今でもいるのかな「聞いてへんおじさん」~年をとってよかったって思うこと。
みなさま、こんばんは。
最近、自分が「老けたなー」と思うことが多くなりました。
白髪は染めなきゃいけないし、薬やお化粧品の効能書きを読むときに、見えにくいな、と感じたり。
娘が自分の指のさかむけ(ささくれ)をよく見えるようにと「ほら~!」とこちらに差し出した指が、
「近い・・・」
と思ってのけぞったり。
「近くで見る方がよく見えるやん?」
と不思議そうに言う娘に、「ママもそう思っていた時代がありましたっ」ってキレ気味に答える時などは、「ああ、若いとはなんと純粋で残酷なことか」としみじみ思います。
雑誌や本なども、「この世の価値は若さだけ」とでも言いたげな論調のものばかり。
「若さ」どころか「幼さ」までも、やたらともてはやされている気がするのですが、どうなのでしょう。昔は「幼さ」とはいずれ卒業しなくてはならない、いささか恥ずかしい状態を指す言葉だったと思うのですが。
世の中の急変についていけないと感じるのも、私が老いの入り口に立っている証拠なのでしょう。
でも、それでもたまーに、「年をとってよかったな」って思うこともあります。
それはお仕事をしている時。
大学を卒業してすぐに働きだした会社は、今でいう「ブラック企業」とは正反対。
民間の企業でしたが、ずいぶんとおっとり、のんびりした雰囲気の会社で、私は概ね楽しく働いていました。
ひどいセクハラなんかもなかったです。私の観測範囲内の話ではありますが。
恵まれた環境だったと今でも思います。
ただ、それでもやっぱり働いていれば「うんざりすること」はついて回るもので、その最たるものが、
「俺は聞いてへんおじさん」
これがねえ、ほんとに苦手というか、私にとっては天敵のような存在でした。
私も若かったですし、失敗も不愉快な出来事も、今ではなんということもない思い出のひとつとなりましたが、この「俺は聞いてへん」とやたらに連発するおじさん達のことだけは、どういうことだろう、どうすればよかったんだろう、と今でも首を傾げずにはいられません。
たとえば。
私は当時、財務部に所属していたのですが。
税法が変わったり、社内の財務システムが変更になると、財務部だけでなく、他のあらゆる部署のシステムや手続きもそれに合わせて変更しなければなりませんでした。
だって、ありとあらゆる商取引は結局のところ、財務諸表に影響するわけですから。(たとえ、現金・手形などの授受がなかったとしてもです。)
で、変更があるたびに、その直後は本社の各部署を、
「変更点については問題がないでしょうか、大丈夫ですか?」
とうかがいながら、齟齬やミスがないように周回するわけですが、必ず出くわすんですよ、
「俺は聞いてへん」
って言いだすおじさんたちと。
何がつらいって、この「俺は聞いてへん」って言い張るおじさんたちと向き合う時間ほどイヤなものはありませんでした。
内心では、
「いやいやいや、稟議決裁も済んでるんやけど」
「稟議書、回覧されてたやん?社長印もあったよね、あんた見てへんのん?」
「てかこの前の部課長会議でも、うちの課長から説明あったはずやで。」
「うちの部長もよろしく、って言うたと思うわ~。知らんけど。」
「法律で決まったことやし、しゃあないやん。イヤやったら、国会議員にでもなって税法の方を変更してきぃや。」
って思うわけですけど、言えるはずがないですよねえ。
私もいくらうんざりしているからと言って、そこまで大人げないマネはできません。
なので、一から懇切丁寧に説明するわけですけれど、おじさんの口からは
「俺は聞いてへん」
の一点張り。
なんなら「ぷいっ」って顔を背けられたりしました。
かわいくないんですよね。おじさんの「ぷいっ」って。(←そういう問題ではない)
「だから今、私が説明してるやんっ!」
ってキレたいところをぐっと我慢して、さらにもう一度説得を試みる私。
仕方なく代わりに伝票や帳票を打ち出して、あとはハンコを押すだけですよ!(←過保護な親並みの対応)とまでやってみても、「俺は聞いてへん」「ぷいっ」の無限ループ。
あまりにも不毛な、埒が明かない状況に、私の精神的疲労と徒労感だけが限界値に近づく思いでした。
大体、税法や社内の財務システムが変更になった時は、どこよりも財務部が一番忙しくなるわけです。それなのに、そんなところで引っかかって、無駄な時間がどんどん過ぎていくばかり・・・。
結局、他の業務の都合で部に呼び戻されて、どよよーんと落ち込みながら仕事をしていると、部長がそのおじさんに電話をかけてくれました。
「この前の会議で説明したやろ。
変更は決定事項。
うちの担当者を困らすな。」
そうしたら、問題は一気に解決、もう一度おじさんのところに戻って見ると、超ご機嫌でハンコを押してくれました。
なんなん、もう。なんなん?
当時も今も、私は「俺は聞いてへん」おじさんを「説得できなかった」ことを恥ずかしく、情けないことだったと感じています。徹頭徹尾、私の力不足で、私がいたらなかったからだと。
でも、同じく「聞いてへんおじさん」の方も恥ずかしくないですか?
人間、誰でもミスや失敗はあるもので、だから稟議書に目を通し忘れることもあるでしょう。退屈な部課長会議でつい寝ちゃうこともあるかもしれない(←ありえないと思うけど、まああるかもしれないと思うことにする)。
でも。でもね、今目の前で必死で説明されていることに気のない態度で接しておきながら、部長から電話があったからと言って、ころっと態度を変えるなんて、たまらなく恥ずかしくみっともないことだと思いませんか?
「そこまで「聞いてへん」って言い張るのなら、もっと気合い入れて、誰に対しても「聞いてへん」って突っぱねてみなさいよっ!」
と言ってみたかったなー。結局言えなかったけど。
思い出せば、問題の根っこのようなことは、他にもちょこちょこありました。
ひとつ年上の先輩社員に何かを説明しなくてはならない場合、それが男性だとひどく難易度が上がるとか。
たとえ普段は良好な関係を維持できていたとしても、です。
説明の間、いかにも退屈そうな態度だったり、あからさまにあくびをされたり。
結局のところ、「自分より年少の、しかも女性から、なにかを説明されたり、女性から教えを乞わなければならないこと」を、ひどく嫌がる男性が世の中には存在している、ということなのでしょう。
で。
今のお仕事を引き受ける時。
前職とはまったく畑違いのお仕事で、しかも嘱託扱いですから、正社員のころのようなしんどさはないだろうけど、それでも今さらまたあんな「俺は聞いてへんおじさん」と対峙するのはうんざりやわ~、と思っていたのですが・・・。
いないんですよね、そんなおじさんたちが。
いや、どこかには残っているのかもしれないけど、私の周りにはいない。
それどころか、仕事中に
「マミーさん、実は僕、このあたりの知識があんまりなくって。
ここからここまでのこと、お願いしてもいいですか?」
ってはっきり依頼してくる男性もいるくらいで、内心驚愕しています。
女性に向かって「自分の知識がない」とか「知らない」とか言える男性がいようとは。
「もちろんもちろん、いいですよ!出来上がったら、席までお持ちしますね!」
って私が返すと素直に「ありがとうございます。」って返ってきて、その態度にも感動します。
最近の若い人って、柔軟でしなやかなんだなあとすっかり感心していましたが、よくよく考えると、それって「私が年をとったからなんだ!」という気がしてきました。
相手が年長者であれば、それが女性であっても素直に「知らない」って言えるのかー。
できないから「お願い」って頼めるのかー。
ミスや失敗があれば「すみません」って謝れるのかー。
それらのひとつひとつがいちいち新鮮な驚きです。
「おれは聞いてへん」
そう繰り返していたおじさんたちにも、きっとそれなりに大事に抱えている「面子」のようなものがあったのでしょう。
でももしも、若い人たちにそんな面子のフォローまでもさせようとしているのだとしたら、
それも業務のうちのひとつなのだと考えているのだとしたら、
私は若い人たちのお給料をもっと上げてあげればいいのに、と強く思わずにはいられません。
それくらい、うっとうしかったですよ、「俺は聞いてへんおじさん」って。
たとえそういうおじさんたちが、今もどこかに存在していたとしても、この年になると、もう絡まれることもないのでしょう。
そう思うと、自分が年をとったことも、そんなに悪くはないかもしれない、いや、ちょっとうれしいことかも!と思えてくるのです。
ちなみに。
さきほど、娘に、
「こんな風に思えるから、年をとるのも悪いことばかりじゃないって記事を書こうと思うんだよね。」
って言いましたら、娘がぽつり、と言いました。
「負け惜しみかな?」
む?
ああ、もう、
む~か~つ~く~!!