統一地方選に思ったこと。

みなさま、こんばんは。

統一地方選、終わりましたね。

 

今回の選挙は私にとって、すごく特別な選挙になりました。

なぜなら、今度の選挙、

 

娘にとって初めての選挙だったから。

 

自分の子どもに選挙権!すでに選挙に行ける年齢に!

 

ビビります・・・ああ、私も年をとった・・・。

 

娘が18歳になった昨夏、

「キミ、投票できるようになったよ~、選挙には行ってよね~!」

という手紙がどこかから届いていたのですが(←よく覚えてないけど、おそらくは総務省あたりから。もちろんもうちょっとオフィシャルな文言で)、世間の高校生よりもさらに幼い印象の我が家の娘に、投票なんて大丈夫なのかしらん、と思ったことを覚えています。

 

選挙が近づくにつれ、

 

「どこに(票を)入れたらいいんかなー。むずかしいわー。」

 

なんてセリフが娘から飛び出すようになり、そのたびに、

 

「それは親子であっても意見が違って当たり前。自分の頭で考えなさい。」

 

と返しつつ、こんな会話を交わすようになったことに感慨を覚えずにはいられませんでした。

 

当日は入学したての大学の新歓イベントやらで早朝から出かけた娘。

帰宅後、ひとりで投票に行ったようです。

どの政党、どの候補者に投票したのか、私は知りません。聞いてみてもいません。

 

でも、きちんと投票に行ったことだけは確認しました。

思えば、自分の最初の選挙についてはなにひとつ覚えていませんが、娘が最初に投票した今回の統一地方選だけは、きっといつまでも忘れられない選挙になるのだろうという予感がします。

 

 

で。

大阪の選挙なんですが。

大阪維新の会が圧勝しましたね。意外でもなんでもないけど・・・。

 

 メディアによる報道なんかでは、「大阪ではどうしてこんなに維新が強いのか」という論調をよく見かけますけれど、大阪に住んでいると、やっぱり今度の結果は「当たり前」って感じがします。(←私が維新を支持しているかと言えば、そうとも言えない点もあるけど。)

 

良くも悪くも、やっぱり大阪って、ちょっと特殊なんですよ。

大昔、作家の田辺聖子氏がエッセーで言及していたように、大阪では「官」に対する印象が、他の都道府県とは決定的に違うのです。

 

たとえば、「役人」と言えば、お勉強がよくできて、優秀な人間がなるってイメージがあるじゃないですか。

そういうイメージ、大阪だとちょっと弱くなってしまいます。

むしろ、

 

「ほんまに優秀な人間やったら、なんらかの商いで名を成しているはず。役人なんかやってへんやろ。」

 

ってことになってしまいます。

 

「前例主義」「慣例第一」「悪しき平等主義」・・・「官」や「役人・役所」とは、そういった負のイメージと一体で、だから大阪では行政を見る目が、ついつい、

 

「どうせ大したことはなにひとつできひんやろうけど、せめて商いの邪魔さえせえへんかったらそれでいいねん。(←標準語訳:どのみち大した仕事はできないだろうけど、ビジネスの邪魔さえしないでくれたらそれで御の字)」

 

って感じになるのです。

 

で、結果として、大阪がどんな街になったかというと、逆説的ではありますが、

 

「全国的にもまれなほどの役人天国」。

 

それもむべなるかな、だって誰も役人や公務員の仕事や行動に注意を払ってこなかったんですもの、「見てないところでコソコソ」と、いつの間にやら、公務員の給料にはいろんな名目で手当てがつき、公務員の給与と福利厚生だけはものすごく手厚い状態になっていきました。

 

メディアも、一部の市民団体も時には問題提起していました。

それでも大阪の一般市民の目が、役所や行政に向けられることはありませんでした。

それは大阪に住む人間の心の底にある「役人・公務員を軽んじる」意識がそうさせてきたのでしょう。

そしてそれをいいことに、増長し続けた役人や公務員たち。

 

「景気がいいとか悪いとかってどういうことなん?

ニュース見てたら、”景気悪い、景気悪い”ってよう言うてるけど、全然実感ないし、わからへん。」

 

と市民に言い放つ末端の公務員が実在していたのです。(←本当にいた)

要するに、大阪では市民と官がお互いを小馬鹿にし続けてきた経緯があるのです。

 

そこに登場したのが橋下徹という政治家でした。

 

彼は一体、何をしたのか。

 

私は彼の最大の功績は、徹底して「官」を馬鹿にし、「見るに値しない」と無視し続けてきた大阪の市民に向かって、

 

「こっちを見ろ!」

 

と言い続けたことだと思います。

 

大阪の市民はほとんど初めて、「官」に注目しました。

そして痛感したのです。

「行政」にも「官」にも「監視の目」が必要なんだなって。(←今さらだけど。遅きに失した感、大だけど。)

 

それって、他のどんな功績も吹っ飛ぶくらい、大阪では大きな転換点ではあったわけです。

 

橋下元市長は大阪を去りましたが、大阪維新の会は彼のやり方をよく踏襲しているのだろうと思います。

自民党のように古い地盤や、公明党のように鉄壁の組織票もない維新の会が選挙を勝ち抜くには、一般市民の目と支持だけが頼りなわけで、その視線を外すようなことになれば、彼らはあっという間に失速していくことでしょうから。

 

大阪維新の会が登場してから、大阪はずいぶんと変わりました。

いいことばかりではなかったけれど、ありとあらゆるものが東京に吸い上げられ、その上、海外との激しい競争に、日本自体が勝てない状況ですから、「以前のままの大阪」ならもっと悲惨な状態に陥っていても不思議ではなかった、という感じがします。

それくらい、大阪の行政はひどかったし、議会は無能でした。自分たちの待遇と体面のことしか考えていなかった。

でも今。

とにもかくにも大阪のお役所に行ってみればわかります。

そこで働く人たち。

以前は本当にひどかったものですが、横柄な態度の公務員は激減しましたし、彼らが市民の視線を気にしていることを感じられるようになりました。

 

大阪維新の会が、市民の目を味方につけている限りは、これからも大阪での強さを発揮し続けることでしょう。

 

なので私は大阪維新の会について一定の評価をすることにやぶさかではありません。

しかしながら、それでもひとつだけ、どうしても危惧してしまうことがあるのです。

 

それは彼らの「教育行政」について、です。

 

大阪の教育といえば、全国でも常に低位、問題が多いことは周知の事実です。

でも一方で、大阪の教育界の強みや長所については、ほとんど誰にも知られていません。

 

たとえば「夜間中学」。

様々な事情で中学校教育を受けられなかった人のための夜間中学は、すべての都道府県に設置されているわけではありません。

大阪には存在しますが、近隣府県にはないことも。

大阪の夜間中学は大阪以外に在住している人に対しても、希望があればその門戸を開きつつあります。

教育を受けたいと願う人がいる限り、その気持ちに応えようとする行政の在り様は、大阪がもっと誇っていいことのように思います。点のつけようのない分野ではありますが、そこを強くアピールして、関係者のモチベーションをアップさせることは政治家の大事な仕事ではないでしょうか。

 

それから、「インクルーシブ教育」。

最近、やたらとよく聞くようになった「インクルーシブ教育(障害のある者と障害のない者とが共に学ぶ仕組み)」という言葉ですが、大阪ではそんな言葉が流行る前から、緩やかにインクルーシブ教育が行われてきた経緯があります。

たとえば、障害のあるお子さんが就学年齢に達したら、行政はそのお子さんとご家族に対し、「どこの学校に通いたいですか?」と聞いてきます。そして、その希望に極力沿うように動きだします。

障害の度合いを見て、行政の方から「ここの学校に通うように」というアプローチが取られることは、ほとんどありません。

なので、大阪の小・中学校では、多くの場合、障害のあるお子さんがレアではありません。

むずかしいのは、それがベストの選択かどうか、誰にもわからないということです。

そりゃそうですよね、障害の度合いや程度によって、学校現場には相当な負担になることがありますし、正直、クラスが混乱したり、授業が遅れたりすることも覚悟しなくてはなりません。

けれども、障害のある子も、そうでない子も、「団子になって」「一緒に」育ち、学ぶことは意義あることでもあります。

ひとりひとり違う障害を抱えた同級生。

それは「個性」というものが、本来どういうことなのか、「個性を重んじる」とは、時にひどく厳しいことだということを、幼いうちから学ぶことができるのですから。

 

四肢に障害のあるお子さんがいた場合、そのお子さんの在籍する教室は、ずっと1階にあったことがありました。

補聴器をつけている児童も珍しくありません。

特定の教科のみ、支援学級で授業を受ける児童も、今では当たり前に存在します。

子どもたちは、普通学級と支援学級とを行ったり来たりする同級生をしなやかに受け止めて、それが「普通」だと思っています。

多動や他罰傾向が強い児童がいて、あまりにも授業に差し障りが出た場合、校長先生自ら「抜き取り指導」を行う場合もあります。空き教室などで少人数相手に授業をしたり、「保健室登校」ならぬ「校長室登校」があったり。それも当該児童の自尊心を傷つけないような配慮がなされていて、感心することもよくあります。

 

そのような学校現場が、いわゆる「テストでいい点数を取る」ことに向いているとは思えません。大阪の小・中学校が万年最低クラスに位置するのは、ある意味当然の結果という気がします。

けれども、不思議なことに、大学入試のためのセンター試験の結果を見てみると、大阪の子どもたちが取り立てて成績が悪いという事実はありません。

むしろ、大阪の公立高校は昔からレベルが高いことで定評があり、公立高校から国公立大、あるいは難関私立大学への進学もごくごく普通のことです。

 

けれども、大阪維新の会は、「小・中学校のテストの点数」だけにやたらと注目します。

 

府立高校から難関大学への進学率の高さ、その授業内容のレベルの高さ、そういったものには関心を示さないのに、ひたすら小・中学校のテストの点のみをあげつらうのです。

 

維新の会は本当に大阪の子どもたちの「学力」を心配しているのかな。

私も典型的な大阪人のひとりとして、どうも「政治家」「役人」「官」「公務員」を疑う癖があるようで、彼らが「大阪の子どもたちの学力が~」と言い出すたびに、

 

「これも「こっち見ろ~!」作戦のひとつなのかな。」

 

とか思っちゃうわけです。

 

有権者のほぼ100%が、かつては児童であり生徒であった。学校教育に不満を抱えたまま大人になった人も多いに違いない、だから、こと「教育」に関して言及すれば、関心は高まるであろうし、「教育」について危機感を煽れば、注目も集まるだろう・・・仕事してるアピールができるやん!!という作戦のひとつなのでは・・・と私がつい考えてしまうのは、穿ちすぎなのでしょうか?

 

仮にもしも、私が政治家だったとしましょう。

私なら、大阪の子どもたちの小・中学校での成績が悪いことよりも、もっと違うところに注目するだろうと思います。

 

すなわち、「小・中学校での成績は上位なのに、大学入試センター試験では下位に甘んじてしまう県はどこなのか、それはなぜなのか。」ということです。

もちろん、私は政治家ではありませんから、そういったことに興味があるわけではありません。

正直言って、自分の住む街の子どもたちのテストの点数が高かろうが低かろうが、どうでもいいというのが本音です。

だってそれは私の点数ではないし、私の子どもの点数でもないし。

自分の街の子どもたちの成績の順位に、いちいち一喜一憂する人の、その心の動きがよくわからない、というのが本音です。

 

でも、子どもたちの成績を、子どもたちの未来のためではなく、「政治」のために利用しようとする人がいるのだとしたら、そのことには注意したいし、抵抗もしたいと思います。

 

障害のある子も、ない子も、共に学び、共に成長する。

そんな学校環境を作ろうとして、大阪の先生たちは毎日手探りで、必死にがんばっています。

それはテストの点数には反映されないけれど、そのせいで「評価されない」なんてことがあっていいのでしょうか。

テストの点数を上げるように努めることは、もちろん好ましいことです。大事なことです。

でも、それならば、テストの点数に現れない面も、評価の対象に加えてあげられないものでしょうか。

 

ただ点数を上げればいいという風潮が広がれば、平均点向上に貢献できない児童の「排除」が始まるのかもしれないと思うと、不安になるのです。

 

大阪維新の会がそんな風潮を生み出さないか、これからも注意深く見ていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

春に新調したいもの。

みなさま、こんばんは。

 

私が「はてな」を始めてから、ずいぶん長い時間が経ちました。

長く続けているだけで、一向に成長は見られませんが、わっとさまがよくおっしゃっているように、自身の過去の記録として、「はてな」はなかなか有用だなって思います。

 

ちなみに3年前、UPした記事、

 

mamichansan.hatenablog.com

 

この記事の中で紹介した自作のバッグ。

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帆布のトートに、

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高校生の娘用に作ったショルダー。

 

3年経って、どちらもずいぶんくたびれてきました。

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ちょっと近所に買い物に・・・に使いまくったトート。
帆布だけあって丈夫でしたが、傷みも出だしました。

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娘のショルダーバッグ。

3年間、毎日毎日学校へよくお供をしてくれました。

お弁当に折り畳みの傘、お財布に定期入れ・・・学用品以外はこちらにポイポイ入れて通学していました。

おかげでデニムの色も剥げて持ち手のテープも擦り切れ気味・・・

 

「新しいのを作ってー。」

 

と娘が言うので、さっそくショルダーバッグの型紙を探しました。

まだ学生ですし、丈夫でしかもA4サイズのノートや教科書が入るサイズ、ポケットもついててかわいくて・・・机の横に掛けられるように、短めの持ち手がついてるのがいいなあ・・・。

 

で、見つけました。ネットで。

 

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うんうん、かわいい。

学生らしくていいじゃないですか。

作り方までUPされてて親切!便利な世の中になりました。

 

nukumore.jp

 

さっそく生地屋さんで新しい帆布を仕入れてきて、せっせと作りました。

出来上がりはこちら。

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女子力低めな娘ですが(とほほ。)、ちょっとでもかわいく見えるようにピンクを多用しました。

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内袋もガーリーにしてみましたよ!娘の女子力がちょっとでも上がりますように・・・。

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娘もひとめ見るなり「かわいい!」と気に入ったようなのでひと安心。

これからの4年間、今度はこのバッグが娘の通学を見守ってくれることでしょう。

 

で、余り布が出たので、私のトートも新調することに。

せっかくだから作り方工程を公開しようかなーといっぱい写真を撮ったのですが・・・

 

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写真撮るのってめんどくさい・・・

そして説明するのはさらにめんどう!

 

・・・どうせ誰も作り方なんかに興味ないだろうし、工程の紹介なんか要らないかなー、要らないよねー。

 

ということで作業工程は割愛することにして(←人はそれを「逃避」と言う)、代わりに参考にした本の写真をUPしときます。

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この本の、

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このトートバッグを参考にしました。

 

見返しは折り返しじゃなくて別断ちにしたけど。

持ち手の付け方は違うけど。

持ち手の長さもちょっと長めにしたけど。

外付けのポケットも追加したけど。

マグネットボタンもつけたけど。(←人はそれを「すでに別物」と言う。)

 

まあとにかく、あちこち切ったり縫ったりしてできたんです。

仕上がりはこちら。

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 私が持つにはちょっとかわいすぎる気もしますが、春だし、いいんじゃないでしょうか。たまにはピンクもね。

 

できあがったバッグを持ってお出かけするのが楽しみです。

 

 

 

 

 

 

 

 

根三つ葉の芳香

みなさま、こんばんは。

 

先日、またまたmarcoさんから野菜をいただきました♡

 

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大阪ではなかなかお目にかかれない野菜。「根三つ葉」っていうんですって。

「なかなか」どころか、私はこの年になって初めて拝見しました。これまでスーパーでも八百屋さんでも見たことがありません。

marcoさんのブログで物欲しそうなコメントをしたから送ってくださったんだろうな・・・

「いいなー、食べてみたい!」って言ってみるもんですね!えへ。(←図々しい)

garadanikki.hatenablog.com

 

三つ葉だけでなくって、marcoさんは出汁をひくようのしいたけや昆布、それに生姜を干した「ウルトラ生姜」も送ってくださいました。

garadanikki.hatenablog.com

 

このウルトラ生姜、すっごく身体によさそうで、作ってみたいと思いつつ、そこはほら、私、根っからの無精者ですので(←周知の事実)、なかなか実行に移せなくて・・・そもそもお料理って苦手なんですよねー。

marcoさんにはきっとそのあたりもバレバレだったんだろうな・・・

 

「ウルトラ生姜だー!」

とその存在に気づいたときには、「marcoさん、なんて親切~!」と飛び上がって喜びました。(←いや、そこは反省して自作しようよ・・・というツッコミはいらないです)

 

で、marcoさんに根三つ葉のオススメ調理法をうかがったら、その中に鍋があったので、ウルトラ生姜もプラスして、その日の夕食は鶏肉とウルトラ生姜、そして根三つ葉のお鍋にしました。寄せ鍋風です。

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湯気でくもってるし・・・。相変わらず写真が下手すぎ。

 でも、早く食べたくって、写真どころではなかったんだもんねー。

 

ごく普通の、スーパーで売られている三つ葉と違って、根三つ葉はただ大きいだけではありませんでした。

包丁を入れたときに広がる独特の芳香の強さと言ったら!

春の、一斉に新芽が芽吹く季節、あの青々とした草いきれの中に立っている気がしました。

 

一足早く春を届けてくれたmarcoさんに心から感謝しています。

 

でね。

家族でお鍋に入れた根三つ葉のおいしさに驚きながら、私はなんとなくしみじみとしてしまいました。

はてな」って、インターネットって、すごいなあ、不思議だなあ、って。

 

 たとえば、ほら。

小学校の図書室でこんな本を見つけたとするでしょう?

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そうしたら、すぐにカメキチさんのことを連想してしまう。

 

街なかで「福」の文字を見つけると、きっと福ふくさんのことを思い出すし、(だからお正月なんかはしょっちゅう福ふくさんのことを考えてることになってしまう…)

 

新しいラーメン屋さんを見つけると、ああ、このお店、横チンさんのお気に召すかしら、と考えるし、

 

立ち枯れた紫陽花の花に出会うと、必ずryoさんに写真を撮ってほしくなるし、

 

デパートで売られている、とびきりおしゃれなお弁当を見ると、「muraさんのお弁当の方が上だな…」って思って買う気がなくなっちゃうし、

 

青々と茂るブナの木を見ると、ブナさんはお元気かなって絶対に思い出すし、

 

手芸店でキラキラしたビーズを見ると、まゆじゅんさんならどんな作品になさるのだろうと考えずにはいられないし、

 

オリエンタルな踊りを見ればleyさんやねこさんを、予備校のCMを見ればⅯさまを思い出します。

 

「ぶたばあちゃん」の絵本を読むと、いつもうっかり泣いてしまって、同時にやはり、りんさんのことを連想します。

 

それから「お昼寝のススメ」みたいなニュースをF2でやっているのを見れば、セネシオさまが今ごろ面白がってるんだろうなと想像します。

 

精霊流しの映像をテレビで見たときには、いちご一笑さまは毎年、この光景をご覧になってるのだろうと考えて、一層感動を深くしました。

 

それから、日常会話に四文字熟語が出るとかえるさんを、カレンダーを見るとsoftwindさまを、しいたけをみじん切りにしている時(←ひどい)には、わっとさまを思い出します。

 

真っ白な帆船の写真を見ると、そのマストの上にisakuさんを探してしまいます。

そして手を振らなくては、と思ってしまう。

 

そうして、古書を見るたび、あるいはちょっとこなれた感じの古い居酒屋さんを見かけるたびにmarcoさんを思い出してしまうのです。

 

他にもブログを通じてメッセージをやりとりする、たくさんの方々。

 

もしかしたら。

本当に、もしかしたら、なんですけれど。

 

私がこうして、日常のふとした瞬間に、みなさまのことをあれこれと思い出しては、お元気かしら、今ごろ何をなさっているのかな、と考えるみたいに、みなさまの方でも、時には私のことを思い出してくださっているのかしら。

 

東京の、私なんかは行ったこともないような、おしゃれなスーパーの店頭で、marcoさんが根三つ葉の束を手に取りながら、私のことをふと思い出してくださった、その瞬間。

 

その瞬間のことを思うと、うれしくて、本当にあまりにもうれしくて、「はてな」をやっててよかったー!って心から思うのです。

 

パソコンにしてもスマホにしても、血の通わない、無機質な物体ですのに、私たちはそれを通してこんなにも通じ合うことができる。交流することができる。

 

人間とはなんて素敵な生き物なんでしょう。ね?

 

つらいニュースや酷い出来事がたくさんあるのは知っています。

 

それでも、私たちはこれでなかなか捨てたものではない生き物だなって思うのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

忙しい時に限ってよけいなことをしたくなる衝動に名前をつけたい。

 みなさま、こんばんは。

このところ、ちょっとバタバタしておりまして、「はてな」をサボり気味の毎日です。

やらなくてはいけないことがてんこ盛りで、朝から晩まで頭の中がパニック!

つくづく自分のキャパシティーの少なさ、乏しさにうんざりしています。

 

ところで、こんな風に忙しい時に限って、余計なことや要らんことをしたくなることってないですか?

たとえば、ほら・・・

 

旅行の前日だというのにアルバムの整理をしてみたり、

各種申告用紙を脇に置いてレシピ帳の作り直しなんかをやってみたり。

 

え?ない?

ありませんか?そういうこと。

 

私にはあるんですっ!

 

で、最近、私のやってる「余計なこと」。

洋裁です。

 

1.まずは大きめバッグ。

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一泊旅行の荷物くらいなら入りそう。

荷物がたくさん入って、ポケットもたくさん、なバッグが欲しくて作ったのですが、

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ポケットティッシュもそのままセットできて便利!・・・のはずが、ポケットが多すぎてどこに何を入れたのかわからなくなり、常にあちこち探す羽目になってしまいました。

必要なものがすぐに取り出せなくて、いつも「きぃっ!」となってます。

理想のバッグって、ほんとに存在するのかな・・・?

 

2.あとはポーチとか。

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余り布でお揃いのポーチ。

右側のはmarcoさんのところへお嫁入り、左側のはお仕事でお世話になっている方に(無理矢理)もらっていただきました。

 

3.さらに余った布でペンケース

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15センチ定規とペン類が収まります。

余り布で簡単に、しかも短時間でできるのですっかりハマってしまい、

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大量生産中です・・・。

もうすぐ転勤のシーズンですから、お世話になった人たちにお贈りしようと思っています。(←押しつけるとも言う)

 

4.新生活が始まる娘に。

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春から新しい生活が始まる娘に化粧ポーチやペンケースなどを作ってみました。

思えば娘が幼稚園児のころから、春になるたび、手提げバッグやスモック・上靴入れなんかを作ってきましたっけ・・・。

その娘がそろそろお化粧をするようなお年頃になったことに、ある種の感慨を覚えずにはいられません。

 

・・・なーんて言ってるから、ちっとも作業がはかどらないっ!

年度末に向けて、明日からまた怒涛の忙しさなのに、私は一体何をやっているのやら・・・。

忙しい時に限って、いらんことに手をつけたり、余計なことをしたくなるのにも、「マーフィーの法則」みたいな名前があるんじゃないかと思うんですよ~。

ご存知の方がいらしたら教えてくださいね!

 

 

 

 

 

 

 

大阪みやげが思い当たらない

みなさま、こんばんは。

 

先日、marcoさんから、あるお届け物がありました。

すっごく趣味が良くて、楽しくって、しかもおいしいもの!

 

(←は?なんでそんないいものをもらえたのかって?

いつものようにしょうもない手作り品をもとに、海老で鯛を釣ったんですよ~。現代の錬金術師と読んでください。ほほほ。)

 

で、で、で、marcoさんからもらったのが、こんなの。

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・・・いつものように写真が下手。

 

なんだろう?って思うでしょ?

これ、なんとチョコレートなんです。びっくり。

細長いのは包装だけで、中にはずらりと並んだボンボンとかが入ってるのかなー、と開封してみたら・・・

 

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ほんとにチョコレートバーだった!

 

なんだか一気にテンションが上がってしまって、

おもしろいなあ、こんなに大きいチョコレートバー見たことない!とすっかり楽しくなってしまいました。

 

同封されていたお店のカードを見てみたら、

 

www.erica.co.jp

 

東京・白金台にあるお店のチョコレートでした。

 

白金台・・・聞いたことある!

白金台に住む素敵主婦を「シロガネーゼ」って呼ぶとか、大昔、テレビでやってた!

 

なるほど、なるほど、おしゃれな街・白金からやってきたチョコレートなんだ、さすがだなあ、とさらに感動。

しかもすっごくおいしいし!

開封しているところを娘に見られてしまったので(←痛恨事!)、こんなに大きなチョコレートバーがあっという間にどんどん短くなってしまい、なので、上の写真もお店のホームページからお借りする羽目になりました。

 

家族でこのチョコレートバーを大騒ぎでいただきながら、話題の中心になったのは、

 

「やっぱり東京ってすごいなあ。」

 

ということ。

 

「誰かに贈り物をしたいな」と思った時、東京に住んでいれば、いくらでも選択肢があるように思うのです。(あと北海道も多い気がする!)

おしゃれなお店、素敵なお店がいっぱいですもの、まさに選り取り見取りですよね。

 

でも。

仮にこれが大阪だったら。

一体何を送ればいいのか、ちょっと思いつきません。

 

大阪にしかない、大阪ならではの、それでいて趣味のいい、贈られた人がうれしくなるようなもの・・・

 

うーん、なんだろう。

家族で首をひねって考えてみましたが、いいアイデアがさっぱり浮かびません。

だって、大阪みやげと言えば、

やたらと「たこ焼き」に頼った何かとか、

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  ↑
たこ焼き煎餅(←大阪人だけど食べたことない)とか、

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  ↑

こういうの。

食べもの以外にまでたこ焼きを採用する意図がわかりかねます。

 

あるいはしょうもない「大阪弁グッズ」とか・・・

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  ↑

こういうやつね。

探せば「あほやねん」とか「どないやねん」とかのメガネもあると思う。(←どうでもいい)

 

こんなのばーっかり!

いらんねん!!

 

で、みなさまにおうかがいしたいのですが、もしも大阪から何かを送ってもらう、あるいは大阪から何かをお土産に買って帰るというようなシチュエーションがあった場合、一体何をお選びになりますか?

今後の参考にしたいと思うので、ぜひぜひご意見をお寄せください!(←切実)

 

ちょっと遅くなりましたが、marcoさん、おいしいチョコレートを本当にありがとうございました。 

みなさま、もうご存知とは思いますが、本と猫、それからおいしいものに満ちたmarcoさんのブログはこちら。

 

garadanikki.hatenablog.com

marcoさんのブログでは最近、鎌倉の話題が多くて、読んでいるとちょっとした旅行気分が味わえます。

趣味よく暮らすためのヒントと、気品あふれるmarcoさんのブログ。

読んでいると私もいつかはmarcoさんのようになれるかもーという、大胆かつ無謀な憧れが胸に満ちてきます。

 

半日経てば「無理だった・・・」ってわかるんですけどね・・・とほほ。

 

おまけという名の言い訳。

最近、ちょっとバタバタしておりまして、なかなかPCの前に座る時間も確保できずにおります。

一日が50時間くらいあるといいのにな・・・

しばらく不義理が続きますこと、どうぞご容赦ください。

 

 

 

 

 

 

 

これ以上学校の先生をこき使うのはやめてほしい。

みなさま、こんばんは。

先日、私が所属しているボランティアグループでこんな話が持ち上がりました。

 

「どうも今年から、図書室内にある本の棚卸しをしなくてはならないらしい。」

 

って。

 

棚卸し。

蔵書点検。

 

ぞっとしました。

 

だって、私がお手伝いをしている小学校図書室の蔵書は約7千冊。

それを一冊ずつ「あるかどうか」点検していくなんて、その作業を想像するだけで気が遠くなります。

 

で、一瞬胸中によぎったイヤーな予感は見事的中、ボランティアもそのお手伝いをすることになりました。

 

おそらく、今年の春は何度か図書室に通って本を出したり入れたり、単調な作業をすることになるのでしょう。

一日で済むかな・・・済むはずないよね・・・。

 

憂鬱・・・

 

いや、やるよ?

やります。

やりますって!

ボランティアが手伝わなければ、先生方がやらなくてはならないのだし。

 

でもねえ。

なんていうか、ちょっと納得いかない部分もあるのです。

 

小学校、あるいは中学校の図書室の蔵書点検。

それって、意味あるんでしょうか。

 

いや、図書室の本を大切にすることは教育上大事なことですし、授業に使う本があるかどうかをチェックすることは必要なことかもしれません。

でも、図書室内の本をすべて、1冊残らずきちんと棚卸ししようと思ったら、かなりの時間を要します。

それを学校の先生方にさせようというのは、かなり無理があると思いませんか?

ただでさえ、学校の先生はものすごい量の仕事を抱えて、にっちもさっちもいかなくなっているというのに。

 

私がボランティアをしている学校では、ボランティア側がその「手間」を引き受けることにしましたので、先生方の時間を割くことは実質ほとんどないでしょう。

 

でも、どこの学校のボランティアもお手伝いするとは限りません。

むしろ、「読み聞かせ」以外のお手伝いはしないというグループもたくさんあって、そういう学校では教職員が棚卸しをしなくてはならなくなると思います。

 

私の娘はもう高校生ですが、仮に娘がまだ小学生だったとしたら。

きっと心中複雑になっただろうと思います。

蔵書点検なんかに先生方の時間を費やすくらいなら、やってほしいことは他にもっとたくさんあるのにって。

たとえばよりわかりやすい授業のための研究とか、指導法の研修とか・・・要するに「教育」のために時間を使ってほしいと思うのです。

「蔵書があるかどうか」の点検なんて、先生でなくてもできるけれど、学校での「教育」は先生方にお任せするしかないわけですから。

 

さらに納得できない点は、学校の図書室がそこまで厳密な棚卸しを必要とするのかどうか、今ひとつ腑に落ちない、ということです。

 

仮にこれが一般企業ならばわかります。

売り上げに直結する物品の棚卸しは必須ですし、台帳管理・在庫管理の面からも欠かせない工程であることは明白です。

しかしながら、学校図書館については、仮に所在不明の本が多数あったとしても、それで翌年からの図書購入費が変動するとは思えません。

なぜなら、図書の購入費は児童数によって決定されるもので、蔵書数や所在不明の本の過多によって決まるものではないからです。

 

特に小学校の図書室を見ていると、どうしても本ってなくなったり、破損したりするものなんですよね。

だって使っているのは「子ども」なんですもの。

落とす、破る、なくす、どこかに置き忘れる、そんなのは日常茶飯事。

もちろん、本を大切にすることは非常に大切ですが、そういうハプニングを恐れていては、子どもたちに本と親しんでもらうことはできません。

 

1冊千円から2千円程度の本ばかりの学校図書館

それくらいの本なら「消耗品」として捉え、あまり厳密な管理は求めない方がずっとすっきりすると思うのですが・・・。

 

それでもやはり恒常的に、蔵書点検なり棚卸しをしなければならないというのなら、人件費をケチらずに、人員を増やすべきです。

現行のお仕事だけでもアップアップの学校現場に、ものすごい労力と時間のかかる仕事をさらに押し付けるのは残酷過ぎると言わざるを得ません。

ただでさえ、最近の学校現場はブラック企業並み、と言われているのに、これではますます優秀な人材は先生という職業を選ばなくなることでしょう。

 

昔、「解剖」をする法医学のドクターに解剖後の手術室の清掃をさせようという案が持ち上がった時、法医学の先生方が大激怒して、結局その話が立ち消えになったという報道を見たことがあります。

 

今回の蔵書点検の話を聞いたとき、私はその報道のことをちらっと思い出しました。

学校の先生も、法医学のドクターを見習って、大激怒して抵抗すればいいのに。

なんでもかんでも唯々諾々とおとなしく従えばいいというものではないと思うんですよね。

 

ただでさえ、学校現場は増え続ける仕事に疲弊しています。

先生たちを本来のお仕事、「教育」から遠ざけるばかりの最近の行政の在り様には疑問を感じずにはいられません。

 

どうかしてます、絶対。

 

ボランティアのお仕事もどんどん増える・・・最初は読み聞かせと本の修理だけって話だったのに・・・とほほ。

 

日本人、働き過ぎ・・・というより、意味のない仕事を増やしすぎ!

 

読み聞かせのボランティアは、他の学校のグループとも連携していて、合同の会議もあります。その会議には区の担当者も出席します。おそらく教育委員会の委員とも面識のある人たちなので、次回の会議では絶対文句言ってやる!と固く決意しています。

 

マミーさんだって、言う時はちゃんと言うんだ!!

怒るとコワいんだぞー!(←夫が横で深く頷いています。)

 

 

 

 

 

 

 

中学校図書室が意外と使える件について。

みなさま、こんばんは。

以前、中学校の図書室で借りた本についてお話ししました。

 

mamichansan.hatenablog.com

 

で、今も相変わらず、図書ボランティアの身分を利用して、中学校の図書室に出入りしています。

我が物顔で。

図々しく。

 

そのうち注意されるんじゃないだろうかと内心びくびくしてますが、でもめーっちゃ怒られるまでは使い倒してやろうと思っています。

だって区の図書館よりも近いし。

しかも話題書や人気作家の本も網羅してるし。

その上、「こういう本が読みたいなー」と言えば、次の予算で買ってくれたりするし!

ええ、もうやりたい放題でございます。

昨年の暮れには、marcoさんのブログでたびたび取り上げられている「ビブリア古書堂の事件手帖」が気になって・・・

 

garadanikki.hatenablog.com

 

なんとなく食指が動かなくてこれまで未読でしたが、marcoさんがおもしろいとおっしゃるのだから間違いないだろうと、全7巻、一気に借りてきました。

三上延ビブリア古書堂の事件手帖アスキーメディアワークス

 

おもしろかったです。

古書についての広範な知識、物語の中心を占める謎解き、個性的な登場人物・・・

ライトノベルの枠に留まらない楽しみがたくさん詰まったシリーズだと思います。

表紙のデザインが好みではなくて、これまで手に取ることをしませんでしたが、もっと早く読んでおけばよかったなー。

いえ、別に「萌え絵」がキライとかいうのではありません。

でもこのシリーズに関しては、こんな装幀じゃない方がよかったな・・・あくまで個人的な感想ですが。

古書が詰まれた空間の、清逸な感じがしないんだもん。全然しない。

おそらく、このままの表紙デザインでは私はこのシリーズを決して購入しないだろうと思うので、中学校の図書室で借りられてラッキーでした。

 

で、年が明けて、「新しい本が入ったよー」と連絡をもらったので、性懲りもなくまたまた行ってきました。

今回借りてきたラインナップはこんな感じ。

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結果からいうと、大当たりの大ヒット。

どれもめちゃくちゃおもしろくって、家事をするのも着替えるのももどかしいほど没頭しました。

(週末だけで全部読了・・・どれだけ家事の手を抜いたか、よ~くわかります。えへ。)

 

まずは、

ビブリア古書堂の事件手帖」外伝。

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年末に一気に読み終えた「ビブリア古書堂の事件手帖」外伝。

気になる登場人物たちの「その後」を読めるのが外伝の醍醐味ですね。

でも、今回は本編を読んでから外伝を手に取るまでの期間が短すぎて、登場人物との「再会」という感じはあまりしませんでした。

もう少し時間を空けてから読めばよかったかな・・・。

せっかちな性格で損した気分です。

 

それから、

「玻璃の天」(北村薫著:文芸春秋


 

直木賞受賞作「鷺と雪」と同じ「ベッキーさんシリーズ」の第2弾。

私はこのシリーズが大好きで、以前にも読んだことがあるのですが、再度借りてきてしまいました。

ベッキーさんシリーズは「街の灯」「玻璃の天」「鷺と雪」の3作が出ていますが、ほんとはもっと読みたくってたまりません。

昭和初期の世情、上流階級の人々の生活や文化、そして上質な謎解き。

読んでいる間、極上のトリップができること請け合い。

未読の方はぜひ。

 

「赤猫異聞」(浅田次郎著:新潮社)

これは「浅田次郎」。

典型的な「浅田次郎」。

徹頭徹尾、「浅田次郎」。

たとえば「壬生義士伝」を読んで、大泣きした人なんかはめっちゃはまると思います。

一度読みだしたら止まらない・・・おもしろさについては太鼓判です。

日本人の感動のツボをきっちり押してくるんですよね。

講談・浪曲浪花節・・・泣かせる時は思いっきり!

そういう手練手管に関しては浅田次郎という作家は凄みがあります。

ほんとに巧い。

 

おそらく浅田次郎って、「殿(しんがり)」が好きなのでしょうね。

 

時代が変わるその瞬間に、誰もが自己の保身をはかり、ころりと変節してしまう中、たったひとり、自分の責務を全うし、大義を貫き通そうとする人。

金も名誉も命も捨てて、これまで信じてきた何かのために損を承知で殉じようとする人。

浅田次郎はそういう人を書かせると本当に巧い。

この「赤猫異聞」でも、幕府が倒れ、権力の無法地帯となった江戸で、多くの者が私欲や保身に走る中、ひたすら己の道理を全うしようとする侍の生き様が描かれます。

その侍と同じように、まっすぐで清澄な生き方ができる人は少ないでしょう。

だからこそ、浅田次郎が描く「殿」の侍は私たちの心を打つのかもしれません。

 

で。

本筋からは離れますけど・・・

常々、不思議に思ってることがあるのです。

団塊の世代のおじさまたちって、浅田次郎の書く小説、お好きですよね・・・。

それってどういう心境なのでしょう?

 

もっとも苛烈を極めた学生運動のさなか、あれだけ体制に反発を繰り返しておきながら、卒業が近づけばあっさりと髪を切り、なんら疑問を持たずに大企業に就職し、あとはマルクス主義なんてそっちのけ、ひたすらこの国の経済活動の中心を担ってきた団塊の世代

その世代の人々は、浅田次郎の書く主人公が悲劇的な「殿」として散っていくのを一体どう受け止めているのでしょうか?

いや、別に批判しているわけではないですよ?

ただ単純に不思議だなあ、と思うだけです。

私だったら、ちょっと恥ずかしいだろうな、と思って。

「感動して泣いた」なんて、とても言えそうにありません。

変節しない人の強さを羨望しつつ、その要領の悪さにうんざりする・・・そこにいくばくかの己への恥を混在させながら・・・って感じでしょうか。

 

団塊の世代の方々が、浅田次郎の本を薦めているのを見るたびに、内心、「へー」と思うのです。

別に批判も非難もしていません。

ただ「へー。」って思うだけ。それだけです。

 

「夕映え天使」(浅田次郎著:新潮社)

 

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こちらは浅田次郎の短編集。

あくまで個人的な好みの問題ですが、浅田次郎なら短編集を推したい。

 

市井の人々の悲喜こもごも。誰もが抱えている「かなしみ」。

わざわざ口に出して語ったりしない、でも確かにそこに存在している悲哀。

そういうものを掬い上げるのが上手な作家さんなのだろうと思います。

 

この本のタイトルにもなっている「夕映え天使」。

男やもめの所帯に突然現れた女性の死にまつわるお話ですが、浅田次郎には似たような作品が他にもあります。

人生の中でほんの少しすれ違っただけの女性に心揺すぶられ、暮れなずむ冬空に涙する男性の姿。

人間というものの切なさ、やりきれなさに読者の心もすっかり囚われてしまうことでしょう。

 

そして2作目の「切符」。

この作品にもやはり「殿(しんがり)」の存在が色濃く投影されています。

「ヒリッピンにかたっぽのあんよを置いてきちまった」おじいちゃん。

世間は東京オリンピックに浮かれているというのに、その中でただひとり、未だに戦争を続けているようなおじいちゃんの姿は、いとも簡単に変節できてしまう多くの人々とは明確に一線を画し、言葉にならないほど哀しいけれども美しい。

胸をつかれる作品です。

 

また、浅田次郎という作家は、「東京」を書かせると本当にすばらしい。

いや、私は東京になんの縁もゆかりもありませんが、それでも彼が紙上に描き出す東京の美しさは格別です。

たとえば「切符」冒頭部分。

物干しから眺める夕まぐれの景色が好きだった。

恵比寿の町を縁取るように、小高い丘が繞っている。西は渋谷の高台から続く代官山の森で、電車通りを隔てたあたりは防衛庁の広い敷地だった。そこは少し前まで進駐軍が接収しており、兵隊の姿はもうなかったが、町なかの中古家具屋やネオン管のまたたく酒場の窓などには、まだ彼らの残り香が感じられた。

本当にうまいなあ、と嘆息します。

恵比寿も代官山もよく知りませんが、こんなふうに書かれたら私まで、この夕まぐれの景色が好きになってしまいます。

 

6編の短編が収蔵された「夕映え天使」。

「本を読む喜び」をしみじみ感じさせてくれる一冊でした。

超絶オススメ。

ちなみに私が一番好きな浅田次郎の短編集は「霞町物語」(講談社

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絶対いいから、騙されたと思って読んでみて!

 

「フーガはユーガ」(伊坂幸太郎著:実業之日本社

この本を読んだときもやっぱり「伊坂幸太郎っぽい」と思いました。

これまでの彼の著作の傾向から外れない、いかにも「伊坂幸太郎が書きそうな世界」。

なので伊坂幸太郎作品が好きな人は、その期待を裏切られないだろうと思います。

ありえない設定、でも説得力のある描写、畳みかけるような疾走感、きちんと回収される伏線。最後まで時間を忘れて物語に没頭できます。

 

でもなー、って思うのです。

伊坂幸太郎の書く物語にはよく、「真正の悪人」としか呼びようのない、サイコパス的人物が登場するのですが、私はそれが少し苦手です。

ほんとにそんなにひどい悪人っているのかな・・・まあ、いるんでしょうね。

新聞とかニュースを見ていると、驚くほどひどい人間って確かに存在しているのだと確信できますもの。

でも、正直なところ、そういった人に本の中でまで会いたくないなー、とか思ってしまうのです。

100パーセント善である人間が稀であるように、100パーセント悪の人間もまた稀であると、できることなら信じたい。

多くの人間は、善と悪とが混然と、まだらに混じり合っているものなのではないでしょうか。

そしてそのせめぎあいをこそ、一冊の本の中で見たいのです。

なので、こんなにも完全な、隙のない、真っ黒な「悪」を延々と提示されると少々怯んでしまいます。

 

でも、人気なんですよねー、伊坂幸太郎

今、大阪市立図書館でこの本の予約状況を見たら、なんと約500人待ち!

おそらく年単位で待たないと読めないことでしょう。

本当に中学校図書室様様です。

 

で、これらの本を借りて帰ってくる際に、私がリクエストした本がこちら。

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ユヴァル・ノア・ハラル著「サピエンス全史」「ホモ・デウス(←作者の名前、むずかしすぎ!ちっとも覚えられない・・・)

 

去年、「サピエンス全史」を区の図書館で借りて読んだのですが、これがもうほんっとにおもしろくっておもしろくって!

久々にこんなにおもしろい本を読みました。

おそらく中学生は誰も読まないと思うけど・・・私がもう一回読みたい!(←自己中)

 

「もしかしたら中学生にはちょっと難しいかもしれないけど・・・でも買って、買って!入れて入れて~!」

 

って言ったら、

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こういうのも一緒に買ってくれるって!

図書ボランティアやっててよかったー!!!