経理の敵。
みなさま、こんばんは。
もう時効かな、と思うので、今日は昔お勤めしていた会社での思い出話などをひとつ。
大学を卒業してすぐ入社した会社で私は財務部に配属されました。
いわゆる「経理」のお仕事です。
大学の専攻とは全く畑違い、経理の知識など皆無でしたから、入社当時はずいぶん戸惑ったことを覚えています。
なにしろ、簿記の知識もまったくなくて、おまけに典型的なめんどくさがり屋で、細かいことは大キライ、内心、「向いてないなあ」とよく思いました。
些末なことが大事な部署なのに、どうにも気持ちが入らなくて、ひとつ年上の先輩に、
「全身の血をA型に入れ替えろ!」
と言われたこともあります。(←O型なのでね・・・)
(誤解されやすいのですが、経理にいたといっても、小切手一枚、手形の一枚も切ったことはありません。
そういうことは財務部内でも別の課である出納課の仕事でしたので、在職中、振込用紙の一枚ですら、触ったこともありません。)
でもまあ、何年か経理課に座っていると、最初はさっぱりわからなかった「複式の簿記」というものに感覚がなじむようになるものでして(←向き不向きがあるのでしょうか、どうしても「複式簿記」が身につかない人もいます)、そうなると、誰でもそれなりに経理っぽくなります。
けれども経理の仕事というのは独特で、他の部署の人からはなかなか「わかってもらえない」ことが多々ありました。徹底して避けられることも。
今日はそんな思い出の中から、私が個人的に「経理の敵」認定した人やモノについてお話したいと思います。
1.「少額だからどうでもいいやん?」っていう人。
たとえば。
「この伝票、間違ってますよ、切り直してください。」
と別の課の担当者にお願いした時なんかに、
「えー、500円分?いいやん、それくらい。俺の財布から出しとこか?」
とか言う人がいます。わりといます。
そんな時、経理としては、
「まあまあ、そう言わずに、そこをなんとか。」
などと言いつつも、かなりの高確率で、心中、
「わかった。今度5千万円合わへんかったら、あんたのとこに来るわ。あんたの財布から5千万円出してな。」
と、むっとしてします。
要するに、経理にとって問題なのは500円か5千万円か、その金額の多寡ではないのです。
ただひたすら、
「合っているのか、いないのか」
が重要、なのです。
仮に、「1億1千万円合わない」、なんてことがあったとしましょう。
でも金額が大きければ、いっそ「めど」がつきやすかったりするのです。
「1億1千万・・・ああ、A支店の6千万と5千万の伝票が入ってないのかも。支払いが遅い取引先があるからな・・・」
なんて風に。
むしろ「3円合わない」「8円合わない」ことの方が、経理にとっては心底恐ろしい。
これは単純な計算ミスなのか。
それとも消費税計算の間違いを誘発するような、イレギュラーな伝票があるのか。
あるいはそもそも「3円」や「8円」という伝票が存在するのか。
考えられる可能性は山ほどあって、いくら会計システムが電算化されていようとも、その原因を探るのはかなりの手間暇がかかってしまうものなのです。
もしもあなたが経理の担当者に向かって、
「いいやん、500円くらい。誤差誤差!」
な~んて言いたくなったら。
きっと「むむ。」と思われてしまいますから、その言葉はぐっと飲みこみましょう。
会社の中で余計な摩擦を引き起こして得なことなんて何ひとつありません。
伝票を切り直せと言われたら、さっさと切り直してあげてくださいね。
意味もなくそんなことを依頼する経理は、ひとりもいません。
2.海外伝票
これは腹立つ。
もうね、「腹立つ」としか言いようがありません。
とにかくもう、大っキライでした。
海外の人って、なんであんなに、
字が汚いの???
そもそも数字が読めないって致命的。
キレイとか汚いとかの次元ではなくって、数字の大きさすら不ぞろい。
「領収書の字くらいキレイに書いてよー!」って何度絶叫しそうになったかわかりません。
ベトナムやカンボジアなどの領収書はそもそも字も読めないし・・・
回ってくるたびに「きぃっ!」ってなってましたが、思えばそんな伝票をそのまま回してくる海外業務部が「敵」だったのかもしれません。
3.秘書課
苦手だったなあ、秘書課・・・。
なんだろう、いつも役員とべったり一緒にいるせいでしょうか、なんだか偉そうな人が多いんですよね。
まさに「虎の威を借りる狐」って感じ。(←偏見です)
「間違ってます、切り直してください。」
って伝票を持って行ったり、取引の中身を聞きに行ったりすると、必ず言われたものでした。
「これ、社長の伝票なんですけど?」
って。
でも、経理としては、
「だから何?」
という感想しかないのです。
社長だろうが会長だろうが、会計諸法規を遵守しなければならないのは同じこと。
どうして社長の伝票だったら例外になると思えるんだろう。
いつも心から不思議だったものです。
もっと言えば、社長を始め、役員に係る支出の方が国税局の目につきやすく、細かくつつきまわされるものですから、最もクリーンに、疑いなくしておきたいのが経理の本音です。
全国の秘書課のみなさん。
経理が何か言ってくるのは、別に支出の中身に文句があるわけではありません。ケチをつけているわけでもありません。ただ単純に取引内容をクリアにしておきたいだけです。伝票くらい素直に切り直してあげてくださ~い。
4.監査法人
監査法人・・・この人たちが来ると、日常業務がかなり滞りました。
もちろん、監査を受けなければならないのは法律で決まっているので仕方ないんですが、とにかく面倒で面倒で。
ただでさえ忙しい決算期。
有価証券報告書を作成しつつ、その数字のひとつひとつが正しいかどうかをひたすら証明していかなくてはなりません。
たとえば私の勤めていた会社では、原価の台帳だけでもロッカー数台分を丸々塞いでしまうほどの量があったのですが、もちろんその原価台帳に記載された数字のひとつひとつには領収書やら請求書が存在していますよね?(←保管期限は7年)
監査法人から派遣されてやってくる会計士のみなさんは、抜き打ちでそれらの書類を出せ、とまで言ってきます。
本社で支出した経費分なら、本社内に保管していますから、すぐに出せたとしても(←実際に出すのは大変ですが。何しろすごい量だから)、それが支店や営業所に保管してある書類だと、わざわざそこに問い合わさなくてはなりません。
会社中の倉庫をひっくり返す勢いで、あれもこれも何もかもを丸裸にするような監査。
物腰は「お願いします~」と柔らかなのですが、「あれ持ってきてー、この書類出してー」って言われるたびに仕事の手を止められて、一日中、イライラしたものでした。
(脱線しますが、最近、有価証券報告書の虚偽記載がニュースを賑わせているようですが、正直に言って、監査法人がそれを知らなかった、わからなかった、というのは納得できません。
知っていたのなら会社と共犯だし、わからなかったというのなら、監査法人としてはあまりにも無能です。
ただ、現行の会計監査には、今回のような問題が噴出しやすい背景があるようにも思えます。
なぜなら、監査法人にその仕事の対価を支払うのは、監査を受ける会社だからです。
つまり、監査を受ける会社は、監査法人にとって、「お得意様」なのです。
監査法人に支払われる対価は、私が勤務していた会社でも年間数千万円。
今、ニュースで騒がれている会社なら、もっと巨額になるはずです。
それほど巨額なお金を払ってくれる取引先に対して、監査法人側が強気な態度で臨めるとは思えません。
つまり、監査を受ける側の方が強い立場であって、グレーゾーンの取引に関しては、いくらでも監査法人側を丸め込める余地があり、株主の利益が二の次になってしまうリスクがあるような気がします。
監査に係る費用は、証券取引所など別の組織にプールして、そこから監査法人に支払われるようにし、監査を受ける会社と監査法人との間の力関係をもっとフラットなものにするよう、工夫が必要なのではないかと思います。知らんけど。)
5.国税局
監査法人による監査ほどの頻度はありませんが、国税局による査察ももちろんありました。
これがねえ・・・すごーい威圧感で、ほんとにコワかったです。
前述したように、監査法人は結局のところ、こちらが「お得意さま」。
なので、まあ、ちょっとくらいまずいことがあったとしても、いくらでもフォローのしようがあるわけですが、相手が国税局となるとそうはいきません。
なにしろ、最初から
「追加でがっぽり税金を巻き上げてやる!」
という意気込みでやってくるのですから、経理としては戦々恐々、これほど恐ろしい相手はありません。
私の上司は常日頃、
「節税はしなくてはならない、でも脱税はダメ。絶対。」
が口癖の人でしたから、それほど恐れることはなかったのですが、「むしり取れる税金がない」となると、それはそれでどんどんご機嫌が悪くなっていくのが国税局というものでして。
そりゃそうだろうな、とは思うのです。
だって、追加で税金を取ることが、彼らの仕事上の評価につながるんですものね。
なので、調査に血眼になるのもよくわかります。
でも、思ったような結果が出ないと室内で怒鳴り散らしたりするのはどうなのかしら。
ほんっと、お役人ってイヤだなあ、としみじみ思ったものでした。
毎日機嫌よく働いていたように記憶しているのですが、こうして思い出してみると、意外にもたくさんの「敵」がいたんだなあ、とちょっとびっくり。
おそらくどの会社でも経理は、
「細かい」
「うるさい」
「めんどくさいやつら」
って思われているんだろうなと思います。
でも、しょうがないんですよ、ほんとにしょうがないんです。
経理にあれこれ指図されて、「むっ」とすることがあったとしたら、どうか
「言ってる方もイヤなのかもしれないな」
って思ってみてください。
とりあえず、私は二度と経理のお仕事だけはごめんです。ほほ。
メメント・モリ 死を思う絵本。
今週のお題「読書の秋」
みなさま、こんばんは。
ネタが無くて困りまくって、「今週のお題」に乗っかります。
実は以前、ブロ友さんから「未就学児の子どもが「死」をコワがるので、いい絵本はないだろうか」と聞かれたことがあります。
難しいですよね。「死」を考える絵本。子どもに向けて説明するとなれば、ますます難しい。
だって、「死んだことがある」人間なんて、この世に存在しませんもの。
それから絵本を読むたびに、紹介したものよりも、もっと最適な絵本はないだろうかと考え続けています。
今さら「こんな本はどうだろう」なんて連絡するのも気が引けるので(←子どもさんの関心も、他に移ってるかもしれないし)、こちらで紹介させてください。
最近更新がないようですが、ブロ友さんの目にも留まりますように。
1.「ぼくはねこのバーニーがだいすきだった」ジュディス・ボースト著 偕成社
かわいがっていた猫を亡くした男の子。
彼はどうしても飼い猫の死を受け入れることができません。
そんな男の子にお父さんは・・・
「死」をテーマにした絵本には犬や猫が多く登場します。
小さな子どもたちにとって、飼い犬や飼い猫の死は、身近な、そして人生最初の「死」として、共感を得やすいものだからでしょう。
ハンス・ウィルヘルムの「ずーっとずっとだいすきだよ」とか
マーガレット・ワイルドの「さよならをいえるまで」
など、このタイプの絵本には名作が多く存在します。
でもその中で1冊だけ、と言われたら、私はこの「ぼくはねこのバーニーがだいすきだった」を推したい。
にわかには「天国」を信じられなくて、飼い猫の喪失に耐えがたい苦痛を感じる男の子。
お父さんは猫の行先については「わからない」と言いつつも、猫を埋めた土に花の種を蒔くのです。
わからないことを、適当な言葉で濁したり、宗教的な常套句でごまかしたりせずに、男の子の悲しみにまっすぐ向き合うお父さんの姿がとても印象的です。
死んでしまった猫が新しい命を育む手伝いをすることに気づいた男の子は、物語の終わりに言います。
「小さな猫のわりに、たいしたことなんだよ。」
深い痛みをもたらす喪失が、新しい生命を育むこと。
ただ喪われるだけではない、目をこらし、耳をすませば新しい命を見い出せるかもしれないこと。
それが何よりのなぐさめになること。
小さい人の悲しみにきちんと寄り添う絵本です。
ある日、かないくんが学校を休んだ。
かないくんは親友じゃない。普通のともだち。
日常に訪れた、初めての「死」。
幼い子どもたちには少し難解かもしれません。
大人にとっても。
昨日から続く、「今日」という日。
でも、その連続性はひとつの「死」を通すことによって、あっけなく崩れ去ってしまいます。
同級生がいなくなっても続く日常の生活。
でもそれが昨日までと全く同じ日であるはずはないではありませんか。
作者、谷川俊太郎は詩人の心でその途切れた連続性を感じとったに違いありません。
誰かの死で終わる世界、そして悼む世界の始まり。
途切れたかに見えた連続性は、でもきっとつながっていて、だから私たちに記憶という力がある限り、「死」は終わりではないのでしょう。
余白の白さが雄弁な、「とてつもない」絵本です。
3.「およぐひと」長谷川集平著 解放出版社
特段の説明があるわけではありませんが、明らかに東日本大震災を題材にした絵本です。
スーツ姿のまま泳ぎ続ける人。
自宅に帰らなければ、と泳ぎ続けて消えました。
赤ちゃんを抱いて電車に乗る若いお母さん。
どこか遠くへ、ここではないどこかへ逃げなければと言いながら、消えました。
「あそこでなにがあったのか」
と聞かれて、主人公は答えることができません。
「まだ、ことばにできそうにない」
そう応える主人公の言葉にこそ、真実があるように思えました。
私たち人間の心は、あのような惨禍を、あれほどの死を、饒舌に語るようにはできていないのでしょう。
ページを行きつ戻りつするうちに、苦しくなってしまう本です。
震災関連の絵本の中では、一番心を動かされました。
感動して、というよりも、動揺したのです。
手元に置いておくのはひどくつらい。
でも、一度は読んでおきたい1冊です。
この絵本は、まず始まりのフレーズがインパクト大。
「ぼく、チャーちゃん。はっきり言って、いま死んでます。」
で、思わず前のめり。
「動」からもっともかけはなれているはずの「死」が、猫のチャーちゃんの世界では大逆転、こんなにも軽やかで躍動感のある「死」は見たことがありません。
飛んで跳ねて駆けて踊って、でも空腹も「生死」の違いもわからない世界。
「死んでも生きてもぼくはぼく」
そう語るチャーちゃんのあっけらかんとした様子に、「猫だなー」としみじみします。
昔一緒に暮らしたニャンコも、今はチャーちゃんと一緒に軽やかに踊っているでしょうか。そうだったらいいのに、と願わずにはいられない絵本です。
「はっきり言って、いま死んでます。てか踊ってます。」
「死」を描く場合、残された者の悲しみにスポットが当たりがちな絵本の世界において、めずらしく「あちら側」の世界を描き出した1冊。
それがこんなにも明るくあっけらかんとした世界であることが、旅立った猫からの、何よりのなぐさめとやさしい贈り物だという気がします。
5.「死」谷川俊太郎著 大月書店
おじいちゃんが死んだ。でも、いなくなった気がしない。「死」ってなんだろう、死ぬと、どうなっちゃうの?
谷川俊太郎再び。
おじいちゃんを亡くした女の子の目を通して「死」を考えます。
両親との会話で垣間見える少女の、死に関する疑問点の鋭さには、はっとさせられる一面があります。
「「天国に行ったのよ」とお母さんは言う、なんかうそくさい。」
「ロケットで空をどこまでも上っていっても、星がいっぱいあるだけだと思う。」
そうだよねえ・・・共感。
でも。
目に見えない、手で触れないものであっても、「ない」とは限らない。
重力だって電波だって、目に見えないけれど、それが「ある」って私たちは知っている。
「カラダは物質だけど、タマシイはエネルギーなんだ」
答のない問題に、それでもなんらかの解を求めてしまう、生きている人間の健やかな疑問。
この絵本のラストには希望があります。
涙でにじむ目で見上げても、そこに星の瞬きを感じるように、私たちは悲しみの中にあっても、また踏み出せる、そう感じさせる力強さがあります。
わからないことを、「わからない」というひとことで終わらせることなく、考え続けていくことが、人間の人間である所以なのだろうと思わせる絵本です。
ところで。
どれほどたくさんの「死」についての本を読んだとしても、それでなにがしかの「覚悟」のようなものができるとは、私には到底思えません。
想像力を持って生まれて来ながら、普段は自らの「死」について、棚上げしつつ生きることができる私たち。
「死」を遠く離れたところに置いて日常を生きることができるのは、ある意味幸せなことなのでしょう。
私にしても、いざ眼前に自らの死が迫れば、きっとジタバタすることでしょう。
後悔と未練、後ろ髪を引かれる思いに翻弄されて、とても穏やかにかつ毅然と運命を受け入れられるとは思えません。
具体的で、鮮明な「死」が、もしも身近に迫ったとしたら、「死」についての絵本なんて、とても読めそうにはありません。きっと「死」を連想させるすべての言葉を避け続けるだろうと思います。
けれども、「死」について書かれたいろんな物語は、きっと私の中に、なにがしかのなぐさめや勇気、心のよりどころを提供してくれるのではないか、という気はします。
だから「死を思う」のは、元気なうちがいいのでしょう。
おまけ。
もちろん、他にもたくさんの絵本があります。
「わすれられないおくりもの」(スーザン・バーレイ著 評論社)
亡くなった人は誰かの心の中にちゃんと生きている。受け継がれる記憶と思い出が宝物であることを感じます。
「いつでも会える」(菊田まり子著 学研プラス)
大好きな飼い主・みきちゃんを亡くした犬のシロのお話。泣きます。
「あの夏」(ガブリエル・バンサン著 BL出版)
大切な人が逝ってしまうことを予感させる夏。そのことに向き合うことの難しさと切なさを描く。
残される側の悲しさ、寂寥感と焦り。自分の身に引き寄せて考えると、胸がキリキリと痛みます。
「悲しい本」(マイケル・ローゼン著 あかね書房)
失ってはいけないものを失った男の悲しみ。人にとってこれ以上の悲しみはないと断言できます。つらすぎて、私は二度と読みません。
2017年に亡くなった日野原重明先生が102歳で書き下ろした絵本。
おばあちゃんを看取る孫娘の心情が綴られます。
大切に愛された記憶こそが最上の遺産であることをしみじみと感じます。
「ぶたばあちゃん」(マーガレット・ワイルド著 あすなろ書房)
死を予感して支度を始めるおばあちゃんとそれに寄り添う孫娘のかなしみ。
何回読んでも号泣必至。
どの本もオススメです。
本屋さんで見かけられましたら、ぜひ一度読んでみてください。
気が利かない夫にイラっとする日。
みなさま、こんばんは。
「気が利く」「気働き」「気配り」
なんて言葉をよく聞きます。
人間関係を円滑にするために、これらの概念はとても大切なことだろうと思うのですが、日常生活で常に意識し続けるのってなかなか大変ですよね。
私も常から粗忽者で通っていますから、自分に上記のような長所が備わっていないことは重々承知しています。
ただ、我が家の場合、夫が私に輪をかけて「気が利かない」ものですから、揉め事のタネが絶えません。
たとえば。
ある時、義母が我が家に数日間滞在したことがありました。
夫が仕事に行っている間、私は義母とふたりきりになってしまうのですが、これが苦痛でたまりません。
別に義母がイヤな姑であるわけではありません。
むしろ義母は細かいことに頓着しない、とても明るくて気立てのいい人で、もしも嫁と姑の立場でなければ、私ももっと気さくに楽しくお付き合いできただろうと思うのですが、そこはやはり「立場」というものが邪魔をして、どうにも義母には遠慮や隔意を感じてしまうわけです。
子どもができてからはその遠慮や隔意は一層大きくなったように感じます。
まだ産まれたばかりの娘を抱きながら、
「この子を世界で一番愛しているのは、誰がなんと言おうと私自身である。」
と疑いもしなかった自分。
その時、ああ、私や夫の親も、私たちが産まれたときにはきっと同じように思ってくれていたのだろうと実感して(←私の父の場合、それはちょっとあやふやですけれども)、感謝の念が湧き上がったものでした。
その体験が、私の中の「結婚」というものへの考え方を、やや軌道修正したように思います。
自分以上にこの子を愛しているものはこの世に存在しているはずもないのに、我が子が結婚相手を見つけてくれば、先に寿命が尽きる者のさだめとして、
「どうぞよろしくお願いします」
と言わなければならないのです。
それってなかなか切ないことだと思いませんか?
自分にもいずれそういう日がやってくるであろうことを想像すると、まだ娘は赤ちゃんなのに、じんわりと涙が浮かんでくるような、切なさで胸が焦がれるような、なんとも言えない気分になりました。
おそらくは、義母も私たち夫婦が結婚した時に、そんな感情を抱いたことでしょう。
義母はそんなそぶりを見せずに私を歓迎してくれましたが、子の結婚というものが、親に抱かせるであろう様々な心模様に思い至った私は、それ以来、義母に対してどことなく「負い目」と申し訳なさを感じずにはいられないのです。
(で、それから幾星霜・・・私の娘も高校生になりました。一向に彼氏ができる気配がありません・・・さすがに最近ではお嫁に行き遅れたらどうしようと心配でたまりません。それでも義母に対する引け目は未だに消えないのです。)
こんな風に義母に対して遠慮と申し訳なさをいっぱいに抱えておりますと、言いたいことなんてなーんにも言えないわけです。
義母の言葉に相づちを打つのも気を使います。
たとえば、
「出産したばかりのM(←義母にとってはもうひとりの孫娘)の家に、だんな様のご両親が入り浸っていて、それはとても負担だからやめてあげてほしいわー」
と義母が言ったとして、
「ですよねー。」
と言った瞬間、内心で「あっ!」と失言に気づき、
「お義母さんはこの家にどれだけ入り浸ってもいいんですからね!」
って言い添えた方がいいんだろうか?いや、今さら白々しいだろうか・・・。
と脳内で大量の冷や汗をかく羽目に。
疲れるんですよ・・・端的に言って。
とてつもなく疲れる。
おまけに腹の立つことに、これだけ疲れているというのに、ちっとも痩せない、っていうね・・・人生って不条理!(←どうでもいい)
そしてもうひとつ、腹の立つことが我が家の夫です。
義母との会話で、「ああ言えばいいのだろうか、こう言えば角が立たないのだろうか・・・」、と私がひとり、必死で地雷を避けまくっているというのに、その間、夫はたいてい「ぼー」っとしています。
もともと口数の少ない人ですし、自分から会話を続けようとする努力もしない。
食事中に義母が話していても、新聞を読んだりテレビを見たり。
酷い時には食事が終わったとたんに、ソファーに寝っ転がって本を読み始めたりします。
この時はさすがに「あんまりやわ」と思ったので、たまらず義母の前で夫に苦情を言いました。
「せっかくお義母さんが久しぶりに来てくれはったんやないの。お義母さんはあなたとお話ししたいのんと違う?」
って。
義母は、「ああ、ああ、いいのよ、疲れてるんやろうから。」と言って、夫を庇いました。(←親心とはありがたいものですねえ・・・。)
私は義母がいるにも関わらず、思わず夫に批判がましいことを言ってしまったことを、つくづくと反省しました。
そして心に誓いました。
義母が帰宅したら、夫をギチギチに締め上げてやる!って。ほほ。
おそらくこの世の多くの男性は、何をやっても何を言っても、決して母親から嫌われることはないと知っていて、全身全霊で甘え続けているのでしょう。
立場を変えて、自身のこととして考えればその気持ちも理解はできます。
私にしても、何があっても、娘を愛さなくなることなんてできそうもありませんから。
でも、「妻」は違うんやで?!
とは言いたい。
愛想をつかすことも、キライになることもあるんやからね?!
日々の生活の中で夫に対し、不平や不満があったとしても、もうこの年になれば、やってほしいことも変わってほしいこともどんどんなくなっていきます。
しかしながら、義母や親戚とのつきあいに関してだけは、私の努力でなんとかできることは限られているのですから、もう少しなんというか、「気を利かせてほしいなあ」と思わずにはいられません。
もちろん、
「ママはちょっと気を使いすぎかもよ。あのおばあちゃんを見てたら、なんにも考えてない気がするけどな。」
って娘が言うように、私の方があれこれ気を揉みすぎているのかもしれません。
なにしろ実の娘の結婚式で「人生いろいろ」を歌った人ですから・・・
夫や娘のように、私も少しはぼーっと生きてみたい・・・
いや、やっぱりそれは無理かな。(←チコちゃんに叱られるしね・・・)
夫を挟んでの嫁と姑の関係って、どこまで行ってもむずかしいですねえ。とほほ。
今でもいるのかな「聞いてへんおじさん」~年をとってよかったって思うこと。
みなさま、こんばんは。
最近、自分が「老けたなー」と思うことが多くなりました。
白髪は染めなきゃいけないし、薬やお化粧品の効能書きを読むときに、見えにくいな、と感じたり。
娘が自分の指のさかむけ(ささくれ)をよく見えるようにと「ほら~!」とこちらに差し出した指が、
「近い・・・」
と思ってのけぞったり。
「近くで見る方がよく見えるやん?」
と不思議そうに言う娘に、「ママもそう思っていた時代がありましたっ」ってキレ気味に答える時などは、「ああ、若いとはなんと純粋で残酷なことか」としみじみ思います。
雑誌や本なども、「この世の価値は若さだけ」とでも言いたげな論調のものばかり。
「若さ」どころか「幼さ」までも、やたらともてはやされている気がするのですが、どうなのでしょう。昔は「幼さ」とはいずれ卒業しなくてはならない、いささか恥ずかしい状態を指す言葉だったと思うのですが。
世の中の急変についていけないと感じるのも、私が老いの入り口に立っている証拠なのでしょう。
でも、それでもたまーに、「年をとってよかったな」って思うこともあります。
それはお仕事をしている時。
大学を卒業してすぐに働きだした会社は、今でいう「ブラック企業」とは正反対。
民間の企業でしたが、ずいぶんとおっとり、のんびりした雰囲気の会社で、私は概ね楽しく働いていました。
ひどいセクハラなんかもなかったです。私の観測範囲内の話ではありますが。
恵まれた環境だったと今でも思います。
ただ、それでもやっぱり働いていれば「うんざりすること」はついて回るもので、その最たるものが、
「俺は聞いてへんおじさん」
これがねえ、ほんとに苦手というか、私にとっては天敵のような存在でした。
私も若かったですし、失敗も不愉快な出来事も、今ではなんということもない思い出のひとつとなりましたが、この「俺は聞いてへん」とやたらに連発するおじさん達のことだけは、どういうことだろう、どうすればよかったんだろう、と今でも首を傾げずにはいられません。
たとえば。
私は当時、財務部に所属していたのですが。
税法が変わったり、社内の財務システムが変更になると、財務部だけでなく、他のあらゆる部署のシステムや手続きもそれに合わせて変更しなければなりませんでした。
だって、ありとあらゆる商取引は結局のところ、財務諸表に影響するわけですから。(たとえ、現金・手形などの授受がなかったとしてもです。)
で、変更があるたびに、その直後は本社の各部署を、
「変更点については問題がないでしょうか、大丈夫ですか?」
とうかがいながら、齟齬やミスがないように周回するわけですが、必ず出くわすんですよ、
「俺は聞いてへん」
って言いだすおじさんたちと。
何がつらいって、この「俺は聞いてへん」って言い張るおじさんたちと向き合う時間ほどイヤなものはありませんでした。
内心では、
「いやいやいや、稟議決裁も済んでるんやけど」
「稟議書、回覧されてたやん?社長印もあったよね、あんた見てへんのん?」
「てかこの前の部課長会議でも、うちの課長から説明あったはずやで。」
「うちの部長もよろしく、って言うたと思うわ~。知らんけど。」
「法律で決まったことやし、しゃあないやん。イヤやったら、国会議員にでもなって税法の方を変更してきぃや。」
って思うわけですけど、言えるはずがないですよねえ。
私もいくらうんざりしているからと言って、そこまで大人げないマネはできません。
なので、一から懇切丁寧に説明するわけですけれど、おじさんの口からは
「俺は聞いてへん」
の一点張り。
なんなら「ぷいっ」って顔を背けられたりしました。
かわいくないんですよね。おじさんの「ぷいっ」って。(←そういう問題ではない)
「だから今、私が説明してるやんっ!」
ってキレたいところをぐっと我慢して、さらにもう一度説得を試みる私。
仕方なく代わりに伝票や帳票を打ち出して、あとはハンコを押すだけですよ!(←過保護な親並みの対応)とまでやってみても、「俺は聞いてへん」「ぷいっ」の無限ループ。
あまりにも不毛な、埒が明かない状況に、私の精神的疲労と徒労感だけが限界値に近づく思いでした。
大体、税法や社内の財務システムが変更になった時は、どこよりも財務部が一番忙しくなるわけです。それなのに、そんなところで引っかかって、無駄な時間がどんどん過ぎていくばかり・・・。
結局、他の業務の都合で部に呼び戻されて、どよよーんと落ち込みながら仕事をしていると、部長がそのおじさんに電話をかけてくれました。
「この前の会議で説明したやろ。
変更は決定事項。
うちの担当者を困らすな。」
そうしたら、問題は一気に解決、もう一度おじさんのところに戻って見ると、超ご機嫌でハンコを押してくれました。
なんなん、もう。なんなん?
当時も今も、私は「俺は聞いてへん」おじさんを「説得できなかった」ことを恥ずかしく、情けないことだったと感じています。徹頭徹尾、私の力不足で、私がいたらなかったからだと。
でも、同じく「聞いてへんおじさん」の方も恥ずかしくないですか?
人間、誰でもミスや失敗はあるもので、だから稟議書に目を通し忘れることもあるでしょう。退屈な部課長会議でつい寝ちゃうこともあるかもしれない(←ありえないと思うけど、まああるかもしれないと思うことにする)。
でも。でもね、今目の前で必死で説明されていることに気のない態度で接しておきながら、部長から電話があったからと言って、ころっと態度を変えるなんて、たまらなく恥ずかしくみっともないことだと思いませんか?
「そこまで「聞いてへん」って言い張るのなら、もっと気合い入れて、誰に対しても「聞いてへん」って突っぱねてみなさいよっ!」
と言ってみたかったなー。結局言えなかったけど。
思い出せば、問題の根っこのようなことは、他にもちょこちょこありました。
ひとつ年上の先輩社員に何かを説明しなくてはならない場合、それが男性だとひどく難易度が上がるとか。
たとえ普段は良好な関係を維持できていたとしても、です。
説明の間、いかにも退屈そうな態度だったり、あからさまにあくびをされたり。
結局のところ、「自分より年少の、しかも女性から、なにかを説明されたり、女性から教えを乞わなければならないこと」を、ひどく嫌がる男性が世の中には存在している、ということなのでしょう。
で。
今のお仕事を引き受ける時。
前職とはまったく畑違いのお仕事で、しかも嘱託扱いですから、正社員のころのようなしんどさはないだろうけど、それでも今さらまたあんな「俺は聞いてへんおじさん」と対峙するのはうんざりやわ~、と思っていたのですが・・・。
いないんですよね、そんなおじさんたちが。
いや、どこかには残っているのかもしれないけど、私の周りにはいない。
それどころか、仕事中に
「マミーさん、実は僕、このあたりの知識があんまりなくって。
ここからここまでのこと、お願いしてもいいですか?」
ってはっきり依頼してくる男性もいるくらいで、内心驚愕しています。
女性に向かって「自分の知識がない」とか「知らない」とか言える男性がいようとは。
「もちろんもちろん、いいですよ!出来上がったら、席までお持ちしますね!」
って私が返すと素直に「ありがとうございます。」って返ってきて、その態度にも感動します。
最近の若い人って、柔軟でしなやかなんだなあとすっかり感心していましたが、よくよく考えると、それって「私が年をとったからなんだ!」という気がしてきました。
相手が年長者であれば、それが女性であっても素直に「知らない」って言えるのかー。
できないから「お願い」って頼めるのかー。
ミスや失敗があれば「すみません」って謝れるのかー。
それらのひとつひとつがいちいち新鮮な驚きです。
「おれは聞いてへん」
そう繰り返していたおじさんたちにも、きっとそれなりに大事に抱えている「面子」のようなものがあったのでしょう。
でももしも、若い人たちにそんな面子のフォローまでもさせようとしているのだとしたら、
それも業務のうちのひとつなのだと考えているのだとしたら、
私は若い人たちのお給料をもっと上げてあげればいいのに、と強く思わずにはいられません。
それくらい、うっとうしかったですよ、「俺は聞いてへんおじさん」って。
たとえそういうおじさんたちが、今もどこかに存在していたとしても、この年になると、もう絡まれることもないのでしょう。
そう思うと、自分が年をとったことも、そんなに悪くはないかもしれない、いや、ちょっとうれしいことかも!と思えてくるのです。
ちなみに。
さきほど、娘に、
「こんな風に思えるから、年をとるのも悪いことばかりじゃないって記事を書こうと思うんだよね。」
って言いましたら、娘がぽつり、と言いました。
「負け惜しみかな?」
む?
ああ、もう、
む~か~つ~く~!!
こんなん出ましたけど。(古っ!)
先日。
ボランティア先の小学校で、メンバーと一緒に図書室内のお掃除をしました。
室内には、ずっと気になりながらも手を付けていなかった棚がありまして。
みんなで今日こそは!と整理に挑戦してみたのです。
由来のわからない雑誌や古い辞書、小冊子をよけて棚の奥の方まで発掘を続ける私たち。すると・・・一番奥に現れたのがこんな光景。
古い・・・見るからに。
「こわいこわいこわい」とくり返すメンバーもいて、
「古い本って怖いものなのかな?」
ってちょっと意外に感じました。(←私は割と平気。)
そういえば、亡くなった父はお風呂やトイレなどの汚れは絶対に許さないのに、犬や猫の毛はどれほどお洋服についてもへっちゃらな人だったようで、
「好きなものは気にならへんもんなんよ。」
という母の言葉から察するに、私の場合、本の汚れはたいして気にならないということなのでしょう。
なんなら本の上にたまったホコリは、「ふう~っ!」って吹き飛ばして、それでOK!だったりします。
他のところのホコリは拭わずにはいられないのですが。
人間なんていい加減なものです。(←私だけか・・・)
脱線しました。棚の奥の本の話でした。
1冊、引っ張り出してみます。
あかね書房「少年少女日本文学選集8巻 国木田独歩名作集」(ホコリは取り除きました。)
渋い。渋すぎる。
国木田独歩て・・・。
メンバーの中でも若いママさんたちからは、
「誰?」
の声多数。
だよねえ。
私も文学史の教科書でちらっとお見かけしたかなー、程度ですわ~。
奥付を見てみましょう。
「1959年」発行!
来年還暦じゃないですか・・・「先輩!」って感じですね。
定価は280円!
これって現在の貨幣価値だとどれくらいの値段になるのかな。
中身。
字、ちっちゃ!
「少年少女向け」なのに、容赦ない!
だけど紙質はとても上質な感じがします。
1970年~80年代には、もっと劣化しやすい紙の本が大量に出回っていたような。
これだけ古いのにほとんど変色していないのはすばらしい。
監修はなんとあの志賀直哉!
「先輩どころやあらへんね。「先生!」って言わなあかんわー。」
とみんなで大盛り上がり。
「昔の小学生はすごいなー。」
「こんな小さい字の本を読んでてんねえ。」
「今の子には無理かもしれへんね。」
私も、今の小学生がこんな本を読むのは無理だろうな、と思いました。
いや、日本全国探し回れば、難なく読める子どものひとりやふたり、あるいは存在しているかもしれませんが、少なくとも私たちがボランティアをしている小学校にはそんな子はいない・・・賭けてもいいけど絶対いない、という感じがしました。
今、あれこれと話題になっている「萌え絵」の表紙をつけたとしても、おそらくは無理でしょう。
そもそも今とは社会の在り様が違います。言葉も違います。
「書生さん」ってどういう人?「五間」ってだいたい何メートル?
・・・1頁ごとに山のように注釈が必要でしょうし、
「神機妙道ただその人に存す、愚者解すべからざるなりか、ハゝゝゝゝッ。」
・・・なにがおかしいねん。
とポカンとされるのがオチだと思います。
つくづく昔の子どもってすごいなあ、今の子よりたくさん本を読んでたんだろうなあと思って貸し出しカードを見てみたら・・・
だ~れも借りてへんやん!
なんだかちょっとほっとした私たちは、さてこの名作全集をどうしよう、と本来の目的を思い出し、
「見つけへんかったことにしよう。」(←めんどくさいから)
と国木田独歩全集をもとの場所に戻して、手前に辞書を積み重ねておきました。(←あかん)
こうして、小学校の魔窟は解消されるどころか、私たちの感慨を上乗せして封印されました。
次にこの本を見つけるのは誰だろう。
誰かが読んでくれるといいなあ。(←いや、捨てようよ。)
「読み聞かせ」の醍醐味を教えてくれた絵本。
みなさま、こんばんは。
先日、ボランティア先で読み聞かせをしていて、とってもうれしいことがあったのです。
その日読んだ本はこちら。
「みつけてん」
私の大好きな絵本、
「どこいったん」「ちがうねん」に続くシリーズ第3弾、完結編です。
この3冊ねえ、ほんっとに好き。
何がいいって、まず全編が大阪弁ってところ。
白々しいところやわざとらしい感じが全くなくて、素のままの、日常会話そのままの大阪弁でとっても好感が持てます。ま、「おおきに」なんて今は使わないんですけど、それでもこの絵本の中の「おおきに」はとても自然です。
それから、「語りすぎない」ところ。
あれこれ過剰な説明がないので、物語の終わりには地平線まで届きそうなほどの余韻を味わえます。
読み終わったときの、子どもたちの呆けたような「きょとん」とした顔のかわいいことと言ったら!
そんな子どもたちの顔を見るのが楽しみで、私はどのクラスでもこの絵本シリーズを読むようにしています。
1年生の教室で「どこいったん」を、その子どもたちが2年生になったら「ちがうねん」を、といった感じで。
第三弾、「みつけてん」も、やっとボランティアの予算で購入することができたので、最近の読み聞かせでは必ずこの絵本を読むようにしています。
で、先日。
4年生のクラスでこの絵本を読んだのですが、読み終わった瞬間、ひとりの男の子が叫んだのです。
「今までのと違う!」
って。
とても驚きました。
だって、私、なんの説明もせずに読んだので。
この「みつけてん」という絵本が、
「どこいったん」「ちがうねん」
という絵本の続きなんだよ、なんてことは。
だって、シリーズものとは言え、それぞれが独立した絵本ですし、「どこいったん」や「ちがうねん」を読んであげたのは、もうずいぶんと前のこと。
忘れてしまってても仕方がないと思っていたのです。
なので、彼の「今までのと違う!」という言葉を聞いたときは、じわじわ~っとうれしさがこみあげてきて、「ああ、覚えていてくれたんだなあ」とすっかり幸せな気持ちになりました。
「どこいったん」「ちがうねん」「みつけてん」
どの本もその中心にあるのは「帽子」です。
「どこいったん」では帽子を盗られてしまったクマ、
「ちがうねん」では帽子を盗ったサカナ、
「みつけてん」では帽子を「見つけなかったことにしよう」とする2匹のカメが主人公。
欲しくてたまらない、大切でたまらない帽子を中心に、三者三様の心模様を描いていて、どれも考えさせられる内容です。
「盗った」「盗られた」という所有欲がテーマだった前2作と違って、完結編「みつけてん」では誰も帽子を盗みません。
「どちらかが帽子を占有したら、もう片方は帽子を被ることができない」のだから、いっそのこと「見つけなかったことにしよう」という解決策を生み出した2匹のカメ。
完結編とは言え、作者は別にカメの選択を最良とか優れているとか、そういうことを強調しているわけではないし、ある意味道徳的な示唆があるわけでもありません。
でも、クマの帽子を盗ったウサギや、大きいサカナの帽子を盗った小さなサカナが、「食べられてしまう」ことを暗示するラストを思うと、2匹のカメの賢明さは際立っています。
なので、4年生の男の子もきっと「今までのとは違う!」ととっさに感じたのでしょう。
「みつけてん」という絵本の何が、「どこいったん」「ちがうねん」の続きだと、彼に感じさせたのかはわかりません。
それは絵の特徴だったのかもしれないし、シンボリックな帽子の存在だったのかもしれない。
わかりませんが、でも確かに彼の心の中には、今までに読んで聞かせた「どこいったん」と「ちがうねん」という2冊の絵本の残滓が存在していたということなのでしょう。
私はそのことがうれしくて、本当に本当にうれしくって、「ああ、覚えていてくれたんだなあ」としみじみと、ただしみじみと胸が熱くなる思いがしたのでした。
多くの大人は子どもたちに本を読んでほしいと願っています。
その強い思いが、勢い余って子どもたちに感想文を書かせたり、どんな風に思ったのか聞きだそうとしてしまいます。
でも、それってほんとに必要なのかしら。
「みつけてん」という絵本に出会って、
「今までのと違う!」
と思わず口走った少年のひとことほど、強くまっすぐで純粋な感想がこの世にあるでしょうか。
本を読んだ感想なんて、それで十分なのではないかしら。
いえ、本当は、何かを口にする必要すらないのかもしれない。
たとえ子どもたちがなんにも言わなかったとしても、何も感じていないように見えたとしても、真に力のある絵本や物語は、きっと子どもたちの心の中に、なにかしらちゃんと、新しい、やわらかな、そしてみずみずしい双葉を芽吹かせてくれているはずなんだと、少年の声を聴いた私は思いました。
で、あまりにもうれしくって躍り上がるような気持ちだった私は、思わず彼に向かってにっこり笑い、
「そうやねえ、違うね。
どっちがいいんかな、人のモノを黙って盗ってしまうのと、ただ一緒にその夢を見るのと。」
と言いました。
言ってしまってから、「しまった」と思いました。
今のはちょっと押しつけがましかっただろうか、私の感想や倫理観を子どもたちに強制することにならなかっただろうかと考えて。
物語を読んで、そこからどのような教訓を得ようが、どんな感想を持とうが、それは子どもたちひとりひとりに与えられた自由だと常々思っていて、決して余計な説明や解釈をするまいと気をつけているのに、私はどうもおしゃべり過ぎて、つい要らぬ一言を言ってしまうことがあります。
私に声をかけられた男の子が神妙な顔つきで考え込んでいるのを見て、私は「やばー、またやってしまった」と焦りまくって、
「また来るねー、さよならー」
と逃げるように教室を後にしました。
おしゃべりってダメですねえ。
反省しています。
問題はその反省がいつも全然続かないってことなんですよねー。
とほほ。
結局夫が一番失礼だった話。
みなさま、こんばんは。
私には年子の弟がいるのですが、就職して関東に転勤してから、ほとんど会うことがなくなりました。
考えれば不思議な感じがします。
子どもの頃にはどこに行くにもいつも一緒だったのに、大人になるときょうだいであっても疎遠になってしまうんですね。
お互いに家庭や仕事がありますから、それも仕方のないことではありますが。
でも、いくら疎遠になったとはいえ、そこは姉弟なので、会えばいつでも本音トークが炸裂、「遠慮」とか「オブラートに包む表現」とか、そういった婉曲表現がもっとも無用な関係でもあります。
平素は年末年始くらいしか会うことはありませんが、ある時、親戚の集まりがあって、弟も帰阪したことがありました。
その当時、私は妊娠後期で8か月くらいだったかな、でも大きいお腹を抱えて参加しました。
親戚の家で、私と久しぶりに顔を見合わせた弟は開口一番、こう言いました。
「姉ちゃん、どうした、シロクマみたいになってんで。」
むっか!
失礼な!!
仕方ないやん、妊娠してるんだから、ちょっとくらい大きくなっても!
と言おうとしたら、そばにいた母の方が一瞬早く口を開きました。
「まっ!なんてこと言うのっ!お姉ちゃんに向かって!
白ブタやなんて!!」
・・・。
ひどっ!
弟と私は母に向かって一斉に吼えたてました。
弟「俺、白ブタなんて言うてへんやん!シロクマって言うたんや!」
私「そうや!白ブタに比べたらシロクマの方がいいわっ!なんかかっこいいやん!」
母はぴゅーんと逃げて行きました。
その場にいた親戚はみんな「楽しい一家やなあ。」と大笑い。
ま、大阪ですからね、笑いをとれればそれでラッキーな面があるので、私も弟も一緒に笑っておきました。
その騒動の中、うんともすんとも言わなかった私の夫ですが、帰り道、外環(外環状線・国道170号線)を運転しながら言いました。
夫「あなたの家族やけどさー。
言っていいことと悪いことの区別がついてへんとこあるよね。
いくらなんでも「シロクマ」とか「白ブタ」とか。
親しき中にも礼儀あり、って言うのにねー。」
って。
で、私も弟の言葉を思い出して(←すっからかんに忘れてたけど)、
「そうやわ!ほんまに失礼なんやからっ!」
と怒りを再燃させていたのですが、そうしたら夫が突然、前方に現れた動物病院の看板を見て、
「あ、ほらほら見てー、あそこ!」
と指差しました。
夫「ほらっ!あそこ!シロクマ動物病院ってのがあるで~!!」
・・・。
「だから、なに?」
結局、あなたが一番失礼なのよっ!!!って私がすごーく怒ったのは言うまでもありません。
以来、「シロクマ」と聞けばこの話を思い出して、秘かに「むっ」とする私。
でも夫の方はまったく覚えていなくて、それもイラっとします。
思い出させようと当時の会話を再現したら、
「そんなことよう覚えてるなー!
てか俺、なんも言うてへんやん。たまたまシロクマって言葉に反応しただけやん・・・」
と言うのでさらに火に油!
ああ、は~ら~たつ~!!!
ということで(←どういうこと?)、怒りを再燃させながら久しぶりに編んでみました。
シロクマくんです。マフラーつき。
このシロクマくんはかわいいけど、本物のシロクマって結構凶暴ですよね。
「私が怒ったら本物のシロクマに近いんですからねっ!」
と夫に言ったところで、ふと思いました。
「今、私、自分がシロクマ系って自ら認めたことになってる!」
って。
・・・どこからが引っかけ問題だったんだろう・・・?
むむむー。