の小説が大好きだったのですが、私が夫とそれなりに(あくまで「それなりに」だけど。ほほ。)良好な関係を維持できているのは、つくづく氏のおかげだと思っています。
おまけ。
先日のエントリー
この記事にみなさまからいただいたコメントを、夫婦で大喜びで拝見いたしました。
私「そういえば来年戌年やねえ。あなた、もう戌年に変えたら?」
夫「どうやって?!てか今さら?これ以上?もう十分犬っぽいやん!」
大笑い。
私「ほらっ!カッコいいって言うてくれはる人もいてるやん!」
夫「どこがっ?!どのへんがっ?!」
爆笑。
私「許してもらえるなら「お手」や「チンチン」までする人が・・・」
夫「さすがにそれはないわー。対岸へジャンプ!」
私「せっかく共感してくれてはるのに…今、はしご外したよね?」
大爆笑。
ふたりで大笑いしつつ年の瀬を過ごすことができました。
夫が何か余計なことを言うたびに、娘が
「パパ。いらんこと言うたら、ママにまた「はてな」で公表されるんよ?」
と忠告するようにもなりました。
よくよく考えたら、「はてな」が私たち夫婦の、最良の「円満の秘訣」なのかもしれません。
夫の「夫婦円満の秘訣」がなんか変。
みなさま、こんにちは。
先日、結婚したばかりの姪っ子から祝い返しと礼状が届きました。
あんなにも小さかった彼女がもう結婚するようになるなんて。
いつの間にそんなに時間が経ってしまったのやら・・・この20年あまり、私の方はちっとも成長していないのに、子どもというのは確実に大きく、大人になっていくのですね。
何度考えても不思議な感じがします。
私の頭の中では今でも小さく可憐なままの姪っ子。
これからの長い人生を、できることならだんな様と仲良く、末永く幸せに暮らしてほしいなあと思います。
ところで「仲良く幸せに」結婚生活を維持するのって、意外と大変ですよね。
どこのご家庭のどなたにも、きっとそれぞれの「夫婦円満の秘訣」というものがあるのだろうと思うのですが、我が家の夫のそれはちょっと変。てか、かなり変。
夫が言うには、
「男なんてな、「犬」やと思っといたらいいねん。
「頭のいい犬」とちゃうで。「頭の悪~い犬」な。
そう思っとけば腹も立たへんやろ?」
だそうでして。
なので、夫によれば、夫婦円満のための妻による有効な秘訣とは、
「まずエサ!とにかくエサ!おいしいごはん!
ごはんをくれる人が一番やねん、男にとっては!
あと、とにかく「ほめる」こと!
いいことしたら、「よーし、よし!」ってめっちゃ褒めるねん!大げさに!
んで、悪いことしたら、その場で叱る!
「後で言おう」、とか言うのんは無し!
あの時どうしたこうした、あんなこと言った、こんなことされた、なんてことは男は覚えてられへんねん!」
えーっと。
あまりにも堂々と言われたので、私もその時は「へえー。」って言ったのですが、
今になって思うと、ツッコミどころが満載って感じがします。
百歩譲って、仮にこんな「秘訣」であっても、たとえばこれが「先輩主婦」のどなたかから聞いたのであれば、私も「ほほー。なるほどー。」と頷けたかもしれませんけれど、これ、夫が自分で言ってますからね、「頭の悪い犬」って。
「いいんかいな、それで。」
って言うのが正直なところ。
だいたい、そんなにも「ごはん」が大切なんだとしたら、もっとお料理上手な人と結婚したらよかったのに。
しかも褒めろとか叱り方がどうのとか、「めんどくさいねん!」とも思います。いい大人なのにさ~。ふんっ。(←あかん)
で、そんな夫との結婚生活のある日の思い出。
我が家では、帰宅時間の遅い夫が最後に入浴することになるのですが、
夫が蛇口を閉めると、たまに「中途半端」になっていることがありました。
きちんと閉めてくれないと、水が滴ってカビの元になりますから、毎回注意するのですがなかなか改善されなくて、その度に私はきぃ!と怒っていました。
で、ある朝。
歯磨きをしている夫の後ろで、私が浴室のドアを開けると、そこにはぴちゃん、ぴちゃんとシャワーから落ちる水が。
私が思わず「あっ!」と声を上げると、
背後の夫がダダーっと逃げ出しました。歯ブラシをくわえたまま。まさに脱兎のごとく。
で、そんな風に逃げられたら、私も言うしかないじゃないですか?
「こらーっ!」って。
んで、朝っぱらから、歯ブラシをくわえたままの夫と追っかけっこをしていたら、そのうち夫がソファの上にででーん、と仰向けに横たわって動かなくなったので聞きました。
「なにやってるの?」って。
そうしたら夫が、仰向けのままで言いました。
「降参、降参!降参のポーズやで!
犬はお腹見せたら、降参ってことやねん!
だからもう怒ったらあかんねんで!」
私は心の底から「むっかー!」としたので(実はちょっとおかしかったけど)、
「犬と結婚したつもりはないんですけどっ!」
と言って夫の鼻を、「ぎゅうぅぅぅっ」とひねっておきました。
「お腹見せたら、もう怒ったらあかんのにぃ・・・」と鼻をさすっている夫の顔には、はっきりと、「この程度で済んでよかった~♪」と書いてありました。
大学の同窓であった夫との結婚生活は、どうしても「同級生」だった関係性が抜けなくて、毎日がこんな風にドタバタとしています。しっとりと落ち着いたご夫婦に出会うと、「どうやったらあんな風に・・・」といつも憧れの気持ちを抱くのですが、私たち夫婦がそんな風になれる予感は1ミリたりともいたしません。
姪っ子夫婦がこの先、どんな風に家庭を築いていくのか興味津々ですが、まかり間違っても夫にだけは、夫婦円満の秘訣なんかは聞きに来ないでほしいなあと思います。(言われなくても来ないと思うけど!)
ちなみにもちろん私にも「夫婦円満の秘訣」というのがございます。
次回は、夫のそれよりは少しは「まとも」なはずの私の「夫婦円満の秘訣」についてお話しできればいいなあと思っています。
今年も残すところあとわずか。
この1年も私が細々とブログを続けてこられたのは、ひとえにみなさまのおかげです。
毎回ひどい駄文ばかり、お付き合いいただくのも申し訳ないくらいですけれども、みなさまとの交流が楽しくて、やっぱり「はてな」っていいなあ、楽しいなあとつくづく思います。
来年もみなさまの素晴らしい記事を楽しみに、私も今しばらく、「はてな」の住人でいたいと思います。
どうぞ引き続き、よろしくお願いいたします。
今年も本当にお世話になりました。
どうかよいお年を。
おまけ。
この記事の下書きを読んだ夫が、
「”秘訣”でもなんでもないな。「頭の悪い犬」って・・・これ、俺の自己紹介やん。」
って言うので、今、夫婦で大笑いしています。
みなさまの年の瀬も、笑いで満ち満ちていますように。
任天堂「ポケ森」を始めて「とび森」を思い出す。
みなさま、こんばんは。
任天堂の「どうぶつの森ポケットキャンプ」が配信されて約3週間が過ぎました。
2005年に発売された「おいでよ どうぶつの森」からのファンとしては、待望のスマホアプリでの配信。
もちろん見逃せるはずもなく、配信当日からガッツリはまって、私の一日は「森」の更新時間に支配されるようになりました。(忙しいのにね・・・。)
配信当日は通信障害のあまりの多さにうんざりして、プレイ続行は無理かも、と思いましたが、翌日からはなんとかストレスフリーで楽しめるようになりました。
これまでの「森」は専用機DSや3DSが必要でしたが、スマホで楽しめるのって思っていたよりも快適で便利なものですね。
重い3DSがお出かけに必須だった頃を思うと、スマホひとつでいつでも「森」に遊びに行けるのは革新的ですらあります。
これまでの「森」とはずいぶんと様相が違いますが、「ポケ森」も充分楽しいゲームです。だけど、やっぱり「ポケ森」をプレイしていると、
「前作の「とびだせ どうぶつの森」ってすごいゲームだったんだなあ!」
という感想を持たずにはいられません。
今日はそんな「とび森」についての思い出をちょっとだけ。
おそらく私は最初のゲーム世代と呼ばれる世代に属していると思うのですが、
実際のところ、これまでゲームなんてものをやったことがありませんでした。
「ゼルダ」や「ファイナルファンタジー」なんかはまさにドンピシャ!世代なはずですが、夢中になってる友人を見ても、まったく食指が動きませんでした。
「マリオ」や「テトリス」ですら未経験。
なので、「ポケモン」の話をしていたフランス人の友人が唐突に、
「PikaPikaaaa!!!」
って言ったときには、とっさに
「この人、頭のどっかがおかしい人・・・?!」
と狼狽し、あとから夫に、
「ピカチュウは「ピカピカ!」しか喋られへんねん。
そんなことも知らんなんて日本人失格やな!」
とツッコまれました。(大阪のおばちゃんだけでなく日本人まで失格になってしまった。とほほ。)
なので、任天堂「とびだせ どうぶつの森」を始めて私が一番に思ったことは、本当に今さらですが、
「任天堂ってすごーい!」
ってことでした。
だってね、だってね、
本当に世界中の人が「とび森」をプレイしていたのです。
アメリカ、カナダ、オーストラリア、ブラジル、韓国、ヨーロッパ諸国・・・珍しいところではオランダ領アンティル、トリニダード・トバゴ人ってのもいたなあ・・・。(←どこだろ・・・?と後で世界地図を見た。)
「とび森」の魅力は、とにかく「人との交流」にあって、誰かと一緒にプレイすることでより楽しさが増す仕組みが満載でしたから、3DSを開くといつもそこにはいろんな国の、いろんなプレイヤーとの出会いがあったものでした。
でもね。
いないんですよ。そこに。
中国人だけは。
中国では3DSが販売されていないので、中国人がいないのは当たり前なのですが、昨今、どこに行っても中国人観光客だらけの状況を思うと、違和感を感じずにはいられませんでした。
既に日本を抜いて世界第2位の経済大国の中国。
富裕層の親たちは子どもの幼稚園に月額7万円もの保育料を払っているとのことですから、3DSがことさら高価だということではないと思います。
きっと、あまりにも簡単に世界中と通信・コンタクトできてしまうところが、逆にネックになっているのでは、と当時は想像したものでした。
ところが、「森」の中で、私は一度だけ、中国人に出会ったことがあるのです。
「森」のプレイヤーはみんなどこの国の出身者かわかるようになっていて(日本人だけは住んでいる都道府県まで設定できます)、そのプレイヤーも国籍が「日本」となっていたので、当然日本語で話しかけたのですが、あまりにも話が通じない。
変だなあ、と思っていると、
「実は香港在住の中国人です」
と言うのです。
中国では3DSが販売されていないので、日本旅行のついでに秋葉原で購入したとのことでした。
そ、そこまでしてやりたいものだろうか?ゲームって・・・???
ま、やりたいんでしょうね。
確かに「とび森」は、好きな人にはたまらない魅力があります。私も「どハマり」しましたもの。気持ちはわかります。
でも、そのころの香港は、例の「雨傘運動」の真っ最中。
第二の「天安門事件」が香港で?!と世界中が固唾を飲んでいるところでしたから、私はとっさに、
「大丈夫なんですか?」
と聞かずにはいられませんでした。
彼の答えは、
「確かに街中、騒然としているし、一触即発の雰囲気はある。
私はもう年寄りだから、デモに参加はしないけれど、若い人たちの言ってることの方に気持ちは寄り添ってるし、彼らの味方だよ。」
とのことでした。
その後、天安門事件のような悲惨な人的被害を出さずに、一連の反政府運動が収束したときにはほっとしましたが、その時に思ったのです。
あの天安門事件の時にも、今と同じような通信技術が存在していたら、中国政府もあんなに酷いことはできなかったのではないだろうかって。
世界中の人間が、報道に頼らず、リアルタイムで会話・写真のやり取りができる社会。
スマホだけでなく、3DSのようなゲーム機ですら、それを可能にしているのですから、完璧な規制をかけることはかなりハードルが高いと言わざるを得ません。
それが、もしかしたら、中国政府を、天安門事件の当時よりは慎重にさせ、雨傘運動に参加していた若い人たちの命を救ったのかもしれないと思うと、心からよかったと感じるのです。
だって、「自国の」戦車にひき殺されて死ぬなんて、あまりにも悲惨ではないですか。
各種SNSやゲームには常に賛否両論があるものですが、使いようによっては、弱者にとって、かなりの武器になるのかもしれないなあと、しみじみ考えたりしたものでした。
翻って、最新の「ポケ森」。
「とび森」最大の特色であったプレイヤー同士の「交流」機能は、ほとんどなくなってしまいました。
会話を楽しむどころか、一緒にプレイすることもできないし、プロフ欄すら存在しないので、「フレンド登録」しても、どこの国の人だかもわからない状態です。
それは、「とび森」にガッツリはまっていた人間にとっては、かなり寂しく、最初の1週間は、どうにももの足りない感じがしたのですが、最近は、
「進撃の巨人」について延々と薀蓄を傾けるアメリカ人、
「兵役に行くのがイヤだ~」と長々と愚痴を垂れ流す韓国人、
レアアイテムをごっそり盗んでいくベルギー人、
イスラム教徒とパリジャンへの悪口三昧のフランス人、
下ネタしか話さないスペイン人、
出会ってすぐにキリスト教の布教を始めるブラジル人、
などに煩わされることなく、ひとりで平和にプレイするのもなかなか悪くないかもなあ、とこっそり思うようになりました。ほほ。
昨日、やっとスマホのスクショが撮れるようになったので、「ポケ森」の写真を最後に。
目の前で「とたけけ」に歌ってもらう「私」。
現実社会なら、こんな至近距離でギター片手に歌われたりしたら、
「さぶっ!」
って思うこと確実ですが(←大阪人)、「森」の中だと許せる不思議。
でも、ちょっと席を外してたら、かわいい「ドレミ」に席を奪われて大ショック!
雪景色に変わったこともあって寒さが身に沁みます・・・。
「とび森」に比べると「どうぶつ」たちとの会話もちょっと単調ですが、
できたばかりの「メリーゴーランド」を楽しんでいる黒馬「シュバルツ」を発見、
「そう?」
「へー。」
「よかったね。」
くらいの会話は楽しめます。
子どものころ、「おままごと」が好きだった人、
かわいいものに目がない人、
なにかを「集める」「収集する」のが大好きな人、
お部屋のインテリアをいじるのが好きな人、
「森」はそういった人に向いているゲームです。
はてなブロガーにも「森」の住人は意外とたくさん。
みなさまももし対応機種のスマホをお持ちでしたら「森」へGO!
きっとすごく楽しめますよ~!
「奥さまは内弁慶」で夫が激おこぷんぷん丸(←古い。)
みなさま、こんばんは。
最近、当ブログでは「夫の悪口」三昧、
やれ忘れ物が多いだの、話しが長いだの、言いたい放題でしたので、
夫がちょっとふくれ気味。
「あなたのブログの中の俺ってさあ・・・。
ちょっとアレやん?
ウソってわけじゃないけどさー。」(←自覚はある様子。)
なので、ここはちょっと夫の機嫌をとるためにも、今日は私自身の恥もさらさねば!と思いつつ、この記事を書いています。
(たぶん、ここで、夫から盛大なツッコミが入ると思います。
夫「いやいや、待て、ちょっと待って。
なぜ夫婦そろって「恥かき大会」にする必要が???
そこは普通に夫を褒めるとかでいいやん?
こんな夫でも、ちょっとはいいところがあるんですよ~って言っといてくれたらいいことやん??」
って感じ?
マジで聞こえてくるようやわー。今そばにおらんけど。
でもそんなの、おもしろくないやん!?誰も聞きたくないやん?
しかも年季の入った夫婦が褒め合うなんてちょっと気持ち悪いやん?
ねー?
きっと夫は言うと思います。
夫「その、なんでもかんでも「おもしろいか、おもしろくないか」、だけで物事を図ろうとするのは大阪人だけやからなっ!
ついでに言うと、誰かを”失敗談”で笑わせたのを「やった!」とか「勝った!」とか思うのも大阪だけやからなっ!」
・・・・・・そうなん?
ちょっとみなさまにも聞いてみたい・・・このメンタリティー、大阪だけのものでしょうか???
まあ、今日は大阪人の特性についてお話ししたいわけではないのです。
ちょっとおかしい夫には、ちょっとおかしい妻がいたってお話。
先日のこと。
スーパーにお買い物に行ったのです。
で、お砂糖を買おうと思って、粉類の並ぶ棚のところに行きましたら、お店のスタッフさんが、お砂糖を並べてらしたのです。
よくよく考えると、あれって本当に大変なお仕事ですよね。一袋確実に1キロある砂糖を延々と中腰で並べていかなくてはなりません。
若いころから腰痛に悩んでいる私には、見ているだけで辛そうに感じられて、
それに作業の邪魔をするのも申し訳なくて、
「お砂糖ひとつください。」
と声をかけることができませんでした。
で、パン売り場とか乳製品 の売り場とかを回って、再度お砂糖の売り場に戻りましたら、まだ作業が終わっていなかったので、
「今日はお砂糖買われへんかってん。」(標準語訳:今日はお砂糖を買えなかった。)
と言いましたら、夫が驚愕して言いました。
夫「は?なんで?言えばいいやん!お店の人も買ってくれた方が売り上げも上がってええやろ???」
えー・・・そりゃもっと高いモノならともかくとして、お砂糖なんて200円くらいのものじゃないですか。
それで仕事の手をとめられたら、相手がお客さんでも内心「いらっ」とするんじゃないかしら。
と思ったので、娘にも聞いてみました。
そのシチュエーションで、お店の人に「お砂糖ください」って言える?
娘「言えない。後ろで作業が終わるまで待っとくかな。」
ねー、そうだよねー、言えないよねー、と私と娘で盛り上がっていたら、沸騰しました。夫が。
夫「なんでやねん!なんでうちの女どもは俺にだけ強気なん?!おかしいやろー!
だいたい、店員さんと余計なことまでしゃべるのが大阪のおばちゃんやろー!
大阪のおばちゃん失格やでっ!」
「大阪のおばちゃん」を失格になってしまった・・・。なってよかったけど!
夫「店員さんには遠慮するのに、あなた、俺には取らせるやん?こたつから出たくない時とか。
しかも「取って」とすら言わへんことあるやん?
なんか手を伸ばして「ううーん」って言ってることあるよね?
リモコン取ってほしい時とか!」
私「違うでっ!
あれは、いつの日か「念力」が使えるようになろうと思って日々研鑽を積んでるんやで!
いつか使えるようになったら、こたつに入ってても自分でチャンネル変えられるやん?!あなたにもみかんとか取ってあげられるようになるんよ?!」
↑
「念力」を使えるようにイメトレ中のマミーさんの様子。
「夫にリモコン取って~とアピール中」とも言う。
そして「いらすとや」さんにはなんでもある、を実感するの図。
もちろん夫はさらに沸騰。ぷんぷんです。
夫「念力も超能力もどうでもいいけど、スーパーで「ひとつください」くらいスルッと言えるように練習すれば?
ああ、もう、スーパーの店員さんみんなに俺のマスクを被ってもらえよ!
俺は店員さんのマスクが欲しいわっ!」
夫が沸騰中、私は爆笑、娘は知らんぷり。
夫の家庭内苦行はまだまだ続きます。
ああ、内弁慶な妻を持った夫ってかわいそう。でもちょっとうるさい。(←あかん)
さてさて。
今年もあと残りわずかになりましたね。
あまりにも時間の経つのが早くて、この1年は巨大な手によって折り畳まれたかのように錯覚してしまいそうです。
このところ、ますます雑事に追われて、一日が50時間くらいあればいいのに、と切実に願う毎日です。
なかなかみなさまのブログに伺う時間も確保できなくて不義理が続いておりますこと、どうかお許しくださいますよう。
年末に向けて、みなさまのますますのご活躍をお祈りしております。
夫の話が長い。
みなさま、こんばんは。
忙しさに取り紛れて、最近はブログネタに困る毎日が続いております。
だったら別に書かなくてもよさそうなものなんですが、
このままだとみなさまに忘れられてしまうかも~と心配になるのでありまして。
で、困った時の夫頼み、今日は我が家の夫のお話。
世間ではよく、
「妻の話しは長くてつまらない」
なんて言われているようですけれど、我が家の場合、ちょっと事情が違います。
夫の話しが長いのです。
いや、夫はどちらかと言えば無口で愛想がなく、自分から何かを話すことはあまりないというか、たぶん、「おしゃべり」が苦手なんだと思うのです。
なので、平素はたいてい、私がひとりでしゃべってます。
夫はほとんど聞いていないと思いますが、別に私も返事を期待しているわけではないので、さして痛痒を感じません。
問題は、私が何かを質問した時。
その返事が長い長い!
普段から、あまり「しゃべりなれていない」ためか、「会話」というものは本来「行ったり来たり」するものなんだという認識に欠けるきらいがあります。
なので、私の質問への夫の答えは、いつも
「授業」
「講義」
「国会答弁」
のような雰囲気。
その眠いことと言ったら!
たとえば。
まだ新婚のころ、うっかりと聞いてしまったことがありました。
「福岡の地名の由来って何?」
って。
そしたらまあ、その説明の長いこと、長いこと・・・。
5分経っても、10分経っても、ちっとも結論に至りません。
そもそも九州が出てこない。
まだ新婚でしたしね、私も我慢してたんですけど。
10分オーバーのあたりで、とうとう辛抱できなくなってしまい、
言いました。
「もうええわ・・・興味なくなったから。」(←ひどい)
夫は
「もうあなたには話さないっ!」
って怒ってましたけど、その怒り具合がおかしくて、大笑いしました。
あとね、娘が産まれてすぐのころ。
夜の間ずっとぐずり続けた娘の世話で、一睡もできずに起きだした私の前で、夫が朝刊のとある記事に感動して、その記事について説明を始めました。
それが長い!
めーっちゃ長い!
私も、今ならもしかしたら我慢できるかもしれないけれど、そのころは恒常的・慢性的な寝不足で、朝は特に機嫌が悪くて、もうほんとに「プチッ」って音を立ててキレました。
「もういいっ!あとで自分で読むっ!」
コワかったんでしょうねえ・・・夫はしょぼーんとして会社に出かけていきました。
ちょっと悪いことしたなあ、と反省しつつ、あとで新聞をチェックしてみますと、
夫が感動していた記事は3センチ四方くらいの、すごーく短い記事で(←見つけるのに苦労した)、
「この短い記事を、どうやってあんなに長くのばすことができたのか!?」
と、違う意味で衝撃を受けました。
夫に言わせると、
「知らないことがあるかもしれない。だから1から10まで説明してあげないと!」
という気持ちになるんだそうで、夫から見れば、私はずいぶんと「もの知らず」に見えるということなのでしょう。
で、そんな夫がある日、会社から帰宅して言いました。
「最近、朝礼の時に、あいさつと申し送りだけでは寂しいから、ちょっとした「小ばなし」をしている」
って。
それを聞いた私は飛び上がりました。文字通り。30センチくらい。
あのまとまりのない、オチもなんにもない、おもしろくもない話を、会社の人にも聞かせているというのか!?しかも朝から?!毎日?!
「なんでそんなことするん?!
やめときぃや!迷惑やから!
あいさつは短い方がいいんよ!
朝はみんな気が急いてるんやから!!!」
と息せき切って、必死で夫を説得しました。
すると、翌日。
「私の話しは長くてつまらないから、みなさんに迷惑かけてるのがわかんないの?!って奥さんに怒られたので、朝の小ばなしはもうやめときます~。」
と朝礼で言ったらしいです・・・。(素直というか、ダダ漏れというか・・・。)
そうしたら、
「君の話しで初めて笑ったわ~。」
と上司に言われたらしく、意外にも機嫌よく帰ってきました。(←いいのだろうか?それで…。)
ま、会社のみなさまにこれ以上、ご迷惑をかけることもないと思えば、
それは安心材料なんですけれども、ひとつだけ、どうしても納得しかねることがあるとしたら、
夫の、長いだけの退屈な話を聞かずに済むようにして差し上げたのに、
以来、
「あそこの奥さん、コワいらしいよ~」
とウワサになっているようで・・・
みなさまに貢献したはずなのに、その言われよう、
「解せぬ・・・」
とつい愚痴っぽくなり、なにもかも、
「あなたの話が長すぎるせいよっ!」
ますますコワい奥さんになっている気がします。(←もちろん気のせいではない。)
最近は「結婚しない」若い方が増えているそうですけれど、
我が身を振り返ると、
「最近の若い人って賢明よねえ。」
って思ってしまうあたり、私の悪妻っぷりもかなりなものです。
夫が哲学者になるのはいつかな~♪
ほほ。
うすーいお粥でお腹いっぱいにしろって言われても。
みなさま、こんばんは。
先日は「無人島ネタ」にお付き合いくださってありがとうございました。
コメント欄等にいただいたみなさまのお答えは、どれもほんとにおもしろくって!
たとえば。
「スマホ一択!」
なるほど、なるほど、無人島でもブログを更新、ブロガーの鑑!
「ノートとペン」
こちらもブログネタを確保する気満々ですね、やっぱりブロガーとして模範的!
「ナタ・ナイフ・包丁」
お料理?お料理ですよね!?一緒について行きたい!
「テント」
これは盲点!無人島でも快適居住空間は必須ですよね!
「花の種」
ああ、なんてロマンティックなんでしょう!
一生に一度でいいから、こんな素敵な答えを誰かに返してみたい!
「船・飛行機・ヘリコプター」
叫びました。
・・・頭ええーーー!!!
「私も!私もお船がよかったかも!運転できひんけどっ!」
と大騒ぎ、娘から
「船は「運転」ちゃうけどね、「漕ぐ」か「操縦」・「操船」とちゃう?」
冷たいツッコミを受けました。
むか。
それから、
「ドラえもん」
無人島でなくても欲しいです!
「彼女♡」
・・・勝手に幸せになってください。無人島から帰んなくていいよ・・・。
みなさまからのお返事は、どれもがそのお人柄を映していて、みなさまと一緒におしゃべりをしているような気分になりました。
ほんとにほんとに楽しくて、「はてな」をやっててよかったー!としみじみ感じるエントリーになりました。あらためて、ありがとうございました。
で、今回も、唐突ですが、
私が数年前からずっとモヤモヤしていることについて、みなさまのご意見をお伺いしたいと思うのです。
できましたら、お付き合いくださいませ。
「私が数年前からモヤモヤしていること。」
それは、「最近の小学校、ちょっと変じゃないですか?」ってこと。
学校や教育というものは、いつだって問題を抱えているものだし、完璧になることなんてないのかもしれませんけれど、でもやっぱり最近の小学校、ちょっと変だと思うんです。
何が変、って、
「決まったカリキュラム、ちゃんとこなせてないんじゃない?」
ってこと。
たとえばね。
娘が小学生だったころ。
授業が終わっても、なかなか下校してこないことがよくありました。
家でヤキモキしながら待っていた私に、娘は
「図工の絵が描き終わらなかったから、放課後居残りしてた。」
というのです。
娘が特別要領が悪いのかと思って聞いてみると、クラスのお友だちの大半が居残りしていたんだとか。
そういうことがしょっちゅうありますと、図工の課題に求められているレベルと、時間割に占める図工の時間の割合とが、釣り合っていないのではないだろうかと思わずにはいられませんでした。
娘を小学校に通わせている間に感じた違和感はそれだけではありません。
「絵を描く」だけでもなかなか図工の課題が終了しないのに、次々と上がっていくハードル。
やれ「竹ペンで絵を描く」とか「彫刻刀で版画をつくる」とか。
私が小学生のころも同じようなことはやっていましたが、その課題にかける時間は、よりタイトになっているような気がしました。
それからお習字。
お道具類はひとりワンセット必須。でも昔に比べて使う頻度は激減したような。
卒業までに何回使ったかな・・・本当に必要だったのか、いまだに謎です。
あと、「図書の時間」。
読み終わった本を借り換えるために本を持って登校したのに、一体何度、同じ本を持ち帰ってきたことか。
図書の時間はしょっちゅう体育や算数の時間に変わってしまい、高学年になってからは、図書室で本を読むなんてほとんどできていないようでした。
でも、そういうことも、仕方ないのかもなあという気はするのです。
だって、昔と比べて、今の小学生は本当にやることが多い!
英語の授業もプラスされました。
クラブ活動とか委員会活動とかも時間割に入るようになりました。
「昔ながらの伝統的な遊び」を継承するとかで、地域のお年寄りと遊ぶ時間も取り入れられました。
「敬老の日」の前には、地域の介護施設にお手紙を書かなくてはならないし、2分の1成人式もしなくてはいけません。
パソコンの授業ももちろんありますし、おまけにプログラミング教育ももうすぐ始まる予定です。
でも、昔からある学校行事やカリキュラムが削減されたとはあまり聞きません。
運動会や合唱コンクール、林間学校・修学旅行に観劇・映画鑑賞・・・今でもちゃんと行っています。
授業のコマ数はなかなか増やせないのに、やるべきことはどんどん追加されていく。
だから、図書の時間や図工・習字の時間が実質的に圧縮されても仕方ないということなのかなあ、と、娘の学校生活を見ていて時々考えたりしたものでした。
確かに英語教育も必要だと思います。
私も英語が話せたらいいなあと今でも思いますもの。
プログラミング教育だって、いいと思いますよ?
私みたいな機械音痴が社会にいっぱいあふれても、いい迷惑じゃないですか。ねえ。
でも。
「いいと思うものをかたっぱしから」詰め込んだせいで、
カリキュラム上では勉強するはずだった授業を、現場の判断ですっ飛ばすしかなくなって、
結果として、どの科目も中途半端な習熟度になり、「うすーくのばしたお粥」を子どもに与えるようなことになっている現状を、文部科学省の役人とかは把握しているのかなあ・・・?
もちろん、文科省の役人でもないし、国のエライ人でもない私が、ここでいくら疑義を呈しても、何が変わるというわけではありませんけれど。
でも、ちょっとみなさまに聞いてみたいのです。
仮に、これからの時代、英語教育もプログラミング教育も早期から充実させるべき、という昨今の潮流を是とするならば、みなさまなら、一体、どの科目・どのカリキュラムを削りますか?
私なら・・・
うーん、なんだろうな。
体育が超!苦手だったから、体育の時間はなくなってほしかったけれど、でも運動は心身の健康のために不可欠だろうし・・・。
やっぱり図書の時間かなあ。
図書室さえあれば、休み時間にでも本の借り換えはできますものね。
今だって、図書の時間なんて、カットされまくりみたいですから。
なくなったとしても、たいして差はないのかもしれません。
ただ、「読まない子」は確実に1冊の本も読まなくなってしまうでしょうね…。
家庭科もいらんかな…興味ゼロでしたわー。
だから今もダメダメ主婦なんですけどね!(←あかん)
数日前から、体調を崩しております。
みなさまのブログに伺うペースが、しばらく落ちるかもしれません。
どうかご容赦くださいませ。
無人島ネタって結構使えます。
みなさま、こんばんは。
大昔のある日のことなんですが。
何気なく読んでいた雑誌の記事が気になりました。
内容は、「お化粧品」について。
「無人島にひとつだけ持っていける化粧品があるとしたら、日本人は口紅を選ぶ。フランス人はマスカラを選ぶ。」
のですって。
・・・ほんとかな?って思いました。
無人島にたったひとつ持っていけるお化粧品があるとしたら。
口紅・・・かなあ・・・?
確かにマスカラを持っていく気にはならないけど。
私ならアイラインかな。アイブローとしても使えそうだし。(←どうでもいい。)
ま、私が持っていきたいお化粧品の情報についてはどうでもいいのですが、
その記事があまりにも印象的だったので、以来、
「無人島にひとつだけ持っていくとしたら」
のお題は、私の大のお気に入りになりました。
たとえば。
「無人島に1冊だけ持っていけるとしたら、その本は?」
とか、
「ライターとナイフ、無人島に持っていけるとしたらどっち?」
とかね。
特に夫とその話しをすると、意外と盛り上がります。
マンネリ化した夫婦の会話に落とす、ささやかな刺激物としていい感じなのです。
よく覚えているのは本の話し。
無人島に1冊だけ持っていける本、何がいい?
夫「うーん。「聖書」かな。」
せ、聖書?!
それは意外。なんで?
夫「今までの人生で一番縁のない世界だから。知らないことばっかりで、退屈しなさそう。しかも、冒頭の、「○○の子どもは××で~」のくだりで毎回寝そうだから、読むの時間かかりそうやん?長いこと楽しめるんちゃう?」
そ、その発想はなかった・・・。
私なら、やはり今一番好きな作家さんの、一番のお気に入りの本を選ぶと思うのですが、夫との考え方があまりにも違うことに、びっくりしました。
そしてその違いこそが「おもしろいなあ!」って感じたのです。
毎回、こんな風に意外な発見をもたらしてくれるので、親しい人との「無人島ネタ」は暇つぶしとしても、なかなか優秀ではないかと思います。
で、娘相手にもやってみたのです。
まだ娘が小学校低学年のころ。
無人島にひとつだけ持っていけるとしたら何を選ぶ?
娘「んーっとね。
鍋とかフライパンとか、生活用品をいーっぱい持ったママ。」
一瞬。
リビングがシーンとしました。
場の空気が凍り付くってやつです。
で、次の瞬間。
騒然としました。夫と私とで。
夫「待て待て、待て。まる子!(←仮名です。)
いっつもパパ好き、パパ大好き、パパが一番好き!って言ってるのに、いざとなったら選ぶのはママなん?結局ママなん?!どういうこと?」
私「待って待って、待って、まる子ちゃん!(←しつこいようですが仮名です。)
まるちゃんにとってのママって、フライパンとかお鍋とかの生活便利グッズとおんなじ扱いなん?!どういうこと?」
夫婦ふたりで息せき切ってわあわあ言っておりますと、娘は静かにお箸を置いて(←食事中だった)「ふっ。」と失笑しつつ言いました。
娘「まあまあまあ。落ち着いて。わかったから。
だったらねえ・・・。
フライパンとかお鍋とか、生活用品をいーっぱい持った、パパとママ。」
・・・。
再びの沈黙。
そして叫びました。夫とふたり同時に。
私&夫「ひとつだけって言うてるやろー!!」(注:問題はそこじゃない)
他力本願にもほどがある!自力でなんとかしようと思わないんだろうか!?
どこまでも親に甘えたらいいと思って!
と、その後、夫とふたりで、娘の行く末を激しく心配したものでした。
それから約10年。
久しぶりに娘にその話題をふってみました。
無人島にひとつだけ持っていけるものがあるとしたら、なんにする?
娘「なーんかその話題、胸にささるものがあるわー。なんやったっけ?思い出されへんけど。
ま、いいわ。
無人島?うーん、なにかなー。
そや!
生活用品をいーっぱい積んだキャンピングカー!」
・・・変わってない。
10年経っても、うちの娘はなーんにも変わってない!
人間、10年くらいではさほど成長しないものなんだろうか、そして娘にとっての私とは、しょせんキャンピングカー程度の存在だったんだろうかと複雑な心境になっておりますと、
夫「まあ、親抜きでひとりで行こうとしてる分、成長したってことちゃう?」
・・・夫よ、いつものことながら、前向きやね、無謀なまでに。
と、まあこんな具合に、家庭の中での「無人島ネタ」って案外使えます。
笑いをもたらしてくれるし、「へえええ、そんなこと考えてたんだ!」と話しが盛り上がること間違いなし。
ぜひ一度お試しあれ。
ちなみに、みなさまにも聞いてみたい。
「無人島にひとつだけ持っていけるものがあるとしたら、何を選びますか?」
キャンピングカー以外でお願いします。ほほ。
(今、後ろで娘が「いいやん!キャンピングカー!めっちゃ効率的やん!なにがおかしいんよっ!」って叫んでおります。自分も散々笑ってたくせに。)