初めての金沢。
みなさま、こんばんは。
この1週間、マミーさんは絶不調。
カゼの症状もないのに発熱が続き、まったく使い物になりませんでした。
昔から熱にはめっぽう弱い・・・37度の熱でヘロヘロのグダグダ、
「全機能停止」
あるいは、
「顔が濡れて力が出ない~」
状態になります。
今日になって、やっとなんとか通常運転に戻れそうな気がしてきました。
なんにもできずにひたすら寝てばかりの1週間でなんのネタもありませんので、今日は今月初旬の連休、金沢へ家族旅行に行ったお話をさせてください。
ずいぶん久しぶりの家族旅行。
もともとは娘の受験が終わったら行こうと計画していたのですが、春休みは入学準備、夏休みは8月中旬まで娘の大学での定期テストが入っていて、結局こんな時期までずれ込んでしまいました。
正直、合格通知を手に入れたときのテンションはすでに遠い彼方、
「今さら旅行~?もうどうでもいいやん~。」
って気持ちだったのですが、娘が「合格したら旅行に連れて行くと言った!確かに言った!」としつこいので、結局逃げきれませんでした・・・。ちぇー。
思い返せば入試の直前、ちっとも勉強しない娘に業を煮やし、
「試験、全滅したらどうするのっ?全然勉強しないで!どこの世界に夜10時に寝る受験生がいますかっ?!
もしもどこにも受からなかったら、ママは、もうママは家出するっ!出て行くからねっ!」
とやいのやいの言いましたっけ。
娘が「・・・私を追い出すんじゃなくて、ママが家出するの?」
と聞くので、
「当たり前やん!まる子ちゃん(←娘のことです。もちろん仮名です。)を追い出したら、ママ、また朝から晩まで心配せなあかんやん。だからママが出て行くねん!
まだ寒~い日本海側のどこかに行ってな、それでママな、
カニ食べてくるわっ!!!」
とまくしたてましたら、娘に、
「それ、ただの旅行やんな?」
と冷たく返されました。・・・腹立つ。
で、仮にどこかの大学に奇跡的に引っかかったら、「ママひとりでおいしいカニを食べに行くという家出」ではなく、「家族で旅行しよう」という約束になったのですが、どこに行くかまでは決めていませんでした。
娘の希望は「おいしいものが食べられて温泉に入れるところ」。
「年寄りかよ。」
と思わないでもないですが、私の母ももちろん一緒ですから、その希望は娘なりの気遣いだったのかもしれません。
散々悩んだ末に、まだ訪れたことのない「石川県」にしようと意見がまとまりました。
で、行ってきました、人生初、石川県、金沢。
うーん。かっこいい・・・。
テレビでよく見ていましたが、実物はもっとかっこいい!
いかにも日本的でいいじゃないですか。
どうして大阪駅とか京都駅もこんな風にできなかったんだろうかとしみじみ思います。
その点、東京駅はいいですよね。レトロな雰囲気で。とても素敵です。
でも大阪駅も京都駅もモダン過ぎて、日本にある意味があるんだろうかと思ってしまいます。
もしも自分が外国からの観光客だとしたら、絶対大阪駅よりもこちらの金沢駅の方が魅力的に感じるはず。
誰やねん、大阪駅のデザインしたやつ。出てこーい!と思っちゃいました。
ところで、石川県で感じた「美」は駅だけではありません。
なんていうかな、どこを切り取っても「とてもハイセンス」。
趣味がいいというか、「粋」というか、美的センスの塊というか・・・どこを見ても、どこを歩いても、うっとりするような風景の連続でした。
もちろん兼六園にも行きました。
紅葉にはまだ早かったけれど、もうすぐやってくる雪への備えまでもが美しい・・・。
金沢には「芸術的才能」がある人が多いのでしょうか。
風景をこんなにも美しく魅せることができるのって、ものすごい才能です。
大阪にもそういう才能のある人をちょっと寄こしてほしい・・・いや、行きたくないと言われそうだけど。
金沢の街を散策していて、ふらりと立ち寄ってみた尾山神社。
前田利家公を祭った神社らしいのですが、どことなくハイカラな感じがします。
こんな神門初めて見ました。ちょっと西洋建築風で、しかもちょっびっと中華風?不思議な感じです。
中華風と言えば、絵馬の中にはこんなのがいっぱい。
香港からの観光客が残していったのでしょう。
中国語なんて全然わからないのに、「なんとなく」理解できてしまうところが漢字のすごいところ。
娘と一緒にこの絵馬を見ながら、ふと胸を突かれる思いがしました。
娘と同じような年頃の若い人が、かの地ではどんどん追い詰められているのでしょう。
もちろん、若さゆえに性急に、無謀に突っ走ってしまうところがあるにしても、自国の警察や軍隊に簡単に圧殺されていい命などこの世にあるでしょうか。
なんとか人死にが出ないように、香港政府と中国政府には、最大限の自制をお願いしたいものだと思いました。
そもそも人権派の弁護士が次々と連れ去られ、その家族が幼い子ども共々、何年も過酷な軟禁状態に置かれているのを見れば(しかも村八分状態で)、香港の市井の人々が中国政府に対して不信感を持つのも至極当然のように感じられます。
香港の現状に口を挟む暇があるのなら、中国政府は自分たちの足元を掃き清めた方がいいように思います。香港の人々にしても、今さら二等国民のように扱われた英国による統治時代に戻りたいと考えているわけはないでしょうから。
ああ、やっぱり私は旅行に関する記事が苦手です。
話が脱線するどころか、何を言いたいのやらさっぱり。
すみません、この続きはまた次回。
石川県、金沢。
あまりにも魅力的なこの街について、もっと体系的に、より素敵に紹介しているブログをご紹介しますのでみなさまはぜひこちらをご覧ください。
私もいつもうっとりしながら見ています。
で、夫が今、ここまでの下書きを読んで、
「まさかの丸投げ!」
と大爆笑しています。
いいやん、別に・・・
苦手なことは苦手やねんっ!
相変わらずうるさい夫婦です。
小ネタ集2回目?
みなさま、こんばんは。
今日は久しぶりに「小ネタ集」をやってみよーかなーと思います。
大したネタがないので。(←いつもだけど。)
だったらブログなんて放置しとけばいいのに、つい湧いて出てしまうのはおしゃべりな人間の悪いところです。
いつものことですが、今日も人生に有用なことは何ひとつ出てきません。
それでもつきあってやろうというやさしい方はぜひ最後までお付き合いください。
1.こけた。
先週、こけました。思いっきり。
階段の最後の一段のところで。ずるっ!っと。
お尻を思いっきり強打したあげく、「ふええええっ?!」っていう情けない声が出ました。
子どもの頃は痛くってもすぐに「ぱっ」と立ち上がれたものですけど、この年になると、痛みと同時に「立てるだろうか?」の恐怖心が渦巻きます。
無事に立てたときには、「立てた!」とクララのように喜び、そろそろと歩き出しては、「折れてない!」とほっとしました。
これから階段を降りる時には必ず手すりを持ちます。
湿布を貼り換えるたびに、そう決意しています。
2.ドクターイエローを見た!
今日、お散歩していて、ドクターイエローを見ました!
人生で3回目か4回目か・・・(←うろ覚え)
今度こそ写真を!と思ったのに、またしてもスマホ、スマホ、と探しているうちに、ドクターイエローはあっという間に走り去っていきました。がっかり。
見ると何かいいことがある、と言われるドクターイエロー。
いつかみなさまと一緒に見たいものだと思いますが、あまりにも「どんくさい」マミーさんのことですから、いつになることやら・・・
今日はネットから拾ってきた写真でご容赦を。
みなさまにもいいことがありますように。
3.「帰ったら?」が口癖になる。
「自己申告書講座」のために訪れていた中学校、明日から定期テストに入ります。
なので、放課後の図書室を自習室として開放しています。
私のところにもまたまた「子どもたちの自習のお手伝いを・・・」の協力要請が来ました。
娘もお世話になった学校ですから、時間が合えばなるべく参加するんですけれど、私、毎回怒ってばかりです。
お友だちと一緒に自習にやって来るのはいいとして、みんな全然勉強しないのですもの・・・しゃべってばっかり、いらんことして互いの勉強の邪魔をしてばかり。
保護者の立場になって痛感しましたけど、「お友だちと一緒に勉強する」って、あれ、「遊びに行く」と同義語ですからね?
騒いでばかりの子どもたちに「もう帰りぃや・・・全然勉強になれへんやん」とひたすら繰り返す私。徒労感だけが募ります。
でも、ボランティアとして参加する人間の中には、高校生や大学生になった卒業生もたくさんいて、彼らが和気藹々としゃべっているのを見るのは、私にとっても楽しいことです。
中学生も年の近い先輩のことは大好きなんですね。生意気盛りの彼らも、高校生の先輩の言うことはよく聞くような気がします。
ちなみに娘も私とは別日にボランティアで参加しているのですが、「帰って勉強したら?」しか言わない私と違って、
「どこかわかんないとこ、ある?」
と聞いて回ったりして、「やさしい」と大評判になっていると聞きました。
マミーさん家では娘さんの方がやさしい、という噂が出回ってるんだろーなー。むむむ。
4.年賀状、いる?
先日、母がプリプリ怒っているので話を聞いてみたら、
「郵便局の人がチャイム鳴らして簡易書留ですって言うから出たら、書留なんて無くって、年賀状の販売やった。」
というのです。
本当に郵便局の人だったのか聞いてみたら、確かに郵便局の配達バイクに乗って、制服も着ていたとのこと。
「書留」って言われたら、玄関ドアを開けるじゃないですか。
そんな販売方法ってあります???
正直、ひどい話だと思いましたけれど、それだけ販売ノルマが厳しいってことでしょうか。
メール、SNS、色んな媒体が出てきて、ハガキの販売は年々減少しているのだし、もう年賀状の売上を気にするのはやめたらどうだろうと思いました。
お客さんを騙すみたいなやり方まで取らなくてはならないなんて、あまりにも気の毒です。文化であろうと伝統であろうと、誰かのそんな悲しい苦労の上にしか成立しないものなら、私は無くなっても惜しいと思いません。全然。
5.久しぶりにクラシック。
土曜日、兵庫県立芸術文化センターの定期演奏会に行ってきました。
演目はショスタコーヴィチ:チェロ協奏曲第1番とマーラーの交響曲第1番「巨人」。
クラシックのコンサートに行くと必ず思い出すことがあります。
それは高校時代の英語の授業。
バーナード・ショーの随筆がテキストだったのですが、そこには確か、こんな記述が。
「オーケストラの演奏というのは、始まってからよりも、演奏前、オケのメンバーが調律している時が一番心躍るものだ。」
それを読んだ私は、
「どこの世界にも吉田兼好みたいなおじさんがおるねんな。本居宣長に怒られるで。」
と思ったものでした。
今も、コンサートが始まる前、オーボエの音が
A~~~~~~~♪
と響くと必ずそのことを思い出します。
そしてバーナード・ショーの言うことも、ある意味もっともだなーと思うのです。
もちろん、始まってからの演奏も素晴らしかったですよ!
ものすごく前の席だったので、演奏者が息を吸う音まで聞こえてきました。
チェリストはアントニオ・メネセス。
複雑なショスタコーヴィチの曲を暗譜して弾くってすごい・・・人間の能力の底知れなさに驚きます。
高音のトリルなんてすごく大変そうで、演奏の途中、時々すごい「ドヤ顔」をするのにも、「うんうん、わかるわかる、すごいすごい、昆布茶でも飲む?」と労いたくなりました。
でも特に素晴らしかったのはコンマスかな。いや、女性だったのでコンミス、アビゲイル・ヤング。
この人の演奏が本当に素晴らしかったです。
他の弦とは全く違う・・・彼女の音だけ、演奏の中から一音ずつ、拾い出せそうに思えました。
普段は金沢の「オーケストラ・アンサンブル金沢」でコンマスをなさっているのだとか。しょっちゅう聞きに行けるんだな・・・金沢の人がうらやましいです。
マーラーの交響曲はマーラーらしく後半どんどん盛り上がっていって、観客席も高揚感の塊になります。
弦がどれだけ複雑で面倒な旋律を奏でていても、それを吹き飛ばすかのような管、そしてパーカッション。(ああいう時、弦楽器メンバーは「俺ら、全然目立てへんやん!」とか思うのかな・・・?)
ああ、生まれ変わったらパーカス奏者になりたい・・・としみじみ思いました。
今日もくだらない話ばかりしてしまいました。
ここまでお付き合いくださったみなさま、本当にありがとうございました。
国際化とかグローバル化とかって?しつこく自己申告書のはなし。
みなさま、こんばんは。
先日お話したように、行ってきましたよ、「自己申告書講座」。
今年もやっぱり大変でした。いや、これが。本当に。
まず開始早々、
「こんなん、やってられんへんわー、帰りたい~!」
と叫び出す男子。
時々います。こういう子。100パーセント、男の子です。
こちらもまったくのボランティアですから、さすがに「むむっ」とします。
誰が帰りたいって、私の方が帰りたいに決まってますもん。
猫なで声で「そんなこと言わんとがんばりぃー」とか言ってもらえると思ってるんでしょうか?だとしたら大間違いのコンコンチキ、勘違いも甚だしいって話です。べろべろべ~だ。
「今、帰りたいって声が聞こえたけど?
今日は希望者のみが参加してるはずやで?
引き留めないから帰んなさい。遠慮せんと。誰も止めへんから。
帰り、帰りぃ。」
いかにも「やべー」と言いたげに首をすくめている男の子が目の端に入ってきますが、意外とマミーさんは「いけず」なのです(←バレてる?)。畳みかけます。
「みんな勘違いしてるかもしれへんけど、高校は義務教育ではありません。
行きたくなかったら行かなくてもいいねん。誰も行ってくれとは頼んでへん。
そもそも「志望校を選ぶ」って言うけどな、「選ばれる」のはあんたらの方やねん。
向こうから「いらん」って言われたら、来年の春から行くとこ無いんやで。
みんなが合格を喜んでるのに、自分だけその輪に入られへんとこ想像してみ。結構キツイと思うで。
わかったら、四の五の言わんと真面目にやり。」
そこまで言うと子どもたちもさすがに観念するのか、机の上に目を落として必死に考え始めます。中3のこの時期にそこまで言わないとお尻に火がつかないってところがすでに絶望的ではありますが。
初回なので子どもたちは志望校のアドミッションポリシーを読んだり、自らの中学校生活を振り返ったり。
3時間近くを費やして、まだまだ形にならない自己申告書を持って帰っていきました。
今年の自己申告書講座はあと2回。
あと2回もある・・・とげんなりする気持ちと、あと2回でなんとかまとめてあげないと、と焦る気持ちがせめぎ合って、その日の夜はなかなか眠れませんでした。
で、今回、あちこちの学校のアドミッションポリシー(求める生徒像)を読んでいて感じたことがあります。
それは今の学校って、「グローバル」とか「国際社会」って言葉が好きなんだなってこと。
各校のアドミッションポリシーには軒並み「国際社会のリーダー」「グローバル・リーダー」「国際社会に貢献できる人材」という言葉が並びます。
でも、それって本当に難しい課題だろうなって感じます。
例えば、娘が高校2年生の冬。
研修旅行という名の修学旅行に、オーストラリアに出発することになったのですが(←公立高校なのに海外だなんて贅沢!)、事前準備のレポートにこんな注意事項がありました。
「ホストファミリーに何を食べたい?と聞かれたら、「なんでもいい」と答えてはいけません。食べたいものをはっきりと主張しましょう。」
って。
それを読んで、私、笑ってしまいました。
確かに「何食べたい?」と聞かれたら、「なんでもいい」って言ってしまいますよね、日本人って。
それを「自分でものを考えない」とか、「責任回避」とか言う人もいるのかもしれませんが、私はそうは思いません。
「何を食べたい?」と聞かれて、「なんでもいい」と答えるのは、この国のマナーだと思うんですよ。
つまりね、
「こんなにも広い、こんなにもたくさんの人がいる世界で、他でもない、あなたと出会えたことの偶然を思うと、それはとんでもない幸運に思えます。ましてや一緒に食事ができるほど親しくなれるなんて、これ以上の喜びがあるでしょうか。
でも、人の世は儚く、短いものです。一緒に食事ができるのはこれが最初で最後かもしれません。
だから、あなたと一緒にごはんが食べられるなら、それがたとえおにぎりひとつでも、パンのひとかけらでも、この世で最上のご馳走に感じられることでしょう。
だから、何を食べるかなんてどうでもいいことです、メニューになんかこだわりません。
なんでもいいですよ。」
の前半部分がまるっと抜け落ちて、「なんでもいい」と言っているだけなんじゃないかなって。
だって、重篤なアレルギーのある友人でさえ、最初は必ず「なんでもいい」って言いますもの、「なんでもいいけど、ごめん、○○だけはアレルギーで無理なの」って。
で、真にグローバル化に対応した人材とは、そういう、「他国と自国の文化の違いやマナーの違いによる軋轢」を自覚した時に、真摯に真剣に「なぜ、どうして」と考えられる人間のことをいうのだと思うのです。
ただやみくもに外国のマナーを学び、それを真似るだけで、彼我の違いについて考えることをしなければ、それはグローバル化でも国際化でもなんでもなく、ただ単に「郷に入っては郷に従え」を体現しているにすぎないんじゃないかな。
で。
ある時。
外国人の友人とチャットで話していた時。
私がやはり日本人らしく「謙遜」してしまったら、友人が言いました。
「なんでそんなこと言うの?自己評価が低すぎるよ!」
あんまりしつこいので、たまらず私は言いました。
「日本では、ありとあらゆる褒め言葉は他人のためにこそ在る。自分のためには使わない。」
って。
そうしたら、パソコンが壊れたのかな?というくらい長い沈黙の後で友人が言いました。
「・・・そういう考え方っていいな。
日本では他人に対するリスペクトがあるってことだもん。
こっちではみんな、俺が俺が、私が私が、でうんざりよ。」
私は日本人のこの「謙遜文化」が他国に比べて優れていると言いたいわけではありません。
ただ、他所の国では自己アピールが重要だからと言って、日本でも付け焼き刃的拙速さで子どもたちに受験の時だけアピール上手になりなさいというのは、あまりにも酷ではありませんかと、言いたいのです。
もしも、これからの日本人はもっと自己アピールがうまくならなければならないというのなら、もっと小さいうちからそのように躾、教育するべきだし、それは私たちが育んできた「謙遜」と「謙虚」という精神文化を失うことも覚悟の上でなければならないと思います。
私たちはそれでいいのか。本当に?
グローバル化とか、国際化とか、とても前向きでカッコいい言葉は、けれど、私たちに多くの覚悟を求めているのだろうと思います。
今回、自己申告書講座のお手伝いをするにあたり、千葉の県立高校で教鞭をとっている友人からアドバイスをもらいました。
「自分で自分の長所ってなかなか書けない子が多いから、「友人」に手伝わせてその子のいいところを答えてもらうといい。「あんたってこうだよ!」って他者紹介してもらって、それを自分のものにしてもらうの。」
ほーら、やっぱり。
自分以外の人間の「長所」や「いいところ」はみんな上手に見つけられるんじゃない。
それって、私たち日本人が最も世界に誇れる美点だと思いませんか?
オードリー・ヘプバーンだって言ってるじゃないですか。
「美しい瞳であるためには、他人の美点を探しなさい。」
って。
生意気で、勉強嫌いで、作文が苦手な子どもたち。
でも、彼らもきっと「友人の長所」はスラスラと答えられるはずです。
次回の自己申告書講座では、そのあたりを念入りに聞いてみたいと思います。
最後に、私が言いたいことを全部言ってくれている感動的な絵本を紹介。
自分の「いいところ」をなかなか見つけられなくて困ってしまう男の子が、先生にすごーく素敵な「いいところ」を発見してもらって喜ぶおはなし。とってもいい絵本なので、どこかで見かけられましたら、ぜひ。
自己申告書講座、残り2回。
今年の参加者はなかなか手強いですが、あと少しがんばります!
大阪府立高校受験に必須、「自己申告書」というやつ。
みなさま、こんばんは。
今年も早11月、残りわずかとなりました。
毎年、この時期になると私にはちょっと気の重い行事がやってきます。
それはご近所の中学校で開かれる「自己申告書講座」のお手伝い。
中学3年の生徒たちが、志望する公立高校へ提出する「自己申告書」を書くお手伝いです。
自己申告書とは。
受験する公立高校に願書と一緒に提出する書類のことで、生徒自身が自分について書く自己PR書のようなものです。
入学試験・内申書の結果と合わせ、主にボーダーライン上の生徒を選別することに使われ、各校が発表しているアドミッションポリシー(求める生徒像)に合致する生徒が有利と言われています。
中学時代に経験したエピソードを引き合いに、自分がどんな人間かをアピールし、将来の夢を実現させるべく、高校生活で何をどのようにがんばろうと決意しているのか・・・
くらいのことを1300字程度の文章にまとめればいいのですが、毎年、この自己申告書を書くことに苦労する生徒たちが多くいるらしく、中学校から私のようなオヒトヨシの暇人に向けてお手伝いの要望がやってくるのです。
生徒の参加数は希望者だけなので、毎年20~30人くらい。
大変なんですよね、これが。毎回毎回。
なにしろ子どもたちって作文が大嫌い。(←私もキライだけど)
どの子も例外なく、真っ白な原稿用紙を前にして、 悲痛な顔をして座っています。
「あの、書き出しはなんて書けばいいんですか?」
なんて聞かれて、
「そうやなあ、「私(僕)が中学3年間で一番がんばったことは~」とかでいいんじゃない?」
と答えると、みんな一斉にそのまんまを書いてしまいます。
内心、
「ちょっとは文言を変えたらどうだろう・・・。
「この3年間で学んだことは~」
とか、
「中学校生活で経験したことのうち忘れられないことは~」
とかさ。」
などと考えたりしますが、正直そんな細かいことにこだわってはいられません。
なにしろそこからが長いから。
「で、キミが一番アピールしたいことを書こう。
この3年間で何をどんな風にがんばってきた?」
って聞くと、みんな「しーん。」としてしまいます。
そこからはもう作文のお手伝いではありません。
ほとんどが「聞き取り調査」。
「3年間吹奏楽部?部長さんなの?いいねー、それを書こうよ。」
「え?3年間皆勤?それはすごい、そこはぜったいにアピールするべき!」
「ガールスカウト所属?いいやん、いいやん、ポイント高いよ!」
「生徒会で表彰された?それを書かずに何を書くん?!」
子どもたちひとりひとりのアピールポイントを聞きだして、それを作文に盛り込むように伝えるのですが、みんななかなか書き出そうとはしてくれません。
むしろ、ちょっと戸惑っている感じ。
「部長って言っても、みんなに押しつけられただけやし・・・」
「皆勤ってそんなにすごいことですか?ただ毎日学校に来てただけやし・・・」
「ガールスカウト・・・半分遊びみたいなもんで・・・」
「あいさつ運動で表彰って、そんなんアピールになるんすか?」
もうね、正直ね、心の底から、
いらいら~っ!
ってします。
なんでみんなそんなに自己評価低いのん?
謙遜が行き過ぎて自虐になってるでっ?!
と言いたい気持ち。
でもここでキレちゃうとそこから一歩も進まなくなるので、ぐぐっと我慢!
「みんなから部長を頼まれたということは、人望があるってことやんか!」
「真面目にコツコツ、が一番ポイント高いねん、この場合!」
「あなたの志望校のアドミッションポリシーに「グローバルな人材」って書いてあるやん、ガールスカウトで外国の子とも交流あるんでしょ?それ、最高のアピールポイントやんか!」
「あいさつ運動で表彰なんて、めっちゃいいことやん、みんなで掲げた目標をちゃんと守れるってことやんか、そこをアピールせずにどこをアピールすんのよ!」
自信を喪失しがちな15歳の面々を必死に持ち上げて(←気分は松岡修造)自己申告書を書かせようとしても、彼らは自分自身のことをちっとも正当に評価しようとはしません。
むしろ、そんな風に自己アピールをする自分のことを、「恥ずかしい」と思っている様子です。
作文のお手伝いだったはずなので、もちろん「てにをは」がおかしければ直さなくてはならないし、漢字の間違いも正さなくてはなりません。
でも、そこまで到達するのにかかる時間が長い、長い!
業を煮やして、 うっかり
「こう書けば?こんな風に書けば?」
などと言ってしまうと、子どもたちはそのまま、その通りに書いてしまいます。
それを見ると、あんまり口出しするのもなー、とためらいを感じずにはいられません。
なにしろ、あれこれ手を回して採点側の高校の先生たちの意見を聞いてみると、
「いかにも大人が手を入れた、って丸わかりの自己申告書は、読む気も失せる。」
だそうだから。
なので、なるべく子どもたち自身の言葉で、作文を仕上げてほしいと思うわけですが、それがほんとに難しいのです。
おそらく、他のテーマなら、彼らももう少し容易に書けるんじゃないかと感じるのですが、この「自己PR」っていうやつが、彼らにとって、ものすごーくハードルが高いように思われます。
うんうん唸っている彼らを見ながら、彼らも小学1年生のころには、
「ぼく、こんなことできるねんで!」とか、
「わたし、こんなの持ってるねん!」とか、
そんな風に自慢気に話してくれていたことを思い出します。(←私が小学校で読み聞かせをしてあげてた子たちなので)
それが小学5年生くらいになると、ほとんどの子がもう、自慢気なことは一切言わなくなります。それどころか褒められても「いえいえいえ・・・」と謙遜を始めるようになります。
おそらく、小学生4~5年生くらいで、多くの子どもたちが、「実るほど頭が下がる稲穂かな」に代表される「日本的美徳」を獲得していくのでしょう。
それが、「当たり前に獲得していくもの」だとは私には思えません。
有形無形の躾、教育、社会化の中で、我々日本人のほとんどは、自らを強くアピールするよりも、控えめに謙遜しつつ生きていくことを良しとするよう仕向けられていくのでしょう。
たとえどんな表彰状をもらったとしても、たとえ3年間皆勤、無遅刻無欠席だとしても、それを誇らず、ひたすら謙遜することだけを学んできた子どもたちに、15歳になったとたん、急に「自分をアピールして!」と言ったとしても、それはひどく難しいのだろうなあとしみじみ思わずにはいられません。
(現実的な話、私にしても、自慢話ばっかりの人が目の前にいたとしたら、限りなく「引き潮」になっちゃいますもんね・・・お友だちになれるかどうか考えちゃう・・・ほほ。)
つくづく思うのですが、私たち大人は、一体彼らに何を期待しているのでしょうね?
内心では、そつなく上手に自己PRできる、「俺が俺が!」「私が私が!」タイプよりも、謙遜と謙虚さを持つ人間に育つよう、彼らに日々さまざまな圧力をかけているというのに、受験や就職活動の時だけ、やたらと自己主張をしろと言う。
そんな小手先の、場面ごとの使い分けだけを器用にこなせる人間を、社会は求めているのでしょうか。
もしも。
もしも彼らに、お友だちでも家族でも、好きな芸能人でも、誰でもいいから、「自分以外の誰か」のことをPRしてください、というテーマで作文を書かせたら、きっと彼らはスラスラと、原稿用紙に何枚もの作文を書くことができるんじゃないだろうかという気がします。
苦労して自己申告書を書いている彼らの背中を見ながら、私の中学時代にはこんな制度がなくて本当によかった・・・と思っていることは、もちろん内緒です。
で。
私がそんな感慨に浸りつつ、彼らに限りない同情を寄せているというのに、作文が完成したとたんにいきなり、
「ウェーイ!イエーイ!ヤッホー!」
になってしまう中学3年生・・・。ついさっきまで原稿用紙の前で「しょぼぼぼぼーん」としていたのがウソのようです。なので、もちろん私も叫びます。
「うるっさいねん!
まだ書いてる子ォがおるやろー!
書き終わった子は遊んでんと、はよ帰りぃ!
考えたら(←考えなくても)あんたら受験生やんかー!
帰って勉強しぃや!!!」
ああ、今年も大変なんだろうなー。やれやれ。
一周回って新しい?本屋さんのカタチ
みなさま、こんばんは。
先日の記事で、中川洋典さんの「ミカちゃんのひだりて」という絵本を紹介させていただきました。
実はこの「ミカちゃん」、モデルさんがいるらしいのです。
しかもそのモデルとなった本物のミカちゃんは、中川さんと同じく絵本作家の「こしだミカ」さんなのですって。
こしだミカさんの作品の中で一番有名なのって、この本かなあ。
2013年の課題図書なので、どこの小学校にもあるんです。
でも、私のお気に入りは「ねぬ」。
マイノリティとして生きること。
自分らしく生きること。
それが意外とむずかしいことを、力強い絵とともに語る力作です。
で、先日、市内のある本屋さんでこしだミカさんの個人展をやってるという話を聞いたので出かけてきました。
住宅街の中、こじんまりとした佇まい。
一見しただけでは本屋さんとは思えない雰囲気です。
本屋さん?古本屋さん?雑貨屋さん?
とっても不思議な感じ。
「海月文庫」さん。
私が訪れた日には、こしだミカさん自ら本を売っていらっしゃいました。
びっくり。
作家さんもいろんな仕事をするんだな・・・。
壁には布地に描かれたエビ。
「布地だったら、長~く描いていられるでしょ、延々と。」
とこしださん。
どれだけ描くのが好きなんだろう、としみじみ。
こしだミカさん作、食器も。これは売り物。
なんかよくわかんない作品も・・・
おもしろいけど、家にあったら「ざわっ」としそう・・・。非売品でした。
お話ししていると、こしだミカさんって、
「ふわわーん、ほわわーん、ぽわわわわ~ん」
とした人でした。
私のようながさつな人間には一生かけても到達できない境地ではありますが、こんなふわふわした雰囲気の女性には限りない憧れを感じます。
それでこんな力強い絵を描ける才能があるんですものねえ・・・天は時に非情なほど不公平です。
もちろん、この日はこしだミカさんの絵本もたくさん販売してました。
私が購入したのはこの本。
「ほな また」
大阪弁で、「それじゃまたね」の意。
夜に訪れると月のマークがほんのりと浮かんで見えるのが「海月文庫」さんの目印。
しょっちゅういろんな作家さんが訪れて、直にお話をうかがえます。
私も長谷川義史さんにお目にかかってサインをもらったことも。
小さくてちょっと「胡散臭い」けれど(←失礼!)、作家さんと読者との距離をうんと縮めてくれる、不思議な空間がそこにはあります。
大阪メトロ「西中島南方」駅、もしくは阪急「南方」駅から徒歩10分、お近くにお寄りの際はぜひ。
話は変わりますけれど。
先の連休中、石川県に遊びに行ってまして・・・帰阪したらカゼをひいてしまいました。
たいしたことはありません。すぐによくなると思います。
で、今日、薬局に市販薬を買いに行って思ったのですが、カゼ薬っていーっぱい、色んなのがありますよねえ・・・。
私がよく購入する市販薬って、「ジキニン」なんですけど、
みなさまのオススメのカゼ薬って、ありますか?
これ、すっごく効くよ!とか、これを飲んだら一発でよくなるよ!とかの情報をお持ちでしたら、ぜひともお知らせいただきたく・・・どうぞよろしくお願いします!
小学生でも空気を読むんだなと思った日~絵本作家の講演会にて。
みなさま、こんばんは。
小学校での読み聞かせボランティアを始めて、もう10年以上になります。
基本的には娘がお世話になっていた小学校で活動しているのですが、近隣の小学校のボランティアさんたちとも交流があります。
一緒に絵本展をやったり、校区が同じ中学校でお手伝いをしたり、合同の会議・交流会を開催したり。
ある小学校で大きなイベントがあるときなんかは、お誘いをいただくことも。
で、最近、別の小学校のボランティアさんから絵本作家を招いて講演会を行うのでよければどうぞ、と声をかけてもらったので、参加してきました。
招かれた絵本作家さんは中川洋典さん。
エネルギッシュで「濃~い」絵を描く作家さんで、最近、道徳の教科書に作品が掲載されて俄然注目が集まっている方です。
「きいてるかいオルタ」(童心社)
道徳の教科書に取り上げられた絵本。
「自分を変えたい」と思う気持ちの切実さ、「変わろう」とする意思の強さを切々と語る絵本。読んでいると子どもの健やかな成長を見守っている気分になります。
講演会の当日は、ちょっと早めに学校に着いたので、高学年の子どもたちに中川氏が自作の絵本を読んであげているところに間に合いました。
5・6年生向けに読まれていた本は、
「ミカちゃんのひだりて」(ひかりのくに社)
これがまたいい絵本なんですよ。
「みんな一緒、平等、公平」というお題目にあふれた学校で、人とはちょっと違った個性を持つ誰かに出会い、戸惑いながらも友情を育む子どもたち。
他のおともだちとは「ちょっとちがう」ミカちゃんから目が離せなくなってしまうユリちゃんの心情に寄り添っているうちに、いろんなことを考えさせられる1冊です。
クラスのみんなが発表会の練習をしているのに、ひとり、降り続く雨を見ているミカちゃん。
そんなミカちゃんに「たつし」が怒鳴ります。
「おまえな、ちょっとは くうきよめや!
いつでも ひとりで ぼぉーっとして、
ひとと ちがうことばっかり してるやないか。
そんで ええと おもてんのか!」
教室は凍りつき、みんなは「だまったまま、ひいて」しまいます。
たつし君に対して、ひどいと思う気持ちと、たつし君の言うことももっともだと思う気持ち。
ユリちゃんはその気持ちの間で揺れるのですが・・・。
読み聞かせが終わった後、中川さんは自ら子どもたちに聞きました。
「どんな風に思った?」
って。
高学年の子どもたちですから、なかなか手は上がりません。みんな恥ずかしいのでしょうね、お互いに目を合わせて、いかにも「お前が手をあげろよ」なんて雰囲気で、互いの肘をちょんちょんつつき合っています。
そうしたら、中川さんが一番前に座っていた男の子を指さして、「きみ、どう思った?」と直接質問なさいました。
そうしたら、その男の子、こんなことを言ったのです。
「たつしは「空気読め」って言ったけど、そんなことを言うたから、みんなが凍って教室の空気が悪くなったんやん。結局、一番空気読めてないのはたつしやん。」
びっくりしました。
「へ?」って感じ。
で、その後で、「ああ・・・なるほど、そういう見方もできるよねえ。」としみじみ思いました。
中川さんもちょっと「虚を突かれた」ようで、
「そんな感想は今まで出たことがなかった」
とおっしゃいました。
「空気を読む」ってよく聞きますけれど、私、彼のその言葉を聞いて、「空気を読む」って実は、相当高度な技なんじゃないだろうかとあらためて思いました。
集団生活をしていて、みんなのために「空気を読もう」としたら、誰かを傷つけることもある。回りまわって、それがみんなを不幸にすることも。
「空気を読む」って、だから、実はとても高度で、常用するには非常に危険なテクニックなんじゃないかな。
それでも、今の子どもたちは、そんな難しい技を上手に使うことを、小学生のうちから強要されているのかもしれない。
中川さんと子どもたちの会話を聞いて、そんな風に思いました。
この一連の会話を聞けただけでも、今回の講演会に参加してよかったなあと。
大人向けの講演会が終わった後、中川氏が持ち込んだ作品の展示・販売会も行われました。
私も購入してサインしてもらいましたよ!
販売・サイン会が行われる時間になると、お財布を持った先生たちが何人もお部屋に飛び込んで来られました。
「絵を描くのが苦手で図工の時間もなかなか描こうとしない子が、講演会の後から黙々と絵を描いてるんです。やっぱり原画を見せてもらったからかしら、ホンモノの威力ってすごい!」
「1年1組のみなさんへ、って書いてください!
さっきの絵本、もう一回読んで、ってすっごいせがまれてるんです~!」
ちょっと興奮した先生たちが、サインをしてもらった絵本をうれしそうに、大事そうに抱えて戻っていかれるのを見て、ああ、この学校の子どもたちは幸せだなあって思いました。
教え子のために少しでもプラスになるようにと、こうして自腹で絵本を買って、また読んであげようとするんですものね。
昨今、学校の先生に対する視線はどんどん厳しくなっているような気がしますけれど、ほとんどの先生たちは、こうして毎日一生懸命なんだろうという気持ちを新たにしました。
学校で絵本作家の講演会を開く。
図書のボランティア活動の中でも、かなり大変な作業になります。
学校との打ち合わせや授業時間との調整、外部からの来客者の誘導やお部屋の飾り付けなども。
よほどの情熱がないとできないなあ、と横目で見ていたら、私が所属しているボランティアグループの現リーダーが、
「いいなー、うちでもやってみたい。」
とちらっとつぶやきました。
しょ、正気だろうか???
ちょっとコワい・・・。
・・・私は招待されて見に来るくらいでちょうどいいんだー!
USJ「ピーコック・シアター」初体験。
みなさま、こんばんは。
先日のこと。
ユニバーサルスタジオジャパン「ピーコック・シアター」に行って参りました。
大阪人なので、USJにはこれまで何度も訪れたことがあります。
小学生の卒業遠足もUSJという土地柄ですから、年間パスポートを持っている人も多いと思います。
ただ、私は個人的にそれほどの興味を持てずにいました。
USJにしろ、東京ディズニーランドにしろ、内心では
「え、でも、要は遊園地でしょ・・・?」
と思ってしまう口。
かわいげがないんですよね。
わかっているので、実生活ではこんなことは言いません。
けれども今回は2019年9月にオープンしたばかりの「ピーコック・シアター」での、とあるパーティーに招待していただけるとのことで、大喜びしました。
食事を楽しみながらショーを楽しめるんですもの、長蛇の列に並んで絶叫マシンに乗るという苦行とはひと味違う!
本格的な歌やダンスが楽しめて、お食事もできるシアター!
期待値がだだ上がり!!
「ピーコック・シアター」はパーク内東端「ステージ33」エリア、スペースファンタジー・ザ・ライド(←めちゃコワい)のお隣にあります。
こういうクレデンシャルがID認証パスになる模様。
スルっと通してもらえました。
会場ステージ。相変わらず写真が下手・・・
ショーの写真はないんですよ・・・やっぱり生のステージを写真や動画に撮るのはマナー違反だろうと思ったので。
でも、本当に素晴らしいショーでした。
楽しかったなー。
まさに非日常。
日本のショービジネスの質もすごく向上したんですねえ・・・びっくりしました。
歌もダンスも素晴らしかったし、司会者が観客を「のせる」術も一流でした。
2時間なんてあっという間!
もっとも、シンガーもダンサーもほとんど外国人だったけど・・・
でもほら、最近の若い人はスタイルも抜群だし、歌もダンスもすごく上手な人がいっぱいいるじゃないですか。
いつか、こんなショービジネスの場でも、日本人演者が増えたらいいな。
こういう世界で生きていきたいと願う人は多そうだし。
ホテルでの立食パーティなんかも、全然退屈しない性質ですけれど(←おしゃべりだから)、参加者を中だるみなく楽しませるには最高の仕掛けかもしれないと思いました。
USJパークチケットもついていますから、費用的にもお得かも・・・。
在阪企業でパーティを企画立案する方々、ぜひぜひ候補に。
パークで一日遊べるし、参加者増は必至、パーティの成功間違いなしです!
で、パーティの後はパーク内を満喫!
数年ぶりのUSJですから、今回のお目当てはなんといっても、そう、ハリーポッターエリア!
なにしろ、今回、久しぶりにUSJに来ることが決まってから、ハリーポッター全巻を読んだんだもんねー。予習、予習。
いや、ハリーポッター第1巻「ハリーポッターと賢者の石」は20年くらい前に読んだんですよ。世間ですごく評判になってたし。
でも、なんていうのかなー、その時の私にはハリーポッターが、
「ファンタジーというよりは・・・読むRPGみたいだな。」
って感じられて、読み続けようという気にはならなかったのです。
要するに、あまり「ハマらなかった」のね・・・。
そういう人、多いみたいですよ?
私の周りにも「最初の1巻は読んだけど、あとは読んでない」っていう人、多いもん。
思うに、ファンタジー作品って、人生最初の一冊の影響力が大きくないですか?
これぞファンタジーなんだ!っていう、刷り込みみたいな。
これこれ。
小学校の図書館でこの本と出会ったものだから、私の中の「ファンタジー」は、いつもゲド戦記が基準になってしまいます。
仮に人生最初のファンタジーが「ハリーポッター」だったら・・・私の人生に何か違う影響があったのかなーって時々考えます。
ハリーポッターだけではなく、例えば「ナルニア国物語」シリーズだったら、とか、「指輪物語」だったら、とか。
それから、「もしもこの本を子ども時代に読めていたら」なーんてこともよく考えます。
たとえばほら、「ダレンシャン」とか「デルトラ・クエスト」とか・・・
最近の本だったら「バーティミアス」シリーズとか。
↑これ。(ジョナサン・ストラウド著:理論社)
全3巻、一気読みをオススメします。
娘は小学生の時、「精霊の守り人」シリーズにどハマりして、明けても暮れても「バルサ、バルサ」だった時期がありました。
こんな本まで買わされて、中のレシピを再現させられたことも。
その後、私もこのシリーズを読みましたけれど、
「私の小学校高学年時代は、ほぼ「守り人」でできている」
という娘と同じ熱情では、「精霊の守り人」を語ることはできない気がします。
最もふさわしい年齢で最もふさわしい1冊に出会えるのって、実はものすごーい僥倖なのではないかなーって、ファンタジーを手に取るたびに思わずにはいられません。
今回、ハリーポッターをわくわくしながら読んでいる私を見て、娘も隣でポッターを読み始めました。
「魔法の世界にも学校があるってところが西欧社会っぽいよね」
「日本だったら・・・「一子相伝」になるよね」
「それか比叡山で修行とか」
「杖に頼るのは邪道!とか言い出して、印を結びだす・・・」
「あ、でも紙は使いそう、式神とか!」
「・・・陰陽師やな。」
なんて会話も楽しかったです。
親子で同じ本を読むなんて、ちょっと気恥ずかしいところがありますが、気兼ねなく盛り上がれるのも、ファンタジーのいいところなのかもしれません。
おまけ。
ゲストがこぼしまくるチュロスやバタービール(←激甘)の泡をマメにお掃除するスタッフさんを、さらにマメにお手伝いしまくるパーク内のスズメさんたち。
人間にこんなに平気で近づくスズメは外界では見られません。
食べ過ぎでちょっと太ってたかも。
私もこの日は食べ過ぎました・・・またダイエットしなくては・・・あーあ。