「読み聞かせ」の醍醐味を教えてくれた絵本。

みなさま、こんばんは。

 

先日、ボランティア先で読み聞かせをしていて、とってもうれしいことがあったのです。

 

その日読んだ本はこちら。

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「みつけてん」

ジョン・クラッセン著、長谷川義史訳、クレヨンハウス

 

私の大好きな絵本、

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「どこいったん」「ちがうねん」に続くシリーズ第3弾、完結編です。

 

この3冊ねえ、ほんっとに好き。

何がいいって、まず全編が大阪弁ってところ。

それも長谷川義史氏による、とってもナチュラルで完璧な。

白々しいところやわざとらしい感じが全くなくて、素のままの、日常会話そのままの大阪弁でとっても好感が持てます。ま、「おおきに」なんて今は使わないんですけど、それでもこの絵本の中の「おおきに」はとても自然です。

 

それから、「語りすぎない」ところ。

あれこれ過剰な説明がないので、物語の終わりには地平線まで届きそうなほどの余韻を味わえます。

読み終わったときの、子どもたちの呆けたような「きょとん」とした顔のかわいいことと言ったら!

そんな子どもたちの顔を見るのが楽しみで、私はどのクラスでもこの絵本シリーズを読むようにしています。

1年生の教室で「どこいったん」を、その子どもたちが2年生になったら「ちがうねん」を、といった感じで。

 

第三弾、「みつけてん」も、やっとボランティアの予算で購入することができたので、最近の読み聞かせでは必ずこの絵本を読むようにしています。

で、先日。

4年生のクラスでこの絵本を読んだのですが、読み終わった瞬間、ひとりの男の子が叫んだのです。

 

「今までのと違う!」

 

って。

 

とても驚きました。

だって、私、なんの説明もせずに読んだので。

この「みつけてん」という絵本が、

「どこいったん」「ちがうねん」

という絵本の続きなんだよ、なんてことは。

 

だって、シリーズものとは言え、それぞれが独立した絵本ですし、「どこいったん」や「ちがうねん」を読んであげたのは、もうずいぶんと前のこと。

忘れてしまってても仕方がないと思っていたのです。

 

なので、彼の「今までのと違う!」という言葉を聞いたときは、じわじわ~っとうれしさがこみあげてきて、「ああ、覚えていてくれたんだなあ」とすっかり幸せな気持ちになりました。

 

「どこいったん」「ちがうねん」「みつけてん」

 

どの本もその中心にあるのは「帽子」です。

「どこいったん」では帽子を盗られてしまったクマ、

「ちがうねん」では帽子を盗ったサカナ、

「みつけてん」では帽子を「見つけなかったことにしよう」とする2匹のカメが主人公。

 

欲しくてたまらない、大切でたまらない帽子を中心に、三者三様の心模様を描いていて、どれも考えさせられる内容です。

「盗った」「盗られた」という所有欲がテーマだった前2作と違って、完結編「みつけてん」では誰も帽子を盗みません。

「どちらかが帽子を占有したら、もう片方は帽子を被ることができない」のだから、いっそのこと「見つけなかったことにしよう」という解決策を生み出した2匹のカメ。

 

完結編とは言え、作者は別にカメの選択を最良とか優れているとか、そういうことを強調しているわけではないし、ある意味道徳的な示唆があるわけでもありません。

でも、クマの帽子を盗ったウサギや、大きいサカナの帽子を盗った小さなサカナが、「食べられてしまう」ことを暗示するラストを思うと、2匹のカメの賢明さは際立っています。

 

なので、4年生の男の子もきっと「今までのとは違う!」ととっさに感じたのでしょう。

「みつけてん」という絵本の何が、「どこいったん」「ちがうねん」の続きだと、彼に感じさせたのかはわかりません。

それは絵の特徴だったのかもしれないし、シンボリックな帽子の存在だったのかもしれない。

わかりませんが、でも確かに彼の心の中には、今までに読んで聞かせた「どこいったん」と「ちがうねん」という2冊の絵本の残滓が存在していたということなのでしょう。

 

私はそのことがうれしくて、本当に本当にうれしくって、「ああ、覚えていてくれたんだなあ」としみじみと、ただしみじみと胸が熱くなる思いがしたのでした。

 

多くの大人は子どもたちに本を読んでほしいと願っています。

その強い思いが、勢い余って子どもたちに感想文を書かせたり、どんな風に思ったのか聞きだそうとしてしまいます。

 

でも、それってほんとに必要なのかしら。

 

「みつけてん」という絵本に出会って、

 

「今までのと違う!」

 

と思わず口走った少年のひとことほど、強くまっすぐで純粋な感想がこの世にあるでしょうか。

本を読んだ感想なんて、それで十分なのではないかしら。

いえ、本当は、何かを口にする必要すらないのかもしれない。

たとえ子どもたちがなんにも言わなかったとしても、何も感じていないように見えたとしても、真に力のある絵本や物語は、きっと子どもたちの心の中に、なにかしらちゃんと、新しい、やわらかな、そしてみずみずしい双葉を芽吹かせてくれているはずなんだと、少年の声を聴いた私は思いました。

 

で、あまりにもうれしくって躍り上がるような気持ちだった私は、思わず彼に向かってにっこり笑い、

 

「そうやねえ、違うね。

どっちがいいんかな、人のモノを黙って盗ってしまうのと、ただ一緒にその夢を見るのと。」

 

と言いました。

 

言ってしまってから、「しまった」と思いました。

今のはちょっと押しつけがましかっただろうか、私の感想や倫理観を子どもたちに強制することにならなかっただろうかと考えて。

 

物語を読んで、そこからどのような教訓を得ようが、どんな感想を持とうが、それは子どもたちひとりひとりに与えられた自由だと常々思っていて、決して余計な説明や解釈をするまいと気をつけているのに、私はどうもおしゃべり過ぎて、つい要らぬ一言を言ってしまうことがあります。

 

私に声をかけられた男の子が神妙な顔つきで考え込んでいるのを見て、私は「やばー、またやってしまった」と焦りまくって、

「また来るねー、さよならー」

と逃げるように教室を後にしました。

 

おしゃべりってダメですねえ。

反省しています。

 

問題はその反省がいつも全然続かないってことなんですよねー。

 

とほほ。