中学校図書室が意外と使える件について。
みなさま、こんばんは。
以前、中学校の図書室で借りた本についてお話ししました。
で、今も相変わらず、図書ボランティアの身分を利用して、中学校の図書室に出入りしています。
我が物顔で。
図々しく。
そのうち注意されるんじゃないだろうかと内心びくびくしてますが、でもめーっちゃ怒られるまでは使い倒してやろうと思っています。
だって区の図書館よりも近いし。
しかも話題書や人気作家の本も網羅してるし。
その上、「こういう本が読みたいなー」と言えば、次の予算で買ってくれたりするし!
ええ、もうやりたい放題でございます。
昨年の暮れには、marcoさんのブログでたびたび取り上げられている「ビブリア古書堂の事件手帖」が気になって・・・
なんとなく食指が動かなくてこれまで未読でしたが、marcoさんがおもしろいとおっしゃるのだから間違いないだろうと、全7巻、一気に借りてきました。
おもしろかったです。
古書についての広範な知識、物語の中心を占める謎解き、個性的な登場人物・・・
ライトノベルの枠に留まらない楽しみがたくさん詰まったシリーズだと思います。
表紙のデザインが好みではなくて、これまで手に取ることをしませんでしたが、もっと早く読んでおけばよかったなー。
いえ、別に「萌え絵」がキライとかいうのではありません。
でもこのシリーズに関しては、こんな装幀じゃない方がよかったな・・・あくまで個人的な感想ですが。
古書が詰まれた空間の、清逸な感じがしないんだもん。全然しない。
おそらく、このままの表紙デザインでは私はこのシリーズを決して購入しないだろうと思うので、中学校の図書室で借りられてラッキーでした。
で、年が明けて、「新しい本が入ったよー」と連絡をもらったので、性懲りもなくまたまた行ってきました。
今回借りてきたラインナップはこんな感じ。
結果からいうと、大当たりの大ヒット。
どれもめちゃくちゃおもしろくって、家事をするのも着替えるのももどかしいほど没頭しました。
(週末だけで全部読了・・・どれだけ家事の手を抜いたか、よ~くわかります。えへ。)
まずは、
「ビブリア古書堂の事件手帖」外伝。
年末に一気に読み終えた「ビブリア古書堂の事件手帖」外伝。
気になる登場人物たちの「その後」を読めるのが外伝の醍醐味ですね。
でも、今回は本編を読んでから外伝を手に取るまでの期間が短すぎて、登場人物との「再会」という感じはあまりしませんでした。
もう少し時間を空けてから読めばよかったかな・・・。
せっかちな性格で損した気分です。
それから、
直木賞受賞作「鷺と雪」と同じ「ベッキーさんシリーズ」の第2弾。
私はこのシリーズが大好きで、以前にも読んだことがあるのですが、再度借りてきてしまいました。
ベッキーさんシリーズは「街の灯」「玻璃の天」「鷺と雪」の3作が出ていますが、ほんとはもっと読みたくってたまりません。
昭和初期の世情、上流階級の人々の生活や文化、そして上質な謎解き。
読んでいる間、極上のトリップができること請け合い。
未読の方はぜひ。
「赤猫異聞」(浅田次郎著:新潮社)
これは「浅田次郎」。
典型的な「浅田次郎」。
徹頭徹尾、「浅田次郎」。
たとえば「壬生義士伝」を読んで、大泣きした人なんかはめっちゃはまると思います。
一度読みだしたら止まらない・・・おもしろさについては太鼓判です。
日本人の感動のツボをきっちり押してくるんですよね。
そういう手練手管に関しては浅田次郎という作家は凄みがあります。
ほんとに巧い。
おそらく浅田次郎って、「殿(しんがり)」が好きなのでしょうね。
時代が変わるその瞬間に、誰もが自己の保身をはかり、ころりと変節してしまう中、たったひとり、自分の責務を全うし、大義を貫き通そうとする人。
金も名誉も命も捨てて、これまで信じてきた何かのために損を承知で殉じようとする人。
浅田次郎はそういう人を書かせると本当に巧い。
この「赤猫異聞」でも、幕府が倒れ、権力の無法地帯となった江戸で、多くの者が私欲や保身に走る中、ひたすら己の道理を全うしようとする侍の生き様が描かれます。
その侍と同じように、まっすぐで清澄な生き方ができる人は少ないでしょう。
だからこそ、浅田次郎が描く「殿」の侍は私たちの心を打つのかもしれません。
で。
本筋からは離れますけど・・・
常々、不思議に思ってることがあるのです。
団塊の世代のおじさまたちって、浅田次郎の書く小説、お好きですよね・・・。
それってどういう心境なのでしょう?
もっとも苛烈を極めた学生運動のさなか、あれだけ体制に反発を繰り返しておきながら、卒業が近づけばあっさりと髪を切り、なんら疑問を持たずに大企業に就職し、あとはマルクス主義なんてそっちのけ、ひたすらこの国の経済活動の中心を担ってきた団塊の世代。
その世代の人々は、浅田次郎の書く主人公が悲劇的な「殿」として散っていくのを一体どう受け止めているのでしょうか?
いや、別に批判しているわけではないですよ?
ただ単純に不思議だなあ、と思うだけです。
私だったら、ちょっと恥ずかしいだろうな、と思って。
「感動して泣いた」なんて、とても言えそうにありません。
変節しない人の強さを羨望しつつ、その要領の悪さにうんざりする・・・そこにいくばくかの己への恥を混在させながら・・・って感じでしょうか。
団塊の世代の方々が、浅田次郎の本を薦めているのを見るたびに、内心、「へー」と思うのです。
別に批判も非難もしていません。
ただ「へー。」って思うだけ。それだけです。
「夕映え天使」(浅田次郎著:新潮社)
こちらは浅田次郎の短編集。
あくまで個人的な好みの問題ですが、浅田次郎なら短編集を推したい。
市井の人々の悲喜こもごも。誰もが抱えている「かなしみ」。
わざわざ口に出して語ったりしない、でも確かにそこに存在している悲哀。
そういうものを掬い上げるのが上手な作家さんなのだろうと思います。
この本のタイトルにもなっている「夕映え天使」。
男やもめの所帯に突然現れた女性の死にまつわるお話ですが、浅田次郎には似たような作品が他にもあります。
人生の中でほんの少しすれ違っただけの女性に心揺すぶられ、暮れなずむ冬空に涙する男性の姿。
人間というものの切なさ、やりきれなさに読者の心もすっかり囚われてしまうことでしょう。
そして2作目の「切符」。
この作品にもやはり「殿(しんがり)」の存在が色濃く投影されています。
「ヒリッピンにかたっぽのあんよを置いてきちまった」おじいちゃん。
世間は東京オリンピックに浮かれているというのに、その中でただひとり、未だに戦争を続けているようなおじいちゃんの姿は、いとも簡単に変節できてしまう多くの人々とは明確に一線を画し、言葉にならないほど哀しいけれども美しい。
胸をつかれる作品です。
また、浅田次郎という作家は、「東京」を書かせると本当にすばらしい。
いや、私は東京になんの縁もゆかりもありませんが、それでも彼が紙上に描き出す東京の美しさは格別です。
たとえば「切符」冒頭部分。
物干しから眺める夕まぐれの景色が好きだった。
恵比寿の町を縁取るように、小高い丘が繞っている。西は渋谷の高台から続く代官山の森で、電車通りを隔てたあたりは防衛庁の広い敷地だった。そこは少し前まで進駐軍が接収しており、兵隊の姿はもうなかったが、町なかの中古家具屋やネオン管のまたたく酒場の窓などには、まだ彼らの残り香が感じられた。
本当にうまいなあ、と嘆息します。
恵比寿も代官山もよく知りませんが、こんなふうに書かれたら私まで、この夕まぐれの景色が好きになってしまいます。
6編の短編が収蔵された「夕映え天使」。
「本を読む喜び」をしみじみ感じさせてくれる一冊でした。
超絶オススメ。
ちなみに私が一番好きな浅田次郎の短編集は「霞町物語」(講談社)
絶対いいから、騙されたと思って読んでみて!
この本を読んだときもやっぱり「伊坂幸太郎っぽい」と思いました。
これまでの彼の著作の傾向から外れない、いかにも「伊坂幸太郎が書きそうな世界」。
なので伊坂幸太郎作品が好きな人は、その期待を裏切られないだろうと思います。
ありえない設定、でも説得力のある描写、畳みかけるような疾走感、きちんと回収される伏線。最後まで時間を忘れて物語に没頭できます。
でもなー、って思うのです。
伊坂幸太郎の書く物語にはよく、「真正の悪人」としか呼びようのない、サイコパス的人物が登場するのですが、私はそれが少し苦手です。
ほんとにそんなにひどい悪人っているのかな・・・まあ、いるんでしょうね。
新聞とかニュースを見ていると、驚くほどひどい人間って確かに存在しているのだと確信できますもの。
でも、正直なところ、そういった人に本の中でまで会いたくないなー、とか思ってしまうのです。
100パーセント善である人間が稀であるように、100パーセント悪の人間もまた稀であると、できることなら信じたい。
多くの人間は、善と悪とが混然と、まだらに混じり合っているものなのではないでしょうか。
そしてそのせめぎあいをこそ、一冊の本の中で見たいのです。
なので、こんなにも完全な、隙のない、真っ黒な「悪」を延々と提示されると少々怯んでしまいます。
でも、人気なんですよねー、伊坂幸太郎。
今、大阪市立図書館でこの本の予約状況を見たら、なんと約500人待ち!
おそらく年単位で待たないと読めないことでしょう。
本当に中学校図書室様様です。
で、これらの本を借りて帰ってくる際に、私がリクエストした本がこちら。
ユヴァル・ノア・ハラル著「サピエンス全史」「ホモ・デウス」(←作者の名前、むずかしすぎ!ちっとも覚えられない・・・)
去年、「サピエンス全史」を区の図書館で借りて読んだのですが、これがもうほんっとにおもしろくっておもしろくって!
久々にこんなにおもしろい本を読みました。
おそらく中学生は誰も読まないと思うけど・・・私がもう一回読みたい!(←自己中)
「もしかしたら中学生にはちょっと難しいかもしれないけど・・・でも買って、買って!入れて入れて~!」
って言ったら、
こういうのも一緒に買ってくれるって!
図書ボランティアやっててよかったー!!!
帰るのも迎えるのも大変です。お正月。
みなさま、遅ればせながら、あけましておめでとうございます。
みなさまにおかれましては輝かしい新年をお迎えになったこととお慶び申し上げます。
我が家では弟の一家が関東から帰省してきて、甥っ子や姪っ子の成長ぶりにびっくり仰天のお正月になりました。
中学生の甥っ子は、私や娘よりも背が高くなり、おしゃまな小学生の姪っ子は、イヤリングをつけて現れました。
娘の女子力は小学生にすら完敗・・・先が思いやられます。
母と同居してからのお正月は、こうして弟たちを迎えて過ごすことが恒例になり、私たち一家が年末年始に夫の実家に帰省することはなくなりました。
正直、ほっとしています。
夫の実家に帰省するのって、本当に気を使うじゃないですか。
家族・親戚になると言いますが、結局のところ、夫の家族なんて他人ですもの、いきなり親しく過ごせるわけがありません。
おまけに夫はいつも「ぼー」っとしていて頼りにならないし。
今でも、ある年の年末に、夫の実家がある博多に帰省したときのことをよく思い出すのです。
そして「二度と帰りたくない」って思うのです。
ひどい嫁ですって?・・・そうかもね。
まあ聞いてください。
ずいぶん昔のことになりますが、娘を妊娠中だった年の暮れ。
夫とともに博多に帰省いたしました。
夫の実家に着きますと、そこでは大掃除の真っ最中。
年末ですものね。当たり前かもしれません。
でも、私の個人的な感覚から言えば、私たち夫婦がやって来るのがわかっているのに、お掃除中ってどういうことかな、って気がしました。
だって、久しぶりに息子が帰ってくるんですよ?
普通はキレイにして迎えてあげたいと思うものなんじゃないかな?って。
まあでも、そこは違う文化圏なんだろうと思って、私も積極的にお掃除に参加しました。
で。
10分後に気づきました。
「掃除してるの、私だけやん!」
って。
要するに夫の家族は極端に、「家事が好きではない人たち」の集合体。
お掃除してると言いつつ、みんな脱線しまくりで、
誰かが古いアルバムを見つけたと言っては、みんなでそのアルバムに夢中になり、
みかんをどこに置くかという揉め事が延々と続き、
趣味に使うモノを片付けるつもりが、その趣味に関する薀蓄語り会になり・・・と、ちっとも掃除が進まない。
年末の大掃除でもそんな具合ですから、普段の掃除なんて推して知るべし、私がどれほど孤軍奮闘、必死でお掃除しても、ちっともキレイにならないんですよ。
玄関の外にまであふれる荷物、
何度拭いても汚れがこびりつく雑巾、
照明器具の上の分厚いホコリ、
置きっぱなしの空き缶の下にはサビでできた輪染み・・・。
要するに、そこはゴミ屋敷の一歩手前。
たった一日のお掃除でどうにかできるものではありませんでした。
妊娠中だというのに、椅子の上に乗って照明器具を拭いているそのすぐ下で、夫とその家族がのんきにアルバムを見てわあわあ言ってるのを見たときには、本当に「イライラ~!」としました。
相手が夫だけなら、「ちゃんとやって!」って言えるけど、まさか夫の家族に向かってそんな差し出がましいことは言えないし・・・。
黙々とお掃除しながら、自分の「まじめ」な性格を呪ったなあ・・・そういえば小さい頃から、お掃除当番なんかもサボれない子でした。とほほ。
極めつけはね・・・
夜になって、みんなでテレビを見ていたら。
火を噴きました。
いや、私の怒りじゃないよ?
びっくりびっくり。
正確に言うと、ヒーターから煙がぶわーっと噴きあがった感じ。
何事かと思いました。
おそらく、キチンとお手入れしなかったから、内部にたまっていたホコリに火がついてしまったのではないかと思われます。
つくづく深夜でなくてよかったです。
で、お掃除がキライ、ということだけではなくって、夫の家族はおそらくお料理にも興味がない。
なので次の日から、私は空腹との闘いに突入しました。
朝食は食べない、
昼食はお出かけ先の太宰府天満宮で名物「梅ケ枝餅」をひとつ。
夕食にはお寿司をとってくださったのですが、どうも私がいることで人数が増えているということを失念したらしく、人数分に足りない・・・。
気を使ってとても食べられたものではありません。
けれども私は当時、妊娠初期でいわゆる「食べつわり」の真っ最中。
空腹になると気分が悪くなって、どうにも苦しくってたまりません。なので夜になってから夫にこっそりと外に連れ出してもらい、大型スーパーのフードコートのようなところで、焼き鳥を食べた記憶があります。
なんだかもう、気を使いすぎてげんなり、げっそり、おまけにお掃除疲れと空腹でぐったりしながら帰阪して、自宅に戻る前に、私の実家に顔を出しました。
「博多はどうだった?」
と聞く母に、私は夫の実家であったことをそのままに話しました。
私としては「おもしろい話」程度の気持ちでした。
でも、母としては、また別の感想があったのでしょう。
泣かれました。
いや、別にいじめられてたわけでも嫁いびりされてたわけでもないと思うんだけど・・・とめっちゃ焦りましたが、「お腹が空いてた」は母に対しては禁句だったかな、と思います。
どこの世界でも母親にとっては、子どもの「お腹空いた」の声は特殊なスイッチですからね・・・。
そこからは、母による「食べなさい」攻撃が集中し、私はフォアグラかブロイラーか、いかめし用のイカのように食べさせられました。
空腹もつらかったけど、お腹がいっぱい過ぎてもつらい・・・。
私自身、お掃除もお料理も好きではないので、義実家のことをとやかく言えるわけではないのですが、とにかくもう、できることなら帰りたくない、というのが本音です。
今は弟一家が帰阪するので、それを理由に帰らないことを申し訳なく思いつつも、
「帰っても迷惑だろうしなー」
と思ってやり過ごしています。(本音=よそのお宅までお掃除したくない。プラスお正月からひもじいのもイヤ。)
娘に言わせると、
「ママはいつでもやりすぎ。なんでも必死になりすぎ。
その状況なら自分もお掃除しないで、適当にのらくらしとけばいいやん。」
だそうなんですが、それができる性格だったら苦労はしないわけで、でも確かに娘の言い分にも一理あるな、とは思うのです。特にお正月の度に思います。
なぜかというと、
弟の奥さん(義妹)がなんにもしない人だから。
この義妹、実にうらやましい性格をしていて、我が家にいる間、ほんっとうになーんにもしない。
食事の度に上げ膳、据え膳。
ごはんのおかわりでさえ自分ではしません。
お皿を洗ったことだって皆無。
うちのキッチンに入ったこともないんじゃないかな・・・。オープンキッチンですけどね・・・おそらく目に見えない結界があるんだろうと思われます。
私がせっせとお茶碗を洗ったり後片付けをしている時にはもう、彼女はこたつに入って寝そべって、テレビを見ながら大笑いをしています。
それを見ていると思うんですよ。
ああ、うらやましいなあ。って。
そして、すごいな・・・私にはできないなあ、とも思います。
義母がいる前で横になったこととかないもの・・・義実家の誰かがいる前で寝っころがれるとか、ほんとにすごい、とつくづく思います。
でも、そういう気の置けなさ、みたいなものが、相手との距離を縮める効果がある場合もあるし(←逆効果になることもあるだろうけど)、こういうキャラクターでいられることは得難い資質なのかもしれないなと感じます。
第一、義実家を敬遠してめったに立ち寄らない私のような人間よりはずっと可愛げがあるというものではありませんか。
(以前は連休の度に帰ってきてたんですよ・・・弟を東京に残してでも来てた・・・。
母がいくらなんでも頻繁過ぎる!こちらは憂鬱で仕方がない、と言い出して、
「そんなに何回も帰って来ないで!」
ということをオブラートに包んで何回も訴えたので、やっと年1回になった。ほっ。)
でもでもやっぱり、いくらなんでもちょっとな・・・とも思ってしまうんですよ・・・。
いや、私だって別にお皿を洗ってほしいなんて言ってません。
よそのお宅の台所って使いにくいし。
でもね、なんていうのかな、あるじゃないですか、お決まりの会話みたいなのが。
社交辞令というか、儀礼的定型文というか、そういうの。
「お義姉さん、せめてお茶碗洗います~」
「あらいいのよ、遠いところ来てくれてるんだから、疲れたでしょ、座っててー」
「ほんとにすみません~」
みたいな!
せめてそういう会話が一度でもあれば、私ももうちょっと気分よくお茶碗が洗えるんじゃないかと思うんですよっ!!!
・・・なんてことは、実生活では口が裂けても言えそうにないので、ブログで言ってみました。
あー、すっきり。
お正月に離れて暮らす家族と再会すること。
お互いの無事を祝い、これからの1年の息災を祈ること。
それってとてもうれしい、おめでたい行事ではありますが、実際には色々と大変です。
特に女性はね・・・。
自分の好きにできる年になったら、年末は旅行に行くとか、食事は全部外食にするとか、手抜きをすることに全力を尽くそう!と思っています。
最後になりましたが、今年もみなさまのご多幸とご健勝を心よりお祈り申し上げます。
また、弊ブログは相変わらずの駄文続きとなる予定ですが、引き続きよろしくお願いいたします。
少子化の行方
みなさま、こんばんは。
今日の午後、お買い物に出かけた街角で、こんな写真を撮りました。
ただの空き地。
ご近所の曲がり角に、唐突に空き地ができたのです。
実はこの空き地には、ついこの間まで、病院がありました。
個人病院だけど診療科もたくさんあって、入院設備もある、主に外科を得意とする病院が。
それが数か月前から取り壊しが始まって、すごーくびっくりしました。
子どもの頃から、ここには病院があるものと思い込んでいたので・・・。
私の家族のうち、この病院によくお世話になったのは弟でした。
私と違ってスポーツ大好き、男の子らしく落ち着きもなかった弟は小さい頃から怪我の連続・・・捻挫、脱臼、骨折、アキレス腱断裂・・・治ったと思ったらすぐに次の怪我をして、しょっちゅうこの病院に駆け込んだものでした。
まだ幼い私を家でお留守番させるわけにはいかなかったのでしょう、母は弟の通院に私も同行させましたから、私もよくこの病院に通いました。
今でも鮮明に覚えています。
玄関先のスリッパの山、待合室にあふれる人々、薄暗い階段、診察室前で患者の名前を呼ぶ看護婦さんの声、診察室のベッドを仕切るカーテンの色、先生の机の上に並ぶ茶色い瓶の数々。
中でも印象的だったのは待合室の光景です。
外科ですから、そこには怪我をした子どもたちがいっぱい。
でも子どもって怪我をしてても「元気」なんですよね・・・。
待ち時間の長さに辟易して、いつの間にか始まる鬼ごっこ、「だるまさんがころんだ」、階段を使って遊ぶ「グリコ」(←知ってる?)・・・もちろん私もやりました。
たとえ包帯ぐるぐる巻き状態でも、ギプスをはめてても、松葉杖をついていようとも、子どもって全然じっとしていない!
おまけに診察室からは、子どもたちの泣き声が大音量で響き渡り、それに負けじと張り上げる先生の声、騒ぎすぎる子どもたちを叱る親の怒号や看護婦さんの声・・・まさに阿鼻叫喚の嵐、ほんっとうにうるさい場所でした。
(病院だけでなく、街中どこに行っても昔は今よりずっとうるさかったものです。
もしも街中でお子さんを「うるさい」「迷惑」と言われたら、この記事を印籠のように差し出すといいですよ。少なくとも今現在、中年と言われる年齢の人間は絶対に小さいお子さんに文句を言える立場ではないと思う…自戒を込めて。)
結婚後、しばらく別の街で暮らしていた私が、10年ぶりくらいに今の街に帰ってきたころ、久しぶりにこの病院を訪れたことがありました。
その時の驚きは今でも忘れることができません。
患者が年寄りしかいない。
しかも「静か」なんですよ!どこもかしこも。
いや、病院なんだから、静かで当たり前なんですけど、この病院に関していえば、とにかく「大量の子どもたち」と「うるさい」印象しかなくて、「しーん」としている待合室にいる間、ずっと
「見慣れた場所なのにここじゃない感」
「異次元の空間に迷い込んでしまった感」
が拭えませんでした。
包帯を変えてもらったり、ギプスをはめてもらっている子どもたちは消え失せて、そこにいるのは腰とか膝に電気を当ててもらっているお年寄りばっかり・・・。
待合室にはテレビが置かれていて、それにもびっくり。
テレビの音声がちゃんと聞き取れるってことですものね・・・昔は考えられませんでした。
私は別に少子化を嘆くわけでも、未来に危機感を抱いているわけでもありません。
政治家や経済界のエライ人じゃあるまいし、そういうことを心配しなくてはならない立場ではありませんから。
なにより、子どもを持つかどうかという非常にデリケートで個人的な話に、横からあれこれ言われたくないじゃないですか、誰だって。
私もそういうことを若い人に向かってとやかく言うような、お節介でデリカシーのない人間にはなりたくありません。
けれども、静かすぎるくらいに静かな待合室にいる間、そしてとうとう建物ごと無くなって、更地になってしまった病院の跡に立ってみると、
「ああ、少子化ってこういうことなんだ。」
という感慨が心の底から湧き上がってきて、その感情の置き場に少し戸惑ってしまいました。それはなかなか「うら寂しい」感情だったのです。
国家の存続とか、経済効果とか、そういう大きなことではなくって、ただただもう、単純にシンプルに、
「ああ、あんなに賑やかだったのに。」
「うるさかったけど、活気があったなあ。」
と、まるでお祭りが終わった後のような、物悲しい気分になっていることを痛感せずにはいられませんでした。
更地になったこの土地には、きっと新しいマンションが建つのでしょう。
せめて、その新しいマンションには、小さいお子さんのいる家庭がたくさん入居してくれるといいな、とふと思いました。
おまけ。
おそらく、当記事が今年最後の更新になると思います。
今年も細々と私がブログを続けてこられたのは、ひとえにみなさまとの温かい交流があったからこそです。
年の瀬に、あらためてみなさまにお礼申し上げます。
今年一年、本当にありがとうございました。
来年もみなさまにとりまして、すばらしい一年になりますように。
そして来年も今年と変わらぬご高配をいただけますようお願い申し上げます。
それではみなさま。
よいお年を。
経理的思考にげんなりした日。
みなさま、こんばんは。
今日は前回に引き続き、もうひとつだけ、「時効」かな、ってお話を。
ある企業の経理課で働いていた頃。
朝、出社してみたら、社内が騒然としているのです。
みんなバタバタしているし。
走り回ってる人もいるし。
フロアの最も奥まったところにある経理課にたどりついた私は、先に出勤していた同僚に何があったのか聞いてみました。
そうしたら。
「殺人事件があったらしいねん。関東の、○○営業所で。」
人間、こういう時って、本当に腑抜けた、マヌケなことしか言えないものですね。
私、
「え?!うそ?ほんまに?!」
って言いましたもん。
我ながらバカみたいなこと言ってるなあ、と思ったのを覚えています。
で、私はその場に荷物を放り出し、総務部に向かって駆け出しました。
「新聞見せて!」
総務で新聞各紙に群がっている一群から一部をひったくって確認すると、三面記事に本当に、事件のことが掲載されていました。
いわゆるベタ記事というやつで、事件については、
「借金の返済をめぐってトラブル、返済を促されて殺害、容疑者は自供を始めている模様。」
という程度のことしかわかりませんでしたが、社内のウワサが集まってくる総務の女の子たちは嬉々として事件について教えてくれました。
「なんか、お金返せなくって殺しちゃったみたいですよ。」
「加害者の方がうちの社員みたいで。」
「500万くらい借金があったって。」
「朝、出勤したら営業所の構内に死体があったんですってー。こわー!」
口さがない総務の女の子たちが雀のようにさえずる言葉を耳にしながら、でも私の頭に浮かんでいたのは、
「うちの社員が「加害者」で決定か・・・では退職金払い出しの伝票を止めなくては。」
という一事だけでした。
経理に戻った私は最初に人事部に電話をかけて聞きました。
「事件のこと知ってる?あの捕まった人、そっちの担当じゃないよね?」
人事はちょっとのんびりした口調で、
「ううん、違うで。うちじゃない。現場の作業員やろ。」
と返してきました。
逮捕された従業員が経営管理部門の人間でないことを確認した私は次に、現場作業員を統括する労務管理部門に電話をしました。
「事件のこと聞いてるよね?そっちの担当でしょ?懲戒解雇、決定?」
労務管理担当部門にはちょうど私の同期がいて、彼は人事とは打って変わって深刻そうな声で答えました。
「決定やろうなあ。詳しいことはわからんけど、自供してるみたいやし、犯人に間違いないみたいや。」
「じゃあ、退職金払い出しの伝票、切らんとあかんねんけど、実際にお金を払うわけにはいかへんのよ。そっちじゃわかんないだろうから、こっちで切っていく。後で伝票を持って行くから、ハンコだけついて経理に回して。伝票切るのに必要やから、逮捕された人の退職給付引当金の額だけ教えて。今すぐ。」
「退職給与引当金」とは、従業員の将来の退職に備えて企業が積み立てておくお金のことで、固定負債に区分されます。
従業員が退職する時には、退職金として払い出すのが一般的で、伝票には固定負債の退職給与引当金を借り方に、貸し方に当座預金などを計上します。
しかしながら、上記のような事情がある時には、そもそも退職金の払い出しができません。
なぜなら、逮捕された人間は重大な犯罪を犯しており、当然、被害者が存在することが推察されるわけで、容疑者である従業員の退職金も、後々、被害者から借金の返済、あるいは賠償金などの名目で請求されることが想定されるからです。
つまり、逮捕された従業員の退職金を受け取る権利は、従業員本人ではなく、すでに被害者、ないし、その遺族の側に移っている可能性があるということです。
もしも、事件の発覚がもっと遅く、会社が従業員の犯罪について何も知らない状態であれば、従業員に退職金を支払っても問題にはならないかもしれません。
けれども、従業員は事件発覚後すぐに逮捕され、新聞報道もされ、社内でもこれだけウワサになっているのですから、「知りませんでした」が通用するはずもありません。
「知っていたのに当該容疑者に退職金を支払った」となれば、そこは会社の過失ですから、最悪、遺族側から会社に対し、退職金相当額を支払うことを要求されることも覚悟しなくてはならないのです。
誰が退職金を受け取る権利があるのか。
それがいずれはっきりと判明するまでは、会社としては一円たりともその従業員の退職金を、誰に対しても支払うことはできない。
それが、経理として、会社に損害を出さないための方策であり、その時私の頭の中にあったのは、その一点だけだったと言って過言ではありません。
いつもなら小切手で退職金を支払うのですが、もちろんこの場合、小切手を切るわけにはいきません。
当該従業員は懲戒解雇決定、退職金支払いの伝票はその日付で切らなくてはならないけれども、現預金は一切動かせない。
となると、問題は相手勘定です。
どう考えても期中に片がつくとは考えられなかったので、上司とも相談の上、相手勘定には営業外収益の「前期損益修正益」を計上したように記憶しています。
やれやれ、これで大丈夫、うっかり退職金を支払うミスはもう起こらない、と思った私は、労務管理担当部門に向かおうとして、もう一度伝票を見下ろしました。
そして、次の瞬間、思いっきり後頭部を殴られたような気がして、自席にすとん、と座り直してしまいました。
なぜなら、その伝票の金額に、あらためて気がついたからです。
約「500万円」の伝票に。
500万円。
総務の女の子たちの声がよみがえってきました。
確か、事件の契機となった借金の額が500万円ではなかったか・・・。
私が勤務していた会社の従業員数は、本社が把握・管理しているだけで数千人にのぼりました。
支店や営業所で雇っている期間作業員、パート従業員、アルバイトを含めれば、その数は万に届いたかもしれません。
それだけの従業員がいれば、正直、自分に近い人間以外は限りなく他人です。
生涯一度も会うこともなく、顔も名前も知らず過ごすことになる人の方が圧倒的に多い。
関東僻地の一営業所の、現場作業員となれば、一生接点もないままです。
けれども。
伝票をつかんだまま、私はようやく、その逮捕された従業員のことを考えました。
この退職金があれば、と。
この500万円の退職金があれば、彼は殺人なんて犯さずに済んだのに。
もちろん、500万円の退職金を積み立てるには、それなりの年月を要します。
高校を卒業後(勤務していた会社の場合、現場作業員はほぼ全員、高卒資格者でした)、彼は一生懸命に働き続けてきたのでしょう。
会社を辞めることは考えられなかったのかもしれない。
けれども、結果として懲戒解雇になってしまったのでは、元も子もないではないか。
どうしてせめて営業所長にでも相談しなかったのか、一度退職したとしても、平素の勤務態度が真面目であれば、再雇用という温情をかけてもらえたかもしれないのに(←無理だったかもしれないけども)。
そして被害者のこともようやくにして考えました。
500万円。
誰かに貸し付けるにはあまりに大きい金額であるような気がしました。
どうしてそんな金額を誰かに貸す気持ちになったのか。どんな事情があったのか。
お金を貸してあげながら、感謝されるどころか、殺されてしまうなんて。
どれほど無念だったことだろうか、と。
伝票を持ったまま、私はしばらく自席でぐずぐずしていました。
すぐに立ち上がる気持ちにはなれませんでした。
この時ほど、私は自分という人間に嫌気がさしたことはありません。
殺人事件という、人の命に関わる大事件が起きたときに、私の頭にあったのは、
「イレギュラーな事態を会計上適性に処理すること、会社に損失を与えないこと」
それだけでした。
もともとあんまりウワサ話が好きではないこともあって、他の部署の同僚たちが、降ってわいた「非日常」にどこか他人事で無責任に騒いでいるのに、混じる気持ちには到底なれませんでした。
けれども、人の命が失われた事実を前に、伝票一枚の切り方について頓着しているよりは、
「コワいなあ。」
「500万も貸し借りするって、どういう関係やったんやろ。」
「会社に出てきて死体があったら、トラウマになるわー。」
「人間、10万円あったら揉めるっていうもんねー。」
などという話で盛り上がる方が、よほど「人間らしい」というものではありませんか。
あちこちで無責任なウワサ話が飛び交う中、私はひどくきまりが悪いような、自分が人間とは異質な生きものになってしまったような、あるいはとんでもなく冷たい人間だと何かに糾弾されているかのような気持ちになったものでした。
経理にいるということは、ひたすら伝票や台帳に向き合うということですが、その数字の羅列の向こう側に、生きた人間の取引を感じ続けることは意外に難しいことです。
数字だけを見ていてはわからないこと、気づけないこと。
ひとつの数字に、その羅列に、人生のすべてを賭けてしまう人間がいるかもしれないこと。
それらを全て忘れてしまった経理は、会社の中で最も「情」のないモンスターになってしまうのでしょう。
今でも、あの日のあの伝票を思い出すと、やっぱり身の置き所がないような心持ちになります。
そうして、どうも私という人間は、どこか冷たい、欠陥のある人間なのだと、しみじみと痛感するのです。
経理の敵。
みなさま、こんばんは。
もう時効かな、と思うので、今日は昔お勤めしていた会社での思い出話などをひとつ。
大学を卒業してすぐ入社した会社で私は財務部に配属されました。
いわゆる「経理」のお仕事です。
大学の専攻とは全く畑違い、経理の知識など皆無でしたから、入社当時はずいぶん戸惑ったことを覚えています。
なにしろ、簿記の知識もまったくなくて、おまけに典型的なめんどくさがり屋で、細かいことは大キライ、内心、「向いてないなあ」とよく思いました。
些末なことが大事な部署なのに、どうにも気持ちが入らなくて、ひとつ年上の先輩に、
「全身の血をA型に入れ替えろ!」
と言われたこともあります。(←O型なのでね・・・)
(誤解されやすいのですが、経理にいたといっても、小切手一枚、手形の一枚も切ったことはありません。
そういうことは財務部内でも別の課である出納課の仕事でしたので、在職中、振込用紙の一枚ですら、触ったこともありません。)
でもまあ、何年か経理課に座っていると、最初はさっぱりわからなかった「複式の簿記」というものに感覚がなじむようになるものでして(←向き不向きがあるのでしょうか、どうしても「複式簿記」が身につかない人もいます)、そうなると、誰でもそれなりに経理っぽくなります。
けれども経理の仕事というのは独特で、他の部署の人からはなかなか「わかってもらえない」ことが多々ありました。徹底して避けられることも。
今日はそんな思い出の中から、私が個人的に「経理の敵」認定した人やモノについてお話したいと思います。
1.「少額だからどうでもいいやん?」っていう人。
たとえば。
「この伝票、間違ってますよ、切り直してください。」
と別の課の担当者にお願いした時なんかに、
「えー、500円分?いいやん、それくらい。俺の財布から出しとこか?」
とか言う人がいます。わりといます。
そんな時、経理としては、
「まあまあ、そう言わずに、そこをなんとか。」
などと言いつつも、かなりの高確率で、心中、
「わかった。今度5千万円合わへんかったら、あんたのとこに来るわ。あんたの財布から5千万円出してな。」
と、むっとしてします。
要するに、経理にとって問題なのは500円か5千万円か、その金額の多寡ではないのです。
ただひたすら、
「合っているのか、いないのか」
が重要、なのです。
仮に、「1億1千万円合わない」、なんてことがあったとしましょう。
でも金額が大きければ、いっそ「めど」がつきやすかったりするのです。
「1億1千万・・・ああ、A支店の6千万と5千万の伝票が入ってないのかも。支払いが遅い取引先があるからな・・・」
なんて風に。
むしろ「3円合わない」「8円合わない」ことの方が、経理にとっては心底恐ろしい。
これは単純な計算ミスなのか。
それとも消費税計算の間違いを誘発するような、イレギュラーな伝票があるのか。
あるいはそもそも「3円」や「8円」という伝票が存在するのか。
考えられる可能性は山ほどあって、いくら会計システムが電算化されていようとも、その原因を探るのはかなりの手間暇がかかってしまうものなのです。
もしもあなたが経理の担当者に向かって、
「いいやん、500円くらい。誤差誤差!」
な~んて言いたくなったら。
きっと「むむ。」と思われてしまいますから、その言葉はぐっと飲みこみましょう。
会社の中で余計な摩擦を引き起こして得なことなんて何ひとつありません。
伝票を切り直せと言われたら、さっさと切り直してあげてくださいね。
意味もなくそんなことを依頼する経理は、ひとりもいません。
2.海外伝票
これは腹立つ。
もうね、「腹立つ」としか言いようがありません。
とにかくもう、大っキライでした。
海外の人って、なんであんなに、
字が汚いの???
そもそも数字が読めないって致命的。
キレイとか汚いとかの次元ではなくって、数字の大きさすら不ぞろい。
「領収書の字くらいキレイに書いてよー!」って何度絶叫しそうになったかわかりません。
ベトナムやカンボジアなどの領収書はそもそも字も読めないし・・・
回ってくるたびに「きぃっ!」ってなってましたが、思えばそんな伝票をそのまま回してくる海外業務部が「敵」だったのかもしれません。
3.秘書課
苦手だったなあ、秘書課・・・。
なんだろう、いつも役員とべったり一緒にいるせいでしょうか、なんだか偉そうな人が多いんですよね。
まさに「虎の威を借りる狐」って感じ。(←偏見です)
「間違ってます、切り直してください。」
って伝票を持って行ったり、取引の中身を聞きに行ったりすると、必ず言われたものでした。
「これ、社長の伝票なんですけど?」
って。
でも、経理としては、
「だから何?」
という感想しかないのです。
社長だろうが会長だろうが、会計諸法規を遵守しなければならないのは同じこと。
どうして社長の伝票だったら例外になると思えるんだろう。
いつも心から不思議だったものです。
もっと言えば、社長を始め、役員に係る支出の方が国税局の目につきやすく、細かくつつきまわされるものですから、最もクリーンに、疑いなくしておきたいのが経理の本音です。
全国の秘書課のみなさん。
経理が何か言ってくるのは、別に支出の中身に文句があるわけではありません。ケチをつけているわけでもありません。ただ単純に取引内容をクリアにしておきたいだけです。伝票くらい素直に切り直してあげてくださ~い。
4.監査法人
監査法人・・・この人たちが来ると、日常業務がかなり滞りました。
もちろん、監査を受けなければならないのは法律で決まっているので仕方ないんですが、とにかく面倒で面倒で。
ただでさえ忙しい決算期。
有価証券報告書を作成しつつ、その数字のひとつひとつが正しいかどうかをひたすら証明していかなくてはなりません。
たとえば私の勤めていた会社では、原価の台帳だけでもロッカー数台分を丸々塞いでしまうほどの量があったのですが、もちろんその原価台帳に記載された数字のひとつひとつには領収書やら請求書が存在していますよね?(←保管期限は7年)
監査法人から派遣されてやってくる会計士のみなさんは、抜き打ちでそれらの書類を出せ、とまで言ってきます。
本社で支出した経費分なら、本社内に保管していますから、すぐに出せたとしても(←実際に出すのは大変ですが。何しろすごい量だから)、それが支店や営業所に保管してある書類だと、わざわざそこに問い合わさなくてはなりません。
会社中の倉庫をひっくり返す勢いで、あれもこれも何もかもを丸裸にするような監査。
物腰は「お願いします~」と柔らかなのですが、「あれ持ってきてー、この書類出してー」って言われるたびに仕事の手を止められて、一日中、イライラしたものでした。
(脱線しますが、最近、有価証券報告書の虚偽記載がニュースを賑わせているようですが、正直に言って、監査法人がそれを知らなかった、わからなかった、というのは納得できません。
知っていたのなら会社と共犯だし、わからなかったというのなら、監査法人としてはあまりにも無能です。
ただ、現行の会計監査には、今回のような問題が噴出しやすい背景があるようにも思えます。
なぜなら、監査法人にその仕事の対価を支払うのは、監査を受ける会社だからです。
つまり、監査を受ける会社は、監査法人にとって、「お得意様」なのです。
監査法人に支払われる対価は、私が勤務していた会社でも年間数千万円。
今、ニュースで騒がれている会社なら、もっと巨額になるはずです。
それほど巨額なお金を払ってくれる取引先に対して、監査法人側が強気な態度で臨めるとは思えません。
つまり、監査を受ける側の方が強い立場であって、グレーゾーンの取引に関しては、いくらでも監査法人側を丸め込める余地があり、株主の利益が二の次になってしまうリスクがあるような気がします。
監査に係る費用は、証券取引所など別の組織にプールして、そこから監査法人に支払われるようにし、監査を受ける会社と監査法人との間の力関係をもっとフラットなものにするよう、工夫が必要なのではないかと思います。知らんけど。)
5.国税局
監査法人による監査ほどの頻度はありませんが、国税局による査察ももちろんありました。
これがねえ・・・すごーい威圧感で、ほんとにコワかったです。
前述したように、監査法人は結局のところ、こちらが「お得意さま」。
なので、まあ、ちょっとくらいまずいことがあったとしても、いくらでもフォローのしようがあるわけですが、相手が国税局となるとそうはいきません。
なにしろ、最初から
「追加でがっぽり税金を巻き上げてやる!」
という意気込みでやってくるのですから、経理としては戦々恐々、これほど恐ろしい相手はありません。
私の上司は常日頃、
「節税はしなくてはならない、でも脱税はダメ。絶対。」
が口癖の人でしたから、それほど恐れることはなかったのですが、「むしり取れる税金がない」となると、それはそれでどんどんご機嫌が悪くなっていくのが国税局というものでして。
そりゃそうだろうな、とは思うのです。
だって、追加で税金を取ることが、彼らの仕事上の評価につながるんですものね。
なので、調査に血眼になるのもよくわかります。
でも、思ったような結果が出ないと室内で怒鳴り散らしたりするのはどうなのかしら。
ほんっと、お役人ってイヤだなあ、としみじみ思ったものでした。
毎日機嫌よく働いていたように記憶しているのですが、こうして思い出してみると、意外にもたくさんの「敵」がいたんだなあ、とちょっとびっくり。
おそらくどの会社でも経理は、
「細かい」
「うるさい」
「めんどくさいやつら」
って思われているんだろうなと思います。
でも、しょうがないんですよ、ほんとにしょうがないんです。
経理にあれこれ指図されて、「むっ」とすることがあったとしたら、どうか
「言ってる方もイヤなのかもしれないな」
って思ってみてください。
とりあえず、私は二度と経理のお仕事だけはごめんです。ほほ。
メメント・モリ 死を思う絵本。
今週のお題「読書の秋」
みなさま、こんばんは。
ネタが無くて困りまくって、「今週のお題」に乗っかります。
実は以前、ブロ友さんから「未就学児の子どもが「死」をコワがるので、いい絵本はないだろうか」と聞かれたことがあります。
難しいですよね。「死」を考える絵本。子どもに向けて説明するとなれば、ますます難しい。
だって、「死んだことがある」人間なんて、この世に存在しませんもの。
それから絵本を読むたびに、紹介したものよりも、もっと最適な絵本はないだろうかと考え続けています。
今さら「こんな本はどうだろう」なんて連絡するのも気が引けるので(←子どもさんの関心も、他に移ってるかもしれないし)、こちらで紹介させてください。
最近更新がないようですが、ブロ友さんの目にも留まりますように。
1.「ぼくはねこのバーニーがだいすきだった」ジュディス・ボースト著 偕成社
かわいがっていた猫を亡くした男の子。
彼はどうしても飼い猫の死を受け入れることができません。
そんな男の子にお父さんは・・・
「死」をテーマにした絵本には犬や猫が多く登場します。
小さな子どもたちにとって、飼い犬や飼い猫の死は、身近な、そして人生最初の「死」として、共感を得やすいものだからでしょう。
ハンス・ウィルヘルムの「ずーっとずっとだいすきだよ」とか
マーガレット・ワイルドの「さよならをいえるまで」
など、このタイプの絵本には名作が多く存在します。
でもその中で1冊だけ、と言われたら、私はこの「ぼくはねこのバーニーがだいすきだった」を推したい。
にわかには「天国」を信じられなくて、飼い猫の喪失に耐えがたい苦痛を感じる男の子。
お父さんは猫の行先については「わからない」と言いつつも、猫を埋めた土に花の種を蒔くのです。
わからないことを、適当な言葉で濁したり、宗教的な常套句でごまかしたりせずに、男の子の悲しみにまっすぐ向き合うお父さんの姿がとても印象的です。
死んでしまった猫が新しい命を育む手伝いをすることに気づいた男の子は、物語の終わりに言います。
「小さな猫のわりに、たいしたことなんだよ。」
深い痛みをもたらす喪失が、新しい生命を育むこと。
ただ喪われるだけではない、目をこらし、耳をすませば新しい命を見い出せるかもしれないこと。
それが何よりのなぐさめになること。
小さい人の悲しみにきちんと寄り添う絵本です。
ある日、かないくんが学校を休んだ。
かないくんは親友じゃない。普通のともだち。
日常に訪れた、初めての「死」。
幼い子どもたちには少し難解かもしれません。
大人にとっても。
昨日から続く、「今日」という日。
でも、その連続性はひとつの「死」を通すことによって、あっけなく崩れ去ってしまいます。
同級生がいなくなっても続く日常の生活。
でもそれが昨日までと全く同じ日であるはずはないではありませんか。
作者、谷川俊太郎は詩人の心でその途切れた連続性を感じとったに違いありません。
誰かの死で終わる世界、そして悼む世界の始まり。
途切れたかに見えた連続性は、でもきっとつながっていて、だから私たちに記憶という力がある限り、「死」は終わりではないのでしょう。
余白の白さが雄弁な、「とてつもない」絵本です。
3.「およぐひと」長谷川集平著 解放出版社
特段の説明があるわけではありませんが、明らかに東日本大震災を題材にした絵本です。
スーツ姿のまま泳ぎ続ける人。
自宅に帰らなければ、と泳ぎ続けて消えました。
赤ちゃんを抱いて電車に乗る若いお母さん。
どこか遠くへ、ここではないどこかへ逃げなければと言いながら、消えました。
「あそこでなにがあったのか」
と聞かれて、主人公は答えることができません。
「まだ、ことばにできそうにない」
そう応える主人公の言葉にこそ、真実があるように思えました。
私たち人間の心は、あのような惨禍を、あれほどの死を、饒舌に語るようにはできていないのでしょう。
ページを行きつ戻りつするうちに、苦しくなってしまう本です。
震災関連の絵本の中では、一番心を動かされました。
感動して、というよりも、動揺したのです。
手元に置いておくのはひどくつらい。
でも、一度は読んでおきたい1冊です。
この絵本は、まず始まりのフレーズがインパクト大。
「ぼく、チャーちゃん。はっきり言って、いま死んでます。」
で、思わず前のめり。
「動」からもっともかけはなれているはずの「死」が、猫のチャーちゃんの世界では大逆転、こんなにも軽やかで躍動感のある「死」は見たことがありません。
飛んで跳ねて駆けて踊って、でも空腹も「生死」の違いもわからない世界。
「死んでも生きてもぼくはぼく」
そう語るチャーちゃんのあっけらかんとした様子に、「猫だなー」としみじみします。
昔一緒に暮らしたニャンコも、今はチャーちゃんと一緒に軽やかに踊っているでしょうか。そうだったらいいのに、と願わずにはいられない絵本です。
「はっきり言って、いま死んでます。てか踊ってます。」
「死」を描く場合、残された者の悲しみにスポットが当たりがちな絵本の世界において、めずらしく「あちら側」の世界を描き出した1冊。
それがこんなにも明るくあっけらかんとした世界であることが、旅立った猫からの、何よりのなぐさめとやさしい贈り物だという気がします。
5.「死」谷川俊太郎著 大月書店
おじいちゃんが死んだ。でも、いなくなった気がしない。「死」ってなんだろう、死ぬと、どうなっちゃうの?
谷川俊太郎再び。
おじいちゃんを亡くした女の子の目を通して「死」を考えます。
両親との会話で垣間見える少女の、死に関する疑問点の鋭さには、はっとさせられる一面があります。
「「天国に行ったのよ」とお母さんは言う、なんかうそくさい。」
「ロケットで空をどこまでも上っていっても、星がいっぱいあるだけだと思う。」
そうだよねえ・・・共感。
でも。
目に見えない、手で触れないものであっても、「ない」とは限らない。
重力だって電波だって、目に見えないけれど、それが「ある」って私たちは知っている。
「カラダは物質だけど、タマシイはエネルギーなんだ」
答のない問題に、それでもなんらかの解を求めてしまう、生きている人間の健やかな疑問。
この絵本のラストには希望があります。
涙でにじむ目で見上げても、そこに星の瞬きを感じるように、私たちは悲しみの中にあっても、また踏み出せる、そう感じさせる力強さがあります。
わからないことを、「わからない」というひとことで終わらせることなく、考え続けていくことが、人間の人間である所以なのだろうと思わせる絵本です。
ところで。
どれほどたくさんの「死」についての本を読んだとしても、それでなにがしかの「覚悟」のようなものができるとは、私には到底思えません。
想像力を持って生まれて来ながら、普段は自らの「死」について、棚上げしつつ生きることができる私たち。
「死」を遠く離れたところに置いて日常を生きることができるのは、ある意味幸せなことなのでしょう。
私にしても、いざ眼前に自らの死が迫れば、きっとジタバタすることでしょう。
後悔と未練、後ろ髪を引かれる思いに翻弄されて、とても穏やかにかつ毅然と運命を受け入れられるとは思えません。
具体的で、鮮明な「死」が、もしも身近に迫ったとしたら、「死」についての絵本なんて、とても読めそうにはありません。きっと「死」を連想させるすべての言葉を避け続けるだろうと思います。
けれども、「死」について書かれたいろんな物語は、きっと私の中に、なにがしかのなぐさめや勇気、心のよりどころを提供してくれるのではないか、という気はします。
だから「死を思う」のは、元気なうちがいいのでしょう。
おまけ。
もちろん、他にもたくさんの絵本があります。
「わすれられないおくりもの」(スーザン・バーレイ著 評論社)
亡くなった人は誰かの心の中にちゃんと生きている。受け継がれる記憶と思い出が宝物であることを感じます。
「いつでも会える」(菊田まり子著 学研プラス)
大好きな飼い主・みきちゃんを亡くした犬のシロのお話。泣きます。
「あの夏」(ガブリエル・バンサン著 BL出版)
大切な人が逝ってしまうことを予感させる夏。そのことに向き合うことの難しさと切なさを描く。
残される側の悲しさ、寂寥感と焦り。自分の身に引き寄せて考えると、胸がキリキリと痛みます。
「悲しい本」(マイケル・ローゼン著 あかね書房)
失ってはいけないものを失った男の悲しみ。人にとってこれ以上の悲しみはないと断言できます。つらすぎて、私は二度と読みません。
2017年に亡くなった日野原重明先生が102歳で書き下ろした絵本。
おばあちゃんを看取る孫娘の心情が綴られます。
大切に愛された記憶こそが最上の遺産であることをしみじみと感じます。
「ぶたばあちゃん」(マーガレット・ワイルド著 あすなろ書房)
死を予感して支度を始めるおばあちゃんとそれに寄り添う孫娘のかなしみ。
何回読んでも号泣必至。
どの本もオススメです。
本屋さんで見かけられましたら、ぜひ一度読んでみてください。
気が利かない夫にイラっとする日。
みなさま、こんばんは。
「気が利く」「気働き」「気配り」
なんて言葉をよく聞きます。
人間関係を円滑にするために、これらの概念はとても大切なことだろうと思うのですが、日常生活で常に意識し続けるのってなかなか大変ですよね。
私も常から粗忽者で通っていますから、自分に上記のような長所が備わっていないことは重々承知しています。
ただ、我が家の場合、夫が私に輪をかけて「気が利かない」ものですから、揉め事のタネが絶えません。
たとえば。
ある時、義母が我が家に数日間滞在したことがありました。
夫が仕事に行っている間、私は義母とふたりきりになってしまうのですが、これが苦痛でたまりません。
別に義母がイヤな姑であるわけではありません。
むしろ義母は細かいことに頓着しない、とても明るくて気立てのいい人で、もしも嫁と姑の立場でなければ、私ももっと気さくに楽しくお付き合いできただろうと思うのですが、そこはやはり「立場」というものが邪魔をして、どうにも義母には遠慮や隔意を感じてしまうわけです。
子どもができてからはその遠慮や隔意は一層大きくなったように感じます。
まだ産まれたばかりの娘を抱きながら、
「この子を世界で一番愛しているのは、誰がなんと言おうと私自身である。」
と疑いもしなかった自分。
その時、ああ、私や夫の親も、私たちが産まれたときにはきっと同じように思ってくれていたのだろうと実感して(←私の父の場合、それはちょっとあやふやですけれども)、感謝の念が湧き上がったものでした。
その体験が、私の中の「結婚」というものへの考え方を、やや軌道修正したように思います。
自分以上にこの子を愛しているものはこの世に存在しているはずもないのに、我が子が結婚相手を見つけてくれば、先に寿命が尽きる者のさだめとして、
「どうぞよろしくお願いします」
と言わなければならないのです。
それってなかなか切ないことだと思いませんか?
自分にもいずれそういう日がやってくるであろうことを想像すると、まだ娘は赤ちゃんなのに、じんわりと涙が浮かんでくるような、切なさで胸が焦がれるような、なんとも言えない気分になりました。
おそらくは、義母も私たち夫婦が結婚した時に、そんな感情を抱いたことでしょう。
義母はそんなそぶりを見せずに私を歓迎してくれましたが、子の結婚というものが、親に抱かせるであろう様々な心模様に思い至った私は、それ以来、義母に対してどことなく「負い目」と申し訳なさを感じずにはいられないのです。
(で、それから幾星霜・・・私の娘も高校生になりました。一向に彼氏ができる気配がありません・・・さすがに最近ではお嫁に行き遅れたらどうしようと心配でたまりません。それでも義母に対する引け目は未だに消えないのです。)
こんな風に義母に対して遠慮と申し訳なさをいっぱいに抱えておりますと、言いたいことなんてなーんにも言えないわけです。
義母の言葉に相づちを打つのも気を使います。
たとえば、
「出産したばかりのM(←義母にとってはもうひとりの孫娘)の家に、だんな様のご両親が入り浸っていて、それはとても負担だからやめてあげてほしいわー」
と義母が言ったとして、
「ですよねー。」
と言った瞬間、内心で「あっ!」と失言に気づき、
「お義母さんはこの家にどれだけ入り浸ってもいいんですからね!」
って言い添えた方がいいんだろうか?いや、今さら白々しいだろうか・・・。
と脳内で大量の冷や汗をかく羽目に。
疲れるんですよ・・・端的に言って。
とてつもなく疲れる。
おまけに腹の立つことに、これだけ疲れているというのに、ちっとも痩せない、っていうね・・・人生って不条理!(←どうでもいい)
そしてもうひとつ、腹の立つことが我が家の夫です。
義母との会話で、「ああ言えばいいのだろうか、こう言えば角が立たないのだろうか・・・」、と私がひとり、必死で地雷を避けまくっているというのに、その間、夫はたいてい「ぼー」っとしています。
もともと口数の少ない人ですし、自分から会話を続けようとする努力もしない。
食事中に義母が話していても、新聞を読んだりテレビを見たり。
酷い時には食事が終わったとたんに、ソファーに寝っ転がって本を読み始めたりします。
この時はさすがに「あんまりやわ」と思ったので、たまらず義母の前で夫に苦情を言いました。
「せっかくお義母さんが久しぶりに来てくれはったんやないの。お義母さんはあなたとお話ししたいのんと違う?」
って。
義母は、「ああ、ああ、いいのよ、疲れてるんやろうから。」と言って、夫を庇いました。(←親心とはありがたいものですねえ・・・。)
私は義母がいるにも関わらず、思わず夫に批判がましいことを言ってしまったことを、つくづくと反省しました。
そして心に誓いました。
義母が帰宅したら、夫をギチギチに締め上げてやる!って。ほほ。
おそらくこの世の多くの男性は、何をやっても何を言っても、決して母親から嫌われることはないと知っていて、全身全霊で甘え続けているのでしょう。
立場を変えて、自身のこととして考えればその気持ちも理解はできます。
私にしても、何があっても、娘を愛さなくなることなんてできそうもありませんから。
でも、「妻」は違うんやで?!
とは言いたい。
愛想をつかすことも、キライになることもあるんやからね?!
日々の生活の中で夫に対し、不平や不満があったとしても、もうこの年になれば、やってほしいことも変わってほしいこともどんどんなくなっていきます。
しかしながら、義母や親戚とのつきあいに関してだけは、私の努力でなんとかできることは限られているのですから、もう少しなんというか、「気を利かせてほしいなあ」と思わずにはいられません。
もちろん、
「ママはちょっと気を使いすぎかもよ。あのおばあちゃんを見てたら、なんにも考えてない気がするけどな。」
って娘が言うように、私の方があれこれ気を揉みすぎているのかもしれません。
なにしろ実の娘の結婚式で「人生いろいろ」を歌った人ですから・・・
夫や娘のように、私も少しはぼーっと生きてみたい・・・
いや、やっぱりそれは無理かな。(←チコちゃんに叱られるしね・・・)
夫を挟んでの嫁と姑の関係って、どこまで行ってもむずかしいですねえ。とほほ。