夫と性格が合わない。

みなさま、こんばんは。

 

先日のこと。

仕事から帰ってきた夫が突然、こんなことを聞いてきました。

 

「ねー、ねー、夫としての俺って、何点くらい?」

 

なんやのん、唐突に。と思いつつ、「うーんとねえ。」としばらく考えて言いました。

 

「90点くらいかな。」

 

そうしたら、夫は、

 

「マジ?90点?!すごいやん俺!90点やって~!」

 

と大喜び。ガッツポーズの上、満面の笑みで、まさに飛び上がらんばかり。

その反応を「ああ、はいはい、」と軽くいなしてから(←冷たい)どうして急にそんなことを聞くのかと尋ねてみると、

 

「今日、会社で後輩がな、奥さんに自分の点数を聞いたら「30点」って言われた!ってショック受けててん。で、俺は何点かなあ、と気になってさー。」

 

なるほどね。

普段から言ってるもんね、

 

「なにひとつ共通点のない後輩や同僚とでも、「妻がコワい」という話題でだけは盛り上がれる!」

 

って。(むか。)

同僚との会話が続かなくて困ったときは、きっと妻の悪口を持ち出して盛り上がっているのでしょう。

業腹なので、90点から30点に格下げしてやろうかしら、と思っていると夫が言いました。

 

「明日、会社で自慢しよ~。俺、90点やって~!」

 

・・・やめなさいよ・・・嫌がられるか、陰で笑われるか、どっちかでしかないと思うから・・・。

 

くれぐれも他言しないように、自慢もしないように、と繰り返す私に適当な相づちを打ちながら、夫は翌朝、すこぶるご機嫌なまま、「俺、90点~」と変な節回しの歌を歌いながら出かけて行きました。(←妻のアドバイスは痛い目にあうまで全力で無視していくスタイル)

 

思いました。

 

「簡単な人・・・。」

 

そして幸せな人だなあ、とも思いました。いや、別に馬鹿にしているつもりはないんですけどね。(←ほんとはちょっとだけアホな人やなあ、と思ってるけど。)

 

仮にもしもこれが「逆」だったとしたら。

つまり、夫が私に「90点」をつけたとしたら。

 

それはもう、確実に大変なことになります。

 

「どうして満点でないのか」、「残り10点はどうして引かれたのか」という疑問が、

「私の何がそんなに不満なのよっ!」という怒りにあっさりと飛躍するだろうな、という確信があります。

かと言って、仮に夫が「100点」だと言っても、それはそれで、

「なんか簡単すぎるテストを受けたみたい。」

と不満を持つことでしょう。

つくづく、めんどくさい人間です。

 

考えてみれば、私が満点なんて取れるはずもないんですけどねえ。

主婦としてはお料理もお掃除もイマイチだし。

なのに、夫に対してだけはどこまでも強気でいられるのは、やっぱり甘えがあるんだろうと思います。

いや、別に反省して改めようとかいうんじゃないですよ?

そんな気は全然ない。(←きっぱり)

 

ただ、ものの見方や捉え方、なにもかもがまるっきり違っていて、徹頭徹尾、性格が合わないというのに、一緒にいて「楽チン」に感じられるだなんて、夫婦ってとってもおもしろいなあとしみじみ思うのです。

 

で、この際なので、私も聞いてみました。

 

「じゃあ、私は何点なん?」

 

夫「満点以上をつけられないのが残念やね!」

 

む。

さすが、私という人間と何十年も夫婦をやっているだけあって、そつのない返事。

 

でも。

マミーさんは見逃しませんでした。

夫の目が泳いでるのを。

 

な~んか腹立つ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

料理下手だけど料亭の味に挑戦してみた。

みなさま、こんばんは。

 

先日、Jさまのブログを読んでいたら、とってもおいしそうなお料理が。

 

psp-pagf.hatenablog.jp

山芋の素麺なんですって。(Jさま、お写真拝借いたしました。問題があるようでしたら、すぐに削除いたします。事後報告ですみません。)

めっちゃおいしそう。

「山芋を素麺風」にするって、すごいアイデアだなあ、と大いに感心してしまいました。

山芋といえば、すりおろしてお好み焼きに入れたり、出汁でのばして温かいごはんにかけたり、というくらいのメニューしか思い浮かばなくて、これは一体どんな感じなんだろうと思って作ってみることにしました。

でもお料理下手な私。

Jさまも記事中で、

「山芋を素麺に見立てた一品(逸品)であるが、どうやったらあんなヌルヌルするものを、こんなに細く、同じ太さに揃える事が出来るのだろう」

とおっしゃっていますが、私も山芋を素麺のように切る自信がありません。

 

でも大丈夫。

私には文明の利器がある!

じゃーん。

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そ。スライサー。めっちゃ便利!(←機械が苦手でも使える!)

 

まずはこのスライサーで、長芋(山芋は手に入りにくいので)を薄くスライスしていきます。

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きれい。とっても。

長芋の断面ってこんなにキレイだったんだなー。とキッチンでしみじみと見入る私。

まるで薄いオーガンジーのようではありませんか。

こんな模様の入った真っ白なオーガンジーレースのカーテンがほしいなあ。うっとり。

 

なんてことをお料理中にあれこれ考えて脱線ばかりしているから、私はお料理が苦手なんですよ、きっと。

自分に向かって「集中、集中」と言い聞かせて、この薄切りの長芋を千切りしていきます。

どうしてもぬるぬる滑ってしまう食材なので、押さえる左手は少し軽めに。包丁を持つ右手はなるべく動かさずに、左手親指でそっと長芋を押し出しながら切っていきます。

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ちょっと細すぎたかな・・・。

ま、いいや。素麺っていうくらいだから、細いに越したことはないでしょう、たぶん。

 

Jさまの記事では、山芋素麺がお豆腐の上に乗っていましたので、私もお豆腐を調達してきました。

でも、長芋って卵と相性がいい気がするので、卵豆腐にしてみました。

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写真がボケボケだぞ・・・いいけど。粗が目立たないから。(←あかん)

 

でも、これだとなんだかちょっと寂しい気がする・・・ので、上に温泉卵をオン。(←こうして元ネタのお料理からはどんどんかけ離れたものになっていく)

卵豆腐についているだし醬油もイン。

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なんか白っぽい。「寂しい」のも解消されていない。

 

ので、上に花かつおをトッピング。ついでに海苔も。

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いいんじゃないでしょうか。おいしそうになりました。(元ネタのお料理とは全く別物になったことについてはスルーすることにする。←「あかん」人の典型)

 

素麺状の長芋の食感が楽しくて(シャリシャリしてます)、家族にも好評の一品になりました。

食べながら、「豆腐がなくてもおいしいのではないだろうか」と思ったので、後日、長芋だけでもやってみました。

 

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こちらは長芋を細く切った後、卵黄と和えて、そこに白だし醬油を少し加えたもの。

個人的にはこちらの方が好きかも。

メインのおかずにはなりませんが、箸休めにいい感じです。

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お箸で持ち上げると、確かに素麺のように見えなくも、ない・・・

スライサーさえあれば、家庭でも長芋の細切りができますよ~。

 

ところで、料亭といえば、いつも気になるのが、

大根おろし」。

よく天ぷらの横とかについてくるじゃないですか。

きちんと水切りして、こんもりと盛り付けてあるやつね。

あれを見ると、いつも「丁寧な仕事だなあ」と思います。

大根おろしの水分が多すぎると天つゆの味も変わってしまいますものね。

でも、ある物を使えば、ご家庭でも一発で簡単に大根おろしの水切りができるんですよ。

じゃーん。(本日2回目)

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 そそそ。巻き簾。

これに大根おろしを乗っけて、

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軽ーく絞れば、

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出来上がり。簡単!

この大根おろしだと、

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野菜の揚げびたしなんかも、最後まで天つゆの味が薄くならずに楽しめます。

 

でも最近、自分の作るごはんにちょっと飽きてきました。

私も料亭に行きたーいっ!

 

 

 

 

 

 

 

 

香水より柔軟剤が臭いと思う私は異常でしょうか。

みなさま、こんばんは。

 

先日、「はてな匿名ダイアリー」で、「香水をつけている人は自己中」だとかなんとかいう記事が話題になっていましたね。

匿名で自由に人が意見を言える時代・・・本当に「いろんな人がいるなあ」という感想を持ちました。

 

香水をつけている人が「自己中」かどうか。

それは私には判然としません。その意見に興味もありません。

そもそも、どんな香りがいい匂いなのか、どれくらいの香りだと強すぎるのか、それは個々人の好みによって大きく変動するものでしょうから。

 

ただ世間で、香水のつけすぎによる匂いが「香害」なんて呼ばれていることを知ってからは、私も香水をつけて外出することをしなくなりました。

自分にとっていい香りであっても、それが誰かにとって不快であるならば、つけない方がいいのかな、と。

 

また、中学時代からの友人が「化学物質過敏症」にかかり、体調を崩したことも香水を遠ざけるきっかけになりました。

活発でいつも明るく、あらゆるスポーツを楽しんでいた友人が、枕から頭も上げられないほどの体調悪化に見舞われたことは、とても衝撃的な出来事でした。まだ20代で、同級の誰もかれもが青春の名残りを楽しんでいる時期でしたのに。

 

で、今の私にとって香水とは、「予定のない休日、誰にも会わない日に、自分の気分を上げるためだけのもの」になりました。

 

世間でも、「香りつき」が当たり前だった洗剤や整髪料に「無香料」パターンが多く登場し、いわゆる「無臭」タイプが世の中のトレンドなのかな、と当時は思っていました。

 

ところが、いつの頃からでしょう。

再びやたらと「香り」が強くなってきたものがあります。

 

そう。

「柔軟剤」。

 

柔軟剤の売り場で、香りを「試しにチェックできるように」置かれたコットンなんかの近くに行くと、香りがムンムン・・・そのあまりの強烈さにびっくりしたことを覚えています。

私自身はそれを使ってみようとは思えませんでしたが、でも、自分が使わないからと言って、全く無縁でもいられないわけで・・・なぜかと言うと、子どもが学校から持って帰ってくるから。

 

「給食エプロン」を。

 

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  ↑

こういうやつね。

 

各学級で用意されていて、給食当番の週が終わると持ち帰ってきて、洗濯・アイロンがけをして、翌週の頭にまた学校に持って行くやつ。

 

娘の給食当番の前に当番をしているお子さんの家庭で柔軟剤を使うからでしょうか、この給食エプロンが匂う。すごく匂う。凄まじい匂いなわけです。

洗濯をして、アイロンをかける時なんて、空気が黄色く染まるんじゃないかと思うくらい。

毎回窓を全開にして、扇風機を後ろからひゅんひゅん回しながらでないと、とてもアイロンがけなんてできませんでした。

 

想像してみてください。

窓が大きく、気密性も低い小学校の教室で1週間、ずっと壁に掛けられて、一日に一度、週に5回、必ず広げられて着用した後、柔軟剤なしで洗濯をして、お日さまにあてて乾かした給食エプロンから、まだまだ香る強い匂い。

おかしくないですか?

通常の香水でも、洗濯後にはほとんど匂わなくなるというのに、じゃああの柔軟剤というやつは、一体全体、何製なんですか?

 

アイロンをかけると、鼻の奥までつんとするような、強烈な匂いでした。

とてもきつくて、不自然で、ケミカルな匂い。

 

今は娘も小学校を卒業して、あの苦行のような「給食エプロンのアイロンがけ」をする必要もなくなりました。

ほっとしていますが、ボランティア先で出会う小学生の中には、柔軟剤のボトルから抜け出て来たのかと思うくらいに強い匂いをまとっている子もいます。

呼吸をするたびに、あの匂いとその元になっている化学物質を吸引しているのかと思うと、大丈夫なのだろうかとつい心配になってしまいます。

 

学生時代、長期休暇のたびに、世界中を旅していた友人がよく、

「エジプトの満員バスに乗った時の匂いはヤバかった・・・日本人はほんと、匂いが少ないよ。」

と言っていたことを思い出します。

私もこれまで生きてきて、びっくりするほど体臭のある人には一人しか出会ったことがありません。

加齢臭だのなんだの言われてますけど、職場で私よりも年上の方と接して「臭い」と思ったことも、夫を臭いと思ったこともありません。既婚の友人はたくさんいますけれど、やはり「だんなが臭い」なんていう人にお目にかかったことはありません。(息子が臭いというお母さんはいっぱいいますが・・・部活でスポーツをしているとどうしてもね・・・)

 

みんな、ちょっと「気にしすぎ」なんじゃないかなあ?

必要もないのに、香りつきの柔軟剤をバシャバシャ使うのはどうなんだろう・・・。

仮に洗濯物をやわらかくしたいのであれば、クエン酸とかお酢を使うといいそうですよ。

 

・・・とかいう私の意見もどうぞ話半分にお聞きください。

なんといっても、私には「柔軟剤への恨み」がございます。

下記参照

 ↓ 

mamichansan.hatenablog.com

 

と、ここまでの下書きを読んだ夫が叫びました。

 

「まだ忘れてへんの?!もういい加減、許してぇや!」

 

ええ、もちろん忘れてなどいませんよ。そして、

 

ぜ~ったい、許しません。

 

ぺっぺっ。

 

 

 

 

 

 

宮沢賢治がわからないって言ったらアホの子扱いされた。

みなさま、こんばんは。

 

先日、ボランティア先の図書室で、他のメンバーとごそごそ作業をしていたら、めずらしく宮沢賢治の本が大量に貸し出されていることに気づきました。

 

「めずらしいねえ。」

「本棚から動いてるの、初めて見たかもしれへん。」

「もうすぐ国語の授業で「注文の多い料理店」をやるから、教室に持って行ってるのかなー。」

 

なんてみんなで話しました。

 

で、私が言ったのです。

 

宮沢賢治って、必ず国語の教科書に取り上げられるけどさー、私、宮沢賢治ってわからんわー。「注文の多い料理店」はともかく、他の作品はさっぱり!」

 

って。

 そうしたら、たまたま図書室内にいらした若い先生が「宮沢賢治って、」と声をかけてこられました。

 

宮沢賢治って、頭のいい、成績のいい子どもはわかるんですよ!

私はアホの子だったんで、全然わかってないんですけどね!」

 

って。

 

へ~。

 

私もさっき、「宮沢賢治がわからない」って言いましたけど・・・ってことは、

 

私も「アホの子」ってことですよね・・・?

 

と言おうかと思いましたけど、「アホの子」であることは既に疑いようもなく、明らかに、厳然と確定済みなので、これ以上墓穴を掘るのはやめようと思って黙っていました。

 

先生によると、教科書にとりあげられているのが「注文の多い料理店」の時はいいのだけれど、それが「やまなし」の時には本当に頭を抱えてしまうのだそうで、授業をしていても、実はさっぱりわかっていないんだとか。

でも、「頭のいい子」は赤刷りの指導書そのままのことを答えたりするそうで、

 

先生「びっくりしますよー!だって私、その指導書読んでも、なんのことか全然わかんないんでー!あははー。」

 

先生・・・いいんですか、そんなんで・・・

 

で、でもまあ、学校の先生でもわからないんだから、私なんかがわからなくってもしょうがないよねー、とすっかり気を大きくしました。(←あかん。)

 

帰宅してから、我が家で唯一、宮沢賢治が大好きな娘とその話をしていたら、娘から

「そもそもどうしてそんなに宮沢賢治がキライなん?」

と聞かれました。

 

うーん・・・宮沢賢治がキライってわけでもないんですよね。

よだかの星」のあの引き裂かれるような悲しさ、「銀河鉄道の夜」のあの美しい情景、「やまなし」や「月夜のでんしんばしら」のあの独特のオノマトペ・・・どれをとってもそれまでの作家とは一線を画す、まさに画期的な存在だと思います。

 

でもなー。

 

「ほら、「雨ニモマケズ」ってあるやん?あれ読んでるとさー、なんていうか、めっちゃ日本人の心の琴線に触れるというか・・・どハマりするっていうか・・・だからこそ、教科書では読みたくないような・・・要するに文科省には推されたくないねん。

「一日に玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ」て、

「北ニケンクヮヤソショウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイ」うんやで?

あれを教科書で読んでたらさー、なんか、

「一日玄米4合で文句を言わず働いて、何があっても訴訟や裁判に訴えたりせずに、ひたすら黙って耐え忍べ。」

って役人に言われてるような気ぃがして、瞬発的に反感を持ってしまうねん。

そんなこと、国にいちいち指図されたないわっ!って。

「羊のようにおとなしく、従順な国民」を育てるために、文科省宮沢賢治を利用してるんちゃう?という疑惑を感じるなー。妄想やろうけど。」

 

と返しましたら、娘がまじまじと私を見て言いました。

 

「ママ・・・。心が穢れてるで。」

 

む。

 

悪かったわねっ!!!

 

宮沢賢治がわからないと言ったら「アホの子」扱いされて、とうとう「心が穢れてる」とまで言われてしまいました。とほほ。

 

 

子どものころ、家にたまたま存在していた絵本。

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セロ弾きのゴーシュ

この絵本を最初に読んだときの戸惑いは今でもとても鮮明で、子ども心に、

 

「未完の大作ってやつかな?」

 

と思い、そうでないことがわかると、途中で重大なページを読み飛ばしたのかと最初のページから読み直したり、落丁があるのかと絵本をあれこれ調べたことを思い出します。

思うような「こたえ」が見つからなかった私は、絵本を片手にしばらく「うーん」と悩んだものでした。

 

実を言うと今でも「セロ弾きのゴーシュ」を見ると、どうしても素通りできずに、必ずページを繰ってしまいます。

そして当時と全然「変わらない」ことを確認しては、「そりゃそうだよね。」ってひとり得心するのです。

思えば、膨大な本の海の中では、 タイトルも内容もあやふやになってしまう本もあるというのに、これほどまでに「わからないのに忘れられない」ということ自体が、宮沢賢治の偉大さを証明しているのでしょう。

でも。

できることならば、私も「セロ弾きのゴーシュ」を読んで、心の底から納得したい気持ちもあります。

 

なので、宮沢賢治の魅力について、「アホの子」向けにご教授くださるととてもうれしい。

宮沢賢治ファンのみなさま、どうぞよろしくお願いいたします。

そうでない方は・・・そうだなあ、最近、心が穢れてるなーと思った瞬間のことなんかをお教えください。ほほ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ワンオペ育児なんてやっぱり不可能だと思う。

みなさま、こんばんは。

 

育児の話が続きました。

育児に関する情報は日進月歩、日々改定・更新されていくものですから、すでに娘が大きくなった今、私が抱えている育児に関する情報なんて、もう、「化石かシーラカンスかよ!」っていうくらい、かび臭いものになってしまいました。

今さら私が何か有用なことを言えるはずもないので、このあたりで私の育児話はいったん打ち切ろうと思います。

 

でも、その前にひとつだけ、どうしても言いたいことがあるんです。

 

それはね、

「ワンオペ育児なんてやっぱり無理があるんじゃない?」

ってこと。

 

そんなことを言うと、すぐに「母性本能」の話になったり、「赤ちゃんには母親が一番!」なんて意見がいっぱい湧いてきたりしますが、私ねえ、そういうのには懐疑的なんですよ。

だいたい、「母性本能」って何なんでしょうね?

 

「本能」って。・・・けっ。

 

まったく食事をとらずに生きていける人はいないし、ずっと眠らずにいられる人もいないでしょう?

同じく母性も「本能」と言うならば、我が子をコインロッカーに捨てた後に生きていられる女性が存在することは大いなる矛盾です。

私たちが普段、「本能」と感じるほどの、母親から我が子への強い愛情とか愛着というものは、本能などではなく、教育や躾、生育環境、経験から学び取った社会化のひとつなのだろうと思うのです。

「社会化」・・・であるならば、「母親ひとりに強く依存しがちな育児」の形態を、社会全体で少しずつ変更していくこともまた、可能なんじゃないかなあ。

 

なにもね、

「育児がイヤ」でこんなことを言うのではありません。

 

むしろ、育児って、

「子どもが大切すぎるからこそ、しんどい」

ってこともあるんですよ。

 

大切で大事で、どうしようもなく愛していて、何があっても失くしたくないもの。

もしも失ってしまったら、もう生きてはいけない、とまで思ってしまうもの。

 

想像してみてください。

仮に、3キロの爆発物をひょい、と手渡されて、

「これ預かって!取り扱いに失敗したら、周囲10キロが灰燼に帰すけどね!

身体から離したらダメだけど、落っことしたらもっとダメだからっ!あ、それとどんなに大事に扱っても勝手に故障することもあるけど、気をつけてね!」

と言われたとしたらどうでしょう?

それってひどいプレッシャーだと思いませんか?

 

特に初めての育児で赤ちゃんとふたりきりになった時、私が一番つらかったのはこのプレッシャーでした。

だってフニャフニャなんだもの、赤ちゃんって。

ほんのちょっとした異変にも敏感になって、いつもいつも心配ばかりしていたものでした。

もちろん、子どものことが心配なのは今でもちっとも変わりませんけれど、自ら「痛い」とさえ言えない赤ちゃんと過ごすのは、ずっと緊張を強いられるものでした。

 

なので、夫が帰宅すると、全身で「ほう・・・」っと安堵のため息をついたものです。

ああこれで、翌朝夫が出勤するまでは、わたしひとりで赤ちゃんの心配をしなくていいんだ、なにかあれば相談できる相手がいるんだ、って。

 

我が家の場合、夫はよく私の不安をくみ取ってくれたと思います。

今から思えば、細かいだけの、どうでもいいような些細なことで心配していた私に、

「それくらい大丈夫。」

「問題ないって。」

「心配なら病院に行く?車出すから。」

そんな風に相手をしてくれた夫がいなければ、育児期間を乗り越えられたかどうか、私には自信がありません。

 

「一緒に考えてくれる」「共に悩んでくれる」

 

人間にはそういう相手が絶対に必要で、使い古された言い回しですが、「人はひとりでは生きていけない」とは、つくづく名言だと感じたものでした。

 

しかしながら、夫は日中のほとんどを会社で過ごします。

 

意識のあるほとんどの時間を、意味のある会話もなく、たったひとりで、

「ものすごく重大かつ貴重な、それでいて壊れやすい、自分の命ではない、むしろそれ以上の、生きている預かりもの」

を抱え込み続けるのって、本当に大変。

やれ虐待とか育児放棄とか、悲しい事件が一向に無くならないのもむべなるかな、という気がしました。

 

孤独というのは恐ろしいもので、人をいとも簡単に追いつめ、破壊する威力があります。

自分ひとりで生きているのならば、その孤独も自由と等価に引き換えることができる場合もありますが、育児をしている期間に限って言えば、その孤独は破滅的な結果を産むことがままあります。

なので、時々思うのです。

 

足りない保育園をどんどん増やすことは喫緊の課題だけれど、たとえば、「お母さんも一緒にいていい保育園」なんかがあればいいのになあって。

 

産休、育児休暇中のお母さんたちが、赤ちゃんと一緒に過ごせる場所。

保母さんや保健師さんなんかがいて、不安なことをすぐに聞けて、他のお母さんたちと情報交換ができて、短時間なら交代で赤ちゃんを見てあげられて、仮眠なんかもとれる場所。毎日行ってもいいし、全然行かなくてもいい場所。

つらいことも不安なことも、ひとりだけで抱え込まずに、誰かと共感し合って、助け合って。

もしもそんなことができる育児環境があれば、赤ちゃんとの生活をより楽しめる人が増えるんじゃないかと思うのです。

 

別に保育園でなくってもいいんです・・・出産後の女性が孤立して、追いつめられてしまうようなことを防いでくれる手立てが他にあれば。

世の中には、星の数ほど頭のいい人がいて、私なんかはいつもまぶしく見上げるような気持ちなんですが、そういう人が真面目に考えてくれれば、もっといい案がたくさん出てくるような気がするんですけど・・・頭のいい人、ちょっと考えてくれないもんでしょうかね・・・?

 

時々、高校時代の優秀な同級生なんかを思い出して、

 

「そういえば、あの子ら、どないしてるんやろ・・・ほんまに頭よかったよなー。

あの子らが本気出したら、世の中めっちゃよくなりそうな気ぃするけど、なかなかそうはならへんところを見ると、あの子ら、自分の幸せのためだけに自分の能力を使い倒してるんやわー。絶対。」

 

という他力本願、かつ逆ギレの言いがかり的妄想に取りつかれたりしています。

 

 

育児は確かに大変です。

眠れないし、自分の時間はガンガン削られるし、なにひとつ思い通りにならないし、おまけに世間の目も厳しい。

大正生まれだった亡き祖母も、「子どもの数が減ったとはいえ、今の育児は子どもにすごい手をかけることを要求するから、大変さは変わらない。」とよく言っていました。

 

けれども、本当は育児って、どれほど言葉を尽くしても語りきれないほどの喜びに満ちているものです。

私なんかは、街中で小さなお子さんを連れているお母さんや、風を受けてひらひらと踊っている小さな洗濯物でいっぱいのベランダなんかを見るたびに、「ああ、いいなあ、うらやましいなあ」と思わず声に出してしまうほどです。

 

それは、私の育児期間が終始幸せであったからこそ、なのでしょうけれど、それを単に私個人の経験とするよりも、できれば他の誰にとってもそうであるように拡張していくことが大切ではないかと思います。

なので、選挙があれば、子どもたちのことや育児をしている人の気持ちに寄り添ってくれる政治家を選びたいと思うのですが、なかなかね・・・。

まして政治家でもない、市井の人々にとって、できることは限られているのかもしれませんが、どうぞ、もう一歩だけ、育児中の若いお母さんたちにやさしい気持ちを。

ただ、すれ違いざまに、「やあ、赤ちゃんやわ。かわいいねえ。」と言うだけでもいいのです。

それがきっと、今奮闘中のお母さんたちの心に、ちいさな灯りをそっと送ることになるでしょう。

 

 

おまけ。

今日、外出中にびっくりするものを発見してしまいました。

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4日の台風21号の仕業でしょうか。

あきらかに鉄製品に見えます。こんなにも重いものが飛ぶなんて、風というのはなんとすごい力を持っているのでしょう。

 

あれから3日。

本来ならば、次の日には片付けられているはずですが、未だ停電中の地域もありますから、手が回らないのだと思われます。

 

第2室戸台風の記憶がある母が台風のたびに大騒ぎするのを、いつもちょっと面倒に、鬱陶しく思ってきましたが、今回初めて「台風ってほんとに怖いんだな」という感想を持ちました。

 

それでも北海道の地震の被害を思うと、この程度で騒いでは申し訳ない気がします。

どうか北海道の被害が最小でありますように。

一日も早く、元の生活が戻ってきますように。

心からお祈りしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

子どもの泣き声がうるさいと聞いて思うこと。(子育ての思い出・5)

みなさま、こんばんは。

 

我が家の娘も高校生になって、毎日電車通学をしています。

「ひとりで電車に乗って学校へ行く。」

それは至極当たり前のことなんですが、朝、子どもを見送るたびに「大きくなったなあ」としみじみします。

逆に、私がひとりで電車に乗る時には、戸惑いというか、何か忘れ物をしているような気持ちになります。

そして、「ああ、もう娘の手を引く必要はないんだ。」と自分に言い聞かせます。

 

と言っても、娘が小さかった頃の私は、電車に乗るということがほとんどありませんでした。

「もしもぐずってしまったら。」

「走行中に泣きだしてしまったら。」

そう思うと、お出かけ自体が恐ろしくて、万やむを得ず電車に乗らなくてはならない時には、

通勤ラッシュ時を避け、

すぐに降車できるよう、急行電車を避けて各駅停車の普通電車を使い、

車内に他の乗客がいなくて、ガラガラの状態であってもバギーをたたみ、

娘を膝の上に抱っこして、一番端っこの席で小さくなっていたものでした。

 

今思うと、私は一体何と闘っていたんだろうと不思議でたまりません・・・というのも、娘はかなり大人しいタイプの子どもで、電車内で騒いだり泣いたり、なんてことは全くしなかったからです。

それでも、「小さい子どもの泣き声は迷惑」「バギーが邪魔」「子どもをあやさない親も迷惑」という世間の声に敏感になっていた私は、どれだけ気を使っても度が過ぎるということはないと思っていたのでしょう。

 

なので娘が幼稚園に通い出し、「言い聞かせたことが十分にわかる年齢」になった頃には、電車に乗る際の気持ちが一気に楽になりました。

 

「静かにね。」

「座席がない時に「座りたい」と言ってはいけません。」

「じっとしていなさい。うろちょろしてはいけません。」

 

そう「言うだけでいい」のです、娘はその言いつけをきちんと守ることができる、おまけにバギーももう必要ない。

なんて楽になったんだろう!

感動さえしました。

 

で、ある週末の午後、私は娘と二人、電車に乗っていたのです。

立っている人はいないけれども、座席はほぼ埋まっているくらいの混み具合。

私たち親子の隣には、赤ちゃんを連れた若いお母さんが座っていて、しばらくすると赤ちゃんが泣き始めました。

 

お母さんは赤ちゃんをあやしていましたがなかなか泣き止まなくて、大変だなあと思っていたら、娘が私にぴたっとひっつき、小さい声で言ったのです。

 

「赤ちゃん、泣いてるね。」

 

って。

 

瞬間。

私は恐怖で震え上がりました。

大げさでもなんでもなく、本当に、心の中で「ひぃぃぃぃぃっ!」って悲鳴を上げました。

 

だってだって、私、娘にひとことも言ってなかったんですよ、

 

「泣いている赤ちゃんがいても、うるさいって言ってはいけません。」

 

って。

私が娘に与えた「電車内での注意事項」は、「静かに」「おとなしく」そして「周囲に迷惑をかけてはいけない」ということばかり。

逆に、「周囲から迷惑をかけられた時はどうするべきか」ということは、すっぽりと抜け落ちていたのです。想定の範囲外だったのです。

だって、赤ちゃんや小さな子どもというのは、「迷惑をかける側」だと言われていたから。そんな世間の声に、1年365日、ずーっとびくびくし通しだったから。

 

私の頭の中は真っ白な状態になってしまい、

「う、うん?そうやね。」

と返すので精一杯、娘の声は隣の席のお母さんの耳にも届いていたのでしょう、ぴくりと、こちらに耳をそばだてているのが感じられました。

 

そうしたら、次の瞬間、娘が言いました。

 

「赤ちゃん、かわいいね!」

 

って。

 

私も隣のお母さんも心の中で「ふうぅ・・・」と安堵のため息をついたことは言うまでもありません。

 

よ、よかった、「かわいい」で・・・「うるさい」とか言い出さなくて、ほんとによかったー!

 

と、ただただほっとしている私に、娘が続けて言った言葉がすごかった。

 

「私が小さい時も泣いてた?」

 

私はびっくりして娘の顔を見下ろしました。

我が子ながら、なんて時宜を得たことを言える子なんだろう!って。

まだあまりにも小さい娘。

もちろん「空気を読んで」言ったことではないでしょうけれど、今この瞬間、この場所に、これほど必要かつふさわしい質問が他にあるでしょうか?

 

なので、私も大人として、正しく空気を読まねば!と思って、少し大きめの声で応えました。

 

「泣いてたよ!赤ちゃんはね、みーんな泣くもんなんよ。」

 

って。

もちろん、これにはちょっとだけウソが含まれています。

だって娘は電車の中では一度たりとも泣いたことがないのですから。

でも、隣に座っている若いお母さんの気持ちを軽くするための、こんなささやかなウソなら、この世に存在してもいいではありませんか。

 

 

「泣いてたよ。」

と私に言われた娘は、ちょっと照れて恥ずかしそうに「えへへ~」と笑っていましたが、

「ほぎゃあ、ほぎゃあ、って泣いてる、かわいいなあ。」

と言いながら、するするっと隣の親子に身を寄せたかと思うと、

「こんにちはー。」

と赤ちゃんに声をかけました。

 

私ねえ。

 

「声かけたでっ?!」

 

って仰天しました。

だって、電車の中で知らない人に声をかけるなんて、大阪のおばちゃんにとってすら結構ハードル高めの行為なんですよ・・・。

まさかいきなり自分の子どもが知らない赤ちゃんに声をかけるなんて思いもしなかったので、呆然としました。

 

突然の闖入者に驚いたのは赤ちゃんも同じだったようで、わんわん泣いていた赤ちゃんが、一瞬「ひくっ」っと泣き止みました。

 

「どうしたん?悲しいのん?」

 

と話しかける娘・・・いや、どうだろう、それ、通じるかなあ?と私が思っていると、赤ちゃんの方もちょっと悩んじゃったのでしょうね、「うぅ」って泣くのを再開しようとして、でもやっぱり娘のことが気になるし・・・と、泣こうか笑おうかを迷ってしばらく百面相の様相でしたが、結局好奇心の方が勝ったのでしょう、娘の顔をじっと見て、笑ってくれました。

 

娘と赤ちゃんの様子を見て、私と隣のお母さんも世間話を始めるくらいの余裕ができました。

「かわいいですね」

「何か月ですか?」

「女の子?まあ、男の子ですか!」

そんな他愛のない、でも「意味の通じる」会話が、子育て中のお母さんにとってはストレス解消になることを私も十分に経験していたので、この会話もそのお母さんにとって、いつかの幸せな記憶になることを願いつつ、話し続けました。

 

途中、赤ちゃんが娘のおさげ髪をむんず、と掴んでぎゅーっと引っ張った時には、ふたりで「あわわわわ」と大慌てしましたが、娘が「だいじょうぶです」「痛くないです」と言って、代わりに自分の指を赤ちゃんに差し出し、それを赤ちゃんが握った時なんかも、しみじみとあたたかな気持ちになりました。

 

私たちよりも先に電車から降りたその赤ちゃんとお母さんを見送った後、私がどれほど幸福だったか、どんなに娘を誇らしく思ったか、みなさまにわかっていただけるでしょうか。

 

「見た?見た見た見た?うちの子、めっちゃやさしい!こんないい子っている?見たことある?」

 

って世界中に言って歩きたい気持ち。

いや、もちろん、子どもの自慢話ほどつまらないものはありませんから、誰にも言ってませんよ?今、初めて言うんですからね?

 

でも、「ちっともやさしくない」私に、こんなにもやさしい子どもが授かったことがうれしくて、本当に本当にうれしくて、私は娘の肩を抱き寄せて、一生、今日のことは忘れないだろうと思いました。

 

最近も、子どもの泣き声がうるさいとか迷惑だとかいう話題をよく見かけます。

少子化でどんどん子どもの数が減っていますから、どうしても子どもの所業には注目が集まってしまうのかもしれません。私と同じくらいの年齢の人ならば、「昔はどこへ行っても子どもだらけで、今よりもっともっとうるさかったよ・・・」と言うと思うのですが、そういう記憶も薄れて来つつあるのでしょう。

 

私にしても、娘がもう大きいですから、SNSなどで「うるさい」「迷惑」なんて言葉が並んでいるのを見ても、正直、

「いろんな人がいるな」

という感想しか持ちません。

だって、そういう主張をしている人は私の子じゃないですからね・・・他人なんだもの、誰が何を言っていたとしても、「ふーん」としか思いません。

 

でも。

仮に、もしも、もしもですよ?

そんな主張をしているのが、私の娘だったとしたら。

 

それはイヤです。

ショックです。

到底受け入れられません。

 

きっと私は膝から崩れ落ちるほどの悲しみの中で思うでしょう。

 

「小さい頃はあんなにやさしくていい子だったのに、一体いつからこんなに冷たく、思いやりのない子になってしまったんだろう。私の育児の何がいけなかったのか。今から躾のやり直しが可能だろうか、間に合うだろうか。」

 

そして、それでも、我が子のこととなれば、愚かにも、なんらかの言い訳を考えてしまうのでしょう。

 

「すれ違っただけの親子連れに、そんなに冷たい目を向けてしまうほど、ストレスの多い生活をしているのだろうか、何かつらい悩みを抱えているのではないだろうか、今現在、娘はとても不幸なのではないだろうか、だから気持ちに余裕がないのではないだろうか。」

 

そこまで考えて、私はまた、「娘がここまで大きくなってしまっては、親としては娘にしてやれることがほとんど残っていない」ことに気づいて、一層悲しみを深くするのでしょう。

 

「小さい頃なら、全力で守ってあげられたのに、もう、娘の人生に親が介入できる隙なんてほとんどない。娘の好物を食卓に並べる以外に、一体なにができるというんだろう。」

 

そう考えて、お布団の中で、しくしくめそめそさめざめと泣くのでしょう。

きっとそれくらいショックを受けるだろうと思います。

 

それでも、やっぱり黙ってはいられなくて、

「何かつらいことがあって、誰かに当たり散らしたくなったとしたら、ママに当たりなさい。どれほど不平不満があったとしても、世間様に当たり散らすんじゃありません。」

くらいのことは言うかもしれません。

 

親というものは、いつの時代も切ないものです。

できることはどんどん少なくなっていくのに、子どもを思って心配する心だけは、決して小さくなっていかないのですから。

 

今ふりかえってみても、育児をしている間の私は、あまりにも戦々恐々として、びくびくと気を使ってばかりいました。

だからと言って、私は今の若いお母さんたちに対して、同じように気を使い、縮こまって、小さくなっていなさい、なんて露ほども思いません。小指の爪の先ほども思いません。

むしろ、できることならば、もっとリラックスして、育児生活を楽しんでほしいと思っています。

 

けれども、もしも聞いてくださる気があれば、ひとつだけお願いしたいことがあるのです。

 

それは、「どうぞ、お子さんを、自分よりも弱い立場の人にやさしくできる人に育ててください」ってこと。

 

それは「泣かせるな」ということよりも、きっとずっと難しいことです。

でも、人に対して寛容な社会が到来すれば、子どもたちももっと生きやすく、幸せになれる確率が高くなりそうな気がするではありませんか。

 

私も再度、娘に言い聞かせたいと思います。

 

小さい人にはやさしく。困っている人がいれば、できれば手を差し伸べて。

もしも気持ちに余裕がなくてどうしようもなく迷惑に感じてしまう時も、決して顔に出してはいけません。って。

 

きっと娘は「わかってる」と言うことでしょう。

ちょっと生意気に。ぶっきらぼうに。

 

でも、私は娘がそれをきちんと守ることを知っています。

自分よりも弱い立場の人にやさしくできる、娘がそんな得難い美質を持っていてくれることが私の自慢で、だから娘はとても親孝行な子だと思っています。

(ちょっとはお勉強もしてほしいけど。あ、それと女子力も磨いてほしい。お部屋のお掃除ももっとマメにやってほしいし、彼氏のひとりでも連れてきてほしい・・・とほほ。)

(おまけ。今、この記事の下書きを読んだ娘が叫んでいます。「彼氏おらんくて何が悪いんよー!(大音量)」・・・うるさい。) 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

子どもにかけるのと同じ手間を夫にはかけていられない。って話。

みなさま、こんばんは。

 

先日、「好き嫌いなく何でも食べる子になってほしくてがんばったこと」っていう趣旨の記事を書いていたら、ふと

 

mamichansan.hatenablog.com

 

結婚当初、あれだけひどかった夫の偏食もずいぶんとマシになったなあ、と思いました。

新婚の頃には天ぷらに茄子を使うかどうかで揉めに揉めて、「実家に帰らせていただきます」を発動しようかと思うくらい大変だったものですが。

 

毎日の献立を考えるのも一苦労でしたが、彼の好き嫌いの何がイヤって、

 

「外出先でもよその人が一緒でも「それはキライ」ってハッキリ言ってしまうところ」でした。

 

みっともないというか、恥ずかしいというか、申し訳ないというか・・・

なんとも情けない思いをいっぱいしました。

 

で、夫の好き嫌いをなおすように、ちょっとはがんばったのです。

例えば。

 

1.圧力鍋でカレー作戦。

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時短料理に至高の道具、圧力鍋。

これだと「煮崩れさせる」ことが簡単。超簡単。

キライな食材も見た目がわからなくなります。

その上カレーにすればもう「なにが入っているんだか誰にもわからなくなる」こと請け合い。

食べ終わった後で、

「じつはそれ、茄子が入ってたよ。」

「えー、わかんなかった!」

って会話を何度したかわかりません。

食べることに抵抗のある食材を「騙してでも」食べさせるのに、これ以上のツールはないと思います。

 

2.好きなものと抱き合わせ作戦。

薄切り肉やベーコンで嫌いな野菜を巻くとかね。

それでも嫌がるときは、さらにそれにフライの衣をつけて揚げるとか。

見た目でわからなくなるので食べる時の心理的障壁は下がるようです。

でも、

「これ、なんのフライ?」

っていちいち聞くようになるのでちょっとうるさい。

実はそのフライの中身、茄子なんだよー、って種明かしをして、「茄子を食べる」経験値を上げたら、次は夫の好きなペペロンチーノ味の茄子を出したりしました。

 

3.理詰めと説得。

赤ちゃんが相手だと不可能でも、対象が大人だと言葉が通じるので助かります。

とにかくもう、必死で説得しました。

「日本では、好き嫌いが多いと「母親の料理が下手だったんじゃないか」っていう人が一定数いる、絶対にいる。あなたが好き嫌いをすることで、お義母さんが批判がましいことを言われたりしては、親不孝の極み。」

「だいたい、皇族の人でも、お皿の上に供されたものはなんでも食べるように躾けられるんだから、それがこの国のマナー。うちは庶民だから家の中では多少好き嫌いを言ってもいいけど、よそでは言わないで。誰が見てるかわかんないんだから。」

 

「親不孝」とまで言われてはぐうの音も出なかったのでしょう、以来、さすがの夫も外で食事をする際は、キライなものも黙って食べているようです。

 

3.気迫あるのみ。

ある日、夫がお皿の中の嫌いな食材を箸でつまんで、私のお皿の上にぽいぽいと入れ始めました。いかにも「イヤそうに」、まるで「ゴミを捨てる」みたいに。

私ね、キレました。マジギレのガチギレです。

で、言いました。

 

「私、なにがあってもあなたのお皿に「ゴミ」と「毒」は入れません。それからこの先、一生涯、二度と私の作るものに「おいしい」って言ってくれなくって結構です。だからもう、とにかく、なんでもいいから、出されたものは黙って食べてください!」(←真剣に怒ると敬語になる仕様)

 

コワかったんだと思いますよ・・・それからは素直に食べてくれることが多くなりました。

私も夫が「絶対にムリ」っていうものは出しませんが、その数と種類は激減しました。

 

正直言って、子どもの好き嫌いをなくそうとする努力に比べたら、ほんとに手抜きなんですが、それでもよくがんばったよ、私・・・と今でも思います。

 

実はここだけの話、夫の母はあんまりお料理が得意ではないみたい。

そんな義母が最近、いろんなものを食べられるようになった夫を見て驚いているので、「うっかり口をすべらせる」ことが多い夫が何かを言う前に、大急ぎで、

 

「年をとると味覚が変わるって言いますものねっ?!」

 

と言っています。

妻のおかげで好き嫌いが減った、あるいは妻がコワいから好き嫌いができないなんて、息子の母親にしてみれば切ない話なんじゃないかなーって思って。

 

主婦もこれで、色々と気を使うんですよ。ほんとにほんと。

 

おまけ。

先日、「アジの南蛮漬け」についてのお話をしましたが、やっぱりめんどくさいですよね、アジの南蛮漬け。

で、同じくアジと酢を使うお料理でも、簡単・手間いらずなおかずをオススメします。

 

1.細切り生姜、いり胡麻適宜を入れた水・醤油・酢(3:3:5)の漬け汁を用意する。

2.アジの開きを焼く。

3.焼きあがったアジを1に入れる。

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4.粗熱がとれたら冷蔵庫で冷やす。

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できあがり。

青ネギを散らしていますが、お好みで茗荷などの薬味をプラスしてもいいかもしれません。

南蛮漬けが嫌いな夫もこのアジは食べます。(何が違うのかはさっぱりわかりません。)

酢を使っているのでさっぱりしていて、暑い日にもいい感じ。

焼いただけのアジだと、ちょっと手抜きの感じがしますが、これなら夕食の1品として出しても大丈夫。(だと思う。ダメ?)

超!簡単!でもおいしい。

オススメです。